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パパのタッチは世界一



 汗でぬるぬる滑る指先をスカートで拭いて、あたしはフォニカのキーに触れた。
 今は夜。ここは、ハヌカの村から半リーグぐらい離れた森の中。茂みに隠れて、あたしは鳥泥棒たちを待ち伏せしていた。
 見張りの人があいつらを見つけたのが、三十分ぐらい前。この村のあたりは王国の中でも北東のはずれに近いから、軍隊もお役人もいない。だから村の人たちは持ちまわりで森の中を見回っている。敵が現われたら、自分たちで追っ払わなくちゃいけない。
 そうは言っても、盗賊団や落ち武者たちなんかめったに出ないんだけどね。ここ、近くに神代の遺跡が転がってるぐらいの田舎だから。
 鳥泥棒たちは、九ヶ月ぶりに現われた敵だった。村で飼ってるドードーを狙って三日前から毎晩やってくるようになったんだ。南から流れてきた蛮族かもしれないし、王都を所払いにされた罪人たちかもしれない。それはまだわからないけど、捕まえてみればわかることだ。
 で、あたしも捕り物隊に駆り出されてる。
 ヒャア、ヒャア、とナキガラスの声が聞こえた。見張りの合図だ。五回続いたから、敵は五人組。もう少しであたしたちのそばまで来る。
 あたしは、ちらりと手元を確かめる。
 抱えているのは、ちょうどあたしのひじから指先までに乗るぐらいの、三日月型の鍵盤。三十二のキーと八つの変調ボルトがついてる。フォニカだ。
 キーの位置もボルトの高さも、体が覚えてるから今さら見なくてもいい。でも、実戦の前はいつも緊張して、つい見ちゃう。
「おい」
「ふにゃっ!」
 近くの茂みからいきなり声をかけられて、あたしはリスみたいに飛びあがった。
「しっ、おれだ」
「あ……シグ兄ちゃん」
 あたしはほっとした。身をかがめて唇に指を当てているのは、筋向いの家のシグレスお兄ちゃんだった。あたしはシグ兄ちゃんって呼んでる。
「びっくりした?」
「したよ。足音聞こえなかったもん」
「耳のいいエマレットが? 今度おやつをつまみ食いに忍びこんでやろうかな」
「シグ兄ちゃんなら玄関から来ればあげます!」
 シグ兄ちゃんは笑う。そう、シグ兄ちゃんはやさしい。顔も、鼻筋がすきっとしててあごが細くてかっこいい。十八歳だから五つ違いだけど、実はあたし、ちょっと好き。
 いきなりシグ兄ちゃんが怖い顔になった。
「しっ……来るぞ」
 あたしもつばを飲んで前に向き直った。
 がさがさ足音が近づいてくる。シグ兄ちゃんに比べたらまるわかりだ。待ち伏せされてるなんて思ってもいないんだ。少し自信が出る。
 シグ兄ちゃんがあたしの肩を押さえる。
「頼むぞ、エマレット」
「う、うん」
「いいか……今だ」
 あたしはフォニカを弾いた。
 筐体をあごと左手で支えて、変調ボルトを押しながらじゃばらを引き伸ばす。右手でキーを素早く奏でる。しいしいと共鳴スリットがささやく。このフォニカは小さめだから、音も高くて人の耳には聞こえない。
 それでいい。今回の演奏のお客さんは、大気の精たちだから。
 息を詰めて慎重に、指先だけは思いきり急いで、あたしは霧起こしの曲をつむいでいく。「Dance around, darkness mist.」。練習曲の一つで特別な曲じゃないけど、テンポが速いし、あたしはまだ見習いだ。間違えずに弾けるかどうか自信がない。でも精一杯弾く。
 巡れ、霧の粉。
 十六小節の短い曲を弾き終わると、あたしはフォニカを下ろした。どきどきしながら待つ。
 なかなか効き目が現われない。あたしは次第に心配になる。失敗しちゃったかな?
 その時、やっと始まった。
 木々の中から、白いものが滑り出してきた。もともと星明りしかなかった森の中が、たちまち霧に閉ざされていく。なにも見えなくなる。
「な、なんだこりゃ」「おい、前見えるか?」
 鳥泥棒たちのあわてた声が聞こえた。その時、霧を突き破ってピーッと口笛が鳴り響いた。
「今だ!」
 シグ兄ちゃんが棍棒片手に飛び出していった。あたしは心臓がトコトコ暴れるのを感じながら、ぐっと手を握って待っていた。
「みんな、離れるなよ――うぐっ!」
「なんだ? ――ぎゃあっ!」
「どうした、う、うわっ! なんだおまえら!」
「村をなめるなよ!」
「食らえ、この泥棒め!」
 殴ったり蹴っ飛ばしたり、大立ち回りのすごい音が聞こえてくる。村の人たちがいっせいに襲いかかったんだ。
 いきなりバタバタッと足音が近づいてきた。逃げるひまもなく目の前の茂みが割れて、ボロを着たすごい目付きのおじさんが飛び出してきた。
 あたしは見つかっちゃった。
「な、なんでこんなとこにガキが? ……そ、そうだ!」
 あたしは後ろを向いて走り出そうとした。でも遅かった。鳥泥棒はドードーを捕まえる縄を投げた。ビュッ! と音がしてあたしの足首が引っ張られた。転んじゃう。
「キャアーッ!」
 地べたを思い切り引きずられて、あたしは悲鳴を上げた。
 こわい、殺される!
「こいつを人質にしてなんとか……はうっ!」
 ゴン! とすごい音が聞こえて、足首が楽になった。急いで振り返ると、シグ兄ちゃんが棍棒をかまえて立っていた。鳥泥棒は大の字にひっくり返ってうなってる。
「エマレット! 大丈夫かい?」
「お、お兄ちゃあん!」
 あたしは半泣きでシグ兄ちゃんの胸に飛び込んだ。
「怖かった?」
「怖かったよ! シグ兄ちゃん、ありがとう!」
「もう大丈夫だからね」
 シグ兄ちゃんはやさしく頭を撫でてくれる。胸がきゅってちぢんだ。
「おうい、大丈夫か」
 森の中からぞろぞろみんなが出てきた。縛り上げた鳥泥棒たちを引きずってる。シグ兄ちゃんが答える。
「大丈夫です。エマレットも」
「そりゃよかった」
「そっちは? 全員捕まえましたか?」
「五人は捕まえたけど、他にもいたみたいだなあ。逃げてったよ」
 自警団長のゼメットおじさんが眼帯を直しながら言った。この人、猟師だけど、下手な悪者よりよっぽど顔が怖い。ほんとは面白いおじさんなんだけどね。
「ま、こっちの損害がなかったからいいとするか。けが人いないよな?」
 ゼメットさんが言ったとき、足元から恨めしそうな声が上がった。
「けが人、いるじゃないか〜」
「うわあっ!」
 みんなが一斉に飛びのく。誰かがあたしの足首をつかんだ。あたしは思わず悲鳴を上げた。
「キャーッ!」
「ああっそんなに叫んで。エマ、痛いのか?」
 あわててあたしは足元を見た。そこには――
 あごひげ面のトンマな顔をしたおっさんが、あたしの足首にしがみついていた。
「ここだろ? 引きずられたときに擦りむいたんだよな?」
 おっさんは死にそうに心配な顔をしながら、ずるずるあたしの足をよじ登ってくる。そう言えば、膝がちょっぴり痛い。
 痛いけど、痛いけど!
「あ! ここだな。くそっ、大事なエマのあんよにこんなことしやがって。待ってろ、今手当てしてやるぞ」
 言いながらおっさんはあたしの膝をぺろぺろなめ始めた。ざざーっと腕に鳥肌が立つ。あんまり腹が立ったから、まともな言葉が出ない。 
「ぱ、ぱ、ぱ……」
「ど、どうした! パってなんだ? 何が言いたいんだ? ――そうか!」
 わざとらしく驚いた振りをしながら、おっさんはさらに足を登ってきた。あたしのスカートに――スカートに頭を突っ込んで、ぱ、ぱ、
「パンツの中が痛いんだな!」
「何すんのよパパーっ!」
 あたしは叫びながら、思いっきりひじを落っことした。ぼこーん! とすごい音を立てて、おっさんが地面にめり込む。
 ……あたしのパパ、オルゴが。
「実の娘に何すんのよこの変態! 足触ったりスカートめくったりするなって何回言えばわかるの!」
「だってさあ〜」
 鼻の頭を赤くして顔を上げながら、パパは目をうるうるにして泣く。
「心配だったんだよう。エマはまだ十三歳じゃないか。おっかない泥棒たちにつかまって、あんなことやそんなことをされてるんじゃないかって」
「パパのほうがよっぽどやらしいわよッ!」
「やらしいなんて言うなっ! これは純粋な父の愛だぞ!」
「パパのどこが純粋なのよ! お風呂は覗くわおっぱい触るわパンツはかぶるわ、煩悩の塊じゃないの!」
「だってえ」
 パパは恨めしそうに上目づかいする。むかっ腹が立って、あたしはぼかぼか蹴っ飛ばした。
「だってじゃないでしょ子供じゃあるまいし! 大体心配だったら、最初ッから手伝いに来なさいよ! 何が怖いから寝てるよ! パパが来てればあたしが来なくってもよかったのよ! 全部終わってからのこのこ顔なんか出すんじゃないわ!」
 最後の一発で、パパはごろごろ転がって木にぶつかった。「おにゃ〜」と目を回す。周りの人たちが笑う。
「エマレット、相変わらずだなあ」「オルゴさんもな」「これさえなきゃいい先生なんだが」「でも面白いぜ」
 もう、恥ずかしいったらありゃしない。あたしは耳まで真っ赤になってうつむく。
「おいおい、漫才はそのくらいにしてくれ」
 ゼメットさんが肩を震わせながら言った。
「早いとここいつらを牢屋に放りこんじまおう。エマレット、今日は助かったよ」
「うん、エマレットの霧のおかげだな」
「ありがとうよ。明日女房にパイを持ってかせるよ」
 みんなは鳥泥棒たちを引きずって動き出す。あたしも、パパをほっといて歩き出した。
 並んでいたシグ兄ちゃんが言った。
「あそこまでこっぴどく蹴らなくてもよかったんじゃないかな」
「シグ兄ちゃんは平気なの? あたしがあんな変態にもてあそばれて」
「もてあそばれてって、ちょっとしたいたずらじゃないか。許してあげなよ」
「シグ兄ちゃん、乙女心がわかってないよ……」
「え?」
「ううん」
 この人いい人だけど、鈍いからなあ。パパのことなんかよりあたしの心配してほしいのに。
 でも、こう言われたから、怒れなくなっちゃった。
「オルゴさん、寂しいんだよ。君のママが亡くなっちゃったから」
「あ……そうか」
 あたしのママは、あたしが生まれてすぐに死んじゃった。それはパパがまだ王都にいた時のことだ。何があったのかは聞いてない。
 パパはそれ以来、他の女の人には見向きもしていない。その点だけは、あたしも認めてた。まだママのことが忘れられないんだ。
 あたしはシグ兄ちゃんを見上げた。
「ちょっと言いすぎたかな」
「かもね」
「あたし、謝ってくる」
 振り返ろうとした時。
「エマ〜、置いてっちゃやだよう」
 まるで妖怪みたいに背中になにかが貼りついた。ワンピースの上から胸に両手をかぶせて、露骨にもんでくる。
 あたしは一瞬で考えを変えた。
「朝まで森で寝てなさーいッ!」
 振り向きざまのフルスイングであたしはパパを蹴っ飛ばした。茂みを突っ切ってパパはごろごろ転がっていった。転がりかたまでふざけてる。どこまでちゃらんぽらんな男なんだろ。
「あーあ、ひどいなあ……」
「どっちの味方なの、シグ兄ちゃん!」
「い、いや別に」
 シグ兄ちゃんはあわてて目を逸らす。あっ、失敗した! 乱暴な女だって思われちゃう。
 もう、ほんとに、パパのばかっ!


