次へ 戻る メニューへ  皇帝陛下は15歳!

 第3話 後編

 7.

 湖のほとりに築かれた小さな美しい町。その背後には万年雪をまとう高峰が屏風のようにそびえ、反対側には黒い森が広がる。
 シッキルギン連合王国首都、テルーニュにクリオンはいた。
 王宮のテラスで銀嶺を見つめる彼の目に、黒い点が映った。くるくると降下しながらそれは大きくなり、一羽の巨鳥の輪郭を備えた。
 やがて、クリオンのそばに、羽ばたきを叩きつけてエピオルニスが舞い降りた。背中から降りたのは栗色の髪の女である。
「高速勅使団マイラ・ニッセン、ただいま到着しました」
「ご苦労様」
 敬礼したマイラに、クリオンは微笑みかけた。
「ほんとに十日で着いたね。びっくりした」
「ネルベからフィルバルトまでは四日かかりましたが、フィルバルトからここまでは貿易風を捉まえられましたので」
「軍はまだ王都までの半分も戻っていないだろうけどね」
 あの戦いの後、ジングリット軍はデジエラの指揮の下、王都への帰途に着いた。マイラはそれに先だって、天領総監レンダイク男爵に事の次第を報告に行き、クリオンは戦後処理のため、ごく少数の臣下をつれて、テルーニュへやってきたのだ。
「こちらはどうなっているのですか」
「昨日、シッキルギンのキルマ盟王に挨拶しただけ。着いたのが一昨日なんだもの」
「では、まだミゲンドラ軍の処分も、造反したキナル王子の沙汰も済んでいないのですね」
「そうだよ」
 クリオンは憂い顔で言った。
「そそのかされただけの姫はともかく、あのフランボニーっていう貴族や、キナル王子は、甘い処分じゃ済まされないだろうね。……それで、男爵はこの件についてなんて言ってた?」
「書簡をお預かりしています。しかし、要点は口頭で申し上げろと言い付かっております」
 封をした手紙をクリオンに渡しながら、マイラは言った。
「もっとも重大なことは、今回の戦争でジングリットに侵略の意図がなかったのを、キルマ王やシッキルギンの諸国に、よく訴えることです。これは問題ありませんね」
「うん、キオラがお爺さんによく言ってくれた」
「次に、キナル王子の陰謀についてですが、これには口を挟むべからずとのことです。他国の政情に口出しをすれば疎ましがられるし、いらぬ恨みを買うことになると」
「わかった。じゃあ、ミゲンドラ軍のことも、シッキルギンに任せるべきだね」
「いえ、それは」
 マイラは、少しよそよそしい口調で言った。
「それは別だと男爵はおっしゃいました」
「え? ああ、ジングリットにも被害が出たからか。賠償金を請求しろとか?」
「逆です。――この機会に、できるだけ好意を見せておくようにと」
「好意を?」
 クリオンは驚いた。男爵は、自国の兵士がたくさん死んだことが、悔しくないのだろうか。
「軍が怒るよ。デジエラやフォーニーが。彼らは部下を大勢なくしたんだもの」
「それをむしろ利用しろということでしょう。賠償金を要求しないことで、ミゲンドラに恩を売って友好関係を築く。そうすれば、必ずしも同盟国ではないシッキルギンの国内に、獅子心中の虫を飼うことができます」
「そこまで計算を……」
 シッキルギンに恩を売るための出兵であることは、クリオンも自覚していた。しかし男爵は、敵であるミゲンドラの利用方法まで考えていたのだ。そこに好意や感傷はない。だが恨みも敵意もない。薄ら寒いほど冷徹な現実感覚があるだけだ。
 いや、レンダイク男爵は血も涙もない打算家ではない。彼の国と民を思う気持ちはクリオンが一番よく知っている。そのためになると思ったからこそ、あえて自軍の被害に目をつぶり、敵将を許す決断をしたのだろう。
 クリオンはそれを、レンダイク以上にわかっていなければいけない立場なのだ。
「……将来、万が一シッキルギンがジングリットに敵対したら、その布石は生きてくると思う。その時にジングリットの民の犠牲を、少しでも減らせるかもしれない」
「わかっています」
「つらいよね、マイラも兵士だもの。わかるよ」
「陛下……」
 マイラは顔を上げ、何か言おうとした。
 それから、ふと唇をかんで、いっそうつらそうに言った。
「……それから、もう一つお伝えすることがあります」
「なに」
「レザ・ストルディン様に、栄誉を与えてくれないかと」
「栄誉って……何を」
「レザ様は貴族の中でも、フロール・パレスの前帝妃様がたの中でも、象徴的な存在です。あの方を味方にできれば、国内の貴族に対する強力な牽制になると、男爵はおっしゃいました」
「味方に……」
「いえ、はっきり申し上げます。私の解釈ですが、間違ってはいないと思います」
 マイラは振りきるように言った。
「レザ様をお妃の一人にしろと、男爵はおっしゃったのです」
「――あの子を!」
 クリオンはしばし、ものも言えなくなった。その間に、マイラは一礼し、エピオルニスの背に飛び乗った。
「……伝言は以上です。失礼いたします」
 巨鳥が羽ばたき、マイラは去った。
 最後に伝えられたことの意外さに打たれていてクリオンは、去り際のマイラの表情に気付かなかった。

 その午後、クリオンは盟王キルマに呼ばれて裁判に同席したが、心は乱れたままだった。
「……諸々の事情を伝え聞くに、やはりおまえの良からぬたくらみが、今度の騒動の火種となったようだな」
 馬蹄形のテーブルの頂点に座したキルマ王が、じっと孫のキナルを見つめる。キルマだけではなく、テーブルには他に十五名の領王がついていた。いずれもシッキルギン連合王国を形成する、各王国の君主たちである。
 テーブルに囲まれた床に立たされたキナルが、残り少ない望みに賭けるようにして、訴える。
「そうではありません。私は本当に、テルーニュが危険だと信じていたのです。そうミゲンドラのフランボニー侯爵に信じこまされていたのです」
「死人に口無しか。侯爵は最後の戦いで戦死したそうだが、それを伝えたのもおまえだったな。……どうやら、侯の死に様も調べなくてはならぬか」
「私が殺したとでも?」
 悲鳴のように言ったキナルに、老いた盟王は悲しげに首を振った。
「ならばなぜ、ここにいる十五人の王におまえは頼らなかったのだ?」
「それは……」
「ジングリットが攻めてくる、余がそれを放置しているというなら、諸王すべてを促して決起の軍を起こすのが本当ではないか。なぜおまえはミゲンドラのみを信じ、頼った?」
「……」
「一国に絞らねば操れなかったからとしか、思えぬではないか。……そんなおまえが侯爵を殺していないと、どうやったら信じることができるのだ。教えてくれ、かなうものなら……」
 最後の言葉は、孫に向けた祖父の本心だったに違いない。だがキナルはそれに答えず、ただ下を向いてつぶやくだけだった。
「リーフーめ……あいつめ……見捨てないと言ったのに……」
 キルマはテーブルを見まわした。
「決を」
「謀反」
「謀反、偽証」
「それに殺人」
「同じく」
 ……
 すべての王が有罪を宣告し、キナルには無期限の蟄居が言い渡された。彼が引きずり出されていくと、キルマは重いため息をついた。
「やれやれ……クリオン陛下、見苦しいところをお見せしましたな」
「いえ、キルマ陛下……不幸なことだったと思います」
 物思いから呼び覚まされて、背後の席で聞いていたクリオンは顔を上げた。
「あれでよろしかったか。お望みなら引渡しも検討するが」
「いえ、そちらの判断通りで結構です。咎人とはいえ、キナル殿下はシッキルギン王族。それに、キオラの従兄弟殿でもありますし……」
 クリオンの隣で、キオラが少しだけ笑顔を見せた。彼は従兄弟が大それた反乱を起こしたと知った時から、ずっと元気をなくしていた。
「お兄さま、ありがとう」
 同じようにほっとした顔を見せて、キルマが前に向き直った。
「もう一件ありましたな。これ衛視、次の……なんだ、お方を」
 罪人を、と呼べない相手だった。衛視に付き添われて不安げな顔で入ってきたのは、まだほんの子供のような娘だった。
「チェル姫」
 キオラが腰を上げる。クリオンはその時初めて、あの劇的な話し合いをした相手を見た。
 せいぜい十かそこらだろう。背丈はクリオンの胸ほどまでしかなく、故郷の衣装らしい体に巻きつけた珊瑚色の布を、床に引きずっている。浅黒い肌と大きな目はミゲンドラの血をよく現していたが、まだ鼻筋は目立たず、頬もふっくらと丸かった。
 キルマが尋ねる。
「チェル姫……いやさ、ミゲンドラ王女殿下、父上はご息災か」
「ううん、おとうさまは冬に死んじゃったの」
「そうか……」「昨秋の連合会議にもおいでにならなかったから、よもやと思ったが……」「すると、かの国の王家はもはやこの方お一人だけか……」
 王たちがため息を漏らす。
「姫。姫ではなく女王陛下とお呼びするべきか」
「……チェル、陛下なんて呼ばれるのいや」
「では姫。あなたの今後の処遇についてお話したい」
「待ってください!」
 飛び出したのは、キオラだった。テーブルを回りこんで、チェル姫の横に立つ。
「姫は何も悪くないんです。キナルや、悪い貴族にだまされていただけなんです。本当はやさしいいい子です。お願いだから罰しないで下さい!」
「キオラよ……たとえ間違いとはいえ、その子は自国と他国の多くの兵士をあやめたのだぞ」
「そうするしかなかったんです! みんな、考えてください! お父さまもお母さまもいないのに、周りを信用できない人たちに囲まれて、恐ろしい戦いの光景を見せられたら、怖がって当然じゃないですか!」
「しかし」「それでは民が……ジングリットは退いたが、何よりミゲンドラの民が納得するまい。自国の王に理由もなく殺されたとあっては」
「では、やはり幽閉を?」
