うそついてました、ごめんなさい  ちりちりん、と鈴の音を立てて優花里は店に入る。父親は男性客のカット中で、母親は床の髪の毛を掃きながら、「おかえり」と振り返る。 「みほさんと遊んできたの?」 「うん」 「最近お泊まりが多いじゃない。あちらが一人暮らしだからって、あんまり入り浸るのも」 「ご迷惑をかけてるわけじゃない……から」 「かもしれないけど、それならこちらにも泊まっていただいたら? うちはいつでも歓迎ですよって、ちゃんとお伝えしといてね」 「うん――わかってる」  うつむきがちのまま、生返事をする。今はあまり詳しく聞かれたくなかった。ちょうど別の客がきたので、「あら、いらっしゃいませ」と母親がそちらを向いてくれた。  逃げるように、そう見えないように、優花里はさりげなく家へ上がる。二階の自室に駆け込んで、ドアをきっちり閉めて、ふーっとため息をついた。  畳に下ろしたリュックから取り出したのは、平たい黒い物が入った、ビニールのジップバッグ。  それを開けようとして、はっとして窓のカーテンを閉める。誰も覗いたりしないのだが、明るさに耐えられなかった。  薄暗いオレンジ色に沈んだ部屋で、正座して袋からつまみ出したのは――一足の靴下だ。  胸がどきどきして、手が小刻みに震えた。片手に乗せて、手のひらで挟む。冬の町を持ち歩いてきた布地は冷たい。ふくらはぎを覆う部分を撫で降ろしていき、こすれて艶の出たかかとから足の裏へ差しかかると――かすかにしっとりと湿り気が残っていた。 「ふ……っ……」  ぞくん、とうなじの毛が逆立つ。心臓がどくどくと破れそうに高鳴る。後ろめたさで目がくらんだ。 「みほどの……!」  それは、その人の持ち物だった。けれども、借りたわけでも渡されたわけでもない。  優花里が自分の手で、本来あるべき場所から、持ってきてしまったのだ。    難しいことは何もなかった。ちょっとした用意が必要だっただけ。  昨夜は、みほのアパートにまた泊まった。最近の優花里は週一回は必ず、多いときには二度も泊まりに行っていて、二人とも、もうそれに慣れてきていた。 「そろそろお風呂にしよっか」 「そうですね、じゃあみほどのからどうぞ」 「えっ、お客さんの優花里さんから入ってくれないと」 「私は後でけっこうですから、さ、さ」  譲り合いもいつものことで――それまでに二人で仲良く盛り上がっていると一緒に入ってしまうこともあったが――その夜は、みほが先に入った。 「お先に失礼ー。ほら、優花里さんの番だよ」 「はいっ」  着替えを収めた袋を抱えて洗面所に入り……作戦を決行した。  脱衣カゴに、みほが脱いだ服が収まっている。ごくりと唾を呑みこんでそこに手を入れ、靴下を抜き出してビニール袋に詰める。  それから余分に持ってきた自分の靴下を代わりにねじ込んだ。  大洗女子学園では制服の他に靴下も指定のものがある。コスプレ好きの生徒やお洒落な生徒は好きなものを履いたりしているが、自分は普段から指定の黒靴下を履いているし、それはみほも同じだ。  だからこの作戦を思いついた。  入浴を済ませてパジャマ代わりのシャツとタップパンツで出ていくと、みほがベッドの支度を整えている。「おいで、優花里さん」と誘われて、一緒の布団に身を包む。 「冬はやっぱり二人がいいよねー。あは、あったかい」  抱きついてきたみほが、もぞもぞと頬ずりする。「そうですね」とほのかに花の香りのする栗色の頭を抱くと、いたずらっぽく目を細めて、「優花里さん……さわる?」とささやいてくる。 「はい」  口づけを交わして、寝る前の軽い愛撫をパジャマの上から与え合いながら、優花里はちょっとだけ、胸の痛みを覚える。  ……みほどの、こういうの素敵です。素敵ですけど……私、もうちょっとだけ……。  以前、一度だけしてもらえた刺激的な行為のことを頭の片隅に浮かべながら、二人で高め合って、眠りについた。  自室に敷いた布団の中で、優花里は一度袋に戻して抱き締めていた靴下を、再びつまみ出す。それは自分の体温でほっこりと温まっている。  まるで、ついさっきまであの人が履いていたみたいに。  掛け布団を頭まで引っかぶって優花里はそれをまさぐる。