自転車のチェーンにかかとを引っかけた、と朝に言ったせいだった。
 ナナハはキスが終わると、当たり前みたいに伏せをして私のくるぶしにキスをした。
 私は突っ立ったまま、「ヨシハマモータース」の破れたスレート屋根から落ちてくる雨粒を受けていた。
 ぴたぴた、ぴたぴた、と何万もの水滴がささやく。
 音はそれだけ。誰もいない。「ヨシハマモータース」は通学路にある廃工場で、以前は機械と、油と、多分吉浜さんたちがいたに違いないそこで、今は私たち二人と雨粒だけが動いてる。
 ぴたぴた、ぴたぴた、と下から聞こえた。
 見下ろすとナナハのポケットナイフみたいにすんなりした体が、スカートとセーラーが濡れるのもかまわずべっとりとうつ伏せになっていた。小さなお尻がほんのわずかに左右に動いていて、ナナハは私のアキレス腱をしゃぶっていた。
 ぴたぴた、ぴたぴた。
 私の前髪からしずくが落ちて、薄く透けて見えるナナハのブラの金具にはねた。
「なんのつもり?」
「手当て」
「うそ。味わってるでしょう」
「それも」
 ナナハは私がどう思ってるかなんて気にしちゃいない。ただ女の子の、同性の体をいじれるということだけに熱中して、むやみやたらとソックスを甘噛みしている。
 舌先の硬さが、足の速い虫みたいに神経を駆け上ってきた。
 興奮が始まって、私はナナハをまたいだままコンクリに膝をついた。
 ナナハのお尻に覆いかぶさって、足首をつかんだ。
 そしてナナハと同じように、女の子が触っちゃいけないはずの女の子の体を、夢中でむさぼり始めた。

 私とナナハは恋人じゃない。
 ただ、同じ変態なだけ。
 あの日までナナハとは、校舎のあっちとこっちの端にいる同級生でしかなかった。
 ところが「中学三年生の性に関するアンケート」で事情が変わった。「中学三年生の性に関するアンケート」。首をかけてもいい。これを集めるえらい誰かは絶対欲情する。しないとしたら狂ってる。
 そのどちらでも虫唾が走るほど不快だったから、私はマークシートを真っ白のままにして、一番下に「異性に興味なし」と書いて提出した。
 そしたらそれを、一体どうやって秘密のそれを見たんだかいまだにわからないのだけど、ナナハが知って、私の教室の私の席に来た。
 そして、森奈津子を読んでいた私に向かって、にこりともせずに言った。
「キスしていい?」
 私は観察した。学年平均より少し小さいぐらいの子で、あごがまるくて、目が大きくて、頭の両側で髪を縛っていた。あざといぐらい可愛い子で、多分本人もそれを知っていた。
 私はその時初めて、この学校に自分と同じタイプの女の子がいたことを知った。
 だから言った。
「いいよ」
 私たちはキスをした。昼休みの教室がすーっと静かになっていった。

 私は膝でナナハの乳房と背骨をはさみつけながら、ふくらはぎを舐める。
 ナナハの汗はからいけど甘い。南の島の果物を連想する。
 ソックスが溜めた汗を、じゅうじゅうと丁寧に吸う。
 ナナハは膝をずり上げて、スカートの中の太腿をすり合わせている。多分すごく濡れている。私と同じで。私はナナハの腰骨に当てている。
 雨が止まない。髪までぐっしょり重い。濡れた夏服がぴたぴた、と音を立てる。
 それに、暑い。
 ううん、熱い。
 ナメクジみたいにべったりと絡み合った私とナナハの間に、とろけそうな熱が溜まっている。汗が染み出る。ショーツが濡れる。
 それでも私はナナハの柔らかな体から離れられない。
 ナナハも私の柔らかな体から逃げ出せない。
 私たちは、普通ならありえない、同性の体への渇望に取り憑かれている。
 それが綺麗だから。
 それがおいしいから。
 性欲よりも深いと思う。性器や乳房に触りたいわけじゃない。そんなものはどうでもいい。ただこの、震えるか弱い肉がほしい。
 ナナハのふくらはぎに頬ずりしながら、ぎゅっと体を抱きすくめる。
 ナナハはふくらはぎを抱きしめながら、きゅっと体をこわばらせる。
 ため息が出るほど完璧な同調。ありったけの欲望をぶつけられる解放。
 ナナハがささやく。
「足、もっと締めて」
 私もささやく。
「噛んでいいよ」
 同時に応える。コリッとアキレス腱を削る歯の感触。内股の間で動くナナハの腹筋。
 もっと。
 もっと溶け合うまで。

 私たちは無限に濡れていく。