 あたしはエマレット、十三歳の女の子。ハヌカの村でたった二人の魔法使いの一人。もう一人はもちろんパパ。
 昨日みたいな戦いの時は、魔法使いは他の人の手助けをするものだけど、普段は生活のために別のことをしているのが普通だ。パパも同じで、この村で学校の先生をやってる。魔法使いは魔法だけじゃなくて、いろんな知識にも詳しいから。魔法は希望する生徒だけに教えてる。
 魔法っていうのはつまり、いろいろな精の力を借りることなの。大気の精、水の精、火の精、命の精。礼儀正しく話しかければ、精たちは手を貸してくれる。
 でも精は目に見えないし、言葉も通じない。普通の方法では頼みごとができない。
 そこで使うのが、フォニカ。
 フォニカは精に音を聞かせる楽器で、いろんな種類がある。大気の精に聞かせるものは高い音が出る小さなやつ。大地の精に聞かせるものは、低い音が出る大きいやつ。材料もいろいろで、普通は木で作るんだけど、革製、骨製、真鍮製、金や銀でできたやつもあるって。
 あたしが使っているのは大気の精に聞かせる小型のやつ。材料は檀だけど、飾り彫りの上にニスが塗ってあって、けっこう立派なものみたい。パパが昔から使っていて譲ってくれたやつだから、詳しいことはわからないけど。
 フォニカは手入れが命だ。だから、今日もあたしはそれをケースから出して、磨いていた。
 音はいいし手にも馴染んでるけど、形がちょっと変。普通のフォニカは大体半円を描くような三日月型になってるんだけど、あたしのはあまり曲がってない。共鳴スリットも横じゃなくて一番はしについてる。
 どうしてこんな形をしてるのか、パパに聞いても教えてくれない。ママが生きてたら聞けるのにな、とあたしは思った。
 部屋のベッドで手入れしてると、ドアがノックされた。うすーく開いて、パパが顔を出す。なんだかしかられた犬みたいな顔。
「エマあ」
「なによ」
「怒ってる? 昨日のこと」
「怒ってるよ」
「入っちゃだめ?」
「だめ」
「ケガの手当てしに来たんだけどなあ」
 パパは救急箱をぷらぷら揺らす。あたしはため息をついた。
「……わかったよ。入って」
「いいの?」
 急に明るい顔になって、スキップしながらパパは部屋に入ってきた。ベッドの前にしゃがみこんであたしの足を取る。
「スカートめくらないでよ」
「わかってるって。おとーうさんに、まっかせっなさーい」
 変な鼻歌交じりに言いながら、パパは消毒を始めた。急に真面目な顔になって目を近づける。
「ンムム? お嬢様、傷は悪化しておりますぞ。ただちに服を脱いで手術の必要が」
「言ったそばからそれかっ!」
 あたしのげんこつをひょいとかわして、パパはあたしの膝の裏をすいっとなでた。「ひゃん!」
「ごみん、手が滑った」
「滑るなっ!」
「いやホント、傷はよくないね」
 顔はにやけたままだったけど、手つきが変わった。てきぱき泥を落として塗り薬を塗り始める。
「昨日あのまま寝ちゃったからだよ。ちゃんとパパに見せてくれなきゃだめでしょお」
「見せたらいじるじゃない」
「めっそーもない、こんな綺麗なおみ足にご無礼は」
 どこで覚えたんだか知らないけど、パパはケガの手当てがうまい。パパが巻いた包帯はなかなかずれないんだ。もともと魔法使いだから指先は器用だし。だからあたしも、こういう時は任せてるの。
「足開いて。巻きにくいよん」
「位置がいやなんだけど」
「いいじゃないパンツぐらい見えても。去年まで一緒にお風呂入ってたんだから」
「それ言わないでよっ!」
「ほらほら」
 仕方なくあたしはスカートの膝を開いた。パパは案外真面目に包帯を――巻いてるんだけど、目はしっかりスカートの中を見てる!
「えっち!」
「うわーん、お願い、ちょっとだけ」
 包帯をピンで留めると、パパはがばっとあたしの太ももに顔を乗っけてきた。
「ここまで! パンツ下十センチ! それ以上行かないから!」
「だめだってば!」
「手当てしてあげたのに〜」
 どっと目から涙をあふれさせてパパは見上げる。もう、あんまり情けなくって、真面目に追っ払う気力もなくなっちゃった。
「三十センチ」
「十五!」
「三十センチ」
「……二十!」
「三十センチ。十秒だけ」
「……いじわる〜」
 パパはあたしの膝にあごひげを乗っけて、すりすりし始めた。
「エマのあんよ、細くてやーらかくて大好きなのに〜」
「だからあたしは娘だってば」
「だから好きなんじゃないか。エマもパパのおひげ気持ちいいだろ? ほら、すりすりすり〜」
「ひゃ、うひゃっ」
 変な声が出ちゃった。背中がぞくっとした。パパのひげ、鳥の羽みたいにふさふさしてて痛くはないんだけど、それとは別。
「やめてよ、くすぐったい」
「やめないもーん」
 あたしはしっかりスカートを押さえて、数を数えた。
「さん、にい、いち、おしまい!」
 ぱっと立ち上がった。ころんとひっくり返ったパパは、ゴキブリみたいに素早く後ろに回って、今度はお尻にくっついてきた。スカートの上からほっぺたを当てる。
「わーい、エマのお尻ぷにぷに。それ、すりすりすり」
「やめてって、ばっ!」
 ぶとうとしたけど、振り向くとくるりと回って逃げる。右と左にパパを追っかけて振り向いているうちに、心底ばからしくなって、あたしは叫んだ。
「もう、いい加減にしてよ!」
「もうちょっとだけ〜」
 すっごくばかばかしい追っかけっこをやってるうちに、表から声がした。
「おーい、先生! ちょっと来てくれ、大変だ」
「はーい!」
 あたしはパパを引きずったまま玄関に出た。切羽詰った声が聞こえる。
「早くしてくれ!」
「ほら、あの声ゼメットさんよ!」
「こっちも大変だもん」
「はいはい大変ね、パパの頭が大きく変よッ!」
 やっと首根っこをつかまえることができた。すかさずあたしは足の前に持ってきて、蹴っ飛ばした。
 ごろごろごろっと転がったパパが戸口にぶつかって、「おにゃん!」と言った。おにゃんって、何語?
「冷たいなあ、エマっちは」
 頭を押さえながら起き上がろうとしたパパの背中でドアが開いて、パパは表に転がり出た。その上でゼメットさんがあきれたように口を開ける。
「なんだ、またか。ケンカは後にしてくれ、とんでもない事件が起きた」
「なんだよもう、いいところだったのに。昨日のドロボーさんたちが逃げ出したとか?」
「違う。――人が殺された」
「……あんですと?」
 パパはぴょんと跳ね起きて、ゼメットさんを見つめた。
「ホント?」
「本当だ。今、村長と若いので現場を固めているが、どうしたもんだかわからん。先生の知恵を貸してくれ」
「そりゃ大変だね。――エマ、パパのフォニカを持ってきて」
 あたしは駆け出した。人が死んだ、殺されたって? なんかすごい話だ。ハヌカの村では、そんな事件、一度も起きたことがない。
 パパの部屋からフォニカを取って、ついでに自分のも持ってきた。
「はい!」
「うい、さんきゅ。エマはおうちで待っててね」
「あたしも行く!」
 ちらっとあたしを見てから、パパはゼメットさんに聞いた。
「いいかな?」
「魔法使いは多いほうがいいかもな」
「んじゃ、パパの手をちゃんと握って来るんだよ。迷子にならないように」


 場所はすぐ近くだった。通りの外れの、エレボンさんの家。
 表に自警団のお兄さんたちが立っていた。ゼメットさんを見て兵隊みたいに敬礼する。みんなゼメットさんを頼ってるんだ。
「待ってました、兄貴!」
「おう、先生を連れてきた。先生?」
「現場は中だね。誰か入った?」
「いえ、おれたちはまだ。今、村長が入ってます。その前にゼメットさんも」
「最初に見つけたのは誰さ」
「イムレのおかみさんです。表から声をかけても返事がなかったんで、裏に回って窓から見つけたんだそうで」
「ふうん、中は村長だけか。誰か腕力のあるのがほしいなっと……シグレス、きみ来なさい」
「はい」
 自警団の中にシグ兄ちゃんもいた。あたしにウインクして、先頭に立つ。
「入ろう。寝室だ」
 ゼメットさんが後ろから言った。あたしたちはエレボンさんちの中に入った。
 廊下を歩いて奥の部屋の前に立つ。シグ兄ちゃんがドアを開け、ゼメットさんが、そしてパパが中を覗いた。
「うひょほ……」
 パパが妙な声を上げた。
「なになに?」
「あ、エマ!」
 パパの手をよけるのなんか簡単。あたしは下から首を突っ込んで寝室の中を見た。
 ――真っ赤に散らかってた。
「え……」
 よくわからなかった。ベッドの白いシーツに、綺麗な赤の模様があって、その上に肌色の、二つにわかれた――
「エマ!」
 あたしは、すとんと尻持ちをついた。頭がきいんと冷たくなって、目の前が暗くなった。
「しまったあ!」
 パパの叫びと、ぐいっと持ち上げられる感じがした。勝手口に運ばれる。
 裏庭の楡の木の下にあたしを置いて、パパがフォニカを構えた。短く弾く。「Row boat under bough.」の出だし。
 後ろの楡の木から、ふわっと涼しい香りがした。
「エマ、大丈夫? 今、木の精さんに鎮めの香りを頼んだから……」
「う……うん」
 珍しい、パパが魔法を使った。――パパは魔法使いのくせに、めったに魔法を使わない。
「ごめんよー、まさかあんなにひどい現場だとは思わなかったから」
 パパがあたしの頭をなでる。そうされると、だんだん頭の冷たさが収まってきた。そこに、ゼメットさんが出てきた。パパが雷しょって怒鳴る。
「やい、ゼメット! あんなことになってるなら先に言っといてくれよな! おかげてうちの大事なエマちゃんが、壊れちゃうところだったぞ!」
「いや、さっき毛布をかけといたんだが……村長がはがしたんだな。悪い」
「ふんまにもう、手伝ってやんないぞ!」
「そりゃ困る。よく調べてくれ」
「パパ、あたしはいいから」
「そお?」
 心配そうにパパが顔を覗きこみ、あたしのおでこに手を当て、胸に手を当てた。
「心臓の具合は……」
「こんな時に触らないでよ! 脈なら手で取ってッ!」
「うん、元気だね」
 パパはにっこり笑って立ち上がった。
「そこで休んでなさい」
「そうする……」
 パパとゼメットさんが家の中に戻ると、あたしは今見たことを思い出した。
 足が二本。だから一人だ。でも、両足がずいぶん離れてた。
 あれは――左右にまっぷたつにされた人間の体。
 また気分が悪くなりかけたけど、一生懸命考えた。
 あれはなに? なんであんなことされたの? 誰がやったの?
