top page   stories   illusts   BBS
プロローグ
第二章
第1章 
――親友と、家で。

 1.
 県立G高校。四月三日、入学式。
 町からやや北に離れたこの学校は、その日、少し肌寒い朝を迎えた。
 校門を通りながら、白沢優水は、頭上の桜を見上げた。満開を少し過ぎてしまったところだ。そよ風が吹くたびに、ハート形の花びらが、吹雪のように降りそそいでくる。
「……すてき……」
 思わず、声が漏れた。それだけで、親の言い付けに反抗してまで、首都圏の私学ではなく地元のこの学校に入ったことが、正解だったと思えた。
 ごく平凡な県立高校であるこの学校に入ったのは、特別な理由があったからではない。ただ、中学までの自分が嫌だったのだ。
 大物の経済人として名を知られる父と、教育者の母は、仕事に向ける厳格さを、そのまま優水にも向けていた。親にすべてを決められる人生に嫌気が差したのが、中学も半ばのころ。
 自分の人生を生きたい、と思ったものの、ドロップアウトするには潔癖すぎた。ささやかな反抗は、別の面ですることにした。親に内緒で願書を受け取り、地元の普通の高校を受験したのだ。
成績と素行、ともに問題がなかったおかげで、優水は晴れてこの高校に入学した。だが、親はいまだに納得していない。
でも、と優水は胸の内で考えている。こうして、自分の力で何かができることが分かったんだ。これからはパパにもママにも頼らない。もっともっと、二人をびっくりさせるようなことをしてやるんだ。
 優水は、身にまとった紺サージのセーラー服を愛しげに見つめた。着慣れない新品の服が、敏感な二の腕や脇腹にくすぐったさを覚えさせる。私学の高校生が着るような名のあるデザイナーの手になるものではない。何の変哲もない制服だが、それが、自分の成功を表す一番の勲章のように、優水には思えた。
「さあ、これから新しい生活が始まるぞ」
 小さく声に出して言った。照れくさい。小声で笑い、顔を上げたとき、優水は不思議なものを見た。
 ざあっ、とうずまいた桜が、一人の少女の周りできれいな円を描いたのだ。
 黒い髪、黒いかばん、奇妙に真っ黒なセーラー服。そして、小作りな顔の中の銀の瞳。
 少女が、優水を見つめた。その顔が、笑ったように思えた。
「……きれい……」
 自然に賛嘆の言葉が口をついた。その時、また桜が舞った。
 体を包むような花嵐に思わず目を閉じ、もう一度目を開いたとき、黒い少女は背を向けて歩み去るところだった。
「……誰だろう?」
 つぶやく優水を、周りを歩く新入生の男子たちが見つめる。彼女自身も、意識はしていないが、素晴らしく美しかった。未発達な細身の体、後ろでしばった絹糸のように細い薄茶色の髪、子猫のように丸く大きな瞳。それは、まだ少年のあどけなさを残す男子たちにとっても、十分に庇護心をそそる姿だった。
 グラディナと優水の、出会いである。

 新しい生活にうきうきしている優水にとっては、始業式さえ退屈ではなかった。
 ただ、それが長すぎたのが問題だった。
 講堂に整列した生徒達に向かって、舞台の上で初老の校長が懇々と訓話をたれている。真面目な優水は聞き逃すこともせず、それを一心に心に留めていた。あなたたちの前には、これからいくつもの困難が待ち構えている。だが、それに負けないよう頑張ってほしい。友人をたくさん作り、仲間たちと力を合わせて、その困難を乗り越えてほしい――。
 話がだんだん聞こえにくくなる。いけない、と思ったときはもう遅かった。優水はもともと体が強くない。ひざが笑っている。それが、かくんと折れた。だめ、倒れちゃ……。
 すっと手が伸びて、その体を支えた。
「……え」
「大丈夫?」
 ぼんやりと優水は、目の前の顔を見つめた。それは、校門のところで見た、あの少女の顔だった。列のすぐ前に立っていたのだ。どうして気づかなかったんだろう、と優水はぼんやり思った。こんなに、素敵な人なのに……。
「疲れたのね」
「……はい」
 かすかな声が出た。少女は意外に強い力で優水を抱え直し、ゆっくりと床に座らせた。
 そのまま離れるかと思ったが、少女は優水の背に腕を回してきた。ツン、と冷たく涼しい香りが鼻をつく。ミントに似た、だがもっと甘い香りだ。
 ぎゅっと抱きしめられる。暖かい体温が制服越しに伝わる。花冷えの講堂の空気にさらされた身に、その温もりがうれしかった。柔らかなふくらみが胸に当たり、圧迫で形を変える。あ、おっぱい大きい、と脈絡もなく思った。思ったとたん、意識したことが恥ずかしくなって、顔を赤らめる。
 少女の接触は、それで終わらなかった。ほおとほおが触れ合う。優水は真っ赤になった。両親以外の他人とそんなふうに触れ合ったことは、初めてだった。同性だ、ということは気休めにもならず、むしろそれが奇妙な興奮を心に呼んだ。
 上半身全体に、少女の柔らかな体が密着している。気を静めれば鼓動まで感じられそうだ。貧血のせいもあって気が遠くなりかけたところで、深い淵のように静かな声をかけられた。
「……熱はないみたいね」
 すっ、と少女の体が離れた。待って、と言う言葉がのどまで出かかった。このまま触れてもらって、そして――どうしてほしかったのか、優水は考えたが、分からなかった。それはまだ、優水の知識になかったのだ。
「先生を呼んでもらえる?」
 少女が顔を上げて言った。声をかけられた小学生のように押さない顔だちの男子が、まるで初めて気づいたように二人に目を走らせ、それからあわてて手を挙げた。
「先生! 倒れちゃった人がいます!」
 壁際に並んでいた教師が、足早にやってきた。見えない距離でもないのに、教師も気づかなかったらしい。どうしてだろう、と優水は不思議に思った。
 薄れる意識の中で、優水は聞いた。
「……あなたは?」
「私はグラディナ。あなたは?」
「しらさわ、ゆみ……」
 優水は気を失った。

 気が付くと、ベッドの上だった。
 蛍光灯の灯った白い天井、周囲を囲うクリーム色のカーテン。寝かされているのは、鉄パイプを組んだ簡素なベッド。
 保健室だ、と優水は理解した。
「あら、もう気が付いたの?」
 足元のカーテンが開け放たれていて、そこから声がした。そちらを見ると、まだ二十代半ばに見える白衣の女性が、メガネを机において立ち上がったところだった。
「ちょっと待ってね、いま水をあげるわ」
 差し出されたコップの水を飲むと、ようやく人心地が付いた。
「すみません、あたし、倒れちゃって……」
「いいのいいの。入学式で倒れる子は毎年出るのよ。受験勉強の徹夜でみんな疲れてるからね」
「あたし……」
「一年二組、白沢優水さんね。ちゃんと分かってるわ。私は校医の槙田緑。よろしく」
 女性はそう言ってウインクした。さばけた人のようだった。
「図らずもあなたの友達二号になっちゃったけど、保健室で会うようなことは、そんなにないほうがいいのよね」
「二号?」
「一号は、こちらに」
 緑が、芝居がかった動作で横のカーテンを引いた。そこに、見知った顔があった。
「あ……」
「グラディナさんよ。日系人だって。よかったわね、いきなりエキゾチックな友達ができちゃって」
 言われて、優水はグラディナの顔をまじまじと見つめた。髪は黒、肌は白だが、瞳の色が印象的な銀色だ。一度見たら忘れられないような、美しい澄んだ銀。
「……外国人、珍しい?」
