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懐かしい肌  前編

 河原塚時未と野波洋二は、校門の手前で見つめあった。
「えと……」
「うん……」
 学生服姿の、まだ子供っぽさが勝った少年と、三つ編みを下げたセーラー服の少女。はた目にも幼く、あまり親しげに言葉を交わすこともない初々しい二人である。
 洋二が手を伸ばして、時未の眼鏡のフレームに触れた。時未がぴくりと震える。
「洋二、くん……」
「これ、いいんだよね」
 髪に手をやり、背中に腕を回す。軽く抱きしめながら、まっすぐ垂れた三つ編みを指でひねった。時未は小鳥のように細かく震えている。
「まだいい?」
「う、うん……」
「これは?」
「あっ!」
 頬に指が触れたとき、時未が叫んだ。夢中で後ろに下がってから、はっと後悔の表情を浮かべる。
「ご、ごめんなさい……」
「ううん、いいよ」
 そう答えたものの、洋二の顔にはかすかに不満の色が浮いていた。
「よーう、可愛いなあ二人とも」
 大声を上げながら数人の男子がやってきた。運動部の帰りのクラスメイトたちだった。一人が洋二の肩に腕をかける。
「仲いいなあ、見せつけやがって」
「そんなんじゃないよ」
「付き合ってんだろ?」
「う、うん……」
 クラスメイトたちは急に輪を作って、中に洋二を引っ張りこんだ。きょとんと見ている時未のほうに視線を走らせつつ、ひそひそとしゃべる。
「で、どこまでいった?」
「どこまでって……」
「手握ったか? キスしたか? 胸もんだか?」
「やってないよ!」
 洋二が叫ぶと、みんなはどっと笑い崩れた。
「そりゃそうか! 三組いちマジメな河原崎さんが相手だもんな!」
「消しゴムひとつ渡すにも、拭いてから渡さなきゃいけない潔癖症なんだろ。おまえも大変だな」
「ほっとけよ! おれは時未が好きなんだから!」
「うお、言い切った」「へいへい、頑張れや!」
 笑いながらクラスメイトたちは帰って行った。洋二は悔しそうに見送る。その後ろから、時未がどもりながら声をかけた。
「ご、ごめんね。洋二くん……」
「いいよ」
「私、地味だし、口下手だし、あんまり可愛くないけど……」
 そう言いながら、時未がそっと体を寄せてきた。周りに目を配りながら、洋二の袖を取って引く。
 指先が、スカートの股間に押しつけられた。
「これだったら、またしてあげるから……嫌いにならないで」
「……」
「だめ?」
 うろたえたように時未が声を上ずらせた。
「そ、そうだ、今してもいいから。もう一回用具室いこ? また中で出していいから、ね?」
「……いいよ」
 洋二は固い声で答えた。手は時未のあそこにしっかり押しつけられている。だが、時未の手がつかんでいるのは洋二の袖なのだ。
 決して洋二の肌には触れようとしない。
 洋二は振り返って、強い声で言った。
「そんなに卑下するなよ。おれは時未のこと可愛いと思うよ。だから……せめて、手ぐらい握らせてよ」
 時未の小さな手に触れる。途端に、感電したように時未は腕を引っ込めた。
 泣きそうな顔になって言う。
「ごめん、ごめんなさい……だめなの。触るのだけは……」
「触るのはだめだけどエッチはいいんだよな。――いいよ、言わなくても。あそこは、最初からきれいじゃないからいいって言うんだろ。分かってる、何回も聞いた。――でも、わからないよ」
「ごめんなさい……」
 今にも泣き喚きそうな顔で、時未は震える。その顔を見ると怒れなくなるのだが、つい洋二は言ってしまう。
「おれ、時未のことヤリマンだなんて思いたくない。でも……このままじゃ、自信ない」
「そんな……」
「頼むから、キスぐらいさせろよな」
 洋二はじっと時未を見つめた。――だが、彼女の顔がひきつったままほぐれないのを見て、ため息をついた。
「……いいよ。でも、練習しといて」
「う、うん……」
「それじゃ」
 背を向けると、洋二は校門を出ていった。時未は何も言えなかった。

 とぼとぼと帰り道を歩きながら、時未は自分の手のひらを見つめる。
 どうしてなんだろう。
 時未は、潔癖症だった。昔からそうだった。小さなころからそうだったし、十六になる今でも、汚い物に触れるのはものすごい苦痛だった。
 洋二を好きになっても、それは変わらなかった。好きな人ならと期待したが、だめだった。キスはおろか、軽く手に触れるだけでも汚い気がしてしまうのだ。耐えられなくはない。だが、寒気がしてくる。ものの十分も続けていると、寒気は吐き気に変わるのだ。
 だから、体を許した。
 キスはしない。服も脱がない。着たまま愛撫してもらって、接触が一番少ないバックの態勢で、下着だけ下げてセックスする。学校の片隅で、人目に脅えながら。
 それは、口下手で好意を伝えることもできない時未が精一杯考えた方法だった。できるだけ短い時間でできるだけ多くの満足を洋二に与えたかったのだ。
 性器ならいい。他のところが触れられるのは汚されるような気がしてしまう。性器なら、自分の体の中でももっともいやしい。そこで洋二が喜んでくれるなら。
 洋二を喜ばせるため、できるだけいやらしいことを考えて濡れるようにした。避妊もせず生でした。それは結果として自分の体にも快感を刻むことになり、それが洋二を喜ばせるから、時未も感じることを楽しむようになった。
 その方法はうまくいっていたような気がした。洋二は何度も求めたし、時未もだいぶ長いあいだつながっていることに耐えられるようになった。あの不快な寒気は消えなかったが、代償である快感も強くなった。
 そんな矢先に、さっきのようなことを言われたのだ。
 ――ヤリマンだなんて。
 それは洋二の好意を得る手段であって、目的ではないのに。
 学校での時未は、口数が少なく本ばかり読んでいるせいで、決して友達が多いとは言えない。
 洋二はそんな自分を好きになってくれた。だから、一生懸命好かれる方法を考えたのに、それを否定されてしまった。
 ――私、男の人と付き合うようにできていないのかもしれない。
 沈んだ気分で歩き続けていると、いつのまにか家に着いた。
「……ただいま」
 玄関に入ると、うつむいた視線が、大きめの革靴をとらえた。見覚えがない。誰だろう?
