東京雑感

自分にとっての東京変遷

なんというか…東京以外に住んだことがないんです。

小さい頃、田舎があって帰る子達が少しうらやましかった。 でも、小学校も高学年くらいになると「自分が東京生まれの 東京育ちで、東京が田舎になるのだから」と思ったりしました。

だんだん大きくなると、地価がめちゃくちゃな上昇を始め、 自分がたいへんな場所を田舎にもってしまったものだと 実感する一方で、東京にいれば本屋も新譜もとにかく早く手に 入ることに、ありがたみを感じたものです。

社会人になって、出張を初めて経験した時、自分がいかに 情報に恵まれ、住み心地には恵まれていないかを思い知る 機会がいくつか出てきました。夜8時には暗くなってしまう 町並みを見て「これが日本のかなりの人口の生活なんだ」と 思うと、逆に自分の妙にいびつな生活を顧みたり、その一方で 隣の人の生活にさえあまり干渉しない都会の生活に慣れている 自分を発見したりしました。

地価の上昇劇(俗に言うバブル)は、私の憩いの場である 「いい喫茶店」や「古本屋」をいくつも廃店に追い込みました。 そして、その後には雑居ビルが立ったり、ただの駐車場に なったり、パチンコ屋になったり…。やはり、通い慣れた 店(第2の書斎に近かったかも)がなくなるのは、悲しかった。


ふるさととしての東京

驚く方もいらっしゃるかもしれませんが、私が幼児の頃は(1960年代初めから中期) 家の周辺に野原や空き地があり、虫をとったり、走り回ったり、 泥遊びをする場所がかなりありました。トタンを張り巡らせた 古い家もあり、新宿2丁目の交差点あたりなど、新宿の最果てで そこから先は地元の人の場所でした(そして内藤新宿の名残のある場所でもあった)。銀座も都電が走り、銀座通りに 面したコックドールという食堂の2階から、電車が走っているのを 見た記憶がありますし、あの辺もビルだけでなく、商店がだいぶ 残っていたし、今ほど銀行が全面に出ていなかった記憶があります (今でも銀座はよそほど銀行が目立たないかもしれませんね)。

私が夢に見る時の三省堂は、木造の古い建物です。ここで、おじいさんに 進学祝いの本を買ってもらって、そのあとで近くの喫茶店に連れて いってもらい、何か食べさせてもらっていました。中2階のある、 やたら広くて高い本棚。小学校高学年くらいからは、一人でここへ やってきて、およそすべての本があるんじゃないかとドキドキしながら 回っていたことを思い出したりします。

もちろん、その頃がよかったと思っているわけではありません。でも、 私の東京の原風景というか、イメージの原点は、今ほど豊かでなかった 頃の東京です。そして、 やっぱり、私は東京が田舎の原住民です。東京のイメージが どんなに一人歩きしても、下町から山手の入り口にかけてが古里で、神保町周辺(小学校から通い詰めている)の文化的堆積の影響が大きかった人間だと思っています。


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