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紺天宮秘事集 −こんのあめのみやひめごとあつめ−

 伍 太白の章

 あんず葡萄ぶどうは、紺天宮の南側にある建礼門の前で太白たいはく媛を見つけた。
 白金の髪の美しい媛は、奇妙なことに壁にもたれてくすくすと笑っていた。彼女を見つけても、杏は声をかけるのをためらった。場所も行いも、紺天宮でもっとも大人に近い媛である太白には、まるでふさわしくなかった。
 柱の陰からこわごわと覗いていると、逆に見つけられてしまった。
「あら……杏と葡萄ではないの」
 ささやくと、太白が笑いを収めて歩み寄ってきた。杏は緊張に身を堅くする。太白の美しさに呑まれたとか、すべてを知っていそうな瞳に魅入られたとか以前に、背丈が違うのだ。杏も葡萄も五尺に届かないが、太白は二人より六寸近く上背があった。
「私を探しにきたの?」
 顔を覗きこまれて、杏はちらりと葡萄と目を見交わした。つくべき嘘は彼女が考えた。葡萄が舌を湿らせて言う。
「た、太白媛さま。飛香舎にいらしてください。湖藍こらん媛さまが、長櫃が重くて運べないので、太白さまに手伝っていただきたいと――」
「中身を出してから動かせばいいでしょう」
 葡萄が言葉に詰まった。じっと太白に見つめられてうつむいてしまう。葡萄は杏よりも賢くて機転が利くが、杏のほうが肝は太い。
 杏が代わりに叫んだ。
「いっぱいあるんです! 長櫃、こんなに! 中身もとっても重くて!」
 大げさに両手を振り回してみせると、意外にも太白がくすりと笑った。
「まあ、それは大変ね。では行ってあげるわ」
「あ……ありがとうございます」
 杏はほっとして頭を下げたが、太白が思いがけなく親しくしてくれたので少し気が大きくなり、つい口を滑らせた。
「太白さまも建礼門にいらっしゃるんですね。中に入られるんですか?」
「私、も?」
 あわてて口を塞いだが、打って変わって厳しい目でにらまれてしまった。
「建礼門は星帝の御門。勝手に入ってはいけないわ」
「はい……」
 杏は落ちこんだが、太白の叱責はそれだけだった。杏たちは太白を先導して飛香舎へ向かった。

 この日の紺天宮は常と違って、空が白に近いほどの水色に明るんでいた。内裏に入った三人は、まぶしい陽光に満ちた中庭から校書殿の脇を抜けて裏手に回り、飛香舎にたどり着いた。
 飛香舎はもともと太白媛の宮だ。しかし彼女一人と宮卒たちだけで使うのは広すぎるので、下位の媛に学問を授けたり、皆が書写をしたりするところになっていた。湖藍媛がそこの整頓をするために太白を呼びもどしても、おかしくはない。
「どこの長櫃?」
「西庇です」
 杏に言われるまま太白は西庇に入った。そこは屋外に面した幅一間の細長い部屋で、飛香舎では物置のように使われている。宮は板の間が普通だが、ここには畳も敷かれていた。
「ここなの?」
 太白が振り向くのと、ぱたぱたと音がするのが同時だった。内に面した戸も外に面した蔀もいっせいに閉じられて、西庇はあっというまに真っ暗になってしまった。その後すぐに、太白の右と左から何かがしがみついてきた。
「なに……?」
「太白さま」「ごめんください!」
 太白は両手を引かれて後ろへ倒れてしまった。もっとも、無理やり引きずり倒されたわけではない。杏と葡萄の必死な様子にほだされたような具合だ。
 畳に仰向けになった太白の両腕に、二人の小さな媛たちが乗っている。太白は軽い苛立ちをこめた口調で言った。
「二人とも、これはなんの真似かしら?」
 返事はない。二人はおびえたように黙りこくっている。
 いや――待っている。
 太白の足元で、キシッと板を踏む音がした。
「蹴らないでね、太白」
 感情を抑えている人に特有の平板な声とともに、太白のつま先に何かがかぶさった。それがするすると体を這い登ってくる。やがて首元まで達すると、思ったとおり、湖藍姫の険悪な声と、夜の花のような冷たく甘い香りがした。
「しばらく黙って耐えて。すぐわかるから」
 そして布団にでもなったようにぺったりと体を乗せてきた。
「はぁ……太白……!」
 沸いているような息をかけられるまでもなく、着物を通して湖藍の熱が伝わっていた。熟す直前の果物を思わせる、弾力と生硬さをあわせ持った胸や脚がすりつけられる。両腕が底魚のように背中に入りこみ、力をかけて抱き締めた。
 一番驚いたのは股間を押しつけられたことだ。太白の股間の柔らかなものに、湖藍ははっきりそれと狙って自分をこすりつけてきた。あの厳格な湖藍が!