「お母さーん、お客さん?」
「お客さんはひどいな」
 聞き覚えのある声がして、台所の玉すだれがもちあがった。そこから覗いたぼさぼさ髪の頭を見て、時未は思わず声を上げた。
「お、お兄ちゃん?」
「元気か、時未」
 兄の幹人だった。立ちすくんだ時未のそばにやってきて、やにわに脇の下に手を突っ込む。やめて、と言いかけた。
「そら! うわあ、重くなったなあ」
 天井まで持ち上げられてしまった。幹人はそのまま時未を子供のように宙吊りにして、すたすた廊下を歩いていく。
「眼鏡かけたのか。髪伸びてないのか? ああ、三つ編みか。でも美人になったなあ。別人みたいだ」
「ちょ、おに、くつ」
「ああ、靴履きっぱなしか。悪い悪い」
 どさっと荷袋のように肩に担がれ、ぐいぐい靴を脱がされた。時未は頭が真っ白になって何も言えない。
 兄の幹人は都会の大学に行ったきり、一度も帰って来なかった。四年間会っていないことになる。四年前と言えば、時未はまだ十二歳だ。そのころの記憶はとっくにかすんでいる。
 しかも、いきなり帰って来た。いや、卒業したら地元で就職するというのは聞いていた。だが、今日やってくるとは誰も言っていなかったのだ。
 人形のように固まっている間に居間まで運ばれ、すとんと下ろされた。母の孝子が笑いながら言う。
「びっくりした? 秘密にしといたのよ。ときみ、覚えてる?」
「え、うん……」
「ほうら、お兄ちゃんだぞー」
 にこにこ笑いながら、幹人が頭を撫でる。ちょっと顔の線が太くなった感じたが、目の優しさは変わらない。でも、記憶にあるより背が低い。――ううん違う、私の背が伸びたんだ、と時未はぼんやり考える。
「みきと、ちょっとは遠慮しなさいな。ときみがまた固まってるわ」
「また?」
「この子最近おとなしくって」
「遠慮なんかいらないよ、兄妹だろ。なあ時未?」
「う、うん……」
「変わってないよ! 時未は昔からこうだったよ。ちょっとニブくてぽやっとしてて。母さんはそばにいたから、かえって分からないんじゃない?」
「そう? なんでもいいわ。ご飯にしましょ、今日はご馳走よ」
 かきとえびのフライが並んだテーブルを囲んでも、まだ時未はぼんやりしていた。快活に大学生活のことを話す兄に、母がうきうきと言い返す。父は時折合いの手を入れるだけ。
 時未は思い出す。そうだ、昔はこんな雰囲気だったっけ。無口なお父さんに私が似て、おしゃべりの母さんにお兄ちゃんが似たんだ。まだ小学生だったころは、いつもこんな感じだった。忘れてた。
 例えようもない懐かしさがあふれる。一つ思い出すと次々に記憶がつながる。高校生の兄は、明るいけれど妙に服装に無頓着で、いつも着たきり雀だった。それは今でも変わっていない。時未はようやく、昔の言葉を思い出す。
「お兄ちゃん、相変わらずダサいね」
「おお? やっとまともなこと言ったと思ったらそれが挨拶か。ひどいな」
「そのトレーナー、昔と同じやつじゃない。やっぱり、もてないでしょ」
「ほっとけよ、その通りだ!」
 大笑いして、幹人はビールを飲んだ。父が無言でグラスに注ぎ足す。それは昔はなかった光景だ。
 ――お兄ちゃん、おとなになったんだ。
 なんだかまぶしい。だが不快ではない。四年のギャップがもたらす違和感と、そのずっと前からあった親しさのせいで、幹人が別人のように素敵に見えた。
「ほら、時未も飲め」
 ひょいとグラスが差し出された。孝子がこら、といさめる。
「いいじゃないかたまには。ほら、時未!」
 時未は気恥ずかしさを覚えながら、それを受け取った。飲みかけの泡がついたふちに唇を当てて、こくりと飲む。
 苦かったが、気にならなかった。幹人が身を乗り出す。
「おいしい?」
「まずい」
 言ってから、はっと顔を上げた。嫌われる。
 だが、幹人は笑っていた。