真っ暗な中ではっはっとせわしなく熱い息を漏らして、しばらくためらう。それはいけないことだし、ひどくはしたなくて情けないことだった。ここまできても、まだそんなことをするのは抵抗があった。  でも、誰にも見られることのない布団の中で布を揉んでいるうちに、高まるいっぽうの欲情が、理性と尊厳を呑みこんでいった。ためらいの最後のかけらがかき消えると、優花里はとうとう、これまでずっとこらえていたことをやった。  布地を鼻に押し当てて、思い切り吸う……。  ほのかに蒸れた甘酸っぱい匂いが、ふわりと鼻孔の奥に流れこんできた。匂いと直結した優しい柔らかいイメージが即座に湧き起こり、幸福感があふれ出す。 「ひ」  みほどのの。  みほどのの――足のにおい……。  それを想像したこともあったし、実際に鼻と口で味わったことすらあった。浴室で裸のみほにきれいな足を与えられて、丁寧に顔を踏み回された。あのときの快楽は凄かった。脳みその奥底まで愛し抜かれて、好きな人に魂まで溶かされたような気がした。  それは尊敬とか共感とか友愛とかいった貴い感情とは、別次元の行為だった。そういった感情は日ごろの付き合いや、仲間たちと一緒になった試合や遊びで満たされてはいたけれど、もっと原始的なところ、優花里の根っこにある動物みたいな部分は、みほの体、裸のままのもう一人の女の子の肉を求めていて、そういうところを満たしてくれるのが、味と匂いだったのだ。  けれども、自分とみほとの普段の付き合いは、相手に素敵なところを見せようとして、相手の素敵なところを好きになろうとしすぎていて――こんなところまでは、とても軽々しく求めたり、与えたりできなかった。そこまでタガを外して愛し合うことは、なかなかできないでいた。  だから――。 「んん、んん、……どの、いおののぉ……」  優花里は広げた布に、唇と鼻にこすりつける。  靴下の足の裏から爪先へ。温かく湿ってもっとも匂いの濃いところへ。閉じたまぶたの裏にくっきりとあの夜のみほの姿が浮かんでいる。ふっくらした白いふくらはぎや、桜色の爪の並ぶふにふにした足指の股。  あるいは車長席に立つ姿。双眼鏡を手にして右へ左へ体をひねる姿。パンツァージャケットに身を包んで四号へ身軽に駆け登る姿――その、武骨なブーツに包まれた爪先。  匂いは濃すぎるわけでもない。むしろ、嗅ぎ続けるといつの間にか形が薄れて感じられなくなってしまうほどだ。みほは汗かきではないし体臭がきついわけでもない。  それでも、昨日の昼は半日戦車に乗って練習に励んでいた。実弾を撃ち合うのはいつだって、緊張で手に汗握る行いだ。手だけじゃない。砲弾を避け、装甲ではじくたびに、全身に冷や汗がにじむ。  一度は感覚が飽和してわからなくなった匂いも、顔を離してしばらく呼吸してから押し付けると、また戻ってきてくれた。足を包む布全体に、うっすらと染みついていた。  それはたとえばよく熟したプラムの果実を塩漬けにしたような、または日向のぬるい磯溜まりから引き揚げたラベンダーの花のような芳香で――甘いだけ、優しいだけの髪の香りとは、まるで違っていた。  多分みほ自身も嗅いだことのない、自分にそんな匂いがあるとは知らないに違いない、混じり合った蠱惑的な匂いだ。  それが今、自分の手の中からゼロ距離で脳髄に染み入ってくる。 「み、ほ、どの、みほど」  目を潤ませて優花里はむさぼる。ぞくぞくと肌が波立って、体の芯がピンと硬くなる。すふー、すふーと激しく呼吸しながら、肩を縮めて全身を三日月のように反り返らせる。頭の中に、というよりも脳の底の古い部分が、愛しい匂いに侵食されてどろどろに溶け、意味のあることなど何ひとつ考えられなくなっていた。自分の体のあちこちに触ることすら思い浮かばない。自分で引き出せるどんな快感よりも心地よい感覚に、意識の根元をがっちりとつかまれてしまっていた。 「ふぁ、あ、溶、とけ」  ふいごのように大きくすうん、すうんと胸を上下させて、匂いと酸欠でとことんまで自分を塗りつぶしていった果てに――ぐ・くんっ、と首を斜めに折って硬直する。 「くぅ……ぅっ……!」  ――大丈夫だよ、優花里さん――  優しい、いとしげな、ちょっとだけ弄うようなささやき声を幻聴しながら。優花里は指一本使わないまま絶頂した。 「はあ、ああ……」  後片付けをして布団をしまった優花里は、ぺたんとへたりこんで手の中の靴下一枚を見つめていた。 「みほどの……すみません、すみませぇん、私、こんなことしてしまって……」  べそべそとすすり泣きながら頭を下げる。背徳感に焼けた激しい興奮が過ぎ去ると、冷めた罪の意識がどっとのしかかってきた。  ……私、なんてことをしちゃったんでしょうか。いくらみほどのの匂いが好きだからって、こんな変態行為を……というよりも、黙って取ってきちゃったんですから、立派な犯罪行為です。計画的犯行です……。  しかも、重犯なのだった。  優花里が自室にみほの靴下を持ちこんだのは、これが二度目だった。以前、みほの部屋に泊まったとき、一度間違えて持ち帰ったことがあるのだ。そのときは事故だったけれど、洗おうとして触れたときにふと惹かれて、嗅いでしまった。それでとりこになった。  優花里はその靴下をしばらく持っていたが、あるときうっかり自分の靴下と混ぜて洗い、匂いが消えてしまった。取り返しのつかないミスだった。  そのはずだったけれど――同じやり方で挽回できると気づいたから、越えてはいけない一線を越えてしまったのだ。  二枚目の、みほの靴下。畳に置いたそれを、優花里は情けない思いで見つめていたが、ふと、あることに気づいた。  学校指定の黒靴下には、ふくらはぎのところに五ミリほどの赤いタグがついている。そこに何か書いてあった。 「え?」  手にとってまじまじと見つめると、〇で囲んだ可愛らしい「み」の文字。  間違えようもない。みほがつけた目印だ。 「て、ことは……」  ギロチンの刃が落ちて来たみたいな衝撃に襲われて、優花里は倒れそうになった。  自分の靴下には何も書いていない。それをみほの家に残してきた。  バレてしまう。  いや、バレるというよりも。 「もしかして……もう、とっくに……?」  気づかれて、疑われていて。それを確かめるために、こんな目印をつけてあったんじゃないか。だとしたらもう――。 「あ、ああ、あああ……っ」  優花里は頭を抱えて突っ伏した。これは本当に、取り返しのつかないことだった。 「ん、話ってなに? 優花里さん」  週明けの学校。幸い練習のない日だった。戦車整備の合間にみほを更衣室に呼び出して、二人きりで顔を合わせた。 「ええと……そのう……」 「なんだか顔色悪いよ。大丈夫?」  心配して覗きこんでくれる、みほの気遣いがつらい。顔色が悪いのは一睡もしてないからだし、そうなったのは自分のせいだ。  悩み抜いて出した結論は、ひとつだけだった。全部白状して、心から謝って、二度としないと誓う。  許してもらえないかもしれない。みほとはいろんな誤解やすれ違いを乗り越えて来たけど、物を盗むなんてしたことがなかった。いくら友達より深い付き合いでも、それはだめだ。恋人同士だからこそやっちゃいけないことだった。信頼を裏切った。きっと軽蔑される。それでも自業自得なんだから仕方ない。言わなくちゃ……。 「じ、実はですね。その、これっ……洗ってきたんですけど」  靴下を差し出して、頭を下げた。 「みほどののです! 先日泊まった時に、黙って持ってきてしまって! 申し訳ありません……!」  降ろした視線の先にみほの茶色のローファーがある。素敵な足。ああ、こんなときにまで私、何を考えてるんでしょう。最低です……。  えっ何……と怪訝そうに聞かれるのか。どうしてそんなことしたの、と叱られるのか。  震えながら待ちかまえた優花里の耳に、意外な言葉が届いた。 「あ、やっぱりだよね。なんか優花里さんのがうちにあったから、間違えたのかなって思ってた。ありがとう」  さらりと言って、靴下を受け取られる。「え……?」と顔を上げると、みほの笑顔があった。 「すぐわかった? あ、この目印に気づいたかな。これね、最近書くようにしたんだけど、昔の習慣なの。実家にいたころはよくお姉ちゃんのと混ざっちゃったから、「み」と「ま」って書いて区別してたの。