カピスタの秘めたる献身 ――オルモーサ礁の六十日――


 ぐざん! と右に吹っ飛ばされた。かと思うと水面に叩きつけられて、ざばり、ざばり、と水面下で揉まれたすえに、今度は波頭から左へ吹っ飛ばされ、別の波の腹にずぼっと放りこまれた。
 海水と空気の境目での、猛烈な攪拌。私たちはもみくちゃにされた。大波と豪雨、暴風と雷光。船はとっくに見失った。私たちを救助するどころか、落水に気づいてさえいないかもしれなかった。北も南もわからない。近くにあったはずの島の方角も不明。上と下さえも混じりあってはっきりしなかった。
 わかるのは腕だけ。
 一本の腕だけが、囚人の首枷よりもがっしりと、私の首を後ろから抱きかかえている。
 セリ、セリ、セリ!
 私は叫ぶ。足の立たない深さにおびえ、顔を洗う海水におびえて。まるで息を吸う瞬間を狙っているみたいに、泡立つ海水が口元へ打ちつけ気管に入ってくる。苦しくて、むせて、咳きこむ。口からごぼごぼと水があふれる。嘔吐なんかじゃない。食べたものはとっくの昔に全部あふれた。苦い胃液まで出尽くして、今出たり入ったりしているのは膨大な海水だけだ、それを止める力すらも、もう残り少ない。
 息ができない、目が洗われて何も見えない、耳が詰まって聞こえない。ひたすら暗くて苦しい、死んでしまいそう。
 ただ強い腕だけが、ぐいぐいと私を後ろへ引いていく。私の不安なんか無視して。私の訴えには耳も傾けず。私が溺れようがどうしようが知ったことではない、とでもいうように。
 私は叫ぶ。
 のどが苦しい。もっとゆるめて。もっと息をさせて。許して、放して、お願い!
 セリ!
 腕は決して私を離さなかった。
 風が怒号し波が激突する大嵐の中、まるでそういう形に鋳込まれた鉄みたいに、腕はカギに曲がって私を放さず、ぐいぐいと引いていった。
 そして――どれほど時間が経ったころか――。
「つかまって!!」
 奇跡のようにくっきりと、そんな叫びが耳を貫いた。私はハッと覚醒し、そのとき手が触れていたものにしがみついた。
 岩だった。大きく、凶悪で、残酷なほど堅くて、どしんどしんとこちらへ叩きつけてくる。ううん違う。岩が動いているんじゃない。こちらが波とともに上下しているんだ。手を離すな。放せばひっぺがされる。剥がされたら、もう二度とつかめない。
 つかまれ。這い上がれ! 死ぬ気でかじりつけ!!
 私は全身の力をこめて岩にしがみつき、這い上がった。
 それと同時に、私の首を引き続けていたものが、今度はおもりとなって、ずるりと背中に垂れかかった。
 その柔らかさ、無力さそして冷たさ。もちろん私はそれを知っている。でも重さのない水中から空気の中へ上がるとき、それはまるで命のない穀物の袋のように、ずっしりと私を引っぱった。
 こちらまで剥がれ落ちそうだったけれど――
「セ……リ……!」
 首にかかった腕をつかんで、筋肉がちぎれそうなほど力をこめて、それが後ろへ滑り落ちていくのを食い止めた。
 そうやって、ずるずると、なめくじみたいに無様に岩の上に這い上がった。
 波が背後に遠ざかった。後ろからどやしつけられる間隔が、少しあく。岩の斜面は急で、手を離して腰を下ろすこともできなかったけれど、少なくとも空気のかわりに潮が気管になだれこんでくることはなくなった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
 私はしばらく何を考えることもできずに、神様のくれたもっともおいしい気体を、肺いっぱいむさぼった。
 それから、肩越しにおそるおそる振り返った。
 私の脅迫者、しもべ、同僚、そして愛する人であるセリは、銀の髪のまとわりついたおもてをぐったりと伏せていた。青い瞳は閉じている。気絶してしまったみたい。
 息つきながら体ごと振り向いた私は、無理もない――とおそれを抱いた。
 海は荒れ狂っていた。黒い丘が盛り上がっては崩れ落ち、凶暴な音を立てている。岩の上にいても風浪が顔に叩きつけて、まともに見つめていられない。
 こんな中を――
 こんな中を、この子は、陸まで泳ぎ抜いたの?
 泳げない私をひきずって、片手だけで?
「セリ……」
 私はぼうぜんとして彼女に目を移す。いつも白い肌が、この暗闇でも明るく見えるほど青白い。当然だ、この子は力を出し切ったんだから。鍛えてあるとはいえ女の身で、捨てることもできた私を最後まで離さずに、荒海を渡りきったんだから。
 血の気の最後の一滴まで燃やし尽くしていたって、不思議じゃない。
「セリ……!」 
 胸が破れそうな愛しさがこみあげて、私は彼女を抱きしめ、思い切り口付けした。
 唇は冷たかった。かろうじて息は通っているけれど、ひどく弱々しい。
 どうん、と背中から波が打ちつける。こんな吹きさらしの危険な場所に、この子を置いておくわけにはいかない。一刻も早く安全なところに運ばないと。
「セリ、ありがとうね……あとは私に任せて」
 思いきり頬ずりし、生気を吹き込むつもりで長々と吐息を交わしてから、私はセリを背負いなおした。
 そして岩肌を手探りで登っていった。夏の雲を固めたようなごつごつした岩礁は、意外に背が低かった。私はすぐにそこを乗り越えた。前方に静寂の気配があった。夜の闇に目を凝らすと、黒い水面が広がっているのが見える。風でざわめいてはいるけれど、波立ちはほとんどないみたいだ。
 つまりここは……さんご礁の礁湖なんだ。
「セリ、いけそうよ……」
 私はほっとしながら、黒い礁湖に爪先を入れた。
 次の瞬間、足の裏に激痛が走った。
「ぎゃうっ……!?」
 私はのけぞって後ろへ下がった、セリを押し潰しそうになって、かろうじて斜めに尻もちをつく。足の裏が錐を突き刺されたように痛む。靴は溺れた時に脱いでしまった。
 素足を手で引き寄せて顔を近づけると、ふやけた足の裏に黒いものが突き刺さっているのがわかった。たとえでもなんでもなく、錐のようなものが刺さったみたいだ。
 指でつまんでこじったとたん、焼けるような痛みが頭のてっぺんまで突っ走った。涙がじわりとあふれる。
「いだぁ……っ!」
 肉の中まで食いこんでいる。ひょっとしたら骨までも。
 でも、抜かなければ歩けない。私は歯を食いしばってそれを少しずつこじった。
 すると、なんてこと、外に出ている部分がロウでできているみたいに、ポロリともげてしまった。
 鋭い先端だけが肉の中に残った。絞り出そうにも痛くて痛くて、無理だった。明るいところで道具を使わないと取り出せそうもない。
「も、もう……」
 仕方ない。ひとまず我慢して、礁湖を渡りきろう。
 私はセリを背負いなおし、片足を引きずるようにして、足探りで慎重に入っていった。
 けれども、じきにとんでもないことがわかった。
 ものの二歩も足を進めると、鋭いトゲの群れに阻まれてしまうのだ。海面に顔を近づけると、拳ほどの大きさのトゲの塊みたいな海棲生物が、海底にびっしりと群がっているのが見えた。爪先で左右に避けようとしても、根を張っているのか、なかなか動かない。無理にどけようとすると足の甲に刺さった。
 そして……
「うそ、これまさか……全部そうなの?」
 黒く見えた礁湖の底は、実はそいつらに埋め尽くされていた! セリを背負って右へ左へ歩いたけれど、そいつらを避けて通れる通路は見当たらなかった。
「うそでしょう……!?」
 泣き声交じりの力ない叫びを、私は漏らしてしまった。
 そのとき――皮肉なことに――吹き狂っていた風が一瞬弱まり、視界が前方まで開けた。
 岸が見えた! ざわめく植物の葉としっかりした幹と……闇の中でほの光る、柔らかそうな白砂の浜が。
 それは私にとって、天国の雲よりも素晴らしいものに見えた。
 セリを横たえることのできる、安心して歩ける場所――それが、すぐ先に見えている。
 ほんの少しだ。あと五十歩もないぐらいだ。
 あんな近くなのに……こんなものに阻まれるなんて。
 恨めしい思いで足元を見つめて、私はしばらく立ち往生していた。
 するとそのとき、背中でセリが身動きした。濡れた衣服がずるっと滑って、私はセリを落としそうになった。
「つかまっ、てっ……」
 言っても仕方がない。セリは目を覚まさない。ずっしりと私に体を預けている。もともと細身の私より、この子の方が重い。
 落としてしまいそうだ。一度休もうと思って、私は背後に下がった。
 そして愕然とした。背後はくぼんだ岩壁で、セリを下ろせそうなところはどこにもなかったからだ。
 焦って周りを見て回ったけれど、さっき滑り降りてきたところは見つからなかった。海底にトゲのない通路を探してうろつき回るうちに、だいぶ離れてしまったみたい。
「くぅ……セ……リ……」
 ずり下がるセリを支えきれない。とうとう、ざぶんと落としてしまった。あわてて振り向いて水の中を手探りする。腿までぐらいの深さの海水の中で、セリがゆらゆらと横たわっていた。手で触れても、ぴくりともしない。
「セリ、セリ!? 立って、お願い!」
 悲鳴をあげながら抱き上げた。するとセリは、けんけんっ、と小さくむせた。まだ生きていたので、私はほっとしたけれど、すぐにまたじわじわと腕の力が抜けて、支えきれなくなってきた。腕ががくがくと震える。筋肉がこわばって、力が抜けそうになる。
 体力がなくなりかけているんだ。体温も。気力も。正気も。
「どうしよう、セリ! ねえっ、どうしよう!?」
 私は必死でセリを揺さぶる。意識のないセリを落としたら溺れ死んでしまう。けれども抱いていられるのはあとわずかだ。恐怖が、パニックが襲ってくる。頭の中がぐちゃぐちゃになる。焦りが渦巻いて何も考えられない。
 泣きわめく寸前まで追い込まれた私は、残されたただひとつの方法を選んだ。