 それを渇望していたらしく、一度抱きついた湖藍は獲物を捕らえた蜘蛛のように太白を抱いたまま、かなり長い間離れようとしなかった。うわごとのように太白の名を呼びながら首を吸い、股間をこすりつけ、そこを硬くした。――太白は軽く目を閉じ、自分の根が張りつめてしまうのを感じ取った。
 けれども、決して自分から腰を動かしはしなかった。
 ある瞬間、日が翳ったように湖藍の熱気が薄れ、体がとまった。あまりにも太白が無反応なのを疑問に思ったらしかった。
「……太白?」
「何をおびえているの」
 びくっ、と湖藍が身を震わせた。太白は反対にうっすらと微笑んでいた。
 湖藍媛の頭を自分の頭で押して持ちあげ、闇に塞がれて見えないことにもかまわず、目睫の距離から顔をのぞきこんだ。
「私は動けないわ。好きにしたら?」
「わ、私――」
「どうしたの?」
 あれほど太白にすり寄ろうとしていた湖藍の体がすみやかにこわばっていき、反対に股間の根が小さくしぼんでいってしまうのは、滑稽でさえあった。
 太白はさらにだめを押す。
「紺天宮の姫が星帝以外の者に懸想するのは禁。体に触れたとなればさらに罪は重いわ。玉兎ぎょくとがなんと言うかしらね」
「告げるの?」
「告げたらあなたは所払いよ。もう二度と私には触れられない。――だから、ほら、今のうちに好きにしなさいな」
 湖藍の体がぶるぶる震えだし、起き上がった。それとともに左右の二人もおびえたように腕を離す。両腕が自由になった太白は体を起こした。湖藍が、逃げることすら忘れたように、太白の膝の上で浅く息をしている。
「私……大変なことを……」
 太白はひとまず彼女を無視して、右に呼びかけた。
「杏、蔀を開けなさい」
「あの……太白さま」
「なに?」
 小さな媛の、落胆寸前の声が言った。
「太白さまは、良くなかったんですか?」
「……男根おのこねが?」
 太白がつぶやくと、はっと三人が同時に息を呑んだ。彼女たちの期待が透けて見えるその仕草をかわいらしいと思いつつ、太白はあえて話をそらす。
「湖藍」
「なに?」
「あなた、私に懸想したのじゃないの?」
「……そんな」
「したの? していないの? 答えなさい」
 逃げを許さず、辛辣に迫った。膝の上の湖藍が叱られた幼子のようにぎゅっと肩を縮めた。か細い声を漏らす。
「……したわ」
「なのにそう言わずに闇雲に抱きつくなんて、ひどい狼藉だと思わない?」
「……」
 湖藍はもう返事もしない。太白は命じた。
「蔀を」
 今度こそ、杏と葡萄がおとなしく従った。かたりと音がして軒から斜めに光が差しこむと、湖藍の顔が目に映った。羞恥のあまり顔を林檎の色に染め、悔しげにうつむいていた。
 太白はその表情をじゅうぶんに堪能してから、自分の股をかすかに開いた。
 太腿で無理やり挟みこんでいた太白の根は、股間から筍でも生えてきたかのように高々と袴を持ちあげた。
 湖藍も、葡萄も、杏も、驚愕の顔で吸い寄せられるように見つめた。
「知っているわよ、これが心地いいことは……」
 太白は丘のいただきに左手を添え、軽く二、三度つまんだ。じわっと怖いほどの心地よさが広がり、膝をすりあわせてうめいた。根は目に見えて大きくなる。
 そこに湖藍が薄く口を開けて、焦げつきそうな視線を当てている。
「た、太白……」
「あなたたち、手すさびはしないの? ――しないのね、その様子では」
 指を円にし、根をゆっくりとしごく。手すさび? と湖藍が舌先だけでささやく。その彼女も再びさかりがついて、袴の前を一瞬ごとに膨らませている。
 太白はひときわ長くしごきつつ、丸く浮き出た根の先を湖藍の同じところに触れさせた。
「手でしてしまえば、邪念を抱くこともないのよ……?」
 つむ、と当てたとたん、湖藍が思いがけない応えを見せた。
「――ぃぁああぁッ!」
 泣きすさぶような声を上げて強く腋を締めたかと思うと、根を激しく跳ね上げたのだ。びくっ、びくっ、と袴のふくらみが上下し、やがてじわじわと染みが浮き出してきた。
 さすがに目を見張って太白は言う。
「あら、もう……?」
 湖藍は唇を噛んで目を閉じ、ぐったりと首を傾けて震えていた。その顔は捨てばちな歓喜に彩られていて、彼女の言葉もそうだった。
「太白の……だもの。たまらない……わ……」
「まだ、私が恋しい?」
 こくり、と湖藍がうなずいた。こくりこくりと、何度も何度も。
「禁にふれても……」
「そう、そこまで」
 太白は少し言葉を切った。
 それから、両手で湖藍の頭をつかみ、堂々と接吻した。
「――!?」
 湖藍の目が満月のように見開かれる。
 長く長く口を吸って湖藍を忘我の状態にしてから、顔を離して唾液の垂れるのもかまわずささやいた。
「邪念が抜けても恋しいというなら、それは本当なのでしょう。いいわ、湖藍。身を捨ててまでの思い懸け、この太白が受けてあげる」
「本当……?」
 湖藍が瞬きし、不安げに目じりを傾ける。しかし、おずおずと差し上げた両手を太白がしっかりつかんだので、少しずつ息を吐き出した。
「本当……なのね?」
「ええ」
 湖藍は残りの息を一気に吐いて太白の肩に頭を預けた。溜めていたものを解きはなつ激しさで頬をこすりつける。見ていた杏や葡萄までもが安堵のためいきをついたが、じきに湖藍はつらそうに頭を離した。
「気持ちだけでいいわ、一度のいらえで十分。忘れて、太白。でなければあなたにもお咎めが……」
 それを聞くと太白は、くすりと笑った。
 そして湖藍をわきへのけて、立ち上がった。
「太白?」「太白さま?」
 不安がる媛たちを見下ろして、太白は穏やかに笑う。
「大丈夫なのよ、いらっしゃい」

 幾重もの葦のすだれをくぐったすえ、最後の一枚を開け払うと、薄暗い部屋の中に、赤糸と金で飾った荘厳な帳台が鎮座していた。
 湖藍たちは息を呑んだ。
「ここは……」
「夜の御殿。星帝の御休みになるところよ」
「太白媛!」