「まずいよな! そりゃそうだ。おれだってコンパでさんざん潰されて飲めるようなったんだ。ごめんな、時未」
「……ううん」
 時未はほっとした。そうだ、この人には遠慮しなくていいんだ。

 食事が終わると、時未は聞いた。
「お母さん、お風呂入れる?」
「沸いてるわよ」
「あ、おれも」
 テレビを見ていた幹人が立ちあがった。時未の肩を押す。
「一緒に入ろうぜ」
「そうだね」
「ちょっと、なんですか」
 洗い物をしていた孝子が振りかえった。
「時未はもう十六よ」
「え?」
 聞き返したのは時未だった。意味がわからなかった。すっかり四年前と同じ気持ちになっていたから。
 幹人も同じだったらしく、言い返した。
「湯の節約になるっつったの、母さんだろ」
「それ、いつよ。もう時未は女の子なのよ」
「はあ?」
 馬鹿にした目で幹人が見下ろした。それはちょっと癪だったが、母の言っていることは分かった。
 かえっておかしかった。十六になったと言っても、幹人の前では昔と変わらないのに。
「いいよ、お母さん。私は気にしないから」
「そんなこと言ってもね、あなただってもう子供じゃないんだから――」
「入っちまおうぜ」
 いたずらっぽく幹人がささやき、時未はうなずいた。
 脱衣場に駆け込んで、髪をほどき、手早くセーラー服を脱いだ。ひじや尻がぶつかった。幹人が苦笑している。
「ああやっぱり、おっきくなってるな、時未」
「お兄ちゃんこそ。腕、ごつくなったね」
「ゼミの資料運びがなあ。あれバーベルだからな」
 下着を脱ごうとして、はっと気付いた。汚れている。
 そうだ――学校で、洋二としたんだ。それがショーツに染みついている。
「どうした?」
「……ううん」
 見つからないようにまるめて、あとで洗うつもりで脱衣かごの奥に押しこんだ。
「こら、二人とも!」
 台所から声が飛んできたが、逃げるように浴室に入って、ドアを閉めた。
「入るとあふれるな。――よし、洗いっこだ」
「前みたいに?」
「ああ。つまり――」
 一瞬背を向けてから、二人は同時に向き直って手を突き出した。
「じゃんけんぽん!」
「ああー」「うしゃ!」
 勝ち誇って幹人がこぶしを突き上げた。彼がグーで、時未はチョキだった。
 時未はスポンジを取ろうとしたが、ふと、幹人の視線に気づいた。――胸。
「なに?」
「へええ……歳月って偉大だな」
「なにが」
「ぺったんこのおまえが、よくぞそこまで」
 幹人はまじまじと時未の胸を見つめている。時未も見下ろした。羞恥心はまったくない。あの頃は平気で見せていた。
「今、78あるよ」
「えらい!」
「お兄ちゃんは……あんまり変わってない?」
 そう言って、時未は幹人の股間を見つめた。幹人が指を立てる。
「いやいや、見た目ではわからんぞお」
「よくわかんない。眼鏡ないと……」
 時未は間近に顔を寄せた。高校生の時より、少し浅黒くなったような気がする。でもそれは体全体がそうだ。また少し、おとなだ、と思う。
 幹人が腰を左右に振った。
「ぞーうさん、ぞーうさん、おーはなが長いのね〜」
「やだ! 早くあっち向いて」
 笑って時未は幹人の腰を叩いた。
 しゃがんだ幹人の背中をスポンジでこする。広いなあ、と感心する。ちょっとざらついた、でもがっしりして暖かい肌。
 手のひらを当てているうちに、まざまざと昔のことが思い出された。
「……そういえば私、お兄ちゃんとはよく入ってたのに、お父さんとは入らなかったんだよね」
「そうなの?」
「うん。お父さんって、ひげとか毛がざらざらすぎたから。お兄ちゃんはちょうどよかったな」
「今は?」
「今はちょっとお兄ちゃんもザラめになった。でも、まだいいよ」
 そう答えたとき、思いもかけないことが閃いて、時未は動きを止めた。
 ――私、人に触ってるじゃない!
