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皇帝陛下は15歳!

第一話 前編 


 1

「いいなあ」
 湖を見下ろす土手に座って、草をむしりながら、クリオンはつぶやいた。
 淡い緋色の短衣とズボンを身につけた少年である。短衣は腰で縛って裾を流しているので、短いスカートのようにも見える。
 柔らかな金髪が初春の風をふわりとはらむ。大人のように刈り上げてはいない。首の後ろから耳の前まで、半円を描いて切り揃えている。
 手足も細かった。筋肉が足りなくて服の布地が余っている。腰に下げた突き専用のレイピアは、それが彼の腕力で扱える最適な武器なのだろう。両刃の長剣や槍兵のバンカーシールドは似合いそうもない。 
 いくつかの特徴が、彼の姿をあいまいにしていた。遠目には少女のように見えないこともない。
「あんな大きな船に乗って、楽隊や踊り子を見物するなんて……」
 澄んだコバルト色の瞳で遠くを見つめながら、クリオンはまたつぶやいた。
 グレンデル湖の輝く湖面、一リーグほど先に、茫洋たる影が浮いている。
 それは船だ。全長三百ヤードに達する巨大な箱舟。皇帝の呼びかけで国中の貴族を集めて乗せた会議船。そして一週間の宴が行われる遊覧船。
 つい先月、南方のフェリド族の何十度目かの進攻をまたも撃退した、ジングリット帝国の巨大な国力を現すモニュメント。
「きっと、うまい食べ物が山ほど出るんだろうな」
「それが本音ですね」
 クリオンの後ろで少女が言った。彼の侍女、ソリュータである。
「クリオン様はおいしい物に目がないんだから」
 からかいの言葉だったが、悪意はなかった。にこりと笑う笑顔が柔らかい。
 いたって飾り気のない姿である。服装は白いエプロンと袖のふくらんだ黒いブラウスと、膝下のスカート。装身具と言えば髪に差したレースのティアラだけ。絹糸のような長い髪は黒い。脚の肌すらタイツで隠している。多様な人種が多様な装飾を身につけるこの国では、地味な部類に入る。
 だが、背筋の通ったきれいな立ち方をしていた。すらりと伸びた両足のつま先が揃っている。歩き、走ったら、四肢が優雅に屈伸するだろう。
 顔立ちにも同じ印象があった。化粧といえるほどの手入れはしていない。必要ない肌だった。唇は小さく、鼻筋が涼しい。まつげは長いが、よくものを見そうな大きな瞳のおかげで、うるさく感じられない。
 整っていて、年より大人びて見えるようで、でもまだ育ちきってはいない。花というより柔らかな葉、それが朝露を乗せてきらめいている。清楚、という言葉では少し足りない。――そんな娘だ。
 一歩下がった遠すぎない位置に立っているソリュータに、クリオンは背中で言った。
「ぼくが皇帝だったらいいのに」
「国がひっくり返りますよ」
「資格はあるんだけどな。皇族なんだから」
「皇位継承権、十八番目のね」
 いとも軽くソリュータがあしらった。クリオンはむすっとした顔で黙る。
 まだ十五歳、子供なのだ。二つ年上のこの侍女には、幼いころからやり込められてばかりだった。
「あーあ」
 クリオンは草の上にころがって、うんと伸びをした。
「陛下もぼくのことなんか忘れてるだろうなあ。正室じゃない寵姫の王子、しかもその人が死んじゃったとあっちゃあ……」
「結構じゃありませんか。宮廷って、そんなにいいところじゃないですよ」
「なにが」
「陰謀と策略、宝石と金貨、憎しみと恨み…… クリオン様が物心つく前に、私はあそこで、ほんのわずかですけどそういったものの匂いに触れました。この三年で何人のお兄様たちが亡くなったと思います? あそこは蜘蛛の巣ですよ」
 クリオンは黙ってソリュータの顔を見上げる。こういう時、彼はこの娘をただのメイドとして扱うことができなくなる。五つの時にクリオンは城を出て、西の辺境のこのグレンデルベルト侯爵領に預けられた。だから、彼女のように宮廷のことを覚えてはいない。
「そういうものかな……」
 歯切れ悪く頭をかくだけだ。
「でもね、せめて王都のにぎやかさだけは味わいたかったな」
「フィルバルトよりここのほうがずっと、食べ物も水もおいしいですよ」
 ソリュータはにっこり笑った。どう言ったって、クリオンはソリュータに勝てやしないのだった。
 クリオンは苦笑しながら箱舟に目をやった。そして、気付いた。
「ソリュータ……」
「はい?」
「あれ、煙?」
 二人は水平線の巨船を凝視した。確かに煙だった。巨大な都市のような箱舟の、少なくとも四ヶ所から黒い煙が立ち昇り始めていた。
「料理の支度?」
「いえ、そんな時間じゃ…… それに、かまどからあんな真っ黒な煙が出るはずがありません。大体、四ヶ所も」
 ソリュータははっと顔をこわばらせた。
「火事でしょうか?」
「……大変じゃない!」
 クリオンは腰を上げた。
「急いで侯爵に知らせないと!」
「知らせるって、間に合いませんわ。お父様は岬にいるんですもの。どっちみち、そこのほうが近いから気付いているはずです!」
「じゃ、じゃあぼくたちは」
「何も……できないでしょうね」
「そんな」
 もう一度二人が振り返った時だった。
 今度こそ、見間違えようのない爆発の炎が、巨船の船尾に膨れ上がった。
「やっぱり!」
 悲鳴を上げたクリオンの肩を、ソリュータが強くつかむ。二人の視線の先で、何度も炎が湧き立った。甲板からけし粒のような点がばらばらと湖面に落ちていく。クリオンはうめく。
「だめだ、飛び降りちゃ……この湖にはオグニアがいるのに!」
「あの方たちもそれはわかっているはずです」
 ここが会議の場所に選ばれたのは、食肉魚に奴隷を与える残酷なスペクタクルを見物できるから、という理由もあった。それを下々の世界のことだと思って笑っていた貴族たちが、背中を焼かれて逃げ場もなく、同じ地獄へと飛びこんでいく。
 ようやく、岬からはしけが漕ぎ出した。だが、間に合いそうにないのは明らかだった。木造の箱舟はいまや史上最大のたいまつと化して燃え盛っていた。その炎の中では、帝国の枢機を司る数多くの貴人たちが焼かれているのだ。
「あ……あそこ!」
 ソリュータが指差したところにクリオンは注視した。一艘の小さなボートが船から離れて行く。湖面に立ち込める煙で方向を見失ったか、その行く先は一番近い岬ではなく、反対の岸のほうだった。
「何人か助かったようですね。岸まで付けばいいんですが……」
「気休めにしかならないよ」
 クリオンの言うとおりだった。声もなく見守る二人の前で、箱舟は傾き、やがてゆっくりと高さを減じていった。巨大ではあっても、もともと帆柱もやぐらも持たない平たい船である。それが湖面に消えるまでには、あっけないほど短い時間しかかからなかった。
 ふと気付くと、もう何もなかった。ただ煙の名残が風に吹き流されていくだけ。ようやくその頃に、岬からやってきたはしけが到着した。だが、一リーグ離れていても、彼らが舷側から手を伸ばしすらしないのが見えた。
 オグニアは極めて獰猛な肉食魚なのだ。
「ソリュータ……」
 クリオンは見上げた。あまりにも急な出来事だった。どう受け止めたらいいのかわからなかった。
 だが、頼りになるはずの侍女は、短く言っただけだった。
「館に戻りましょう。……お父様から連絡があるはずです」

 グレンデルベルトは自然の豊かな領地である。だが広さはたいしたことがない。
 それを反映して、その晩の食卓に並んだ料理も、彩りに富んだ、だが質素なものだった。
 食堂も小さい。二十人も入ればいっぱいになる。他の領地の館と比べると貧乏と言ってもいいほどの簡素さだったが、今日はそれすら広く感じた。
 長テーブルについているのはクリオンだけ。後ろに給仕のソリュータが控えている。他はみんな、あの大事故のおかげで出払ってしまった。
「いいのかな、ぼくだけのんきに食事なんか食べてて」
 ナイフを動かしながらクリオンがつぶやく。後ろからソリュータがそっけなく答える。
「やけどで肌がむけた人の手当てができますか。炊き出しの料理を作れますか」
「……人に命令することはできるよ。皇族なんだから」
「命令は、お父様とお兄様がやってくださっています」
「完全な役立たずってわけだね。どうせ居候だよ」
 クリオンは腹立たしげにナイフをテーブルに叩きつける。ややあって、ソリュータが口調をやわらげた。
「怒らないで下さい。役立たずなんて言っていませんわ」
「言ったも同然じゃない」
「違います。それはあなたの仕事ではないと言っただけです。クリオン様にはクリオン様の役目があるんですから」
「なんだよそれ」
 ソリュータは曖昧な笑みを返した。まだ言えない。
 ソリュータが黙っていると、クリオンは信じられないようなことを言った。
「……やるよ」
「え?」
「手当てでも炊き出しでも、水汲みでも伝令でもいいからやるって言ってるんだ。ぼくにだって口も手も足もあるんだよ」
 クリオンはひたむきなまなざしで見上げる。ソリュータは絶句した。
 貴人が、それも皇帝の血に連なる高位の人間が、戦場のような災害の地に出かけて、みずから人を助けようなどと思うだろうか? ソリュータの知る限りそんな皇族は一人もいない。
 クリオンただ一人を除いては。
 だからソリュータは、この年下の主のことを好いていた。好いているからよけい、行かせるわけにはいかなかった。役立たずだからではない。危険だからだ。
 幼いころから一緒だった少年に、あらためて強い愛を抱き、ソリュータは慰めるように手を伸ばした。肩に触れる。
「そのお気持ちだけで十分です。……救助は、私たちにお任せ下さい」
「いつもいつもそればっかり。分かってるよ、ぼくは宮廷からの預かり物だもんね。傷つけたりしたら侯爵は縛り首だ。だから大事にするんでしょ」
「違います! 私たちみんな、クリオン様が好きだから心配して差し上げているんです!」
 強く言ったソリュータを見上げると、クリオンはやがて、ぼそっとつぶやいた。
「じゃ、座ってよ」
「え?」
「今日ぐらいいいでしょ。召使いだから同席できないなんて言わないでよ。侯爵もレグノン卿もいないんだから」
「……かしこりました」
 苦笑して、ソリュータはクリオンの隣の席に腰を下ろした。クリオンが頭を傾けると、優しく抱きしめられた。
 ぼくは子供だな、とクリオンは思う。ソリュータの一族は一生懸命やってる。自分が出ていったって、それこそ子供の使いぐらいにしか役に立たない。わかっているけど、だだをこねてしまう。
 そんな自分を、ソリュータは文句一つ言わず慰めてくれる。
 クリオンも、ソリュータを好いていた。子供のころからずっと、姉のように慕っていた。
 クリオンは貴人だから、たいていの相手には命令できる。だが、ソリュータたちだけは違った。彼らは命令しても動かない。時にはクリオンを叱ることすらある。そして地位も金も要求しない。
 だからクリオンは彼らを好いていた。皇族の権威が通じないから。それはとりもなおさず、彼らも自分の身分を振りかざさないということだ。謙虚で美しい心ではないか。
 そういう考えかた自体、貴人には珍しいものだった。普通の貴人は、臣下が逆らえば怒る。臣下が平民と親しくすれば気味悪がるだろう。クリオンも変わった皇族なのだった。だが自分では気付いていない。
 気付いてはいなかったが、クリオンは知っていた。命令して侍らせた娘にはない、ソリュータの胸の暖かさを。敬愛されることの心地よさを。
 心を静める暖かさのおかげで、クリオンは冷静にものを考えられるようになった。
「ソリュータ……」
「はい」
「これからどうなると思う?」
 クリオンは、ソリュータのエプロンに頬をうずめながらつぶやいた。
「あの事故、きっと貴族がたくさん死んだよね。ひょっとしたら父上も」
「……」
「ジングリットは大きな国だけど、最近平定されたばかりだ。国境ではまだ戦っている軍団もいる。……少し変化が起こるんじゃないかな」
「起こるでしょうね」
 ソリュータは答える。
 少しの変化どころではない。聡明な彼女は、一つの可能性に気付いていた。実は、彼女がクリオンとともに館に留まっていたのは、それが最大の理由だった。
 もしかしたら……
 その時、表門のほうがにわかに騒がしくなった。二人ははっと顔を上げる。待つほどもなく、二十代の背の高い男が現われた。ソリュータが声を上げる。
「お兄様!」
「食事中だったか? 悪いが中止してくれ」
 男はソリュータの実兄、レグノン・ツインドだった。だが彼は岬で救助作業に当たっていたはずだ。ソリュータは席を立ち、駆け寄る。
「どうしてお帰りに? もうあちらはいいのですか?」
「よくはない、すぐ戻る。三十分だけというからここへ来た」
「三十分って! 来て戻るだけでも一時間はかかります!」
「いや、戻れるよ。エピオルニスは疾いからな」
「エピオルニス……」
 その言葉を二人が理解するまで、少し時間がかかった。
 その沈黙の中、レグノンの後ろからもう一人の人物が現われて、軽く頭を下げた。二十代半ば、怜悧な美貌の女。だが、視線は細く鋭い。四肢には薄く硬いスタッグ虫の削り出し鎧を身につけている。
「ニッセン隊長、こちらがクリオン殿下、隣が私の妹のソリュータです」
 レグノンの紹介を聞くと、その女は言った。
「殿下にはお初にお目にかかります。ヴェスピア疾空騎団第一連隊連隊長、マイラ・ニッセンです。火急の用につき使いに参上いたしました」
「疾空騎団が!」
 驚いてクリオンは叫んだ。巨鳥を駆り一夜にして三百リーグを渡る空の騎兵。王都に常駐する精鋭部隊である。それが使いに現れたということは大事であり、しかも緊急の事態だ。
「では、事態はやはり……」
 火薬に火を近づけるように、ソリュータが言った。マイラはうなずいた。
「皇帝陛下はお隠れあそばしました」
「――!」
 呆然として声もない二人に、マイラは淡々と告げた。
「事故の知らせは昼前に王都に届きました。陛下御行幸に際し、私の部下が警護におともしており、それが伝令を務めたのです。緊急の国議が開かれ、つい先ほど結論が出ましたので、私が王都から使いに参じました」
「け、結論って……」
 かすれた声で言ったクリオンに、マイラは静かに言った。
「クリオン殿下、王都へお戻り下さい」
「ぼくが? なんで?」
「助かった者は、下級貴族と平民たちだけなのです」
 少なくとも一千人の貴人が乗っていた船の事故を、マイラは簡単に表現した。
 そして、うやうやしく頭を下げた。
「殿下――ジングリット皇家の血を引くかたは、もはやあなたのみなのです」
 それは、ソリュータが最も恐れていた言葉だった。
 手がぎゅっと握られた。もうすぐ王子ではなくなる少年の手だった。

 そしてクリオンは、皇帝になった。
「儀杖兵、かまえーッ!」
 東征将軍デジエラ・ジングピアサーの号令とともに、両翼八百名の近衛兵団がいっせいに槍を掲げた。十ヤードの長槍にゆわえつけられた漆黒の弔旗が重く垂れ下がる。
 自分を挟んで作られた槍のトンネル。石突を天に向け、絶対の忠誠を誓う精鋭たち。クリオンはその間を震える足で進む。
 近衛兵の壁の向こうに、数万の臣下が何百もの列を作る。三十二の歩兵兵団、八つの高速騎兵団。二百名の司祭、三百名の武官、五百名の文官。胸には黒の弔章が揺れ、目には新帝への熱い興味の光が宿っている。
 クリオンは長い緋の絨毯を歩き切り、祭壇へのきざはしに足をかけた。一段が五ヤードある十三段の広い階段を上り、壇上に据えられた巨岩のような八角のひつぎの前に立つ。
 供物台に捧げられた、小さな杯を取る。それを頭の上にかざすと、教会の尼に踏ませた聖なるぶどう酒が、髪の毛に振りかかった。
 同時に、大神官キンロッホレヴン四十九世の悲痛な声が響いた。
「中原の獅子、北海の大魚、ガジェス山を踏み破りし勇者、偉大な皇帝ゼマント四世に、イフラの神の抱擁のあらんことを! 悼め、すべての民!」
 胸に手を当てた群衆の上を、重々しい臼砲の轟きが渡った。
 長い長い砲声が終わるとともに、再び大僧正が叫んだ。
「――そして新たな王に、気高く猛々しい血の受け継がれんことを! 祈れ、すべての民!」
 さあっとさざなみのような音が広がった。胸に新たな緋の布を押し当てて弔章を隠す音。ガシャッ! と近衛兵団が槍を持ち替え、穂先をたかだかと突き上げた。金糸と銀糸を織り成した籏旗が、王宮を渡る風にへんぽんと翻る。
 大神官がクリオンに歩み寄り、黄金の冠を差し出した。頭を下げないクリオンに、手を伸ばしてそれをかぶせる。
 クリオンは振り向き、群衆に向かって歩を進めた。
 左右に立った大神官と将軍が叫んだ。
「ここに新帝クリオン一世の即位を告げる! 嘉せよ、イフラの神! 寿げ、すべての民!」
「全軍、新帝に歓呼! ウーレー・クリオン!」
「ウーレー・クリオン!」
 歓声が爆発した。数万の人間が上げる叫びが広大な前庭を満たした。東西千五百ヤードの王宮の城壁にそれはこだまし、地震のようなとどろきで人々の体を揺さぶった。その頭上を、疾空騎団の四百羽のエピオルニスたちが幾何学的なピラミッド隊形をとって悠然と横切っていく。
 クリオンは片手を上げる。その手は震えている。だが誰も気づかない。
 いや――ただ一人、一人だけは。
「どうなるんだろ……?」
 クリオンは瞳だけを動かしてフィルバルト王宮を埋める群衆を見まわした。無論見つかるわけがない。ソリュータの小さな姿など。
 ただ、逃げ出したいほど多くの人々の、泣き出したいほど大きな歓声だけが、いつ終わるともなく押し寄せている。


