• [種別]寺院
  • [名称]高山寺
  • [宗派]
  • [地域]洛西の高雄・清滝コースで、始点や終点によく選ばれる。JR京都駅よりバスで1時間強、バス停栂ノ尾よりすぐ。神護寺より歩くと30分強。
  • [特徴]奈良時代に開設、神護寺の別院として長くあり、鎌倉時代に明恵上人が衰えた寺を再興、これ以降現在の名前となる。
  • [拝観料]境内無料。石水院拝観、2002年、600円。
  • [+α]神護寺とは山を隔てて、まったく異なる空気。豊かな杉林と水を含んだ空気の香り、なんともいえない清浄な空気を浴びつつ、明恵上人に思いをはせる。

概略

古くは神護寺の別院でしたが、明恵上人が中興の祖となり、現在の名高い寺となりました(ただし、石水院は明恵上人の過ごした場所から移されている)。

栂ノ尾は北山杉の名所でもあり、その懐に抱かれて、豊かな清い水と、清冽な空気をたたえた地に立つ古刹は、世界遺産にも登録されています。

鳥獣戯画を所持していた寺としても有名ですが、ここに展示されているものは写し、原本は国立博物館の所蔵となります。

石水院

国道162号線の木立に、ふいに現れる石段と門。すでに北山杉に清められた水が、ここまで流れています。門から上ると、ゆったりした坂が石段に支えられた奥深い境内が広がります。

すぐに石水院の入り口に気づきます。小さな門をくぐり、拝観手続を済ませて上がると、廊下を渡って山が開ける方が石水院。禅僧の住持する方丈のような、勤行と生活が一体化した木造建築であり、応仁の乱の戦火も免れたもの。襖で仕切られた三つの間を持つ、非常に簡素な構成。

明恵上人樹上座像図、志賀直哉が愛したという犬の彫像が真ん中の部屋に置かれています。また、縁側から向こうの山に開け、風が吹き寄せてきます。車の音こそしますが、人が少ない時には、不気味なくらいの静けさを味わうこともあります。

鳥獣戯画は、順路の一番奥にあり、写本がガラスケースに収められています。また、鳥獣戯画をモチーフにしたお土産などが、受付にあります。

明恵上人ゆかりの

明恵上人は、白洲正子の有名な書物がありますが、他にも研究や文芸など様々な伝説を残した方です。このお寺は、明恵上人がその生涯のかなりを過ごし、没されたところでもあります。

神護寺真言宗として幼年期に得度しつつ、奈良の東大寺で仏道を修め、東大寺より華厳宗再興のための命を拝して勤めたりしましたが、高山寺を再興したからはほとんどをここで過ごしています。宗派を超越した発想、欲にまみれた自分を疎んで自殺を図ろうとしたこと、欲を発動させる聴覚を断つために自分の耳をそいでしまったこと、仏道の根本に迫るためにインドへの渡航を何度も真剣に試みたこと(奈良の春日大社のお告げで諦めたのは有名、能の題材になった)など、純粋で言行一致の特徴ある行動が残されています。死後天台宗(華厳宗とは争っていた)をして「高僧」といわしめるなど、同時代人からも後世の人々からも尊敬を受けた方です。

また、夢日記をつけていたことも有名であり、それだけでなく釈迦の入滅の様相を講談調の文芸にまとめたり、禅を日本に持ち帰った栄西との交流から茶畑を初めてここに作るなど、宗派を超越して、驚くほど広範囲に後世の文化に影響を残しています。

このような僧侶が中興したお寺が戦火にも焼けず残り(周囲に水分が多く焼けにくかったとも思われる)、世界遺産に指定されたのは、そのような箔付けに関心のない私でも「残さなければならない場所だからこそ、指定された」などと思いたくなってきます。

境内

石水院を出て上り始めればすぐ、日本最初の茶畑が見えます。栄西禅師が持ち帰った種をまいて育ったここの茶畑から、宇治の茶が生まれました。豊かな杉の清めた水が、今でも茶の葉を茂らせています。

なお、本尊はここから上った金堂周辺です。釈迦如来を祀っています。宗派を超越して行動していた上人を想像します。金堂から見下ろすと、上ってきた斜面が杉木立の底にあり、深々と山に抱かれたところに立っていることを実感します。

そして、自分のことを振り返ってみたりもします。そう思わせる場所です。