 穏やかに聞き返されて、あわてて優水は視線を外した。人の顔をじろじろ見ちゃいけません、と耳の奥で母の声が言っていた。
「すっ、すみません!」
「いいの。見とれてくれたんでしょ? ありがとう」
「ふーむ、優水ちゃんは生真面目さん、グラディナちゃんは、すごい自信家だと」
 緑が、いたずらっぽく言って手帳に何か書き込んだ。二人の視線に気づいて、手を振る。「仕事がら生徒を覚えるのが趣味なの。気にしないで」
 そういうと、緑は手帳を机においた。
「さーて、あたしはこれから職員会議だから。グラディナちゃん、優水ちゃんが元気になったら、教室に連れてってあげてね。北館一階、奥から二つめよ」
部屋を出るときに、緑は振り向いた。
「二人とも、すごく可愛いから、男子たちには気をつけるのよ。羊に見えても狼ばかり、それが高校なんだから」
「ここにもいるわ」
 グラディナのつぶやきは、届かなかったらしい。校医は、そのまま廊下へと消えた。
「……ここにもって?」
 優水は、顔を上げて聞いた。グラディナは、優しい笑みを浮かべて、そのそばに腰を下ろした。
「私、どう見える?」
「どうって……」
 優水は、もう一度グラディナの姿を眺めた。
 中肉中背、と言う表現では、正しいが何も表していない。制服の上からでも、その体が均整のとれたラインを描いているのが分かる。顔立ちは整っていて日本人離れしたくっきりとした目鼻立ちが印象的だ。中学のころの幼さが消え切っていない自分とはずいぶん違う、と優水は思った。羨望や嫉妬は湧かない性格だ。素直な賞賛を覚える。
「すごくきれいで……なんか非の打ち所がないって感じです」
「でも、狼よ」
 いきなり、グラディナは優水の体にのしかかってきた。一瞬の驚きは、すぐに無邪気な親しみに取って代わられた。
「きゃあ、くすぐったい!」
「油断してると、食べちゃうわよ」
「やだ、食べないで!」
 押し付けられた顔が、胸の間から首筋をはい回る。初めてされる強引な接触だったのに、押し付けがましい感じはまったくしない。その時になって、自分がシャツと下着だけなのに優水は気づいた。
 友達と背中に字を書く遊びをしたことがある。その時と同じ心地よさを優水は感じていた。肩の丸みをなぞっていたグラディナの鼻が、すっと離れた。また、講堂でかいだミントに似た香りがした。
 グラディナが体を離すと、用心深く毛布を胸前に引き寄せながら、優水はふくれて見せた。
「何するの?」
「ちょっと、味見」
 グラディナは、自分の鼻に細い指を当てた。
「優水ちゃん、いい匂いがしたわ。ミルクみたいな、おいしそうな匂い」
「……グラディナさんも、そうよ」
 真似して、優水は自分の鼻に指を当てた。それから、二人してぷっと吹き出した。
「さんはつけないで」
「じゃあ、グラディナ、でいいの?」
「ええ」
「あたしも優水でいいから」
「分かったわ。優水ちゃん」
「ちゃん?」
「だって、かわいいもの」
 子供扱いしないで、と言いかけて、優水はやめた。親にはやめさせた呼び方だったが、この相手ならいいや、と思えた。
「ね、聞いていい?」
「なに?」
「どうしてそんなに、真っ黒な制服なの?」
「これ?」
 グラディナは、襟以外、墨で染めたように真っ黒な自分のセーラー服をつまんで見せた。「黒が、好きだから」
「いいの? 校則では……」
「校則なんか、気にするの?」
 言われて、優水は言葉に詰まった。そうだ、これからはそんなもの気にしないことにしたんだ、と自分に言い聞かせる。
「ちょっと意外だったから。ううん、それ、すごく似合ってる」
「そう? ありがとう」
 グラディナは、笑った。すてきな笑顔だった。優水は、片手を差し出した。
「友達になってくれる?」
「こっちこそ、お願い」
 グラディナは、返事の代わりにまた抱き着いてきた。こんどはじゃれるようなくっつき方ではなかった。腕が背中に回され、肩甲骨の谷間に軽く指が食い込んだ。押し潰された乳房の先端が、下着の内側にこすれて、ごく小さなしびれのようなものを優水は感じた。
 顔が寄せられ、ほおに触れた。軽いキスだった。優水は顔を赤らめた。
「お返しっ」
 優水は、自分からグラディナのほおに唇をつけた。暖かく、信じられないほど滑らかな肌だった。
「よろしく」
グラディナがささやいた。その瞳が、にぶく輝いた。
 優水はまだ気づいていない。知らないのだ。グラディナの指の動きが愛撫であることを。 友達同士の関係しか知らなかった優水は、性の快楽の扉を開いていくグラディナに対して、完全に無防備だった。

 私は教室を見回した。一年二組、三十二人。男が十七人、女が十五人。みな若くて、体力も精神力もありあまっている。そのような人間が集団で長く暮らす場所を探したのだから、当然だ。
 今の私は人の姿をしているし、太陽が空に位置する昼間でもある。大量の魔力を使えば天の神にも感づかれる危険もある。それほど強い魔力は使えない。
 だが、人の体と心を見通すぐらいのことは造作もない。軽く調べたが、子供を作るのに不都合な体の人間はいないようだ。
 それどころか、男も女も、精力にあふれている。誘えばすぐに男根を硬くし、淫液をしたたらせるに違いない。
 昔この世界へ来たおりには、少ない食べ物を巡ってやせこけた人間たちが争いを繰り返していたものだが、今のこの世の豊かなこと! 心はともかく、体の成熟の具合は一昔前の二〇代の人間に匹敵している。成熟を待つ必要もないぐらいだ。
 とりあえず足掛かりとして一人。白沢優水。疑うことを知らない清らかな心の持ち主で、器量もよく、体もほぼ健康で、そのうえ都合のいいことに、ちょっとした悪への好奇心までもっている。初めの一人にするには絶好の獲物だ。体はやや未発達だが、おかげでと言うべきか当然と言うべきか、処女。狙っている間に、ほかの人間の男にはらまされる心配はないだろう。
 注意するべきはどこの世界にもいる掟破りの暴漢だが、守るぐらいはわけもない。いざとなったらしもべを呼べば済む。彼ら程度なら天にも感づかれない。
ほかにも落としがいのありそうな男女がたくさんいる。
 音山朋子――長身で髪の短い、かもしかのように俊敏な娘だ。学校では、この国一番の運動競技会――インターハイに出場するつもりでいる。その肉体はたわめられたバネのようだ。体力に満ちているから、いい子をはらむだろう。
 鍵田恭一――入学式のときに教師を呼ばせた童顔の少年だ。年にそぐわないという点では優水と好対照で、小柄な子犬のように愛らしい見かけをしている。だが意外に足腰が強い。人に知られず毎朝家々を回って、何かを配る仕事をしている。しもべとして、体力の強い男は願ったりだ。性欲はごく普通。それも扉を開けば伸びる。
 佐倉千鶴――知能が高く、善良で面倒見がよく、学校が始まればクラスの中心になれるだろう。モラルも高い。何かの宗教を信じているらしい。その神は助けてくれないだろうが。 しかし自分の欲望とそのモラルに挟まれて、やや精神的に行き詰まっているところがある。自慰の経験もあるようだが、それもトラウマになっている。優水ほど世間知らずではない分、かえって自分の罪悪が明瞭に見えてしまうのだろう。
 これは向きさえ変えてやれば、逆の方向にも全力で突っ走るだろう。現在彼女が眉をひそめているようなことにでも。