 2

 ジングリット帝国は大陸の中央を南北に占めている。
 北に不毛の北海、南にフェリド族の住むガジェス山脈、西にシッキルギン連合王国を始めとする西方諸州、東にタイミン・エンパイアステイツを臨み、その中には敵国も多い。
 だが、ジングリットは中でも一番の大強国であるとされていた。
 中原で毎年収穫される荷馬車五十万台分の小麦、ガジェス山で採掘される数々の鉱産物、東西の交易によって産まれる莫大な富が帝国の経済を支える。そして総兵力四十万と号される帝国正規軍は無敗と言われている。
 クリオンもそれを鵜呑みにしていた。
 五星暦一二九〇年春、最初の国議に出御するまでは。

 フィルバルト王宮、ザナゴードの広間。
 国議の開かれる会議室であるそこには、重苦しい沈黙が立ち込めていた。
 一辺三十ヤードの扇形をした、広い部屋である。ゼマント四世在位の間は、五百人近い帝国貴族が席を埋めていた。
 だが今そこは、おそろしく空虚だった。
 居並ぶ人間の中に、貴族の証しである羽根付き帽子をかぶっている者はわずか五十人あまり。その羽根も、多くは紺や灰のくすんだ色のものばかりで、オレンジや緑や青、そして赤の羽根は羽根はひとつもない。
 伯爵以上の大貴族は根こそぎ死んでしまったのだ。
 代わりに、以前ならこの部屋に入ることも許されなかった無帽の者たちが、百人ほど後列に並んでいる。いずれも平民の文官だ。普段は貴族の命を受けて実際に政務を行っている、実務文官たち。
 それほど帝国府の人材は払底していた。
 そして、雰囲気が暗いのは、人数が減ったせいばかりではない。
「では次に、今年の帝国財政の見とおしについて――」
 玉座のかたわらに控えた、議長のイシュナス・レンダイク男爵が、手元の羊皮紙を読み上げた。
「皆様ご存知の通り、帝国の財政は逼迫している。今年は、前帝崩御により物価の大幅な上昇も見こまれる。外圧も高まり、軍事面での歳出も増えるだろう。加えて、亡くなった貴族の方々の領地は、まだどうするか決まっていない。そこからの収穫も、あやしいと思ったほうがいい」
 レンダイクは低い声で続ける。
「そして春までに開かれた舞踏会、御遊行、狩猟祭、度重なる外征などで、昨年は六千二百万メルダが費やされた。これは帝国全歳入の九割に当たる。その他の文教、救荒、建築土木、帝債、事務諸費などは圧迫、いや押しつぶされかけていると言ってもいい。――帝国には、余裕がないのだ」
 そこまでレンダイクが言ったとき、最前席にいたホレイショ子爵が叫んだ。
「レンダイク殿! 聞き捨てなりませんな、前帝陛下の施政に問題があったようなおっしゃりようだが?」
「そうですな。陛下の御聖断に過ちがあったはずはないのに」
「不敬きわまる言葉だ」
 数人の貴族が同意の声を上げた。いずれも若い。グレンデル湖の宴に呼ばれなかったほどの下級貴族か、亡くなった大貴族から爵位を継いだばかりの者たちだ。
 朝からずっとこんな調子だった。レンダイクが何か言うたびに、彼らが難癖をつけて、議事をとどこおらせるのだ。
 レンダイクは黙っている。もともと彼は男爵で、貴族の中ではもっとも位階が低い。遠慮のない直言が多くて前帝のもとで冷や飯を食わされていたのだ。それでも帝国府の生き残りの中では最上位であり、政務にも参画していたので議長を務めているのだが、本来ならとうてい、貴族たちをまとめることなどできない身分なのだ。
「陛下……」
 レンダイクが振り返り、玉座を見上げた。
 そこで、クリオンは固まっていた。
 長い緋のマントに埋まり、ずり落ちそうな王冠を必死に頭上に保っている。目は前を見ていたが、何も映していない。
 ザナゴードの間に入ること自体、初めてなのだ。九千万の民を統べる至高の部屋。周りにいるのはすべて年上の大人たち。羽根帽子を飾り立てた貴族や、いかにも敏腕という感じの文官。しかも、自分に敬意を持っているとは到底言えない。
 そんな連中に向かって、一体何を言ったらいいのか。
 指一本動かせない。
「陛下……お考えは」
 レンダイクが慇懃に言った。クリオンはうろたえて周囲を見まわす。
 左右に控えているのは、儀典長官の老人ラハシュ・ジューディカ、後見としてついて来たグレンデルベルト侯スピグラム・ツインド、そして軍のオブザーバーとして出ているデジエラ・ジングピアサー東征将軍。
 皆黙っている。ジューディカ老はおどおどと目を泳がし、デジエラは冷然と無関心を決めこんでいる。ソリュータの父であり、実父のようにも思っていたツインドは、興味深げに見つめ返すばかりで、無言。
 クリオンは、脂汗をだらだら流すだけで、口を開けない。
 ため息をついたレンダイクが、貴族たちに向き直った。
「議事の途中だが、陛下はお疲れのご様子だ。続きは明日にしたい。――異議は?」
「逃げを打つおつもりか」
「貴殿に考えがないからそんなことを申されるのだろう」
 ホレイショ子爵たちが野次を飛ばす。レンダイクは唇をかむ。そんなことを言うなら自分たちで考えたらどうだ。能無しの豚どもめが!
 レンダイクにはそれなりの施政案があった。うぬぼれでなく、実力もあると思っている。だが、身分が低い。自分からは言えない。
 後席に並ぶ文官と同じだった。彼らも現場で実直に勤めを果たして来た者たちだ。狩りや女にうつつを抜かす大貴族たちより、よっぽど能力はある。
 だが、貴族に向かって進言することはできない。
 貴族に対するもどかしさと、無力な新帝への失望、それがレンダイクと文官たちに共通する心境だった。
 行き詰まった議論を打開するため、しかたなくレンダイクはジューディカ老に声をかけた。
「ジューディカ長官、貴殿は医術の心得もおありでしたな。どうかな、陛下はお疲れのご様子では?」
「ああ……いや、そうですな。長旅でお疲れの色がうかがえます」
「お聞きの通りだ。今日の国議はこれで終わる!」
 押しきられた貴族たちが文句を言ったが、クリオンが立ちあがったので静まった。 数百の冷たい視線を背に、よろよろとクリオンは広間を出た。

 近衛兵たちに囲まれて廊下を歩くクリオンの背に、しわがれた声がかけられた。
「陛下……陛下!」
「え?」
 振り返ると、枯れ木のようにひょろひょろの老人が走ってきた。ジューディカ老人である。
「ああ、ジューディカさん……じゃなくて、長官」
「陛下、少々お耳に入れたいことが」
「なんですか」
「できれば、お人払いを……」
「あ、うん。……ちょっといいかな」
 近衛兵たちは、薄ら笑いを浮かべながら離れていった。
「これでいい?」
「そのですな。皇帝陛下の大事なつとめに関するお話なのです」
「はあ」
「ご存知の通り、前帝ゼマント四世陛下は、十八人のお世継ぎをもうけられました。ところが、クリオン陛下を除く十七人の王子殿下たちは、残らず亡くなってしまったのです」
「はあ」
「我がジングリット王家のしきたりでは、男児しか帝位を継ぐことはかないませぬ。それなのに、今の王家には、陛下ただ一人しか男がいらっしゃらない。前帝陛下のお妃も亡くなっておりますし、お側の方々にも種が残っておりません。まずいことに、十七人の殿下たちにも、一人も男児がいらっしゃらないのです」
「はあ」
「一大事なのです!」
「はあ……」
 ジューディカ老はつばを飛ばして力説するが、何を言いたいのか、クリオンにはよくわからない。なんとか想像力を働かせてみる。
「それで? 女の子でも継げるように、決まりを変えたいとかですか?」
「変えるなど! おお、そんな恐れ多いことは申しません」
 顔色を変えて老人は叫んだ。それから、クリオンに顔を寄せて耳打ちした。
「私が申し上げたいのは、陛下にお世継ぎをお作りになっていただきたいということです!」
 クリオンは目をまるくした。
「ぼ、ぼくに?」
「そうです、それも早急に!」
「そんな、ぼくまだ十五歳ですよ?」
「まだではありません、もうです。前帝陛下は十四の時最初のお子を成されました」
「でも、結婚もしてないのに」
「結婚? それはまた別の話です。ご婚儀は、周囲の国をよく調べて、手を結んでもいい相手か、それともいずれ敵となる国なのか、よく見定めてから執り行わなければ」
 頭から政略結婚と決めてかかっている。クリオンは必死に言い返す。
「それにしたって、子供を作るにはまず結婚からでしょう?」
「そんなことはございません。お側女を置けばよろしいのです。お子を成すためですから、婚儀など挙げなくとも」
「そんな無茶な! 子供作るためだけに女の子に手を出せって言うんですか?」
「無茶とはしたり。相手の娘も喜びますぞ。陛下のお手がつけば一族は皇籍に入り、なに不自由ない暮らしが約束されるのですから」
「でもそれって、なんか違うじゃないですか! そういうのは好きあった同士がすることで……」
「よろしいですか」
 声を低めて、ジューディカ老はクリオンをにらみつけた。
「王者たるもの、常に自らの血のことを気にかけていなければなりません。血を遺すことは、政務や軍務にも勝る、重大な務めです。そしてご自分の血に誇りを持たなければ。側女を置くことは、その娘に類ない誉れを与えてやることなのです。誇りさえあれば、陛下が抱かれているようなご懸念は、おのずからなくなります。そうでなくてはいけないのです」
「……」
 クリオンは後ろへ下がった。千数百年続いてきた王家の因習が、老人の背に亡霊のように燃えあがっているような気がした。
 なんとか口を動かして言い返す。
「そ、そうは言っても、まだぼくには、見初めた子なんかいないし……」
「陛下がお探しになる必要はございません」
「じゃ、どうするの」
「後宮を造りましょう」
 あっさり老人は言った。クリオンの声が裏返る。
「後宮?」
「私が責任を持って国中から美女を選りすぐります。陛下はその中からお好きな娘をお選びになればよろしい」
「そんなのこの国にあったの?」
「そういえば、前帝陛下の御世にはありませんでしたな」
 クリオンはほっとしかけたが、すぐに落胆した。
「ですが、史書にはちゃんと記されております。五星暦八四五年、第八オルマン朝のメギド二世陛下は、王宮内に百六十の房を持つ後宮を造り、四百人の寵姫をそこにはべらせたとか……」
「四百人!」
「もちろん国も小さかった昔のことですから、少なかったのです。そうですな、陛下の後宮は、今のジングリットの国威を知らしめる規模でなくてはなりませんから、まずもって千人……」
 平然と老人は言う。
 もうクリオンにはついていけなかった。かといって、頭から断ったところでこの老人をあきらめさせることは無理だろう。国議のときにはおどおどした弱気な老人だと思っていたが、ただの年寄りに儀典長官が勤まるわけがないのだ。この老人は、王家のしきたりのこととなると、命がけで燃えるようだった。
 多少譲歩するのも仕方ない。
「わかったよ。世継ぎを作るから」
「おお! ご決心を固められましたか! ではさっそく国中に使いを出して、領地で一番の美女を千人……」
「それは待った!」
 クリオンは両手を突き出してさえぎった。
「長官も聞いていたでしょう? 今のジングリットにそんなことをするお金はないんだよ」
「はあ、では不本意ながら、五百人なり三百人なりに減らして……」
「後宮はいいから!」
 クリオンは叫んだ。
「要はたったひとりでも、ぼくが女の子を見つければいいんでしょう?」
「一人ではいけませんな。お子を孕む体かどうかはっきりしませんので……」
「じゃあ何人か探すから! 約束するから」
「お急ぎになってくださらないと……」
「わかった、わかりました! 急ぎます!」
「そうでございますか、なら結構ですが……くれぐれもお忘れなきよう」
 念を押すと、老人は去っていった。
「はあ……」
 クリオンはため息をつく。政治のことだけでも気が重いのに、無害だと思っていた老人に、とんでもない仕事まで背負い込まされてしまった。こっちの気持ちなんかちっとも考えてやしない。
 ふと気付くと、近衛兵たちが戻ってきた。その中には、疾空騎団のマイラの姿もある。彼女は近衛隊長を兼任していた。あの事故で前帝に仕えていた近衛兵たちも大勢運命をともにしたので、補充のために駆り出されているのだ。
「参りますか」
「うん……」
 マイラが先に立つ。後ろを固める兵たちの中から、含み笑いが聞こえた。 
 兵士たちは明らかにクリオンをばかにしていた。マイラにしても、職務を果たしているだけで、クリオンに対してはなんの感情も抱いていないだろう。
 ここにも、味方はいなかった。

