洛南:醍醐寺周辺

 

山科から南へ

東山観光ゾーンの南端にある清水寺から南東へ。あるいは、三十三間堂のある七条からさらに東へ。京都の盆地から山並みを一つ隔てると、山科の街が広がります。ここから平野部を南へ下ると、秀吉ゆかりの醍醐寺三宝院にたどり着きます。

山科は、東から京都に入る時に、必ず通ることになる要衝の地。東山から流れてくる山並みが京都盆地を囲みますが、その東側にある山科は農村、あるいは貴族の狩り場でもあったようです。

東山から続く山並みは決して開けることなく南へ下り、伏見桃山城跡や御香宮神社のあたりまでやんわりと続きます。そこまで下る手前に醍醐寺などがあります。京都盆地からまっすぐ下ると伏見稲荷から藤ノ森にかけての観光地域がありますが、そこから東へ進んで山を越えたあたりです。

このあたりは、以前はバスで行くしかない地域でした。平安建都1200年記念(1994年)として開通した地下鉄東西線により、市中繁華街の京阪三条から蹴上・山科を経て、醍醐駅まで電車一本で行けるようになりました。つまり、山科〜小野・醍醐がとても楽に行き来できるコースになったのです。

そうはいっても、小野と醍醐を結ぶ旧奈良街道沿いの移動には、バスやタクシーを使うほうが楽かもしれません。道が狭く、車が多いうえに、スピードも上げて走りますから。

絶世の美人の名をいただく土地

地下鉄東西線、あるいは市バスの小野で降ります。まずは西へ。山科川を渡れば勧修寺。

勧修寺は醍醐天皇ゆかりのお寺ですが、応仁の乱で焼けたため、現在の伽藍は徳川家の寄進を中心に復興されたものです。ここの池泉回遊式庭園は周囲の山と非常によく溶け込んでおり、見応えがあります。拝観はこの庭中心ですが、その静けさは一見に値します。池一面を埋め尽くす蓮は、夏の午前中など葉が人に躍りかかるようにそびえ、紅の花があちこちに咲き乱れています。

再び山科川を渡って西へ。小野駅やバス停の通りを過ぎて、旧奈良街道へ入る道を少し南へ。随心院が見えてきます。

随心院は、小野小町ゆかりのお寺として知られています。規模は小さく、威圧的な建物がないここは、いかにも小野小町の名を思わせるところがあります。また、隣には小野梅園があり、遅咲きの梅園は三月下旬が見ごろといいます(私はその時期はまだ見ていません)。

ここが小野と呼ばれるわけも、このあたりで感得されてきます。ちなみに、随心院からさらに東へ進むと、醍醐天皇陵があります。

醍醐へ

さて、足に自信のない方は、一度地下鉄小野駅に戻り、醍醐駅まで乗りましょうか。もしくは、小野か醍醐上町のバス停から、醍醐三宝院まで。

せっかくだから歩こうという方は、少々車が多く、歩道がないところをものともせず、旧奈良街道を道沿いに下っていきます。途中、弘法大師の独鈷水などあり、この地が古くから開けていたことを思い起こさせます。車が多く難儀な道を下り、新奈良街道を渡ったら、あと一息。

醍醐寺は、最初にたどり着くのが秀吉ゆかりの庭として有名な三宝院。ここから金堂や五重塔がある下醍醐が、よく知られている醍醐寺です。しかし、もともとは聖宝理源大師が山に結んだ草庵に始まった寺院です。下醍醐から山道に広がる上醍醐は、准胝観音と如意輪観音の信仰が広まり、密教修験道の本拠地でもある醍醐寺のもう一つの顔。

まずは三宝院から。天下人となった秀吉の開いた「醍醐の花見」の舞台です。平安末期に建てられましたが、応仁の乱で消失。その後に秀吉の協力で再興し、特に花見に際して秀吉の趣味をふんだんにとりいれて造庭されたものです。通常の京都の寺院では考えられない大きな庭園は、京の中心部では考えられないでしょう。ここの桜は名高く、確かに美しいものですが、真夏や真冬の空いているシーズンでも庭を味わうことは出来ます。

ここから仁王門の受付を経て、金堂と五重塔がある下醍醐の中心部(下伽藍)に至ります。応仁の乱でも焼けなかった五重塔を経て、さらに奥へ進むと、山道。かなり険しく、時間も40〜50分はみるため、余裕がない場合は、上醍醐への参拝はあきらめるほうがよいでしょう。逆に山を登る場合は、最初から計画に入れたほうがいいです。

醍醐天皇の御願により上醍醐が整い、そのすぐあとに下伽藍が出来ていったと伝えられます。山深い背景を持ち、応仁の乱を経てなお天下人が愛でたところ。山から吹く風は、不思議にさらさらと、聖地の空気を伝えています。広い寺域をいまなお残すこのお寺の本源は、観音水に発する山にあるのでしょう。

古い景観が残っている

小野から醍醐にかけての最大の特徴は、京都盆地からちょっとそれているためか、夥しい電線やビルといった景観を邪魔するものが少ないこと。目にとても自然です。特に醍醐寺のあたりは開発しようのないくらい懐の深い寺域に恵まれ、本当に戦国末期以降の景観をよく残していると言われます。

黄檗(明朝の伽藍・文物)、宇治(平安末期の浄土信仰)などともまた違った、平安盛期以降に伝わる文化を想像したくなる地域。都の中心部にあっては残らなかったものを味わえるコースです。