 杏が悲鳴のように叫んだが、太白は意に介しない。清涼殿でもっとも恐れ多い部屋だというのに、自分の宮のように四隅へ歩いて燈篭を灯していく。
「大丈夫だと言っているでしょう。私が信用できない?」
 湖藍がクッと唇を噛み、進み出た。後ろから太白のそでをつかむ。
「……信じるわ、恋したのだもの」
「そんなにりきまないでいいわよ」
 振り返った太白のほがらかな笑顔を見て、湖藍は目をそらす。
 湖藍にとって太白はあまりにもまぶしすぎた。想いを抑えつけるのが常態になっていた。突然受け入れられても信じきれない。距離のとり方がわからない。
 太白は、そんな湖藍のためらいをやすやすと乗り越えて、自然に彼女の手を引く。
「いらっしゃい」
 自信に満ちた指に引かれて、湖藍はためらいながらもついていく。
 うすい紗の帳に囲まれた帳台へ上がってしまった。そこには今この瞬間に星帝のお渡りがあっても良いよう、宮卒によって絹の寝床がしつらえてある。玉兎から聞いたとおりだ。口では信じると言ったが、湖藍は足がすくんでしまう。
 しかし太白はちっとも物怖じせず、そこに上がって振り向いた。
「来るのよ、三人とも」
 同時に手を強く引かれた。「きゃ!」と叫んで湖藍は布団に倒れこんだ。
 隣に太白が身を投げ出し、微笑んだ。
「どう、星帝のお敷物は上等でしょ」
「太白、大丈夫だという理由はなんなの?」 
「それは秘密よ。でも、すぐわかるわ」
 そうとしか言わないまま、口付けしてきた。湖藍は息をかけられただけで陶然となり、唇が触れると思考がとんで、理由を考えるどころではない。太白がいつも決して失わないその余裕がうらやましい。
 覆いかぶさって舌を入れる太白を、湖藍は綿のように緩んだ身で受け入れた。欲していた人の味がしたたりこみ、指が肌を這う。幸福感で泣き出してしまいそうだ。「湖藍さま、小さな子みたい」と杏の声が聞こえたが、それすら意識の外だった。
 まさぐられるにつれて大胆になり、湖藍も太白を求めた。抱き返して舌を吸い、手を潜らせる。胸の素肌にふれると、たまたま太白の乳首に一度で至ってしまい、鼓動が一気に倍増した。しなやかな筋の覆う胸の奥に自分と同じ鼓動を見つけると、それだけで目の前が赤くなるほど昂ぶって、根がどんどん張り詰めた。
 唇が離れた。湖藍の顔の三寸上に、木漏れ日のような髪に縁どられた顔を浮かべて、太白がとろりと微笑んだ。
「湖藍は乱れても優々しいわね」
 あなたこそ! 湖藍は叫びたくなる。日ごろの明るい気品に加えて、太白の顔には濃厚な色香がにじんでいる。湖藍は怖くなるほどかき立てられる。我知らず、衝動のままに再び抱き寄せようとした。
「お待ちなさい」
 あやすように押し離して、太白が身を起こした。湖藍の顔の横へきちんと座りなおし、帯をするするとほどく。
 袴の前をはらりと下ろして小袖を左右にはだけ、いともあっさりと男根を見せつけた。
 顔だけ傾けてその様子を見ていた湖藍は、息を詰めて見つめる。
「たい……はく」
「はしたなくて胸が破れそう」
 半眼で湖藍を見つめる太白は、胸を大きく上下させていた。それに合わせて根の先端が規則正しくお辞儀する。鯉のような口から根元にいたるまで、つややかな張りがとても美しく、大弓のようにすらりと反って長い。長身の太白にふさわしい根だった。
 見た瞬間、湖藍は渇望でいてもたってもいられなくなった。「あの……これ……」と懇願するように太白の根と顔を見比べる。太白がはにかむように言った。
「だって、さっきの湖藍の目がすごかったんだもの。これがほしいのだろうと思って……それとも、まだ早いかしら?」
「いいえ、早くないわ!」
 焦りを露骨に出してしまった。それを恥ずかしいと思いつつも自分が抑えられず、湖藍は太白の膝に這いのぼり、根に顔を寄せた。かつて毎夜、寝入った太白の着物越しにあれほど夢想した秘所が、目の前にある。
「太白……!」
 鼻を二、三度こすりつけて体臭を確かめてから、つるりと口に含んでいた。そんなことをしたことはおろか、具体的にどうするか考えたことすら一度もないのに、それが望みだと知っていた。できる限り奥まで飲もうとして、あまりに長い太白の根を収めきれず、喉につかえてむせてしまう始末だった。
「くふっ、んぶ……はぷ、はふぅ……」
「ちょっと、湖藍、激しい……す、すごいじゃないの……っ」
 太白のやや甲高い声が聞こえ、髪と肩を強くつかまれた。初めての反応だ。太白があえいでいる。心地よさに乱れ始めている。
 湖藍の中の炎がふいごで吹かれたように燃え上がる。
 熱に浮かされたように激しく嬲った。舌で包み、唇で締め、あごも胸元も唾液で際限なく濡らして、溝を洗い、幹をしゃぶり、畝を吸った。 
 それは、挑んでもかなわぬ相手への格好の報復だったのかもしれない。学問でも作法でも人徳でも湖藍は太白に勝った試しがなく、激しい嫉妬と憧憬をかき立てられてきた。それでも憎悪だけはしたことがなく、太白に凌がれていることを好んでいた。太白の役に立ちたいと思っていた。――正しくそれは恋というべき感情であり、恋ゆえに湖藍は太白を完膚なきまでに心地よくさせ、自分に感謝させたいと切望した。
 達成されはした。
「湖藍、湖藍っ、湖藍! すごっ、すごいわ、溶ける、溶けそうっ!」
 太白はあでやかに叫んで打ち震え、湖藍の頭や体をところかまわずまさぐった。座っていられずに横へしなだれて、湖藍の顔に向かって腰を突きつけてきた。湖藍は両手の指まで太白の股間にすべりこませて、触れられるあらゆるところを触れる。太白の根はますます張って、先端から小刻みにしずくがあふれるまでになっている。
 太白の歓喜が我がことのように感じられ、湖藍の胸も満たされる。
 けれども――
「ひぃんっ!?」
 自分の根にいきなり強烈な心地よさが走り、湖藍は動揺する。口を離して腹のほうを見下ろすと、太白も湖藍の袴に手を入れ、脱がせようとしていた!