「……どうした?」
 幹人の声も耳に入らなかった。
 気がつかなかった。家に帰って最初に抱っこされたときから、何回も触られたし、間接キスまでしたのに、全然寒気がしなかった。あんまり当然すぎて、疑いもしなかった。
 お兄ちゃんならいいんだ。
「お、お兄ちゃん……」
「なんだ? ……おっ?」
 時未は、幹人の背中に体を押しつけていた。やっと分かった。小さい頃から他人が苦手だったのは、この背中と比べていたからだ。高校に入って、母におとなしいと言われるように変わったのも、この背中に触れなくなったからだ。
 でも、なぜなんだろう? 幹人は他人に比べて、特別に清潔なわけではない。
 疑問は湧いたが、今は考えるより感じたかった。
「忘れてたよ……私、お兄ちゃんの背中、大好きだった」
「そ、そうか?」
「おんぶされてるみたいで……あったかくて広くて」
 夢中になって時未は胸を押しつける。幹人がやや上ずった声を上げた。
「ちょ、ちょっと待て」
「なに?」
「胸はやめろ、胸は」
「なにが」
 ひょいと顔をのぞきこもうとすると、幹人はあわてて股間を隠した。時未は口元を押さえる。
「あー……」
「なっ、なんでもない!」
「お兄ちゃん……立っちゃったの?」
「たっ、単なる条件反射だ! 別におまえがどうとか……」
 言いかけて、幹人は真っ赤な顔で振り返った。
「立っちゃったって、そんなことなんで知ってる?」
「あのね、私だってもう小学生じゃないんだから」
 くすくす笑いながら、時未は幹人の肩を叩いた。
「知ってるよそれぐらい。……でも、昔はそんなこと一度もなかったね」
「そりゃ、妹のおまえだったし、つるつるのぺたんこだったし……」
「でも今は立っちゃう?」
「おまえが胸なんか押しつけるから!」
「しーっ!」
 指を立てて時未は制止した。
「お母さん騒ぐよ。あの人、ナプキンのCMでもチャンネル変えるんだから」
「そりゃ知ってるけど……」
「変なこと考えないの! 私たち兄妹でしょ」
「そりゃそうだ」
 うんうん、と幹人はうなずいた。
「兄妹にエッチもスケベもないよな。これはただの洗いっこだと」
「そうだよ」
「じゃあ、こういうことをしても問題はないと」
 振り向きざま、幹人が時未の胸に手を伸ばした。ぬるぬるした手のひらが乳房を覆う。
「きゃ!」
「おらおら」
「くすぐったい! やだ、真面目にやって!」
 笑いながら身もだえすると、幹人はすぐ丁寧な手つきになった。
「でも本当によく育ったな。他人だったら襲ってるぞ」
「他人だったらこんなことしないでしょ。ね、順番……」
 二人の手が互いの首に伸びた。正面から首を洗いあう。続いて肩、胸、腹。言葉がなくても手が思い出す。あの頃のいつもの手順。
 それから二人とも、ためらわずに互いの股間に手を入れた。
「あ、時未、生えたんだ……」
「まだちょっとだけだよ。お兄ちゃんは高校二年からだったよね」
 幹人の片手が前から入り、お尻のほうからもう片手が伸びてくる。つぼみとひだを丁寧に指が這いまわる。同じように、時未も幹人のペニスを拭き上げた。
 汚れを落とす、という目的が済んでも、ふたりは互いに指を動かしつづけた。時未がつぶやく。
「あの頃も……こうだったよね」
「そうだな」
「洗ってただけなのに……なんとなく気持ちよくて、しばらく触りあいっこしてたよね」
「あ、やっぱりおまえも気持ちよかったんだ」
「そうだよ。でも、あの頃はまだ知らなかった。だから、考えてみたら途中で止めてたんだよね」
 時未は兄の顔を見上げた。
「それって、つらかったんじゃない?」
「まーな。でも、小学生のおまえには説明しようがなかったし……」
 ふと幹人は時未を見下ろした。
「じゃおまえ、今は知ってるの?」
「一応、経験あるから……」
「け、経験?」
 驚いたように幹人が指を止めた。
「やっちゃってるの?」
「……うん」
「っかー、妹に負けたよ、おれ」
 情けなさそうに言った幹人に、時未は笑った。
「あ、じゃあお兄ちゃんまだなんだ」
「ほっとけよ、どうせ童貞だよ……」
「それじゃ、こういうのってすごく気持ちいい?」
「うん……たまんねー」
「じゃあ、今日は出るまでしてあげる」
「え?」
 幹人は戸惑ったように顔を離した。
「それってやばくないか?」
「なんで。別にいいでしょ、昔の洗いっこと同じだもん。出るか出ないかの違いだけで」
「そういうもんか」
「そういうもん。その代わり、ちゃんと触ってね」
「あ、ああ……」
 くにっ、と幹人の指が秘唇にめり込んだ。時未は小さく息をつく。
「そう……」
「おまえが分かってるってことは……したこともあるってことは、指入れてもいいんだよな」
「いいよ」
「うわ、なんか得した気分。昔はそんなことできなかったからなあ……」
 二人は息を詰めて互いの性器を愛撫し始めた。戸惑いもためらいもない。触りたいところはとっくに分かっている。触られたいところも。
 それが昔より少し大胆になっただけだ。
「い、いいよお兄ちゃん。そこ、そのくりくりと、奥のところの上……」
「時未もうまいよ。やっぱり時未はわかってるよ……」
 じゅぷじゅぷと出入りする指に高められて、時未はどうしようもなく切なくなった。片手で幹人の肩にしがみつき、もう片手で必死にペニスをこすり上げる。
「あ、お兄ちゃんそこ! そのまま!」
