じゃあまた一年、よろしくね  ずごごごご、ごごごご、と、ひっきりなしに頭上を地響きが通り過ぎていく。 「ひとつ、ふたつ、みっつ……」  車長席のみほが低い声で数える。操縦席の優花里は舌なめずりしている。  砲手席のかえでが真っ青な顔で振り返る。 「だっ、大丈夫なんですか、これっ!?」 「ばれません。ヘッツァーの隠蔽性は折り紙つきです」 「それに頑丈さもね」みほのあとを、優花里が続ける。「初期の即席改修のころでもマウスを支えたよ。今はさらに車軸も装甲も入れ替えてる。シャーマン程度なら何台乗っても絶対に大丈夫、ね?」 「は、はぃぃ……」  穏やかな優しい声に、まだ高校二年のかえでが震えつつもうなずいた。 「落ち着いて、冷静に。もうすぐ――」ずしん! ごごごっ、とひときわ重い衝撃がのしかかった。「来た。M26」 「行きますかっ!?」 「待って」言ってみほが目を閉じる。「後詰めが来る……そう、これ」  最後に少し軽い振動が通り過ぎると、みほは目を見開いて、叫んだ。 「パンツァー・フォー! 優花里さん左に振ってから右向けて!」 「了解ですっ!」  ぶろろろん! と百六十馬力のマイバッハエンジンが可愛らしい音を立てて目覚めた。頭上に薄くかぶっていた土砂をかき分けて、日を浴びに来たもぐらみたいに、ヘッツァーが偽装されていた塹壕から這いずり出す。  ペリスコをぐいぐい左右に振って土を振り飛ばすと、みほは素早く前方の様子をとらえた。いた。陣地転換用の縦列でヘッツァーを踏んづけて通りすぎたサンダースの部隊が、こちらに尻を向けている。その視界がぐいっぐいっと揺れる。優花里がアグレッシブな操縦で、縦列の斜め後ろに食いついたのだ。  後ろから二番目に、青旗を立てた重戦車。「見えました正面右!」叫んだかえでのガチガチの肩に、みほがしっかりと手を置く。 「深呼吸して。ゆっくり。すー、はー……そう。気楽にやってね。二発は撃てる」 「――はい」 「撃って」  どん! と75ミリが火を噴く。砲塔後ろのバスルに斜めに当たって、ガン! と弾かれる。とんでもないところから現れたヘッツァーに気が付いて、敵が振り向き始めている。訓練で体に覚えこませた精一杯の動きで次弾装填、もう一度スコープを覗いて――。  どん!  二発目は見事に、砲塔と車体の継ぎ目を捉えた。ショットトラップ。戦車の最も弱い部分のひとつから破片が飛び散るのが見えた。  重戦車が停止する。きゅぽっ、と飛び出す白旗。 「――仕留めた……!」  はっはっとかえでが荒い息を吐いている。振り向いた優花里と笑顔を交わして、みほは後輩の頭に触れた。 「おめでとう、初勝利。――さあ、逃げなきゃ」 『大洗女子学園、勝利!』 「はああああ!? なんで? どこから出てきた?」  泡を食ったサンダースの面々が戦車から這い出して振り向く。土まみれのヘッツァーは勝ち誇るでもなく、さっさと逃げ出している。 「あいつ、あんなとこから……!」 「ありえない、大洗の隊長は山岸さんでしょ、あんな作戦思いつく人だった!?」 「ジャス・モーメン! ――双眼鏡あるよね、あいつよく見て。インシグニアは?」  M26から顔を出した波打つ金髪の美女が、仲間に命じる。双眼鏡でヘッツァーを見極めた一人がいぶかしげに答える。 「大洗の青の五芒星、アナグマのチーム章、の横にもうひとつ……ピンクの、何これ?」 「ピンクのあんこう!」  戦車道女子でそれを知らない者はいない。全員が悲鳴のような歓声を上げた。 「西住みほさんだーっ!」「りありぃぃ!?」「うっそ」「マジでーっ?」 「ミホが来てたのかぁ……」  へたっ、とキューポラ上で後ろへもたれたケイが、がりがりと頭をかく。 「やられたっ! そりゃあ、こっちにあたしが来たら、あっちはミホを呼ぶよねえ。油断したあ」 「先輩……」 「ごめん、あたしのミステイク! みんなは最高の動きをしたよ。覚えといて、あれが大洗のミホだからね。戦車道にはあんな楽しい子もいるの。次はがんばろ!」 「はい!」  負けた悔しさも忘れるほどの驚きに打たれているサンダースチームに向かって、小さなヘッツァーから身を乗り出した栗色の髪の人影が、ぺこりと頭を下げた。 「ただいまーっと、はー疲れた」 「やった、やった、勝ちましたっ」  帰宅して大きなため息をついたみほの横を、優花里が踊りながら追い抜く。