沢田教一は、ベトナム戦争の写真を撮りつづけ、34歳で戦場に散ったカメラマンです。
沢田はサイゴン(現在のホーチミン)に住んでいましたが、激戦地フエ(当時はユエ)の取材も多く、写真が沢山残されています。
戦争終結から25年経った現在のフエは、すっかり観光地化されています。
写真は阮王朝の王宮だったところ。フエは阮王朝の都でした。沢田の写真には、フエ市街での攻防や、壊された城壁にたたずむ兵士の姿がとらえられています。
城門には銃弾のあとが今でも残っています。1968年のフエのテト(旧正月)攻撃は、ベトナム戦争で最も激しい戦いのひとつ。
ホーチミン郊外のクチ。ベトナム戦争時には、南ベトナム民族解放戦線の基地があった場所です。南ベトナム軍(=アメリカ軍)に抵抗した当時の様子が展示されています。
16の市町村を結ぶ全長250キロメートルの地下トンネルがあり、当時戦闘が激しくなると人々はトンネル内で生活したそうです。
ホーチミン市内の戦証博物館の庭にあるアメリカ軍の戦車。沢田教一の写真「泥まみれの死」に写っているものと番号が同じです。
戦証博物館の館内に展示されている沢田教一の写真の数々。
沢田がピューリッツァー賞をとった写真「安全への逃避」。
沢田の身分証明書です。彼は、5年間ベトナム戦争の取材をし、香港に移り住んでから取材に出かけたプノンペン郊外で殺されました。
ベトナム戦争で行方不明になったジャーナリストたち。


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