 セリを背負って、歩き出したのだ。
 一歩、二歩、三歩、四歩――ずくっ、と足の裏が貫かれた。
「ひぐっ……!」
 襲ってきた激痛を、無視する。歩く。それしかないから。
 ずぶっ、と次の一歩も刺さった。次も、その次も。
「ぐっ……んっ……ぐうう……!」
 肉の中と骨のおもてにある、感覚の道のすみずみまでが、何十本ものとげで埋められていく。足の裏が、というより、くるぶしから下すべてが、熱い痛みの塊になる。肉の間でトゲとトゲがこすれあう、ギチギチという音が、耳の裏まで響いてくる気がする。痛みで気が狂いそう。刺さっているのは足なのに、目の前がちかちかしてくる。
「やぁあああ、きあああぁ!」
 あまりにひどすぎる痛みに耐えられなくなって、誰かが叫びだした。大声でほんの少し気がまぎれる。私はその誰かに命じ続ける。歩け歩け、前へ前へ前へ、どんなに痛くても。手だけは絶対に離すな、大事なものを離すな。それをトゲの上に放り出すぐらいなら、今この場で舌を噛んで死んでしまえ。そっちのほうがずっと楽だ。
 熱いものが際限なく頬を流れていき、前なんかまったく見えなくなった。
 私は絶叫する機械になって進んでいき、途中で力尽きて前のめりに倒れ、海底に両手をついた。そこにもトゲの生き物がいて、もちろん私の手のひらを避けてはくれなかった。手の骨の隙間が広がるゴリッという音が私の最後の記憶。あとはもう、わからない。
 泣きわめいてもがきながら、いちばん大事な意志だけに従ったのだと思う。背中の重みを一歩でも前へと進めること。それを支えたまま四つんばいで這いずって、海底の憎たらしい火を数回踏んで、そして不意に、ふわりと綿に包まれた。
 綿のように柔らかな底砂に、手足を。
「……リッ……!」
 最後の力を振り絞って、私は背中のものを前方に投げ出した。
 心の底から喜びを覚えていた。
 やるべきことを、果たしたんだ。


 わたしはうつぶせで目を開けた。背中が温かくていい気分だった。太陽がうらうらと光を投げかけている。光が満ち、穏やかな潮騒が聞こえ、澄んだ涼しい風が当たっていた。
 身を起こす。白い砂浜だった。おそろしく美しい緑の礁湖が静まり返っていて、わたしの足元にさらさらと波を寄せていた。背後は熱帯樹の森。少し先には小川が流れ出して浜をえぐっている。敵意のある人や動物は近くにいないらしい。ただ鳥はたくさん。浜を歩く小さなやつや、頭上を舞う大きなやつなど。
 わたしは自分の手を見、体を見る。制圧弾道官のサージの黒い制服。昨夜「絶え間なき西風号」から落水したヒオリを追って、海へ飛び込んだときの姿のままだ。でも水中でタイツを脱いだから、スカートの下は素足。やわらかいふくらはぎも太腿もむき出しだから、すり傷のひとつや二つあってもおかしくないが、そういうものは見当たらない。試しに腕をぐるぐる回したが、どこも痛まなかった。
 いちばん心配だった下腹にも痛みは感じない。そっと触れたが、出血などもないみたいだった。
 五体満足で打ち上げられたらしい。
 なんとも運のいいことだ。思わず鼻歌が漏れた。
 右手の十五歩ほど先には、やはり制服姿の細身の娘が、こちらに黒髪の後頭部を向けて、うつ伏せで横たわっている。歌など漏らしたのはそのためだ。そこに見えているのだから心配の必要はない。背中がかすかに上下しているから死んでもいない。二人とも助かったのだ。
 よかった。わたしは心からほっとした。 
「朝よ、ヒオリ」 
 歩み寄りながら周囲を見回した。昨夜の嵐は通りすぎ、空は工芸ガラスのように真っ青。生き延びられるのか、助けが来るのかという問題はあるけれど、その点はたぶん大丈夫。わたしもヒオリも弾道院でたっぷりと予習してきた。これだけ生き物の豊富そうな島なら、飢えることはないだろう。棒一本あれば敵に負ける気もしない。
 ヒオリの弾道術よりもわたしの長棍格闘が役立ちそうだ。
「ヒオリ、起きて。朝の散歩をしに行きま……」
 彼女に顔を向けたわたしは、言葉半ばで沈黙した。
 これは……なに。
 手と足に――
「……ヒオリ? ちょっとヒオリ!!」 
 わたしは叫んで彼女に駆け寄った。
「ひ……キ……」
 ヒオリは砂浜にうつ伏せになり、両手のひらと両足の裏を上に向けて、ぶるぶる細かく震え続けていた。その姿勢の理由はひと目でわかった。
 手にも足にも、ぼろぼろの黒い小石のような異様なものが、びっしりと食い込んでいたからだ。「ちょっと、これは……」と手を取りかけた私は、ひっと悲鳴を上げそうになった。それらは石などではなくて、皮膚をズタズタに引き裂いて中まで深々と食い込んでいた。
「な、なんなのこれ……」
 手もひどいが、足はもっとひどかった。美しかったヒオリの血の気の通った白い肌が、正視できないほど無残に損傷していた。どう見ても普通のケガではない。
 痛ましさに胸がつまり、吐き気すらもよおした。わたしは懸命にこらえて、彼女に顔を寄せた。
「ひどい……ヒオリ、これは拷問されたの? 一体だれが!?」
 ヒオリは目を見開いたまま、ぶるぶると痙攣していた。激痛のあまり答えられないのだ。気絶することすらできないのかもしれない。
 けれども、敵がいるならまず武器を調達することが先決だ。自分と、なによりこの娘を守るために。
「待ってて、武器を用意したら、すぐ手当てしてあげるから……」
 言いながら立ち上がったとき、おかしなものが目に入った。
 砂浜に転がっている、黒いトゲの塊。
「……?」
 ヒオリの手足に刺さっているものと同じだというのは、すぐわかった。土民の拷問道具? いやこれは生き物だ。波で打ち上げられたのだ。
 海から。
「……まさか」
 私は海を見た。
 波打ちぎわに駆け込み、浅瀬の底を見つめた。
 目を上げて、外海の荒波を防ぐ、礁湖のまわりの岩の連なりを見た。
 自分の無事な手足を見た。
 振り返り、力尽きかけているヒオリを見た。

 何もかも理解できた。

「ヒオリ……」
 胸が強く痛んで、涙がこみあげた。
 なんて子なんだろう。わたしのためにそんなことまで。
 わたしは彼女のそばに戻り、ひざまずいて頭を強く抱いた。
「そんなにも貴いのね、あなた。わたしなんかとうてい及ばないぐらい――」
 髪をかきわけて額に口づけする。
「この気持ちは言葉にできない。だから、わたしの全てで応える。待っていて、ヒオリ。絶対に助けてあげるから」
 彼女の頭をそっと砂に横たえて、わたしは立ち上がり、この浜の全てに鷹の目を向けた。

   ‡ 

 セリ、セリ、冷たいセリ。意地悪でそっけなくて、けれどもとてもきれいで柔らかで強いセリ。
 いつもあの子にいじめられてきた。雨に濡れて駆け込んだ、あの最初の山小屋から、ずっと。ハマンズダート学院のあちこちの物陰でも、西風号での旅の最中も。セリはいつも私を誘って、じらして、あざ笑って、くすぐって――ごくたまに少し微笑してくれたこともあったけれど、たいていの場合は不機嫌で、残酷で、他人行儀だった。
 セリといるのはつらい。
 あの子を好きになってしまったから。
 好きだと伝えることを滅多に許してくれないから。
 好きだと言わない私を、あの子が好いてくれているみたいだから。
 私はあの子の前で後ろを向いていることだけが許されてる。素直な気持ちはほとんど出せない。出してしまうと容赦なく責められる。セリの言葉はまるで鉄のヤスリみたいに私をざくざく削る。
 ヤスリに耐えて、とてつもなく頑張って迫れば、許してくれることもある。――セリは何度か見せてくれた。素直なセリは、ぞっとするほど可愛くて、愛しかった。そういうセリとつながるのは、気が狂いそうなほど気持ちよくて、嬉しかった。
 けれど、そこまで迫れたことはあまりない。今までにほんの三、四度……どの時もひどい苦労があった。いっしょに苦労しなければ迫れないのかもしれない。つらい。
 ううん、それこそが当然なのかも――私もセリも見た目は同じ女で、いずれは男に嫁ぐものなんだから――つながりあえると考えるほうがおかしいんだろう。あの子とひとつになれた何度かのときは、異常事態だったんだ。望んではダメ。次があると思ってはいけない。
 理屈ではわかる。
 でも身が細るほどつらかった。
「セリ……」
「ん」
 私は目を開けた。涙で両目がぐっしょり濡れて、ものがよく見えなかった。液体になった悲しみを頭からかぶってきたみたいに、気持ちが湿っていた。そして全身が熱っぽくて、寒気がして額が重かった。
 緑色に囲まれた薄暗い空間だ。そばに銀の髪の誰かがいる。
「セリ……?」
 彼女を見ようとして、私は手足を動かした。
 そのとたん、真っ赤な激痛が手足を貫いた。
「いぎぃっ……!」
 起き上がるなんてとんでもなかった。私はどさりと横たわる。
 すると、「ヒオリ」と声をかけて、慣れた気配が寄り添ってくれた。私の左右の二の腕をそっとおさえ、耳元でささやきかける。
「動いてはダメ。いい? 手と足に力を入れちゃダメよ。わかる?」
「ひ、いた、痛、セリ」
「力を抜いて。手のひらと足の裏をゆるめて。深呼吸して……」
 言いながらセリが額と目頭をぬぐい、何度も肩と頭をなでてくれた。言われたとおりに力を抜くと、激痛がゆっくりと抜けて、鈍くだけど、意識が戻ってきた。
「はぁ、はぁ……セリ、これ、なに……?」
「覚えてないの? あなた、大けがをしたのよ。手と足に生き物のトゲがたくさん刺さって……」
 彼女にしては珍しく、セリはそこで言葉を濁した。その理由はわからなかったけど、痛みの原因はぼんやりと思い出した。
 あの暗い礁湖――水底を埋め尽くしたトゲ――死体みたいに重くて冷たくなっていたセリ――泣きたいほど遠かった砂浜。
 あの、セリが?