 一人の王の言葉に、全員が腕組みした。
 前例がないのである。かつて反乱を起こした王はいたし、傀儡として操られた王もいた。だが、どちらにしろ病根はその国の中にあり、それを処断することで解決になったのだ。
 チェル姫はまったくの無垢であり、その行動に責任を持つものはミゲンドラにはいない。今回の乱は完全に外因によるもので、ミゲンドラをどうこうしても再発を防げないのである。
 諸王たちは困惑した。だが、一人だけ、この事態を解決できる人間がいたのである。いや、知っていたというべきかもしれない。
「連合会議でミゲンドラを直轄したらどうですか」
 クリオンの言葉に、諸王が振り向いた。
「すみません、差し出がましいとは思いますが……」
「いや、構いませぬ」「そう言えば、ジングリットも春に似たような事態になったのでしたな」
 大人たちの許可を得て、クリオンは続けた。
「問題なのは、ミゲンドラの民の不安を解消できないことでしょう。頼る王もなく、戦いの意味も教えられていない。だったら連合会議がその両方を与えてやるしかないでしょう」
「我らがミゲンドラの兵を戦いに引きずり出したことにしろと?」
「いえ、生贄はもう用意されています。……フランボニー侯爵が」
 死者を辱めることに、クリオンは胸を痛める。
「彼の野心からすべてが起きたことにすれば、キナル殿下の名も出さないですみます。連合に不信を抱かれることもありません。民は統治を受け入れるでしょう」
「しかし、姫は? 国に帰せば、下手をすれば私刑にあう」
「……予が預かります」
「なんと!」
 驚く諸王に、クリオンは注意深く続ける。
「ジングリットが捕虜として姫を連れ去れば、連合が民に恨まれることもない。逆に、この会議の一員の資格もある姫が、民に襲われることもない。姫が大人になってから戻れば、民も冷静になっているでしょうし、姫自身の力でミゲンドラを治めることもできるでしょう」
「ほほう……」「なかなかの案に思えるが」「連合にとって損はないですな」
 そしてジングリットにとっても損はない、とクリオンは心の中でつぶやく。まさしくそれは、レンダイクの書簡にあった方法だった。誰も損をしない。失われた兵士たちの命と、遺族の悲しみさえ考えなければ。
「いや、まだ問題はある」
 年かさの王が、あごひげをつかみながら言った。
「将来姫がミゲンドラに帰ったとしても、一人だけでは政治基盤が弱い。佞臣が立ち、同じような乱が起こる恐れがある。連合百年の大計を考えるのがこの席なれば、今から打てる手を考えておくべきではないか」
「ほう? 貴公にはなにかお考えあるか」
「ある。――キオラ殿下とチェル姫にご結婚いただいたらどうだ」
「結婚?」
 一座がざわめいた。キオラとチェル姫が顔を見合わせる。
「ひ、姫……」「結婚って、結婚のこと?」
「説明していただきたいですな。どうしてそれがよい考えなのか」
「よいではないか。キオラ殿下は将来、シッキルギンを背負って立たれる方。その後ろ盾あらば、姫も安心して自国を統治できるであろう。殿下は殿下で、直接統治できる領地が増えることになる」
「そう、増える。連合の中でも、シッキルギンの領地だけが増えるのですぞ」
「おや? ではこの中に、ミゲンドラを併呑したいと思われる王がいらっしゃるのか?」
 あごひげの王の悪戯っぽい言葉を聞いて、諸王は顔を見合わせ、苦笑した。
 シッキルギンは連合の名であると同時に、キルマが治める一王国の名でもある。そのシッキルギン王国は他の諸王国と同格であり、諸王たちは同じ席に並びつつ、常に他の王国の領土を狙っている。
 だが、ことミゲンドラが獲物となれば、どの国も多少迷った末、手出しを控えるのが常だった。何しろ連合の中で最も小さいので、血を流してまで奪い取っても、得るものが少ないのだ。
 今回の反乱も、実は諸王たちは気付いていながら、静観したのだった。ミゲンドラに同調しても、とうてい連合の覇権は奪えないからだ。それほどの小国だから、シッキルギン王国が吸収してしまっても、勢力はたいして変わらない。
 友情だけから顔を並べているわけではない、支配者たちの力比べが、ここでも展開されていた。
「まあ、悪くない考えですな」
 多少の顔色の差はあれ、その言葉に十五人の王がうなずいた。キルマが身を乗り出す。
「キオラや、そういうことだが、よもや異存はあるまいな」
「え……でも……」
 キオラは戸惑いがちにかたわらを見る。
 だが、姫のひとことがすべてを解決した。
「チェル、キオラさまのお嫁さんになれるのね。うれしいな」
 どっと笑い崩れる諸王たちの後ろで、クリオンもなんとはなしに心和むものを覚えたのだった。

 8.

 戦後処理がほぼ終わり、明日は帰国するという晩、クリオンはついにレザを部屋に呼んだ。ソリュータやエメラダやマウス(は、いるのだかいないのだかよくわからないが)とともに、テルーニュまでついてきたのである。
 シッキルギン王宮の一角、キオラの部屋の近くに一室を与えられていたクリオンのもとに現われたレザは、相変わらず北海の寒流のようなダークブルーのドレスをまとい、近寄りがたい美しさを発揮していた。
「座って」
 例によって完璧な礼を見せたレザに、クリオンは椅子を勧めた。向かいに腰掛ける。
「ひとつ、頼みたいことがあるんだ」
「……」
「レザ、予の妃になってくれない?」
 レザは視線を上げ、白磁の顔でクリオンを見つめた。クリオンは逃げずに正面から見つめ返す。彼はレンダイクの書簡を読み、さんざん考えたのだった。
 実はレンダイクは、最初から彼女を王妃候補に入れていた。いや、正確には、前帝の妃の娘たちの誰か、つまりクリオンとは異母兄妹に当たる娘の誰かを、候補にしていたというのだ。
 同母ならともかく、異母兄妹での婚姻は、王家にあっては珍しいことではない。血が濃くなるとの考えから、奨励されることもある。
 クリオンがずっと抱えている世継ぎの問題について、これは解決の一つになる。だが、異母兄妹を妻にすることには政略的な弱点もあった。その娘自身の発言力が弱いのである。母である前帝の妃の誰かを通じて、貴族界への影響を期待することになる。そのワンクッションがわずらわしい。
 レザを口説いてしまえば、直接の影響力が生まれる。彼女には前帝の手がついていない。親子で同じ娘と通じるタブーに触れることもない。
 今までレンダイクが言って来なかったのは、フロール・パレス側が頑なに孤高を保って、接触を拒んでいたからだった。レザが単身クリオンのそばにいる今は、絶好の好機である。逃すな、と彼は言って来た。
 だから、クリオンはなんらかの答えを出すしかない。
 クリオン自身、レザには好意を抱き始めている。彼女は心を開きつつあるようだし、チェル姫との一幕を教えたソリュータからも、それならばと同意を得ている。第一、レザは美しい。
 クリオンとしては、それほど異議はないのである。彼女が最初に見せた、硬い敵意さえなければ。
 それが怖かったからこそ、クリオンは悩んでいたのだ。
 クリオンが出した結論は、彼らしい正直なものだった。レンダイクの狙いも話す。世継ぎの必要性も話す。その上で、自分の好意も話して、彼女の意向を聞く。
「レザは知らないかもしれないけど、予はいっぱい問題を抱えているんだ」
 そう言ってクリオンは、すべての懸念を話した。それでレザが敵意をなくしてくれるのなら。
「……だから、予は――ぼくは、レザがほしい。政治的に必要って意味はもちろんあるけど、ぼくがレザを好きになったって言うのは、ほんとなんだ」
「……」
「レザは、まだぼくが嫌い?」
「――わたくしは、百花館でドアを叩く人もいない静かな暮らしを送っていると申し上げました。お分かりでしょうけど、これは重ね言葉です」
 それは要するに、今まで経済的な援助がなかったという意味の言葉だったはずだ。今さら虫のいいことを言うな、とレザは拒否しているのか。クリオンは身を縮める。
 だがレザは、意外な続けかたをした。
「ドアを叩くお方がいてもよかったのです」
「……レザ?」
「お待ちしていたのです。毎日、毎日。そのための支度もしておりました。いえ、本当に顔を見せてくださるだけでもよかった。せめて無視しているのではないと言っていただきたかった」
 それは――
「陛下はネルベで一度言い当てられたのに、すぐ話を逸らしておしまいになりました。もっと聞いてくださればよかったのです」
 重ね言葉は重ね言葉でも、一番簡単な意味だったのか。
 来てほしかったという。
「だから、わたくしは、最初からよかったのです。まして――」
 うつむいて小声になる。
「これほど……思ってもみなかったほど、暖かい皇帝陛下なら」
「レザ……」
 身構えが一気に崩れるような安堵を感じながら、クリオンは笑った。
「難しすぎたよ、レザの言うこと」
「……貴族ですから……」
「口数も少ないし」
「それは生まれつきです」
「それじゃ、いいんだね?」
「百花館の先妃様がたには釘を刺されたのですけど」
「まっすぐ言って」
 クリオンに見つめられて、こくりとレザはうなずいた。
「……はい、わたくしを妃にしてくださいませ」
「レザ……」
 クリオンは立ちあがり、レザの前に立った。彼女が上げた両手を、握り締める。
「大事にするよ」
「陛下……」
 見つめあう視線が近づき、唇が重なった。レザも立ち上がる。彼女のほうが背が高い。ソリュータよりも高くて、クリオンは見上げながら口づけする形になる。
「陛下、今ここで……」
 言いながらレザはドレスの背に手を回す。ホックの音とともに、ぱさりと布が割れた。クリオンから顔を離さぬままレザは巧みに袖を抜き、両肩を滑った布がクリオンの胸元にふわりとたまった。