「時未、もっと強く!」
「いい、いいよ、いく、いくよ私!」
「おれもっ!」
 ぐいっと粘膜をえぐられた瞬間、時未は両手に力をこめた。強く握り締めたペニスが震え、乳房の下側に熱いものが打ちつけられた。
「あっ、ああっ……」
 勢いよく飛び出した精液が、時未の胸に貼りついていた。そのねっとりした感触が、なぜか時未は嬉しかった。
「ふう……」
 欲情が収まると、二人は体を離し、清々しい笑みを交わした。
「時未、すごくよかったよ。ありがとう」
「お兄ちゃんこそ。私、すっきりできた」
「彼氏と比べてどうだった?」
「もちろんお兄ちゃんのほうがいい!」
 さらっとそんな言葉が出たことに、時未は自分でも驚いていた。

 幹人の就職先は、地元のローカル雑誌の出版社だった。
 幹人はそこで編集者としての仕事を始めた。編集者といっても会社が小さいし、それに新入りだったから、記者の記事をまとめるだけでは済まない。打ち合わせや取材で先輩にくっついてあちこち出かけなければいけなかったし、記事の裏づけ調査をしたり、自分で埋め草の記事を書いたりしなければいけなかった。
 その激務に、時未が意外な助っ人となった。
 夜になっても仕事が終わらないと、たいていは残業になる。だが、それが書き物だけの仕事だった場合、幹人はたいてい、家でやるからと言って退社した。家のほうが資料が揃っているのは本当であり、翌朝にはちゃんと出来上がったものを持って行くので、上司にもそれは認められた。
 帰宅すると、幹人は自室に閉じこもってパソコンに向かった。以前から集めていた本と、大学時代にかき集めた資料の山に埋もれて、悪戦苦闘する。
 すると、学校から帰った時未がお茶を持ってやってくるのだ。
「お兄ちゃん、なにか手伝うことない?」
「うーん、南北朝の印璽争いってどんな話だ?」
「あ、それならこの辺に」
 四年間この部屋のものを借り出しまくっていた時未は、壁を埋める本の山の中から、あっさり目的の物を見つけ出すのだった。
 三日もすると、時未は調査のほかに記事の下書きも務めるようになり、幹人の秘書に収まった。
 時未の仕事はそれだけではなかった。
「あー、肩凝った……」
 パソコンデスクの椅子にもたれてバキバキと背筋を伸ばす幹人に近づいて、肩に手を置く。
「ご苦労様」
「おー、ありがと。小遣いはずむからな」
 そうやって肩を揉まれながら、振りかえって幹人は妹を見つめるのだ。
 真面目で賢い時未。同い年の少女たちは、まだ家にも帰らず友達と遊び歩いている頃だ。遊びに行くどころか、着替える私服もろくに持っていない。セーラー服のままというのは野暮すぎる。大体、いまどき眼鏡に三つ編みなんて。
「おまえ、コンタクトにしないの?」
「だって、怖くて……」
 そう言ってはにかむ。昔から引っ込み思案な子だった。三つ編みも保守性の表れなのかもしれない。
 だが、そんな時未にも彼氏がいるのだ。ダサくてもちゃんと好きになってくれる奴がいるんだな、と幹人は安心する。
 あるいはその安心感が、こんなことを言わせるのかもしれない。
「時未い、また触っていい?」
「え?」
「時未の体」
「別にいいけど。楽しい?」
「楽しい楽しい」
 椅子を回して、幹人は小柄な時未の胸に顔をうずめる。
「あー、柔らかい」
「変なの。妹のおっぱい触って喜ぶなんて」
「だからさ、おっぱいとしてじゃなくて、触り心地のいいクッションとして」
「それならいい……のかな? なんか腹立つよ」
「気にするなって。マッサージの一環」
 そう言いながら幹人は時未の乳房をこねまわす。時未は、もう、とつぶやくだけでじっと身を任せている。
「うんうん、素直でいいぞ」
「彼女作ればいいじゃない」
「努力中。それにな、これはエッチとは違うんだって」
「はいはい」
 実際、性的な意味合いとはちょっと違う気がするのだ。時未の胸は、育ったと言ってもまだ小ぶりだ。服の上からだと、肉ではなくブラジャーの骨組みを揉んでいるような感触がする。
 それなのに触るのは、人肌が恋しいからだ。幹人は女性としゃべるのが下手だった。一人、編集部にいいと思っている先輩女性がいたが、触れることはおろか食事に誘うことさえまだできない。
 時未には他人に対するような気兼ねがいらない。なんでも気軽に頼めるし、たいていはうんと言う。それを利用して体に触るのはちょっと筋違いな気もしたが、時未には彼氏がいる。いやならちゃんと拒むだろう。
 拒まれるまでは、好きにしていい。
 そう思って、幹人は時未の体を抱きしめるのだった。

 小さな転機が来たのは、二週間ほどたってからだった。
 その日幹人は、いつもより遅く、十二時過ぎに帰宅した。
「ただいま……」
 居間の明かりはすでに消えていた。もう親も時未も寝ている頃だ。残りものを温める気にもならず、幹人は二階の自室へ向かった。
 荷物を放り出し、椅子に腰掛ける。
「はあ……」
 少し酔っていた。飲み会があったのだ。名目は、杉畑香婚約披露パーティー。
 編集部の先輩女性だった。
「ったくよー、男いるならいるって札でも下げとけよなー。なぁにが手取り足取り教えてあげるわ、だ」
 パソコンに張り付けたメモを裏返す。そこには、時未にも内緒で一枚の写真が張りつけてあった。香の更衣室盗撮写真。ちょっと柄の悪いカメラマンから強引に売りつけられたものだ。