 怖いけど、知りたかった。あんなことをする犯人があたしのうちに来たら、たまらない。あたしや、ちゃらっぽこのパパなんかじゃやられちゃう。犯人を聞いておかなきゃ。
 あたしは起き上がって、もう一度中に入った。
 寝室のドアの前で聞く。
「パパ、入っていい?」
「もう来たの? だーめ、まだ休んでなさい」
「大丈夫だから。ちゃんと心の準備したから。血ぐらいならドードーを締める時に何度も見てるわ」
「しょうがないなあ。ちょっと待って、えーと、毛布毛布……」
 しばらくしてから、いいよん、と言われた。
 あたしはドアノブに手をかけた。でも開かない。何度かがちゃがちゃやってみる。
「あれ?」
「それ横に引くんだよ」
「あ、そうか……」
 さっき見たのに。やっぱりあたし、普通の状態じゃないのかな。
 言うとまたパパがうるさく心配するから、平気な顔であたしはドアを開けた。横に向けていた視線を、前に戻す。
 ベッドのほとんどは毛布に覆われてた。そのはしから血が漏れて、床にまで水たまりを作っていたけど、あたしはそれを見ないようにして平気なふりをした。
「ね、何かわかった?」
「んー、まあね」
 パパがあごひげをつまみながら言った。
「事件は今朝五時ごろ起こった。犯人は一人で、多分男」
「どうして?」
 パパは床の隅を指差した。花瓶が転がり、一輪挿しの花が、踏みつけられて潰れていた。
「そのササヤキバナ、ちょうど開きかけで踏まれてるからね。ササヤキバナが咲くのは夜明け、つまり五時頃」
「一人ってのは?」
「足跡が一種類」
「捕まえた泥棒の仲間かもしれないな」
 ゼメットさんがもっともらしく言う。あたしはもっと聞いた。
「じゃ、男って」
「うんそれは」
 パパにたーっと笑った。
「エッチなことされてるから」
「えっ……」
 あたしは耳まで真っ赤になった。
「そんなことレディに言わないでよ!」
「怖いぞー。エマもうろちょろしてるとやられちゃうぞー」
「やめてよ!」
 そう言ってから、はっと気づいた。
「それって……その死んでる人、女の人ってこと?」
 ゼメットさんがうなずいた。
「イエナだよ。このうちの」
「イエナさん」
 それって、それって……
 曇っていた窓を拭いたみたいに、目の前の景色がはっきり見えた。今までは、あまり普段とかけ離れた事件だから、よその世界のことのような気がしてた。
 このちぎられた体が、イエナさん。あたしにキルトを教えてくれた、四つ年上のイエナさん。
 イエナさん、死んじゃった。
「お、おじさんは! おばさんは!」
「別の部屋で死んでる。そっちはこっちほどひどくないがな」
「そんな……」
 今度こそあたしは気絶しそうになった。後ろから誰かが支えてくれた。
「オルゴさん、おれが連れてきます」
「うん、頼むよん」
「シグ兄ちゃん……」
 あたしはシグ兄ちゃんに引きずられて、玄関に出た。しゃがみこんだあたしの背中を、シグ兄ちゃんがさすってくれる。
「大丈夫?」
「だめ……気分悪い……」
 頭の中がぐちゃぐちゃで、熱かった。なんて言ったらいいかわからなくって、叫んじゃった。
「パパは……パパはなんであんな簡単に言えるの! イエナさん死んじゃったのに!」
「オルゴさんはきみを脅かして外に出そうとしたんだよ」
「だったら最初から入れなければいいじゃない!」
「うん、それはなぜかわからないけど……」
 シグ兄ちゃんの困ったような声を聞いて、あたしは振り向いた。
「ご、ごめん……シグ兄ちゃんに言っても仕方ないよね」
「いいよ、気にするな」
 シグ兄ちゃんは笑ってあたしの肩を叩いた。
「怖かっただろ。泣いてもいいよ」
「う、うん……」
 そう言われると、気がゆるみそうだった。でもシグ兄ちゃんに泣き顔を見られたくない。あたしは頑張って立ち上がった。
「うちに帰る」
「歩ける?」
「すぐ近くだし……」
「無理しなくていいよ。ほら」
「きゃっ」
 シグ兄ちゃんに持ち上げられた。お姫様抱っこだ。
「送ってあげる。すぐ近くだしね」
「シグ兄ちゃん……」
 シグ兄ちゃんがぎゅっとあたしを抱きしめる。そのやさしい顔を見てると、胸がすごくあったかくなった。
「シグ兄ちゃん!」
 泣いちゃった。うちに帰るまであたしは、シグ兄ちゃんの肩でわんわん泣きつづけた。


「エーマちゃんっ」
 そう言ってパパがぴとっとお尻にくっついてきた。
 あたしはエプロン姿でパンケーキを焼きながら、黙ってた。
「あれえ?」
 パパが腰の横から顔を出す。
「触っちゃうよ?」
「もう触ってるでしょ」
「もっと触るぞー。……いいの?」
「触れば」
「わーい、すりすりすり」
 ひとしきり頬ずりしてから、パパはまた顔を出した。
「どったの? エマたん」
「……パパって、幸せね」
 あたしはため息をついて、皿にパンケーキを並べた。
「あたしのお尻さえ触れれば満足なんだから」
「そんなことはないっ!」
「え?」
 凛々しく言ってパパが胸を張ったから、ちょっと圧倒されちゃった。
 でも、間違いだった。
「おっぱいとあんよも触れなければ幸せではないっ!」
「いっぺんにあちこち触らないでよッ!」
 足元はスリッパだったから、膝でぶっ飛ばした。ごろごろと壁まで転がったパパが、逆さのままで言った。
「じゃ、一箇所ずつ」
「ああもう!」
 あたしはナイフを手元のじゃがいもにぶっ刺した。
「なんでそんなに能天気なのよ! あれから二週間で、二人も村の女の子が殺されちゃったのよ! 次は誰の番かって村中が脅えてるじゃない! ちょっとは山狩り隊にでも加わって、残りの泥棒たちを探す手伝いでもしてきたらどうなの?」
「だってパパには、学校の子供たちを守るっていう仕事があるもん」
 パパは逆立ちでよちよち歩いてきて、つま先で流しの皿をはじいた。くるくる飛んだパンケーキを口でくわえて受けとめる。どうしてこう無駄なところで器用なんだろ。
「学校にパパがいたって意味ないじゃない……」
「そーでもないよ? パパ結構みんなに人気があるんだからな」
「それは……そうだけど」
「村のくらーい雰囲気をパパ一人で和ませてんだぞ? 感謝しなさい感謝」
 確かにパパは先生として人気がある。一応魔法使いだし口先だけはうまいし、なんてったって、あたし一筋で絶対に他の女の子に手を出さないってみんな知ってるから。
 でも、シグ兄ちゃんは、山狩りにも夜の見回りにも参加してる。それに比べたらパパは。
「その程度で役に立つなんて言わないでよ。大体魔法使いなんだから、フォニカで精に聞くとかしたら?」
「聞くって何さ。精は言葉なんか持ってないし、持ってたって人間には聞こえないよ? エマちゃんには教えたでしょ」
 そうだった。精は人間とは違う。木をこすれば火が出るのと同じ、自然の一部なんだ。頼めば動いてくれるだけで、友達じゃない。
「それにしたって、なんか方法あるでしょ」
「うーん、パパにはわかりましぇんねえ」
 いつもこれ。小さな魔法は使えるくせに、大掛かりになるとすぐさじを投げるんだから。
「それにね、ありゃ泥棒の仕業じゃないよ」
「え?」
 あたしは振り返った。――パパがいない。
 声はスカートの中から聞こえた。
「泥棒だったら、村一番の美少女のエマちゃんを、真っ先にさらいにくるはずじゃない」
「だ、か、ら……」
 あたしはじゃがいもからナイフを引っこ抜くと、自分の足の間に向かって思いっきり振り下ろした。
「茶化さないでよーッ!」
 さくっ! とスカートに穴が開いた。「あーあ、破っちゃって……」とパパが言った。――いつのまにか、あたしの前に出て。
 ため息より先に、涙がぽろぽろ出てきた。
「もう、もういい加減にしてよ、ふざけてばっかりで……イエナさんの時だって、へらへら笑ってるだけだったし……」
「泣いたって生き返るわけじゃないでしょ」
「とにかく!」
 あたしはナイフをパパに突きつけた。
「今日は学校休みなんだから、山狩りには絶対参加してよ! あたしにだって世間体ってものがあるんだから!」
「わあ怖い。ママの若いころそっくり」
 おどけて言うと、ぴょんぴょんはねてパパは戸口に向かった。
「どこ行くの!」
「パパはちょっとお出かけでーす」
「山狩りは?」
「わしゃ年寄りじゃ、若いもんに任せるよ。えほんえほん」
 玄関に置いてあったフォニカを持って、無責任に手なんか振る。
「そうそう、泥棒の残党がさらいにくるかもしれないから、むやみに歩き回っちゃだーめよん」
「それ違うって自分で言ったじゃない!」
「はて、そうでしたかな? まあ気にしない気にしない。じゃーねん」
「こらーっ!」
 あたしがぶん投げた包丁は、バタンとしまった扉に刺さってびんびん揺れた。
「この……この……へっぽこパパーっ!」


 あてつけにあたしも山狩りに参加してやろうかと思ったけど、ゼメットさんに断られた。今度の相手はただの鳥泥棒じゃない、もっと凶悪なやつだからって。
 学校は休みだし、外で遊ぶのは大人の人に禁じられてるから、友達のみんなもいない。でも、何か役に立ちたかった。
 あたしは勝手に、畑やドードー小屋の見回りをすることに決めた。男の人は森に行っちゃったし、女の人はうちにこもってて、村の周りは手薄だから。ちょっと不安だったけど、昼間なら大丈夫な気がした。それに、あたしにはフォニカがあるもの。