「レザ、そんないきなり……いいの?」
 慎ましい令嬢だと思っていたレザの意外な積極さに、クリオンはうろたえる。ドレスに続いて胸元のブローチを外し、ブラウスまで開きながら、レザはかすかに微笑んで言った。
「恥らうばかりが貴族の躾ではありません。褥にあっては殿方を喜ばせる教えも受けています。お相手が陛下ならなおさら……」
 外したボタンの数が増えるにつれ、鏡のように光る胸元が現われ始める。
「そのための習いも、毎日しておりました」
「お、思い切りがいいんだね」
 決めたら奔る彼女らしいと言うべきか。すでにボタンは全て外され、クリオンが体を離せば上半身はあらわになる。いや、ドレスも落ちてしまうだろう。性急すぎてクリオンは少しあわてる。
 そのとき、突然ドアがノックされた。
「お兄さま……いいですか?」
「キオラ? ちょ、ちょっと」
 クリオンが制止する間もなく、ドアノブが回った。なぜか遠慮するように薄く開けただけで、キオラは中に入らず言う。
「あの……お願いがあるんです」
「ちょっと今は」
「だめですか? すごく困ってるんですけど」
「何の用? ぼくじゃないとだめなの?」
「はい、他の人には聞けないんです。……だって、女の人のことだもの」
「女の人?」
 キオラの顔の下に、ぴょこりともう一つの顔が現われた。クリオンは驚く。
「ち、チェル姫……」
「あ、出ちゃだめだって!」
「だってキオラさま、夫婦二人ですることなんでしょう? チェルも聞いておかないといけないと思うの」
「キオラ、女の人のことって、まさか」
「……はい、チェル姫と、なんだかそうなっちゃって……」
 顔を傾けて照れながら、キオラは部屋に入りかけた。
「ボク、まだだからわかんないんです。お兄さまならボクにもして下さったし、教えてくれるかなって――レザさん?」
「うわあ……」
 クリオンは顔を押さえた。致命的というほどではなかったが、どちらにとっても気まずい対面だった。レザは目を見開き、キオラは唖然とし、チェル姫はさっとキオラの後ろに隠れてしまう。
「お兄さま、レザさんと……」
「ええとこれは……」
 抱き合ったままでは言い訳のしようもないが、離れれば言い訳どころではなくなる。クリオンはしどろもどろになる。
「レザを元気付けてただけで、何も別にやましいことは、とにかくその……ちょっと出てよ、キオラ」
「そうですわ、やましいことはありません」
 レザが責めるように言った。だが相手はキオラではなくクリオンである。
「妃にして下さったのですから、隠すことはないでしょう。ええキオラ様、今わたくし、陛下に愛していただくところです」
「そ、そうなんですか」
 あまりに堂々としたレザの態度に、キオラはかえって赤くなる。
「ごめんなさい、それじゃボクたち……」
「待って、キオラさま」
 その時、チェル姫がそうっと顔を出した。
「あの……あなたがレザさま?」
「ええ、わたくしがレザです。そう言えば、ご挨拶がまだでしたわね」
 クリオンを抱いたまま、レザは器用にスカートの裾をつまんだ。
「こんな姿勢で失礼いたします。初めまして、チェル姫殿下」
「初めまして、ミゲンドラのチェルです。そのせつはご迷惑おかけしました」
 ぺこりと頭を下げたチェル姫は、そのまま出ていくかと思いきや、そろそろと二人に近づいてきた。身動きの取れないクリオンとレザを見上げながら、ぐるりと一周する。
「おふたりは、夫婦なの?」
「夫婦って言うか……」「ええ、左様にございます」
「これから夫婦の契りをなさるの?」
「ち……」「ええ、その通りです」
 どこまでも悪びれずにレザが答えると、チェル姫はぱっと、花が開くような笑みを浮かべた。
「わあ、ちょうどよかったです。チェルもキオラさまも、やり方がわからなくて困っていたの。おふたりでお手本をしてくれないですか?」
 クリオンとキオラが、似たような顔で絶句する。だがこの時も、一番落ちついていたのはレザだった。
 彼女は、幼い二人のカップルを交互に見比べると、少し考えこんだ。
「……お二人のご婚儀は政治的な成り行きだとお聞きしましたけど」
「そうですけど、もともとボクたち友達でした。姫が何度かテルーニュに来たことがあって……」
「では好きあっておられるのですね。しかし、その御歳では早くはありませんか」
「あら、ミゲンドラでは普通なのよ」
 チェル姫がおませに笑う。それを見たレザは、クリオンに視線を移した。
「陛下、教えて差し上げましょう」
「レザ?」
「わたくし殿方に触れていただくのは初めてですけど、するべきことはわかっています。陛下はもうご存知ですよね」
「でも、そんなこと……普通は二人でするものだよ」
「陛下」
 クリオンの耳に顔を寄せて、レザは小声で言った。
「拒んだら、姫が悲しまれます」
「……」
「わたくしには、姫をご安心させる責任があるのです。約束しましたから……」
 それもまた彼女の性格なのだろう。確かにレザはあの戦いの最中、チェル姫を護ると言ったのだ。
 そうは言っても、ここまでする必要はないような気がする。クリオンはまだ歯切れ悪く言った。
「でも……教えるって言っても、何を……」
「なにも、してみせる必要はないのです。お二人について、手ほどきをするだけでも」
「……わかったよ」
 クリオンは振り向き、キオラと決まり悪げな苦笑を交わした。妙なところで、女に引っ張られる男同士の共感を覚えてしまっていた。
「ごめんあそばせ」
 不意にレザがクリオンから体を離した。ドレスがするりと床に重なり、ブラウスの前が狭く開いた。服を着ていても腰高に見えたが、現われた脚はすらりと長く、弓のようにしなやかに伸びていた。
 その姿に唐突さを感じさせるいとまもなく、レザはしゃがみ、チェル姫の手を取った。
「さ、姫も。キオラ様に姿をお見せになるのです」
「……うん」
 チェル姫は自分の衣服に手をかける。それに、そろそろ覚悟を決めたクリオンが声をかけた。
「姫、待って。キオラ、きみがやってあげなよ」
「は、はい」
 こくりとつばを飲みこんで、キオラは前に出た。万歳をした微笑ましい格好のチェル姫に手を伸ばす。
 チェル姫の衣装は、朱に近い珊瑚の色に染めた、長い布だった。端を取ってキオラはそれを巻き外していくが、いつまでたっても布が終わらず、あわてる。
「姫、これなんなの? 十メートルぐらいありそう……」
「サリーっていうのよ。でも五ヤードしかないのよ」
 十メートルが五ヤードでも、慣れないキオラを焦らすには十分だった。ようやく姫の体の輪郭が見えてきたころ、巻いた布を取り落としてしまう。
 クリオンが笑いだしそうになりながら言う。
「落ちつきなよ、キオラ」
「ボク、女の子の服を脱がすのなんか初めてで……」
「これは特別だって」
 先々大変だな、とクリオンは笑いをかみ殺す。
 なんとかキオラがサリーを脱がせ終えると、チェル姫はうつむき加減に、それでも両手を後ろに回して、胸を張った。残るは体にぴったりした短いブラウスと、小さなペチコートだけ。
 頭の両横に房のように垂らした髪は、ソリュータと同じ闇の黒だが、彼女のようなさらりとした軽さがない代わり、しっとりとした柔らかさをたたえている。肌は飴色で、濁りはなくつややかだ。うなじには産毛が残り、胸にはまだ膨らみの兆しもなく、腰と尻のくびれもほとんどない。ただ瞳ばかりが吸いこまれそうなほどくっきりと大きい。
 見慣れたエメラダや侍女たちの体とは違う、まだ成熟にはほど遠い清らかな姿を見て、クリオンは罪悪感を覚える。普通のジングリットの娘が結婚を許されるのは十五からだ。平民とはかけ離れた房事の習慣を持つのが貴人だが、クリオンにはいまだ、素朴なグレンデルベルトで培われた常識が残っている。
 しかしキオラは王族らしく、小市民的なモラルなど最初から感じていないようだった。素直な興味をこめてチェル姫の体を見つめている。
「キオラ、その……さっき言ってた、そうなっちゃったって、何がそうなっちゃったの?」
「え」
 キオラは頬を赤くした。
「ボク、姫が国から遠く離れて寂しいって言うから、慰めてたんです。座ってぎゅってしてあげてるうちに、姫があったかくて柔らかいから、ついお兄さまのこと思い出しちゃって……」
「キオラさまね、おもしろいの」
 チェル姫が無邪気に言った。
「女の子みたいなかっこうをなさってるのにね、あそこには硬いものがついてるの」
「姫!」
「それを触ってあげたらね、そんなことしちゃいけないって言うのよ。ずっとずっとしながら、いけないって言うのよ。いいのか悪いのかどっちなのって聞いたら、夫婦だったらいいって言うから」
「……もしかして、姫がよくわかってないのにしようとしてた? キオラ」
「だって……姫、可愛かったんです」
 恥じ入りつつも、キオラは上目づかいに見上げる。そういうそぶりをしても、いつも娘を装っているぐらいのキオラだから、あさましい感じはしない。むしろ我慢できなくなったさまが、可愛らしくさえ見える。
 もともとこの子はそういうの好きだからなあ、とクリオンは胸の中だけでつぶやいた。何しろ、同性の自分と火遊びをしたがるぐらいなのだ。
 そんな激しいところのあるキオラにチェル姫を任せてしまったら、二人がともに傷つくようなことになるかもしれない。それぐらいなら、自分がついている今、二人を結び付けてしまったほうがいい。
「キオラ、触ってあげて」
「お兄さま?」
「キオラなら、姫をうまく導けると思うよ。ほら、優しく……」
 キオラは胸の前で片手を握ると、熱い目でチェル姫を見つめた。半裸の彼女に手を差し伸べて、肩に触れる。