 ほしくない、という顔で受け取ったが、実は結構気に入っていた。ロッカーの上から見下ろす角度。ブラウスを脱いでブラだけになった香の見事な上半身が写っている。
 幹人は写真をつつく。
「あんた目当てでおれは入社したんだぞ。面接んときは思わせぶりなこと言いやがったくせに、新人を入社させたとたんに自分はさようならだなんて、詐欺じゃないか」
 にらむうちに、目が座る。
「……婚約記念に汚してやろ」
 幹人は写真をはがし、片手に持った。もう片方の手でズボンのファスナーを開け、中に手を突っ込む。
「この乳もほかの男のなんだよなあ。きっともうやってるんだろうな。どんな顔して揉ませるんだろ。あーくそ……」
 カチャカチャと片手を動かす。
 その時、後ろから声をかけられた。
「振られちゃったの?」
「うわっ!」
 幹人は椅子の上で飛びあがった。その拍子に写真を取り落とす。
 いつのまにか入ってきたパジャマ姿の時未が、それを拾い上げた。
「うわ、裸じゃない」
「と、時未! なんで……」
「玄関の音がしたから。へえー、けっこう美人。お兄ちゃん、この人が好きだったんだ。……でも婚約しちゃったって?」
「そこまで聞いてたのかよ」
 開き直って幹人は振り返った。
「そうだよ、振られました。いや、振られてすらいないな」
「なのにそんなこと……」
「え? いや、うわ」
 ズボンの前が開けっぱなしだった。飛び出してはいないが、何をやっていたかは一目瞭然だ。あわてて押さえた時、時未が興味深そうに言った。
「振られた相手でもそういうことできるの?」
「いいだろ別に」
「ふーん……」
 時未がしげしげと見つめている。風呂では一緒に楽しんでいるが、今は洗いっこの最中ではない。自分だけ興奮しているところを見られるのは妙に恥ずかしい。
 幹人は、照れ隠しに言った。
「時未、手伝ってくれない?」
「え?」
「おれ、この人とやるつもりでするから。時未、胸見せてくれない?」
「それって……」
 時未が口ごもった。
「私の胸見て、その人だと思うってことだよね」
「……だめ?」
「ていうことは、私自身でエッチな気になるわけじゃないんだよね」
「そう。やばくないだろ? ……屁理屈かな」
「……」
 時未はしばらく黙っていたが、やがてパジャマのボタンを外し始めた。
「ブラ、色が違うよ。いい?」
「取ってくれない?」
「いいけど、それだと大きさが違う」
「いいから」
 時未はごく普通の仕草で、パジャマを脱いだ。それから、背中に手を回して、白いつつましやかなブラジャーを外した。
「これでいい……?」
 もう見慣れたはずの乳房が現われた。だが、強烈な違和感があった。ここは風呂場ではない。本の山に囲まれて立つ妹が、上半身裸になっているのには、性的な意味しかない。
 湯気もない。蛍光灯の白い光の下で、まだ重さがないような小ぶりの膨らみが盛りあがっている。ペンの頭ほどの桜色の乳首や、すべすべした肌の下の細い血管まで、はっきり見えた。
「触っていい?」
「うん……」
 幹人は時未を抱き寄せて、そっと顔を押しつけた。中央に浮き上がる胸骨のくぼみに鼻を当て、左右に頬を滑らせる。ひどく暖かく、ほのかに石鹸と時未の体臭が香った。
「そのまま立ってて……」
 幹人はズボンからペニスを取りだし、片手でしごき始めた。片方の乳房に口付けし、肉を舌でへこませ、乳首を吸う。「ん……」と時未がつぶやき、先端が凝りはじめた。
 そうやって妹の胸を味わいながら、幹人はちらちらと写真に目を走らせた。憧れていた女の体に、触れている柔らかさをオーバーラップさせようとする。
「あン……お兄ちゃん、早く……」
 時未が身もだえし、早くなった鼓動が聞こえた。うっすらと肌が光り始める。かすかに汗ばんでいる。
 それをなめ取りながら、幹人は手の動きを最大限に速めた。
「と、時未っ!」
 ビクッと体を震わせて、幹人は射精した。亀頭にかぶせた手のひらに大量の粘液があふれだす。
 激情が過ぎ去ると、幹人は硬い顔でティッシュを取り、手を拭いた。横を向いて言う。
「時未、ありがとう」
「もういい?」
「うん、仕事する」
「……じゃ、私は寝るね」
 服を身につけた時未が、気がかりそうな顔で出て行った。幹人は、椅子の背にどっと体を預けた。
 ため息をつく。
「まいったな……香さんでいけなかったじゃないか」
 写真に目を落とし、それをパソコンの下に滑りこませた。
 心をちらりと恐れがよぎった。

 その日から、時未の秘書としての仕事がまた一つ増えた。
 幹人は、しばしば時未の体に触れながらオナニーするようになった。
 最初は胸に触れるだけだった。
 そのうち、尻や太ももにも手を伸ばすようになった。
 立ったままではなく、ベッドに時未を横たえて、愛撫するようになった。
 スカートをめくり、太ももに顔を押しつけ、下着の上から時未のあそこに触れさえした。
 時未も、手を使ってやるようになった。乳房や太ももを兄に任せたまま、手でペニスをしごいて射精に導くのだ。
 そんなことが可能だったのも、二人の間に共通の了解があったからだった。幹人は、時未の体を通じて別の女性を見ているのだ。時未本人に欲情しているわけではない。
 だから、これは危険なことじゃない。
 少なくとも幹人は、毎回そう言った。それを聞いた時未も、おとなしくうなずいて同意していた。