「――セリ!?」
 私は目を見張った。青白い、無表情な顔が目の前にあった。眼鏡はもちろんかけていない。思わず手を伸ばす。
「だ、大丈夫だった? 生きてた? ごめん、私あれが精一杯で、介抱できなくて――」
 そこまでしか言えなかった。伸ばした手の手のひらに、焼きごてを当てられたみたいな痛みが燃え上がった。思わず私は歯を食いしばった――そしてセリに言われたことを思い出して、両手を左右にひろげ、懸命に呼吸を繰り返した。
 頭に当たるセリの手が細かく震えていた。怒ってるのかな、と思った。
 けれどもセリは、大丈夫? のひとことも言わなかった。気遣いの言葉のないまま、彼女はまた私の額を拭いた。
「……黙って、気を鎮めて聞いていてね。状況を話すから」
「……ええ」
「ここはあなたがたどりついた砂浜の少し上。あれから丸二日たったわ。わたしは見通し範囲内を見て回った。外敵や洪水や岩崩れのおそれはないみたい。ここは今のところ安全よ。三十歩下に水のきれいな小川がある。食べ物はまだあまり見つからない、しばらく我慢して。ネリドの船、砦、それに人間は見あたらない。ここは人間のいない土地みたい。すぐに助けが来る可能性は高くないと思う」
 セリは頭のいい子だけど、今日はまた一段と冷静で冴えているみたいだった。必要なことを必要なだけすらすらと言ってのけたみたいだ。
 みたいだ、というのは聞いている私のほうが冴えていないから……頭がぼんやりして痛い。好きなはずのセリの落ち着いた声さえ、がんがん響く。
「う……ぐぅ……」
「あなたは大けがのせいで発熱している」
 私のうめき声にも耳を貸さずに、セリは淡々と続ける。
「屋根と壁から作ったから、ベッドはまだよ。そのうち整えるわ。ほかのこともすべて。だからあなたはじっとして、回復に専念して。いい? 自分のことに専念するの」
 そう言うと、ぐっと顔を寄せて、冷たい青い瞳で私をにらみつけた。
「さっきみたいに、わたしのことを気遣うような馬鹿なまねは、間違ってもしないで」
「セリ……」
「今のあなたは無力なの。そこらを這いずってる芋虫よりも無能。何もしないで。わたしの邪魔をしないで。そしてさっさと傷を治してちょうだい」
「う……うう……」
 いつものセリだった。いつもより何倍もひどかった。言葉の剣で私をめった刺しにする。悲しくて寂しくて情けなくて、私は何も言えなくなった。
「わかった? わかったらうんと言って」
「……うん」
「いいわ。じゃあ、また寝ていなさい」
 そう言うとセリは少しのあいだ姿を消した。私は悲しみに沈んだまま夢うつつになる。
 やがて気配が戻ってきて、私の唇に湿った冷たいハンカチらしいものが当たった。
 喉が渇いていたから、ちゅうちゅうと音を立ててそれを吸った。

 そのとき私は、一応理解しているような受け答えをしたというけれど、実はまだ全然、正気に戻っていなかったのだと思う。
 自分がセリからどういう扱いを受けているのか、まるでわかっていなかったんだから。
 いったんセリとやり取りをした後で、私は意識が混濁して、また何日も寝込んでしまった。夢うつつの中で、セリの看病を受けていたような気がするけれど、熱が高すぎて、あの子のなすがままだった。
 次に意識を取り度したのは、夕方だった。
 大人の男の胴体ぐらいの幅がある、しなやかな艶のある葉が何枚も重なって、天井を形作っていた。横を見た。一方の壁も同じ葉で、もういっぽうは岩壁だった。足元のほうは狭くて低い入り口で、外の光が差し込んでいた。
 オレンジ色の暖かい光だ。夕焼けがきれいなんだろうな、と私は思った。
 手と足を気遣いながら、忙しく頭を動かして周りを見た。手足を気遣うということは、夢うつつの間にも気にしていたみたいで、いつのまにかすっかり身についていた。そっと四肢を持ち上げて目をやると、柔らかなシダの葉が多すぎなぐらい、たっぷりと巻きつけられていた。まるで手先足先が丸いクッションになってしまったみたいだった。
 クッションの手では何も持てないし、もちろん歩くこともできない。
「ちょっとは治ってないの……?」
 つぶやきながら力をこめると、またずきんと激痛が走ったので、私は悲鳴をあげそうになった。
 あきらめるしかないみたいだった。
 頭だけを動かして、また周りを見る。大きな木の葉に囲まれた空間だ。
 セリが作ってくれた、森の中の小屋なんだ。私はようやく理解した。
 狭いけれど、女一人で作ったにしてはけっこう立派な小屋みたいだった。ううん、かなり立派な小屋だ。艶のある葉は隙間風が入らないよう、巧みに組み合わせられている。幾何学的に折ってから、二枚以上重ねたみたいだ。私の寝床は少し高い。肩を動かすと、シダのマットの下に木の枝が感じられた。虫が潜りこまないようにちゃんとベッドにしてあるらしい。
 隣の、集めて積んだだけのシダの塊が、セリのベッドだろう。人の形にくぼんでいる。何本かの木の棒や、割ったヤシの実と割っていないヤシの実がいくつか転がっている。
 セリはいない。
「セ……ひ……」
 名前を呼ぼうとすると、声がかすれた。ずっとしゃべっていなかったから、喉がかれている。
 何度か咳き込んでから、声を上げてみた。
「セリーっ!」
 しばらく待った。ひゃう、ひゃうと遠くで何かの鳥が鳴いていて、夕方の陸風のせいだろうか、こずえの上のほうがざわざわと騒いだ。
 突然、すぐ外でザザッと誰かが急停止して、ガランと何かを放り出した。入り口からハマンズダートの黒ラシャの制服姿が、猫のようにするりと入ってくる。
「ヒオリ!?」
 セリがそばに来て膝をついた。はあはあと大きく肩を上下させ、目をいっぱいに見張っていた。
 どう見ても、大急ぎで駆けつけてくれたみたいだった。私はちょっと驚いて言った。
「どうしたの……そんなにあわてて」
「何があったの!?」
 セリが噛み付くような勢いで聞いた。
 それからふと真顔に戻って小屋の中を見回し、私の頬に触れた。
「……熱が下がったのね」
「みたいね」
「だから呼んだだけ、ということ? 痛みや悪夢ではなくて?」
「そう……だけど」
「何よ、もう」
 セリが肩を落として、どっと息を吐いた。私は悪いことをしたような気分になった。
「ごめんなさい……ちょっと呼んでみただけなの。忙しかったの?」
「獣道に罠をしかけていた。もう終わるところだったけれど」
「そう、ならいいじゃない?」
 私は微笑んでみせた。するとセリは、はっとしたように小さく息を呑んだ。
 けれどすぐ表情を消して、顔を横に振った。
「また泣いているのかと思って、急いできたわ」
「また? 私、そんなに泣いてたの?」
「……それも覚えてないのね……」
 はあ、と気抜けしたようにため息をつくと、セリは立ち上がって出て行こうとした。思わず声をかけた。
「え、どこ行くの?」
「夕食の支度よ」
「ああ……」
 明るいうちでなければいけないからだろう。お願いね、と私は見送った。
 けれど、セリの手よりも太陽のほうが速かった。彼女が外でごそごそやっているうちに日が暮れて、あたりは暗くなってしまった。
 やがて木の燃える匂いと、食べ物のおいしそうな匂いがした。じゅうじゅうというような音も聞こえる。不意に、おなかがぐうと鳴った。食欲が出てきた。セリが何を出してくれるのかわからないけれど、とにかくたくさん食べたかった。もう何日も何も食べていないんだから。
 ――いいや、そうなのかな? ずっと食べていないにしては、そんなに体力が落ちていないような気がする。立ってみなければわからないけど……。
「できたわ」
 セリが入ってきて、ふわりといい匂いが室内に満ちた。明らかに、肉料理だ。「わ」と私は期待の声を上げてしまった。――ついでに一段と大きな、おなかの音も。
 ぐぅぅぅ、という音はセリにも聞こえたはずだった。私の頬が熱くなる。すると、そばに近づいたセリの青い瞳が、かすかに細められた。
「おなかが鳴るのはいい兆候ね」
「う、うん……」
「恥ずかしいと思えるようになったことも」
 彼女は私の顔色が見えているみたい。私はさらにもうちょっと、赤面した。
 がさがさと物音がする。待ちきれずに声をかける。
「何を作ったの? どうやったの?」
「蒸し焼き。肉と木の実を葉で包んで、焼いた石を載せて……」
「そうか。習ったわね」
「ええ」
 早くもらいたいけれど、手が使えない。私はもどかしい思いで待った。
 セリが何かをつまみ上げて口に入れた。ゆっくりとあごを動かす。
 自分が先に? ううん、当然のことだ。彼女が作ったんだから、彼女が先に――。
 頭を強く抱かれて、柔らかいものに口を塞がれた。崩れてどろりとしたものを、グッと口の中に押し込まれる。
「――!?」
 私は驚きで体をすくめ、そのはずみに、口の中のものを飲み込んでしまった。ごくん、と肉の味が喉を落ちていった。
 柔らかいものが離れる。セリの唇だった。彼女は様子を見るように私の顔を覗いた。
 彼女が口に入れたものを、私に含ませたんだ。おぞましくて、ぞっとした。もつれる舌で叫ぶ。
「せ、セリッ、何するの!?」
「――ああ、そうなるのね」
「そう、なるって……?」
「正気が戻ると」
 口の中の残りをこくんと呑みこんで、セリはあっさりと言った。
「今日の朝まで、意識がなかったわけね、あなたは」
「朝……にもこんなことを?」
「ここ三日は、ずっと。あなた、嫌がらなかったわよ」
「うそ……そ、そんなに何度も……?」
 血の気が下がった。けれどもセリは少し怒ったように言い返した。