 で、一人で村から出た。
 いい天気だった。透き通った九月の空の下で、金色の小麦畑を歩いて行くと、ほんとに気が晴れた。鼻歌を歌って、楽しいことだけ思い出すようにした。来月の秋祭りのことや、ヒルゼのおばさんにもらったパイのことや、シグ兄ちゃんのこと。
 途中の川べりでパンケーキのお弁当を食べて、村の周りを半周したころには、日が暮れ始めた。それまでなんにも起こらなかった。
「今日こそ、山狩り隊が捕まえちゃったのかもな……」
 またシグ兄ちゃんのことを思い出した。鳥泥棒を捕まえた夜から、シグ兄ちゃんはよくあたしのことをかまってくれる。ひょっとすると期待していいかな、なんて最近は思い始めてる。
 その思いが通じたみたいなことが起こった。
 ドードーの小屋に近づいた時、ひょっこりシグ兄ちゃんがやってきたの。
「し、シグ兄ちゃん?」
「えっ? ――ああ、エマレットか」
 声をかけるとシグ兄ちゃんはびくっと辺りを見まわしたけど、あたしだと気付くとすぐ笑顔になった。あたしは駆け寄った。
「あはは、シグ兄ちゃんもやっぱり怖いんだ」
「あ――ああ、そりゃね。この近くのどこかに、悪い人殺しがいるんだから」
「あたしも怖かったよ。よかった、シグ兄ちゃんに会って」
 うわー得しちゃったと思いながら、あたしはシグ兄ちゃんに飛びついた。
「山狩りは? もう終わったの?」
「おれは今日参加してないよ。昨日まで一週間連続で出てたんだから」
「そっか。ご苦労様」
「エマレットは? 一人?」
「うん、あたしは自主労働。畑の見回りしてたの」
「そうか……じゃあこれから、ドードー小屋に?」
「そうよ。そうだシグ兄ちゃん、一緒に来てよ!」
「そうだね。付き合おう」
 やったあ、シグ兄ちゃんとデートだ。
 あたしとシグ兄ちゃんは手をつないでドードーの小屋に入った。中には大人より大きい頭でっかちの飛べない鳥、ドードーが百羽以上飼ってある。ドードーは肉もおいしいし卵もたくさん産むから、大事な鳥なんだ。ちょっとかわいそうだけどね。
 いつもは人が入るとうーうーきーきー鳴くのに、今日はとても静かだったから、嬉しかった。あんな声がしたら、ムードぶち壊しだもん。
 細長いドードー小屋を歩いて、あたしたちは奥までいった。変な人間が隠れている様子はなかった。第一、そんなのがいたらドードーがうるさく鳴くはずだしね。
 一番奥の干草部屋で、シグ兄ちゃんがあたしにささやいた。
「な、エマレット。歩きっぱなしで疲れたろ? ちょっと休んでいこう」
「う、うん……」
 心臓がぴょんとはねた。
 シグ兄ちゃんが干草の上にしゃがむ。隣に座ろうとしたら、シグ兄ちゃんは足を開いてぽんぽんと叩いた。
「え、そこいいの?」
「おれたち、抱き合った仲だろ?」
 ぽっとほっぺたが熱くなった。あたしはおずおずとシグ兄ちゃんの前に座って、そばにフォニカを置いてから、背中を預けた。
「エマレット」
 後ろからシグ兄ちゃんが、ごく気軽に腕を回してくる。あたしはかちんこちん。こんな人気のないところで二人っきりなんて、初めて。
 もう、今しかない、と思った。
「し、シグ兄ちゃん……」
「ん?」
 あたしはからからののどから、無理やりことばを押し出した。
「あたし、あたしね。シグ兄ちゃんのこと、す……」
「え?」
「……」
 言えない! ものすごく頑張ってるのに、どうしても声が小さくなっちゃう。
 するとシグ兄ちゃんが、くすくすっと笑った。
「エマレット、もしかして……おれのこと好きなの?」
 声が出なかった。でも、思いっきり頭を前に振った。
 そしたら、シグ兄ちゃんはそうっとあたしの体を抱きしめてくれた。
「うれしいよ。おれもエマレットのこと、好きだよ」
「ほ……ほんと?」
「ほんとだよ」
「でも、イエナさんとか、シノンさんとか、コレットとか、他にもシグ兄ちゃんのこと好きな女の子いっぱいいるよ? それでもいいの?」
 あれ……今の名前、最近どこかで聞いたような……
「エマレットが一番好きだ」
 頭がふーっと熱くなって、なにも考えられなくなった。
「……す……すごくうれしい、シグ兄ちゃん……」
「キスしていい?」
「……うん」
 あたしが振り向くと、シグ兄ちゃんがあごをつまんだ。シグ兄ちゃんのかっこいい顔が近づいて、唇がぴりっと熱くなった。
「目を閉じて……」
 キスって、こんなにびりびりするんだ。唇をつままれて、舌をつっこまれて、あたしはふらふらになっちゃった。
「はあ……」
 長い素敵なキスのあとで、シグ兄ちゃんが顔を離した。あたしはシグ兄ちゃんの胸にしがみつく。
「なんか……ふわふわ。飛んでっちゃいそう……」
「つかまえててやるって」
「ほんとにほんとにいいの? あたし、まだ結婚できる年じゃないし……こんな子供でも?」
「子供だなんて。エマレットはかわいいよ」
 シグ兄ちゃんがワンピースの上をなでていく。
「この結んだ髪も……きれいな手も……細い肩も……柔らかいおっぱいも……ちっちゃなお尻も……」
 シグ兄ちゃん、すごくやらしい。言葉がねっとりしてる。シグ兄ちゃんじゃないみたい。
 ちょっとだけいやな感じがした。あたし、もっと軽く言ってくれたほうが――
 ううん、そんなこと考えるのって子供の証拠だ。大人は、こうやって愛し合うんだから……
「エマレット? ……いやかい? こういうの」
「いやじゃないよ。あたし、シグ兄ちゃんなら。……もっと言って。触っていいよ」
 きつくシグ兄ちゃんの袖をつかんで、あたしは目を閉じた。くくっ、とシグ兄ちゃんが笑ったような気がした。
「エマレットは健気だね。……いいんだね、触っても」
 いいながらもう、シグ兄ちゃんはあたしのあちこちをいじってる。
 お尻をつかまれた。おっぱいももまれた。なんだか急いでるみたいに乱暴。でも……痛いけど、気持ちいい。やっぱり、これが大人のやり方なんだ。
「ここも触るよ」
 スカートが引っ張り上げられる感じ。もう目なんか開けられない。頑張って少しだけ足を開いた。その間に、シグ兄ちゃんの指が入ってきた。
「んんっ!」
「エマレット……もう女の子じゃないか」
「やだ……見ないで……」
 シグ兄ちゃんにこすられたパンツが、ぬるぬる滑ってる。恥ずかしくって死にそう。今までもシグ兄ちゃんのこと考えるとたまにそうなったけど、本物に抱っこされてる今は、いやになるぐらいすごい。勝手にそこが漏らしちゃう。
「違うからね、あたしエッチな子じゃないからね、シグ兄ちゃんが触るから悪いんだからね、はしたないって思わないでね」
 呪文みたいに唱えてると、シグ兄ちゃんが耳にキスしながら言ってくれた。
「素敵だよ」
 くいっ、と指が突っ込まれた。
「ふにゃっ!」
「猫みたいだなあ。……エマレットって、そういう声出すよね」
「出ちゃうの!」
「いいよ。もっと鳴いて」
「ふっ、ふにゃっ! やっ! うにっ! にゃっ!」
 シグ兄ちゃんの指が、パンツの上からぐいぐい入ってくる。体がひきつってのどが勝手に鳴いちゃう。もうだめ、きっとパンツの外まで染みてる。シグ兄ちゃんの指につけちゃってる。
「かわいい……かわいいよ、エマレット」
 シグ兄ちゃんが声を震わせて、あたしを押し倒した。ワンピースが強く引っ張られて、胸元がびりっと破れた。
「エマレット!」
「や、やあっ!」
 お、大人ってちょっとひどいかも……このワンピース、誕生日にパパが買ってくれたのに。
「エマレット、素敵だよ。おっぱいおいしいよ……」
 シグ兄ちゃんがあたしのあそこをいじりながら、おっぱいをべろべろなめる。恥ずかしいのと汚い気がするのと嬉しいのと気持ちいいので、もうぐちゃぐちゃ。何もできなくって、必死にシグ兄ちゃんの頭を押さえる。
「し、シグ兄ちゃん、もっとやさしく……」
「痛いか? 痛くないだろ?」
「痛くないけど、気持ちいいけど、でも!」
「でも? あんまり粘るなよ、もうとろとろにしてるくせに」
「きゃあっ!」
 パンツがびりっと音を立てた。シグ兄ちゃん、パンツまで破っちゃった。そんなの、ちょっと乱暴すぎる。
「やだあ、やめて! こんなのいや!」
「これでもか?」
 シグ兄ちゃんが顔を下げたと思ったら、ぬるっとものすごく変な感触がした。あたし、信じられなかった。シグ兄ちゃん、あそこに舌突っ込んでる。
「やめて! そんな汚いとこなめるのおかしいよ! やめっ、あにゃあん!」
「いいだろ? おとなしく味わってろ」
「やっ、にゃっ! ふあっ! ひいっ!」
 背中が寒くなるような冷たい気持ちよさが来る。ちろちろ動くものが、あたしのおなかを中からくすぐってる。もうわけがわかんない。そんなところがそんな風に気持ちいいなんて、想像もしてなかった。
「素敵な濡れ具合じゃないか。これなら立派な女で通用するぞ。エマレット……」
 シグ兄ちゃんが顔を離して、体を寄せた。あたしは息を飲みながら聞く。
「し、シグ兄ちゃん……何するの……」
「決まってるだろ」
 シグ兄ちゃんがシャツを脱いでズボンを下げた。無理やり頭を起こしてそれを見たあたしは、息が止まった。
「なに……それ……」
「見たことあるだろうが。いつもパパといちゃついてんだから」
 いちゃついてないしパパとお風呂に入ってたのは去年までだけど、それより、それより!