 幹人はそのままでいるつもりだった。
 だが、彼は妹の心の中をまったく知らなかった。

「時未、最近どうしたんだよ」
 昼休みの教室。食事のあとで時未はすぐに参考書を広げた。一緒に弁当を食べ終えた洋二が不満げな顔をする。
「全然会わなくなったじゃないか。もうおれのこと嫌いになった?」
「そんなことないけど……」
 時未は言葉を濁す。
「中間試験、近いでしょ。勉強しなきゃ」
「そればっかり」
「だって、私は勉強しか取り柄がないし……」
「そんなことないって言ってるだろ。勉強が取り柄だなんて、それは時未の勘違いだよ。おれは時未が頭いいから付き合ってるわけじゃないのに」
「……」
「わかったよ、勉強ね」
 洋二はしぶしぶ鞄から参考書を取り出し、乱暴に机に置いた。その拍子に二人のペンケースがぶつかり、床に落ちてしまう。
「あーあ」
「待って、自分のは拾うから」
「相変わらずの潔癖症ね。おれに触ってほしくないか」
 洋二の文句を聞き流して、時未は散らばったペンを拾った。同じものが二つある。手ずれして色あせたものと、きれいなものと。
 迷うことなく、時未はきれいなほうを手に取った。再び参考書に目を戻す。
 かがんで自分のものを拾っていた洋二が、ふと時未の手元に目をやった。
「そっちがおれのだよ」
「え?」
 時未は顔を上げた。洋二が、手垢のついたペンを差し出す。
「これ、一緒に買ったやつだろ。時未のほうが勉強してるから汚れてるんだよ」
「そ、そうなの?」
 時未は二つのペンを見比べた。言われてみれば、洋二が持っているほうが自分のやつだ。比べてみるまで、こんなに汚れているなんて気づかなかった。
 そのとき、分かった。
「……洋二くん、ちょっといい?」
「え?」
「ちょっと。お願い、来て」
 時未は先に立って歩き出した。なんだよ、と洋二が続く。
 時未は校舎の外れの掃除用具室に向かった。いつも二人が会うのに使っていた場所だ。中に入ってドアを閉じる。
「なに、まさか?」
 洋二が期待の色を浮かべる。最近は全然させていなかった。だが、時未は首を振った。
「ちょっと試したいの。手を出してくれる?」
「……なにするの?」
「変なことだけど、いい?」
 少し迷ったようだったが、いいよ、と洋二は右手を差し出した。
 時未は、その手の上に顔を出した。くちゅくちゅと舌を動かす。やがて、口を開いた。
「お、おい……」
「お願い!」
 唾液が垂れた。時未は口を大きく開け、それを洋二の手のひらに落とした。呆然としている洋二の手に、だらだらと唾液を垂らしつづける。
「と、時未……」
 洋二が嫌悪の表情を浮かべて手を引っ込めようとした。すかさず、時未はその手をつかんだ。垂らした唾液をまんべんなく洋二の手に塗りこめる。
「やめろ!」
「触れる……」
「な、なに?」
「触れるよ、私……」
 べとべとになった洋二の手を、時未は握り締めていた。きれいとはとても言えない。だが、汚い物に触れたときの寒気がない。ごく自然に触っていられる。
「わかった、私、潔癖症なんかじゃなかったんだ……」
「時未?」
「なあんだ、そんなことだったんだ」
 肩が震えていた。だが、笑っているのでも喜んでいるのでもない。顔は上げられなかった。思いきり目をつぶってしかめていた。強烈な自己嫌悪のせいで、洋二を直視できなかった。
 ――私、ものすごいナルシストだったんだ。
 汚れているかどうかなんて関係ない。自分のものかどうか、それだけが垣根だった。なぜそうなったのかも分かる。自信を保ちたかったから。勉強以外何もできず、人とうまく付き合えない自分を正当化したかったから。
 潔癖症ということにしておけば、人に触れられない言いわけになる。本当は、自分以外の人間を見下すあまり、触れられなくなっているのに。
「離せよ!」
 おぞましげに叫ぶと、手を振り払って、洋二は飛び出していった。もういいんだ、と時未は思う。私、見下すことに耐えられなくなって他人を探していただけなんだ。もう、洋二を馬鹿にしている自分の心に気づいてしまった。
 他人とは付き合えない。
 だったら、できることはただひとつ。
 ――そう、あれは頼れるからなんかじゃなかった。

 試験勉強に使うから、と言って時未は大量の本を幹人の部屋から借り出した。
 それらとともに、時未は試験まで一週間ほど、家に帰るたび自室に缶詰になっていた。廊下で出会うたびに幹人が何か言いたげな顔をしたが、時未は無視した。
 試験明けの休みに、時未は母の孝子に捕まった。
「時未、ちょっと」
 夕飯の前だった。料理をしていた孝子は、時未を台所に引っ張りこむと、父親と幹人がいないのを確かめて、小声で言った。
「あんた、大丈夫だった?」
「なにが?」
「ちょっと前、お兄ちゃんの部屋に入りびたってたでしょう」
 時未は、無表情に孝子の顔を見返した。
「それで?」
「それでってねえ。言いにくいんだけど、何かなかった?」
「何かって……」
「その、触られたりとか」
「まさか」
「あんたも年頃なんだから自覚しなさいよ。いくら兄妹っていってもね、男の子は抑えが効かなくなることがあるんだから。あんまり一緒にお風呂に入ったり、密室に入ったり、無防備なところ見せないほうがいいわよ」
「……考えすぎだって」
 時未はそっけなく答えた。