「やめて、太白!」
「どうして?」
「だって、その中は先ほど……」
「分かっているわ、一度放ってしまったものね。あなた平気な顔をしているけれど、大変なことになっているのでしょう」
「そ、そうよ。見せられたものじゃないわ」
「……馬鹿ね、だからこそ見たいのよ」
「太白!」
 抑えようとしても無理だった。太白の強い指がまたたくまに帯を解いてしまい、湖藍は腰から下を剥ぎ取られた。浅ましく反り立った自分の根、それも子種で白く汚れて匂っているそこを冷たい空気にさらされて、湖藍は消え入りたくなる。好いた人の目の前で、なんという辱め!
 舐められた時に感じたのは、喜びよりも巨大な屈辱だった。
「清めてあげる、湖藍」
「太白……」
「あなたがしてくれただけ、してくれたよりも」
「太白、どうしていつも……」
「可愛いからに決まっているわ。必死に我を張るあなたがね」
「あなた、どこまで私を惹きつけるの!」
「――続けてくれる?」
 二人は競うように吸い付いた。
 太白の長い根を舌でたっぷりと拭き、種袋に口付けして痕がつくほどきつく吸う。
 湖藍の細い根を口にすっぽりと包み、歯や舌や頬でどこもあまさず弄う。
 責めと受け、どちらか片方だけでもこの相手となら頭が一杯になってしまうのに、両方を思い切りしている湖藍は、もはや全身が昂ぶりで破れてしまいそうだった。太白を好きなだけ味わえるという幸福で意識が真っ白に煮え、太白が思うさま嬲ってくれるための快感で、根も腰も背筋もつま先も真っ白に灼けていた。
 こんな常軌を逸した心地よさの中で、湖藍がまともに自分を律せられるわけがなかった。動き回る太白の舌がどこかに触れた拍子に、湖藍はそれと意識する間もなく放っていた。
「ふぁっ」
 根の底で膨れ上がっていた汁がびゅうびゅうと吐き出されていく。有無を言わさぬその快感が、湖藍の意識を根こそぎ奪う。寸時、太白の長身にからんだ湖藍の細身が、震えて引きつるただの肉と化す。
 傍に座していた杏たちの見たものは凄い。別人のように狂って太白を求めていた湖藍が、「ふぁっ」と小さく息を漏らしただけで、太白になんの断りもなく子種を放った。そのとき太白は根からほんの少し顔を離していて、鼻先に湖藍の暴発を食らった。びゅっと走った白い筋が太白の頬で派手にはじけ、そのあとは粘濁の雨だった。湖藍の根は発作のように激しくしゃくりあげながら、少し苦笑しているような太白の顔に、白紐を縦横にあびせかけた。
 その間、湖藍は太白の腰を両手で抱えて、片頬を根に押し付けていた。目を開けているのがかえって凄愴だった。瞳の焦点が完全に外れて、何も見ていない。美しい顔が歪んでいたが、頭の中は歓喜に塗りつぶされているのがありありとわかった。
「葡萄ちゃん……」「ん……」
 杏と葡萄は、肩を強く強く寄せ合う。二人ともとっくに根は起きている。あとは、いつ触り始めるかだけだった。
 湖藍は峠を過ぎた。今日二度目の放出でわずかに昂ぶりが鈍り、ゆるやかな倦怠に浸されつつあった。それとともに理性が戻り、さまざまなことを考え始めたが――
 すべてを制圧して、口内にずぶりと男根が入ってきた。
「堪能したでしょう?」
 抑えに抑えて恐ろしいほど昂ぶった声。仰向けにされ、体を押さえられる。
「あなたの絶頂、とても素敵だったわ。無我夢中で、精一杯で、戸惑いのかけらもなくて……思い切り私にぶつけてくれた」
 ぐぶっ、ぐぶっ、と根が湖藍の喉をえぐり出す。遠慮は微塵もない。湖藍の息が止まろうと意に介しない。もうそんな余裕がどこにもない。ただ湖藍の柔軟と包容をむさぼることしか念頭にない。
「だから……私もそのようにして、いいわよね?」
 ずぶぶぶぶと喉のなかばまで先端が届き、鼻が袋にふさがれ、湖藍の命は太白の快楽に供された。
 こくり、と湖藍はうなずいた。
「好きよ、湖藍」
 太白媛が嬉しそうに答えて力いっぱい食道を犯し始めたとき、湖藍の願いはひとつだけだった。
 私が息絶える前に、この人を満足させてあげられますように……。

 湖藍が指一本動かさず、無抵抗に太白の蹂躙を受け入れ始めると、二人の小さな媛の昂ぶりも最高潮に達した。
「杏ちゃん」
 声とともに、杏の背に柔らかなものが抱きついた。葡萄が火を秘めているように熱くなっていた。ことに股間が激しい。がちがちに硬くなった根を隠しもせず押しつけてくる。
 そればかりか、触れてすぐに軽く達した。
「ふぁぅ……んっ♪」
 びくびくっ、と杏の尻で葡萄の根が震える。出してる、と杏には分かる。けれども耳元でギリッと音がした。葡萄が歯ぎしりして耐えた音。
「す……少し出ちゃったけど、まだ出したくない」
「――まだ?」
「入れるまで」
「――どこに?」
「杏ちゃんに」
「わたしの……?」