今はほら、大浴場なんかで間違えたりするといけないから」 「そ……そうだったんですか……」 「うん。優花里さんも「ゆ」って書いてみたら? 大洗でゆのつく人は……あ、小山先輩がいるか。でも先輩とは服脱ぐとき別々だし、混ざらないよね」  気が抜けて、ほうっと息が漏れて、みほの言葉もろくに頭に入らない。  助かった。  バレてなかった。自分のいやしい性癖に気づかれていなかった。疑うことを知らないこの人は、ただの間違いだったと思ってくれてる……。 「優花里さんのは、うちにあるから、今度来たら持ってってね。あっでも、別にいいかな? 取り換えっこでも。私は気にしないよ?」 「えっ、あ、そうですか。みほどのがよければ、私も気にしませんけど……」 「そうなんだ、じゃあこれは渡しておくね」  向けられた笑顔がまぶしすぎて。顔が歪みそうになってしまう。  違うんです。  違うんです、みほどの。間違いじゃなくてわざとなんです。私、怒られないといけないんです。そんなふうに、そんなふうに笑わないでください。私にそんな笑顔を向けられる資格は。私そんなきれいな人間じゃ。  言わなくちゃ。本当のこと、言わなくちゃ。でも、言わなければ今まで通りに……言ったらきっとみほどのは……。 「優花里さん? どうしたの?」  覗きこむみほの前で、優花里は引きつった顔で、声の出ない口を何度もはくはくと開ける。 「えっく、わ、たしっ、そ、じゃなくてっ、じっ、じつ、いえっ」 「……優花里さん?」  みほが困ったように、首をかしげる。  ごめんね優花里さん、とみほは胸の内でつぶやく。こんなになるまで追い込んじゃって。  タグの目印、ほんとは優花里さんに気づいてほしくてつけたんだ。私が気づいてるってことに。優花里さんが靴下を持ってっちゃったこと、二度とも知ってたよ。  一度目は布地の違いでわかった。そのときは、優花里さんが偶然間違えたのかもしれないって思った。でも、二度目は偶然のわけがない。脱衣カゴの奥に押し込んでおいたから、わざとじゃなきゃ取り出せないもの。  わざとだと思ってたけど、黙ってた。だって、靴下なんかどうあげればいいか、わからなかったから。  優花里さんは私の足の匂いが好きなんだよね。前に教えてもらったから知ってる。あれからずっと言い出せないでいることも。そうだよね、あんなこと、なかなか口に出せない。  でも私、嫌じゃないから。明るくて元気な優花里さんが、えっちのときだけめろめろになって、足をくんくんしたがるの、可愛いって思ったから。ほんとはまた、ふみふみしてあげたい。でもそんな機会って、なかなかないし。  そういうこと、もっと早く言えばよかったね。優花里さん、あんよしようね、ってひとこと言えばよかったのかもしれない。でも、言えないままで変な作戦立てたから、こんなややこしいことになっちゃった。  靴下の取り換えっこ、平気だよって言ってごまかそうとしたけど。優花里さんが嘘のつけない正直な子だってこと、忘れてた。  ほんとのこと打ち明けようとして、あわあわしてる。真っ青になって、泣きそうになって。言えないよね、匂いが好きで靴下取ってましたなんて。でも言いたいんだよね、優花里さん、いい子だから。  あ、目つき変わった。言うつもりかな。どうしよう。言われたら私、びっくりしたり、怒ったり、許したりしなくちゃいけない。でも簡単に許したりしたら、また変に誤解されそう。無理してるって思われそう。  どうしよう、どうしよう。ええっと、優花里さんに謝らせないためには――。 「みほどの、実はで「優花里さんっ!」  しゃべりかけたとたんに台詞をかぶせられて、「はひっ?」と優花里は身を硬くする。 「す、座ってください!」  何やら急に必死な顔になったみほに、着替え用のベンチを指さされて、優花里はおずおずと腰を下ろす。少し離れて座ったみほが、手にしていた靴下を二人のあいだに置く。 「ここに、優花里さんが洗ってくれた私の靴下があります」 「はい……?」 「そして、こっちに」  言うとみほは突然片足からローファーを脱いで、膝を立てた。くるくると靴下を降ろすと、すぽっと爪先から引き抜いて、すでにあった一枚の隣に置く。 