「……ベッド、お借りします」
「うん」
 キオラは姫をベッドに座らせ、膝をついて口づけする。ん……と鼻を鳴らして、チェル姫も受けた。ちろちろと舌の触れ合う音。
 それは不思議な可憐さに満ちた光景だった。年端もいかない少女に、それより少し大きいだけの娘が、情熱的なキスを与えている。亜麻色の長い髪、白桃色のケープ、そして膝丈の草色のスカート。姿はあくまでも娘のそれ。
 だが、そのスカートを、中から徐々に小さな膨らみが押し上げている。
「姫……」
 キオラが小さくつぶやき、たっぷりしたチェル姫の髪を抱きしめた。顔を落とし、綿のように柔らかい首筋に唇をうずめていく。
「やん……くすぐったい……」
 チェル姫はくすくす笑う。だが完全な笑いではない。かすかなとろみが混じり始めている。
 キオラはチェル姫のブラウスをはいで押し倒し、まだ輪郭も定かでない鎖骨や乳首にキスを降らした。くうん、と幸せそうな吐息をチェル姫は漏らす。ただ一人信頼できる相手に触れられて、ごく自然に体と心を開いている。
「あったかい……とくとくいってる……」
 チェル姫の胸に頬を押しつけて言ったキオラに、そばに座ったクリオンが聞く。
「うれしい?」
「はい。……ボクよりちっちゃい体って、守ってあげたくて……」
 それがキオラに芽生え始めた未熟な征服欲だと、クリオンは気付く。
「いいよ、してあげなよ」
「でも、どうすれば……」
「ぼくにはあんなに積極的だったのに?」
 そうか、とつぶやいて、キオラは体を下げた。チェル姫の下着を引き下げる。そこだけ下着の形に日焼けが抜けた、白い下腹が現われる。
 当然指だとクリオンは思った。だがキオラは、最初からそこにくちづけした。クリオンは驚く。
「キオラ、口で? そんないきなり……」
「でも、このほうが痛くないです」
 キオラはうっすらと笑う。
「お兄さまで慣れてますもの……チェル姫のだったら、平気です」
 キオラの言葉に、ちゅっ、と小さなキスの音を重なった。
 姫の短い太ももを広げて、恥毛の陰りすらない、まだ小さなひだが合わさっているだけのそこを、キオラは柔らかく溶かしていく。
「あん……キオラさま、それなあに?」
「こうするとね、気持ちよくなるんだよ」
「ほんと……じいんってする……」
 浮かせたつま先を、ぴくっ、ぴくっと動かして、チェル姫は首を振る。
「んああ……溶けちゃう、きもちいい……レザさま、ねえレザさま」
 潤んだ瞳を動かして、チェル姫はレザを呼ぶ。びくっと震えて、レザがその枕元に近づく。
「なんでしょう」
「チェルもお返ししたいの。女の子ってどうすればいいの?」
「それは……その、同じところを愛して差し上げれば……」
「そうか、そうね。キオラさまもあんなに硬くしてらしたもの。キオラさま……」
「してくれる?」
「うん……」
 レザもクリオンと同じように、単に触れることだけをほのめかしたつもりだった。だが、ベッドに上がったキオラは、スカートをたくし上げて姫の顔のそばに腰を横たえた。姫はためらわずにキオラの薄い下着を下げ、現われたものを小さな唇でついばんだ。
「これ、愛してさしあげればいいのね。キオラさま……」
 最初はぎこちなく、やがて夢中になって互いの秘所を味わい始めた幼い二人を、クリオンとレザは毒気を抜かれたように見下ろした。
「この子たち、ジングリットの人間じゃないから、教会の教えを受けてないんだよ。だから罪だと思わないんだ」
「……」
「手ほどき、いらないぐらいだね」
「……ええ」
「――レザ?」
 クリオンの手がぎゅっと握られる。振り向いたクリオンは、レザの端正な横顔の紅潮に気付く。
「わたくしも……陛下を喜ばせて差し上げたい」
 レザはこちらを見る。ソリュータの柔らかさとは違う気品、スーミーの無機質さとは違う華やぎをたたえた、美しすぎる顔がクリオンを見つめる。
 雪の花のような顔で、レザは許しを乞うように聞く。
「抱いていただけますか?」
「レザ」
 クリオンはレザに手を伸ばした。ブラウスの前を広げて胸骨に触れ、少し浮いた肋骨の狭間から縦長のへそにまで指を滑らせ、その下の絹の下着に指を落とす。
「レザ、綺麗すぎる……なんか気が引けるよ」
「いいのです。皇帝陛下のための体です」
 自分だけは、この誇り高い娘を汚すことができる。優越感に震えながら、クリオンはレザを抱きしめた。一片の贅肉も、ひと掃きの汚れもないレザの清潔な肢体を、クリオンは触れまわしていく。
「お愉しみ下さい、わたくしを」
 広いベッドに押し倒され、レザはキオラたちの横に体を伸ばす。長い手足を投げ出して力を抜く。この子もスーミーみたいに受け入れるだけなのかな、とクリオンは思いかける。
 だが違う。クリオンが欲しがるところを、レザはきめ細かく察して差し出す。腕を吸えば腕を差し上げ、脚を取れば膝を曲げ、ブラウスをかきわけて乳房を吸えば、そっと頭を抱きしめる。どの仕草にも忠実な献身があふれている。
 それでいてエメラダのように露骨ではない。あくまで誇り高く、貴重な供物として自分の体を捧げている。
 指先まで自信に満ちたレザでなければできない抱かれ方だった。
「すごい……レザ……」
 そんな反応をする娘は、まさに皇帝の自分しか味わえない。クリオンは瞬く間に、その極上の美味に酔いしれていく。
「失礼いたします」
 レザが手を伸ばし、クリオンのズボンを下げてペニスを取り出す。張り詰めた表面に触れたところで、一瞬だけ動きを止めた。
「……レザ?」
 レザのなめらかな乳にまぶたを押し当てていたクリオンは、ちょっとした気恥ずかしさを覚えて顔を上げた。
「もうそうなってるけど……いいよね、レザが可愛いからだもの」
「……そう、ですね」
「気持ち悪い?」
「いえ……そんなことはございません」
 レザが天井の隅を見つめながら、クリオンのものをやわやわと揉み始めた。次第に丁寧に、茎を引き、先端を包むようになる。
 戸惑った後で、興味を覚え、それから楽しみ始めたのだ。平気を装った顔にわずかに浮かぶ、その表情の変化に、クリオンは意外な可愛らしさを見つけた。
 そうだ、平気なように見えても、この娘は初めてなのだ。自分のほうがよっぽど慣れている。
「レ、ザ」
 いたずら心を起こして、クリオンはそれをレザの太ももに押しつけてみた。「あ」と驚いてから、すぐにレザは何事もなかったような顔をした。でもわかる。動揺している。――おもしろい。
 クリオンは大胆に、下着の上からレザの秘所に押しつけてしまった。強く腰を動かす。「あ、あ、あ」とレザは不安そうに声を漏らす。
「怖い?」
「……怖いなんて」
 レザは首を振るが、声が震えている。おびえと快感、両方のせいだ。今までさんざんクリオンに愛撫されたのだから。それは、クリオンのものが当たっている絹のぬめりで、よくわかる。
 崩れそうな自分をプライドで必死に保っているのだ。たまらない愉悦をクリオンは感じる。
「いいよね、抱くよ」
「……いえ、少し待って……」
 初めてレザがためらいを見せた時。
「お兄さま、ちょっと……」
 声をかけられて、クリオンは振り向いた。見慣れない全裸の姿をした少女がいた。
「え?」
 よくよく見れば、それはキオラだった。服を脱いだキオラの姿はいっそう少女めいていて、かえって見間違えたのだ。
「どうしたの?」
「わからないんです」
「わからない?」
「その……どこにするのか」
 クリオンが体ごと振り返ると、チェル姫も心細げな顔でこちらを見ていた。さすがに不安になったらしい。
「入れるんですよね。でも、見つからなくて……」
 主語と目的語がなかったが、意味はわかった。クリオンは当惑する。
「キオラ、さっき姫のを見てたよね。それでも?」
「はい……」
 キオラはクリオンの腕にすがりついた。
「お兄さま、先にしてくれませんか?」
「先にって」
「姫に。ボクだと、壊しちゃうかもしれないんです」
「ぼくが姫に?」
 唖然としてクリオンはチェル姫を見つめた。姫はこくりとうなずく。
「チェル、痛くないほうがいいな……」
「そんな、キオラのお嫁さんなのに」
「なんていうか、道をつけてくれればいいんです。ちょっとだけ」
「道っていっても……第一、ぼくにはレザがいるし……」
 ためらいながら見たクリオンに、レザは意外なことを言った。
「陛下、わたくしのことならお気になさらず」
「ええっ?」
「その……少々、心の準備をしたいので……」
 起き上がると、両足を揃えて横に出し、レザはクリオンの耳元で小さく言った。
「それに、姫のお体を気遣うのも、わたくしの務めだと思うのです」
「レザ、ぼくが他の子としちゃってもいいの?」
「むしろ、他国の姫からも求められる皇帝陛下は、誇りです」
 それもまた貴族のレザでなければ出ない言葉だった。この娘は本気でそう思っているのだ、と悟って、クリオンは体を回した。
「そうまで言うならやってみるけど……ちょっとだけだよ」
 キオラが場所を空け、クリオンはチェル姫の足元に座った。覆いかぶさったらつぶれてしまいそうな小さな体に、どきりとする。
「姫……いいの?」
「まって」
 チェル姫ははっと何かを思い出したようにつぶやき、かたわらのキオラの手を握った。
「チェル、これから大人になるのね」
「そうだよ」
「じゃあ覚えて、キオラさま。チェル、これからほんとうの名前を言うから。チェルのだんなさまだけが呼んでいい名前よ」
 チェル姫は口元で手を丸め、短い歌のように唱えた。
「チェルゲンナーデ・エレクラウニー・ビッセルミオ」
 それから手をキオラの耳元に持っていって、水を流し込むように傾けた。とても大事そうに告げる。