 なんでこんなに大きいの!
「行くぞ」
 あたし、逃げようとした。でもだめだった。シグ兄ちゃんがすごい力で腰を押さえつけて、あたしの足を無理やり開いた。
「にゃ、キャアアーッ……はあっ!」
 痛くて痛くて、のどが詰まった。槍みたいに硬いものが、あたしの体に刺さって、奥にずぶずぶ入ってくる。
「いひ……い、た、い……」
「エ、エマレット、す、すごい……」
 がばっとあたしの体にかぶさって、おっぱいに歯を立てながらシグ兄ちゃんがうめいた。
「きつい……あったかい……うまいよエマレット、おまえ最高だよ……」
「や、め、て……」
「いやだ」
 ずぶっ! とあたしは刺された。口を思いきり開けたけど、悲鳴が出せなかった。目と口から何かがたらたら出ていくだけ。
「エマレットおお」
 シグ兄ちゃんがあたしを雑巾みたいにつかみながら、ぐいぐい動く。泣き笑いみたいな顔をしてるけど、喜んでるってことはわかる。
 なんで。なんで嬉しいの。あたしがこんなに痛いのに。死にそうなのに。あたしが好きじゃなかったの、シグ兄ちゃん。
「エ、エマレット、出る、で出る、出るぞぞ」
 がくがく体を振りながら、シグ兄ちゃんが壊れたみたいに言った。ぎゅーっとあたしのおっぱいをつかむ。痛い、そこも痛い。そんなに、つかめるほど大きくないのに。痛い痛い。体じゅう痛い。
「エマレットー!」
 シグ兄ちゃんが潰れそうなぐらいあたしに体重をかけながら、思いきり奥まで刺した。その先っちょからびしゅっとすごい勢いで何かが飛び出した。おなかの中に穴があきそう。当たる勢いで中身がへこんでるのがわかる。
「はあ、はあ、はあ」
 シグ兄ちゃんが動きを止めて、のろのろ体を起こした。ふっ、とあたしは少しだけ正気を取り戻した。
「し、ぐ兄ちゃん、なん、で……」
 終わりだ。やっと終わったんだ。シグ兄ちゃんもおとなしくなった。謝ってくれるはず。やさしくなでてくれるはず。
 そう思って、シグ兄ちゃんの体を見た。
 ――音が聞こえなくなるほど、あたしは絶望した。
 シグ兄ちゃんのあれは、いま役目を終えたはずなのに、びくびく震えながらどんどん大きくなっていた。どんどん――腕ぐらい、もっと大きく!
「なんでって、よ……」
 シグ兄ちゃんは顔の半分だけで笑いながら、もう半分で泣いていた。
「これが……収まらないんだよ、何回突っ込んでも、何回出しても!」
「どうし、て……」
「知るかよ! 二週間前からずっとそうなんだ! とにかく、女の子に突っ込まないと我慢できないんだよ!」
 あたしの歯がかちかち鳴った。あんなので刺されたら、あそこが、体がちぎれちゃう――
 ぞうっと体じゅうが鳥肌立った。
「それじゃ……まさか……」
「……そうだ」
 シグ兄ちゃんはあたしの上にまたがったまま、うなずいた。
「イエナも、シノンも、コレットも。これに……耐えられなかった」
「ひーいっ!」
 あたしは無我夢中で手を振りまわして、逃げようとした。干草がばさっと飛んで、その下からごろんと何かが出てきた。
 足だった。
「――!」
 もう歯も鳴らなかった。食いしばりすぎてあごが痛くてそんなの気づかないぐらい怖かった。シグ兄ちゃんが言った。
「……さっき、ドーニャも」
 干草の下で、粉屋のドーニャさんの目が、左右別々にどこかを見てた。
「助けてくれよ、助けてくれよエマレット、苦しいんだよ、出させてくれよ、おまえの中におれを入れてくれよ!」
 あたし、ふうっとどこかへ飛んでいきそうになった。
「やめろ、シグレス!」
 すごい叫び声が聞こえて、シグ兄ちゃんが飛びのいた。あたしの目のすみに、誰かが映った。ゼメットさんたちだった。
「ドーニャ!」「え、エマレットか? こんな子供まで!」「遅かったか……」
 立ちあがったシグ兄ちゃんを、みんなが取り囲む。シグ兄ちゃんがごろごろのどにからむような声で言った。
「なぜ……なぜここが……」
「オルゴ先生に聞いてたんだよ! おまえが要注意だってな」
「イエナの家でおまえは、初めて入ったはずなのに、開けにくい寝室のドアをあっさり開けただろ。それは前の晩に一度来てたからだ。違うか?」
「こんな村外れに隠れられたおかげで見失っちまった……くそっ、エマレットまで」
 きこりのデムリさんがあたしを抱き起こした。
「エマレット、ごめんな遅れて。かわいそうに、こんなぼろぼろにされて……」
「ぱ……パパは……」
「いないよ。でも犯人がわかったんだから、おれたちだけで十分だ。もう心配ないからな」
 ゼメットさんが棍棒をかまえて前に出た。
「シグレス、なんでこんなことをした?」
「……」
「おれの次の自警団長はおまえに任せようと思ってたが……そういうわけにもいかなくなったな」
「おれは……違う……」
「何が違う?」
「おれがやったんじゃ……ない……」
「やめろ、見苦しい。さあ、おとなしくついてこい」
「おれgやったんjなi」
 みんなが顔をしかめた。シグ兄ちゃんの声が変だった。
「じゃnいjないzゃなiーッ!」
 いきなりシグ兄ちゃんは叫んだ。それと一緒に、小屋じゅうからものすごい合唱が起こった。
「な、なにっ!」
 ドードーたちだった。くちばしからつばをまきちらして、めちゃくちゃに首を振りながらほえてる。大きな平たい目が、ばちばちばちばちものすごい勢いで瞬きしてる。狂ってる。一羽残らず。
 あたしは思い出した。小屋に入ったときから、いつもはうるさいドードーが静かだった。そのときもう狂ってたんだ。ううん、狂わされてた。シグ兄ちゃんに。
 それも違う。シグ兄ちゃんはもうシグ兄ちゃんじゃない。あんなに大きいおちんちん、人間のものじゃない。
 あたしは声を振り絞ろうとした。
「み……な……逃げ……」
 手遅れだった。いつもは鳴くだけのドードーが、囲いを蹴り破って飛び出してきた。ドードーはめったに暴れないけど、ごくたまに暴れられたときは小屋の壁に穴が開くこともある。
 その強烈なキックで、みんなが次々に吹っ飛ばされた。バキッ、ボキッという音が、みんなの体の中からいやになるぐらいはっきり聞こえた。
「この野郎、シグレス!」
 デムリさんが斧でシグ兄ちゃんに切りかかった。シグ兄ちゃんはぱっと避けてあたしのそばに来る。腰がつかまれて持ち上げられた。
「いやっ……!」
 もがいて触ったものに、あたしは必死でつかまった。頼りなく持ちあがっちゃった。それは、フォニカだった。
「シグレスだ、シグレスをやれ!」
 ゼメットさんがドードーを殴り倒しながらわめく。近くにいた人たちが飛びかかってきた。
 ぐん! とあたしは引っ張られた。頭から血が下がる。
 物の壊れる音がして、あたしは風に当たった。なに、今なにが――
 屋根の上だ! シグ兄ちゃん、天井突き破って屋根までジャンプしちゃった!
 あたしはシグ兄ちゃんを見上げた。真っ赤に血走った目で周りを見てる。森へ逃げこもうとしてるんだ。
「シグ兄ちゃん……だめだよ、逃げたら……」
 声をかけたけど、こっちを向いてもくれない。だめ、シグ兄ちゃんも狂っちゃってる。なんとか正気に戻さなきゃ……なにか、方法は。
 あたしは、つかんでいたものを思い出した。そうだフォニカで!
「か、風の精……お願い」
 シグ兄ちゃんに抱えられたまま、あたしはフォニカを構えた。人間を一番落ちつかせくれるのは木や草の精。二番目は水、そして風。
 しびれる指であたしはキーを押した。Fの和音。
 それから、今までで一番気持ちを込めて、曲を奏で始めた。
「Rest, early autumn Zephyr.」
 四小節、八小節。長調の和音が秋の夕空に抜けていく。大気がシグ兄ちゃんに集まって、心の淀みを汲み去っていこうとする。十六小節、二十小節。
 憩え、九月西風。
「……や、やmろ……きもcわr……」
 曲の終わり近くで、シグ兄ちゃんがあたしを放り出した。屋根の上に転がったあたしは、体を起こしてシグ兄ちゃんを見る。耳を押さえてる。
 お願い、効いて!
「う、う、w……」
 シグ兄ちゃんはしばらく震えていたけど、じきに動きを止めた。効いた……のかな。
「wwwうううっ」
 だめ、顔が変わってない! こっちに来る!