「お尻に。男陰に。かわいい杏ちゃんに入りたいの。最初の時からずっとそうだったの、湖藍さまと同じなの、好きだから好きな人に思いきり突き刺して中を知りたいのぉ!」
 声は途中から抑えが外れ、その甲高いうわごとに急き立てられるようにして杏は袴の帯を解こうとした。焦りでなかなかほどけない。早く葡萄にさせてあげたい。
 帯がほどけないまま、しまいにはもどかしくて無理やり押し下げた。それと同時に左の肩を強く押され、杏は半回転して敷物に倒れた。
「杏ちゃんっ!」
 仰向けの杏の胸に、葡萄が飛びこんでくる。葡萄もすでに袴を脱いで半裸だった。開いた小袖のうちの胸に胸を乗せて、きつく抱き合う。口付けは急ぎすぎて歯を当てかけた。それに口を合わせても目を閉じなかった。
「んむぁ、ぶどぅち、ぷふぁ」「あん、あんずっ、ふぁん……」
 互いに傾けて重ねた顔の、左目が左目を覗いている。相手の火照りを汲もうとしている。杏の見る葡萄は目元に紅を引いたように赤い。瞳はとっぷり濡れている。自分が同じ顔をしていると分かる。見ながら見せ付ける合わせ鏡が、互いの熱をかき立てる。
 腰を重ねて根をこすり合わせたとき、最上の顔が目に映った。
「くぅ……んっ♪」
 くむっ、と当たった瞬間、葡萄が目を細めてぞくっと震えた。一度離して慎重に位置を合わせ、杏の根にまっすぐ重なるようもう一度下ろしてくる。硬い根に硬い根がぴったり当たり、双方の柔らかな腹に押されて、扁平になるまできゅうっと押しつぶされた。
 ととっ、とっとっ、とととっ――少し拍子の違う自分と相手の鼓動が、そこからはっきり感じられた。
 顔を少しだけ離して、まっすぐ見詰め合った。
「杏ちゃん、かちかちかよ」――くっと小さな押し当て。
「葡萄ちゃんこそ、かちかちっていうより、ごりごり」――くいくいと左右に腰振り。
「ごりごりでもいいでしょ、硬くちゃだめ?」――きゅきゅ、と切なげにこすり上げ。
「いいよ、いっぱい硬くしよ? 根でちゅっちゅしよ?」――ぎゅぅっと潰すように。
「あ、杏ちゃぁん!」「葡萄ちゃんっ!」――互いに思い切りこすり付けて。
 杏の種袋の奥が激しくびくついた。このままほとばしらせてしまおうと思った。
 けれども葡萄が急に止まり、ぬるりと根を離した。
 彼女が身を下げた。杏の股ががばりと大きく開かれた。「ふぁ!?」と驚く間もなく葡萄が顔を進め、杏の股に入りこんだ。
 見えなくても杏は感じる。ひくひくと震える白紫のつぼみに、葡萄の視線が注がれていることを。
「杏ちゃん」
「なに……?」
「見えてるわ」
「やだ……」
「杏ちゃんの足ね、つやつやの小麦色でとてもきれいなの。その間に可愛い根がおへそへ向けて、まっすぐぴーんと立ってるの。種袋はまん丸でふわふわ……」
「やだぁっ……!」
「その下にね……おいしそうなお尻の間にね……いちばん素敵なところ……」
 感極まったような葡萄の声がくぐもって、聞こえなくなった。
 じりゅっ、と尖ったうごめくものが入ってきた。
「んひぃっ!」
 杏は驚いて腰を跳ねあげる。反りかえった根がぴたんと音を立てて腹を叩く。そこに入られるのは、初めての、異質の感覚だった。不浄の所だという意識が強烈に騒いだ。
「葡萄ちゃん、葡萄ちゃん!」
「んふ、恥ずかしい?」
「うっ、うん! そこは、そこはぁ!」
「中まで見ちゃうからね……」
 葡萄が両腕で太腿を抱えこみ、容赦なく舌をねじこんできた。
「ひぃ……やああ……んやあ……♪」
 羞恥に脳裏をあぶられて、明るい橙色の髪を振り、悶えまわった。小魚のように華奢な体が、敷物をひきずって激しくばたつく。今まで人に見せたことなど一度もないところを、見られ、触れられ、味わわれている。これほど恥ずかしいことはほかにない。
 ないはずなのに――抗えないほど心地よかった。舐められ、突きこまれると種袋の奥がじりじりと熱く焼け、痛みを覚えるほど根が硬く張った。
 誰に教えられたわけでもないのに、杏はそこへの責めを切望し、自然に開いてしまっていた。葡萄がそれを教えてくれた。
「杏ちゃん、これ、わかる……?」
 つぷ、と舌とは違うものが触れ、つぷつぷと入ってきた。「んっ、んぐっ!」とうめきながらも杏はりきみを解き、それを受け入れる。しっかり入りこんだそれは中で自在に折れ曲がって、内側をぐるぐるとかき回した。ぞわぞわと、明らかに受けてはいけない奇妙な快さが背筋を這い登り、杏は息が詰まってめまいを覚えた。
「ゆ……び……?」
「そう。杏ちゃんはもう、こんなのも入るの……」
 つぷりと指が抜けて、葡萄が両足を持ちあげ、最高の期待を込めた声で言った。
「入って、いい……?」
「……呑んであげるぅ……」