 佐々木瞳――クラス一の美形だ、と自身で思っている。根拠は、芸能人だからだ。芸能人というから、何か道化のように芸を見せるのかと思ったら、これが違う。歌を歌い、劇を演じるのだと言う。どこが芸なのか分からない。それはどうでもいい。
 処女ではない。しかし別に夫がいるわけでもない。十四の時に十も年上の男と交わっている。それ以降も四人ほどの男と性交したようだが、どの場合も子を生むつもりはなかったようだ。性欲の高いのはよい。だが交尾は、子を産むためにするものだ。それを分からせてやろう。
 武藤雄介――これはいい体格をしている。柔道という格闘技の使い手だ。性格は単純で分かりやすい。悪を憎み、正義を立てる。しかし何を悪か決める根拠はかなりいい加減。性欲はあふれんばかりで、仲間たちといつも異性を犯す相談をしている。もちろん合意のうえで、と条件をつけてだが。冗談半分だろうが、嘘ではあるまい。下半身の方も申し分ない。毎日自慰をしている。毎日どころか一日何回もだ。適当な女さえあてがえば、唯々諾々と私に従うだろう。
 今枝香織――最初に見たときは異邦人かと思った。暗黒大陸や多島海方面の人間とよく似た姿をしている。黒い肌、金の髪、白い唇。強い異性を誘うための破廉恥なすその短い衣装。しかしれっきとした日本人だという。理解に苦しんだあげく、要するにこれは化外の民なのだ、と結論づけるしかなかった。異様な姿をすることで自己と他を識別し、もって権威への反抗を示しているのだろう。その点を除けば、まあ容姿肉体、問題ない。肉付きのいい、持ち重りのしそうな体をしていて、はらませるのに適当に思える。
 ほかにもいろいろいる。総じて、まったく性欲のない坊主のようなのはいないようだ。もっとも、坊主という人種は結構腹の内でよこしまなことを考えているものだが。
 教室はまだ静かだ。顔を合わせたばかりで、互いに警戒している。その心の動きを見ていると、いくさよりもよっぽどおもしろい。
 私が、隅の机でそんなことを考えていると、そばにおいたかばんがひそひそ声で言った。「……三十一匹の小羊たち、はたして全部落とせますかな……」
「三年もあるのよ。この学校は途中でのクラス替えがないから」
 周りを見回す。気づいた人間はいないようだ。
「それに、三年もいらないわ。次の春までには、全部手にして見せる」
「誰としゃべってるの?」
 わたしは、ゆっくりと振り向いた。ちょっと驚いている。話しかけられるとは思わなかったから。
 隣の席に座っていた少年だ。名前は――澄田光一郎。やや細身ですらっとした体つき。線の細い顔立ちで、どちらかといえば女性的とさえ言える。よく見てみると、かなりの美形だ。性格は明朗、成績は上の上、優しく、温かく、時に厳しい性格。性欲は――
 そこまで見抜いたとき、妙な違和感を感じて、わたしは相手を見直した。澄田が私の目を覗きこむ。
「あれ、目、変わってるね」
「――日本人じゃないから。変?」
「ううん、素敵だ」
 女好きなところもあるのかと思ったが、どうも違うらしい。これは単純なほめ言葉だ。
 天真爛漫な笑顔で、私をじっと見ている。違和感の正体が分かった。彼の心には、曇りがまったくない。性欲がないのだ。そんな人間は初めて見た。妙だ。
「お世辞、うまいじゃない」
「お世辞じゃないよ。本当に感動したからさ」
「ありがとう。あなた、いい人ね」
 意図的に体の向きを変える。短めにしたスカートから太ももを出して組み替え、流し目に近い事までして見せる。
「いい人? そんなでもないよ。僕は澄田光一郎。三年間、よろしく」
 少年は屈託なく笑って、片手を挙げた。
「わたしはグラディナ。よろしく」
 答えながら、わたしは内心舌を巻いていた。動揺が全く見られない。この年頃の普通の少年なら、わたしの肌に目を走らせるぐらいのことは当然するはずだからだ。わたしに魅力がないわけではない。完璧な魅力がある姿になっているのだから。
 こいつは、普通の人間ではない。そのことを、わたしは胸深く刻んだ。
「よ、この人、誰だって?」
 華奢な体つきの澄田の後ろに、がっちりした体格の少年が立って肩に腕を乗せた。例の格闘技を使う武藤雄介という少年だ。やや場違いながら、美女と野獣、という文句が浮かんだ。
「よろしく、グラディナよ。日本のことはよく分からないから、教えてね」
「よ、よろしく。俺は武藤って言います。こいつとは中学が一緒だったんだ」
「いい奴だよ。ちょっとガサツなとこ、あるけど」
「うるせえ、いきなりそんなこというな! 第一印象が悪くなるだろうが!」
 澄田の頭をがっちり抱え込んで、武藤はこぶしでぐりぐりと髪の毛をかき回した。そんなことをしながらも、目の端にわたしの太ももをとらえようとしている。これは正常な反応。あ、妄想を広げている。――早くもわたしを犯したいという考えを抱いている。
 武藤少年の妄想のパターンは、可愛らしいと言ってもいい。場所は部室という狭い部屋。時刻は授業後。居残り練習を終えた彼のところに、マネージャーという役割になったわたしが、運動用のシャツと黒い下着で現れて、真っ赤になって愛を告白する。彼はそれを受け止め、人気のない部室で思うさま交わる。――具体的でよろしい。
 いいわよいつでも、と言ってやりたかったが、ここはこらえる時だ。まだいくらでもチャンスはある。
 心の底の底まで見抜かれているとはつゆ知らず、武藤は純朴なスポーツ少年とやらを装って、やや上がり気味にまくし立てた。
「俺さ、柔道部に入るつもりなんだ。グラディナさん、よかったら一緒に入ってくれないか? マネージャーになってさ。先輩に口利くから。中学から付き合いのある先輩がいるんだ。みんな女の子には優しいよ」
 笑いを押さえるのに苦労する。なんて直線的な男だろう。わたしは注意深く微笑をたたえたまま、はぐらかした。
「まだ部活のことは決めていないから。でも、考えておくわ」
「あ、ありがとう!」
 見回すと、周りでもぼちぼち生徒たちの交流が始まっている。同じ学校だった仲間から始まって、席の近い人間に声をかける。みんな気持ちは同じなのだろう。新しい生活への期待を抱いて、照れくさそうに自己紹介しあっている。
 後ろを見ると、二、三人の女子と話していた優水が気づいて、手を振った。
「グラディナ! ね、こっち来てよ。今、またお友達できたから!」
 女子たちに交じって、自己紹介をする。私は、中南米の小国から来た日系二世の娘という触れ込み。適当な国名をでっちあげて説明したが、案の定、誰からも疑われることはなかった。
 そうこうするうちに、教室の前のドアが開いて、教師が入って来た。
 楽しみな日々が、始まる。

「上から八十五、五十六、八十六」
校医さんの槙田先生が読み上げた数字を聞いて、ため息が出た。
「一年生にしてこの数字を叩き出すか……しかもシルクなんかはきやがって、うーっ、くやしい」
鉛筆を回しながら、先生がため息をつく。あたしも同感。グラディナのスリーサイズは、服の上から想像した通り、完璧だった。
 つやっとしたシルクのシャツとパンツ姿のグラディナが、横にどいた。
「ほら、優水ちゃん」
 笑ってる。なんとなく落ち込みながら、あたしは前に出た。
「えーっと、次は白沢優水ちゃんね。はい、腕上げて。ほら、おなか引っ込めない!」
 ブラジャーは中から外してある。シャツの上から、槙田先生のメジャーが体に巻かれた。上から三カ所、すっすっすっと手際よく計られる。
「七十九、五十四、八十」
 ……もう、身体測定なんて誰が考えたのよ!