「それ以外にどうすればよかったというの? ここにはスープも薬も、それらをすくう匙すらもないのよ」
「だからって……」
「それ以外の方法があるっていうなら、言ってみて。あなたなら、意識のない私を、どうしていた?」
 私は押し黙った。
 そうだった……私たちはほとんど着の身着のままで、西風号から投げ出されたんだった。こんな人跡未踏の地では、文明的な手当てを望むのは間違っている。ましてや、セリは医者でも料理人でもないんだから。
「……あなたは、あなたにできる精一杯のことをしてくれたのね」
「そうよ」
 彼女はうなずいた――でも気後れを感じたのか、少し口調を弱めて言った。
「でもあなたの方法があるというなら、参考までに聞きたいわ」
 そんなものは思いつかなかった。立場が逆なら、私だってそうしただろう。
 もう熱が下がったんだから終わりにして、と言うことはできるけど、それではいかにも嫌がっているみたいだ。私は手が使えないから、どっちにしろセリに頼らなきゃいけない。
 セリがへそを曲げたら、と思うとひやりとした。私にはどうすることもできない。
 彼女のしたいようにさせること。それ以外の選択肢はないんだと、私は気づいた。
「……ないわ。あなたのしたいようにして」
「だめ、それじゃ。あなたの希望を言ってくれないと」
 セリがすかさず言い返した。まるで言質を取っておきたいみたいな言い方だ。仕方なく私はうなずいた。
「口移し、して。……あなたに食べさせてほしい」
 一瞬、セリがぶるっと震えたように見えたけど、気のせいだろうか。暗くてよくわからなかった。
 セリはまた料理を手に取ると、口に入れて私を横抱きにした。唇を押し付けて、舌で中身を押しこんでくる。今度は気を遣ってくれたのか、さっきのようにどろりとしてはいなかった。ほとんど噛みちぎっただけみたい。
 そうか……ナイフがないから、ちょうどいい大きさを取るだけでも手間なんだ。寝たままの私に手で無理に食べさせたら、口の周りが汚れてしまう。案外これがいちばん適当なのかもしれない。
 セリが唇を放し、口に食べ物が残った。意外にも、さっきほど不快な感じはしなかった。さっきは不意打ちだったので、見知らぬ人に犯されたように感じた。でも今度は、相手がセリだとわかっていた。
 害意はない相手だ。不潔でもない。何度もキスしたこともある。
 でも、それとこれとは別だ……私は複雑な気分で、あまり噛まずに飲み込んだ。
「味はどう」
「味?」
 言われて驚いた。味わう余裕なんかなかった。
「そんなのわからなかったわよ」
「そう」
 平板な返事だけど、残念がっているような気がした。私はまた少し悩んでから、言った。
「もう一口、お願い」
「ん」
 セリがまた口移しした。今度は唇で挟んで渡すだけ、という感じだった。おかげでほとんど嫌悪感はなかった。――よく噛んで味わってみると、なかなかの美味だった。これは多分ウサギの肉で、ナッツのたぐいを散らして海水を混ぜてある。香ばしくて食欲をそそる塩味がする。
「おいしいわ」
「本当に?」
「本当よ」
 私がそう言うと、セリは何も言わずに次を持ってきた。
 それから私は、何度も口移しを受けた。やっているうちに慣れてしまい、鳥のヒナになったみたいね、と軽口が出たけれど、セリの冷たい言葉で我に返った。
「ヒナのほうがよっぽど可愛げがあるわよ。あなた、いくつ? 十七、十八の娘よね? その年で赤ん坊みたいに口移しされて……情けないこと」
 かあっと頬が熱くなった。確かに、一人で食事もできないなんて無力な姿だけれど。
 好きでこうなったわけじゃないのに。
 泣きたいような気持ちで、食事を終えた。(おなかはいっぱいになったけれど)


 セリは外へ出て、しばらく後片付けをしてから戻ってきた。そして私のそばに寄り添って、一本ずつ手取り足取りして、シダの葉のクッションをほどいた。現れた皮膚には軟膏のようなものが塗ってあった。私は驚いて聞いた。
「何それ、どうしたの?」
「ルゲイラの葉肉よ。刀傷に効くって通訳のバスコに聞いたの。――ちょっと、あなたは見ちゃだめ。見ないほうがいい」
 私が首を伸ばして傷を見ようすると、セリは手で頭を押し留めた。
 そうして軟膏をそっとこそげ落とし、傷に鼻を近づけてくんくんと匂いを嗅いだ。
「ん、だいぶ収まってきた。――あとでバスコを誉めてあげなきゃね」
 膿が減ってきたってことだろう。船乗りが同じことをしていた。
 皿代わりのヤシの実の一つに、葉肉を用意してあったみたい。セリは手早くそれを塗りなおし、元通りシダを巻いて、手当てを終えた。
 ほーっと彼女が大きく息をついた。疲れているんだろう。無理もない。私の看病だけでも大変なのに、そのうえ狩猟と家事までこなしているんだから。
「セリ……お疲れさま、ありがと。もう休んだら」
 部屋の中はもう真っ暗だ。私がおずおずと言うと、セリがうなずく気配がした。
「そうね。着るものを仕立てようと思ったけれど……明日でいいか」
 そう言うと、セリは腰を上げた。
 そのまま寝床に着くのかと思ったら、私の横へ来ていきなり抱き上げた。
「ちょっと……セリ?」
「黙って」
 一体どういうつもりか、セリは私を横抱きにして小屋の外へ出た。
 夜の森は深い闇の色で、得体の知れない動物の鳴き声がした。セリは足探りでゆっくり進んだ。彼女は私よりも肉付きのいい体つきをしているけれど、それはただたゆたゆと柔らかいだけではなくて、私以上の膂力を隠してもいる。
 私の腋の下と膝裏をしっかりと支えてくれる、セリの腕の力強さに、私は場違いにも胸が高鳴ってしまった。手で捉まることもできないので、運ばれるがままになりながら聞いた。
「ねえ、なんなの?」
「言わなくてもわかるでしょうに……」
 疎ましそうな声が聞こえた。
 すぐに意味がわかった。セリが、サラサラと音を立てるせせらぎのそばで足を止めたのだ。しゃがんであたりを踏みしめ、しきりに足場を確かめている。私を抱いたままで。
 それから私の腿までのスカートに手を入れ、腰骨にかかった下着に指をかけた。
「わかった?」
 わかった。羞恥で耳の先で熱くなった。「そ、あ、そんなことまで――」とかすれ声で言い返してみる。
「だから……他に方法が?」
 答えるセリの声にまで、いまいましさがあふれていた。投げやりな言い方から、彼女の顔も赤くなっているのが想像できた。
「黙ってして。おしゃべりしながらするようなことじゃないわ……」
 そう言うと、セリは私のショーツを膝まで下げて、心持ち流れのほうに突き出した。
「あ……う……」
 とはいえ、小さな女の子だったころならいざ知らず、学院を卒業する歳にもなって人に抱かれたままでするのは、いくらなんでも無理だった。恥ずかしさに息が詰まって、出るものも出てこない。力をこめる気にもなれない。
 しばらくじっとしていたセリが、焦れたようにささやいた。
「まだ?」
「無理……」
 私は首を振る。涙がにじんだ。こうするしかないと言われたって……無理なものは無理。
「今までも、こうしてくれてたの?」
「眠っているのにできるわけないでしょ。どうもしなかったわよ。……つまり、後始末のほかは」
 穴があったら入りたいような気分になった。そんなことまで知られたなんて、限度を越えている。
 どちらがいいか、なんて選べるようなものでもなかった。
「もういい、もういいから。戻ろう、セリ。ね?」
 私は泣きながら首を振って言ったけれど、セリは許してくれなかった。
「神殿の石像じゃないんだから、もういいでは済まされないでしょ。しっかりして、ヒオリ。あのね、こうしましょう」
 セリが顔を寄せて――ほとんど見えないから、気配でそう思うだけだけど――言った。
「わたしは目をつぶって、ハマンズダートの弾道頌を思い浮かべているから。何も見ないし聞かないわ。あなたが済んだら合図して。そのあいだのことは、知らない。……ね」
「……うん」
 小さく小さく、私はうなずいた。
 ふうと息を吐いて、セリが上を向いたのがわかった。
 永遠に抱いてもらっているわけにはいかない。私はぎゅっと目を閉じて、できるだけ集中しようとした。
 それは難しかった。不安定に支えられているだけで、足をつけず、手で何かを握ることもできないんだから。力がこもらない。
 しばらく集中しようとしたけれど、その気が湧いてこなかった。私は困り果てて、哀願した。
「セリ、セリ」
「――何」
「出ないわ、これじゃ……」
「まだ言ってるの? いい加減に」
「ううん、違うの。するから、頑張るから……ギュッてしてくれない?」
「ぎゅっ……て?」
「うん、押し潰す感じで……おねがい」 
 セリが長い息を何度かしてから、ぐいっと私を揺すり上げて、向きを変えた。背後から太腿をつかんで抱く形――親が小さな子供にしてやるのと、本当に同じ格好に。
「……いい?」
 そう言って、両腕に力をこめて抱きしめてくれた。
「くふっ……」
 圧迫されて、私はきゅうと縮んだ。セリの力は本当に強い。蛮族を一撃で殴り飛ばすほど。その力で、骨がみしみし鳴るぐらい抱きしめられていると、愛されているような錯覚まで覚えてしまう。
 その錯覚に、頼ることにした。
「はぁー……はぁー……」
 息を吐いて下半身に集中する。この人は大丈夫この人は大丈夫。ささえてくれるやさしい人。ゆるめてしまっても大丈夫。弱みを見せてもいい人――。
 感覚が湧き出し、出口に迫った。私はそれをつかまえて、ぐっと力をこめた。
「ン……ッ……」