 効かなかった。あたしはなにもできなかった。シグ兄ちゃんはこのまま怪物になっちゃうんだ。あたしも死ぬ。体をまっぷたつにされて。
 心が真っ白になって、あたしはぼんやりと裸のシグ兄ちゃんを見つめた。
 コン、とシグ兄ちゃんに小石がぶつかった。
「え……?」
 糸に引かれるように、あたしは小石が飛んできた方向を見た。シグ兄ちゃんも。
 そこで、うんこ座りしている人影があった。
「……パパ?」
「はいなー。ヒーロー到着っすよ、わっはっは」
 間違いなく、パパだった。片ひじをついて半目でシグ兄ちゃんを見つめてる。相変わらず無責任ににやにやしてる。――でも。
 なんか、違う。
「まー、これだけ遅れといてヒーローっちゅーのもあつかましいかなとは思うけどさ、しゃあないのよ、出かけてたから。――森向こうの遺跡まで」
 シグ兄ちゃんがピクッと動いた。
「よそ者のドードー泥棒、連続殺人、死体はみんな常識外の性器で体ごとぶち破られてるとあっちゃ、ちょいと気の利いた人間なら気付くでしょ。今ではいない古い怪物のしわざだってね。ま、俺の機転はちょいとどころじゃないけどさあ、わははは!」
 頭に手を当てて馬鹿笑いしてから、パパは静かに言った。
「思った通り、遺跡は神代百怪の封殺墓だったよ。あの泥棒たちが開けたあとがあった。んで、泥棒の一人が取り憑かれた。そいつを殴っちまってうつされたんだね、シグレスくん。――いや、ご本人に言っとこう」
 パパは、空豆みたいな形をした汚い入れ物を取り出した。
「『ククルスルク』、蛇の尾を持つ鳥の邪怪。鳥でありながら同属を食らい、鶏並みの繁殖力で一年に三百六十五の仔を作り、しばしば人に憑いて一国の女を根こそぎ犯し殺す。――この禁殻にご親切に書いてあったけど、神代文字じゃねえ。読めたら泥棒さんたちも開けたりしなかったろうに」
 パパはにやーっといやらしく笑った。
「やりたい気持ちはわかるけどさ、子供も作れないのに人間の女の子犯すこたないでしょ。そんなだから封じられたんだよ。わかってるかね、きみ?」
 あたしは信じられずにパパを見つめた。どうしてすかぽんたんのパパが、そんなこと調べられたんだろう。なんであんなに余裕があるの?
 ううん、そんなこと考えてる場合じゃない。シグ兄ちゃんをおかしくしたのは、伝説にしか出てこない昔の怪物なんだ。パパがかなう相手じゃない!
「逃げて、パパ!」
「かーっ、嬉しいなあ。娘にかばわれちゃったよ俺。父親冥利に尽きるなあ」
「ばかなこと、くっ、言ってないで!」
 息を吸うだけでのどが痛くなったけど、かまわず叫んだ。パパは涙を拭くふりなんかして、笑ってる。
「早く!」
「はいはい、わかってます。これじゃ勝てないもんなあ」
 パパは立ち上がった。その手には、フォニカがあった。
 キィーエ! とガラスを引っかいたような音が響いた。耳を押さえながらあたしは見た。シグ兄ちゃんの叫びだった。小屋の屋根から飛びあがって、一直線にパパに飛びかかる。
 やられちゃう!
「いや〜ん、下心ミエミエ〜」
 あたしは、ぽかんと口を開けちゃった。
 シグ兄ちゃん振りまわす鍵爪を、パパが避ける、避ける、避ける。風見鶏みたいに回って、アナグマみたいにごそごそ這って、バッタみたいにぴょんぴょん飛ぶ。すっごい間抜けな動きなのに、かすりもしない。
 どうしてあんなにヘンな動きなの? じゃなくって、どうして避けられるの? あああ、どう驚いていいかわかんない頭ぐちゃぐちゃ!
「エマレット! こっちだ!」
 ゼメットさんが小屋の前に出てきた。あたしは屋根のはしまで行って、腕の中に飛び降りた。上着をもらう。
「ゼメットさん、けがは?」
「おれは大丈夫だ、それよりエマレットは? いいのか?」
「よくないけど、それよりパパが!」
「先生なら大丈夫だ」
「え?」
「教えてなかったんだな」
 ゼメットさんはあたしをかばいながら、シグ兄ちゃんの股の間をごろごろ転がっていくパパを見た。
「先生は昔、第零駆逐軍にいたんだ」
「軍って……王都の?」
「第一軍以下の普通の軍隊では歯が立たない、邪神や怪物みたいな特別な敵を倒すための軍団さ。ものすごく強い軍だ。でも敵も強かった。三年でほとんどの兵士が入れ替わるほど、激しい戦いをしていた。先生はそのメンバーだったんだよ」
「あのすっとん狂なパパが?」
 あたしは、信じられずにゼメットさんの顔を見上げた。ゼメットさんは真剣な顔をしていた。
「ただのすっとん狂が、笑いながら怪物の相手をできるかい」
「じゃあなんでこんな田舎に」
「レイニーさんを……おまえのママを失ったからだ」
「ママを」
「そうさ。レイニーさんも同じ軍の兵士だった。あの人が死んだから先生は戦えなくなった。だから軍を辞めた」
「初めて……聞いた……」
 あたしはパパを見た。言われてみれば、あんなにょろにょろした動きができるのは確かにただ者じゃないかも――
 ううん、逃げてるばっかりじゃないの!
「パパーっ!」
 あたしは叫んだ。
「やっつけてよ、本当にパパが強いなら! シグ兄ちゃんを助けてあげて!」
「ありゃあ? ゼメットが話しちゃったの?」
 振り向いた拍子に、シグ兄ちゃんの腕が当たった。あたしは悲鳴を上げた。
「パパ!」
 ごろごろごろっと転がってきたパパが小屋の壁にぶつかって、「おにゃん!」とうめいた。あたしは駆け寄ったけど、パパは逆さになったまま、ぱたぱた手を振って笑った。
「あははは、だいじょぶだいじょぶ。エマのキックに比べたらこんなもん」
「冗談言わないで!」
 あたしはパパの前にひざをついた。
「笑ってる場合じゃないでしょ! 早くやっつけてよ、あの怪物!」
「無理だよう、パパこわーい。エマがやっつけてくれない?」
「やったよ! でも、だめだった……」
 あたしはフォニカを握り締めた。
「風の精で追い払おうとしたけどだめだった! パパなんとかして!」
「だから無理だって。パパでも」
「どうして!」
「そこらの精より強いからね、あいつは。魔法のうまいへたじゃない。普通のやりかたじゃどだい無理なのよ」
「それじゃ……勝てないの?」
 あたしがつぶやくと、パパはいきなりあたしの手を引っ張った。
「きゃ!」
 パパがあたしを抱えて横に飛ぶ。今までいたところにシグ兄ちゃんが突っ込んできた。勢い余って小屋の壁をぶち破っちゃう。
 ごろごろ転がって、あたしたちは小麦畑に倒れこんだ。パパがあたしの頭に顔をくっつけた。
「わーい、エマちゃんの髪の毛ー。くんくんくん」
「やめて!」
「フォニカを出して」
「え……」
 戸惑ったけど、あたしはフォニカを出した。パパも自分のやつを出す。
「ママが死んだときに軍隊やめたって聞いた?」
「う、うん」
「それはなんでかと言うとね、ママがこのフォニカを使っていたからだよ」
 パパはあたしのフォニカを持って、自分のに押しつけた。
 二つのフォニカがかちりとかみあって、半円になった!
「これ……もともと一つ?」
「そ、二人弾きのフォニカ。これを弾くためには、二人が完全に息を合わせなきゃいけない。パパとそんなことができたのは、ママしかいなかったからね」
 パパはもう一度あたしを抱きしめた。
「つーかさあ、他のやつとこういう姿勢するのは死んでもゴメンって感じ? パパはエマちゃんじゃなきゃやだよう!」
「前、前っ! シグ兄ちゃん来る!」
 小屋から出てきたシグ兄ちゃんが、鳥みたいに表情のない顔で、こっちに走ってきた。
「そしてこのフォニカは、二つの蛇腹で二つの曲が弾ける」
 パパがあたしの耳に口をつけてささやいた。
「二つの精を同時に使えるのよ」
「それって!」
「そーよ。――これは、邪怪退治を真の目的として作られた軍用フォニカ、『ハルモナ・スパイラス』」
 あたしはパパの腕の中で、スパイラスの上半分に手を当てた。下半分をパパが持つ。変調ボルト調整、発音確認、打鍵位置はうんと高く、クワドラシャープ。
「曲は!」
「決まってるでしょお? エマは風、パパは草」
「で、できるかわかんない!」
「何をおっしゃる」
 すぐそこまで来たシグ兄ちゃんをにらみながら、パパが楽しそうに言った。
「さっきは見事だったよ。エマレットお嬢様、さすがはママの娘だ。泥棒さんたちのときみたいにパパが補強音入れる必要も、もうないんじゃないかな?」
「あのときパパが?」
「さあ、ワン、ツー、スリー!」
 デュエットが小麦畑に響いた。
 不思議なことだけど、この時だけは耳に聞こえた。澄み切った高音とおなかに来る低音がまるく広がる。スパイラスが西風のせせらぎと水辺の木陰をいっしょに歌ってる。「Rest, early autumn Zephyr.」と「Row boat under bough.」の同時演奏。雰囲気が近いとは思ってたけど、重ねるとこんなに綺麗なんて!
 びっくりするあたしの耳にパパのつぶやきが届く。
「エマ、ピッチ二つ上げて」
「う、うん」
 パパ、うまい。指先が小人のダンスみたいに走ってる。あたしは追いつくので精一杯。
 吹き渡る風が集まり、小麦畑からやさしい香りが立ち上る。シグ兄ちゃんが戸惑ったように動きを止めた。十二小節、十六小節。
「強く!」
「うん!」
 曲がサビに駆け上る。そのタイミングまで二つの曲は一緒。
 二つのフォニカを別々に弾いたってこんなに広く響かない。二つが結びついたスパイラスだから共鳴して強いんだ。音の深さと厚みは二倍以上、三倍、四倍、もっと!
 シグ兄ちゃんが頭を抱え、がくがく体を震わせた。
「y……m……r――!」
 そのとき、はっきり見えた。風と香りに力を受けて、シグ兄ちゃんの体から引きずり出される「ククルスルク」の、湿った七色の羽根に包まれた気持ち悪い姿が。
 音階を駆け巡る響きに合わせて、風がそいつを運んだ。パパが地面に置いておいた「禁殻」に渦を巻いて集まる。二十八小節、二十九小節。あと少しで終わり!