「ふむ、スタンダードサイズね。どしたの? 暗い顔で」
「だって……」
「気にしなさんな。まだ先は長いんだから」
「なまじ大きいと、年とってから垂れるだけよ」
 先生は慰めてくれたけど、あたしの後ろの後ろから、つるちゃん――佐倉千鶴ちゃんがひとこといったので、じろりとにらんだ。
「それは、私へのあてつけかね」
「え? そんなつもりじゃ……」
「よいよい、ほら、腕上げて!」
 つるちゃんが腕を上げる。彼女、級長になっただけあって頭もいいしすてきな人だけど、ちょっとひとこと多い人みたい。
「七十八、五十五、八十一!」
 測定の列から離れて、あたしは隅のテーブルの方に行った。空き教室をひと部屋締め切っての身体測定。並べられた机の上に、みんなが脱いだ制服がおいてあって、順番が済んだ子たちが着替えている。グラディナは、一目で分かった。
 まっくろな制服のせいだけじゃない。ほんとに、お世辞じゃなく、プロポーションが抜群なんだ。二組と三組の女の子、三十人ぐらいが、下着だけの裸に近い格好で立ってるけど、その中で一際目だっている。
 新雪みたいに真っ白なきれいな腕がセーラー服の袖に通され、くるっとしたお尻がスカートのフレアの中に隠されて行く。あたしは、ちょっとのあいだぼーっとそれを見てた。
「優水ちゃん、エッチ」
 はっと気づくと、着終わったグラディナが、切れ長の目で笑いながら見ていた。あたしは、赤くなって自分の制服を探した。後ろからグラディナが言う。
「私の裸、そんなに見たい?」
「そんなんじゃないよ」
「でも、見てた」
「違うって! ちょっと、感心しただけ」
「優水ちゃんだって、すてきだったわ」
「ひゃっ!」
 後ろから、ちょんとお尻をつつかれて、あたしはあわててスカートを引き上げた。 
「やめてよ! からかうの」
「からかってなんかないわ」
「うそ! グラディナ、そんなにきれいなのに……」
「そう? 私は、優水ちゃんの体、すてきだと思うけどな。ほっそりしてて、余計な肉がついてなくて」
 振り返ると、グラディナがじっと見てた。――ちょっと視線が強すぎる。わけもなく胸がどきどきして、あたしは目をそらした。
 でも、ほめられたのはうれしい。相手がグラディナだから、なおさらだ。
「……ほんとに、すてき?」
「ええ。食べちゃいたいぐらい」
「ほらそこ! レズってないで、着替えたらすぐ出て行く!」
 槙田先生の大声が飛んできた。気づいてみると、周りの子が、またやってるよって顔でこっちを見てる。
「はっ、はーい!」
 あたしは、あわてて答えた。

 入学式から三週間。
 少しは心配もあったけど、始まってみると、高校生活は思ったほど大変じゃなかった。この学校は進学校じゃないとかで、勉強もずいぶん楽。でも、それを言ったら、周りの子にブーイングされちゃった。「やっぱり課題多いよー」って。あたしの通ってた中学校に比べたら、むしろ減ってるんだけどなあ。
 周りの子に聞かれて、そのことを答えたら、すごく驚かれた。「O女子中? バリバリのお嬢学校じゃん! なんでこの高校入ったの?」って。
 その反応に、まずいかなって思った。中学校では、いったん壁ができると、話にくくなっちゃう女の子が多かったから。でも、ここではそんなこともなかった。女子中の話はいろいろ聞かれたけど、その時だけでおしまい。みんな細かいことを気にしないみたい。やっぱり、よかった。パパの言ってた東京の私立に行かなくて。
 部活もいろいろあって、どれに入るか迷ってる。でも、多分今年は入らない。いつでも入れるって聞いたから、しばらくは様子を見たいし、それに、まだ男の子がちょっと怖い。 その男の子とは、まだあんまり話していない。なんだか避けられてるみたい。
 他の女の子では、結構男子と仲良くしゃべっている子もいるし、中にはもう付き合っている子もいるみたい。けど、あたしに話しかけてくる男子はまだいない。あたしから話すことも、できてない。
 心配になって、相談した。当然、相手はグラディナ。
「あたし、嫌われてるのかな」
「どうして?」
「だって、まだ男の子の友達いないし、部活も誘われないし……」
 そう言ったら、笑われてしまった。
「逆よ。あなた人気ありすぎるの」
「え?」
「クラスで一番のお嬢様じゃない、あなた。俺なんかが話しかけてもって、みんな卑下してるのよ。気づいてないみたいだけど、男子たちはみんなあなたのこと好きよ」
「……そうなの?」
「怖いのはあなただけじゃないの。男の子だって、初めての女の子は怖いわ」
「……そうなんだ」
 それを聞いて、ちょっぴり自信が湧いた。まだ男の子の友達はできてないけど。
 でも、心配はしてない。グラディナがいるから。彼女は、あたしが困って相談すると、いつも親身になって話を聞いてくれる。今では一番の友達だ。
 友達なんだけど――ちょっと困ることもある。
 それは、彼女が接近し過ぎてくること。ほっぺにちゅ、ぐらいなら子供のころに友達とやってたけど、制服を着るようになってからそんな友達ができるとは思わなかった。
「あいさつよ。あいさつ」
 グラディナはそう言って笑う。彼女の国では普通なのかな。女同士だから汚いとか不愉快とかは思わないけど、あんまり人目を気にせずすりすりされるから、戸惑っちゃう。周りの子は最初変な目で見てたけど、もう慣れたらしくって、今では、あたしがグラディナに抱き着かれていても、笑ってて助けてくれない。
 そして昨日は……ついに、唇まで奪われちゃった。
 場所は、更衣室。体育のために着替えてるとき、ちょっともたもたしてたら、いつの間にか誰もいなくなってて、後ろからグラディナに抱きつかれちゃった。そのまま、唇と唇を重ねて――うわー、思い出しただけでドキドキする。ファーストキスだったんだけど、全然もったいなくない。足が震えるほど、すてきだったから。
 そう、あたし、それがイヤじゃなかった。イヤって言えばグラディナはやめてくれる。それは分かってたから、イヤになったらやめればいいやと思ってたのに、最後までイヤじゃなかった。だから、とうとう触るまで続けてしまった。――舌が。
 レズって、詳しく知らないけど、こういうところから始まってくのかも。彼女にそうなのか聞いてみたいけど、怖くて聞けない。うんって言われても、やめられないだろうから。その瞬間から、あたしたち本当のレズになっちゃうから、聞けない。
 あー、なんてことだろ。高校に入ったら、いっぱい友達つくって、男の子の友達も作って、みんなで楽しくできたらって思ってたのに……一番最初にできた女の子の友達と、こんなことになっちゃうなんて。想像もしてなかった。
 でも、やめたいとは思わない。グラディナが相手なら……なんだか、どこまでででも行けそうな気がする。
 ……こんなこと言ってるあたし、大丈夫かなあ?

 2.
 駅舎の軒からしたたり落ちる滴に手を差し出しながら、グラディナがつぶやいた。
「走り梅雨ね」
「なに? それ」
「こんなふうに、さつきの始めごろに天気が崩れて三日ぐらい続く雨を、昔のひとはそう呼んだのよ」
「へえ、どこで知ったの?」
 聞きながら何げなく顔を上げた優水は、相手が向こうをむいて舌を出しているのに気づいた。
「どしたの?」
「ん、なんでも」
 グラディナは首を振った。――日本のことは、この千年の間に五、六回訪ねているので、何も知らないわけではない。だから外国人という触れ込みのわりに詳しいこともある。優水の前でぼろを出してしまったことも何度かあったが、彼女が天性のおっとり型なので、気づかれないで済んでいた。
「傘、持ってる?」
「ううん、今日は降らないと思ったから……」
「はい」
 グラディナがかばんから出した折り畳み傘に、優水は手品を見せられたように目を丸くした。別にグラディナは用意していたわけではない。たった今、忠実なしもべがいずこからか取り寄せたものだ。
「自転車は危ないから、歩いて帰りましょ。あしたの朝、歩きになっちゃうけど……」
「いいよ。グラディナと相合い傘なら」
 優水は、おどけた調子で言った。優水の家とグラディナが一人暮らししているマンションは同方向だ。これでちょっぴり長く一緒にいられる、その程度の気持ちだった。