 解放。……重みが勢いよくほとばしっていく。出すまでわからなかったけれど、思ったよりずっと溜まっていた。長々と出る。ひどく心地よい。危険なほどいい。出すのが気持ちよくて、さらにたくさん出してしまう。下腹部がどんどん軽くなる。
「っ……は……」
 じきに下腹がすっかり空っぽになった。反対に、胸の中にはなんともいえない多幸感が広がった。
 私は疲れ果ててため息をついた。
「はぁ……せ、セリ……おしまい……」
「……ん」
 セリがなんだかぼんやりした様子で返事をした。そして――私はほとんど期待すらしていたのだけれど――何か柔らかいものでそっと拭いてくれた。

   ‡ 

 私たちの孤島での暮らしは、そんな風にして始まった。
 五日めに目覚めた私は、死の淵からなんとか戻ってきたような具合で、手足もろくに使えず、衰弱していた。いっぽうセリはケガらしいケガもしておらず、体調は万全で、ぴりぴりした感じの、怖いほどの気力に満ちていた。
 だから私はセリに任せた。ううん、任せるも何も、セリのほうが支配者だった。私はセリの生きるための努力を、横で眺めておこぼれに預かるだけの添え物になってしまった。
 朝、夜が明ける前にセリは起きる。私の様子を確かめてから外をひと回り偵察し、罠にかかった獲物か、でなければ木の実、草の実の類を取ってくる。昨夜の残りの朝食を整えて、私を起こして朝のあれこれを世話する。
 それから、制圧弾道術でいう木の三番の長棍に相当しそうな、硬い棒をかついで森へ出ていく。目的は中距離の偵察だ。
 昼過ぎに戻ってきて、また私の世話をしながら、偵察の成果を話す。
 午後は手仕事をこなす。私が目覚めた翌日には二人分の普段着を作ってのけた。例の艶のある広い葉をよくしごいて弾力をもたせ、石で断ち切り、制服の飾り鎖の金具を針代わりに、ラシャをほどいた糸を通して、服の形に縫い上げた。その日からはそれを着させられた。
 それ以外にも小屋を補強したり、シダを集めたり、軟膏を練り上げたり、火種入れを作って火を保ったり、手ぬぐいや櫛のような小物を、そこらのものからこしらえたり、とにかくよく働いた。
 日暮れが近づくと食事の支度にかかる。夕食と、次の日の昼までの食事をいっぺんに作ってしまうのだ。といっても、最初のうちは石蒸し包みばかりだったけれど、それだって下ごしらえがいる。捕まえた獣は、血抜きをして皮を剥いで腑を分けないと、料理できる形にならないし、他のものだって同様だ。
 セリは、それらの仕事も毎日手を抜かずにやった。
 日暮れすぎごろに夕食を食べて、また私の世話をして、眠るための支度をする。そのときにも、小屋の周りの罠を確かめたり、火種の面倒を見たりと、よく気を配った。
 本当にセリは、有能で勤勉だった。
 私がみじめになってしまうほど。
 午後遅く、それまで外で座って作業していたセリが、忙しく歩き回ってから姿を消すと、夕食が近い。私はベッドの上で身をよじり、肘と膝だけを使って動きだす。下りるというよりも、つんのめって落ちるという感じになるけれど、とにかく地面に下りる。ずんと肘に体重をかけると、手のひらがビリッと痛む。それをこらえながら、もぞもぞと這いずって外へ出る。
 小屋の前が、踏みしめられた土の小さな広場になっている。草を払って踏みしめたのはもちろんセリだ。私が出て行くときにはたいてい不在で、そこには椅子代わりの太枝や一抱えほどの岩が転がしてある。私はもぞもぞと這っていって、枝と岩の間にごろんと仰向けに横たわる。
 そこは森の一角だから、世界は上へそびえている。蔦の絡まった木々のはざまを、夕日と影が彩っている。それらは私より上にある。私は枝や岩とともに、底から見る。
 ガサッ、ガサッ、と間隔のあいた音が近づく。セリの足音だ。彼女はレイヨウのように大きく速く跳ぶことができる。ガサッ! と最後の足音が上がると、森から緑と銀の流れが勢いよく飛び出してきて、ずざっと広場に土ぼこりを立てる。
 起伏の豊かな体を広葉の服に包んでいる。腰に水筒代わりの瓜をぶら下げ、左手に縊った五羽ほどの山鳥を吊るし、肩に長棍を担いだセリが、光る瞳でキッとこちらを見下ろした。
 その顔はほこりと草汁に汚れているけれど、いまだに滑らかで気品を帯びている。
「ヒオリ」
「お、おかえりなさい」
「中にいればいいのに」
「出迎えたくて」
 セリは手首を返してポンと山鳥を放り出し、瓜をつかんで思い切りよくごくごくと水を飲んだ。その手の動きも、喉をさらす仕草も、彼女はいまだにひどく優雅だ。後ろ頭に流れた銀髪にいきいきとした艶がある。まるでどんな汚れも傷みも、彼女には追いついて来られないみたいに。
「黒曜石が見つかったわ」
 口をぬぐって手の甲の露を振り捨てると、セリはすらりとしたはだしの足を折って、私の前の地べたにあぐらをかいた。あぐらなんて間違ってもかく子じゃなかったけれど、ここには椅子がないから仕方ない。それにそうしても、セリは賎しく見えない。
「これでしょ? 違う?」
 セリがかざした黒い石に、私はけんめいに目を凝らす。彼女が石をひねると、夕日が透過して黒蜜のような茶色っぽい光輝が散った。
「そ、それよ。偉いわ、セリ」
「これを割ればいいのね」
 セリは岩の上に黒曜石を置いて小石で叩いた。割れたかけらを持ち上げる。眉根を寄せて人差し指を当て、スッとなでた。
「ガラスみたいだわ――そうか、ガラスの破片は鋭いものね。これは天然のガラスナイフというわけだ」
「はるか昔の野人はそれでものを切っていたというわ」
「試してみましょう」
 セリが山鳥の毛をこそぎ、皮を浮かせて刃を入れた。するする、するすると皮と肉が剥がれていく。見惚れるほど滑らかな手技だ。セリはこういうざっくりした仕事をするのがとてもうまい。
 血のついた刃をかざして、セリがつぶやいた。
「これはいいわ。ただの石刀よりずっとよく切れる」
「セリ、上手ねえ……」
 セリはちらりと私を見たけれど、何も言わなかった。
 立ち上がってそこらを歩き回る。みるみる夕食の支度が整う。私は足元からそれを見上げて、目で追いかけるだけ。セリがそばをさっと通ると、急いで身を縮める。
「ごめん、邪魔?」
「別に」
 セリは表情を変えない。そっけなく別の仕事へ向かう。
 私はなるべく普通に笑おうと思っていた。でも、だんだん難しくなってきた。
 瓜が転がっている。空になったみたいだ。いつも、水は下の沢で汲んでくる。セリならそこまで一分で行って戻る。それぐらいなら私にもできそう。
「んっしょ……と」
 瓜の吊り紐を口にくわえて、這っていこうとした。広場を出て、沢への下り道に差しかかる。 
 簡単に行けると思っていたけれど、そこは木の根や石がからまりあって、平坦じゃなかった。頭を先に、前のめりに下ろうとすると、難しかった。いっそ足を先にして、膝で下りていったほうが楽かもしれない。そう思って、向きを変えようとした。
 土の上でずるっと膝が滑って、私はバランスを崩した。
「あ、うわっ……!」 
 ごろごろと転がってしまう。幸い木の根にあたってすぐ止まった。「くぅ……」と手のひらを顔に寄せて、私はしばらく痛みをこらえた。
 するとセリがすごい勢いで跳んできて、私を一息に抱き上げると、苛立ちが頂点に達したように怒鳴った。
「寝てろって言ったでしょう! 下まで落ちたらどうするの!?」
「ご、ごめん……」
「ごめんじゃ済まないわよ、また大けがをするかもしれないじゃない。これ以上何かしようとしないで!」
「ごめん、ごめんなさいっ! ……役立たずで」
 私は身を縮めて謝った。怒鳴るセリは正直にいって怖かったけれど、それよりも、申し訳ないという気持ちが強かった。
 それを聞くとセリはさらに苛立ったように何度も首を振って、私を広場に連れ戻した。
 私はもう、動く気も起きなかった。なるべくセリの手間を増やさないよう、じっと横たわり、彼女がつまんで差し出す食べ物のかけらを、黙って受け取った。
 セリの整った顔は苛立ちにゆがみっぱなしで、私はまともに目を見られなかった。
 その夜、眠りについてからも、私はうじうじと考えていた。
 セリはあんなに頑張ってくれているのに、私は何ひとつ役立てていない。死んだほうがましなぐらいのていたらくだ。私がいなければ、セリはどれだけ楽になることか。
 仕事が減るというだけじゃない。救助してもらうためのもっと積極的な方法を、いくつも選べるようになる。遠くまで偵察に出て人や船を探すとか、あるいは小船を作って町を目指すとか。私たちのいる場所は、島なのか半島なのかすらもわからないけれど、とにかく新大陸の近くにあることは確かで、それは西の方向、帆船で二日もかからない距離にあるはずだ。海岸線にさえたどりつけば、ネリドの植民地まで歩いていける。
 それも、手足の使えない役立たずがいなければ、の話だ。
 セリは、そうしたいと思ってるだろうか? どうだろう、セリは人を見る目が厳しく、愚か者や能無しには容赦しない子だ。学院でも友達と仲良くつるんだりしていなかったし、船に乗ってからも、船乗りたちを心のどこかで蔑んでいるようなところがあった。
 そんな彼女のお眼鏡で見れば、私なんかとっくの昔に落第になっていそうな気がする。
 そうだ、そもそも彼女は、私が優れていると思い込んで(実際にはそんなこと全然ないのに)、私に付きまとってきた子だ。私が卑屈な態度を取ると、鳥肌を立てそうに嫌がっていた。
 だからきっと、無能な私には愛想を尽かしただろう。ひょっとしたら今この瞬間にも、私を置いてどこかへ行くことを考えているかもしれない。