「私がいま履いてた靴下があります……!」 「は、はい」 「あ、あなたがほしいのは、どっちですかっ!」  優花里が目をぱちくりさせる。あまりの急展開に理解が追い付かない。けれどもみほは真剣だ。ぐっと顔を寄せて、「どっち、ですか」と畳みかける。 「ほ、ほしいっていうか、私は、その――」  言いかけた優花里が、はっと何かに気づいたように目を見張った。息を止めて見つめ合う。じんわりと耳まで赤くなる。  やがて嬉しいような、泣き出したいような顔をして、優花里はぶるぶる震える指を、今みほが脱いだほうに向けた。 「こっち、です……」 「どれぐらい?」 「すごく、です」 「もし、私が見てなかったら、黙って持ってっちゃうぐらい?」 「そ、そんなことは……」 「どうですかっ!」  詰め寄られた優花里はのけぞったものの、訓練場で指名された新入り海兵隊員みたいにぴしっと気を付けをすると、「はい、黙って持ってっちゃいたいぐらいであります!」と叫んだ。 「そっか」  みほはうなずくと、脱いだ方の靴下を取り上げて、優花里の手に握らせた。 「正直者の優花里さんには、ごほうびを上げます」 「み……」 「ただし」  優花里の唇に、人差し指を当てる。 「黙っては、だめだよ。ちゃんと言ってね? 私だって――」ふふ、といつもの困った顔で、首をかしげる。「上げたいの、優花里さんに」 「は――」優花里が泣き顔を緩ませて、勢いよくうなずく。「はいっ!」  そして二人は見つめ合う。まだしばし、緊張が解けない。どちらもわからない。これで許されたのか。許せたのか。  手番は優花里のほうだった。ふうっと息を吐いて、改めて深々と頭を下げた。 「すみませんでした、みほどの。あんなことしちゃって」  んっとうなずいて、みほが頭を撫でる。 「ん、ちゃんと言えたね。いい子だよ、優花里さん」 「はい、ありがとうございます。――って、いいんですかね、これで……?」 「んっんっ、いいんじゃないかな、あは。ちょっとだけ変かもだけど、だって私もね――えい」  手から取り返した靴下を、ぱふ、と優花里の鼻に押し当てる。びくっ、と固まった優花里が、魔法でもかけられたかのようにとろとろと半眼になって、すぅっ……と息を吸う。  それを見たみほが、はぁ、と惹かれたような吐息をこぼして、目を潤ませた。 「……優花里さんにこれするの、好きかも、って思うんだ……」 「みほ、ど……」  ほんの少しのあいだ、それまでとは違う異様に静かな空気が二人を包んだ。みほが靴下を押し当てたまま、ベンチに尻を滑らせて体を寄せる。意識が飛んだみたいに目の焦点を失った優花里が、すふー、すふー、と大きく胸を上下させて、ゆっくりと身体を傾ける。 「おいしい?」 「ふぁ……ひ……」 「ゆかり、さん……」 「ひほ……ろの……」  みほの手が優花里の肩に回り、倒れる体を優しく抱き支えようとしたそのとき――。  「西住さん、秋山さん。いるかー?」  無遠慮な声がしてガチャリと更衣室のドアが開きかけた。「ひゃ」「んわっ」と二人はあわてて身を離す。  顔を出した麻子が、ああここか、と二人に目を留める。 「きてほしい。みんなでオイル運ぶ」 「は、はい」「すぐ行きます!」 「何をしてたんだ?」 「えっえーとえーと」「あっトゲが。トゲがですね! みほどのの足に刺さっちゃって、抜いてました!」「そっ、そうそう! 変なことじゃないよ!」 「……ふーん」  片脚だけ素足のみほにちらりと目をやると、早く来てくれと言って、麻子は出ていった。  みほはあわてて靴下を履く。優花里は立ち上がってむこう向きで深呼吸をする。麻子のおかげで明るい乾いた空気が戻っていた。二人とも恥ずかしくて目を合わせられない。みんながいる真昼の学校で何をしてたんだろう。 「いいですか?」 「う、うん。いいよ」  そっぽを向いたままうなずきあって、ドアから出るときに、優花里がささやいた。 「だめですよね、あんなことしてちゃ。はは……」  目を向けたみほは、くすりといたずらっぽく笑う。 「そう? 私は、おうちで続きしたいけどな……?」  優花里がごくりと唾を飲む。 「あ、えっと、う、うそついてました、ごめんなさい!」  (おわり)