 ところが、ことは冗談では済まなくなった。
 時間は三時すぎ。私鉄沿いの住宅街で、まだ帰宅ラッシュは始まっていない。家への道は商店街とは反対で、しとしとと降り続く雨のせいもあって、人通りも少ない。
 時おり車がシャーッと通り過ぎるだけの道路を、肩を並べて歩いて行くうち、話すこともじきになくなった。優水は歩道の前を見て、それから後ろを振り返った。誰もいない。
 今、二人っきりなんだ、と思ったとたん、優水は胸がどきんと鳴るのを感じた。二人きりの時に今までグラディナにされてきたことが、脳裏に次々とよみがえる。
 保健室で、教室で、更衣室で、廊下で。すりよせられた甘い匂いのする頬と、柔らかで温かい唇が、ただの記憶とは思えないほどのリアルさで思い出される。
 ううん、それはただの記憶じゃない。――優水は、指の幅二本分ほど背が高い、隣のグラディナの顔をちらっと盗み見た。この子と、実際にしたことなんだ。
 そう思ったとたんに、グラディナがすっと顔を向けた。形のいい紅の唇が開く。
「優水ちゃん」
「えっ?」
 何を思う間もなく、唇を重ねられた。傘の柄が優水の肩に落ち、二人の姿を道路から隠した。その向こうを、シャーッと水をはね飛ばしながら車が通り過ぎる。
「ん……」
 傘の下の薄闇の中で、息が苦しくなるほど唇を吸われながら、優水は抵抗しなかった。もういいや、と思った。こんなに、膝ががくがくするほど気持ちいいんだもの。女同士だって、かまわない……。
 長い抱擁のあと、グラディナの体が離れた。がっくりと倒れかけてなんとか踏みとどまった優水は、わずかな間、ぼうっと立っていた。
 何事もなかったように、グラディナが歩きだした。小走りに走って、その傘の中に追いつく。
しばらく、無言で二人は歩いた。幹線道路を外れ、閑静な住宅街の外れにたたずむ、建仁寺垣に囲まれた平屋の日本家屋に着く。そこが、優水の家である。
 足を止めたグラディナにさよならを言うことが、いまの優水にはできなかった。雨に湿った細い髪をかきあげるふりをして決心を固めてから、喉に詰まりそうになる言葉を、苦労して口から押し出した。
「あの……寄ってかない?」
「……どうして?」
「少し冷えたから……お茶でも出すよ。それにほら、現社の課題、一緒にやらない? 半分ずつで」
「……いい考えね」
 グラディナがうなずいた。それを見ながら、両親がふたりとも仕事で出ていることを、優水は思い出していた。

 丸い波紋がいくつも重なる心字池で、育ち切らない小さな鯉がぱしゃんとはねた。
 飛石の連なるその池の向こうには、だいぶ腰の曲がった松が一本、苔むした石灯籠の上に黒い枝葉を差し伸べている。
 筧から流れ出るちょろちょろ言う水の音が一時とぎれると、短い空白のあと、カーンと澄んだ音が聞こえた。
 庭園を囲む母屋の、玄関からかぎの手に曲がった突き当たりにある優水の部屋から、黒光りする板張りの縁側越しに、グラディナはその光景を眺めていた。
 今時珍しい、旧家のたたずまいだ。道路から遠く、隣の家とは竹林で隔てられている。鹿おどしの張り詰めた音が時折響くほかは、蕭々と降り続く雨のささやきだけが部屋に忍び込んでくる。
 障子をしめて、グラディナは部屋の中に戻った。京間八畳の畳敷きで、広さが古くささを補っている。壁側に本棚、机、鏡台、タンス。いずれも古く、多分優水が子供のころから使っているものだろう。部屋中に彼女の甘ったるい体臭がしみついているから、おそらく彼女は、昔からこの部屋で暮らしてきたのだ。
 レースをかけられた鏡台の上のくしやリップクリームが、きっちり整頓されている。それが彼女の性格だ。ヘアピンやカチューシャなどの女の子らしい小物の間に、両親の写真が立てられていたので、グラディナはそれを伏せた。
 部屋の真ん中に小机。猫の形をしたクッションがほうり出された床を挟んで、反対側には、ふすまを殺す形でベッドがひとつ。布団の上げ下ろしまではさすがにしていないらしい。その辺は、優水も現代の女の子らしかった。
 きれいに整えられたベッドに腰掛けて、親譲りらしい手ずれのした本と数冊のマンガが並べられた本棚を見つめていると、廊下にぱたぱたと足音がした。
「ごめん、待たせちゃって」
 優水が、丸盆にポットとティーカップを乗せて入ってきた。小机に出されたのを見ると、食器は金と青で縁取りされた上等そうな磁器だった。いずれ名のある品だろう。カップに注がれた金色の液体が湯気を立てる。匂いは甘い。オレンジ・ペコか。
 和洋のミスマッチが、優水を中心としてうまくまとまっている。グラディナは笑った。
「はい、お茶。――どうしたの?」
「ううん、すてきなおうちね」
「そう? あたしは、陰気であまり好きじゃないけど」
「お母さんは?」
「うちはお母さんも仕事なの。夕ごはんは、六時になると通いの家政婦さんが来てくれるから……一緒に食べてく?」
 優水は、柱の古風な鳩時計を見た。四時少し前。あと二時間あまりは、誰もいない、誰にも見られないこの家の中で、二人っきり。
 視線を下ろして、ティーカップに口をつけているグラディナを見つめる。さっきから、胸のざわめきが収まらない。息をする音を聞かれそうな気がして、呼吸を押さえようとした。――できない。心臓が、高鳴りっぱなし。
「グ……グラディナ?」
「なに? もう始める?」
「は、始めるって、なにを……」
「課題」
「……そうそう、そうだよね。課題課題……」
 あわてて優水はかばんを探した。机の横に立ててある。体を伸ばして取ろうとしたとき、袖口がポットに引っ掛かった。倒れて、熱いお茶が流れ出る。
「つっ!」
 グラディナがぱっと手を引いた。優水はあわててその手を取った。
「ごっ、ごめん! 大丈夫?」
 グラディナの手の甲が赤く染まっていた。どうしよう、とあわてて考えたとき、その手が口元に差し出された。
「熱いわ、優水ちゃん」
「グラディナ……」
 赤くなった手を見、グラディナの歪んだ顔を見てから、もう一度、優水は手の甲を見た。白い、小作りの手。ピンク色の細い爪。
「優水ちゃん」
 顔を寄せたグラディナが言った。優水は、ぶるぶる震える手で、親友の手を口元に寄せ、舌を伸ばした。
 舌が触れた。まだお湯の熱が残っていた。冷まさなきゃ、手当てしなきゃ、そう自分に言い聞かせながらも、考えるのは別のことだった。
 ぴちゃぴちゃと小さな音が、部屋の中に響く。その音に、荒い呼吸音が交じり始める。二人の息が、荒くなっていくのだ。
 いつしか、優水はグラディナの火傷のところ以外にも舌を伸ばしていた。いつからそうなったのか分からない。だが、グラディナは拒まず、優水もやめなかった。
 指の関節に唇をはわせ、指のまたに舌を伸ばし、裏返して手のひらのしわに舌を押し付ける。親指の付け根のふくらみを軽く甘噛みする。触るだけじゃ足りない。味わいたい。そんな思いが優水の胸をざわつかせる。手首へと移るころには、肌に透明な唾液の後が残るようになった。
 優水は、自分を抑えることができないまま、グラディナの手をなめ続けた。なめながら、自分の体が熱くなっていくのを感じていた。
 はあ、とため息をつく。愛撫がいったん止んだそのときに、グラディナが二人の間の小机をわきに押しやった。顔を上げた優水は、そのまま、体をグラディナの胸の上に倒れ込ませた。
 息の荒さは、もう隠すことができない。熱い吐息が、制服に染みてグラディナの胸の肌まで届き、そこで汗と交じって露に戻っているのが分かる。逆にグラディナの吐息も、髪にかかる。
 おんなじだ、と優水は気づく。グラディナも、興奮してる。
 もう、止まらない、と優水は思った。
「グラディナ……いいの?」
「なにが?」
「……誘ってるの?」
「手を出したのは優水ちゃんよ」
 そうだ、と優水は気づいた。したかったのは、あたしなんだ。グラディナが悪いんじゃない。今まで拒まなかったあたしが悪いんだ。
 そして、もう戻れない。
「グラディナ……あたし、あなたがほしい」