 そのとき、疲れきっていたあたしは、キーから指を外しちゃった。
「あっ!」
「おっと」
 パパはすかさず首を出して、あたしの鍵盤を舌で弾き始めた。なんてへんてこりんに器用なの!
 それでも一回も音が外れなかった。あたしはもう、ばかみたいに目をまるくして黙ってるしかなかった。
 最後のデクレッシェンド。音が小さくなって、風が穏やかになった。怪物のしっぽが禁殻の中に吸いこまれていく。
 三十二小節。最後の一音を、パパは飛びきり楽しげに弾き終えた。
 空豆型の入れ物がころんと転がってた。シグ兄ちゃんが倒れてた。裸だけど、ごく普通の体に戻ってた。
「一丁あがりっと。いやー、カッコよすぎたかな? てははは!」
 終わっ、た。
「はははうわっ、あれエマちゃんどしたの? エマちゃん!」
 パパの声と顔が遠くなっていった。 


 目が覚めると、自分の部屋だった。
「え……」
 ベッドの上で体を起こして、あたしは両手を見まわした。
「服着てる……」
 寝る時用の木綿のワンピースになってた。そして、体のあちこちがスースーした。匂いでわかった。パパの軟膏だ。シグ兄ちゃんに噛まれたところやつかまれたところ、全部に薬が塗ってあった。
 肌も汚れてない。きっと、拭いてくれたんだ。
「つまり、はだかを全部見られたってことか……」
 足を動かしたら、ひりっとあそこが痛んだ。そこが一番ひどいのに、手当てしてないみたい。あのエッチなパパが? あたしに怒られずに見られるチャンスなのに?
 てことは……他のところを手当てしてくれたのは仕方なくで、ほんとはあたしのケガなんかどうでもいいってことか。
 はあっ、とあたしはもう一度横になった。
 パパがよくわからない。
 怪物をやっつけた時、あたしの体を心配してくれなかった。あいつを倒すことを優先した。
 遺跡に出かける時も、あたしに本当のことを教えてくれなかった。
 その前も。死体がある部屋にわざわざあたしを入れたりして……
「パパ、あたしが大事じゃないのかなあ……」
 寂しくなった。いつもあたしにくっついてくるから、パパはあたしを好きなんだと思ってたのに。
「ううん……ママを好きなんだよね、パパは」
 そうか。あたしは、ママの代わりでしかないんだ。ベタベタ触ってくるのも、ママを思い出してやってるだけなんだ。
 身代わりだから、壊れても構わないのかもしれない。
「あたしがいる意味って、なんなのよ……」
 あたしは窓から外を見た。星が見える。夜だった。
 ぼそぼそと声が聞こえた。台所だ。声ってことは、誰か来てるんだ。
 あたしはベッドから降りて、そっとドアに近づいた。
「じゃあ、わざとエマレットに厳しくしたのか」
 あたしははっと動きを止めた。ゼメットさんの声。わざとってどういうこと?
「まあ……そうなるかね」
 パパの声。
「いずれあの子は、俺といっしょに王都に戻って第零駆逐軍に入ることになっている。『スパイラス』の合奏法を完全に身につけたらね。軍とはそういう約束だ」
「レイニーの代わりを育てろ、か。……買われてるな、オルゴ」
「迷惑な話さ。年端もいかない子供に、死体や戦いを見せつけにゃならんのだから」
 あたしはどきどきしながらパパたちの話を聞いていた。ちょっと酔っ払ってるみたいだけど、パパがこんなに真面目に話すの、初めて聞いた。
 それに、その内容。やっぱりあたしはママの代わりなんだ。
 足の力が抜けて、あたしは座りこんじゃった。
 すると、パパがおどけたように言った。
「なんてね、俺がそんな約束を守ると思うかい」
「守らないのか」
「それぐらい察してよ、ゼメットあんちゃん。軍にいた間は離れてたけど、ガキの頃からの付き合いだろ」
「そうだな、おまえは気に食わない大人には、徹底的に逆らうガキだったよな。……表向きはばかだと思わせておいて」
「覚えてるじゃん」
 楽しそうにパパは言う。
「エマレットは俺の大事な娘さ。戦争で失うのはレイニーでもうこりごりだ。あの子はレイニーじゃない。フォニカも本来は戦いの道具じゃない。おれはあの子がスパイラスを使えるようになったら、背中にかついでとっとと逃げ出すよ」
「だったらもっとやさしくしてやれ」
「旅に出ればどっちみち、争いの一つや二つは起こるからね。軽く免疫をつけてやったのさ。……お、もう一杯飲むか」
 あたしは、胸の前でぎゅっと両手を握った。
「パパ……」
 今のはきっと、パパの本音だ。パパは本当に、あたしを大事に……
「そういや、シグレスくんはどうしたかね」
「家に返したよ。あいつはなにも知らなかったんだから」
「そいつはどうかな」
「うん?」
「『ククルスルク』は邪心のない人間には憑かないよ。シグレスくんがああなったのは、普段からああいうことを考えてたからさ。――縛り首にしろとは言わないがね、ちょっとは痛いめに合わせてやってくれないかな? 自警団長どの」
「……おまえにしちゃ厳しい意見だな」
「どこが厳しいもんかね。俺は愛娘を殺されかけたんだぜ。奴が前からそういう目でエマを見てたって知ってたら、怪物の代わりに封じこめてたよ」
 シグ兄ちゃんが……
 あたしの中で、なにかがひっくり返った。憧れてたシグ兄ちゃんが悪い人で、ばかでエッチだと思ってたパパが、本当にあたしを愛してくれてる……
「ケガした他の連中を軽くけしかけるかね。おまえはあの化物をちゃんと遺跡に戻してくれよ」
「わかってるって。明日ね」
 パパたちの話を背に、あたしは決めた。


 ゼメットさんが帰った後、毛布がそっと直されたから、パパが来たってわかった。
「パパ」
「うおっと、びっくらこ」
 目を開けると、パパがあたふた変な踊りを踊ってた。おかしい。ほんとはあんなにかっこいいのに。
「起こしちゃったかな?」
「起きてたよ。あのね、傷が痛くて」
「痛いとな! それはいかん、先生に見せてみなさい!」
 パパは喜んで毛布をめくろうとする。あたしはその手をつかんで横にどけた。
「待って、さわらないで」
「まーそう言わずに。ささっと具合を見るだけだから。ね?」
「……ほんとにささっとでいいの」
「エマちん?」
 きょとんとするパパの顔を、あたしは見上げた。
「パパってほんと、裏表ありすぎ。ちゃらんぽらんなふりして強いし、あたしを軍に入れる約束しといて、無視して逃げるなんて言うし」
「ぐ、軍ってなんのことかな」
「聞いたの、さっき」
 口をぱくぱくさせるパパに、あたしは笑ってみせた。
「あたしをママの代わりとは思ってないなんて言ってたよね。すごくうれしい。でも、それだって本音の全部じゃないでしょ? あたしをママに見たてて、べたべたさわってたんだから」
「え、えーと」
 パパはまだひきつり笑いをしたまま、言いわけした。
「いや、本音よ本音! エマはママの身代わりなんかじゃないってば! パパはエマ自身が可愛いからスキンシップしただけで――」
「あれ? それじゃ、あたし自身にエッチなこと考えてたんだ?」
「や、だからですね、そんなこと考えてないって!」
「いいよもう、無理しなくて」
 あたしは毛布をどけて、体を起こした。
「パパは一生懸命あたしを大事にしてくれようとしたんでしょ。わかってるよ。けがの手当て、ここだけはしてないし」
 ワンピースのおなかの下に手を当てる。パパがぷいっと目を逸らした。
「一線を引いてくれてたんだよね。でも、まるっきりエッチなこと考えてなかったなんて言わせないよ。じゃなきゃ、お尻も足もさわらなかったはずだもん」
「うーん、えーと」
「パパ、あんまり嘘がうますぎて、自分でもわからなくなってるんだと思うよ。ふざけてあたしに触ってるつもりでも、ほんとはエッチしたかったんじゃないかな。シグ兄ちゃんと違って、ほとんど完璧にその気持ちを消してたみたいだけど」
「エマちゃん、今日はなんだかめちゃめちゃツッコむね」
 剣を突きつけられたみたいに額に汗を浮かべて、パパが苦笑した。
「パパはそんなこと考えてませんて。もう触ったりしないから、忘れよ。ね?」
「もっとつっこむよ。今日は逃がさない」
 あたしはパパの服のすそを握り締めた。
「あたしの体がママの代わりかどうかなんて、もう気にしない。パパちゃんとあたしを見てくれてるもん。どう思っててもいいから、あたしにさわって」
「さ、さわってってねキミ、どうしちゃったの?」
 最後の抵抗みたいに、パパが先生口調で言う。
「女のコがそんなこと簡単に頼んじゃいけませんよ。男にそんなこと言うとたちまち狼になっちゃうんだから……」
 それを聞いたとたん、あたしはものすごい恐怖を思い出した。
「だからそれを教えてって言ってるの!」
 叫んじゃった。パパが笑顔を引っ込める。
「パパ、わかってる? あたし、生まれて初めて男の人に乱暴されたんだよ。すごく怖かったよ。痛かったよ。もっと心配してよ」
 ああ、そうだ。なんで自分がこんなにパパに頼むのか、やっとわかった。
「あたし、このままじゃお嫁にいけないよ。エッチが怖いままになっちゃうよ。パパが教えて、怖くないって教えて」
 すごく嫌なことがあったとき、人間は無理やり自分の記憶を封じるって、本当だったんだ。今の今まで、あたしはシグ兄ちゃんの怖い顔を忘れようとしてた。でもそれじゃだめ。いつか思い出しちゃう。書き換えて、塗りつぶさなきゃ。
「やさしくさわって、パパの指で……」
 涙が出てきた。あたしは毛布の端をつかんで、うつむいた。
「エマちゃん」
 肩に手が乗った。
「そうだね……パパちょっと、エマちゃんを振りまわしすぎたかもしれないね」
「そうだよ」
 あたしは、その手に自分の手を重ねた。
「今日ぐらい、ほんとのパパを見せて……」
「少し、怖いかもしれないよ」
「そんなことない」
 あたしはパパを見上げた。パパが、秋の月みたいなやさしい顔で微笑んでた。初めて見る顔だった。
「パパならきっと、怖くない」
「……ほんとにエマはいい子だ」
 そう言って、パパはあたしに長いキスをしてくれた。


