懐かしい…のかな、この喫茶店?

 

●外観からしてすでにそうなんです

観光名所に喫茶店はつきもの。歩く人がたくさんいれば、必要とされる店です。京都はそうでなくても喫茶店が多いです。手狭な家で話すより外で話すほうが楽だから、と言われてもいるようですが、個人経営の店が1ブロックに数軒あるというのもなかなかすごい。そして、非常に有名な店であってもそうでなくても、地元の人か何らかの形で利用しているのを見かけます。

清水寺から北へ上がっていく洛東エリア、あるいは烏丸からちょっと離れたビル街などにある、少し古めの建物。戦前からやっているような職住一体の喫茶店は別にして、1970年代の建築ラッシュで建てられたやや古い鉄筋ビル。観光地帯や繁華街にあるこうしたビルには時々、おやと思うような喫茶店を見かけます。

たとえば、店の入り口と窓に、ビニールのひさしがかかっていて、白と赤などのスプライトになっていて、中には花など飾ってあるような、ちょっとファンシーな空気がにじむ店。あるいは、ちょっとウッディなインテリアで、アメリカンコーヒーを飲んでる人がいそうな店。1970年代の京都観光ブーム(ディスカバー・ジャパンなんて言って、高度経済成長をやめて京都辺りでのんびりしようなんて動きがあったのだ)の頃に誕生し、継続して営業してきたのかな、などとぼんやり見ながら通り過ぎたりします。

東京では、こういうお店は1990年前後のバブル狂乱で、ほとんど廃業しました。名曲喫茶やジャズ喫茶もかなり消え、逆に生き残った店に希少価値が生じたりしています。

こうした外観のビルや店を見ると「あぁ、1970年代」と思わず見ちゃったりします。懐かしいというのとは違います。'70年代のファッションは得意じゃないし(着る人が似合ってればいいんだけど、わたしは似合わん)。むしろ清里ペンション村などのことを思いだしたり、アンノン族という言葉など思いだしたりして、ちょっと気恥ずかしいというほうが正確かもしれません(いやだと言っているわけではないので、誤解なきよう)。そう強い特色を押し出さなくても、なんとなく感じる空気みたいなものが、そこにはある。私はそれを気恥ずかしさとともに見つめるけど、懐かしい人もいれば、好きな人もいるでしょうし、'70年代の服で固めた若い子には新鮮かもしれません(それはあまりないのかな)。

●変わり始めているんです、最近

ここ4〜5年程かな、京都の街並みが変化しています。老朽化した建物の再建築や、地区まるごとの再開発などが行われていることもあるでしょう。手放した町家は高層アパートになり、それに抗うように、意匠に特徴のある古い建築物をカフェやギャラリーにする動きもあります。

喫茶店なら、三条大橋の脇にあるスターバックス京都三条店の開店、さらに三条カフェ通り(三条寺町あたりから三条烏丸までの間に点在する新しいカフェ群)、デザイン・カフェの流行(私はe-fishが好き)といった諸現象もありますね。東京なら青山〜裏原宿あたりで出てきた、食事も出来るし軽くお酒も飲めるカフェが全国に広がっていく時、京阪神では特にデザインもメニューの両方に特徴をつけるカフェが増えたようですが、京都はそういう空気を受け入れやすい土壌があるのでしょう。

しかし、そういう例ばかりではなく、通常の不動産開発と同様に、ビルを建て替えて、テナントを入れて、というケースも多いはずです。1980年代後半から京都をしばしば訪れる者として、建都1200年祭以降の変化には目を見張るものがあります。建都祭の前からも施設や店の改装が進みましたが、それ以降はむしろ街のあちこちが多発的に変わっていくような印象を受けています。駅や京都ホテルに限らず、街のさまざまな部分の立て替えが進み、当たり前のビルが当たり前に建ち並び、そこにはまさにいま流行っているものを全面に出した店が増えています。改装する例でも、からすま京都ホテルや祇園観光ホテルの1階にはスターバックスが入りました。

1970年代が保存されていた京都は、今度は1990年代が保存された町並みになっていくんでしょうか。もう20年経つと「あぁ、2000年前後のデザインカフェで残っている店があるんだ」と感慨深い目をしたりするんでしょうか。決して嫌いではない、むしろ好きな店もけっこうあるそんな店達は・・・まぁたぶん、イノダコーヒーなどとは位置づけも違うし、今のまま残るのとは違うとも思いますが・・・自分がどんな気持ちになるか、想像しにくいですね。


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