「ミゲンドラの女の子は、ほんとうの名前を好きな人に預けるの。わるい魔物がだんなさまのふりをして近づいたら、それを聞いて見破るのよ」
「覚えたよ、チェル姫」
 キオラがそう言って姫の手を握り返した。チェル姫は心から安らいだようなほほ笑みを浮かべる。そういう儀式を経て、ミゲンドラの娘たちは、早すぎる交わりを乗り越えて来たのだろう。
「クリオンさま、お願い。キオラさまのために」
 両脚を開いて、チェル姫が許した。クリオンは服を脱ぎ、その体に近づく。
「……見せてください」
 キオラがチェル姫の上から身を乗り出してまじまじと見つめるので、少し恥ずかしくなった。もう何度も見せているのに。
 しかしそのおかげで、クリオンのものは力強く張り立つ。
「キオラ、ね。ここだよ」
 クリオンはチェル姫の薄いひだを指で広げて、先端を押しつけた。つむ、と暖かい感触。だが、乾きかけている。力を加えると、チェル姫が鼻の頭にしわを寄せた。
「クリオンさま、痛い」
「そう?」
 何度かクリオンはそこをこすりあげてみた。確かに湿りが感じられる。だが、彼が抱いてきた娘たちのような、豊かな泉は現われない。
「手伝います」
 体が離れた拍子に、キオラが顔を寄せた。クリオンが止める間もなかった。
 レザの見ている目の前で、キオラはクリオンのものをつまみあげ、根元までくわえこんだ。たっぷりと唾液を出しててろてろと塗りつける。
「キオラ!」
「これならいいでしょう?」
 一瞬レザが気になったが、乾いてしまってはキオラの奉仕が無駄になる。クリオンは構わず、もう一度チェル姫に体を重ねた。
「息を吐いて」
 言いながら、押しこんだ。今度は確かに、先端が肉の中にもぐりこんだ。
「キオラさまっ!」「ちょっとの我慢だよ」
 キスしたキオラに、チェル姫は思いきりしがみつく。それを見る余裕もなく、目を閉じてクリオンは接触に集中する。ソリュータで知っている。処女は破れる。それをできるだけ穏やかにしてやらないと。
 何度か押しこむうちに、一番きついところをちりっと抜けた。「ひんっ!」とチェル姫がキオラの背に爪を立てる。
「は、入ったよ……」
 入ったというより、ねじ込んだという感じだった。締め付けが強すぎて痛い。入れているクリオンが痛いぐらいだから、チェル姫の苦痛はそれ以上だった。真っ青な顔でキオラの背をかきむしる。
「やだやだ、やめて! 抜いて!」
「辛抱して。すぐ痛くなくなるから」
「でも、でもっ……!」
「ボクと夫婦になるんでしょ?」
 きりっと歯をかみ鳴らして、チェル姫は一筋の涙を落とした。
「うん……チェル、がんばる」
 健気なチェル姫の顔を見ていられず、キオラはクリオンを振り返って懇願した。
「お兄さま、早く姫を気持ちよくさせてあげて」
「うん……」
 クリオンはチェル姫の小さな尻を抱えて、動き始めた。中も狭いが、口のところが特にきつい。そこを通りぬけるたび、幹の中の血が止まるような感じすらある。
「キオラ……手伝って」
 体を起こしたクリオンの前に、キオラが再び顔を近づけて、舌を伸ばした。引き出されたひだの間の小さな小さな芽に吸いつき、血の糸に唾液を混ぜていく。
「チェル姫、これで良くなって」
 二人がかりの細心の愛撫が、徐々に効き目を現し始めた。三秒に一回ほどだったクリオンの動きが、少しずつ速くなる。キオラの舌が別の味を味わうようになる。
「姫、まだ痛い?」
「うん……」
 チェル姫はうなずく。だが、その脚からこわばりが抜けつつある。
「焼けてるみたい。硬い。……でも、むずむずするよ」
「こっちは痛くないでしょ」
 ちうっ、とキオラは粒を吸う。性急にその背を叩いて、姫が短く叫んだ。
「やっ、強すぎっ!」
「痛いの? 気持ちいいの?」
「わかんないの、両方混じっていっぱいなの!」
 それはすでに目覚め始めてるということだ。姫のそこは見てわかるほど潤い出した。クリオンのものがぬるぬると入り、出るたびに、まとわりつく輝きが厚くなる。唇でそれを挟んだキオラが息を吐く。
「姫、濡れてる。お兄さま、中も?」
「うん……チェル姫、柔らかくなってるよ」
 クリオンの感覚は劇的に変わりつつあった。締め付けられる痛みから、しぼられる快感に。いったん潤い出したチェル姫のそこは、押しこむと浅いほど近くで先端が受けとめられ、引きぬくと下半身全体が吸い尽くされるようで、クリオンの官能に強烈な刺激を与えた。
 見下ろせば、その光景がある。さらにすぐ上では、キオラが口戯を駆使して奉仕しているのだ。
 クリオンが耐えられなくなったのも無理はなかった。舌先で触れているキオラがはっと気づく。
「お兄さま、いきそうなの?」
「う、うん……ごめん」
「姫に注いじゃだめですよ。姫はボクのなんだから」
「わかってる、でも……もうすぐ」
「すぐなの? じゃ、姫を早く――」
 キオラがいっそう激しく舌を動かした。だがそれは裏目に出た。
「きっ、キオラだめだよ!」
 予想外の刺激で、クリオンの圧力が限界を越えた。自制できずに、びくっと腰を震わせてしまう。はっとキオラが顔を離す。
「う……く」
 だがクリオンは放っていなかった。あまりにも姫の締め付けが強すぎて、放てないのだ。
「キオ……ラ……」
 すでに爆発した欲望を押しこめたまま、クリオンはそろそろと腰を引いた。先端の実が入り口を抜ける。
 ビシャッ!
 その途端、クリオンは弾けた。射精時の暴走が理性を失わせた。放てなかった胎内の代わりに、すぐ目の前にあった可憐な顔に狙いを変える。
 最初の一撃を頬に浴びせながら、クリオンはキオラの口の中にペニスをねじ込み、がくん、がくんと突き上げて、ここ数日で溜まり切った粘液を思うさま放出した。
「えっ、うえっ、ケホッ!」
 前触れなしの口腔射精を受けて、キオラがえずきながらもがいた。だが、クリオンとチェル姫、二人にしがみつかれて逃げられない。苦しみながら耐える。
 本能に突き動かされた痙攣を終えると、クリオンはほっと息を吐きながらベッドに尻を付いた。抜かれたキオラが、咳込みながら粘液を吐き出す。
「お、お兄さま、飲ませるなら飲ませるって言ってくれれば……」
「ご、ごめん! 夢中だったから」
「……もう」
 汚れた口元を脱いだスカートでぬぐうと、ようやくキオラは微笑んだ。
「でも、それだけチェル姫が素敵だったんですよね」
「うん、よかったよ。さ、キオラも……」
「姫、いい?」
 振り向いたキオラの視線の先で、チェル姫がかすかに笑った。
「うん……いいよ。キオラさまは、クリオンさまより痛くないんでしょう?」
「どうかな、キオラ、もうかちかちだよ」
「やっ、お兄さま……」
 クリオンに触れられたキオラが、軽く悲鳴を上げる。もちろんクリオンの言葉は冗談だった。キオラのものも期待に反り返っているが、半ば皮をかぶっていて、小ぶりなクリオンのものよりさらにおとなしい。
「姫、いいよね」
 脇へ退いたクリオンに代わって、キオラがあわてたように近づいた。ぶつけるようにして差し込もうとするのを、クリオンが押さえる。
「落ちついて……ほら、ここ」
 チェル姫の開かれた洞が、キオラを迎えた。
「ああっ、姫……」「キオラさま! 熱い!」
 今度こそ誰も間に挟まず、ぴったりと抱き合って動き始めた二人を、クリオンはほっとしながら見つめる。その背に、上ずりを抑えた声がかかった。
「陛下……もうご満足ですか」
 クリオンは振り向いた。裸身を横たえたレザが、上目づかいに見上げている。その手は閉じ合わさった太ももの間に差しこまれていた。
「チェル姫とあんなに激しくお戯れになって、満足されました?」
 自分はとうてい満足していない、という重ね言葉だった。クリオンはちゃんとそれを読み取る。
「してないよ。だって……」
 群青の髪を滝のように散らしたレザの肩に、クリオンは顔を乗せてささやく。
「子種を受けてもらってないもの」
「……わたくしがお受けします……」
 二度目のからみあいを二人は始める。
「ねえ、レザ……」
 憂いを含んだレザの切れ長の目にくちづけしながら、クリオンはその顔を汚したいと思う。
「口でしてくれない?」
「……キオラ様がやったようにですか」
 迂闊にも忘れていたので、クリオンははっと顔をこわばらせた。あの少年とのことは、秘密だったのに。
 だがレザは、ふっと口の端に笑みを浮かべた。
「衆道の禁忌や害などと、野暮なことは申しません。でも、あの方に負けるのはいや」
 そう言うと、レザは体を丸めた。長い髪をかきあげて、クリオンのものを口に含む。
「わたくしのほうがよいと知ってください……」
 その誇りゆえに、レザは禁忌も道徳も捨てて男の性器にくちづけした。中途半端では意味がない。ためらわずに根元まで飲みこみ、舌全体で包みぬいた。
「レザ……」
 クリオンは今までに三人、他人の口の中を味わったことがある。侍女のジュナとチュロス、それにキオラ。
 その誰とも違った。卑猥なものを口に収めているのに、レザはちっとも媚びるような目をしない。愛撫はするが、それを下品に欲しがらない。ただ献身のみを見せるだけで、彼女自身の立場を下げようとはしない。無理にクリオンが腰を動かして、レザの気品を崩そうとすると、かえってにらまれた。
 唇を離して言う。
「わたくしは娼婦ではありません。心はお捧げしますが誇りはわたくしのものです。それを傷つける権利は陛下にもございません」
 これほどの台詞を他のどんな娘が吐けるだろうか。クリオンは感動する。
 だが、その鎧は完璧ではないのだ。ついさっき、レザはそれを脱ぎかけた。クリオンはもう一度彼女の素顔を見ようとする。
「レザ、そっちを向いて」
「え……いえ、それは」
「いいから!」