疲れた笑顔で追いついたみほの手を取って、くるくると回る。 「前以上の無理ゲーでしたもんねえ。親善試合とはいえ、OBのケイさんが入ったうえ、M26まで出してくるなんて」 「山岸さん、最初泣いてたもんね。あれは難しいよ」 「でも、勝ちました! みほさんのおかげです!」 「ううん、全然そんなことないよ。アナグマ作戦思いついたのはかえでさんだったし、それを承認したのは隊長の山岸さんだし、みんなが穴掘ったり囮に走ったり、一生懸命やってくれたし」  真面目に首を振って指折り数えるみほを、優花里は目を細めて見つめていたが、肩に腕を回してきゅっと抱き締めた。 「そう、みんなのおかげ――ですよね? みほさんは、いつも」 「……それと、優花里さんのおかげ、ね」  おでこを押し当てて見つめ合うと、ふふっと二人は笑った。 「とにかく、大洗女子の勝利に乾杯、です!」 「そうだよ、乾杯しなきゃ。今日はもうひとつおめでたいことがあるんだから」 「あっはい、そっちもありましたね。ははー」  照れ笑いして優花里が離れると、さっ準備準備、とみほは抱えてきた買い物袋を開いた。  リビングのテーブルに取っておきの白いクロスをかける。華からもらった戦車型の花瓶にあじさいを生けて、キャンドルを立てる。手伝いますといって聞かない優花里を、押し戻しきれずに一緒にキッチンに立つ。帰り道に洋食屋からテイクアウトしてきたビーフストロガノフをたっぷり、小エビのサラダにドレッシングをかけまくって、バゲットを焼いてチップスを温めて。 「あのこれ、ちょっと多すぎません? まだお鍋にありますよね、それにケーキも。食べきれるかな」 「んー、んっと、そ、そうだね」 「まあ、余ったら二、三日かければいいですね。おっきい冷蔵庫買いましたし!」  優花里がにへにへ顔で三ドアの冷蔵庫に目をやる。それも二人で新しく買ったものだ。部屋を見回すみほも同じような顔になる。ちょっと大きなソファに、トロフィーやプラモやぬいぐるみの並んだディスプレイラック。2DKは大洗にいたころのワンルームよりもずいぶん広い。 「優花里さん、乾杯乾杯。ほら、選んできたよ」  ごまかすように言ってみほが取り出した透明な瓶に、「おおっとぉ……」と優花里は口を開ける。 「なんですか。シャンパン?」 「ううん、ワイン。ブルゴーニュの……なんだっけ? ちょっとよさそうなやつ。ピンクのにしたよ」 「ワインと来ましたか……」 「飲めない?」 「いえ、大丈夫と思います」言ってから、ほっぺたをぽりぽりかく。「実はうちで父が飲むとき、ちょこちょこお相伴してたんで……」 「あー、いけないんだー。未成年なのに」 「見逃してください〜」小さくなってから、でもっ! と身を乗り出す。「時効ですよね? 今日からは」 「うん」  みほがコルク抜きで栓を開けて、優花里にこぽこぽとロゼを注いだ。優花里は優花里でシャンメリーの蓋をポンッと飛ばしてみほに注ぐ。グラスだけは二人でお揃い。 「えっと、それでは」 「あ、ちょっと」  キャンドルに火をつけて、照明を消した。あらためてグラスを持ち合う。 「では!」 「優花里さん、二十歳おめでとう! かんぱーい」 「かんぱーい、えへへへ、ありがとうございます〜」  カチンとグラスを合わせて、口をつけた。一口飲んでから、どう? とみほが身を乗り出す。 「ん、おいしいですよ。甘くて」 「よかった」 「でもちょっとずつにしますね。酔っぱらっちゃってもアレなんで。さ、食べましょう、いただきましょう、みほさん!」  フォークとスプーンを動かし始める。ハードな一日だったからおなかがぺこぺこだった。食欲旺盛に平らげる。その合間に優花里が、くぴっとワインをついばむ。 「おいしいねー」 「勝った後だとおいしさもひとしおですね」 「祝勝会、出たかった? 二人だとちょっと寂しい……よね?」 「それはそうですけど、もともと二人の予定だったじゃないですか」トロトロの牛肉をもぐもぐ頬張りながら言う。「私たちは飛び入りの脇役ですし、祝勝会に煙たい先輩が居座って偉そうにしてるよりは、あの子たちだけで楽しむほうがずっと良かったと思いますよ」 「そうだね、殊勲賞はあのかえでさんだよね」 「当てましたよねー、見事に!」 「うん、私たちがグロリアーナと初めてやったときは当てられなかったんだから、それよりずっと凄いよ」 「楽しみですよね、成長」 「成長してほしいよね」  そう言ったみほが手を止めて、しみじみと見つめた。 