「酒場ミモザ」

●そういう名前の漫画があったのです

1988年以降、毎年京都を確認するように歩いていた私は、1992年の秋、まだ夏の京都巡りの記憶も新しいうちに、購読している月刊誌「アフタヌーン」で、見慣れぬ絵柄の作品に惹かれた。地味なショットバーを舞台に、作者の分身を想像させる若い女性と、バーの老マスターとの京都弁の会話を綴った、内容も地味な作品。作品名は「酒場ミモザ」。作者は、とだともこ。作品名は、舞台となるショットバーの名前だった。

翌年から本格的な連載が始まった。河原町三条と先斗町・木屋町の間あたりに存在を想像させる設定で、時代遅れの古くさいショットバーの、マスターと常連客との交流を描いたこの作品は根強い人気を持つことになる。1996年まで連載され、全4巻の単行本にもなった(講談社、アフタヌーンコミックス)。単行本の最終巻には創作秘話のような形で、ミモザのモデルとなったバーの話も出てきた。そこには直接の場所や店名は出てこない(ただし、加藤登紀子が「時代遅れの酒場」で歌った、とまでは書いてある。このことについては後述)。

1994年は、京都の建都1200年記念。様々な行事が丸一年行われ続け、数年前から都市全体を塗り替えていった、あの頃の空気が濃縮された作品でもあった。実際、第1巻(Vol.7)で御池通近くにある常連客が豆腐料理の店を開く話では、当時高層建築に建て替え中で物議を醸していた京都ホテル(2002年現在は京都オークラホテル)の建築風景が出てくる。その一方で、変わらぬ六耀社(クラシックな喫茶店、おいしいです)のことにも当然、触れられている。また、連載当時の情勢を反映して、1996年の新年を迎えるにあたっては「サリンやら震災やらいろいろなことがあったし、来年は」といった話題も第4巻(Vol.33)で出てくる。もちろん、新年は八坂神社でおけら火をもらってから寄る人がいるのである。第2巻の表紙には、祇園のまる捨(フルーツジュースのスタンド、夏には思わず寄りたくなる)。

ただ、この作品の魅力は、こうした京都のことに触れるばかりではない。酒場に寄れば上下貴賎もない常連客達との交流、それが酒場のマスターをほんのりと中心において、客達がなんとなくズレつつ、なんとなく重なりつつ行われていく。色濃くもあり、はかなくもある触れ合いだ。それは単なる人情噺というのとも違う。

たとえばマスターは腰が軽い。その場で行動し、常連客をカウンターに据えて、客と一緒に出かけてしまう(第2巻、Vol.14)。東京からの常連客、時代劇の脚本家のカベさんに付き合って、一緒にネタ拾いに出る(第1巻、Vol.8)。韓国は松茸が安いからと、韓国の客に勧められて、一泊二日の韓国旅行にまで出てしまう(第2巻、Vol.18〜19)。人と人とのつながりがさらに人を呼び、その中心にいるマスターが次々に楽しみながら広げていく、その様子が随所に描かれる。もちろん、Vol.1に登場する若い女性(絵描きの卵)もその輪の中にいるのだが、彼女の目を通じて描かれるのではなく、第三者のカメラ視点から描かれていく。ここも魅力である。

最後、絵描きの卵は個展を開く。第4巻の最後に至る前、Vol.37「酒場の一期一会」で、すでに絵描きになっているマサミさんの個展に赴いた際に、「個展を開くと」告げた時のせりふ。

「マスター、喜んだでしょ。私も展覧会する……言うた時ね、『ワタシ、今日のあんたに出会うの、ずっと楽しみにしてた』……て。『今日はええ一期一会どす』……て言われたワ」(括弧や句読点は引用者が読みやすいように適宜追加、実際はコマ運びに従っている)。

作中でマスターが言う「一期一会」があるからこそ、締まる。酒を媒介にバーテンダーが取り持つ縁を、だらしない酔狂にせず昇華させる衿持が芯になっている。でなければ、五年連載、全4巻の話にならない。

この個展と引き替えるように、一時休店を決意するところで話は終わる。このくだりは、ここでは触れることはできない。関心を持たれたなら、ぜひお読みいただきたい、もちろん巻末の「バー・ミモザのこと」と一緒に。現在は絶版だそうだが、古書店を丹念に歩くか、品揃えの良い漫画喫茶にはあるのではないだろうか。

そうそう、作者自身、絵描きでもある。絵描きでなければ描けないような線画(うまい絵というのとはやや違う、味わいある絵)があればこそ、この連載は魅力があったのだとも思う。名作「寄生獣」(岩明均・作)が終わって、個人的にはすごく興味ある連載が減っていたあの頃、この漫画があったからアフタヌーンを買い続けていたように記憶している。

●現実のミモザ

私個人で言えば、1992年あたりでほぼ自分が希望する観光地は回り終えて、むしろ京都の街全体が持つ不思議な魅力に関心が移り始めたころでもあった。エルマガジンなどを中心に、現地情報で歩く。どちらかと言えば、作品に沿って歩くのではなく「あ、ここ、歩いた、見てきた」とたまに感じれば満足だった。「酒場ミモザ」は面白いから読んでいたのであって、ガイドブックにはしていなかった。

1992年当時、すでに1994年の建都1200年に向けて街全体が活気を帯び始め、建て替えが始まり、以前の京都の記憶が徐々に後退していく。それは、昭和の京都から、平成の京都への変化でもあった。1970年代以来の、京都ブランドブームも起きた。毎年、驚くばかりの勢いで、街に、観光地に、人が増殖していく。銀閣寺の庭園大改装などもこのころ。

そして、それが去って数年、今度は洛中がほんとうに大きく変化していく様を見ることになる。作品は、それを実感して終わっている。

ミモザを何度か探そうかとも思ったけれど、やらなかった。もちろん、絵の細かい情報から、歩き慣れたあのあたり、などと思ってはみるのだが、なにしろ私はお茶・珈琲ばかりで下戸、酒は全くだめであり、入っても仕方がない。だから、積極的に探す気にはなれなかった。作中にはお酒に強くない、昔の学生運動家が出てくるが、私はビール、コップに一杯で二日酔いになれる男である(自慢してどうする)。

もう一つ、ややキザな理由を挙げるとすれば、たまたま訪れたら「あぁ、ここだったのか」というほうが、ちょくちょく訪れる京都だけに趣深いなどと考えてもいた。血眼になって探し回る情熱がないのだから、こっちのほうが自分の性にあっている。ギャグまんがの例で申し訳ないが、ゆうきまさみの「究極超人あ〜る」も、モデルになる高校があるという。そして、あとになってわかったそうだが、永井豪の「はれんち学園」と同じモデル高校だったという(高橋留美子との対談で語っていた)。こういうの、かっこいいではないか。(笑)

閑話休題。つまり、加藤登紀子の歌にうたわれたあのバーとなれば、それはリラ亭。1990年にマスターのご逝去とともに閉店し、その後、常連客のH氏がカリン亭として継いだ、といった話は実は、作者も第4巻末尾で触れている。

しかし、作品連載終了から数年、2000年4月にカリン亭も閉店されたそうである。このあたりの事情、実は検索エンジンで調べればヒットします。ご興味のある方、キーワードを工夫して、お試しあれ。

それよりも、作者のとだともこ氏は、この作品のあと、どこで何を描かれているのか、情報がつかめない。私はむしろ、そちらを知りたく思っている。


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