 答えてからしばらくして、つぷりと葡萄の根が当てられた。ぐいっ、ぐいっと繰り返し力がかかるとともに、大きく張ったものが入ってきた。杏は腹の底から息を吐いて、できるだけ開いてやるようにした。――それは用足しの時と同じ力の抜き方だ。けれどもこの時は出すのではなく、外から葡萄が入ってくるのだった。
 息を吐ききって力を抜くと、ちょうど葡萄も最後まで入れ終わった。杏の尻に葡萄の腰がぎゅっと当たっている。呑みこんだ根はへその奥のほうに軽い鈍痛とともに感じられ、とくとくという鼓動が伝わっていた。ひとつしかない大切なものがなくなったということを、杏ははっきりと悟っていた。
 ……おしり、葡萄ちゃんのものになっちゃった……。
 いつの間にか閉じていた目を杏は開けた。美しい黒髪に縁どられた葡萄の顔があった。苦しげに唇を噛んで耐えていた。杏はそっと声をかける。
「葡萄ちゃんもこんな風だったんだね……。お尻もおなかもちょっと痛くて、なんだか悲しい気がして」
「ん……」
「わたしもわかるよ、今の葡萄ちゃん。もう、もうたまらないでしょ? 止まっていられないでしょ?」
「あ……」
 葡萄がうっすらと笑った。耐え切れなくなる寸前の人の笑みだった。
 杏は許してやった。
「好きにして。思いっきり突いて、噴いて」
「……ごめんね!」
 ひとことだけ言って、葡萄はたがを外した。
「……んっ、んっ、んぃっ、んあぁ、んああぅ、んわぁんっ!」
 鼻を鳴らしながら激しく腰を動かし始めた。根をずり上げ、奥へえぐりこみ、浅く深く突き直し、沈めたままぐりぐりとひねった。杏の心地よさは葡萄の感じているそれに比べてとても及ばなかったが、むさぼるような葡萄の喜びようを見ているだけで十分嬉しかった。
 どさっと杏の上に覆いかぶさった葡萄が、半開きの唇から銀の糸をつぅっと垂らしてうめく。
「気持ちいぃ、きもちぃのぉ、あんずちゃぁんっ、ねっ、おのこねがぁ、ジンジンしてどろどろしてぇ……っ♪」
 うわごとともに葡萄ががくがくと腰を振って杏の根の裏を突いてくる。自分の根を壊されそうな痛みに顔をゆがめつつ、杏は葡萄の背を心から抱いてやる。
「いいよ、わたしも葡萄ちゃんにさせてもらったよっ」
「あんずちゃっ、はぁっ、すきっ、あんずちゃんの中あったかぁっ」
「いいよっ、温かくしてあげるよ、していいよっ……」
「こっ、こぼれちゃう、根からいっぱい、とろとろいっぱい、いいっ? 杏ちゃんいいっ? とろとろしたい、どろどろっ、びゅぅってぇ、あんずちゃんにあんずちゃんの中にぃーっ!」
「いいよぅっ、葡萄ちゃんの好きにして、葡萄ちゃんの種もわたしがっ、わたしのおなかが吸ってあげるよぉっ!」
「あんっ――」
 最後に葡萄は杏の首に抱きついた。
「やぁーっ! やぁんっ! やっ、いやぁーっ!」
 一言ひとこと、叫びながら左右の頬を交互に押しつけ、力いっぱい抱き締めて力いっぱい注いできた。ひと打ちごとに杏がずり上がるほどぐいっと腰を叩きつけ、溜まりきった思いの丈をしぶきのように激しく打ち出してくる。杏の背を甘い寒気が駆けのぼる。女のように種付けられたということがもたらす、服従の喜びだった。
「葡萄……ちゃぁ……♪」
 杏の絶頂は無意識だった。葡萄の子種でめちゃくちゃに浸された瞬間、押し出されるようにしてなし崩しに放った。葡萄の背に爪を立て両足を花のように大きく開き、限界まで反った根から続けざまに濃い白雨を放った。二人の薄い腹のあいだは、瞬く間に白いとろみにまみれていった。
 ありったけの情をぶつけ合って燃え尽きていく小さな二人の隣で、年上の媛たちも最後を迎えている。
「さ、行くわよ、湖藍……湖藍っ!」
 湖藍媛の頭をまたいで動いていた太白媛が、ついに一番奥まで押しこんだところで動きを止めた。あでやかな眉をぎゅっとしかめる。
 湖藍の喉深くから腹の奥へと、じかに太白の子種が打ち注がれていく。
「湖藍、湖藍。愛しいわ、ほしいっ!」
 湖藍の下腹辺りに頬を押し当てて、腰をぶるぶると震わせ、うめきとともに太白は余韻まで楽しんだ。
 やがてそれが済むとゆっくりと腰を離した。湖藍の喉からずるずると根が引き出され、それとともにごぽりと音を立てて、ぞっとするほど大量の粘液が湖藍の口や鼻にあふれ出してきた。湖藍は目を閉じ、死人のようにぐったりとなっている。
 隣に腰を下ろしてそこまで見届けてから、太白はささやきかける。
「もういいわよ」
 途端に湖藍がげほっとむせて、顔の横に子種を吐き出した。手をついて体を起こし、深く潜った人のように、はぁっ! はぁっ! と激しく肩を上下させて息を継いだ。
 ちらりと太白に顔を向ける。が、口にしたのは恨み言とは正反対だった。
「たい、はく……心地、よかった?」
「ええ、極楽のように」
 それを聞くと湖藍は、その苦しげな様子のどこから出てくるのだろうと思われるほど、晴れやかな笑みを浮かべた。
「それならよかったわ。……また、してね?」