 夕食の時間にも、クリオンは孤独だった。私室で取ったにもかかわらず、食事は五十皿に及ぶ豪華を極めたものだった。ほんの数皿しか食べられなかったクリオンが気になって給仕長に聞くと、残りはすべて堀に捨てられるという話だった。
 それが済むと入浴だった。
 勝手がわからないクリオンは、城内をすべてマイラたちのあとにくっついて移動した。石造りの広い前室に入っても、マイラたち五人の近衛兵は出ていこうとしなかった。
 クリオンは気後れしながら聞いた。
「あの……出てってくれない?」
「そうは参りません。これから陛下は、帯剣をお外しになりますので」
 そう言えば、ずっと腰に剣を下げさせられていた。だが、そんなもの今まで忘れていた。剣自体には慣れている。異民族や猛獣相手に戦ったことがあるから。だが、王宮の中でそんなものが必要だとは思えなかったのだ。
「丸腰でも大丈夫だよ、風呂には誰もいないから」
「おります。侍女が付きます。――ああ、お召しものは侍女が」
 数人の侍女が現われて、クリオンの服に手をかけた。クリオンは驚いて身を引こうとする。
「ちょっと、なに?」
「侍女にお任せ下さい、陛下」
「じゃあ、全部見られちゃうの? 女の子に?」
「心配ご無用です。不届きな者がいれば私が切って捨てます」
 平然とマイラが言った。クリオンの羞恥心など気にもかけていないようだった。
クリオンは思わずつぶやく。
「警備のことじゃなくて……裸、恥ずかしいんだけど」
「陛下のお体に恥ずかしいところなどございません。前帝陛下のお姿には、侍女たちもため息をついたと聞いております」
 しきたりだからおとなしく従え、ということらしい。それにしても、マイラの言葉にはかすかな悪意があるようだった。――強く逞しかった前帝に比べて、おまえの弱々しいこと、とでもいうような。
 あきらめてクリオンは両手を広げた。侍女たちが、肌にじかに触れないよう、息をかけないよう、クリオンのマントを、チュニックを、下着を、恐れ敬いつつ脱がしていく。マイラの容赦ない視線に、クリオンは赤くなった。
 全裸になると、湯殿への低い入り口へかがみかけて、クリオンは振り返った。
「まさか、中までついてくるの?」
「いえ。中では警備の必要もございませんから」
 どういう意味かと聞こうとして、クリオンは絶句した。
 侍女たちが次々に服を脱ぎ始めたのだ。ためらいなくエプロンと黒いスカートを脱ぎ捨て、全裸になる。
 さらに衝撃的な光景をクリオンは見た。
 侍女たちは、互いの股間に指を入れて、まさぐり始めたのだ。
 それが済むと、三十歳の侍女頭が、マイラに報告した。
「ニッセン様、大丈夫ですわ」
「よろしい、陛下を湯殿へ」
 一番下は二十歳そこそこから、三十歳の侍女頭まで、六人の一糸まとわぬ女たちがクリオンを囲んだ。クリオンは顔を押さえながら叫んだ。
「な、なんで脱ぐんですか!」
「武器を身につけられないようにです。ご安心下さい、体内に何か隠し持っているものもおりません」
「さ、陛下」
 侍女に近づかれて、あわててクリオンは湯殿に入った。
 一度に百人は入れそうな岩風呂だった。周囲は壁で囲まれているが、それを隠すように南方の木まで植えられていて、とても屋内とは思えない。
 ぽかんと突っ立っているクリオンに、侍女頭がささやいた。
「陛下、お肌に触れてもよろしいでしょうか?」
「え? あ、はあ」
 よくわからずにうなずくと、侍女たちは香りをつけた灰汁袋を泡立てると、一斉にクリオンの手足を洗い始めた。クリオンはびくりと体を堅くする。
「あ、あの、自分でやるから」
「まあ……」
 侍女頭は怪訝そうに眉をひそめたが、やがて訳知り顔でうなずいた。
「失礼をいたしました。私めのような年寄りが触れて申しわけございません。――ジュナ、チュロス、おまえたちがお勤め」
「はい、トリンゼ様」「かしこまりました」
 嬉しそうに微笑んで、二人の娘がクリオンの両脇に立った。
「失礼いたします……」
 二人の娘が丁寧にクリオンの手足をぬぐい始めた。クリオンはどもりながら聞く。
「こ、これもしきたり?」
「本来なら十名でお世話させていただくのですが、前帝陛下がおつれになったので……申しわけございません」
 これでも少ない、という返事を聞いてクリオンはめまいがしそうになる。これでは、一人でやると言っても聞かないだろう。
 ジュナとチュロスは、みずみずしい乳房と下腹部の淡い陰を隠そうともせず、かいがいしくクリオンの体を洗っていく。ジュナは紅茶色のウェーブした髪を短く切りそろえ、チュロスはかすかに青みがかったまっすぐな髪を後ろに落としている。いずれも二十歳そこそこの、美しい娘たちである。
 他の娘たちも湯を汲んだり、香油の準備をしたりと立ち働きながら、二十代の見事な肢体を見せつける。それを命じた侍女頭のトリンゼとて、年寄りというにはほど遠く、油の乗りきった豊かな体の美女である。
 クリオンが両足をもじもじさせはじめたのも、無理はなかった。
「あら……」
 クリオンの胸を洗っていたジュナが、視線を落とした。
「陛下……おつらいですか?」
「あ……ごめん!」
 クリオンはあわてて前を隠した。だが、意志で押さえこめるものではない。興味深げにのぞきこむジュナのはちきれそうな乳房が目の前にある。手のひらが押し上げられる。
「き、気にしないで。ちょっとこうなっちゃっただけだから……ごめん、こんなもの見せて」
「よろしければお伽いたしますが」
 平然と言って、クリオンの腰を後ろから洗っていたチュロスが、ぬめる手を前に滑らせた。首をもたげ始めたクリオンの性器に、手を触れる。
 女性はおろか、他人にそこを触れられるのは初めてである。クリオンはびくっと腰を引っ込めて叫んだ。
「ちょっと、伽って! ま、まさか……」
「陛下のお種を出させていただくということです」
 トリンゼが正面で微笑んだ。クリオンは身が縮むほどの恥ずかしさに襲われる。
「た、種って……そんな、こんなにみんなが見てる前で……じゃなくて、君たちいいの? そんなことさせられて!」
「残念ですが、胎内にいただくことはできないんです」
 トリンゼは申しわけなさそうに頭を下げた。
「ジューディカ様のお言い付けで。それはお手つきということになりますから。お世継ぎの問題がからんできますからね」
「じゃ……しないの?」
 クリオンは心底ほっとしてつぶやいた。
 彼にだって性欲はある。だが、それを正直に口にできるほど、この環境に慣れていなかった。なにより彼の道徳観が許さない。クリオンはグレンデルベルト領でソリュータとともに、婚約の契りを交わすまではくちづけもするなと言われて育ったのだ。
 だが、トリンゼはどこまでもクリオンの期待を裏切って言った。
「陛下には物足りないかもしれませんが、手なり口なりでしたら、存分にお使いいただけます。あそこ以外でしたらどこなりと。心を尽くして奉仕させていただきますわ」
「てなりくちなり……」
「陛下のお種をそのように無駄にするなど、恐れ多いことなのですが」
 クリオンはうつろな目であたりを見まわした。誰も異議を唱えない。
 トリンゼがさらに追い討ちをかけた。
「もちろん、陛下が正式に寵姫として召し上げて下さるなら、胎内に注いで下さっても問題ありません。……みな、待ち望んでおりますわ」
 そう言って、クリオンに期待に満ちた視線を向ける。親子ほども年の違う美女に熱いまなざしを注がれて、クリオンは思わず目を逸らした。
 そこにも同じ視線があった。
 六人の侍女たち全員がそうだった。トリンゼも、ジュナも、チュロスも、みな潤んだような瞳でクリオンを見つめていた。クリオンに犯されるのを望んでいるのだ。
 呆然とクリオンはへたり込んだ。彼が知っている世界とはあまりにもかけ離れていた。彼が想像していた皇帝の暮らしとさえも。せいぜい、毎日骨付き肉が食べられるぐらいに思っていたのに。
 もちろんクリオンも、男女がどうやって結ばれるかは知っている。だが、それは閨房の中でひそやかにすることだったはずだ。
 侍女たちが言うようなことは、クリオンの常識では娼婦のすることだった。それを強要する男はいるだろうが、まさか望む女がいるなんて、思ってもみなかった。
 罪悪感にかられて、クリオンはつぶやいた。
「そんな……そんなことしなくていいよ……」
 侍女たちは物足りなさそうに目を見交わし合ったが、横から顔を出していたチュロスが、不意に妙に冷静に言った。
「でしたら、お清めだけさせていただきます」
 しゃがみこんだクリオンの背に、弾力のあるふくらみが押しつけられた。おっぱいだ、とクリオンは体を硬くする。同時に、両手がぬるりと腰の横を滑って、クリオンの勃起を包んだ。
「あ、抜け駆け……」「待ちなさい」
 侍女たちとトリンゼが素早く言い交わした。だが、クリオンは聞こえていない。
「あっ……」
 腰が震えた。生まれて初めて味わう快感だった。自分のものでない手に触れられることがこれほど気持ちいいとは思わなかった。
 チュロスのしなやかな指が、クリオンのまだ成熟していない性器を、柔らかくしごき上げ、撫でまわす。皮をめくり、薄すぎる粘膜まで指が巡る。クリオンは魚のようにびくびく腰を動かした。たちまち強烈な射精欲が沸きあがってきた。
「ち、チュロスさん……」
「次、おみ足失礼します」
「……え?」
 クリオンがうっすら目を開けると、チュロスは何事もなかったようにクリオンの太ももをぬぐっていた。女のかぐわしい香りと消えていく快感が、クリオンに理性を失わせた。
「チュロスさん、今の……」
「なんでございますか」
「え、ううん……」
「お清めが終わったら湯船に入っていただきます」
 後ろ向きにクリオンの膝をぬぐいながら、そっけなくチュロスは言った。だが、その滑らかな腰は、しっかりとクリオンの腕に押しつけられている。
 免疫のないクリオンが、こんな強烈な誘惑に耐えられるわけがなかった。
「その、お願い……」
「はい?」
「手でいいから……ちょっとだけ」
「手でございますか。どこを洗って差し上げれば?」
「その、あそこ……」
「あそことおっしゃると?」
「……ここ」
 蚊の鳴くような声で、クリオンは股間を指差した。そこでは少年の意志を雄弁に表して、まだ色の薄いペニスが天井を差していた。
 チュロスが薄く笑った。
「では、ご奉仕させていただいてよろしいのですか?」
「……うん」
「かしこまりました」
 侍女たちの顔に喜色が走った。一斉にクリオンを取り巻く。
「陛下、おみ足広げてくださいませ」
「いけませんわ、そのままではおつらいでしょう?」
「後ろに。私が受けとめて差し上げますわ」
 トリンゼがクリオンの後ろに横たわった。押し倒されるようにして、クリオンはその上に寝そべる。豊満な肢体が肉の寝台となってクリオンの背中を受けとめた。
 仰向けになったクリオンの股間で、華奢なペニスが懸命にいきり立つ。チュロスがそれに手を添え、横からジュナが加わった。二人がかりで細やかな愛撫を始める。残った娘たちは、仲間外れにされてはたまらないとばかりに、クリオンの両手に、両足について、自分の柔らかい乳房や腹を押しつける。
「クリオン陛下……」
 あらゆる方向から甘いねだり声を聞かされ、体のすべてを女たちの肌に包まれて、クリオンは夢の中にいるような心地になった。想像もしなかった桃源郷だった。これが皇帝になるってことか、とぼんやり考える。
「いかがですか、陛下」
 トリンゼが体の下から甘くささやく。その両手はクリオンの胸を抱きしめ、慈母のように愛撫している。ふくよかなトリンゼの体に包まれて、クリオンは声もなくうなずく。
「陛下……陛下って、お綺麗です……」
 ペニスをこすりたてながら、ジュナも情欲に濡れたような声でささやく。
「まだ十五歳でいらっしゃるんですよね。お肌も滑らかで、骨も細くて…… お顔、よろしいですか?」
 薄目を開けると、ジュナの紅茶色の頭がすぐそばにあった。目の大きな活発そうな顔立ち。薄く唇を開いている。
「ん……」
 茫洋とクリオンがうなずくと、ジュナは頬に唇を当ててきた。愛しげなくちづけがあごを這う。
「すてき……私、陛下のようなお美しい殿方、大好きなんです。失礼ですけど、房事のご経験は……」
「まだ……ないけど」
「わあ……それなら、私たちが陛下の初めてに…… 光栄です」
 いっそう目をぎらつかせて、ジュナはクリオンの耳に舌を差しこむ。
「ね、チュロス。……こんなお綺麗な陛下にお仕えできて、幸せよね」
「ええ」
 股間に取りついたチュロスが答え、ごく自然な動作で腰をクリオンの顔の横に寄せてきた。
 ふと横を見ると、チュロスの秘唇が間近にあった。薄いヘアに縁取られた桃色のひだがわずかに開いて、粘性の高そうな液の粒がのぞいている。
 女の人の、とクリオンは息を詰まらせる。それを悟ったように、チュロスがささやいた。
「陛下……いかがですか」
 ひどく直線的な誘いだった。クリオンは誘惑に負けそうになる。チュロスの細い腰とまろやかな尻。その中に性器を突きたてたいという欲望が高まる。止めるものはクリオンのモラルだけ、それを壊したとしても誰もなにも言わない。
 そのまま誘われたら、クリオンはチュロスにのしかかっていただろう。
 止めたのはジュナだった。
「あ、チュロスずるい……」
 クリオンの頬から顔を離すと、ジュナが体の向きを変えた。逆の方向からクリオンに、チュロスよりやや小ぶりの尻を見せつける。
「陛下、私でも構わないんですよ」
「え……」
 クリオンは迷う。このとき彼の意識は混濁して、もう、どちらの娘を抱くかだけを考えていた。
 だが、その迷いが幸いした。チュロスより気が短いらしく、ジュナが手で触れていたクリオンのペニスに、顔を寄せたのだ。
「陛下、お口で失礼させていただきます」
「え?」
 なにを、と聞く間もなく、ペニスが温かい粘膜に包まれた。
「う、ううっ?」
 クリオンは思わず痙攣した。わずかに顔を上げてみると、ジュナが自分のものをすっぽりと口に含んでいた。強烈な罪悪感に襲われてクリオンは思わず叫ぶ。
「だ、だめだよ! そんないやしいことしちゃ!」
「いいんです、陛下のおためなら堕落しても構いません」
 わずかに口を離して言うと、ジュナは再びクリオンのものを頬張った。頬の肉とよく動く舌が、クリオンのものをこねまわし始める。
 すぐに横からチュロスが加わった。負けてはならじとばかりにジュナに横から口付けするようにして、クリオンのペニスの周りを一分の隙もなく包みこむ。
「そんな、そんな……」
 ジングリット国教のイフラ教会が教えるところによれば、口腔性交は破戒だった。獣に落ちないため、教会は正常位の交接のみ認めている。いや、それに従えばそもそも複数の交わりが許されていない。
 許されないことを自分のために進んでやる娘たちを見て、クリオンは胸が締めつけられるような恐れを覚えた。その瞬間に、トリンゼのささやきが耳に入った。
「陛下は皇帝なのです。皇帝に許されないことはございません」
 そして股間に加えられるたとえようもない快美感。娘たちによって、体と心、両方のためらいが、霜のように溶け消えていった。
「陛下」「陛下……」
 侍女たちがクリオンの四肢を愛撫しながら、巧妙な動きで自らの性器へとクリオンの指を導いていった。
「お情けを……」「どうか私に……」
 全身の肌をあますところなく覆う娘たちの体。耳をくすぐる懇願の声。鼻に忍びこむ甘ったるい香り。舌に触れる別の娘の舌。そして火のような股間を絶え間なくねぶり上げる二つの唇。
 それは技巧を尽くした奪い合いだった。娘たちはなんとか皇帝の寵を手に入れようと争っていたのだ。だが、五感のすべてを甘い性の色に染め上げられて、クリオンはなにも考えられなくなった。腰が機械的にびくびく動いた。
「あ、ああっ!」
 そのとき亀頭を含んでいたのは、ジュナだった。今とばかりに深々とクリオンの肉棒を飲みこむ。残されたチュロスはすばやく睾丸に舌を伸ばした。性器の周りすべてを包まれた状態で、クリオンは射精した。
「ふうんっ」
 嬉しげにジュナが顔をゆがめる。こくこく、と喉が動いた。だが、途中からその顔に軽い困惑が浮かんだ。
「ううっ、ううっ」
 言葉を忘れたようにうめきながら、クリオンは射精しつづける。夢精の経験はあったが、彼は自慰をしたことがない。だが体は若い盛りだ。精液は溜まりきっていた。
 未体験の強烈な愛撫がそれをすべて引き出した。ジュナは途中で息ができなくなって口を離す。現われたペニスは、それでもなお、噴水のように断続的に白濁した液を吹き上げつづけた。すばやくチュロスが後を引き継いで、それを受けとめる。
 口元からだらりと粘液を垂らしながら、ジュナが感動したようにつぶやいた。
「すごい量……さすが、子だくさんのゼマント陛下のお血筋だわ」
 そう言うと、ジュナは体を離して背を向けた。
 クリオンはなおもチュロスの口内に注ぎつづけた。チュロスの口元からも液があふれ始めるころ、ようやく噴出は収まった。
 チュロスは顔を上げ、満足そうにそれを飲み干す。「ああ……」と周りの娘たちから羨望の声が上がった。
 激しい絶頂が過ぎ、クリオンはようやく我に返った。チュロスが嫣然とささやく。
「いかがでしたか」
「うん……良かったけど……」
 やっぱりこんなこと、と言おうとしたクリオンを、チュロスはさえぎった。
「胎内に注がれると、この何倍も心地いいのですよ」
 戻ってきた道徳心が、再び揺らぎそうになる。意識が消し飛びそうだった今の絶頂より、何倍も。
 トリンゼが背後から手を伸ばして、クリオンの股間に触れた。それはまだ硬さを失っていない。
「陛下、まだご満足いただけていないのでは?」
「う、うん……」
「お続けしましょうか? 口といわず、胎内で。他の娘たちが待ち焦がれております」
「で、でも、そんな何人も……」
「ご心配は無用です。帝国の力なら、寵姫の数人ぐらいは楽に養えます。……私どもすべてにお手をつけてくださってもよろしいのですよ」
 トリンゼが背後から顔を出してささやいた。
「ここだけの話ですが……私も前帝陛下にお情けをいただきました。ジューディカ様には内緒ですから、寵姫ではありませんが。親子で一人の女に通じる罪には触れません。でも……殿方を喜ばせて差し上げるわざなら、私が一番通じております。張型しか知らない他の侍女たちより」
 狡猾なアプローチだった。だがクリオンは気付くことができない。包みこむようなトリンゼの体のやさしさが彼を惑わしている。そうだ、笑われそうな他の女の子たちより、初めてはこういうやさしい人のほうが……
 すかさずチュロスたち若い侍女が詰め寄る。
「陛下、陛下になら私たちの操をお捧げします。私たち、前帝陛下にお仕えするために、他の殿方に触れることを禁じられていたのです。いつも手でさせていただくばかりで、本当にお情けをいただいたことはないんです。……もう耐えられないんです、どうか私たちに殿方を教えてくださいませ」
 情欲が思考を押し流す。もういいや、こんなにほしがってるんだ、この子たち全部としちゃっても……
 その時、一人の侍女の叫びが、甘い妄想を打ち砕いた。
「ジュナ! 何をやってるの!」
 はっと皆が振り向いた。その先で、ジュナが背中を向けて、自分の下腹に手を差し込んでいた。
「ジュナ!」
 チュロスが飛びかかり、ジュナを引き倒した。太ももが割れてジュナの秘部があらわになる。ジュナがそこに何をしていたのか、見つめたクリオンは唖然とした。
「陛下の……陛下のお種……大事なお種……」
 うわごとのようにつぶやきながら、ジュナは手のひらを秘部に揉みこんでいた。薄茶色の柔毛の間にべっとりと白いものがこびりついている。それが薄くなると、ジュナは口元に手をやり、新たな液を吐き出して、また股間に塗りこんだ。
 クリオンの精液だった。
 クリオンの頭から音を立てて血が引いた。声もなく見ている前で、チュロスがしたたかに平手打ちを食らわせた。
「やめなさいジュナ!」
「いや、させて! 初めてお種をいただけたんだもの!」
「ジュナ!」
 五人の侍女たちが恐ろしい形相でジュナを押さえつけた。口に指を突っ込んで精液を吐き出させ、手を湯で洗い流し、強引に股間を覗きこむ。
 チュロスが唇を噛んで言った。
「トリンゼ様……この子、もう奥まで」
「早まったわね、ジュナ」
 トリンゼは立ちあがると、声を上げた。
「ニッセン様! 申しわけありません、不届きものが出ました! 始末をお願いします!」
「始末?」
 驚いたクリオンの前に、白刃を抜き放ったマイラが入ってきた。一瞥し、ジュナに目を止める。
「不始末とは?」
「許しを得ずに陛下のお子を孕もうとしました。王家の血を奪った罪、死に値します」
「ふん……ここで切るわけにもいかんな」
 マイラは剣を収めると、乱暴にジュナの手を取った。悲しそうに下腹を気にしているジュナを強引に引きずっていこうとする。
 クリオンは叫んだ。
「待ってよ! なんでそんなことするんだよ!」
 トリンゼが、後ろめたそうな顔で答えた。
「私たちは平民です。本来なら陛下には口も利いていただけないほどの卑賤の身。それがこうしてお話させていただいているのは、お目こぼしなのです」
「でも馴れ合いは許されません」
 チュロスが後を継いだ。
「陛下のお手がつけば寵姫として遇せられます。でもそうでないものは平民のまま。身分が変わる大事ですからこの決まりは厳格です。正しく寵姫になるためには、陛下にはっきりお許しをいただくことが必要なのです」
「だから、ジュナのしたことは、平民が貴族に成り代わろうとすることなのです。殿方ならば反乱ですわ。そして、反乱は縛り首……」
 クリオンは慄然とした。自分は情欲に押し流されて、軽い気持ちで娘たちを抱こうとしていた。だがそれには、彼女たちの身分を、人生を変える大きな意味があったのだ。
 そんなことも知らず安易に精を与えたせいで、一人の娘の命が奪われるなど、クリオンには耐えられなかった。
「だめだよ、死刑なんて」
「ですが陛下……」
「だめだったらだめだ! ぼくは皇帝だぞ! 皇帝の言うことが聞けないのか?」
 マイラが振り返り、冷たく言った。
「でしたら陛下、この娘を寵姫に召し上げていただけますか」
「それは……」
 クリオンは言葉に詰まった。ジューディカの言葉を思い出す。あの時自分はなんと答えた? 子供は愛し合った二人がつくるもので……
 どの面下げて、できちゃいました、などと言えるか。
「――その気はないのですね。では」
 マイラが背を向けた。クリオンは必死に叫んだ。
「ぼくが悪かったんだ、ぼくが流されちゃったから! 何か償う方法はないの?」
「……」
「とにかく、死刑だけは絶対だめだからな!」
 クリオンは駆けより、ジュナの腕をつかんだ。マイラが何かつぶやく。柔弱な、と聞こえたような気がしたが、気にしている場合ではない。クリオンは必死にマイラをにらんだ。
 トリンゼが、思い出したように言った。
「ニッセン様。ホグの根を用いれば……」
「……それがあるか」
 マイラはふと顔を上げたが、トリンゼを見返した。
「だが、この娘にしきたりを破られて一番腹を立てているのは、おまえたちだろう? いいのか、そんな甘い始末で」
「……」
 侍女たちがじっとクリオンを見た。なんのことかわからなかったが、死刑でないのならなんでもいい。クリオンは精一杯おそろしく見えるような顔で、トリンゼたちをにらみ返した。
 トリンゼはやがて、ため息を付いた。
「私の監督不行き届きでもあります。……陛下の御納得いただくように」
「では、ホグの根を」
 マイラはずるずるとジュナを引きずって、出ていった。
 クリオンはぺたりと座りこんだ。そのそばにトリンゼがやってきて、申しわけなさそうに言った。
「ジュナは前帝陛下の時に、一度もお種をいただけなかったのです。家には五人の妹たちがいます。思いつめるあまりあのようなことを……申しわけありません」
「それって……要するに、皇帝なら誰でもいいってことじゃないか!」
 トリンゼは冷たい目でクリオンを見返した。何か言いたいが言い返せないという顔。つまりクリオンの言ったことは図星だったのだ。
 娼婦だ。やっぱり、この人たちは娼婦だった。身分を手に入れるために媚びていただけなんだ。
 クリオンは吐き気を覚えた。侍女たちのあさましさと、それを見ぬけなかった自分の迂闊さに、頭を抱えたくなる。ジュナを救うべきだったのかどうかももうわからない。
 そして、皇帝という自分の身分にも嫌悪を覚えた。
「陛下……」
 取り繕うようにチュロスが伸ばした手を、クリオンは振り払った。
「うるさい、触るな!」
 叫ぶと、クリオンは外へ飛び出した。




