東京の荒みと京都の和み

●長いタイトルだけど、

そう仰々しい話をしたいわけじゃないんですけど、なっちゃうかもしれないな・・・

初めて一人で京都に訪れたのは、1981年か1982年。嵯峨野は今のような芸能人ショップもなく、もっと静かで、それでも「各種女性誌のおかげで開拓されてしまった」などと言われていた頃(ちなみに、バブルがやってきたのはもっと後なので、1980年代をバブルの10年ととらえるのは誤りです・・・って、ここで言うよりも、建都1200年前後の頃の話に結びつけることでした)。

京福電車、嵯峨野や御室などをつなぐ路線に乗っていたことで、忘れられないことが一つ。真冬に訪れたそこは、女子高生のほっぺが赤く、その瞬間に「田舎に来たんだなーっ、洛外と洛中って違うのか」と妙な感心をしてしまったんですね。たとえば、当時の東京都の人間なら、近県でも奥の方に入ると見かけるような、古い町並みと、着飾っていない若い女子、そんな光景を、洛中から西へ行っただけで出会ってしまったことが印象的。京阪神の街の、スケールサイズに初めて触れた気がしたんです。(田舎をバカにしてるのではないです。念の為。)

京都、大阪、神戸、それぞれはそう大きくなくても、特徴ある地域がつながっていれば、それはそれでなかなか魅力的だな、そう考えると、小さな盆地にぐっと詰まっているわけか、などと思ってたわけです。

●東京の空気の地方への伝搬

東京はよくも悪くも、ある空気を持つと、それをほかの地域へ伝搬・輸出するところがあります。バブルの狂乱は全国に飛び火したし、校内暴力もいじめも、伝搬していく。

1980年代、バブルが来る前の前半5年は、田舎っぽさを根絶していくような空気に満ちてました。お嬢様ブーム(今考えてもばかばかしいが、当時も十分ばかばかしかった)、暗い人間の排除、そういった空気が流れ、東京近県と東京都市部の均質化が進み、それも全国へ広がり・・・バブルはこういう空気の中で、日本の資産価値が大きいという空気に乗っかって狂乱を引き起こしたんでしょうか。

いや、また話がそれた。現在の東京の空気は、もう荒んでいると言っていいかもしれない。これは、東京にずっと住んでいると、脳みそではわかっても実感はなかなか出来ません。ところが、今年(2002年)の3月、4月と2ヶ月立て続けの所用で短期間、京都に行く機会がありました。行ったと思うとまた帰り、また行く・・・

2度目に帰ってきた時(つまり4月)、ほんとうに驚いた。東京の人々の顔色の悪さ、やさぐれた空気、覇気のまったくない足どり。京都で乗った、通勤帰りの地下鉄でのみんなの表情は、あんなにひどくはなかった。もちろん、京都を出たのが午後6時台だから、東京に戻ってくれば残業帰りの人たち。最近のサラリーマンは、人が減っても仕事は減らないままで、みんなが疲れているのは、私も経験しているし重々承知していました。7時くらいまでに電車に乗れる人たちは、東京でもあそこまでひどい顔をしていないかもしれない。でも、東京のサラリーマンの多くは、午後9時を過ぎても働いているのが当たり前な会社もたくさんあり、人数が非常に多いんですね。それがみんな、この重苦しさ、暗さ、足音の鈍さ。荒んでいる、という表現を思わず使ってしまうほどでした。

もちろん、たまたまだったというのはあります。週末の夜はここまでじゃないことも知っています。地域によっても、人々の表情は違いますしね。ただ、それにしても、酒場帰りの人々でも、楽しかったはずなのに、目の光が重い人たちが多い。これは、ほかの都市では(そうたくさん経験はないけど)あまり見かけません。

私の経験では、かなりの場所が、東京の空気を数年後に経験しています。実際、数年前までほとんど見かけなかったギャルギャルしい女の子(とはいえ色は白いです)が、河原町に2000年くらいからいます(東京のコギャルはもっと前)。

今の東京の荒んだ空気が、他県にも、そして京都に入り込むのか? 日本がみんなあんな風になるのか。そうはならないように出来るはずだ。みんな、ただズルすることじゃなくて、きちんと働いて、きちんと対価を要求し、きちんと払おう。それをやらないから、大企業に問題が起こり、消費者が生産者や流通業者を信用せず、あんな顔して働くんじゃないか。

京都が面白いのは、小さなお店、それもほとんど1品種を徹底的に極めたお店が多く、老舗としてしっかり商売していること。また、それにお金を払う人々がいること。関西は割とそうかな? いずれにせよ、こういう風に一度確立した経済圏があると、他の人々は別の土俵で勝負する空気、もうちょっと重視されてもいいですよねぇ。

あぁ、なんか重い方向にいってしまった・・・次回は軽い話を。


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