「優花里さんが二十歳かぁ……」 「ふふふ、大人ですよ?」 「大人だねえ。優花里さん、なんだか……」 「はい?」 「まぶしい」  ささやくと、優花里が目元を赤らめた。改まってそう言われると……とはにかむ。 「まあ、その、大人は大人ですけど、中身は全然……ね」 「そんなことないよ。今日もすごく頼もしかった。操縦もできるようになって。……優花里さんはどんどん大人になってく。毎年、誕生日が来ると思うんだ。ああ、去年よりも……いいなあって」 「いや、そんな、あっはは、は」  しきりに照れくさがって皿をかき回す。みほはそんな優花里と手元を交互に見て料理を口に運ぶ。 「毎年嬉しいんだよ。今年も一緒にいられた……って」 「それは私もですよ。ていうか、それは私にとって当然です」 「そうなの?」 「そうですよ」スプーンをくいくいと振って、優花里が微笑む。「お会いした二年生のころから、決めてましたもん。ずっとみほさんについて行くんだって。離れることなんか考えたことないですよ」 「考えたことなくてもさ、いろいろあったじゃない。三年生でスカウト来たときとか……」 「あれは迷いませんでしたよ。乗ったら離れ離れですもん。契約金なんか惜しくなかったですし」 「大学、私だけ推薦通っちゃったりとか」 「別に? みほさんが推薦枠取れるのは当たり前でしょう」 「でも優花里さんも取れてたじゃない、西日本の」 「あれはただの滑り止めです! そういうのがないと親が心配したからですよ。本命は決まってましたし。楽勝で入りましたし」 「うそだ、私覚えてるよ。卒業前のお正月明けに、受験勉強でふらふらになってた優花里さんの死にそうな顔」 「あはは、過ぎたことですよ。たいした苦労じゃありませんでしたって」 「去年、選択で優花里さんが指揮科入ったときも、実は心配してた」 「あれ、そうなんですか? 入った方がいいって、言ったのみほさんじゃないですか。お互い苦手分野も克服して、なんでも屋になったほうが強くなれるって」 「言ったけど。言って、私だけ整備科入ったし、それが正しいって今でも思ってるけど。でもね」ちょっと弱々しい笑みを浮かべて、「ほんとのほんと言うとね、学科も一緒にしたかったんだよ」 「みほさんー……」  グラスの残りを一口に空けて、優花里は目を潤ませる。 「わかってます……わかってるつもりでした。真面目な西住どのはそういうきちんとしたことを言う人ですけど、ほんとは一緒がいいんじゃないかなって……いえ、一緒がいいと思ってくれてたらいいなっていう、願望ですね。私ももちろんそうですけど。願望だけじゃ、甘くなっちゃいますもんね、自分に」 「うん」 「わかってましたけど、今口に出してくれて、嬉しいです! みほさん!」 「うん――優花里さん?」  優花里が身を乗り出して手を握ってくる。うなずきながら、みほはふと首をかしげる。 「あの……酔ってる?」 「あっ、これ酔ってます? 酔ってます。はは、すみません。酔っぱらうとおしゃべりになるみたいですね、私」  優花里が手を引こうとしたが、みほはしっかりとつかんで引き寄せる。 「いいよ、酔ってても。やっぱりね、大学入ってからもいろいろあって、違うことやって、進む道別れちゃうかなって思ったり、言いたいこと言えないこともあったけど……優花里さんとは、ほんとの話していいんだよね。優花里さん、ほんと助かる……嬉しい」 「それは……もちろんですよ。みほさんのほうこそ――」 「うん、なに? 私のほうこそ?」 「大学入ってから、友達いっぱい増えたじゃないですか。整備にも、試合の時のチームでも、仲いい人たくさんいるのに、私と……」 「優花里、さん?」  ぐいっと手を握って、みほは軽くにらむ。 「約束。ほら」 「はい、ああ……約束でしたね」 「そう、入学式のときの約束。自分のこと悪く言わない。優花里さんはすごい人なの。私が選んだ大事な人なの! 自信!」 「はっはい!」  ぴしっと気を付けした優花里を、んんっ? と見上げると、みほはくすっと笑った。 「だめだよね、お説教しちゃ。お誕生日なのに」 「いえ、そんな……」 「今日はお祝い。優花里さんありがとう、おめでとうの日。あっ、そうだ」  手を離すと、みほは横を向いてごそごそとスマホを取り出した。