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皇帝陛下は15歳!

――第一話 「ソリュータ」 後編――


 3

 夜半。ドアにこつこつとノックがあった。
「クリオン陛下、よろしいですか」
「ん……」
 寝具から顔を上げて、クリオンは生返事をした。
 私室のドアが開かれる。入ってきたのはマイラだった。続いてツインド、そしてソリュータ。
「……ソリュータ!」
 即位からこの方、ろくに顔も合わせられなかった幼なじみの侍女の姿を見て、クリオンはがばっと起き上がった。
「どこにいたんだよ! ずっと探してたのに!」
「お休みのところを申しわけありません、クリオン陛下」
 ソリュータの代わりに、ツインドが会釈した。ソリュータはその後ろでひっそりと目を伏せている。
「臣に少々お話がございまして、このような時間に失礼させていただきました。よろしいでしょうか、陛下」
「え……」
 ツインドに深々と頭を下げられて、クリオンは戸惑った。ツインドは四十八歳である。十年前にクリオンを手元に引き取ってから、クリオンに政治や世の仕組みを教え、軍略を授けた師である。師であるとともに、父だった。時には叱られ、時には抱きしめられたこともあった。そんな時は殿下も陛下もなく、ただのクリオン呼ばわりだった。
 そのツインドが、他人のようによそよそしく頭を下げて、クリオンが発言を許すのを待っている。ソリュータも。顔すら上げない。
「よしてよおじさん、そんな改まって……」
「グレンデルベルト侯とお呼びください。私は陛下の臣にございます。陛下にお目通り願うための礼を踏んだまでです」
「おじさん……」
 クリオンはあたりの空気が急に冷えこんだような寂しさを感じた。
 ツインドまでが。家族同然に思っていたこの二人まで、自分から遠ざかってしまった。
 本当に、ぼくはひとりぼっちなんだ。
 虚しさの中で、クリオンは投げやりに聞いた。
「用ってなんなの」
「はい。できればお人払いを……」
 ちらりとマイラを見やる。またお人払いだ! どうせ差し向かいになった途端、ジューディカ老のように勝手なお願いを並べ始めるんだろう。この人も結局、皇帝に取り入りたいだけの貴族なんだ。
「いいよ。マイラさん、出てって」
「しかし、陛下は剣を帯びておられないようですが……」
「いいから出てけ!」
 やけっぱちにクリオンは命じた。ツインドが信用できないなら、マイラだって同じだ。警護なんかいてもいなくても変わらない。
「では、失礼いたします」
 頭を下げてマイラが退出した。ドアが閉まるまで、クリオンは横目でツインドを見ていた。人間ってこうも簡単に変わるのか、と落胆しながら。
 ドアが閉じた途端、驚いた。
 ソリュータがぱっと顔を上げて、ぶつかるようにクリオンの胸に飛び込んできたのだ。
「クリオン様……!」
「そ、ソリュータ?」
 ぎゅっと抱きしめられて、クリオンはあたふたとよろめいた。その前に、にやにや笑いながらツインドがやってくる。
「悪いな、クリオン。人目のある時にはなれなれしくできんのだ」
「おじさん……」
 ソリュータの肩越しに、クリオンはまじまじとツインドを見つめた。
「それじゃ……演技だったんですか?」
「わしの立場も微妙でね」
 ツインドは苦笑いしながら口ひげを撫でた。
「新帝の後見ともなると、周りの目の色が変わるんだ。わしに取り入ればおこぼれに預かれると計算してな。しっかり臣下の礼をとっておまえとの間に一線を引いておかないと、皇帝を陰で操る陰謀家だと思われかねん。悪くすると君側の奸呼ばわりで殺される」
「そうだったんですか……」
「国議のときは悪かった。あの場合、わしは絶対に口を出せなかったんだ。……もちろん、今のような時は別だ。なんでも相談に乗るぞ」
「よかった……」
 クリオンは胸をなでおろした。ツインドが慈愛にあふれた目で見つめる。
「つらかったかね」
「それはもう……何をしていいのかわからないし、周りに頼りになる人はいないし……逃げたくなってました」
「逃げちゃいかん。事情はどうあれ、おまえはもうこの国のあるじなんだ」
「はい」
 クリオンは目頭に指をやり、それからずっと抱きついているソリュータに目を落とした。
「ソリュータ、じゃあ君も、心変わりしてないんだね」
「するわけありません!」
 顔を上げて、ソリュータは怒ったようににらんだ。
「ずっとずっと心配してました。クリオン様がきっとお困りだろうと……」
「じゃあどうして、今まで顔を見せてくれなかったんだよ。あの晩君と別れてから、もう一月たってるんだよ」
「こっちだっていろいろあったんです。グレンデルベルトのことをほっとくわけにはいきませんから、お父様が王都に上がるためにお兄様に引継ぎをしました。それに、城には城のしきたりがあって、皇帝陛下のお世話をするにも、食事係、着付け係、入浴係、お部屋係、そのほかいろいろの侍女が始めからいるんです。だからここへ来たとき、私の居場所はなかったんです」
「儀典長官に話をつけるまで、おまえのそばに置いてやれなかったんだ」
「そんなことまであの人の仕事なんですか」
「あの爺さんは要するに、フィルバルト城の執事みたいな人だからな。でもまあ安心しなさい、これからはソリュータがそばにつくから」
「そうなの?」
 クリオンが聞くと、ソリュータは嬉しそうに笑った。
「はい。私、クリオン様のお部屋係を言いつけられました。この部屋に帰っていらっしゃれば、いつでも会えますよ」
「そうか! よかったあ……」
 クリオンは顔をほころばせて、もう一度ソリュータを抱きしめた。そんなに激しい抱擁は今までしたことがなかったが、それだけ寂しかったのだ。ソリュータも愛しげに身を任せ、ツインドも満足そうに眺めていた。
 いくらかの時間がたち、ツインドが軽く咳をした。
「えほん! ……さて、感動の再会はそれぐらいにするとして、クリオン、ちょっと真面目な話をしようじゃないか」
「はい」
 若い二人は体を離し、照れたような笑みを交わし合った。ソリュータが椅子を並べ、クリオンとツインドはそこにかけた。
「クリオンも、皇帝の務めがいろいろと大変だということはもうわかったな。うまいものを食べて遊んでるだけが仕事じゃない」
「はい」
「内政、外交、軍務、帝国府の仕事はたくさんあるが、この際はっきり言っておこう。この国はいま、ぼろぼろだ」
「ぼろぼろ……ですか」
「そうだ。枯れる寸前の大木だと思いなさい。原因はいろいろあるが、端的に言って前帝陛下の失政だ。そして、残った貴族たちはほとんどこのことを自覚していない。病んだ木はまず葉を落とす。苦しんでいるのは平民たちだけだから気付きようがないんだよ」
「……いいんですか、そんなこと言って」
「おまえだから言うんだよ。外では言えない。おまえも言ってはいかん。いたずらに敵を増やすだけだからな。あのイシュナス卿のようにね」
「レンダイク男爵ですか」
 クリオンは、あのいかにも切れ者といった感じの、精悍な壮年貴族の顔を思い出した。
「じゃあ彼は現状がわかってるんですか?」
「彼はかなりできる。しかし、あのままでは貴族たちと角突き合わせるばかりで、ろくに腕は奮えないだろう。彼は前帝陛下の時からそうだった。政策の問題点を遠慮なく指摘して、発案者の面目を潰しまくり、煙たがられるようになってしまった。わしのように」
「おじさんも?」
「わしが十年前、辺境のグレンデルベルト領に封ぜられることになったのはなぜだと思うかね?」
「……やっぱり、追い払われたんですか」
「そうだ。お陰でこうして生き長らえているがね。運命とは不思議なものだ」
 つかの間空中を見上げてから、ツインドは話を戻した。
「レンダイクは使える。そしてもう一つ、平民の文官たちの中にも腕利きは残っている。彼らを味方にするのが第一歩だな。だがクリオン、今のままのおまえでは、それはかなわないぞ」
「どうしてですか」
「おまえはまだ皇帝に見えない」
 ツインドは厳しい目でクリオンの顔を覗きこんだ。
「レンダイクが必要としているのは、皇帝の強大な権威だ。それを与えてやらなければ、彼は動かない」
「でもそんなの!」
 クリオンは思わず声を上げた。
「無理じゃないですか! ぼくは今まで、社交界に出たこともなければ、国議に参加したこともないんですよ。何をどう頼めばいいのか……」
「頼まなくっていい。政策はすべて任せてしまえ。ありていに言って、誰もおまえに実務能力なんか期待していない」
 能無しと言われたに等しかったが、クリオンは反論もせず赤くなった。確かに、十五歳の子供に国が動かせるなんて考えるのは、おこがましいにもほどがあるだろう。それは国議の時に身に染みて感じた事実だった。
「言ったろう、必要なのは権威だ。つまり、何を言われても鉄面皮にふんぞり返っているだけの自信だな。わしも領主だったから知っているが、上に立つものの仕事なんて、半分はでかい面しているだけのことだ」
「もちろんそれだけじゃ暴君です。でも……クリオン様なら、そんな心配はいりませんよね」
 ソリュータの慰めに、買かぶりだよ、と答えてしまいそうになる。
「でも権威って言われても……どうすれば皇帝らしくなるんですか。世継ぎでも作れとか?」
「世継ぎ?」
 妙な顔をしたツインドに、あわててクリオンは説明した。
「昼間、ジューディカさんに言われたんです。世継ぎを作るのが王者の務めだって。……政治のことだけでも頭が痛いのに、そんなことまで言われたんで、つい」
 気の早いことだと笑われるかと思いきや、ツインドは真面目な顔でつぶやいた。
「……それはわしも考えていた」
「え?」
「何もいきなり子供を作れというわけじゃないが……クリオン、一つ聞きたい」
「はい」
「おまえはもう、女を知っているのか?」
「おん……」
 クリオンは真っ赤になった。先ほどの湯殿でのできごとを思い出す。
「知ってるっていうか……」
「なに?」
 ツインドが身を乗り出し、クリオンの椅子がかたっと揺れた。――椅子の背を、ソリュータがきつくつかんでいた。
「無理やりだったんです。いえ、無理やりって言うか、ぼくが知らなくって……」
「なんのことだ?」
「さっき、湯殿で。侍女の人たちに迫られて……」
「抱いたのか?」
「いいえ!」
 クリオンは力いっぱい首を横に振った。そうか、とツインドが体を引く。
「そのまま抱いてしまっても――」
 と言いかけて、ちらりとツインドは自分の娘に目をやった。
「いや、よくわからないうちから手をつけるのは賢くないな。……それでいい」
「はあ」
 それで終わったのかと思って、クリオンはうなずいた。だが、ツインドはなおも続けた。
「わしが思うに、おまえには皇帝としての自信がどうとかいう以前に、一人前の男として足りないものがある」
「……はあ」
「わかってるか?」
「はあ……いえ、ちょっと……」
「だろうな」
 ツインドは軽くため息をついた。
「あるいはそれが、この行き詰まった事態をなんとかする鍵になるかもしれないと思って、わしはここに来たんだ」
「……」
「すべてはそれが済んでからだ。今のおまえと政治の話なんかしてもしょうがない」
 そう言うと、ツインドは立ち上がった。クリオンはあわてる。
「ちょっとおじさん、もう帰っちゃうんですか?」
「わしにはグレンデルベルト侯としての仕事もあるんだ」
「そんなこと言っても……」
「後のことはソリュータから聞きなさい。よく言い聞かせておいたから」
「あ、ソリュータは残るんですか」
「露骨に嬉しそうな顔をするな。子守唄を聞かせるために残すんじゃない」
「はい」
 クリオンがうなずいた短い間、ツインドはソリュータと視線を交わした。万感を込めた父のまなざしと、決意を固めた娘の顔。
 だが、後ろに立っているソリュータの硬い顔に、クリオンは気付かなかった。
 ドアへと向かいかけたツインドは、さも忘れていたといわんばかりに、何気なく言った。
「そうそうもう一つ。クリオン、あの箱舟が沈んだとき、ボートが脱出したのをソリュータと見たと言ったな?」
「え?」
 唐突な話に戸惑ったが、クリオンはうなずいた。
「ええ、確かに見ました」
「それは黙っていなさい」
「なぜ?」
「救助活動の結果、岬に引き上げることができた人間と、行方不明で死んだ人間の数を合わせたら、ちょうど乗船した人数と同じになった」
「……どういうことですか?」
「ボートで逃げた人間は、名簿に載っていなかったということだ」
「え?」
「ソリュータ、後は頼んだぞ。――クリオン陛下、失礼いたします」
 ごくあっさりした別れの言葉を残して、ツインドは外へ出た。入れ替わりにマイラがちらりと室内に目を走らせ、異常がないのを確かめて再びドアを閉じた。
 残されたクリオンは、しばらくツインドの言葉を噛みしめていた。
 いくらおっとりしていても、その意味に気づかないほど鈍感ではない。やがてクリオンは、ソリュータを振り返って恐る恐る言った。
「つまり……船に忍びこんでいた人間がいたってことか」
「そうです」
「じゃああれは、火災なんかじゃない……」
「ええ。破壊工作、大規模な暗殺でしょう」
「それって……」
 クリオンは青ざめた。千人近い人間を、ためらいなく殺す何者かがいるということか。個人でできることではない。集団が、組織が――おそらくは国家がその陰にある。
 ソリュータがさらに追い打ちをかけた。
「あれだけの人間を殺す以上、動機は小さな怨恨や財産目当てなどではありません。恐らく、ジングリット帝国府そのものの転覆を狙ったのでしょう。……だとすると、クリオン様が生き残ったのは敵にとって誤算。陛下のお命も危険です」
「だからおじさんは黙ってろって言ったのか。……ぼくは皇帝で、しかも陰謀の目撃者なわけだ」
「そして容疑者です」
 クリオンの背筋が凍った。
「容疑者?」
「この事件で一番得をしたのは誰だと思われますか」
 それは玉座を射止めた新しい皇帝。
「ぼく、か……」
「場所はクリオン様の勢力範囲ともいえるグレンデルベルト、領主はクリオン様と家族同然のツインド一族。疑われないほうがおかしい構図です」
「つまり、陰謀と関係ない人からも、ぼくは敵扱いされるかもしれないってことか」
「そう。いえ、むしろ真犯人はそういう疑惑が生まれることをこそ狙ったのかもしれません。疑い出せば……」
「きりがない」
 クリオンは額を押さえた。
 頭が熱く、沸騰しそうだった。崩壊寸前の政府、望まない子造り、トリンゼたちのあさましい思惑、そして巨大な陰謀と生命の危険。どれひとつ取っても押しつぶされそうな難題が、頭の中でぐるぐる回っていた。
「……お座りになってください。飲み物でも」
 クリオンはベッドに腰を下ろした。ソリュータが続きの間に入って、聞いた。
「お水になさいますか?」
「お酒」
「アクアヴィットがありますけど……クリオン様、お酒は」
「飲んだことないけど、こういう時のためにあるんだろう?」
 ソリュータが持って来た小さなグラスを、クリオンは一息に空けた。強い蒸留酒だっだが、頭がいっぱいに膨らんでいる感じで、酔いの入りこむ余裕がなかった。
「ソリュータ、ここ」
「はい」
 侍女は、おとなしくクリオンの隣に腰を下ろした。肩を預けながら、クリオンはつぶやいた。
「ぼく、どうしたらいいんだろう」
「……」
「皇帝がこんなに大変だなんて思わなかったよ。陰謀とか、政治とか、世継ぎを作れとか、手に負えないことばっかりで……」
「……」
「ソリュータ、ザナゴードの広間に入ったことある? 国議のプレッシャーってものすごいよ。ぼくが言ったひとことで帝国が動くんだ。満杯の荷馬車を一人で引っ張って崖のそばを歩くようなものだよ。一歩間違えたら、九千万の国民みんなが落っこちてしまう。それを考えると、息もできなくなるんだ」
「……」
「ソリュータ?」
 慰めを期待して、クリオンは侍女の顔を見上げた。
 だがそこに、いつものような優しい黒い瞳はなかった。ソリュータは、不機嫌そうな無表情で部屋の隅を見ていた。
「どうしたの?」
「……泣きごとは、それだけですか」
「泣きごとって」
「泣きごとでしょう。侍女の私に話したって、なにも解決しないんですから」
「そんな、怒らなくっても。ただぼくは、ちょっと元気付けてほしくて」
「元気付けてほしい?」
 ソリュータは、きっとクリオンをにらんだ。目尻が光っていた。
「それが皇帝の言うことですか!」
 ぱん! と乾いた音が響いた。
 クリオンは信じられずに頬を押さえた。火がついたように熱かった。叱られたことはあっても、平手打ちされたのは初めてだった。
 クリオンに何を言う間も与えず、ソリュータは恐ろしい顔でまくし立てた。
「政治ができない? 世継ぎを作れない? そんなことうじうじ考えたってしょうがないでしょう! あなたに求められてるのは決断なんです! 考えてるひまなんかありません、とにかく走るしかないんです! 政治なんか適当に決めてどんどん命じればいいんです! 世継ぎなんか町へ出て女の子を見つけてかたっぱしからお城につれこんでばんばん押し倒せばいいんです!」
「ば、ばんばんって! 叱られたらどうするの!」
「誰も叱りゃしません、ただジングリットが滅びて父なし子の山が残るだけです!」
「だけってソリュータ……」
 突然の侍女の豹変と、余りと言えば余りに乱暴な説教に、クリオンは呆然と口をあけた。
「簡単に言わないでよ、国が滅びたら何万も人が死ぬかもしれないんだよ? そんなのぼくには責任取れない!」
「そうです、責任なんか取れるわけがないんです」
 ソリュータは意外なことを言った。
「取れなくってもいいじゃないですか。一人の人間が背負うには重すぎる義務なんですから。失敗したって構やしません。それで失うのはたかが帝国ひとつです。全部吹っ飛んだってクリオン様には私たちがいます。体ひとつでグレンデルベルトに夜逃げすればいいんです。もとの暮らしに戻るだけです」
「ソリュータ……」
 クリオンは悟った。ソリュータも王冠の重さをわかっている。わかった上で開き直れと言っているのだ。
「それは……好き勝手をやれっていうこと?」
「前におっしゃったじゃありませんか。皇帝になりたいって」
 ソリュータは、やや語調をやわらげて言った。
「なれたんですよ。ごちそうは食べ放題、金もダイヤも馬車いっぱい、服は毎日使い捨て、一声かければ美人の山、退屈になったら隣の国を攻めて、気に入らない人間は皆殺し。……好き勝手したってその程度です。神様や悪魔になれるわけじゃありません。びくびくせずにやっちゃえばいいんです」
 クリオンは笑い出した。ソリュータは皇帝の権力をままごとのようにまとめてしまった。そう言われるとたいしたことではないように思えてくる。
「すごいよ、ソリュータ」
「なんですか!」
「ソリュータのほうがよっぽど皇帝に向いてる」
「ほめたってだめですよ、全部クリオン様がやるんですからね!」
「やるよ、わかったよ」
 ぷんぷん怒っているソリュータの肩を叩いて、クリオンは笑い転げた。
「そうだよね。もともとぼくの国じゃないんだ。よくなればもうけものだし、悪くなったって逃げちゃえばいい」
「でも、ぎりぎりまでは頑張るんですよ」
「うん」
 クリオンは笑いを収めると、両手を握り締めた。
「なんとかするよ。国議で無茶言ったって、いきなり刺されたりはしないだろうし」
「……できるんですか?」
「もちろん」
「ほんとに? レンダイク卿や貴族たちに、言うことを聞かせられますか?」
「なんだよ」
 クリオンは出鼻をくじかれたような顔で振り向いた。
「やれって言ったの、ソリュータだろ」
 ソリュータはじっとクリオンの顔を見つめていた。クリオンには彼女の表情がわからない。緊張し、決意し、期待しながら恐れ、喜んでもいる顔。あるいは、世慣れた男だったらわかったかもしれない。
 すべてを捧げようとする娘の顔。
「クリオン様……」
「なに?」
「お父様がおっしゃったこと、わかりますか」
「……どんなこと?」
「どんなに頑張っても、あなたにはひとりの男としての自信がない。まだ子供なんです」
「子供って言わないでよ」
「いいえ、子供です」
 きっぱり言ったあと、急に小さな声で、ソリュータはつぶやいた。
「だから、私が大人にして差し上げます」
「え」
 続く疑問の言葉は、吸い取られた。
 ソリュータが首を伸ばしてクリオンの唇を奪った。かすかに湿った少女の唇から熱が伝わってきた。吐息はない。息を止めている。そしてクリオンも呼吸をなくした。
 わずかに触れあうだけの、心臓が止まるほど大胆なキスのあと、ソリュータは顔を離して、かすれる言葉をつむいだ。
「クリオン・クーディレクト・ジングラ王子殿下。私で女を知ってください。そしてクリオン皇帝陛下になってください」
「そ、ソリュータ!」
 教会の聖像が口を利いたような驚きに打たれて、クリオンは叫んだ。
「なんてこと……ぼくたち、婚約もしてないのに」
「お父様も認めてくださいました。私が頼んだんです」
 ソリュータが熱っぽい目で見つめる。クリオンの脳裏に湯殿の侍女たちの姿が蘇る。
「ソリュータ……君も、皇帝の寵姫になりたいの」
「違います」
 ソリュータは、しゅっと音を立てて首もとを留めるリボンを抜きながら言った。
「そのようなことは望みません。私はクリオン様の侍女、それで十分です。でも、城でただ一人、クリオン様のすべてを知っている侍女。だからこれは……あなたに最も必要なものを与える、その侍女にしかできない儀式だと思ってください。ただそれだけ、世継ぎのことや婚約のことは考えずに」
「儀式って……きみだってまだ乙女なんだろ。そんな、自分の体をモノみたいに……」
「そう、モノだと思ってください。私は陛下に取り入って富貴を享けたいなんて考えていません。私以外にそんな女はいないでしょう?」
「いないよ、いないけど、そんな自分を貶めるような言いかたしないでよ。ソリュータはそんなこと言わなくても……」
 ソリュータの肩をつかんだクリオンは、はっと気づいた。ソリュータは歯を食いしばっている。それは泣き出す寸前の顔だった。
 肩の震え。怖がってる。
 強気な言葉に隠されたソリュータのおびえを、クリオンは両手からひしひしと感じた。義務でやるならそんなにおびえるわけがない。昔、グレンデルベルト館の尖塔から降りられなくなった猫を助けたときでさえ、彼女は震えひとつ見せなかった。
 本当に怖いこと、信じている人に拒まれるおそれがあることをやろうとしているから、こんなにおびえているんだ。
 直感的にクリオンは悟る。ソリュータはあの侍女たちとは違う。皇帝という身分の下にある、生身の自分に語りかけている。
 愛されてる。
 一緒にいた十年の歳月の中で、これほどソリュータを身近に感じたことはなかった。クリオンは自分に出せる限りのやさしい声で、ソリュータにささやいた。
「ソリュータ、ぼくの妃になってくれない?」
「それはだめです!」
 ソリュータは激しく首を振った。
「私はただの侍女です。それに、グレンデルベルト侯爵の娘である私がクリオン様の妃になるなんて、危険すぎます。お父様の立場や、クリオン様ご自身の公正さを疑われます」
 ソリュータはかたく目をつぶって言った。
 かたくなな拒絶の言葉が、正反対の本心を隠すためだとはっきりわかる。でなければ、どうして涙をこらえる必要がある?
 意を通すことができないのは、クリオンにもよくわかった。だが、今だけは、ソリュータの心を聞きたかった。
「ソリュータ、君の言うとおりにするよ。だから本当のことを言って。ぼくはソリュータが好きだ。ソリュータも本当は、ぼくの妃になりたいんだろう?」
 それが堤に針の穴を開けた。大きく見開かれたソリュータの瞳から、大粒の涙がこぼれ出した。
 クリオンが広げた腕の中に、ソリュータは飛び込んできた。泣き声で叫ぶ。
「クリオン様が好きです! かなうものならクリオン様の妻になりたい!」
「ソリュータ……」
「でもクリオン様はもう私のクリオン様じゃないんです。ジューディカ様がおっしゃったように、皇帝の血を多くの娘に分け与えなければいけないんです。これからクリオン様はたくさんの娘を愛されるでしょう。それは仕方のないことです。でも、一番は私でいたい!」
「そうだよ、ソリュータ。ぼくは君が一番好きだ」
「だったら証しを下さい! それだけは我慢できません。クリオン様の初めての相手が、他の娘になるなんて!」
 クリオンは心を決めた。ソリュータはすべてわかった上で、最も小さな要求をしているのだ。もっと大きなつながりを与えてやれない以上、それだけでも叶えてやりたい。
「ソリュータ……君を抱いていい?」
 顔を上げたソリュータが、泣いて真っ赤になった頬を見せて、クリオンを叱りつけた。
「私が許すんじゃありません。クリオン様が私を抱くんです。皇帝の、大人の男の権威と力で私を犯すんです!」
「……ソリュータ、君を犯す」
 精一杯冷たく言ったクリオンの言葉を聞いて、ソリュータは小さくうなずいた。