 それも仕方のないことだ。元はといえば、私が艦から落ちたせいなんだから。セリは巻き込まれた被害者にすぎない。何を考えていようと恨んじゃいけない。
 セリが一人で帰れるよう、こっそり姿を消そうか――ううん、それだと責任感の強いセリは探しに来てしまう。面と向かってはっきり言ったほうがいい。
 見捨ててくれって。もう十分だって。
 そんなことを考えていると、何か手に負えないものがこみ上げてきた。
「……うっ、うっ」
 しゃくりあげる。嗚咽を懸命にこらえる。抑えようと思っても、暴れてしまう。
 捨てられるなんて、いやだ。
 セリにいてほしい。セリが好き。銀髪をなびかせて立つセリがとても頼もしく見えた。
 そんな資格のない、ただのわがままだけど、それでも離れたくない。
 でも、どうしたらいいんだろう。セリには、セリ以上の力しか通用しないのに。今の私には、そんなの小指の先ほどもないのに。
 わからない。どうしたらいいのか全然わからない。
 地べたの蟻になってしまったような無力感をおぼえて、私はぎゅっと目を閉じて、嗚咽をこらえ続けた。
 すると、隣で気配が動いた。
「――ヒオリ?」
 セリがシダの山の中から起き上がり、顔を寄せる。かすかに白い横顔が見えた。小屋の風取り窓から星明りが差していた。
「泣いてる? また痛む?」
 私は顔を背ける。泣き顔なんか見せたら、またセリに気を遣わせてしまう。セリはきちんとした子だから無視したりしない。どう思っていようと、その場は黙って相手してくれる。
 でも、きっと心の中には不満を溜めるだろう。人間って、そういうもののはずだ。
 だから私は声を殺して、黙り続けた。
「ヒオリ……?」
 セリはしばらく様子をうかがっていたみたいだけど、じきに身を離してまた横になろうとした。私はほっとして、小さくつぶやいた。
「ごめん、セリ」
 バサッと音がした。
 セリがシダを蹴散らして起き上がったんだと気づくまでもなく、私は両肩をつかまれて、力ずくで引き起こされた。
「ヒオリ。ヒオリ! あなたね!」
「ごめん、ごめんなさいセリっ!」
 私は小動物みたいに首をすくめた。ぶたれると思った。
「ヒオリ……ヒオリ、もうっ……」
 セリはぶるぶると腕を震わせると、ゆっくりと私をベッドに戻した。
 そして――さらりと柔らかな房のようなものが私の頬に触れた。
 髪だ。
 なめらかでたっぷりと重さのある、セリの銀の横髪。冷たい香りが降る。
「教えてよ」
 私の上にのしかかったセリが、細い声を漏らす。
「教えてちょうだいよ、ヒオリ。どうしたらそこまで気高くいられるのか」
「――セリ?」
 気高い? 誰が? 聞き間違いかと思って私はつぶやく。
 するとセリが、私の頬に手を貼りつけた。とても強い思いがこもっていそうな触れ方だった。
「あなたのことよ」
「私の、どこが」
「その、気づいていないところよ。意識すらしていないところよ! あなたわかってるの? あなたはわたしの救い主なのよ? わたしにどれだけの恩を売ったと思ってるの? なんでそれを忘れていられるのよ!」
「ち、ちょっと待って、なんのこと――」
 私が右手を突き出そうとすると、セリがぐいと手首を握った。
「これよ、痛むでしょ、泣きたいほどでしょう?」
「それは、そうだけど……もうだいぶ治ってきたし」
「見ていないから平気でいられるの? 見せていればよかったわけ? 最初の日、流れ着いたあの朝、あなた自分がどうなっていたと思う?」
「どう、って……覚えてはいるわよ。セリを砂浜まで背負っていって、倒れたの。もちろんトゲが痛かったわよ。でも、それも全部抜けてしまったみたいだし……」
「抜けたんじゃなくて、抜いたの、わたしが」
 セリは激しく首を振ると、小屋の隅へ行って、葉を巻きつけた筒のようなものを持ってきた。それをほどいて、中身をざらざらと私の胸にぶちまける。
 もし縫い針だとすれば、首都のすべてのお針子に配ってもまだあまりそうなほどの黒いトゲが、山になった。
「これ全部、あなたに刺さっていたのよ」
 セリの声はおぞましさに震えていた。当の私も驚いて声が出なかった。
「残せば必ず化膿するから、わたしが一本ずつ抜いたのよ。それも、ただ引っぱっても折れてしまうから、貝殻で切って抜いたのよ! わかる? わたしあなたを切り刻まなければならなかったの。針が刺さって苦しむあなたを、さらにめちゃめちゃにしてしまったの。あなたは泣き喚いていたわ、ヒオリ。それでもやめるわけにはいかなかった」
 セリが額を押しあてた。熱いものがぼたぼた降ってきた。
「それがどれほどつらかったか……!」
 セリが泣くのを初めて見た。私は驚きに凍りついたまま、聞いた。
「どうして、つらいの?」
 バシッと頬をはたかれた。それから間髪おかずに激しくキスされた。
「今さら馬鹿なこと聞かないでよ! 好きだからに決まってるでしょ!」
「セリ……」
「二度とそんなこと言ったら許さないからね!?」
 青い両目がぎらぎらと輝いている。私は声もなくうなずくしかなかった。
「好きだから――なんでもやって、助けようって思ったわよ。屋根を作ってあなたを運んで、トゲを全部抜いて葉肉を巻いた。でも……」
 セリは言葉を切り、顔を曇らせる。
「あなたは発熱した。手も足もざくざくになって、腫れあがって、真っ赤になって泣き続けた……私の手当てなんか気休めにもならなかった。あの夜にあなたが、痛い痛いって泣き続けて、しまいには息もできなくなりかけて、白い目でひゅうひゅういうだけになったとき……わたしがどんなだったと思うの……」
 セリがぎゅっと目を閉じ、あふれた涙がまとめてぼたりと落ちた。
「怖かった……あなたがこのまま死んじゃうんだと思った……!」
 ひっくひっくとセリがしゃくりあげる。私は反対に目を見張って、何度もまばたきする。現実感がなくて夢を見ているみたいだ。私が死にかけて、セリが泣いてくれるなんて。
「本当に怖かった……自信なんかまるでなかったから……どうすれば助かるかなんてさっぱりだったから……」
「セリ……」
「一度、目を覚ましてくれた。あのとき、ちょっと気が緩んだの。手当てが効いたんだ、回復したんだって。……それで外へ出て、戻ってきたら、また死にかけているんだもの。もうだめだと思った……最期のお別れだったんだって」
 私はセリが声を上げて泣き始めると思った。それぐらい、セリはぐしゃぐしゃの顔をしていた。
 実際セリはうつむいて、嗚咽しながら左右の手で何度も手で顔をぬぐっていた。
 けれどもいっぺんに崩れるようなところは見せず、やがてまた口を開いた。
「でも、あなたは戻ってきてくれた。また目を覚まして微笑んでくれた。……嬉しかったわ。奇跡みたいに思った」
 そう言って、セリは微笑んだ。
 そのセリの優しげな笑みこそ、私には奇跡みたいに思えた。
「それからあなたはどんどんよくなってきたけど、でもね、ヒオリ。まだなのよ。まだとうてい、わたしは働き足りない」
「まだって……?」
「感謝を表すのに」
 セリはぐっと目頭をぬぐって、散らかしたトゲを回収し始めた。一本一本、注意深く正確に拾っていく。
「わたしがあそこまでめちゃくちゃにしたのに、ここまで回復してくれたこと。わたしが苦しむあなたに何もできなかったのに、こんなに話したり笑ったりしてくれるようになったことへの、感謝よ。わたしはあなたに尽くしたいの。もっともっと、あなたにお礼をしたいのよ」
「それはもう……十分なんじゃないの? 私はそう感じるわ。それ以上にも」
 私が言うと、セリはまとめたトゲの包みを部屋の隅に放って、首を振った。
「それはあなたの記憶がないからそう思うだけよ。あなたがすごく苦しんでいたのは事実で、わたしは五日もそれにつき合わされたの。わたしのせいだって思いながらね。それも事実そうだったわけだし。あなたに尽くすと、わたしの気が楽になるの。だから、わたしはそうしたい、そうする。いい? ヒオリ。あなたには、それを受け取ってほしいの。変に自責したり、くさったりせずに、堂々と、自然に」
 セリの顔に、ようやく以前のような余裕がもどった気がする。ううん、以前とは違う――刃物みたいにとがった感じが、あまりしない。どこか優しい。
 私は信じられない思いのまま、両手を軽く持ち上げてみせた。
「それは、これが治るまでってこと?」
「わたしが満足するまでよ。どう?」
 セリが楽しそうに目を細める。どきどきしてしまう。まるでセリじゃないみたい。いや、これは本来のセリで、それが丸ごと表に出てきたってことなんだろうけど……信じられない。
 私はまだとても、彼女の変化についていけなかった。だって、つい数十分前までは、どうしたら彼女に見捨てられないだろうって、心配していたんだから。
 そんな心配をするなと、セリは言ってる。だったら――せめてうなずくぐらいは、しておかなくちゃ。
「う、うん……じゃあ、お願いするわ、セリ――」
「言ってくれない? 尽くしてって」
「セリ、私を……守ってちょうだい。一生懸命に」
 セリが、悲しげだったさっきのとはまるで反対の表情で、ギュッと目をつぶった。二の腕にさわさわと鳥肌が立ったのが見えた。
「可愛いヒオリ……♪ 守ってあげるわ、しっかりね」
 そう言うと、セリは私の手を取ってそっと頬ずりしてから、おとがいにキスしてきた。

   ‡ 

 セリは、私に助けられたことに深く心動かされた。私が苦しむさまを見て恐れと無力感に打ちひしがれた。それを穴埋めするために、私に奉仕することにした――という経緯のはずだった、彼女と私が話した限りでは。