 強く言うと、逆にレザは反抗の眼差しを見せた。意に染まない抱かれ方はしない、と言うことなのだろう。構わずクリオンはレザの肩をつかんでベッドに投げ出す。
「陛下!」
「いいから!」
 つんのめったレザの流れるような太ももと尻を、クリオンは後ろから抱きすくめた。大理石の像のように線の硬い、だが触れると果肉のようにみずみずしい肌に、唇を押し当てる。
「後ろはいけません! お放し下さい!」
 レザが本気の力をこめて脚をばたつかせる。クリオンは細腕に力をこめてそれをおさえ、レザの尻の間に後ろから見える閉じられたひだに、鼻先を突っ込んだ。
「……ッ」
 もがきは収まらなかったが、レザの叫びが消えた。クリオンは手応えを感じ、太ももの奥の薄桃のひだを一心になめ上げた。
「や……め……」
 両手でシーツをつかんで、レザはずるずるとベッドの上を逃げる。クリオンは渾身の力をこめてレザの太ももを抱きしめ、秘所に刺激を与えつづけた。激しい動きのせいで性器だけではなく後ろのつぼみにまで舌がすべる。だが構っていられない。どのみちレザはそこまで完璧に美しい。
 ばたり、ばたり、とレザの抵抗は収まっていった。ベッドのふちに手をかけたところで、逃げることをやめる。一見、体を震わせるだけの無抵抗な人形を装ったかのようだ。だが、レザの谷間はそれを裏切っていた。とろとろと止めどなくあふれる蜜。
「レザ、したいでしょ。気持ちいいつゆが出てる」 
「……いいえ。それは陛下をお迎えするためだけのもの。わたくし、何度も稽古したのです」
 レザはか細い声で必死に言う。
「陛下が愉しまれるために濡れることを。わたくしが感じるためのものではございません」
「……感じると、乱れちゃうから?」
 クリオンはそこに指を差し込み、ぬかるみの中を軽くえぐった。息を漏らしかけて、レザは強く口を押さえる。
「ストルディン家の娘は……乱れません!」
「試すよ」
 クリオンは楽しくなってきた。後ろから、獣の姿勢で、いきり立つペニスを押し当てる。
「ふ……っ」
 破瓜の痛みを打ち消すほどの快感を、もうレザは身の内に育てていた。十分に潤った胎内をクリオンの熱が埋めていく。神経を焼く心地よさに、レザは危険を感じながら耐える。
「ほら、レザ……感じてよ」
 クリオンはレザの片足を肩に担ぎ、もう片方の太ももにまたがった。目くるめくような角度でレザの股が開く。これだけ放恣な態勢にされて崩れない娘などいそうもない。
 それでもまだ、レザは整っていた。下腹にクリオンの突きこみを受けながら、両ひじで上半身を高く支え、あごを上げて毅然とした態度を取りつづける。
 だがその目はうつろに潤んでいる。かみ締めた唇からも血が流れ、無理を隠しきれていない。
 しかし、クリオンを拒んでいるのではない。自分と戦っているのだ。クリオンの言葉に壊されそうな自分と。
「レザ、気持ちいいでしょ?」
 すべらかな太ももを押しつぶして突き込みながら、クリオンはレザの乳房に手をやる。後ろからすくいこんで先端をつまむ。途端にレザが泣くように叫ぶ。
「気持ち良くなど!」
 そんな声は感じていなければ出ない。すでにクリオンはレザの抵抗そのものが愛しい。
 もう、この娘が懇願の言葉を口にしなくてもよかった。そんなものがなくても、鏡の肌に浮いた汗の玉が、熱病のように火照った肉が、伸びやかな手足がわななく様が、潤んだ秘所のひくつきが、体のすべてがクリオンへの渇望を表していた。
 クリオンはもはやレザに畏敬すら覚える。乱れるだけならどんな娘にもできる。だが、この上なく精緻な美しさと気品を備えたままで、女は絶頂できるのか? ある意味で、彼ら貴族の生み出した芸術のような、無為にして華麗な奇跡。それをレザなら体現できるかもしれない。
 見てみたい、とクリオンは欲する。芸術の域に達した絶頂というものを。
「レザ! いいよ、このままいって! 登り詰めて!」
「いやです、わたくしは――」
「いいから、ほら、ぼく気持ちいいよ? レザの体に溶かされそうだよ!」
 嘘ではない。クリオンも共演者だ。レザの最高を引き出そうと、レザに感じている自分を思いきり告白する。
「レザ、綺麗すぎる! 柔らかすぎる! あったかすぎる! ぼく、もう、もう……」
 限りない愛しさをこめて、クリオンはレザの肉体をきつく抱きしめ、女神を崇拝する信者のように体を押しつけ、性器を打ちこんだ。
「出ちゃうよ!」
 自分がクリオンを絶頂させる。その達成感が、レザの誇りを満たした。
「陛下っ!」
「レザ!」
 クリオンは撃ち放った。それをしても汚せないと安心しながら、レザの無垢の子宮に向けて、情欲の塊を何度も注ぎ込んだ。
「くっ……!」
 レザがばっと髪をなびかせて仰向きになり、手の甲を強く口元に押し当てた。クリオンの精を迎える喜びに下腹をびくびくと波打たせ、強く脚をひきつらせながら、それでもまだ空いた手はシーツをつかまず、握り締めただけで腰の横に添えていた。
 その姿勢に野放図なだらしなさはかけらもなく、静止した手足は彫刻のような均整を現していた。それほどまでに全身を律しているにも関わらず、肌は震えて光り、体内で爆発した絶頂を言葉より雄弁に叫んでいた。
 そしてレザはハープのような高く細い声で言った。
「いってなど……おりません……」
 確かに見た、とクリオンはレザの体に沈みこみながら満足した。レザは、高貴な娘だけにできる、脆いほど洗練された最高の絶頂を見せてくれたのだ。

 そしてレザは、やはりクリオンより先に正気を取り戻し、手探りにシーツを探ってそれを体に巻きつけ、クリオンが気付いた時にはもう、氷を思わせる冷たく美しい横顔を見せていた。
 多分いま声をかけても、豹のような反撃にあうだけだろう。自分が乱れてしまったかもしれないことを隠すための反撃。
 しばらくほとぼりを冷ますことにして、あえてなにも言わずにクリオンは目を逸らし、背後を見た。
 キオラはこの上なく幸せそうな顔で、眠りこんでいた。彼はクリオンほど体力がない。いつもはたいてい、一度の放出で力尽きてしまう。
 その隣で、チェル姫がちょこんと座りこんで、まじまじと見ていた。
「姫……もう体は大丈夫?」
「うん。キオラさま、とっても優しかったの」
 両手で頬を挟んでチェル姫は嬉しそうに言う。
「チェルが痛くなくなるまで待ってくれたのよ。そのあともちっちゃくて気持ちよかった」
「ちっちゃくて……はは、よかったね。おめでとう、チェルゲンナーデ姫」
 クリオンが苦笑すると、姫はあっと叫んだ。
「クリオンさまも聞いちゃったの? 覚えてる?」
「え? うん、チェルゲンナーデ・エレクラウニー・ビッセルミオ……だったっけ」
「ああ、どうしよう……」
 小さな姫は真剣に悩むような顔をした。
「どうしたの?」
「だって、その名前をお預けした方がチェルのだんなさまなんだもの。キオラさまとクリオンさま、どっちにすれば……」
 しばらく考えてから、チェル姫はあっさり顔を上げた。
「まあいいか。クリオンさまもお優しいし。キオラさまも大好きだし」
「まあいいかって」
「どちらもだんなさまにするの」
 クリオンはぽかんと口を開け、あわてて手を振った。
「ち、チェル姫、それはまずいと思うけど」
「いいでしょ。チェルはキオラさまとジングリットに行くんだもの。ね?」
 天使のような顔でほほ笑まれて、クリオンは必死に言い返した。
「でも、キオラが来るとは限らないよ。あの子はキナルを避けてジングリットに来てたんだもの。彼が捕まっちゃったから……」
「ボク、また行きますよ」
 キオラが目を開けていた。
「チェル姫の世話もあるし、もう少し見聞を広めるのもいいだろうってお爺さまがおっしゃったんです。またお世話になりますね」
 適当な言い分けも見つからず、クリオンは口をつぐんだ。倫理を盾にしようにも、すでに一度姫を犯してしまっている。
「仕方ないか……」
 ため息をついたクリオンは、ふと背後を振り返った。
「レザはいいの?」
「わたくしに、嫉妬などという下世話な感情を抱けと?」
 常に自信にあふれているレザは、平然と言い切った。
「姫なら陛下のお相手の一人としてふさわしいと思います」
「あ、そう」
「むしろあのエメラダとかいう商人上がりの娘を、なんとかしていただけませんか。ソリュータ嬢はともかくとして」
「向こうも似たようなこと言いそうだね……」
 それに男爵になんて言おう、と悩み始めたクリオンを置いて、レザはチェル姫に微笑を向けた。
「姫、よろしくお願いいたします。同じ陛下にお仕えするものとして」
「うん、仲良くなってね。レザさま」
 友情が成立したらしい娘たちと、あまり考えずに笑っているキオラを背に、クリオンはぶつぶつつぶやく。
「いっそ黙ってればわかんないかも……キオラのことだって今まで秘密にできたんだし……」
「聞ーいちゃったあ聞いちゃったあ!」
 突然、奇声を上げながら天井から何かがぶら下がった。クリオンは飛びあがって見上げる。
「ま、マウス?」
「然ーり然り! 神出鬼没で学説超越、出ずれば消えて在らずば現わる、天下御免の道化のマウス!」
「いつからそこにいたの!」
「時の始まり? 今のこの今?」
 振り子のように揺れながら、マウスは叫んだ。
「楽しき話のあるところなら、いつのどこにでも現われます! それを聞きたい世の人のため!」
「い、言いふらすの?」
「皇帝陛下に新たなお妃、それもいっぺんにお二方。これほど楽しい知らせがあるや?」
 ないないない! とマウスは笑い転げた。
「……ああもう。覚悟するしかないのか……」
「みんな喜んでくれますよ。ね」
 キオラが無責任に笑った。

 9.