 興奮と緊張でしわがれたような声を、優水はグラディナの胸に向かってささやいた。同じようにかすれた声が、優しく届く。
「どうしたいの?」
「わかんない。……でもあたし、やめたくないの。あなたともっと、したい……」
 優水は、顔を上げて訴えるように言った。
「体が熱いの。もっとあなたに触りたいの。でもどうしたらいいかわからない。教えてよ、グラディナ」
「ディナって呼んで」
「……ディナ」
 優水は、溺れかけた人間が空気を求めるように、グラディナの唇にむしゃぶりついた。はしたない、みっともない、という思いが胸の片隅に浮かぶ。でも、自分を制御できなかった。体が相手を求めていて、頭でそれを抑えられない。そんなことは、生まれて初めてだった。
 助けを求めるようにがむしゃらにしがみついてきた少女を、グラディナは抱きしめながら引き上げた。後ろのベッドに横たえて、自分もその上に覆いかぶさる。
「グラディナ、ディナ……」
 うわごとのように言いながら、優水が手を伸ばしてグラディナの体を抱きしめた。何かを探るように、その手がグラディナの背中を上下する。
 グラディナの背筋を、心地よい愉悦が走っている。体をまさぐるられる気持ち良さだけではない。純粋無垢な少女の、閉じられた快感の蓋を開いた、眠っていた欲情を目覚めさせたという、征服感の喜びだ。
「優水ちゃん、かわいい……」
 もどかしげにキスを求め、愛撫を求めて小魚のようにばたつく優水の体を、グラディナは胸の下にしっかり押さえ付けた。優水の両足が二度、三度ともがき、そのたびに紺サージのスカートが上へとまくれ上がって行った。幼かったころから十年以上も彼女を見つめてきた天井に、白い太ももがさらされる。それは初めてのことではない。だが、その体が欲情の汗に濡れていくのは、初めてのことだった。
 交わりの知識を持たない優水は、体内で暴れる情欲の獣に突き動かされて、ただやみくもに体を動かし、グラディナにあちこちを押し付けるだけだ。グラディナは巧妙に手の動きを受け止めて、彼女の快感を増幅していった。
「あ……!」
 優水が目を見開き、びくんと体をこわばらせる。スカートから引き出されたシャツの下に、グラディナの手が滑り込んできたのだ。脂肪のまったくないすらりとした腹部を這った指が、肋骨の下端にちょっと引っ掛かって、それからブラジャーの下にもぐりこんできた。
 優水は、動きを止めた。口を引き結んで、青白い顔で天井を見つめる。
 その顔をのぞき込みながら、グラディナがささやいた。
「怖い?」
「少し……」
「大丈夫。何も怖くないわ。同じ女の子の体だもの。力を抜いて……」
 ほうっ、と息を吐いて、優水は目を閉じた。何も見えなくなったが、されていることはよくわかった。グラディナの手のひらが胸の丸みを包み、その指が小さな先端に届く。
 くるくると動き始めた指が送ってくれるしびれが、全身を侵食して力を奪っていく。背筋が寒い。頭がしびれる。はっはっはっ、と呼吸が浅く速くなって、息が苦しい。
 口づけしていた唇がほおを滑って、耳に届いた。耳たぶの中を柔らかいものがちろちろと刺す。吐息と一緒に、声が出た。
「くーん……」
「気持ちいい?」
 声が鼓膜から全身に広がる。溶かされちゃう、でも溶かされたい、と優水は思う。
「いい……なんか、力がはいんない……」
「もっとよくしてあげる……」
 グラディナは、頬をピンクに染めてあえいでいる少女のセーラー服の前を、ジッパーを下げて開いた。内で蒸されたようになっていた優水の甘い体臭と熱気がふわっとあふれ出す。少し湿った綿シャツの下に、Aカップのかわいらしいブラジャーが浮き出ている。少女の体を傾けて、グラディナはホックを外した。シャツごとカップを鎖骨まで押し上げると、優水が隠していた薄いふくらみとホワイトピンクの乳首が蛍光灯のあかりの下に現れた。
「ディナ、恥ずかしいよ……」
「そんなことない。とってもすてき」
「そんなこと言っても……人に見せたことなんかないもの……」
「見せてたらいやよ。優水ちゃんは、私だけのものなんだから……」
 私だけのもの、と言われると優水の胸に泉のように喜びが湧いてきた。あたし、グラディナのものになるんだ。グラディナに好きなようにされちゃうんだ……。
「ふあっ……!」
 かりっ、と乳首をかじられて、優水は悲鳴を上げた。痛みと思ったのは先入観からで、それは電撃のような鋭い快感だった。何度も歯と舌でなぶられるうちに、優水は先端が引きつるようにこわばっていくのを感じた。
「優水ちゃん……ここ、堅くなってきてる」
「いやぁ……言わないでよ……」
 薄目を開けると、いつの間にかグラディナも上着を脱いでいた。シルクのシャツが乳首に押し付けられる。グラディナが、そのまま円を描くように上体を動かした。目ではわからないほど細かいシルクの織り目が、敏感な先端にざらざらとひとつひとつ当たっていくのがわかる。その心地よくももどかしい感触に、優水は叫び声を上げた。
「それ……気持ちよすぎ……あたし、あたし変になっちゃう……」
「どんな感じ?」
「体中麻酔かけられたみたい……動かせないのに、すごくぴりぴりしてるの。続けられたら、気が狂っちゃう……」
「狂って。壊れて、優水ちゃん。私、あなたが壊れるところ、見たい……」
 グラディナが動き、乳首がこすられた。理性の許容範囲を越える快感が、波のように襲いかかってきた。優水は体を引きつらせた。
 こんなに気持ちいいことを体で感じられるなんて……もうどうなってもいい。壊れてもいい。
「壊して……ディナ……」
 腹の底から吐き出されたような熱いつぶやきを聞くと、グラディナは手を伸ばして、優水の下着に指をかけた。
「脱がせて、いい?」
「え……」
 うつろな表情のまま、声も出せずに優水が訊く。かまわずグラディナは動いた。
 少女の服は、その体を視線から守るためのもののはずだった。それが今は、視線を呼び寄せるために存在している。折れそうに細い体にまきついた衣服が、少女の清純さを凄艶さにまで昇華していた。導くグラディナも平静ではいられない。押さえ切れない興奮に胸を高鳴らせながら、壊れかかった少女のその姿を、グラディナはまたひとつ乱した。
 腰の後ろに手を回して、柔らかな木綿の布をくるくると巻下げていく。最も細い部分が離れるとき、そこは細い糸を引いた。グラディナはそこを見つめた。髪の毛と同じ、わずかに茶色がかったうすいにこ毛の奥で、血が上った優水の頬と同じ色の小さな花びらが、濡れて光っていた。
 気づいた優水が、今度こそ顔を真っ赤にする。泣きそうになりながら、それでもしびれのあまり体を動かせずに、小さな声で聞く。
「グラディナ……見てるの?」
「ええ。かわいい……」
「見ないでよぉ……」
 胸を触られるところまでならともかく、そんなことまで見られるなんて、優水は全く考えていなかった。そもそも、セックス自体を知らないのだ。しびれる場所を触ってほしい、そうは思っていたが、まさかそんな、死ぬまで人に見せることはないだろうと思っていたようなところまでこの遊びの対象になるなんて、信じられなかった。
「いや、そこはいや」
「ここがいやなら、優水ちゃん最後までいけないわよ」
「最後までって……」
「気持ちいいことの終点。気を失っちゃうぐらいの絶頂」
「……そんなこと、あるの?」
「あるわ」
 擦り合わせようとしたひざを、グラディナが強引に割り開く。二人の力が拮抗してひざ頭が震えた。だが、屈服したのは優水の力ではなく、欲望だった。この快感の果てにあるものを知りたい。行けるところまで行ってみたい。――優水は好奇心としか思っていなかったが、それは雌の本能だった。あることも知らなかった自分の体内の本能に負けて、優水はグラディナに体を任せた。
 グラディナの指が、小さな割れ目にもぐりこむ。それまで下着のさらさらした感触しか知らなかった優水は、ひっと息を呑んで体をこわばらせた。一番敏感で一番痛みを感じる場所に侵入する異物に、恐怖を覚える。
「ディナ、怖い」
 グラディナは取り合わない。二本の指を、ぬめらかな花びらとそのはしに当てて、くりくりと細かく動かして行く。