「もちろんよ」
 ふっと安堵の顔色になって倒れかかる湖藍を、太白が慈母のように抱きとめた。

 情交に情交を重ねた四人が満ち足りたのは、日も傾いてからだった。
「ねえ……太白」
 力尽きて折り重なるように横たわった媛たちの中で、湖藍がぽつりと言った。
「結局、なんだったの? ここへ来た理由は……」
「もうそろそろだと思うのだけど」
「何が」
「宮卒たちが夕餉の狩りに降りるでしょう。下界に」
「それと何の関係が?」
 答えずに太白は湖藍の深緑の髪をすいている。その快さに目を細めかけた湖藍が、はっと我に返って、ごまかされまいとばかりに手を押し戻した。太白がくすりと笑う。
「強情な子」
「子はやめて!」
「はいはい」
 そのとき外から、太白さま、湖藍さまと呼ぶ声が聞こえてきた。他の媛たちだ。太白が身を起こした。
「行きましょう。みんな、着物を直して」
 太白の先導で清涼殿の外側を巡る簀子に出ると、飛香舎や弘徽殿で媛たちが呼ばわっているのが見えた。湖藍が鋭い声をかけた。
「どうしたの、皆。私たちはここにいるわよ!」
 それを聞くと媛たちがいっせいにこちらを向き、口々に訴えた。
「宮卒たちが外へ出ようとしないのです――」
「不吉だとか、危険だとか申しまして――」
「それに湯殿で金烏きんうが、金烏が――むくろになっているのです!」
 湖藍は眉をひそめた。媛たちは困っているというより、脅えている。紺天宮の秩序は万古不変と称されており、宮卒が外出を拒んだり、ましてや倒れたりなどということはあった試しがないのだ。
「静かになさい!」
 ひとまず一喝したもの、湖藍は困惑して太白を振り向いた。
「さあ、そろそろ説明の頃合じゃない?」
「そうね、みんないらっしゃい」
 そう言うと太白は媛たちを手招きして、庭園に下りた。
 一人、動じる様子のない太白にしたがって、残り二十三人の媛たちが連れ立って歩く。杏も葡萄と手をつないで歩きながら、不安を感じていた。
「ねえ、葡萄ちゃん。どういうことかな?」
 答えはない。杏が振り向くと、葡萄は紺天宮の玻璃の天蓋越しに、空を見ていた。
 今日にかぎって、いやに明るい空を。
「まさか……」
「葡萄ちゃん?」
 杏が聞いても、葡萄はうつむいて考えこむだけで答えない。
 やがて一行がたどり着いたのは、南側にある建礼門だった。紺天宮の正門とされ、星帝の浮船しか通ることを許されない禁門だ。
 その中は浮舟倉だ。紺天宮のすべての門は内門と外門の二重造りになっていて、二つの門に挟まれた空間が、宮と地上を行き来するための浮舟の置き場になっているのだ。
 しかし、建礼門にだけは浮舟がない。それは星帝の船だからだ。星帝の舟がないということは星帝が地上におわすのであり、紺天宮の媛はいつか再び星帝がいらっしゃることを待ち続けなければいけない、という決まりだった。
「ここよ」
 太白がそこを開けようとしたので、皆がぎょっとした。杏が叫んだ。
「太白さま、ここは入ってはいけないんじゃなかったんですか?」
「今まではね。でも、もういいのよ」
 そう言うと、太白はあっさりその大きな門を開けてしまった。
 見上げんばかりの大門が左右に開かれる。その奥を見た媛たちが息を呑んだ。
「浮舟――!」
 そこには銀と玻璃で造られた、からす貝を思わせる優美な形態の舟がもやわれていた。湖藍が太白に目を向ける。
「星帝がいらしたの?」
「違うわ。これはただの使者よ。――星帝のお隠れを伝える」
「お隠れですって……星帝は亡くなったの?」
「疑うなら中へ入ってみるといいわ。からくりの声がそう教えてくれるから」
「どういうこと? 私にはさっぱりわけがわからない」
「それはね――」
 太白が言おうとした時だった。
「太白さま、それ以上おっしゃってはなりません!」
「……玉兎?」
 内裏から大急ぎで追ってきたらしい黒い石碑が、一行の前に回りこんだ。かん高い声で命じる。
「あなたさま方がお知りになる必要はございません! すぐに宮へお戻りください!」
「玉兎」
 太白が進んで、人ならぬ召使いの長に片手を当てた。
「もういいのよ。紺天宮は変わってしまったの」
「しかし――」
「あなたにもあれはどうしようもできないんでしょう?」
 太白が指差したのは頭上だった。門内から上空は見えないが、空のことだ、と杏は悟る。
 玉兎はしばらく沈黙してから、観念したように言った。
「ええ。……紺天宮そのものの世話は、金烏の仕事でしたから」
「金烏が亡くなったのは、星帝のお隠れを知ったからね? 今まで知らなかったのね?」
「正式な使者がなかったというだけのことでございます。地上を行き来しているわたくしたちは、うすうす感づいておりました。――でも、わたくしたち宮卒は、正式な命がなければ動いてはいけないのでございます」