 封じ込められた二千三百の精霊の光が少女の顔を照らしている。
 室内は暗く、精霊の動きを規格化するための低温に保たれていた。青い光をめまぐるしく明滅させているのは、床の中央を占める直径五十尺の円い盤だ。古代の風水盤と呼ばれたものに似た作りのその板の上で、光の粒の姿をした精霊たちが、零と壱の舞踊を踊っている。
 周囲に並べられた卓では、青い袿服姿の娘たちが、床面を見つめている。彼女らは入出力を担当する技官だ。自らの媚香で支配した精霊を操っている。
 静かに作業しながらも、娘たちは部屋の奥の高座にちらちらと視線を飛ばす。その目には、熱い憧れが宿っている。
 高座に座するのは、霞娜シャーナだった。可憐な美貌を精霊の光にさらし、卓にひじを突いて無表情に演算過程を見下ろしている。
 大明合衆帝国タイミン・エンパイアステイツの首都凱陽、国防省中央演算室。多数の精霊を利用して人間には不可能な複雑な計算を行い、この国の守りを占う部屋である。
 今回、一秒間に六万回の計算を行う精霊たちに命じられたのは、ジングリット帝国によるシッキルギン侵攻の影響を占うことだった。ただ、占うだけなら娘たちだけでもできる。
 霞娜がこの場にやってきたのは、そろそろ待ちかねた知らせが届く頃だからだった。
 演算盤の上空に、天井からすうっと一体の精霊が降りてきた。霞娜の隣についた宦官が素早く分光鏡を覗く。
「属性・単光霊、基準強度六百九十ヘイリン、減衰二百二十五ヘイリン、中継識別符58、64、112、65――麗虎リーフー様の『ジーグン』に間違いありません。緑柱県国境の招繋盤からのようです」
 無事に到着した信頼する右腕からの知らせに、霞娜は安堵の息を吐く。
「繰り込み演算開始」
「は」
 宦官が手を振ると、精霊は演算盤の中央に降下した。たちまちその周囲の精霊の動きが活発になり、到着した精霊に渡された情報を解析し始める。
 波紋のように広がった精霊たちの動きが外周に達すると、数人の娘がびくりと体を震わせた。操られるように立ち上がる。
「五星暦一二九〇年、芒種の月、末候」「忠臣麗虎」「主上霞娜様に申しあぐる」
「挨拶なんか飛ばして」
 複数の娘たちが織り上げた麗虎の言葉を、いらいらと霞娜は聞き飛ばす。別の娘たちが立って続けた。
「美原土軍反乱誘発」「及び」「神具律都軍招来は」「成功」
「両軍の戦闘にて」「死者三万八千七百」
「特に」「神具律都主力第壱軍は」「ほぼ壊滅」
「再編の様子なれど」「弱体化著し」
「そう……素晴らしいわ」
 霞娜は微笑む。だが次の報告に眉をひそめる。
「されど神具律都皇帝」「戦闘中に」「敵将と直接会談」「無条件講和」
「漆切銀連合王国とも」「友好を保ち」「撤退」
「なんですって……」
 霞娜はかちりと歯を噛み鳴らした。愛くるしいかんばせが憎悪の暗さを浮かべる。
「それだけの死者を出したのに、報復攻撃もせず撤退したというの。一体、ジングリットの皇帝は何を考えているのよ。なんのために私は火種をまいたの?」
「発信者の言及なし」
 娘たちが腰を下ろす。霞娜はしばらく怒りを抑えた顔で黙っていたが、やがて言った。
「ジングリット皇帝は何か予想外の力に守られているんじゃないの。いいブレーンがついているとしても、とても十五歳の子供にできる判断じゃないわ」
 娘たちが精霊を操り、答えをはじき出す。
「可能性七十九パーセント、プラスマイナス三パーセント」
「一体何に!」
 精霊たちの動きが変化した。一部では激しく走り、一部では困惑したように停滞する。
 そして異変が起こった。
 二分という異常に長い演算時間の後、いきなりすべての娘が立ち上がった。思わず身を引く霞娜に向かって、細切れの言葉ではなく、全員が同じ言葉を重ねて語り出した。
『大明の王よ、よこしまな企みを捨てよ』
 霞娜はぎょっとした。演算盤が出した答えではない。精霊の言葉にこんな強力な意思は感じられない。
「技官、何事なの! 外から雑念を拾ったの?」
『雑念ではない。我らは、この場の精霊の数を頼りに、遠方から語っている。我らを探る意思を感じて、ここへと繋いだ』
 霞娜は盤に視線を向け、ごくりとつばを飲んだ。
「……誰?」
『我らは大陸を守る者。ジングリット皇帝は大陸を守る者。すなわち、我らはジングリット皇帝を守る者』
「守る? それはなぜ!」
『我らだけではない。様々な者がジングリット皇帝を守る』
 娘たちが一斉に霞娜をにらむ。
『だから、大明の王よ。おまえの企みは無駄だ』
「企み、企みと言うの」
 霞娜は、ただの傲慢ではない怒りをこめて、叫んだ。
「私がジングリットに何をされたか! あの真冬の夜霊石リンシーの村で何があったか! それを知った上で言うの、異形よ!」
 娘たちを操る何者かは、意外にも少し沈黙した。
『……そうか、おまえもあ奴らの編む悲劇のいけにえなのだな』
「あ奴ら? それは誰のこと? そもおまえは何者、答えなさい!」
『人は我らをこう呼ぶ。プロセジア占星団』
 伝説にのみ残る失われた集団の名に、霞娜は絶句する。
『悲しい娘よ、憎むな。そなたが血を流したのだとしても、手を下したのはジングリットではない。敵は別にいる』
「憎むな……ですって……」
『忘れるな。おまえは我らに力を貸さねばならなくなる』
 声は唐突に終わり、娘たちは腰を下ろした。何事もなかったかのように盤を見つめる。出力端子となった時の技官は、その間のことを覚えていない。全員がそうだった今の出来事には、だから誰も気付いていない。
 ただ、霞娜の隣の宦官だけはそれを見ている。呆然とした彼女は、恐ろしいものを見るように主君へと視線を移した。
 霞娜は卓を叩いた。
「なにさま!」
 宦官は身をすくめ、娘たちも主の突然の怒りに驚いて、声もなく凍りつく。
「あれを忘れろだなんて……どんな資格があって……」
 つぶやいて、霞娜は首を振る。
「いや、今のは、ジングリットの策か……そうに決まってる」
 しばらく精霊の動く光だけが、室内を満たした。
 やがて、また数人の娘が立ち上がった。
「同梱情報」「神具律都国内備考」
 霞娜は物憂げに彼女たちを見つめた。
「麗虎の付け足しね……いいわ、告げなさい」
「帝国府に敵対する勢力あり」「今回の作戦行動中に接触」「利用可能」
「畏怖羅教会」
「イフラ教会……ジングリットの国教会が?」
 少し考えた霞娜は、やがて見たものが底冷えを覚えるような凄絶な笑みを浮かべた。
「いいわ。神の名を掲げる教会が皇帝を狙うなんて……どんな理由であれ、面白そうじゃないの」
 霞娜はうそぶく。
「どちらが傷ついてもしょせんはジングリットの傷。ならば私の損にはならない。伝えなさい、麗虎に! 次の火種をジングリットに植えるのよ!」
 演算盤の精霊が交錯し、娘たちが言った。
「非推奨」「成功可能性四パーセント、プラスマイナス――」
 霞娜は物も言わずに肩の羽衣を打ち振った。白紗の羽衣の影が黒い水しぶきのように飛び散り、盤上の精霊をなぎ払った。
 配下の精霊を砕かれた娘たちが、思念の逆流を受けて幾人か倒れた。それには目もくれず、残った娘たちに霞娜は命じる。
「麗虎に伝達。引き続き命を果たしなさい」
 娘たちが織り上げた情報を身につけ、『ジーグン』が天井に消える。霞娜はそれを見送ってつぶやく。
「雪娜……忘れないわ、決して」
 悲しげに。

 並んだ十二人の女たちの中で、最も存在感のある中年の女が、呆然とした顔でつぶやいた。
「フロール・パレスが……お取り潰し……」
 謁見の間の玉座で、クリオンがうなずく。かたわらに立つレンダイクが淡々と言う。
「百花館は閉鎖、前妃様方におかれては、タラス領の離宮に移っていただく」
「あのような田舎に!」
「田舎とおっしゃるが、タラス宮は前帝陛下が鹿狩りのために造営された、立派な離宮です。風光もよろしい。暮らし向きの面でも不自由なことはありません」
「はっきり言ったらどうなのです、ていのいいお払い箱だと」
「空いている施設の有効利用ですな」
「男爵風情が!」
 レンダイクに向かって吐き捨てると、前妃の一人であるニュクスは、別の人間に視線を移した。
「レザ……裏切りましたね」
 クリオンの隣に立つ群青の髪の娘は、長い間間近に暮らしてきた、同じ貴族の女の呪詛を受けて、さすがにうなだれた。
「……申しわけありません」
「このいやらしい娘! あれほど言ったのに、へ、陛下を――」
「ニュクス」
 クリオンが口を挟んだ。
「レザは、予の施政のために協力してくれることになったんだ。彼女を恨むのは筋違いだよ」
「し、しかし……」
 反論しようとしたものの、さすがに皇帝にむかって抗議することはできない。やり場のない怒りをこめて、ニュクスはレザをにらみ続ける。