 4

 ソリュータが部屋の隅に行って紐を引き、シャンデリアを下ろした。ロウソクを吹き消す。だが、一本だけは残して、再びそれを引き上げた。
 明るいと見えてしまう。クリオンはたくさんの燭台に照らされた湯殿での露骨な光景を思い出して、おずおず聞いた。
「それ、残すの?」
「消すと見えませんから。……その、私たち二人とも初めてですから、消すと差し支えると思うんです」
「ああ」
 その説明で、クリオンの頭に困惑が広がり始めた。
 ソリュータがそばに戻ってくる。ずいぶん暗くなったが、まだかろうじて色がわかる。ベッドの端に腰掛け、うつむいて待っているソリュータに、情けなさを覚えながらクリオンは聞いた。
「ソリュータ……ちょっと聞きたいんだけど」
「なんでしょう?」
「ソリュータ、どうやってするのか知ってる?」
「は?」
 散文的な質問だけに、ソリュータは面食らったようだった。だが、すぐにその重要性に気がつく。
「わ、私も初めてですから、よくは……」
「ええと、その……これを、ここに入れればいいんだよね」
「だと思います。確か生き物のことを習ったときに……」
 指で互いのスカートとズボンの腰のあたりを示したクリオンに、ソリュータが焦り気味に答える。
「でも、どういう風に入れるの?」
 犯すなんて言っておきながらこれはないよなあ、とクリオンも思う。だが、わからないものはわからないのだ。ソリュータも遅まきながら自分の知識の浅さに気付いたらしく、からかいもしない。
 また先ほどのことを思い出して、クリオンはあわてて頭を振る。あんな乱れたやりかた、初めてのソリュータが相手じゃ参考にならない。それにぼうっとしていてろくに覚えていない。
「動物のことなんか知らない?」
「鶏なら見たことあるんですけど……」
「それはぼくもあるけど、あれはなんだか、一瞬で終わるじゃない」
「人間は……違いますよね」
 形のいい眉を寄せて、普段なら口にもしないようなことを、ソリュータが真面目に考えている。なんにでもすらすら答える賢いソリュータが困っているのを見るのは、妙に愉快だったが、喜んでいる場合ではない。
「お兄様に聞ければいいんですが……」
「レグノン卿だったら詳しいんだろうけどね」
 ソリュータの兄のレグノン・ツインドは、美しいソリュータの兄だけあって甘い容貌で娘たちに人気があり、数々の浮名を流している。だが、彼は今、二百リーグ離れたグレンデルベルト領にいる。
 一生懸命考えこんでいたソリュータが、意を決したようにうなずき、ものすごくぎこちない動きで振り向いた。
「考えてもわかりません。……し、調べるしかないでしょう」
「調べるって、どうやって……」
「ですから……目で見て」
 二人は顔を見合わせた。
「見せるの?」
「は、はい。だってこれから触れるんですから。見るぐらい、どうってこと……」
「じゃあ……」
 クリオンはソリュータの隣に並んで座り、ソリュータのスカートの裾に指をかけた。ゆっくりと持ち上げていく。
 白いタイツに包まれた膝頭が現われ、太ももの肉付きがゆるやかに増していった。だがそれにつれて、クリオンの腕に触れているソリュータの肩が、かちかちに堅くなっていった。
「怖い?」
「こっ、怖いなんて言ってる場合じゃありません!」
 叫んだものの、ソリュータの声は裏返っている。
 二人とも、互いの肌を見たことがない。厳格に男女を別にして育てられたのだ。性的な意味合いで触れ合ったことは初めてだった。
 ソリュータの意思は受け入れようとしている。だがソリュータのモラルが強硬に抵抗している。そのせめぎ合いに、彼女自身も戸惑っているようだった。
「……見るのは後にしようよ」
 クリオンは手を離した。
「それより、もうちょっと……触ったりしない? そのほうが自然だと思うんだけど」
「そ、そうですね」
 ソリュータはそそくさと裾を直した。
「それじゃあ……」
 クリオンはソリュータの肩を抱き寄せ、おとがいに指を当てた。抱擁ぐらいならいつもしているし、キスはさっき済ませた。まだ体を堅くしていたが、素直にソリュータはくちづけを受け入れた。
「ん……」
 唇を重ね、ふたりはじっと静止した。緊張が徐々に解けていく。
 代わりにゆるやかな満足感が湧き上がってきた。愛する相手の肌を奪う喜び。緊張しすぎていた最初のキスにはなかった味。
 クリオンの心に、攻める欲望が湧いてきた。そしてソリュータにも。
 ソリュータがそれを先に、クリオンの手を導くという形で表した。
「ん……クリオン様、もっと強く抱きしめてください」
「うん」
 背中に導かれた手に、クリオンは力をこめた。衣服越しに二つ年上の少女の体が感じられる。その体が急速に柔らかくなっていく。
 袖の中の二の腕に指を食いこませる。ざわざわとクリオンの胸がうずく。この気持ちがやっぱり、と思い始めたころ、ソリュータもつぶやいた。
「クリオン様……なんだか、胸が痛くなってきました」
「つらい?」
「いいえ。……初めてですけど、多分、嬉しいんです……」
 クリオンは、少しずつ唇を動かし始めた。もう触れているだけでは我慢できない。こすりたて、押しつけた。わずかに舌を出してちろりとなめると、ソリュータも同じように舌を出して返した。唾液が交差する。いっぺんに頭がしびれる。
「これ、気持ちいいね」
「ええ。幸せになります……」
 思いきってクリオンは舌を押しこんでみた。戸惑ったようにソリュータの舌が逃げる。それを追って歯の上に滑らせると、ソリュータも観念したように迎えた。押し合い、からめあう。クリオンの攻めをソリュータはおずおずと受けとめ、喜び始める。
 そこに言葉が生まれる。声も出していないのに気持ちが伝わる。すてきだ、とクリオンは思った。目を薄く開けると、ソリュータも微笑んでいた。
「ソリュータ、もっと触るよ」
「はい」
 クリオンはソリュータの胸に手をやった。抱きしめたことはあっても、手のひらで触れたことはない。ひそかに憧れていた。それを確かめられる。
 くしゃりと潰れるエプロンの下に、ふくよかな丘があった。クリオンはそのまるい輪郭を指で追う。胸当て越しでもわかる。少しも崩れていないきれいな半球だった。手のひらで押し上げてみる。
 肉の重さがふわりと応えた。
「柔らかい……」
「ん……」 
 触られていることを忘れるように、ソリュータはキスをむさぼっている。クリオンは夢中でソリュータの乳房をまさぐりつづけ、やがて何も言わずに、ブラウスのボタンを外した。手を滑りこませる。
 ソリュータの胸元から甘い香りが広がり、しっとり湿った肌が触れた。驚くほど暖かい。奥に滑りこませるのは思ったより難しかった。ブラウスや胸当てのせいで隙間がないのだ。
 無理やり押しこむと、乳房が張り詰めて指を包んだ。清らかなソリュータの体にそんな作りがあるなんて、ものすごくいやらしく感じる。いやらしく考えちゃだめだと思いながら、クリオンは流される。乳房をつかんでしまう。きゅっととがった小さな乳首をつまんでしまう。
 はじけるようでいて、溶け流れてしまいそうなソリュータのふくらみを、クリオンは執拗にこねまわす。
「ソリュータごめん、ソリュータのここ、たまらないんだ」
「う……」
「ソリュータ?」
 愛撫を続けながらキスを離し、クリオンはソリュータの顔を覗きこんだ。さっとソリュータは顔を背ける。
「見ないでください……」
「どうしたの? 痛い?」
「やめないで」
 思わず口走ってから、ソリュータは堅く目を閉じた。
「そ、それ……ものすごく気持ちいいんです。いけないってわかってるのに、しびれてしまうんです。先、固くなってしまってますよね……」
「これ?」
「ひんっ!」
 クリオンが乳首をこすると、ソリュータはうめいた。
「私、みだらなのかもしれません。……すみませんクリオン様、私、触ってほしくてたまらない」
「でも、ぼくもそうだよ」
「いいんでしょうか、溺れてしまって……」
 ためらいを口にしつつも、ソリュータはクリオンの手を止めない。胸を反らせて、うっとりと愛撫に身を任せている。
 二人とも、交わりで快楽を得ることを禁ずる教会の教えは知っている。だがクリオンは、次第にそれを理不尽なものに思い始めた。
 ――好きな人に触られれば嬉しいのが当然じゃないか。多分それが高まることで交われるようになるんだ。ぼくたちには今、それがすごく必要なのに。
「いいよソリュータ、もっと気持ちよくなろう。じゃないと、ぼくたち最後までできないよ」
「そう……でしょうか……」
 返事の代わりに、クリオンはブラウスの前を左右に押し広げた。思いきって胸当ての真ん中を引きちぎる。ぱっと左右にわかれた布の間に、ソリュータの美しい二つのふくらみがあらわになった。
「く、クリオン様!」
「いいから!」
 クリオンは強引にそこに唇を寄せた。つるりと光る肌に舌を押しつけ、花の芽のようなこりっとした先端を吸いたてる。
「やっ、やあっ!」
 びくびくっと肩を動かして、ソリュータはベッドに倒れた。クリオンはそれを追ってのしかかる。背中に回した手で抱きしめながら、激しくソリュータの乳房を吸った。ソリュータの手がシーツを泳ぎ、ぎゅっと握り締める。
「だめですクリオン様、それンっ!」
「気持ちいいんでしょう?」
「だ、だから! わたし、わたし、我慢できなくなってしまいます!」
「いいから、我慢しなくていいから!」
「やあっ、はあん、はあっ!」
 腕の中でソリュータのしなやかな肢体がもがく。未知の喜びがクリオンの中に湧く。姉のように思っていたソリュータを組み敷き溺れさせる喜び。そうだ、これが……
 男の喜びなんだ、とクリオンは気づく。
 ズボンの中で股間はとっくに硬くなっていた。乳房を味わいながら、クリオンは徐々に下半身をソリュータの脚に乗せた。ためらいがちに性器を押し付け始める。それだけでも、あの初めての放精の時に近い快感があった。
「はあっ……」
 太ももに押しつけられる異物感に、ソリュータが我に返った。額の汗をぬぐって顔を起こす。
「クリオン様、む、胸はもういいですから……」
「うん」
 クリオンは体を起こした。次のプロセスに進む準備ができたと感じたのだ。
 恥ずかしそうに、それでも胸を隠さずに、ソリュータは上体を起こした。クリオンの股間に目をやる。ズボンの布が持ちあがっている。
「それが……殿方のあれ、なんですね」
「そうだよ」
「……触ってもよろしいですか?」
 言ってからあわてて付け加える。
「その、事前によく知っておかないと……」
「思うんだけど、そろそろ調べるころだよね」
「は……」
 調べる、の意味を理解して、ソリュータは一瞬返事をのどに詰まらせた。
 だが、観念したようにうなずいた。
「はい……私も、そろそろだと思います」
「じゃあ……脱ぐ?」
「脱がせて差し上げ――」
 侍女としての習慣で言いかけて、ソリュータは口を閉じた。クリオンが赤くなりながら気を利かせる。
「い、いいよ。自分でするから。ソリュータも自分で脱いで」
「はい」
 なんとなく背を向けて、クリオンはズボンと下着を下ろした。ひょい、とペニスが顔を出す。自分と同じようにいかにも経験のなさそうな生白いそれを見て、なんだかみっともないような気がしたが、ソリュータも同じ恥ずかしさに耐えているはずだと考えて、思いきりよく振りかえった。
 ソリュータは、背を向けたまま両足を折って、つま先から下着を抜こうとしていた。妙に手間取っている。その理由に気付いて、クリオンはちょっと優越感を覚えた。
「ソリュータ、靴脱いだら?」
「あっ、そ、そうですね」
 ヒールに下着が引っかかっていたのだ。
 靴を脱ぎ、下着を抜くと、ソリュータは丁寧にそれをまるめ、シーツの下に押しこんだ。それから、ぺたんと座りこんだまま、ずるずる回転してこちらを向いた。クリオンのものを見て軽く息を飲む。
「そ、それが……」
「うん……」
 よそを見ながら、クリオンはうなずいた。両足を左右に折った娘のような座り方である。ただ、どう座っても、はっきり勃起しているペニスは短衣の裾から顔を出して、腹の前で目立っていた。
「はー……」
 彼女らしからぬ間抜けな嘆声を上げて、ソリュータが顔を寄せてきた。視線をちりちりと感じる。恥ずかしさで逃げたくなるが、股間はそれに反してますます硬くなる。変に誇らしい快感すらあった。
「図版とずいぶん違いますけど……」
「悪かったね、子供で」
「いえ、そうじゃなくて、むしろ大きいというか、まず形が……」
「それ、普通のときの絵でしょ。――柔らかいままじゃ、使えないよ」
「か、硬いんですか」
 背徳心を忘れたように興味のあふれる顔で言って、ソリュータは手を伸ばした。
「さ、触らせていただいても?」
「いいよ」
 ソリュータが、爪が当たらないように手のひらを上にして、そっと幹の裏に触れた。おずおずと握り締める。
 ――あ、すごく……
 加えられる圧力に恍惚としかけたとき、ソリュータがぱっと手を離した。
「かたい、かたいですクリオン様!」
「驚かなくても……そう言ってるじゃない」
「なんですか、骨があるんですか?」
「ないってば。習ったんでしょう?」
「そ、そうでした。あわててしまって……」
 再びソリュータはクリオンのペニスを握り、あちこち確かめるように指を動かし始めた。ほとんど毛も生えておらず、まだ完全に剥けてもいない小ぶりなそれに、ごく近くまで顔を寄せてまじまじと見つめる。
「すごく熱いですね、脈打って……私の中指より少し大きい、でしょうか」
「怖い?」
「いえ……ちょっと安心しました。硬いですけど、優しい硬さがあるっていうか……クリオン様みたい」
「うん」
「へえ、こんな風に……あの、こう剥いてしまっても、よろしいんですよね?」
「うん……」
「あ、表側はこう……下はこう袋が……」
「……」
「なんていうか、すごく……殿方のものっていう気がします。これが私の中に……ですよね」
「……」
「クリオン様?」
「待って、待ってソリュータ」
 クリオンはソリュータの指をもぎ離した。ソリュータがまた慌てる。
「も、申しわけありません! 痛みました? ああ、そういえば私、なんて破廉恥なこと!」
「そうじゃなくて……」
 軽く息をついて、クリオンは股間を緩めた。
 刺激が強すぎたのだ。ソリュータの触れ方は、ジュナやチュロスたちにはとても及ばない。だが、ソリュータの手は彼女たちの手とは違う。まだ一度も男に触れたことのない手。ひょっとしたら、自分のものにさえ触ったことがないかもしれない指。
 ぼくは今、ソリュータを汚しつつある。
 ぞくり、とクリオンは邪悪な喜びを感じる。
「続けて」
「え?」
「続けるんだ、ソリュータ」
 それはクリオンが初めて口にした、男としての命令の言葉だった。ソリュータは何か言いかけ、口を閉じる。理解したのだ。それが逆らえない言葉であることに。
「……はい」
 ソリュータは再び白い指をクリオンのものにからませた。
「軽く握って。手のひらをぴったりくっつけて。……そう、そのまま上下に動かすんだ」
「こ、こうですか」
「もう少し強く」
 ソリュータは前かがみの姿勢で手を使い始める。もう子供じみた興味はない。女として、男を喜ばせようとしている、という自覚が芽生えている。
 その思いが、ソリュータ自身気付かないうちに、指から全身に広がる。妖しい熱が腰に生まれ、ソリュータはひそかに両足をすり合わせる。
 クリオンのこわばりが強くなり、血管が浮き上がった。まだ亀頭にかかっていた包皮が、ソリュータの指に引きずられてずるりと下がった。軽い痛みを覚えたが、クリオンは声を上げない。そんなものに構っていられない。
 体の神経がそこだけに集まっていくような気がする。さらさらのソリュータの指が、ぬるりと滑った。見下ろすと、透明な液が先端を伝ってソリュータの指にからんでいた。「クリオン様……」と心配そうにソリュータが見上げる。
「続けて」
「は、はい」
 夢精の経験はあるから、それが前触れの液だとわかっている。
 だが、ソリュータはそんなことを知らない。クリオンが何を求めているのか、いつまで続ければいいのかもわからない。
「く、クリオン様、これからどうなるんですか?」
「黙って続けるんだ。顔を寄せて」
 クリオンは教えなかった。もっとソリュータの不安げな顔が見たかったのだ。
 くちくちと小さな音が湧き、息がかかる。困惑にわずかに期待が混じった表情で、ソリュータがこすりつづける。その整った顔が、腰を出せば触れそうなほど間近にある。
 クリオンの股間がひくついた。もうすぐ限界が来る。このまま行こう、とクリオンは決意する。
「ソリュータ、もうすぐだ」
「も、もうすぐですか?」
「手を止めないで。ずっと続けて」
「どうなる――」
「いいから! 逃げちゃだめだよ!」
「は、はい!」
「あっ、ああっ、ソリュータ握って!」