「けれども最近、それがあった。……紺天宮の閉鎖を命じる命が」
「……ええ」
 玉兎の返事に、媛たちがざわめいた。詳しく話しなさいと太白に促されて、玉兎が言った。
「この紺天宮を造られたのは、実は先の星帝陛下なのです。陛下は地上に後宮を持っておいででしたが、それとは別にあなたさま方のような美しい少年をも愛しておられたので、邪魔の入らない天空に紺天宮を造ることを命じられました。
 ところが金烏がその仕事に取りかかった直後、反乱がありました。陛下の居所も国の様子もわからなくなり、わたくしたちに命令する者はいなくなりました。わたくしたちはただ、自らの性にしたがって、先の陛下のおっしゃったとおりに紺天宮を造り、あなたさま方をお連れして、おのこだけの後宮を保ち続けたのです。
 しかしそれもこれまで。――ご覧のように、新しい命が浮舟で届きました。地上に再び国が栄え、新帝陛下が即位されたということです。しかし今度の陛下は稚児に興味がなく、紺天宮を閉鎖するよう命じられたのです。
 金烏は、だから自決したのです。数百年にわたる彼の苦労と、星帝をお迎えするという彼自身の存在意義が失われたために……!」
 あの白い大きな石碑が何者だったのかを、杏たちは初めて知った。媛たちの世話ではなく、この世界そのものの手入れをしていたのだ。道理でいつも妙なところにばかりいたわけだった。
 太白が、少し寂しげに言った。
「私はたまたまこの近くにいて浮舟が着いた音に気づき、舟に入って知らせを聞くことができたわ。でも、私が気づかなかったらどうしていたの? 玉兎」
「できる限り長く、あなたさま方をお世話するつもりでした。今までと同じように」
「でも、それは無理。金烏が最後の手を打ってしまったから。私たちはもう、新しい生き方を探さなければいけない。……そうね? 玉兎」
 玉兎は赤い一つ目を弱々しく明滅させ、できる限りお守りいたしますと言った。
 太白が振り向いて声を上げた。
「皆、心を決めて。私たちはもう媛ではないの。これからは自分の力で生きていかなければいけない。けれども得るものもあるわ。それを頼りにがんばりなさい――これよ!」
 そう言うと太白は外門の前へ行き、赤い大きな取っ手をぐいと引いた。地上よりも星に近い死の世界である、天空への扉がぎりぎりと開き、媛たちが悲鳴を上げかけた。
 その声が、尻すぼみに消えた。
「――自由よ」
 扉の隙間から暖かく強い風がどっと吹きこみ、それに耐えてから目を開けると、一面の緑野が広がっていた。
「うわ……あ」
 媛たちは目を丸くしておずおずと門を出る。玉兎に率いられた宮卒たちがその周りを守る。紺天宮は丘の上に舞い降りていた。丘のふもとは広大な草原で、野生の馬たちが数百頭の群を作って草を食み、その向こうには輝く湖が見えた。
 金烏がしたのはそれだった。――終焉を悟り、紺天宮を降下させたのだ。
 湖藍媛は、足が震えて倒れそうだった。見たこともない広い世界、どんな危険が、敵がいるかも分からない世界。
「いや……」
 首を振って宮の中へ戻ろうとした時、後ろから肩を押さえられた。振り向くと太白が立っていた。微笑みながら思いがけないことを言う。
「あなた、宮へ来る前のことは覚えていて?」
「え? いえ、私は……」
「私は覚えているわ。大きくて暖かな家だった。戻ればきっと迎えてもらえる。……よければ、あなたも来なさいな」
 湖藍は耳を疑い、次いでそのことに気づき――太白の胸に深々と身を預けた。
 世界が変わっても、この人は自分を必要としてくれるのだ。

「葡萄ちゃん葡萄ちゃん葡萄ちゃん、なにあれなにあれなにあれ!」
「杏ちゃん、ちょっと待ってっ!」
 馬の群に向かって駆け下りる杏に手を引かれながら、葡萄はちらりと空に目をやる。
 それはもう、闇に近いほどの暗さをたたえてはいない。明るく暖かく柔らかい水の色だ。
 ずっと見たかった、宮の外。
「噛むかなっ? ねえ、噛むかなあ!」
 杏は馬を間近に見て興奮のきわみだ。その辺の草を引き抜いておっかなびっくり鼻先に突き出し、ばくりとかじられてものすごい悲鳴を上げる。宮卒が滑ってきて馬を追いはらうと、泣きそうになって抗議する。
 不安などこれっぽっちも抱いていない。杏はいつも前向きで明るい。彼女がいてよかったと思う。葡萄一人なら、たとえ宮の外に出られても怖くてうずくまってしまっただろう。
 だから葡萄は、くすぐったい思いでささやくのだ。
「逢ひみての 後の心にくらぶれば――」
「葡萄ちゃん、あれっ兎ッ!」
 全力で走る杏を、葡萄も笑いながら追いかけた。


―― 終 ――



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