 だから私は、次の日から、できるだけ落ち着いてセリのすることを受け入れ、見守ろうとした。つまり、なんとか今までのように主人でいようとした。
 最初のうちは、うまくいった。
「セリ、この服、首がきついわ。ゆるめてくれる?」
「セリ、朝日がまぶしいの。あの隙間を塞いで」
「セリ、それ熱いわよ。冷ましてから食べさせて」
 私は意識的にはきはきと要求を口にした。セリはその通りにしてくれた。中でも私がほんとうにしてほしいことを頼むと、喜びさえした。
「ねえ、セリ。背中がかゆいの。できれば……水浴びをさせてくれない?」
 私がそう言うと、セリははっと気づいたような顔でうなずいた。
「そうね、ずっと拭くだけだった。じゃあ、今日は仕事はお休み。お風呂の日よ」
 セリは私を下の沢まで運んでくれた。そこで少し立ち往生した。水浴びをさせるには脱がさなければいけない。もちろん今まで何度もセリは私を脱がせたことがあるけれど、午前の、こんな明るい時間にそうしたことはなかった。
 私は、命令する立場なんだから、と自分に言い聞かせた。
「セリ、服を脱がせて。綺麗にしてちょうだい」
「……ええ」
 セリはうなずいて、私を岸に横たえ、広葉の服を脱がせた。
 それだけかと思ったら、自分も脱いで裸になってしまった。
「着てると濡れるから」
 少し頬を赤らめてそう言うと、セリはすぐに微笑んだ。
「共同浴場に入るようなものよ、ね」
「……ええ」
 私はうなずいたけれど、セリの女らしいふっくらした裸を見て、小さく唾を飲み込んでしまった。気づかれたかもしれない。
 互いに生まれたままの姿で――といっても私は手足のクッション付きだけど――抱き上げられて、流れに浸された。私にとっては、セリの温かい素肌の感触を当てられ、続いて冷たい水に浸される、という体験になった。その落差の大きさに、思わず悲鳴が出た。
「きゃっ……」
「考えたらわたしも久しぶりだわ。せっかくだから全部洗うわね……」
 セリは私を、底が砂利になった浅瀬に横たえて、髪から顔から体まで、傷以外の場所をくまなく洗った。それから私を岸に上げると、自分も頭まで浸かってよく髪をすすいだ。
 裸のままでそれを眺めていた私は、どきどきしっ放しだった。遭難してからずっと忘れていたセリへの気持ちを、いっぺんに思い出してしまった。
 水浴びを終わって、セリが戻ってくると、私は赤い顔で黙りこんでいた。自分のあれ――股間の男のもの――が、八割がた大きくなって、ごろりとおなかに出ていたから。さりげなく手を重ねて隠したけど、その隠す仕草で、欲情してしまったのが丸わかりだった。 セリは私のそれに、確かに目を留めた。いつもの彼女なら、冷たい目をしてなじってくるところだ。
「こんなところで、そんな風になるの? 真っ昼間の日の下よ。それにあなた、けが人なのに……」  
 ほら言われた。私は情けなくて、また萎縮しかけた。
 するとセリが苦笑を浮かべて、服を着もせずに、裸のまま私に寄り添った。
「ごめんなさい、ついくせで。謝るわ」
「セリ……?」
「仕方ないわよね、あなたはカピスタなんだし、ずっとしていなかったんだから。いいのよ、おびえないで。どうしてほしいか言って?」
 セリが優しい。演技でなく、本当にやさしい。洗ったばかりのつやつやした頬と乳房を、私にそっと押しつけてくる。濡れた肌はひんやり冷たいけれど、その奥に大きな温かみがあって心地いい。
 飢えがどっと沸いてきて、私はセリに抱きつきそうになった。思わず地面に足を踏ん張ってしまって、痛みにびくっと動きを止める。
「あっ、つう……」
 ちらりと足に目をやったセリが、ささやいた。
「落ち着いて、あなたからしてくれるのは、まだ無理よ。してほしいことを、言うの」
「さ、触りたいの……さわらせて、セリにさわらせて。ぴったりくっついて、ぎゅうーってしたい」
「ん、わかった」
 セリが草の斜面に足を伸ばして座り、私を抱き上げて膝に横抱きした。この姿勢。私は急にほこりの匂いを思い出す。学院の奥の人気のない演習器具庫。みんなと別れて二人きりになって、セリの膝にちょこんと乗せてもらった。
「あは、懐かしい。前にもしてあげたわね……」
 言いながらセリが私の背中を支えて、あのときみたいにぎゅっと胸に抱き寄せてくれた。セリのたっぷりしたおっぱいが、あの時とは違ってじかに私の胸と押し合い、ふんわり潰れた。
 柔らかな娘の肌の感触に、吸い上げられるみたいに衝動が高まった。私は下腹のものをあっという間に硬くしてしまい、不便な両腕でセリの首に抱きついた。
「セリ、セリぃ……!」
 首筋を吸いながら、銀髪の中へ潜るようにして顔をこすり付ける。セリがぞくぞくと肌を震わせながら、私の力の足りない分を補うように、背中の左手でぎゅっと力強く抱いてくれた。
「うん、うん。くっついていいわよ。切ないのね……?」
 言いながら、私の下腹に右手を入れて、包んでくれた。
「ひんっ……!」
 目から火花が出るような快感を覚えて、私は腰をびくつかせる。セリの手は、もう言うまでもないけれど私が最初に知った他人の肌で、私のことを知り尽くしている手だった。
 がちがちの筒になった敏感な上のほうも、うずいて溜まらない根元も、その下のぬかるんだ合わせ目も、全部いっぺんにセリは触れてくれた、五本の指をするりと忍び込ませて。
 親指できゅちきゅちと細かくしごきながら、下半分の指をやわやわとうごめかせる。当てる場所も力加減も速さも、私自身よりうまいぐらいだった。ましてこのときは、セリ、奉仕の気持ちが強すぎて、一時的に壊れていた。
「ヒオリ、感じてっ♪」
 言いながら私の肩を甘噛みして、舐めたのだ。
「くんんんっ、んうううっ、んんっ!」
 私はしっかりとセリを抱いて抱かれながら、溜まっていたものを思うさま撃ちだした。私の中心を快感の針が駆け抜けて、先端からびゅるびゅると大気の中へ出ていく。緑の下生えに、せせらぎのきらめきの中に、生白いぬめりの紐がひらひらと飛びちる。
 セリはすべてわかっていて、私が何も考えなくて済むように――何も考えられないぐらい上手に――しぼり出してくれた。その優しい手に、硬いものだけじゃなくて魂まで任せた気分で、何度も何度も射出を繰り返した。
「くふ……こんなにお尻をぶるぶるさせて、まき散らしちゃって。ケガをしてても溜まるものは溜まるのね」
 セリが熱っぽい口調でささやく。言葉面はいつものように皮肉っぽいけど、私にはわかる、セリはとても喜んでいる。
「そうね、あなたはカピスタだった。こういうこともしてあげなければ、本当の奉仕とは言えないわね」
「そ、そうよ……こういうことも、んくっ、ちゃんとしてね、セリ……」
 私は荒い息をついて言った。かろうじて命令調で言いはしたけれど、その実セリの体に子供みたいにしがみついていたし、愛撫が気持ちよすぎてお尻のほうまでぶるぶる震えていた。命令できるような姿じゃなかった。

 命令しているつもりなのに、そうでなくなってしまう――そんな些細なずれは、やっぱり体の世話をしてもらうときに起きた。
「セリ、顔ふいて。顔、泥が」
「セリ、川――川、お願い」
「セリ、その……口、なんとかならないかしら」
 自分の体の始末を自分でつけられないというのは、どう頑張ってみても、偉ぶるのは難しかった。といっても、私たちが一番神経質になっている手洗いのことについては、まだ問題らしい形にはならなかった。それはデリケートすぎて口にもできなかった。私が催したら、二人とも意識に蓋をして、沢へ降り淡々と必要なことをする、という形で続いていた。
 だから私が最初に、その新しい奇妙なかたちに踏み込んだのは、「口」のことからだった。
「口?」
 午後の手仕事をしていたセリが、不思議そうに振り向いた。私は顔を赤らめてうなずく。口がどうしたの、とセリは言う。
「口が、ね。いやなの。ゆすぐだけじゃ。セリは多分、自分で綺麗にしてるわよね」
「……ああ」
 納得したようにセリはうなずいた。私はそれ以上続ける気にもなれずに、うつむいた。
「口も綺麗にしてほしいっていうのね」
 セリが言ったけど、私はちらりと目をやっただけ。セリもやりづらそうな顔をしていた。無理もないと思う。――端的に言って、どんなに仲がよくても、こんなことを頼んだり頼まれたりするのは気分がいいわけがない。 
 けれどセリは、ここへ来る前とは変わってしまっていて、この厄介な問題にも、じきに解決を見つけてくれた。
 太紐ぐらいの小枝を叩いて一端をほぐし、筆のようにする。それを手に私のそばに来て、髪をなでながら言った。
「ヒオリ、子供のころを覚えてる?」
「どんなこと?」
「まだ小さかったころ、お母さんから初めて歯の磨き方を教わったときのこと。最初はうまくできなかったでしょう?」
「私の母はそんなことしてくれなかったけど……うん、乳母のグラに教わったわ」
「あら、乳母なんかいたの。いいわ、そのときのことを思い出して――その時にかえったと思って。ヒオリ、きちんとおくちをきれいにできた? ちゃんと歯磨きしないと、わるい虫がついて、歯に穴をあけてしまうわ……」
「う、うん……」
 なんとなくセリの狙いがわかって、私は素直にうなずいた。目を閉じて、こくこくとうなずく。
「私も、きれいにしてもらいたい……」
「してあげるわ。おくちをあーんと開けて」
 同い年のセリの声でそう言われても、なかなか踏ん切りがつかなかった。するとセリはこつんと額を当てて、ささやいた。
「恥ずかしがらないでね、ヒオリ。これは素敵なレディになるための、だいじなだいじなことよ……?」