「私、仕事の手伝いしてただけよ。なんにもなかった。それに、最近は部屋にも行ってない」
「そう?」
 孝子はややほっとした顔になった。
「そう言えばそうね。でも、気をつけてね。あんたがしっかりしてれば大丈夫だと思うけど……何かあったら、母さんに言うのよ」
「わかってる」
 時未はぶっきらぼうに答えて母のそばを離れた。その日は、風呂も幹人と一緒に入らなかったので、孝子も安心したようだった。
 両親が寝静まった頃に、時未は借りていた本を抱えて幹人の部屋をノックした。
「お兄ちゃん、起きてる?」
「ああ……時未か」
 時未は部屋に入った。パソコンに向かっていた幹人が振り返る。
「どうした」
「お母さんたち、もう寝たよ」
 言いながら本をそこらに置き、兄の前に近づいた。
 幹人は座ったまま、ためらいがちに時未を見上げた。
「時未、最近来なかったよな」
「勉強してたから」
「ああ、そうか。……もういいのか?」
「うん」
「その……おれのこと、嫌いになった?」
「別に」
「じゃあ……」
 幹人が、すっと時未のパジャマに手を伸ばし、腰のあたりに触れた。
「今日も、触っていいか?」
 時未が黙っていると、それを承諾と受け取ったのか、幹人はおずおずと時未のズボンを引き下ろし始めた。白いショーツは上着で見えない。幹人はかがみこみ、裾をめくろうとした。
「待って」
 時未のひとことで、幹人が動きを止めた。
「知っておいてほしいことがあるの」
 時未は、さっき置いた本の上から、数枚のレポート用紙を取り上げた。それを兄につきつける。
「これは?」
「近親相姦の問題点」
 びくりと幹人が動きを止めた。その頭に、時未は静かに言葉を浴びせる。
「私、もういやなの。誰かの代わりとしていたずらされるの」
「と、時未」
 幹人が狼狽しきった顔で言った。
「ごめん! き、気がつかなかった。いやだったんだな、いやなら止めるよ。もうしない。な。悪かった」
「……違う」
 時未は、腕を伸ばして幹人の頭を抱きしめた。幹人は石のように硬直する。
「私、お兄ちゃんが好きなの。お兄ちゃんに抱かれたい。でも、身代わりのままじゃいや。教えて、お兄ちゃん。お兄ちゃんは私のこと好き?」
「と、時未……」
 ごくりとつばを飲みこんで、幹人は顔を上げた。
「……好きだ、時未」
「本当に? ずっと、他の女の人が好きだって言ってたじゃない」
「それは……だって、言えないだろう。妹のおまえを抱きたいだなんて……」
「じゃあほんとに好きなの?」
「……ああ」
「だったら、覚悟して」
 時未は、レポート用紙を差し出した。
「兄妹でセックスすると、こんなに大変なことになるんだよ」
 几帳面な字が書きこまれた紙を見て、幹人はうめいた。
 そこには、真面目な時未らしく、微細に渡る細かい事例が列挙されていた。ひとつひとつを時未が読み上げる。
「まず私とお兄ちゃんは二親等だから結婚はできない。法律を破ることになる。
 昔の人も近親婚は忌避していた。あってもせいぜいいとこぐらいまで。同母兄妹で結婚したのは古代エジプト王家ぐらい。兄妹婚は社会制度を乱すことになるの。
 人間としての尊厳も。レヴィ・ストロースは人間が動物の蛮性から決別するために近親婚を避けるようになったって書いてる。兄妹でしちゃうのは、動物並みって認めることになる。
 そして遺伝病……」
 時未は淡々と紙片を読み上げる。
「兄妹婚で他人婚よりも子供の遺伝病が増える確率は、先天聾で三十一・二倍、白皮症で五十四倍、全色盲で七十一・六倍、先天性魚鱗癬で二百五十三倍……」
 幹人の顔から血の気が引く。
「やめろよ……なんでそんなこと調べたんだ? 知らなきゃ済むことだろう」
「知らなかったなんて甘い言いわけが通ることじゃないもの、これ」
 時未がもう一度幹人の頭にしがみつく。幹人は、妹が震えていることに気付く。
「どれだけ大変なことか、覚悟してからしたかった」
「時未……」
「これも言っとくね。お母さん、気が付きかけてるよ」
 幹人が絶句した。その耳に、時未の哀願の声が流れこむ。
「本当は私、怖いの。調べなきゃよかったって思った。こんなこと一人じゃできない。お兄ちゃんにもこの怖さを知ってほしかった」
「……」
「でも、止まらないの。私、お兄ちゃんとしかできない。お願いお兄ちゃん」
 幹人の前に、時未が顔を突き出した。おとなしやかな時未が、泣き出しそうに顔を歪めて、ささやいた。
「私と一緒に堕ちて」
「……」
「……だめ?」
 幹人が答えないでいると、すうっと時未の顔色が薄くなった。様々な恐怖が入り混じった色。教えなければよかったという後悔、叱られる、忌み嫌われるという恐れ。
 幹人には、それらが手に取るようにわかった。賢明な時未は、拒否されることも想像していただろう。賭けのつもりで言ったに違いない。
 時未に教えられた事実は恐ろしいことだった。だが幹人には、そこまで捨身になった妹を見放すことはできなかった。
 何より、時未を狂わせた肉親への欲望を、幹人自身も感じていたのだ。
「時未……」
 腕を伸ばし、妹を抱きしめる。時未が大きく目を開けた。
「堕ちてやるよ、一緒に……」
「……お兄ちゃん」
 二人は、固く抱きしめ合った。

―― 続く ――



後編
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