 どくっ、と先端から液塊がほとばしった。「きゃ――」と悲鳴を上げかけたソリュータが、意思でねじ伏せてぎゅっと目を閉じた。必死で手を動かしつづける。
「ああっ、ああっ!」
 クリオンはのけぞってうめきながら、ぐいぐい性器を突き出した。リズミカルに撃ち出された精液が、ぐっとこらえているソリュータの優美な鼻梁に、何度もはじけ散った。
「はああ……」
 欲望を放出しきると、クリオンはソリュータの手に触れて、動きを止めさせた。額の汗をぬぐい、ソリュータの顔を見下ろす。
 汚されたことを、もうソリュータもわかっているようだった。眉をしかめて屈辱に耐えている。その端とほのかに赤らんだ頬に、べっとりと粘液が張りついていた。とろとろと垂れ落ち、引き結んだ唇の上に溜まる。
 目を閉じたまま、ソリュータは指でそれをすくいとった。
「これが……クリオン様の種なんですね」
「わかった? これをソリュータの……中にあげるんだよ」
「……すごく、熱そうな気がします」
「拭いていいよ」
「はい」
 エプロンを持ち上げるとソリュータはそれをぬぐった。決して口に入らないように注意する仕草にクリオンは、侍女たちと違う潔癖なソリュータの操を見たように思った。
 それが済むと、クリオンは言った。
「次はソリュータの番だよ」
「……はい」
 ソリュータは目を開けると、膝をそろえてシーツの上に座りこんだ。スカートの裾に両手をかけ、そろそろと引き上げていく。
 レースの縁取りでタイツが終わった。そこで手を止め、目を閉じて頭上を仰ぐと、ソリュータは短く言った。
「お見せします、クリオン様」
 そして腹の上までスカートを引き上げた。
 クリオンは身を乗り出す。
 平たく広がった太ももの肌色が目を射る。その奥にひとつまみの陰りがあった。すぐ上で痛々しいほど細く腰がくびれ、縦長のへそがゆるやかに形を変えている。
 だが、なにもわからなかった。
「ソリュータ、見えない」
「そ、そうですか……」
 ソリュータはおずおずと三十度ほど股を広げる。クリオンはシーツに寝そべるようにして顔を近づけたが、まだ何も見えなかった。
「まだだめだよ。ソリュータ、決心してくれなきゃ」
「してます! ……これでもだめですか?」
 ソリュータはつま先を外に向けたまま、さらに両足を広げた。姿勢的にも精神的にも相当無理をしているのがわかる。だが、肝心のところはシーツにぴったり押しつけられていて、まるでわからない。
「見せる気あるの?」
 やや怒ったように言ったクリオンに、ソリュータは夕日を浴びたような顔で言い返した。
「だって、自分でもどうなってるか知らないんです!」
「見たことないの?」
「当たり前じゃないですかそんなの! 見ようにも見られないでしょう!」
「じゃあ、触ったことも?」
「清める時以外はありません!」
 それじゃ恥ずかしがるのも無理はない、とクリオンはため息をつく。男とはずいぶん違うんだ。……何しろソリュータだし。
 このままでは埒があかない。だが、無理やり広げさせるのにはためらいがあった。同情ではなく、欲望だった。彼女自身に、そこを開かせたかったのだ。
 クリオンは搦め手から攻めることにした。
「じゃあ聞くけどソリュータ、この姿勢でできると思う?」
「……無理だと思います」
「後ろからなら?」
「それは人間のすることじゃありません」
「だったらどうすればいい?」
「……」
 ソリュータは、スカートを握った両手を震わせ始めた。婦女子は絶対股を広げてはいけない、という教えの無理さに気付いたのだ。
 今度はもう何も言わなかった。ソリュータは両膝をつかんで立てた。それから目を閉じて後ろに体を倒し、小さな小さな声でつぶやいた。
「お許し下さいクリオン様、こんなところを見せつける私を……」
 クリオンの視線が固まった。
 ソリュータがすべてをさらしていた。黒いスカートの奥に隠され、見ることなどないだろうと思っていた秘密の部分を。
「ソリュータ……」
 にじり寄ったクリオンは、至近距離からそこを見つめた。
 引き伸ばされたミルク色の太ももの筋肉の間に、小さな盛り上がりがあった。そこに一本、鮮やかなバラ色の縦線が入っていた。縦線はよく見ると閉じ合わさったひだであり、上端に小指の先ほどのとがりがあった。その上に産毛のようにささやかな茂みが乗っている。
 湯殿で見た女のものより、ずっと控えめで、美しい作りだった。
 ひだの間の光に気付いて、クリオンはそっと指で触れ、驚いた。離した指に銀の糸が伸びる。粘液だった。
「ソリュータ……濡れてるよ」
「……」
 やっぱり、という押し殺したささやきが聞こえた。悔しそうな声だった。
「気付いてた?」
「……はい。クリオン様に胸を触れていただいたときから……」
 ソリュータが弁解するように言った。
「信じてください、私、初めてです。なのにこんな……だからお見せしたくなかったんです」
「疑わないよ。ソリュータ、初めてでもこういうの必要だと思わない? じゃないと……入らないよ」
「そう……ですよね」
「初めてって痛いんだろう?」
「そう聞いています」
「だったら、もっと濡らしたほうがいいよね」
 そう言うと、クリオンは覚悟を決めて、そこに唇を押しつけた。
「クリオン様?」
 途端にソリュータが手を伸ばして、頭を押し戻そうとした。だがクリオンは、力をこめてソリュータの太ももを抱きかかえ、離れようとはしなかった。
「お、おやめ下さい! だめです、破戒です!」
「そうだよ! でもソリュータだってぼくのを顔で受けただろ? あれはいいのか?」
「それは……」
 ソリュータが返事に詰まっている隙に、クリオンは舌を押しこんだ。あまりにも柔らかく湿っているそこを見て、もう我慢できなかったのだ。ソリュータのそこだって誘っている!
「キャアッ?」
 ひくん、とソリュータが震えた。クリオンはひだの中を舌でこそぎ上げる。思った通り、耳たぶのような弾力と火照りがあった。かすかな汗の味と花の香りが香った。
「あっ、くり、クリオンさま、」
 何度もクリオンは谷間をすくいあげる。舌にからむ粘液が増していく。それを口にためて味わう。とろとろと甘い。生真面目なソリュータが、この部屋に来るため体を清めた時に、ほんのわずか、香油を使っていたのだ。彼女は最後の瞬間の抵抗をなくすためにそうしたのだが、それがクリオンの舌と鼻を喜ばせた。
「ソリュータ、おいしい」
「そんな、味なんて、だめですってば、ひあん!」
 細かくたどるうちに、作りがわかってくる。細い谷間の奥に深い穴がある。そこが多分入り口だ。そして上端のとがりは小さな実を隠している。粘膜の塊でできている、南天の実のような小粒。噛んだらつぶれそうなそれに愛しさを覚えて、クリオンは吸った。
 反応は激しかった。
「いやあッ!」
 発作のようにソリュータがのけぞった。自慰はおろか、ろくに触ったこともなかった粘膜は刺激に弱すぎた。その中心を、温かい唇で思いきり吸われたのだ。子供のようにくすぐったがるには、ソリュータは育ちすぎていた。痛みと紙一重の鋭い快感が突っ走って、一度で自制心をこなごなにした。
「ダメッ、ダメです! クリオンさまそれはダメ、許され、いああっ!」
 ぐらぐらと左右に腰をひねってソリュータは感じきる。なんとか逃げようとする意思を体の要求が上回り、がくがくとおかしな動きで腰をクリオンに押しつける。クリオンも捕まえて離さない。年上の少女から見たこともない痴態を引き出すスイッチを、無我夢中で追いかける。
「やあん、だめェ、クリオンさま、それぇ……」
 ソリュータの歯切れのいい発音が、甘い嬌声となって溶けていく。声と同じように体も溶け、汗となって肌に浮かび出す。秘所はあふれていた。尻へと垂れる愛液を逃がしたくなくて、クリオンはそれをこくりとのどを鳴らして飲む。ソリュータの両足はいつのまにかはしたなく開ききり、腰は高く突き出されていた。
 ソリュータのもがきが、ぱたっ、ぱたっ、と死にかけの魚のように弱々しくなり、痙攣じみた叫びと動きが消えていった。終わったのではなく、満ちつつあるのだ。声は漏れつづけている。
「あ、ああああ……」
 快感に縛り付けられて逃げることもできない状態。えぐりつづけるクリオンの舌だけを、我を忘れて味わっている。
 クリオンは、ようやく顔を離した。抱えていたソリュータの腰が降りる前に、クッションを下に押しこむ。
 ペニスは蘇っていた。もう彼には、ソリュータの作りがわかった。することは一つだけ、したくてたまらない。
「ソリュータ……」
 口を開けて息を吐きながら、クリオンは愛しい少女の顔を見つめる。うつろだったソリュータの顔に、ふっと笑みが宿る。
「……きて、クリオンさま」
「痛そう?」
「いいです、痛んでも。もういっぱい、気持ちよくしていただきました……」
 ソリュータはもう恥らわずに、両手で脚を開いた。
「もう教会なんか知りません。クリオンさまのやりかたが一番好き。いいようになさってください。そして……」
「男に、なるよ」
 こくんとソリュータはうなずいた。情欲と情愛で染め上げられた例えようもなく美しい顔だった。
 クリオンはペニスの先端を粘膜に押しつけた。手で動かし、ぬらぬらと入り口を探りながらソリュータと見つめ合う。目を細めてソリュータが待っている。よかった、とクリオンは思う。
 この子に大人にしてもらえて。
 ぐっ、と先端が埋められるところを見つけた。
「ここだね」
「……はい」
「入れる……犯すよソリュータ」
「クリオンさまぁ……」
 クリオンは腰に力をこめた。自分のものが折れてしまいそうな圧力がかかる。それを押し当てられた狭いひだが、少しずつ開いていく。
「ぐ……」
 痛みのあまりきつく眉をしかめ、ずるっとソリュータが体を上に逃がす。だが、一度だけだった。両手できつくシーツをつかみ、その場で耐えるそぶりを見せる。
「ソリュータ」
「かまいません!」
 鋭い叫びだった。今までの愛撫の快感がかき消されるほどの激痛だった。だがソリュータは耐えた。声を殺し、額の脂汗は殺しきれなかった。
 そんなソリュータにクリオンがしてやれることは一つだけだった。刺し貫くことだけ。
 クリオンはソリュータの腰をつかみ、さらに強く力を加えた。
 だしぬけに、ぶつりと何かが破れた。力が余り、ずるるっとクリオンは一息にソリュータの奥まで入りこんだ。
「くーっ!」
 食いしばった歯の間からソリュータがうめき声を漏らした。それをクリオンに気遣われないうちに、ソリュータはクリオンにしがみついた。
「く、クリオンさま、おめでとうございます」
「ソリュータ」
 抱きしめたソリュータの首筋に浮かぶぬるぬるした汗、それと裏腹の健気すぎる叫びが、クリオンのためらいを打ち砕いた。
 そして、ペニスをきつく締め上げる初めての女の胎内が、腰が溶けそうな快感と、生まれ変わったような喜びを与えた。
「ソリュータ……なったよ、ぼく」
「ええ、よかったですね」
「ソリュータでよかったよ。ソリュータ、あったかくてすごく気持ちいいよ」
「ええ」
 短くしか答えられない。だがソリュータは嬉しかった。これほど苦しい仕打ちを他の男に受けるなんて耐えられない。クリオンに捧げてよかった!
「さあ動いて! 動くんでしょう? そして私に注いでください!」
「うん」
 灼熱の棒がぐいぐいと動き始める。痛みが倍増する。だがそんなことはどうでもいい。何物も今のソリュータの幸せを壊すことはできない。
 極限の苦痛と極限の幸福の中で硬直しているソリュータに、クリオンは思いをぶつけ始める。
 やり方がわからないから少しずつ腰を動かす。それだけでも心地いい。一分の隙もなくペニスをくるんだソリュータの膣が、かろうじて粘膜で滑りを許している。あふれていた愛液と、破られた処女血。
 滑りの方向がわかるにつれ、体の動きもわかり始めた。ただ性器を押し当てるだけではない、腰を中心に体全体を動かすのだ。
 それは想像していたよりずっと卑猥な動きだった。どうせ卑猥さ、とクリオンは開き直る。いやしい所からどろどろしたものを吹き出すための動きなんだ、最初から卑猥なんだ。
 どんなに卑猥でも聖なる儀式なのだ。
「こうだよね、ソリュータ?」
 ずるずるとクリオンは抽送を始める。しがみついたソリュータのあごがこくりと肩に当たる。ソリュータは完全に自分を許している。もっともっと貫いてやるべきなんだ、とクリオンは凶暴な思いを抱く。
 クリオンはぐいぐいと動きを強める。じゅぷじゅぷと粘液がはじける。抜こうとすると真空のように吸いつかれる。突き入れるとくびり殺すように締め付けられる。どう動いても熱い。背筋をぞくぞくと寒気が上る。
 まだだ、とクリオンは耐える。もっともっとソリュータの中を味わいたい。死ぬほどいじめてやりたい。
 抱きつくソリュータを振りほどいて、ベッドに押さえつけた。「あっ!」とソリュータは声を上げる。長い黒髪がばさっと流れて、ずれたティアラが額にかかった。
 ひそめられた眉が弓のようだ。はだけたブラウスの間で乳房がふるふると揺れる。くしゃくしゃにかきあげられたスカートの裾の下に、すべすべの腹が伸びる。一番下に、炎の形の茂みと、クリオンのものを飲みこんだ真っ赤な唇。
 乱れがソリュータの美しさを作り変えていた。眺める美しさではなく、味わう美しさだった。
 クリオンは味わった。袖の中の腕を握り、乳房をつかみ、下腹を押さえつけた。どこもかしこも壊れてしまいそうに柔らかかった。そして一番柔らかいのは、幹を包む管だった。そこはもう壊してしまったところだ。
「ソリュータ、ああ、ソリュータ」
 つぶやきながらクリオンは腰を打ちつけ続ける。放ちたくてたまらない。放ってしまうのは耐えられない。気を逸らして愛撫するだけで楽しい。宙を蹴っているソリュータの脚に頬を当てる。冷たいふくらはぎをタイツ越しに甘噛みする。
「ソリュータ、まだ痛い?」
「い……はい」
 突き荒らされながらソリュータはうなずく。
「痛みます。でもいいんです」
「ごめん、ソリュータ、ごめんね? ぼく止まらないんだ、ソリュータの中、すごくいいんだ!」
「それで……いいんです! もっと私を痛めつけて!」
 かすれた声でソリュータは叫んだ。そう、気を使わせてはいけない。侍女の一人ぐらい思い通りにできるほどの自信を持たせなければ。
 だが、それが叫んだ理由ではなかった。秘所の痛みがしびれに変わりつつある。それはさきほどまでの愛撫で受けた快感に似ていた。あまり大きくないクリオンの性器は、処女のソリュータにもそれほど傷を与えなかったのだ。
 気持ちよくなる。その恐れがソリュータを叫ばせた。なってはいけない。ただでさえ嬉しいのに、この上肉体的な快楽まで得てしまっては。
 クリオンから離れられなくなる。
「クリオン様……もっと、もっと乱暴に!」
 体に痛みを刻みつけようとソリュータは腰を押しつける。それが愛しくてクリオンが抱きしめてくる。責めの中にある隠しきれないやさしさをソリュータは感じ取ってしまう。
 しびれが痛みと等しくなった。打ち消しても消せなかった。気持ちいい、本当に気持ちいい。
 心の抵抗がもみくちゃにされて溶ける。残ったのはしびれとも喜びとも付かない真っ白な振動だけ。もうどうでもいい、とソリュータはクリオンの背に爪を立てる。これ一度だけ、一度だけならクリオンに気持ちよくされてもいい!
「クリオンさまっ!」
「なに、ソリュータ!」
「いいです、痛くないです! 私うれしい! クリオンさまが気持ちいい!」
「ソリュータ! そうなの? ほんとに?」
「ええ、ええ! だからひとつにっ、ひとつになって!」
 クリオンは最高の歓喜を覚えた。一人の娘を目覚めさせた。ソリュータを女にすることができたのだ。
 もう達するのをためらう理由はなかった。濡れそぼる肉のなかに、クリオンは思いきり押しつけた。
「いいよ、ソリュータいくよ、ソリュータといくよ!」
「はいっ、はあっ!」
「ソリュー……」 
 ぎゅうっと抱きしめながら、クリオンは圧力を解き放った。どくどくっと腰全体が震えるような律動とともに、力強く射精を始める。
 股間を強く押しつけ、奥に隠れている子宮に向けて何度も撃ち放った。貯めこまれていた多量の粘液が、糸を引いて胎内へとほとばしりつづけた。
「出てます……」
 クリオンの肩に頬をうずめて、ソリュータも感じていた。成熟した女が達する、突き上げられるような絶頂は得ていない。だが、全身を白いしびれに包まれていた。その中で、胎内でひくひくと脈動するクリオンから熱い精液を注がれ続けるのは、何にも勝る喜びだった。
 彼女も、クリオンと同じように女になった喜びを覚えていたのだ。
「あ……」
 二人は顔を上げ、くちづけを交わした。
 そして、ほんの一時しかないつながったままの時間を、長いあいだ味わいつづけていた。

