洛南・極私的概略

 

洛南の空気

洛南は、京都の南方に広がる地域全般になります。これ、当たり前なのですが、他の地域との決定的な差があります。洛東は東山三十六峰、洛北は鞍馬山、洛西は愛宕山から小倉山など、それぞれ山脈ラインに囲まれています。洛南は、このような堰き止められることで育まれる空気とは違い、川を伝って南へと開け、また南から上がってくる物資や情報などもある、解放系空間。

そういえば京都駅は七条と八条の間、八条寄りにあります。京都駅ビルは、大きな壁の如き建造物となり、北から南へと流れるものを一度ここで止めているようにも見えてしまいますね。

それはともかく、京阪・JRなどで洛南方向へ出ると、京都駅以北の高密度空間に対して、山に遮られることなく広がってゆく空間を感じることになります。

東福寺近辺から

洛南というにはだいぶ東山続きの空気を残している東福寺。大徳寺、妙心寺など後代の禅寺文化が隆盛する前から存在する、懐の広い境内。新緑と紅葉の名所。京阪電車やJRの東福寺駅で降りてから辿り着くまでが長く、初めてあの谷底と渓流にかかる橋(通天橋)を見た時、私に沸き上がってきたのは不思議な懐かしさでした。ここには日本の美の原風景が、あると思う。

東福寺近辺は、塔頭も多数あるし、皇室の位牌を安置する泉涌寺も徒歩圏内です。ここも、すり鉢の底に建つお堂に向かって歩く、独特の眺めが不思議な気持ちにさせてくれるところです。

東福寺境内には、東山から連なる空気がやや残っているように感じられ、泉涌寺にもやや感じられます。そうは言っても、京都駅より北にある東山圏と異なり、それは南へ向けて開けていく場所と、そうでない場所の境界にあるからかもしれない、などと勝手な夢想を繰り広げたりします。

醍醐寺を中心に

その南東には、醍醐寺コースがあります。小野小町伝説で有名な随心院、蓮の花と御所建造物移築が有名な勧修寺、そして秀吉の大茶会など様々な伝説を持つ醍醐寺

随心院と勧修寺は寺域がそう大きくはありませんし、地味で見学者が多いわけでもありません。ただ、真夏の勧修寺、蓮の花が開く午前、あまり人がいない時に行ってみるのも、なかなかすてきな光景です。

逆に、醍醐寺は驚くほど大きな庭。写真撮影厳禁でうるさい(ちょっとした動作まで係員が注意する・・・まぁ確かに撮るほうが悪いのですが)のが玉に瑕ですが、ここまで大きな庭は他に滅多にないです。春の桜も有名ですね。私個人は好きではないですが、見る価値はじゅうぶんにあります。この奥、上醍醐の山道が、古くからある醍醐寺。

市中から醍醐寺へは、地下鉄東西線の延伸により、便利に行けるようになりました。ただ、醍醐寺から随心院に至る旧奈良街道、また、山科川を渡る橋なども、交通量が多いところです。歩くとたいへんな目にあう(早い話が車にひかれそうになる)こともあります。この地域に到着したら、バスの一日乗車券を利用する、あるいはタクシーをチャーターするほうが、楽だと思います。

伏見稲荷、伏見

すみません、この地域は割愛します。極私的ページゆえ、こういうこともあります。

黄檗から宇治

黄檗宗の総本山、万福寺のあるところ。駅名は黄檗で、JRでも京阪でも行けます。どちらかと言えば、東福寺を午前から廻り、黄檗から宇治あたりを目指すのが一般的でしょう。いや、それは欲張り向けのコースかな。

万福寺の詳細は別ページに譲りますが、ここでゆっくりするなら、普茶料理を食べて、大蔵経の版木も見て廻るのがよいでしょう。

黄檗から宇治へは、京阪かJRで行けます。京阪に乗るほうが、観光には楽かもしれません(以前は改札がもっと前に出ていたが、駅舎改築でロータリーが出来上がり、改札は引っ込んだ)。宇治は京都文化圏のどん詰まり、京都東西に走る通りの名前を覚える歌では「宇治でとどめさす」とも歌われています。宇治川の向こう側には、平等院とその参道を中心にした観光街が広がり、手前側には宇治神社、上宇治神社、県神社など古い神社が並びます。なお、宇治神社の南には興聖寺という禅寺があり、上がることはできませんが、境内無料です。宇治のあたりは、平等院を中心に、ほかをどこまで見るかによって、一日ここを歩くか、コースの最後に持ってくるかが決まります。

黄檗から宇治に至る京都の南端(とはいえもはや洛中とはまったく違った空気になってくる)は、西の奥にある嵐山・渡月橋と並んで平安的な美の風景を秘めています。宇治は特にそうです。ただ、山が迫る渡月橋と、空間が広い宇治はまったく異なる趣を持ちます。東京の人々が思い浮かべる京都らしさは、むしろ嵐山近辺のほうかもしれません。ただ、万福寺の中国様式、平等院の平安美術の粋、宇治周辺の神社の持つ土臭さは、他では絶対に味わえないものです。山城と並んで、日本文化の古層を垣間見ることの出来る場所でもあると、感じています。もちろん貴族の遊び場や隠遁の地として、後代には茶の生産地として新しい波が続々と訪れた場所ではありましょうが、山で堰き止められる感じがしないここは、吸収しつつ拡散していくような、不思議な空気があります。古くから神社が多い場所でもあり、人はここに何かを感じてきたに違いありません。そういう場所が京都圏の南端になっているのは、興味深いことです。