「レザ」
 クリオンは小声で言った。
「ここはもういいよ。下がって」
「……かしこまりました」
 後の交渉を男たちに任せて、レザは退出した。
 フィルバルト城の廊下を歩きながら、考える。ニュクスの怒りはわかる。それはレザ自身が感じていたものと同じだから。ただ、ニュクスは年を取りすぎていて、自分はまだ若かった。それだけの違いで、運命も分かれた。
 この先、ニュクスのように切り捨てられる貴族が増えるのかもしれない。その者たちすべてに、自分はこうやって恨まれていくのだろうか。
 もの思いながら歩いていたせいで、道を間違えたらしい。気がつくと、塔の内部のようならせん階段に差しかかっていた。戻ろうとして、やめる。奥院のこの辺りにはまだ慣れていない。少し歩き回って覚えたほうがいいかもしれない。
 長い階段を登りきると、頭上に鐘がかかっていた。本当に塔だったらしい。アーチをくぐってテラスに出ると、眺望が開けた。
 フィルバルトの町を一望にできる鐘楼だった。今まで暮らしていた百花館も、中庭に小さく見える。初夏の風と光を浴びて、レザは目を細めた。
「レザ殿か」
 振り向くと、先客がいた。紅玉の髪を持つ女戦士。
「……ジングピアサー将軍」
「デジエラで結構」
 壁にもたれていたデジエラは、軽く笑った。レザは尋ねる。
「ここで何を」
「物見を。――と言っても、兵卒ではあるまいし説得力がないな。たまの息抜きだ」
「総司令官が?」
「フォーニーやネムネーダと違って、盛り場に繰り出すわけにもいかないのでな。貴女こそどうして?」
「考え事です」
 レザは城下に視線を戻した。
「わたくしはクリオン陛下のおかげで、身を安んずることができました。しかし他の貴族たちはそうもいきません。この王都にも貴族は大勢います。彼らはこの先どうなるのか……」
「ああ、そう言えばニュクスたちが下に。――陛下もそんなことでお手を煩わされて、難儀なことだ」
「そんなことはどういう意味です」
「鳥かごの鳥たちの争い、ぐらいの意味かな」
 デジエラは壁を離れ、レザに並んで城下を指した。
「かごの外にも問題はいくらでもある。陛下はそういうことでお忙しい。ご覧になられよ、あれを」
 デジエラの指差す先には、町の中央にそびえる、いくつもの五星架を戴いた聖堂があった。
「……教会?」
「戦場でレザ殿もご覧になったのだろう。イフラ教会が不逞な陰謀を巡らしている。教会は審問軍も持っている。武官の私としては、そちらのほうが気になるな」
「……」
 確かにそれは重大な問題だろう。だがあしらわれたのは気に入らない。そもそも態度が癇に障る。
 レザは険のあるまなざしをデジエラに向ける。
「将軍……あなたは元々、平民の出自なのでしょう。貴族のことをそのように言うなど、それこそ不敬です」
「不敬? これが?」
 なぜかデジエラは、声を立てて笑った。レザは鼻白む。
「何がおかしいのです!」
「貴族ごときを責めて不敬とは。レザ殿、貴女は、なぜ私が平民出にもかかわらず姓名を持っているか、ご存知ないのか」
「……姓名?」
「デジエラ・ジングピアサー東征将軍。この名と称号を得るまで、私はただのデジエラだった。下町生まれの、かっぱらいの娘だ」
 レザは絶句する。
「出世を望んで、十五で軍に入った。十八と偽ってな。女だてらにと笑われたが、三つの時から喧嘩には負けたことがない。敵にも味方にも、すべてこの腕で打ち勝った。だが、ある事件があったからこそ、私はここまで登り詰めることができたのだ。それは十年前、私が二十二の時だった」
 デジエラは腰の剣をもてあそぶ。
「一二八〇年の、ゼマント陛下による大明遠征。その最中、ある手違いから、ジングリット軍は無辜の民を殺してしまった。私はその時、陛下に剣を向けて殺戮を制止したのだ。――そして、投獄された」
「……それで、罰を?」
「いや、逆だ。前帝陛下は軍人には甘かったからな」
 デジエラは屈託のない笑いを浮かべた。
「戦後、度胸を誉められた。その時に授かったのだ。東征隊長の称号と、ジングピアサーの名を」
 言われてレザは気付いた。ジングピアサー――それは、ジングを貫くものという意味だ。まさか、文字通りの意味だったとは。
「皇帝陛下にすら私は剣を向けた。なんの貴族を恐れるものか」
 そう言うと、デジエラは空に向かって手を上げた。顔を上げたレザは、城の上空を横切っていくエピオルニスの一編隊を見つけた。
 鳥影がチカチカと光を放つ。友軍への鏡信号だった。赤い髪のよく目立つ司令官への挨拶だろう。レザにはその信号は読めないが、この女将軍が兵士たちに敬愛されていることは、よく分かった。
 平民たちの希望の星。
「今度のいくさで、クリオン陛下が意外と骨のあるお方だとわかった。あの方には力を発揮してもらいたいものだ。つまらないことで足を引っ張るのはどうかな」
 デジエラに見つめられて、レザは顔を伏せた。
 将軍と別れて、階段を降りる。なんだか急に、今までの悩みがつまらないことに思われた。クリオンは期待される皇帝なのだ。デジエラは彼を盛りたてようとしている。クリオンのそばにいられることになった自分は、何ができるのか。
 今度はちゃんと見覚えのある通路に出ることができた。フィルバルト城の奥院、皇帝の居室がある三角回廊。その、部屋の多い妙な作りをした廊下に、騒々しい声が飛び交っていた。
「わあ、こっちにも部屋がある。ねえ、いくつあるの?」
「ちょっと姫、あたしの服踏んで行かないでよ」
「あ、ボクこっちの部屋使っていいですか?」
「すみません、そこはエメラダ様が続きでお使いになると……」
「えっ? そこはチェルの荷物を入れたのよ」
「あ、本当だ」
「何やってるのよシェルカ、ぐずぐすしてるからこんなお子様たちに取られちゃうのよ」
「しかし、おれは陛下の護衛で忙しくて」
「失礼、シェルカ殿。それはレザ様のトランクにございます」
「ああ、どうも。……爺さん、いつからそこにいた?」
「キャハハハ! お店だよ、お店が開いてるよ!」
「落ちつきなよ、マウス」
「そうですな、騒々しすぎるのは興醒めで……おや、この部屋ももうどなたかが」「トトさん、そこは私の部屋です! ちょっと皆さん、勝手に部屋を選ばないで下さい!」
 ソリュータの叫びなど誰も聞いていない。今まで貴賓室にいたエメラダやキオラと、新しくやってきたチェル姫が、三角回廊沿いの部屋へと引っ越してたのだ。もちろんレザもその中に入る。
 メイド服をたすき掛けに縛ったお掃除衣装のソリュータが、いっぱいいっぱいの顔で振り向く。
「ああ、レザ様。あなたもあの凄い数の服、廊下からどけていただけませんか。全然片付かなくって……」
 がしゃーん。
「姫ーッ! なんてことしてくれるのよあたしの鏡台!」
「あ、ごめんなさい。これ立て掛けようと思って」
「チェル姫だめだよ! 『シリンガシュート』なんか振りまわしちゃ!」
「だから服を踏まないでって!」
「ボクじゃないです」
「マウスーッ!」
 うずたかく廊下に積まれた数人分の嫁入り道具の中に、つかつかと分け入ると、レザははしゃいでいるチェル姫の首筋を、まるで気配を感じさせずにつかんだ。
「姫」
「あ、レザさま! あのね、あっちの部屋に面白い仕掛けが――」
「あなたはこの隣の部屋を」
「……う、うん」
「キオラ様は陛下の向かいに。トト、わたくしの荷物はソリュータの部屋の反対側へ。道化、しばらく出ていなさい。エメラダ、角の部屋でいいわね」
「えーっ? あたしは続き部屋が」
「文句があって?」
 レザの視線のひと薙ぎで、静寂が訪れた。格の違いだった。
 レザにしてみれば、本当はため息でも付きたいところだった。クリオンのそばに侍ることはともかく、こんな身分も育ちもごちゃごちゃの者たちと一緒に、これから暮らさねばならないとは。
 避けられないのなら、改善するまでだ。皇帝の起居する処に相応しい雰囲気を作るのだ。自分の務めとしては役不足を感じないでもなかったが、差し当たり仕方ないだろう。それができるのは貴族の自分しかいない。
 回廊にクリオンが入ってくる。
「あ、やってるね。……どうしたの、みんな黙りこんじゃって。ケンカでもした?」
「それが、聞いてよ陛下――」
 言いかけたエメラダが、レザの視線に気づいて口を閉じた。
 それからレザは、クリオンを振り返って、優雅に一礼した。
「陛下のおそばでもめごとなど、決して起こりませんわ。――わたくしがいる限り」
 レザにしか言えないひとことだった。


                         ―― 第4話へ続く ――



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