 液体に近いほど柔らかな肉の花びらが、ぬるぬると指先にまとわり付く。上端を探った指先に、小さな堅いものが触れた。その瞬間、優水が撥ねた。腹に当てた手の平に、びくびくと緊張する優水の腹筋が感じられる。彼女の恐怖と、それと背中合わせの快感が、グラディナにはこの上なく心地いい。
 縦溝を覆うように、グラディナは四本の指をもみこんだ。その下で親指に先端を探させ、ピクピクと逃げようとするその塊を追い回す。とろけ切っていた粘膜から、内からあふれる蜜に押されて、かすかに白い粘液がとめどもなくあふれ出してきた。
「濡れてる……優水ちゃん……」
 言われるまでもなく、もう気づいている。もっとも人に知られたくない所から止めることもできずに液を垂れ流している自分が、どうしようもなく恥ずかしい。
「いやあーあ……」
 音程の狂った声が、静かな部屋の中に長く尾を引く。それが、感じ切った雌が放つよがり声だと言うことを、優水は知らない。ただ、肺からあふれる吐息を快感に押し出されるまま、歪んだ喉から放っているだけだ。
「ほら……ここ、一番いいでしょ」
 布がこすれると最も痛い所を、指でつるっと撫で上げられた。瞬間、背筋に電極を突っ込まれたような真っ白な快感が脳天まで突き抜ける。下腹部の奥からじゅわっと何かがあふれ出した感覚。自分の体が理屈も何もなく喜んでいるのがわかる。
 体が言ってる。嬉しい、嬉しいって言ってる。あたしがされたかったのはこれなんだ。死にたいぐらい恥ずかしいけど、これをあたしは求めてたんだ。
 自覚が優水の体から力を抜く。股が開かれた。しっとりとした肉の薄い太ももの間で、妨げるもののなくなったグラディナは思う存分優水の秘所を愛撫した。心のつかえがとれた優水が、それを受け止めて喉をそらして声を上げた。
 濡れた谷間をすみずみまで何度もまさぐり抜き、一度も破られたことのない狭い肉洞にまで指をもみこんだ末に、グラディナはようやく指を放した。手首まで覆ったねっとりとした液を、舌でなめ上げる。
「はあ……はあ……」
 優水はもはや、涙のあふれた目で天井を見つめているだけだ。投げ出された足の間のほころびからは、ひくひくとうごめく唇の震えにあわせていまだにとろとろと粘液が流れ出て、はいたままのスカートに染みとおり、その下のシーツまで汚している。
「もう、いいわね」
 グラディナが、かすれた声で言った。その声は、待ち焦がれていた何かを手に入れたように、期待と喜びに震えている。スカートを脱ぎ捨て、下着を足から抜きとる。
 現れたものが何なのか、優水は理解できなかった。
「優水ちゃん……私を受け止めてちょうだい」
「ディ、ディナ……!」
 グラディナの下腹部で天を向いて震えている肌色の器官を目にした優水は、言葉を失った。そんなものがあるはずはなかった。
「優水ちゃん……」
 愛しげな声とともに、体の中心に何かが押し付けられた。煮込まれたように柔らかくなり果てていた優水の谷間に、ずぶずぶと熱いとがったものが侵入してきた。
「――!」
 動きとしてはスムーズだったが、優水の体内で何かがはっきり破られた。杭を下から突き刺されたような熱く鈍い痛みに、優水は目を見開いて口を開けた。声が出ない。声が嗄れたときのような喘鳴が喉から出た。
「い……た……ぐ……」
「優水ちゃん……気持ちいいわ。すごくすてき、私……我慢できない……」
 体の上に覆いかぶさったグラディナが、熱に浮かされたように赤い顔で言って、口づけしてきた。優水の体内の熱いものが、傷口を引っ掻きながら出て行き、再び入ってくる。
 一番奥、体内の器官までそれが到達した。優水は今度こそ悲鳴を上げた。
「あーっ!」
「痛い? 少しだけ我慢してね。すぐによくなるから……」
 ささやきながらグラディナが体を動かす。何をされているのか、頭でわかっても実感できない優水が、混乱して体をばたつかせた。
「やめて、離してディナ! 痛い痛い!」
「すぐよ……」
 快感に顔を歪めながら、グラディナが優水の体を抱きしめてくる。その間、優水の下半身はグラディナに突き荒らされるままだ。セックスを知らない優水は、ただ、刺されている、壊されているという恐怖に、じきに悲鳴も出なくなって、血の気の引いた顔のままグラディナをにらみ続けた。
「怖い……?」
「怖いよグラディナ! なんなの? あなた何してるの?」
「痛い……?」
「痛いよ!」
「本当に……?」
 グラディナの腰の動きがゆるやかになった。突き送る、という感じではなく、撫でさするという感じの柔らかな動きになる。
 気が付くと、痛みがしびれに変わっていた。消えてはいない、でもそれが感じられない。それこそ、麻酔をかけられたときに似た感じだった。
 やがて、その底から、さっきよりももっと深くて大きな喜びのうねりがやって来た。
「どう……? まだ痛い?」
「……ううん……痛くは……」
「これから、気持ちよくなるわ」
 グラディナの言った通りだった。徐々に快感が強くなる。触られていたときの波のような快感とは違う、もっとはっきりした、光の矢印のような直線的な快感が、真っすぐ体を貫いていく。
「いい……いいよ、ディナ」
「でしょう?」
「なんなの……? ディナ、何をしてるの? あなたなんなの?」
 痛みが消えたことで、心に余裕ができた。快感に心を持ち上げられて行きながら、優水は切れ切れに聞いた。
 喜びにあふれた顔で優水を抱きしめながら、耳元でグラディナがささやいた。
「あなたに子をうんでほしいの。私の子を」
「子を……」
「そうよ。優水ちゃんだったら、いい子をうめるわ……」
 それがどういうことなのか、聞く余裕はもうなかった。
 グラディナの華奢な体が、どこにあったのかと疑われるような力で優水を抱きしめ、突き上げてくる。下腹深く挿入された肉の棒の感触が、手で触るよりもはっきり分かる。グラディナの血を吸い上げて、熱く張り詰めた堅い器官が、自分の体内を深く深くえぐっている。壊してるんじゃない、と優水には分かった。何かを探してるんだ。何かをほしがってるんだ。
 あたしの体の中の何かを。
 それが分かると、恐怖の殻が破れた。交わりの快感が体を満たす。受け入れよう。受け入れたい。
 もう、拒む気はしなかった。グラディナを好きなのと同じように、股間を突き上げてくる彼女の熱いものが愛しい。女の子の体が柔らかいのは、この堅いものを受け止めるためなんだ、と優水は思った。
「……動いていいよ。……刺していいよ」
「いいの? 優水ちゃん」
「うん……。もっといいよ。奥まで来て!」
 答えるように、力強く突き上げられた。体の奥のそのための器官が、ぬめりの中を貫いてくる堅いものに押されてきゅうっと引きつる。つま先までしびれが突っ走って、ソックスの中の足の指が、意識もしていないのに堅く握られる。
「優水ちゃん……!」
 初めての苦痛を耐え切ってけなげに自分を受け入れようとしている少女を、グラディナは力いっぱい抱きしめた。押し潰しながらも食い入れようとする優水の粘膜の中に向かって、自分のものを強く何度も打ち込んで行く。
 両腕で抱え込んだ優水のふとももが、ビクビクと痙攣している。その動きから彼女の快感を感じ取ったグラディナも、腰がとろけるような快感に我を忘れている。
 突き送る先端部だけでは味わい足りない。密着させた下腹部と下腹部をこすり合わせ、すべすべした優水の尻の丸みを両手でかきあわせ、自分の器官の根元をこすり上げるようにする。
「ディナ! ディナ! いい、すごくいい! だめ、あたし、もうだめ!」
 泣き叫ぶようにしていやいやをした優水の額から、汗の玉が飛び散る。もがく彼女の手先は、もう意志に支配されていない。振り回した先にあったふすまに爪を食い込ませ、引っかく。三条の長い爪痕が残った。
 泣き叫ぶ優水を押さえ付けているグラディナの腰の底から、最後の快感の前兆がやって来た。それこそグラディナがもっとも欲していた喜びだ。腰の動きを速めながら、グラディナは叫んだ。
「優水ちゃん、いい? あなたの中に私の種を入れていい?」 
「いい! いいよ! ディナがしたいことならどんなことでも!」