 クリオンはベッドに仰向けになり、体を清める布の感触をまどろみながら味わっていた。
 房事の後の汚れをきれいにふき取り、ソリュータの手が離れた。クリオンは顔を上げる。ソリュータは隠すようにして、シーツの一部を拭いていた。布に赤いものがついていた。
「それ……血?」
「あ……見ないで下さいませ。私の汚れですから……」
「大丈夫なの?」
「ご心配なく。女なら誰でも流す血と教わりました」
 布をまとめると、ソリュータはベッドを降りた。胸元は整え、下着はポケットにでも入れたのか持っていない。
「少々失礼します。後始末がありますから……」
 品よく頭を下げてソリュータは続きの間に消えた。クリオンも服を身につけ直す。
 やや長い時間の後、ソリュータは戻ってきた。そしてクリオンにお絞りとグラスを差し出しながら、さらりと言った。
「クリオン様、おめでとうございます。私にお種が留まることはありませんから、ご安心を」
「……え?」
 聞き流しかけて、クリオンは振り向いた。
「どういうこと? だって、ソリュータも……月のものはあるんでしょう?」
「ええ、ですが今回は」
「なんで! ソリュータにはぼくの子供を産んでほしかったのに! まだわからないよ、きっとできるよ!」
 クリオンにじっと見つめられて、ソリュータは居心地悪そうに身動きしたが、やがてポケットから小さな革の筒を取り出した。
「……ホグの根です」
「ホグの根?」
「殿方の精を殺す薬です。これを……胎内に使いましたから」
 クリオンは呆然とそれを見つめた。
「そんなものがあったの。……どうして」
「申し上げたでしょう。私がクリオン様のお世継ぎを孕むわけにはいかないと。……先ほどのことは、儀式だと」
 ソリュータは澄んだ笑顔を見せる。愛する男の種を殺し、多分今でも初めての痛みを体に覚えているはずなのに。その気丈さに、クリオンは圧倒されそうになる。
「ソリュータ……」
 何もしてやれない自分に、また情けなさを覚えそうになると、ソリュータがベッドに上がってきて、そっとクリオンの頭を抱きしめた。
「しっかりして、クリオン様。いえ、陛下。子供が造れなくってもいいじゃないですか。私たち、もう打ち消せない素敵なつながりを作ったんです。私はそれで十分。陛下は不満ですか?」
「ソリュータ……」
 クリオンは体を起こして、ソリュータを抱きなおした。
「そうだね。ソリュータはぼくの一番だし、ぼくもソリュータの一番だ。これからずっと」
「……ありがとうございます」
 腕の中でソリュータが目頭をぬぐった。そうだ、とクリオンは力強く決心する。もうぼくは子供じゃない。男として、ソリュータを受けとめてやるんだ。
「やるよ、ソリュータ。ぼくは皇帝の務めを果たしてみせる。だから見ていて」
「ええ、ずっと」
 クリオンはソリュータの額に口づけすると、戸口を振りかえって叫んだ。
「マイラさん!」
 間髪入れずドアが開き、近衛隊長が姿を現した。抱き合っている二人を見て、足を止める。
「よろしいですか」
「ソリュータはぼくの一番大事な侍女だ。気にしなくていいよ」
「……はい」
「今夜はもう護衛はいい。明日の朝一番にレンダイク男爵を呼んでもらえる?」
 きっぱりと言ったクリオンを、つかの間不思議そうな顔で見つめると、マイラは頭を下げた。
「かしこまりました」
 マイラが出ていくと、ソリュータが聞いた。
「どうなさるんです」
「言ったでしょ、好き勝手しろって」
 クリオンは、ソリュータの頭を撫でた。道が明るくなったわけではない。だが、踏み出す決心はできた。
「やってみるよ。精一杯ね」