立ち上がって、優花里の隣へ場所を移る。 「なんですか? あ、写真?」 「一緒に撮ろう。みんなに送りたい」 「あ、私も。親にも送らないと」 「あー、私もだ」  キャンドルのオレンジの光を浴びながら肩を寄せて自撮りして、はしゃぎながらあちこちへ送ると、二人は撮った写真を見下ろして、じっと見入った。 「なんかこれ……まんまカップルって感じ?」 「カップルですよね?」 「そうだけど、優花里さんやっぱり、ずいぶん大人っぽくなった」  またそれを繰り返してから、ねえ? とみほはもたれた肩越しに振り返る。 「誕生日のたびに、私思うの」 「またですか」 「今度は違う話。あのね――お姉ちゃんだ、って」 「はあ? お姉ちゃんって……まほさん?」 「そっちじゃなくて」笑って首を振ると、みほは優花里の唇に人差し指をあてる。 「優花里さんが二十歳で、私が十九歳。……その前は十九歳と十八歳、その前は十八歳と十七歳。いつも、優花里さんがちょっとだけ先に、大人になってくの」 「……ああ」 「優花里さんが、少しだけ私の前を歩いていく感じ。ついていきますって言うけれど、ほんとは私がついてってるんだよ」 「そう……なりますね」 「うん。私ね、それがすごく嬉しい。ね――優花里お姉ちゃん」  見つめるみほの前で、優花里の頬にほんのりと朱が差した。もごもごと口を動かして言う。 「私がお姉ちゃん、ですか……そんな、なんか、そんなこと言われると……」 「うん?」 「なんだかいけない気分になってきちゃいます……」  やにわに手を伸ばしてグラスにワインを注ぐと、口元に持ってきた。「十九歳のみほさんに、一個だけいけないことして、いいです……?」とささやく。 「ん、なあに?」 「未成年、ですけど」  んっ、とワインを口に含むと、優花里はみほの頭をつかんだ。深く唇を重ねて、流し込む。 「んむっ……く……」  つうっ、とピンクの液体が白い顎に流れる。それは一筋だけで、残りはこくり、こくりと喉へ流れ込んでいった。 「ふぁ……だ、めっ……」 「みほさんも酔っちゃってください……」 「って、あの、待って」 「いいえ」 「じゃ、なくてっ!」  もがいたみほが優花里を押し離した時に、ピンポーンと部屋のチャイムが鳴った。 「みぽりんおじゃまー! ごはん間に合ったかな?」 「遅れて申し訳ありません、ちょっと迷ってしまって」 「二人が横でごちゃごちゃ言うからだ……私一人ならナビで一発だったのに」 「お?」  どやどやと入ってきた三人の先頭で、沙織が足を留める。立ち上がった二人が気を付けをしている。ギリギリで口元はぬぐったが顔は赤い。 「あっうんいらっしゃい、沙織さん麻子さん華さん! 大丈夫だよ、じゃなくて間に合ったよ!」 「えっう、あの、皆さんいらっしゃったんですね、今日は二人かと……」 「じゃないよ、みんなだよ、ゆかりんバースデー。あんこう最初の二十歳じゃん、来るって! ていうか、言っといたよね? みぽりん。言ってなかったの?」 「ちょっとだけサプライズしようと思って……」 「あっ、それでお料理を多めに?」 「待ってたらバレちゃうかなって。うん、あるよ、みんなの分も!」  そそくさとキッチンへ入るみほから、突っ立ったままの優花里に目を戻して、沙織が苦笑した。 「ごめん。お邪魔して」 「ぜんっぜんそんなことはないです!」  ぶんぶん首を振って優花里は叫んだ。  温め直した料理と用意してあったケーキで、大きな食卓が再び埋まる。沙織がさらに追加の料理を持ち込んだが、華のいるあんこうチームでは、いつもの当然の気遣いだ。他人事みたいにプラモを見物している麻子に仕事をあてがって、溶けかけたキャンドルを取り換えて、改めて席に着く。 「ではー、ゆかりんセンパイの大人一番乗りを祝ってー」 「センパイはやめてくださいよ!」 「かんぱい!」 「かんぱーい!」 「ねね、今日どうだったの? 助っ人」「聞かせてくださいな、わたくしもぜひ行きたかったです」「囮が見事だったって話が流れて来てるぞ」 「えーっと、まずヘッツァーにですね!」  三年たっても変わらない、おしゃべりの花がテーブルに咲く。にぎやかな沙織とおしとやかな華としたり顔の麻子に向かって、身振り手振りで話しながら、優花里とみほはちらりと目を見交わす。  ――じゃあ、また一年。  ――うん、よろしくね。 (おわり)