1999.5.23
1999FIREHAWK500観戦レポート
- 1.初めに
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今年も行ってきました「Championship Auto Racing Teams(CART)」in ツインリングもてぎ。去年は「バドワイザー500」と銘打っていました今年は「FIREHAWK500」つまりタイヤメーカーの「Firestone」が冠スポンサーです。「Firestone」は「Goodyear」と共にCARTにタイヤを供給していますが、去年「Firestone」はチャンピオンを獲得し、今年は「Goodyear」より多くのチームに供給しています。
ところで、実は「Firestone」は「Bridgestone」ブランドの一つ。ということは「Goodyear」はF-1からは撤退して今年から「Bridgestone」のワンメイク。CARTでもジリ貧に追い込まれている、といった状態です。おいおいどうした「Goodyear。」このままレース活動やめちゃうのかな?
- 2.ついに...
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今回は同行者あり!!
といっても大学のクラブの後輩なんですが。彼(ぼくが女性と同行する柄じゃないでしょう)はぼくがF-1に行ったとか、CARTに行ったとか話していると「一度行って見たいです」と言っていたこともあり、また例の如く2人分予約しておきながら同行者が見つからず「やれやれ」と思っていたぼくと利害?が一致し今回同行することになった。
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ぼくと同行者のレバー君 |
- 3.らくちんらくちん
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さて、CARTは金曜予選で土曜決勝なのだが、二人とも金曜は休めなかったので土曜未明に大学集合、でそのまま決勝に乗り付ける、という強引な手段に訴えるということにする。
さて大学の部室に入ろうとすると「ありゃ?なんで電気がついているんだ?まさか...」中に入ると人間のようなものが転がっている。そう、この日は「お花見」で飲んでいたとのこと。やばいやばい、ゾンビ達が目覚めないうちにさっさと出発してしまおう。ぼくの車でもよかったけど、後輩の車はなんと
トヨタプリウス
これに乗らない手はない。ということで地球に優しい旅にしゅっぱーつ!!
途中の道のりは快適そのもの。だって運転任せっぱなしなんだもん。別に体育会の先輩後輩関係を発動した訳じゃないんですよ、本当ですって。後輩いわく「首都高は大変だった」そうですが、カーナビがついていたので乗り切れたそうだ。え、ぼくですか?意識が回復したら常磐道でした、ハイ(笑)。
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早朝の富士山 |
- 4.トラブルトラブル
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金曜日忙しくて社内CDにも行けなかったぼく。途中の郵便局でお金を下ろそうとしたら一つ目の郵便局は「CD修理中。」手持ち¥2000程度ではとても無理。仕方ないので次は銀行で下ろそうとしたら、カードを受け取ったままうんともすんともいわなくなった。がーん。エマージェンシーコールすると「11時過ぎまで待ってください。」おいおい時間がないよー。もー待つ時間の長いこと長いこと。結局この原因はぼくのカードに亀裂が入っていたこと。そんなー、社内CDじゃなんともなかったのに。やっぱ銀行が異なれば受け付けなくなるのかな。
そんなことはともかく、急がないとぼくのお金も下ろせないし、決勝にも間に合わない。と思ったらすぐ近くに郵便局発見。なーんだ。さっさと下ろして(ホッ)ツインリングへ一目散。着いたのは12時過ぎ。フーぎりぎりセーフ。
- 5.レース自体は
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ほんとに単調そのもの。CARTはコース上でトラブル/クラッシュに関わらず止まる車が発生すると止まった車をのけて安全が確認されるまで「フルコースコーション」といって全コースでスピードダウン/追い越し禁止の措置がとられるのだ。この「フルコースコーション」時にピットインして燃料補給やタイヤ交換をおこなうピットワーク、「フルコースコーション」が解除されたときのリスタート時の加速、1コーナーへの飛び込みが魅力のひとつなのだが、今回は「フルコースコーション」が3〜4回とかなり少なめ。トップから(確か)3位まではレーススタートから変わらず。ほんと単調。さらに単調?なのが去年と優勝者が同じ。レース運びがうまいといってしまえばそれまでなのだけれど...
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今年も優勝のA.フェルナンデスのマシン |
- 6.反対車線
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レースの帰り、東京近辺に泊まろうと思ってはいるが宿をとってない(おいおい社会人か)ぼく達は、泊まるところを探そうと東京在住のクラブ出身者に連絡。そのうち一人(A君としよう)と連絡がとれたのでそいつの住んでる会社の寮に向かう。実はレースが終わってすぐ雨が振りだし、道に不慣れなぼく達(特に運転手の後輩)にはちょっと嫌な状況だったのだが、高速から降りたときにどうしたことか
反対車線
に入ってしまったのだ。後輩はかなり驚いたようだが、ぼくはどちらかというと「あぜん」とした感じだった。幸い反対車線が広かったこと、その時車が通ってなかったこと、とっさにハザードを付けたことなどによって事故にはならなかった。プリウスも底を少し擦った(反対車線は一段低くなっていた)ようだが確認の結果問題なし。よかったよかった。
- 7.おじゃましまーす
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さてA君の寮に着き、とりあえず「再会を祝って」ということでちょっと飲みにいったら、もともとの弱さ+運転してきた疲れからか、後輩は早々にダウン。ダウンした後輩をA君の寮の談話室に連れていった後、今度は先輩の家にお邪魔しにいく。この先輩結婚されて当時満4ヵ月になるかならないか。にもかかわらず奥さんは日頃から後輩の夜中の押しかけに慣れてしまったのか、確か深夜12時まわっていた時間にもかかわらず、さっとおつまみ作ってくれるetc、男から見ると正に「理想の奥さん」という感じ。あ、この場を借りて先輩ならびに奥さんにお礼をいわせていただきます。ありがとうございました。
先輩の家から帰って、ぼくも寮の談話室で泊まることにする。お休みなさーい。
- 8.帰り
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翌朝日曜日。これから大阪に戻らなければならない。大変だ、運転手は。
さて寮から出るとき、寮長さんがいないのを確認して「こそこそこそ」と出る。実はこの寮
部外者出入り禁止
なのだ。いやーとってもスリルを感じました、寝る前と目覚めた後は(苦笑)。どうもA君ありがとう。帰りは中央道を通って帰ることにする。甲府盆地に入ると正に「すり鉢状」の地形。これこそ盆地の典型像だ。太宰修が確か小説「富嶽百景」に甲府のことを
シルクハットを逆さまにして、中に旗を数本立てた町
のように(一言一句同じとはいえないが)書いていたと思うが、言い得て妙である。
諏訪湖の近くには温泉のあるS.A.があったのでここらでちょっと休憩。お風呂に入って「いい気持ち〜。」で風呂上がりのリラックスした状態が下の写真です。もー全身脱力状態。
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リラックスしたぼく |
あとは特にトラブル/イベントもなく、無事に大阪着。やれやれお疲れさま、プリウスに後輩君。こんな強行軍、ぼく独りじゃもうできないな、ほんと。
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