 5

 翌日、国議の開会はなぜか午後になった。
 差し出口を利く格下の議長に、今日も思い知らせてやろうとザナゴードの広間に入った貴族たちは、昨日と違うことをいくつか発見して、戸惑った。
 玉座の正面に立っていたレンダイクが、脇に引いている。高さは段一段分高くなっていたが、議長の位置ではない。帽子の羽根も、見なれぬ白色だった。
 代わりに議長壇にいるのは、儀典長官ジューディカ老だった。
「あー……議長」
 どちらに話しかけるべきか迷いながら、若手貴族のホレイショ伯が声を上げた。横手のレンダイクが口を開く。
「伯、私は議長ではありません。今日からはジューディカ長官に議長を勤めていただきます」
「はあ、それはまたなぜですかな」
「私は天領総監を拝命しましたので」
 貴族たちは顔を見合わせた。聞き慣れない官職だった。だが、天領総監というからには天領の運営をまとめる仕事なのだろう。それは今までジューディカの仕事だった。
 天領は帝国府直轄地である。貴族領が大半を占めるこの国では、たいした面積を持たない。――名前はご大層だが、また閑職に追いやられたのか、と貴族たちは微苦笑した。
「えー……では、国議を始めます」
 慣れない口調でジューディカが開会を告げた。全員が立ちあがり、拳を顔の前に当てる緘黙の仕草で、国王に忠誠の礼を取った。
 その時気付いたのは、数人だった。
 玉座のクリオン皇帝が、しっかりと彼らに視線を据えてうなずいたのだ。
 続いてジューディカが、いくつかの議案を示した。五年に一度の帝国検地を今年度に前倒しすること、官吏登用試験制度の改訂、疾空騎団からエピオルニスを割き、主要街道沿いの駅逓に代わって高速勅使団を新設することなど。
 昨日は出なかった話ばかりである。貴族の一人が不審げに声を上げた。
「議長、財政の問題はどうなったのですか。そのような瑣末なことを論議している場合ではないのでは……」
「ええ、些事を先に済ませよとの陛下の思し召しなのでございます」
「はあ、陛下が」
 あからさまに信じていない顔で、貴族は口を閉じた。誰かの入れ知恵なのだろうと思っている。それにしても、そんな下らないことで時間稼ぎをせずともよいのに。
「以上の点、なにか異議はございますか」
 ジューディカが決を採った。心ここにあらずといった顔で、貴族たちは挙手をする。提示された議案はすんなりと可決された。前列に陣取っている貴族は、背後の平民文官たちが、徐々に何かを期待し始めた顔になったことに気付いていない。
「さて、それでは……」
 ジューディカは羊皮紙をめくると、さりげなく次の言葉を口にした。
「先のグレンデル大禍で生まれた空白領を、天領に組み入れることについて……」
 なんのことだ、と眉をひそめた貴族たちは、不意に仰天した。
「て、天領にすべてを?」
「そんなことは初耳ですぞ!」
「どういうことです、議長!」
「それについては私から説明させていただく」
 レンダイクが立ちあがった。
「グレンデル大禍で領主が亡くなり統治機能が失われた領地は、全土で二百八十五州に及ぶ。この数を、平時のように血縁を調べて、ここにいらっしゃる貴族の方々に宰領を割り振っていては、いつ片付くか見当もつかない。いたずらに措置が長引けば今年の税収が見こめず、また領民たちも困惑するだろう。これは帝国の弱体化を意味し、ひいては領地そのものも近隣諸国に掠め取られる恐れが出てくる」
「し、しかし、だからといって帝国府にそれらすべてを直轄することなどできるのか?」
「さよう、そもそも直轄が不可能だから我々貴族がいるのですぞ」
 声を上げるホレイショ伯たちに、レンダイクは平然と切り返した。
「だから、陛下は先ほどの議案を出されたのです。官吏の増員。天領には陛下の代理である執政官が赴くことになる」
「フィルバルトから? 領地のことなどわからぬ王都の文官が?」
「そのための検地です。あれは今年から、農商工についてすべて数字ではっきりさせる案でしたが」
「そ、そういえば……」
「いや、机上の空論ですな!」
 口ごもる貴族もいたが、ホレイショ伯はなおも言いつのった。
「人はいる、能力もある、結構です。しかし帝国の広さは? 南北六百リーグの帝国領を王都からじかに動かせると本気でお考えか? 馬に馬を次いで急使を立ててもそれが届くには一ヵ月……」
 いきなり伯の声が小さくなった。レンダイクがうなずく。
「エピオルニスなら三日。声の届かない距離ではありませんな」
「そのための布石か!」
 貴族たちが敵意のこもったうめきを上げる。彼らは皆、治めるものがいなくなった領地をなんとか奪い取ろうと、戦々恐々としていた。その目論見が足元からひっくり返されてしまったのだ。
「イシュナス卿!」
 ホレイショ伯が叫ぶ。
「たばかったな! すべて貴殿のお考えであろう! なにが天領総監か!」
 その時だった。クリオンが口を開いたのは。
「伯爵」
「……は?」
「予が命じたんだ」
 クリオンは、じっと貴族の顔を見つめた。目は逸らさない。
 それが彼にできる唯一の、そして絶対必要な務めだと、クリオンは知っていた。
「は……いえ、しかし……」
 口をぱくぱくさせるホレイショ伯に、レンダイクが鋭い叱責を飛ばした。
「勅命ですぞ! 陛下はお一人で議決権の半分を持ってあらせられる。議長、採決を!」
 それはつまり、他の全員が反対しなければ廃案にならないということだった。ジューディカが決を求めるのと同時に、いやそれよりも早く、後列の文官たちが競って手を上げた。
「――この案を、可決といたします」
 ジューディカの宣言とともに、貴族たちは放心したように崩折れた。

「クリオン陛下」
 廊下を歩くクリオンの背に、声がかけられた。
 振り返ると、数人の臣下が並んで立っていた。レンダイク、ツインド、ジューディカ、そしてジングピアサー将軍。近衛兵たちが離れる。
 レンダイクが深々と頭を下げる。
「ありがとうございます」
「ぼくこそ」
 はにかんだようにクリオンは笑う。
 今朝早く彼を呼んで、クリオンは必死に打つ手を考えたのだ。
 揺らいでいる帝国を立て直すには。貴族たちの妨害を退けるには。答えは一つしかなかった。貴族たちの富を、皇帝が吸い上げること。
 ツインドの読み通り、レンダイクはやはり切り札を持っていた。だがそれは彼一人では使えないものだった。
 クリオンはそのカードに力を与えたのだ。
「陛下のお力で、彼らをまとめることができました」
「ううん、男爵のおかげだよ。それより、あのことはいい? ぼくが貴族をいじめれば、貴族は平民をいじめる。そんなことがないようにしないと――」
「ご心配なく」
 レンダイクは顔を上げ、精悍な笑みを浮かべた。
「天領に遣わすのはすべて平民の文官です。陛下のお墨付きさえあれば、彼らは存分に貴族たちと張り合ってくれるでしょう」
「だといいね」
「そうなることをずっと夢見ていました。改めてお礼を。陛下には身命を賭してお仕えさせていただきます」
 その様子を、他の三人はそれぞれの表情で見守っている。
 ジューディカは複雑な顔。彼はもともと貴族たちと同じ考えを持っている。
 ツインドは押し隠した笑顔。
 そしてデジエラは、相変わらずの超然とした無表情だった。
「――ジングピアサー将軍?」
 三十二歳のこの女将軍とは、今まで話したことがない。クリオンは声をかけてみる。
「不服ですか?」
「……いえ」
 デジエラは首を振った。
「あなたが小心な軟弱者でないのはわかりました。しかし軍務についてはまだお考えがないご様子。東方では今この瞬間も、私の配下が血を流しております。――そのこともお忘れなきよう」
 聞き間違えようのない不敬そのものの言葉を聞いて、ジューディカが顔色を変える。彼は伝統と権威に背くものを嫌うのだ。
 クリオンは気にしない。すべてを一度に片付けるのは無理なことだ。だが小さな一歩を踏み出すことはできた。叩き上げのようなこの将軍も、いつかは。
「覚えておくよ」
 無言で一礼して、デジエラはマントを翻した。
 残った二人の目を気にしながら、ジューディカがささやく。
「陛下、その……あのことですが」
「わかってる。すぐにね」
 ほっとしたようにうなずき、ジューディカは一礼して立ち去った。レンダイクもその後に続く。
 後には、ツインドだけが残った。にやにや笑っている。
「震えていたろう?」
「ばれてましたか」
「手はな。声は立派だった。あれでいい」
「……よかった」
「祝杯を上げようか? 人目を気にせず飲めるところを知っている」
「いえ」
 クリオンは微笑んだ。
「ソリュータに会ってきます。全部、あの子のおかげです」
「ああ……」
 ツインドは顔をほころばせた。
「ちゃんとできたのか」
「で、できたって何がですか!」
 赤くなってクリオンは叫ぶ。不意に、ツインドが頭を下げた。
「ありがとうございます、クリオン陛下。あの子の願いをかなえていただいて。……これからもどうか」
「も、もちろんです」
「では」
 清々しい笑みを残して、ツインドは去っていった。
 ふう、とクリオンはため息をつく。そこへ近衛兵たちが戻ってきた。クリオンは思い出す。まだこの人のことが残っていた。
「マイラさん」
「はい」
「あとで話があります。警備のことで。もっと減らしてもいいと思うから」
「……かしこまりました」
 マイラがうなずく。兵士たちは興味深そうに見ている。だが、もうその目に軽蔑の色はない。
 なんとかやれる、とクリオンの胸に自身が湧く。車は回り出した。それは止まらないし、向きを変えるのも容易ではない。間違えば多くの人をひき殺すだろう。
 だが、一人ではない。どこまでかは分からないが、ともに進んでくれる人たちが見つかりつつある。彼らがいなくても、最後に一人は、破滅まで寄り添ってくれる相手がいる。
 だから、行ける。
 確かな足取りで、クリオンはその娘の待つ部屋へと歩いて行く。



 大陸中央に位置するフィルバルトから、東へ三百リーグ。
 そこで距離は単位を変える。シッキルギン王国の換算表に従えば、五キロ半のリーグから、〇・六キロの里へ。
 そしてさらに四千五百里。広大な湾に注ぐ大河の河口に、都市があった。
 雷江レイジャンの中州に築かれた首都、凱陽特別区ディストリクト・オブ・カイヤン。支天樹で築かれた巨大な摩天楼が列をなし、瀝青の敷かれた街路を精霊車が走りまわる街。
 中州の先端に、白壇木の美しい伽藍が組み上げられていた。街はそこを中心として発達したのだ。そしてこの国は、この街を中心に動いていた。
 大明合衆帝国――タイミン・エンパイアステイツ、二千五百年の歴史を誇る東の大国。
 白伽藍カテドラル・バイ円形執務室ラウンドオフィスでは、一人の少女が宦官の言葉に聞き入ってた。
「緑柱県、琥珀県、亜鉛県での巫議選挙は優勢に終わりました。これで来期も嬢院の過半は我が党が占めることになります」
「当然ね。呪力を持たない他党の娘たちは、私の力を受けられないんだから」
 少女は鈴を転がすような声で笑う。
 肌は雪のように白く、小さな硝子の冠を乗せた頭からは、かすかに緑にけぶる黒髪が長く背中に垂れている。白紗の袿服が華奢な体を覆い、同じく純白の裳が腰を隠しているが、布地は薄く、あでやかな手足が透けて見える。
 年の頃は十四、五だろうか。輪郭の柔らかい小作りな顔は、無邪気そのものだ。美しいという形容は数年後に用いられ始めるだろう。今はまだ可愛らしい。
 だが、口にした言葉は恐るべきものだった。
「選挙に使った謀者はもう消して?」
「まだでございますが……」
「今日中に。一人残らず」
「はい」
 こともなげに命じると、少女は窓の外に目をやった。しばらくしてから振り返る。
「まだ何かあるの?」
「神具律都の草から知らせが届きました」
「ああ……ジングリットから」
 少女はより楽しげな顔で向き直った。
「おぼっちゃまの国王が即位したんですってね。どう、苦労しているよう? あそこは君主制のくせに下手に議会など導入しているから、貴族たちにまとわりつかれてあっぷあっぷなんじゃない?」
 軽く指をくわえて少女は嘲笑する。
「私のように、嬢院の娘たちをとりこにしていれば問題ないでしょうけど」
 麗々しく女の姿を装ったうら若い宦官は、しばらくためらってから言った。
「――新帝クリオン一世は、貴族領を天領として召し上げました」
「……え?」 
「改革を始め、大幅に勢力を安定させつつあります。国防省の試算では、一年以内にジングリット帝国が崩壊する可能性は、年初の七十八パーセントから四十五パーセントにまで激減したようです」
「……そう」
 少女の顔から表情が消えた。宦官は軽く背筋を震わせる。
「いいわ。下がりなさい」
「はい」
 宦官が退出すると、少女は低く叫んだ。
麗虎リーフー!」
「――おそばに」
 隣室から、長身の女が現われた。髪を縛り、青い袿服の裾に剣を下げている。少女より五つほど年上だろうか。
 だが彼女も、宦官だった。そして現代のこの国で宦官と言えば、必ずしも古代のように男性器を切除したものを意味しない。生殖能力だけを奪う、ずっと洗練された技術が確立している。
 少女は、そばにやってきた麗虎の腕を握り締めた。
「伽を」
「……何かお気に召さないことでも」
「ええ! だからおまえを苛ませなさい!」
「閣下の御意に」
 麗虎は少女を抱き上げる。隣室へと運ばれ、扉をくぐるのももどかしく麗虎の唇を吸いながら、少女はつぶやく。
「最悪の知らせよ。一度や二度おまえを責めたぐらいでは気が晴れない。覚悟なさい」
「……はい」
 滅ぼしてやる。毒を送り、火を放ち、剣で刺し、あの大国をひと一人いない荒野に変えてやるのだ。
 それがかなうまでは、この麗虎にぶつけてやる。
 少女――大明合衆帝国大統令の霞娜シャーナは、臣下の衣服の胸に爪を突きたて、思いきり引き裂いた。



 五星暦一二九〇年春。
 最終帝クリオン一世の統治のもと、ジングリット帝国は大陸戦争への道を歩み始めた。



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