• [種別]寺院
  • [名称]萬福寺(黄檗山萬福寺と呼ぶのが正式)
  • [宗派]黄檗宗
  • [地域]洛南、宇治の北。JR奈良線か、京阪宇治線の黄檗駅(京阪なら宇治から2駅)。駅より、徒歩10分弱。
  • [特徴]江戸初期に、中国からやってきた隠元禅師が、中国の本山である黄檗山萬福寺にならって建立。以後、中国の明の様式を伝えている。
  • [拝観料]2002年、500円。
  • [+α]市中の喧騒を逃れると、眼を疑う色の豊かさ。その奥にある沈黙の多彩さこそが、すてき。

概略

有名な黄檗宗の総本山。江戸初期(寛文年間)、隠元禅師の創建になります。

日本の禅宗は臨済宗(唐の臨済を始祖と仰ぎ、 日本では鎌倉時代に栄西が輸入)と曹洞宗(宋の曹洞を始祖とし、日本では鎌倉時代に道元が始めた)の2つが大きな派を築きましたが、それよりずっと後に入ってきたものです。中国の明時代の様式を伝えるものとして有名です。

あまりに異なる空気感

黄檗駅を降りてからしばらく住宅街を歩きます。大寺院などありそうもない、地味でベッドタウンのような町中に、忽然と門が見えます。

門をくぐると、別世界。特に違うのは、色づかいです。 赤や緑の原色が目を引きます。わび・さびのお寺とは雰囲気が全然違います。白壁の様子、左右に並ぶ回廊、とにかく京都の通常の禅寺とかけ離れて、ここだけ中国が現出します。

日本の仏教は、最初から国家鎮護と結びついて輸入され、室町時代〜戦国時代以降、武家、公家、商人と結びつき、徳川幕府になってからは言ってみれば体制側の宗教に近づいていました。隠元禅師が来日したころはそろそろ幕藩体制安定期になってきます。しかし、都よりずっと離れた土地で始めた黄檗山は、その色遣いとは対照的に地味に座禅を続けています。

歩いてみよう

一番奥のお堂を中心に、左右の回廊が広がり、その回廊に沿ってお堂が対象形で点在しています。美しい庭でなく、伽藍中心の建築群は、彩りとは対照的に地味な雰囲気を醸し出しています。中国の一般的な寺院建築の形を踏襲しており、たとえば奈良のお寺などがこうした形式を真似ていたのがよくわかります。(ただ、奈良の官立寺はもっとずっと大きかった。)

三門をくぐると、布袋様=弥勒菩薩の像が光る天王殿に迎えれます。この玄関を入ると、中央に大雄宝殿、法堂と大きな建造物のラインが見えます。そして、左右に広がる回廊に、諸堂が並びます。

回廊を歩いて斎堂(食堂のこと)に至れば、木の大きな魚が下っています。開ぱん(ぱん=木+邦)と呼ばれ、これを鳴らして刻限の合図としています(参拝者は鳴らしてはいけない)。この魚の造形、日本にはないものです。

本堂である大雄宝殿は、本尊に釈迦如来、脇侍に迦葉尊者と阿難尊者。そして、十八羅漢像が壁に並びます。これら尊者や羅漢は、どちらかといえば小乗仏典と呼ばれて日本仏教ではあまり重要視されていなかった側面がありますが、ここでは仏教の始祖と直弟子達を中心に拝しています。

また、見学時にもらうパンフレットにもあるように、明時代の音でそのまま経典を読むため、有名な般若心経も全然違う音になります。

ここは明伝来の禅を直接伝える寺であることが、建物だけではなく、生活様式全般から感じられるところです。実際、管長(総本山の代表)の一覧が掲示されているので見てみると、隠元禅師の後もかなり長く中国より呼んでいたことが わかります。

歩いていると、実際に修行中の人達が座禅しているお堂の 前も通ります。「修行中につき、お静かに願います」 と札が下がっており、その周囲だけはなにやら緊張感が 漂っています。(座禅では呼吸に集中していくのが入門だ そうなので、そのへんから音への緊張感が生じている のかもしれない。)

実際に修業生活をしている空気が流れてくるところも、独特の空気を醸し出している一因かもしれません。

周辺情報

京都市内からは距離があり、また黄檗周辺に観光地が複数あるわけではありません。ここでゆっくり過ごすなら、事前予約の上で普茶料理を味わうのもいいかもしれません。グルテンを使って肉や魚を思わせる、独特の中国精進料理はここから入ってきました。

萬福寺少し北には塔頭の宝蔵院があり、隠元の弟子である鉄眼が完成させた一切経版木収蔵庫が公開されています(ただし不定期で休むこともある模様)。

京阪宇治線で一駅南には三室戸駅があり、三室戸寺が東のほう(山へ向かって歩く)にあります。さらに電車で、宇治へ行けば、お茶と平等院などが待っています。