 魂の底まで少女が屈服したのを見届けると同時に、グラディナは優水の子宮に自分のものを押し付けた。
「優水ちゃんっ!」
 鋭い悲鳴のような声とともに、グラディナは器官を震わせた。その先端から精がほとばしる。粘液の満ちる海に向かって、二回、三回、四回、と脈動とともに精が放たれて行く。「ディ……!」
 それは優水にもはっきり分かった。自分の液よりももっと熱いものが、ばしゃっと音を立てて体に入って来た。グラディナの器官がひくっ、ひくっと動くとともに、あふれたそれが体の中深く染み込んで行く。
「優水ちゃん……」
 声の後半はただの吐息になった。深い喜びとともに、グラディナは引きつった優水の体内で動きを止めていた。

「一九六〇年に、石油価格を維持しようとして産油国が結成した生産国機構は」
「OPEC」
「じゃ、一九七三年、中東戦争を発端として日本に起こった社会的恐慌は」
「第一次石油危機」
「……よし、終わったあ」
 優水が、シャーペンを置いてうーんと背筋を伸ばした。
「やっぱり、二人でやると早いね」
「ええ」
「でも、疲れたあ」
 優水は、そのまま畳の上にごろりと寝転がった。そのまま、ぼんやりと天井を見つめる。「優水ちゃん」
「……えっ?」
「どうだった?」
「なにが?」
「それ」
「……やめてよ、思い出すだけで恥ずかしいんだから」
 グラディナに指されたのが、身につけたチェックのワンピースの下腹の部分だったので、優水は赤くなって手で押さえた。――取り替えた下着の奥に、グラディナに注ぎ込まれた暖かいものが、まだ残っている気がする。
 事を終えてから、我に返ると、優水は気まずくなって走って部屋を出て行ってしまった。あちこちに液体が染み付いた服を着替えて部屋に戻ってくると、グラディナが何事もなかったかのように待っていた。それに合わせるようにして、何食わぬ顔で課題を始めたものの、今言われて、また、先刻のほてりが体に戻って来たような気がした。
「気持ちよかったでしょ。またしたいって思う?」
「そんな……そんなこと、ない」
「うそついてもだめ」
 グラディナが、ふすまを指さした。斜めにつけられた三条の破れ跡がなんなのか、優水は最初分からなかった。グラディナが教える。
「あなたがやったのよ」
「……うそ」
「本当よ。動物みたいに暴れながら、手を振り回してた」
「だって、ものすごく気持ちよかったんだもん……」
 恥ずかしそうに、優水は体を起こしてふすまをこすった。無論、そんなことでは傷は消えない。
「跡、残っちゃった……」
「あなたの体にもよ」
「え?」
「私の精」
 優水は、もう一度自分の体に注意をこらした。――腹の奥に残された快楽の残滓。そして、かすかに香るミントに似た匂い。
 それが、香水などではなく、彼女の体臭であることに、優水は気づいていた。
「あなたは、私のもの」
 愉快そうに言ったグラディナを、優水は、まじまじと見つめた。――黒いセーラー服を着たグラディナからは、先程の興奮ぶりはかけらもうかがえない。
 自分を犯したグラディナのものの存在さえ、夢か何かだったように思えて、優水は首を振った。
「あれ……なんだったの?」
「さあ? 教えてあげない」
 グラディナは謎めいた笑みを浮かべた。
 どうでもいいか、と優水は思った。グラディナがただの女の子じゃないということは分かった。でも、それと親友だということはかかわりのないことだ。
「今晩は」
 玄関の戸ががらりと引きあけられて、女の声がした。通いの家政婦がやってきたらしい。「下田さんだ。ディナ、晩ごはん食べてくよね?」
「いただくわ」
 グラディナがうなずくのを見て、優水は立ち上がった。歩きだすとき、下着の奥でとろりと粘液が動くのを感じた。

「……陛下……」
 洞穴を吹き抜ける風のような声を聞いて、私は手元に視線を降ろした。
 雨のそぼ降る帰り道だ。傘を肩にかけ、黒革のかばん――悪魔ブンチェルガッハの化身に、顔を寄せる。
「まずは一人の籠絡、おめでとうございます……」
「ふふ……最高だったわ」
「しかし……人間相手に、大変な乱れようでしたな……」
 ブンチェルガッハは、かすかに驚きの色をにじませて言った。もとより何千年も付き合って来たしもべだから、房事を見られるぐらいのことは気にもならない。
「人を相手にするのは初めてじゃないけど……やっぱり、魔族とは比べ物にならないわ。生命力が違うもの。寿命が短い分、輝きも強い。それが人間よ」
「して、首尾は……」
「仕込んだわ。あとは、拒まれるかどうかだけど……」
 結果は、分かっている。感じられた。優水の肉体が私の精を拒んでいないのが。
 正直に言えば、彼女が精を受け入れられずに、もがきながら死んで行くところが見たくなくもなかった。美しいものが汚れ壊れて行くさまを見るのは、私にとって大きな喜びだから。
 だが、それよりも今は、子を成してほしかった。
 その意味で、今の状態も、嬉しい。
「……お励みください。……一人二人では足りませぬ。行く行くは、それ以上を……」
「分かってるわ」
 私はうなずいた。


 Intermission 1  

「おっとっと……」
 抱えたプリントの束が崩れそうになって、澄田光一郎はたたらを踏んだ。
 危ないところで、バランスを取り戻す。職員室からもってきたプリントの山は、のど元ほどまである。重さは十キロ以上か。
「誰かに手伝ってもらえばよかったな」
 昼休みの廊下である。窓から差し込む初夏の日差しがまぶしい。教室は三階だからもう二階ぶん上らないといけないが、あたりに声をかけられるような友達はいない。
 軽くため息をついてゆっくり歩きだしたとき、開け放たれた窓の一つから吹き込んだ風が、プリントをなでた。ばさばさっ、と数枚が吹き飛ばされる。
「あっ、こら!」
 あわててあごで押さえたが、飛んでしまったものはどうしようもない。舌打ちしたとき、後ろからくすくすと笑い声が聞こえた。
 振り返ると、見覚えのある女子が立っていた。線の細い、京人形のようにかわいらしい少女。同じクラスの子だ。確か名前は、白沢優水。
「ああ、白沢さん。悪いけど拾ってくれる?」
「いいよ」
 優水はくるくると動き回って、飛び散ったプリントを拾い集めた。光一郎のあごの下に差し出す。
「はい」
「ありがとう」
 山の一番上にそれが差し込まれると、光一郎は飛ぶことがないように、あごでしっかり押さえた。それを見て、優水がまたくすくすと笑った。
「何がおかしいの?」
「だって、澄田君、それ変だもの」
「変……かな」
「うん、なんか変」
 優水は無邪気にころころ笑った。
「さっきだって、紙にむかって〈こら!〉なんて言うし。通じるわけないじゃない」
「あれは、とっさに出ちゃっただけで……」
 言ってから、別に弁解する必要もないのに気づいた。
「笑うなよ。副級長の仕事なんだから」
「ごめん。そうだ、少し持ってあげる」
 優水が手を伸ばす。彼女の体格を考えて、光一郎は山の四分の一ほどを渡した。
 並んで階段を上りながら、光一郎は気づいた。
「そう言えば、話すの初めてだね」
「え? あ、ほんとだ」
「もう入学式から二カ月も経つのに。大体みんなと話したと思ってたけどな」
「あたしはまだ全然……」
「そうなの? 白沢さん、人気あるのに」
「あたし男の子だめなの。女子校だったから」
「もう慣れた?」
「まだあんまり……あれ、不思議だ。澄田君とは話せてる」
 そう言うと、優水は不意に、まじまじと光一郎を見た。光一郎はちょっと言葉をなくして、目の大きな子猫のような優水の顔を見つめた。
 優水は、やがてにこりと笑った。
「なんだ……普通に話せるよ」
「怖がってばかりじゃだめだよ。いいやつばっかりだよ? うちのクラス」
「そうだね。なんか自信ついちゃった」
 とんとんとん、と早足に階段を上ると、踊り場で優水が振り向いた。窓の光が薄い茶色の髪に透けて輝く。
「ほら、早く!」
 光一郎は、どきりとした。優水の無邪気な笑顔がまぶしい。
 すてきな子だな、と思った。


――続く――

プロローグ
第二章
top page   stories   illusts   BBS