 後ろからあたしを抱っこしたパパが、パンツの上からあそこをくりくりいじる。
「痛い?」
「ちょっと……」
 傷が開いたみたい。小さな火みたいな痛みが、あそこでずきずき脈打つ。
「お薬も一緒に使おうね」
 パパがベッドの横の救急箱から軟膏を出して、指ですくう。その指でまた触った。
 パンツの布から、ぬるぬるしたものが染みとおってくる。パパの指が、それを熱い傷にもみこむ。痛いのがひんやり小さくなってく。
「ん……いいよ、パパ。落ちついてきた」
「また痛くなったら言うんだよ」
 パパが耳元でささやく。ひげが耳たぶに当たってさわさわこすれる。くすぐったいけど、やめてほしくない。気持ちよくって、あたしは耳をパパのあごにこすりつける。
 それは多分、背中を守ってくれるパパのあったかさのせい。こんなに体の力を抜けるのも、胸の広さのせい。
「パパ……なんかほっとする……」
 パパがパンツをこすり続ける。痛みがなくなったのに、また熱くなってきた。でも今度の熱さは尖ってない。じんじん震えながら、腰を溶かしちゃうみたい。
 さあっ、さあっとパパが太ももをなでる。それであそこのしびれが広げられるみたい。足の力がどんどん抜ける。ひざを立てていたのに、開いちゃう。
 ちろっ、て奥から漏れてきた。
「からかわないでね」
「ん?」
「そこ……出てきちゃってる。恥ずかしいから言わないでね?」
 パパがパンツの真ん中を軽く叩いた。くちくちって音がする。もうはっきりばれてるけど、パパはなにも言わない。シグ兄ちゃんみたいに意地悪しない。
 だからあたしは、どんどん漏らせる。
「出てるでしょ? 指くちゃくちゃするでしょ?」
「そうだね」
「仕方ないよね、あたしエッチじゃないよね?」
「そうだよ」
 うそだ、あたしエッチだ。じゃなきゃ自分から言わない。
「中、中さわって。いっぱい出ちゃう、押さえて……」
 パパがパンツの上から手を入れる。強い指がやさしく滑って、一番むきだしになったところに引っかかる。
「にゃっ!」
 跳ねちゃった。パパがぎゅっと抱きしめてくれる。
「エマの鳴き声、パパといっしょ」
「ぱ、パパみたいにヘンじゃないよ、にっ! あにゃっ!」
 とろーっ、て指が間に入ってきた。背骨がぞくぞくぞくって震える。パパの指でそこを塞げるように、あたしはきゅっと締めようとした。
「……にやあん、やあ、だめえ」
 指、気持ちよすぎる。声まで溶けちゃう。吸い上げたはずなのにどんどん漏れちゃう。パパの指を汚してパンツに染みてく、あたしのおつゆ。
「こ、こんなにお漏らしするつもりないのにぃ……」
 頭を揺さぶって暴れるあたしを、パパが片手で押さえてくれる。その手がおっぱいにさわった。
「そ……そこも?」
「いや?」
「つかんだりしないよね?」
 もちろんしなかった。パパはまあるく手のひらを動かして、おっぱいを可愛がってくれる。ちょっと手が離れたと思ったら、気がつかないくらい素早く前のボタンを外されて、中に入ってきた。少し指紋がざらざらしたけど、それで先っちょをこすられると、ちりりっ、と頭のてっぺんに気持ちよさが刺さった。
「にゃはっ! ……パパ、そこもいい」
「そりゃよかったね」
 いたずらでさわってた時は、全然本気じゃなかったんだ。これに比べたらあんなのほんとにスキンシップ。やさしいのにやらしい。すごくやらしい。
 やらしくてもシグ兄ちゃんとは全然違う。あたしの体をもぎ取るみたいなシグ兄ちゃんの手に比べて、パパの指はあたしの体に気持ちよさを注ぎこむみたい。シグ兄ちゃんでよくなってた自分が、すごく間違ってたのがわかる。
「パパいい、いいよ。もっとさわって。ほんとにいいの!」
「わかるよ。エマはうれしいんだね」
 そう、うれしいの。あたしはこくこくうなずく。そんなことしなくってもパパには伝わってる。もうパンツから垂れてる。パパがそのおつゆを楽しそうにかき混ぜる。
「ぱ、パパ……パパも気持ちいいの?」
「ん? そりゃいいよ。エマはすごくやーらかいもん」
「それだけじゃ足りないでしょ……」
 いくらパパが大人だからって、なんにも考えずにこんなやらしい指使いができるはずない。ううん、できるなんて思いたくない。あたしを好きなら、パパだってエッチな気分になってくれてるはず。
 あたしは手を腰の後ろに入れた。パパのズボンの前。そしたら……
 硬くなってた。
「やっぱり……パパもエッチなんじゃない」
「こら、エマ」
 パパが叱るみたいに言ったけど、あたしは許さなかった。パパばっかり平気な顔でいるなんて、ずるい。
「パパも気持ちよくしてやるんだから。逃げないでよ」
 あたしは手探りでパパのズボンのひもをほどいて、手を突っ込んだ。一瞬だけ、シグ兄ちゃんのあのすごいのが頭に浮かんだ。
 大丈夫だった。パパのは普通だった。でもずいぶん大きい。親指と中指で握って届くぐらい。熱くって硬い。
「エマ、やめてってば……」
「やめない、パパも気持ちよくなるの。ううん……」
 あそこに食いこむパパの指に眉をしかめながら、あたしは振りかえった。
「あたしが身を守るためにやるの。パパがキレてあたしを襲っちゃったらやだもん。手だけで我慢しなさい!」
 きゅっと握っちゃった。パパがふっと鼻から息を吐いて、困ったような顔をした。
「まいったね……これじゃ逃げられない」
「逃げたくないくせに」
 目が合うと、パパはついっと顔をそらした。それを追っかけて、あたしは無理やりキスした。すぐにパパも答えてくれる。あん、こういう時はおひげがじゃま!
 横を向いてパパのひざに座って、ずっとキスを交わしながら、あたしはパパのをこすりつづけた。パパもあたしをさわってくれる。どんどん指が早くなる。
「パパ、パパあ! もっとさわって、痛くないから、強くしていいから!」
 パパの指があたしを弾く。フォニカの代わりにあたしを弾く。パパのタッチは気が変になるくらいすごい。速くても痛くない。遅くても鈍くない。あたしは蛇腹の代わりに足を広げて、フォニカになったみたいに声を上げる。
「ひにっ、いいっ、いいよう、パパあ、溶ける、あたし、燃えちゃう!」
 ちゅくちゅくちゅく、と副旋律が聞こえる。あたしも思いきりパパのを弾く。クライマックスはすぐに来た。
 にゅくっ、と奥をつつかれて、あたしはきゅーっと縮こまった。
「パパっ!」
 目の奥で火花が散る。手に力が入ってこすりながら引っ張っちゃった。パパの先っちょがズボンから顔を出してあたしを見る。
 びしゃっ、とほっぺたに熱いものが当たった。何度も何度も当たった。目と鼻が覆われて見えないし息もできない。でもパパが震えてるのはわかる。パパもいってる。可愛い。
「パパあ……」
 口を開けて言ったら、とろっと入ってきた。歯の前に苦いものが触る。
「やだ…… ヘンな味……」
 力の入らない手で、あたしはそれを拭いた。とたんに、パパのあわてたような声が聞こえた。
「わっ、え、エマ、ごめん!」
「え……?」
 鏡を見たいけど、目を開けられない。すると、パパの手がタオルといっしょに当てられた。やさしく拭かれる。
「……ん……」
「す、すんごいことになってるよエマちゃん」
「うん……いいよ」
「え?」
「パパのだもん。でも、拭いといてね」
 燃え尽きたあたしの体が、少しずつ冷えてく。エッチな響きのデクレッシェンド。
 幸せに疲れて、あたしは眠くなった。
「パパ、ありがと」
「どういたしまして」
「これがほんとのエッチなんだよね。あたし、わかった……」
 あたしはとろとろ落ちていく。パパの腕がやさしく包んでくれる。


「えーま、ちゃんっ!」
「キャーッ!」
 朝ご飯の支度をしてたら、後ろから思いっきりスカートをめくられた。
「なにすんのよ!」
 振り向きざまあたしはナイフをぶん投げ――ようとしていなかったから、スカートの間に突き刺した。
 そこにもいなかった。パパは流しの上に飛び移っていた。後ろから胸をつかまれちゃった。
「ふ、未熟な」
「ふじゃないーっ!」
 あたしはぶんぶんナイフを振り回して叫んだ。
「調子に乗らないでよ、昨日あんなことしたからって!」
「昨日?」
 おさるさんみたいにテーブルに飛び移ったパパが、首をかしげた。
「はて、なんのことでござるか」
「そんなこと言えるわけないでしょ、昨日ったら昨日――」
 あたしははっと気付いた。パパが、ふざけてはいるんだけどちょっと困ったような顔で、あたしを見てる。
「……なにも、なかったかな」
「なかったなかった。全部気のせいっすよ!」
 床に下りて、パパがあたしに向かって身をかがめた。ちょっとドキッとする。
「一度で十分だよね? エマちゃん」
「え……」
「あんまりパパを困らせないこと」
「う、うん」
「わかればよろしい」
 そうか、パパ……こうやって、昨日のちょっといけないいたずらのことを封じたつもりなんだ。
 やさしい、んだよね。前と同じように相手してくれるって言ってるんだから。
 でも……パパはそうでも、あたしが。
 今、覗き込まれたとき、心臓がぴょんってジャンプした。
 もう、パパのこと、パパって見れないかもしれない。
 あたしが黙っていると、パパは作りかけだったベーコンサンドをぱっくり一口で食べて、戸口に向かった。
「さあて、パパはこれからお出かけですよ。あの悪い鳥さんを片付けてこなきゃね」
「あ、あの、パパ?」
「エマちんはお留守番っ!」
「そうじゃなくて!」
「あ、そーか」
 いきなりパパは顔を寄せると、ちゅ、とあたしのおでこにキスした。
「行って来るよハニー」
「こ、こらあ!」
 にゃははは、と笑いながらパパは飛び出していく。あわてて窓に駆け寄ると、踊りながら走っていくパパが見えた。
 もっとキスされたい。おでこなんかじゃいや。でも、言えない。
 あたしは真っ赤な顔で、窓から叫ぶ。
「パパのばかっ! 困るじゃないのーっ!」

―― おわり ――


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