 セリの声にもほんの少し照れがある。演技に酔える性格じゃないから、かなり無理しているんだと思う。きっと私よりも。
 そんなに頑張ってくれてるのに、私が合わせないわけにはいかない。――子供になったつもりで、私はこたえた。
「ん、ああん……」
 口を開ける。すると、「いい子ね……」と言いながらセリが唇を押さえて、濡らした即席のブラシを入れてきた。丁寧に手早く、歯を磨いていってくれる。変にふざけたり手間取ったりしないところは、さすがセリだと思った。安心感がある。
「これぐらいかな……ヒオリ、いたくなかった?」
「んんう」
「そう。じゃあゆすぎましょうね。ぶくぶくして……」
 水を注がれる。私は口をゆすいで、そそくさと横へ吐き捨てた。
 けれどそうしたあと、なかなか目が開けられなかった。
「どうしたの? ヒオリ」
「ん……ううん」
「恥ずかしかった? 大丈夫よ、すっかりきれいになったからね。さ、目を開けて?」
 私はおずおずと目を開けた。セリが――セリなのに――駆け出しの乳母さんみたいにはにかんで、くすりと笑った。
「よくできたわ、偉かったわね?」
「ん……ありがと……」
 そこで私もいっしょに笑っていれば、ひょっとしてこの新しい奇妙なかたちはきれいに流れさって、元に戻ったのかもしれない。
 でも私は笑い飛ばせなかった。優しいセリはとても素敵だった。胸が騒いで、今までとはぜんぜん別のかたちで、ひきつけられるような気がした。
 その気持ちは収まらず、それどころかだんだん強くなった。夜になり、セリが見回りを終えて戻ってきた時に、私は思い切って、言ってみた。
「セリ、あの、あのね?」
「ん、なあに?」
「髪、すいてほしいな……」
「昼間にやったでしょう?」
 言いながらもセリはいやじゃなさそうだった。私は首をふって、くり返してみた。
「髪にしてもらうのが、いいの。ね、おねがい……?」
 セリが小さく息を吐いてベッドへやってきた。足を開いて、片方の腿を枕代わりに、私の頭を乗せる。
「仕方ないわね……」
 前に作っていた手製の櫛で、私の髪を梳いてくれた。さらさらと、長く、何度も。セリの太腿ははずむような弾力がある。その上でくすぐるように髪を梳かれて、私は夢みたいな気持ちになった。
「セリ……きもちいい……」
「ヒオリの髪、軽くてほんとにすてきね……さ、うつぶせになって」
 不便な手足をもぞつかせて、私は腹ばいになる。と、セリの太腿に頬ずりする形になってしまった。森にあるどんなものよりもすべすべで、柔らかくいい匂いのするセリの素脚……広葉の服の裾はサージの制服と同じ程度にひらひらだから、奥のほうも簡単に見えてしまう。
 私は、甘い期待に胸をわくわくさせながら、たゆたゆの太腿にキスと頬ずりをくり返す。
「ん……くふんん……セリ、セリぃ……」
「こら……ヒオリぃ……髪を梳くんじゃなかったの……?」
 くすぐったがりながらも、セリは長い後ろ髪を、するり、するりと梳いてくれる。
 頭の皮膚を、セリの指と硬い櫛先が流れていくのが、ため息が出るほど心地いい。
「うん、髪、かみぃ……きもちちいいよ……」
 私は安堵と快感にひたって、たとえでなく、ため息をくり返す。はぁぁ……はぁぁ……と胸を上下させる。
 下のほうは大きくなってしまい、ベッドにこすり付ける。セリの肌に触れてしまったからには、そうせずにはいられない。もぞもぞと腰を小さく揺する。
 セリが手を止めて、小さく笑った。
「ヒオリ……催した?」
「はぁぁ……え、なぁに……?」
「――おちんちん、かたくなっちゃった?」
「……んむ……」
 返事の代わりに、私は白い太腿に長くつよくキスをする。セリの体への渇望で、またあの、動物みたいな気持ちになってきた。おなかの下のものはおへそに届くぐらい太く充血して、うつ伏せになっているのが苦しいほど。
 セリが櫛を止めて黙ってしまった。「……?」と私が見上げると、セリは目を細めてとろけそうにやさしい顔になっていて、手を伸ばして私の背中をさあーっと撫でた。
「ひひん……っ♪」
 私は心地よさに背をそらす。セリにさわられるのが、もう本当に、体のどこでもきもちよくなってきた気がする。
「ねぇ、ヒオリ? ヒオリは今、してほしいこと、あるわよね?」
「うん、くんっ」
 私は顔を上げて、素直にうなずく。セリはにっこりうなずき返して、私の頭をなでる。
「どんなこと、してほしいの?」
「セリに……」セリにたくさんさわりたい、でもそれは「してほしい」じゃない。私はちょっと困ってしまう。興奮して、言葉がうまく出てこない。
「セリに、セリにね、ぺろぺろしたいの。セリぃ……」
 言葉の代わりに気持ちを出したくて、私はセリの足にちゅむちゅむと口付けをくり返す。セリはまたうなずいて、ゆっくり言った。
「わかるわ、ヒオリは、こうしてほしいのよね。わたしに……」
 言いながらセリは、少し向きを変えた。横の岩壁にもたれて、足を開いて、腰をつきあげ気味にする。
 セリの白い太もものあいだ、短い葉のスカートのかげの中が、よく見えた。制服をぬいだときから、ショーツははいてない。
「さあヒオリ、それから? わたしは何をすればいいの?」
「う、うごかないでっ♪」
 私はいも虫みたいにはっていって、セリの大事ないやらしいところに、唇を押し当てた。
 セリがあまい声を上げて、腰をびくつかせた。何度も何度もびくびくして、またをすっかり開ききって、お尻のほうまで私にむかって開いた。セリがふだん隠しているそこは、ほんとうはどこよりもやわらかくて弱くて、きれいにうっすらと色がついていて、鼻の奥にしみてくるおいしい匂いと味がする。そして私は、手も足もつかえないけれど、セリのそこをよろこばせて上げられる道具、舌とくちびるだけは、前と同じように上手に好きなだけ、動かすことができた。
「んむ、くむ、くふ……」くちゅ、くぷ、てろてろぉ……と私は舌をのばし、唇ではさんで、転がした。セリは私の頭をおさえて、泣くみたいに首をふりながら、すてきな声をたくさん振りまいた。
「あぐ、ん、んん、ヒオリぃ……♪」
 前に船の中で、セリが起きていればいいのにと思いながらなめ回した、女の子の穴のおく。思いきり舌を入れてこねてあげたら、セリがかんだかい声を上げて、すごい力で私の頭をだいた。指と太ももの筋がぎゅーっと引きつって、舌のまわりが勝手にひくひく動いていた。セリが目いっぱい、気持ちよさを味わっているのがわかった。
 前にはできなかったけど、今度こそセリが私のお口のおかげで、いってくれた。私はうなじがぞわぞわするぐらいうれしくて、自分の腰もベッドにぐいぐい押しつけた。このままいっしょに行くつもりだった。
「ヒオリっ……待ってっ……」
 引きつっていたはずのセリが、あわてた感じでそう言ったから、私は口を止めて少しだけ動きをがまんした。するとセリは、仕上げのつもりみたいにきゅーっと肩を細めてびくびくとふるえると、はあっと一息ついてから、いきなり起き上がった。
「わ」
「ヒオリ、あなた、もうっ……」
 私の横へ回って、上手にごろんとあお向けにする。私はちょっとうろたえる。そり返って、すっかり皮がむけておへそまで届きそうになったもの、いきなりセリに見られてしまったから。でも半回転で髪が顔にかかってしまって、よく見えないし起きられない。
「あっ、あの、セリっ」
「わたしがしてあげるって、言ったでしょ? あんなに気持ちよくしてくれたら、だめじゃない……♪」
 言いながらセリが、またがった。私のあれが、つまんでまっすぐに立たされる、セリが腰をさげる――。
 ぬむっとやわらかくてきついくぼみに当たったと思ったとたんに、ぐいいと体重をかけて、セリが無理やり一気に座りこんだ。
 ずぷん! とセリのお尻が私の足のつけねにぶつかった。気持ちのいいひだでいっぱいの、私のことを大好きなセリのおなかが、ほっこりあったかく包んでくれた。
「きひぃんっ――!」「まだだめっ!」
 あんまり気持ちよすぎて舌が出てしまった。手も足も、何も握れないから仕方なく、びんといっぱいに伸ばす。それ以上一びょうもがまんできない気分だったのに、セリは津波みたいにどさりと私にかぶさって、私がいちばん欲しかった柔らかさ重さ甘い匂い、おいしい体全部を押しつけたうえ、私の髪をはらって首をだいて、強くつよくキスしながら、おなかの奥を思いっきり、嬉しくてたまらないみたいにきゅううううっとしめあげてきた。
 いって、ヒオリ……!
 セリの舌が、そう動いた。
「ん〜〜〜っ!!」
 私、いっぺんに破裂してしまった、腕を引きつらせてお尻にぐいぐい力いれて。手でしごくのでさえあんなに上手なセリが、体いっぱいに好き好きって言いながらおちんちん呑んでくれたんだもの、出るものぜんぶ出ちゃうに決まってた。とろとろがびっくりするぐらい何度もセリの中へ飛び出した。ひざとひざを力いっぱい、ぐぅぅーっと押し合わせた。だってそうでもしないと、とにかく強く射精したくて、足のうらをベットにつけてしまいそうだった。
「ヒオリヒオリっ、何これなんなのっ? すっ、すごい量っ……♪」
 セリが、あのすてきな髪をさわさわ押しつけながら、口をはくはくさせてそんなこと言うから。私ますます止まらなくて、気持ちよさで死ぬかもって思いながら、しっかり抱きしめてくれたセリのおなかのおくへ、ふんすいみたいにびゅうびゅうぶつけた。
「んっ……んっ……んんんうっ……♪」
 しばらく何も見えなかったから、目もどうにかなっていたんだと思う。それがゆるゆると戻って、ものが見えてくると、セリはあのいつも冷たい青い目を、うれしさで溶けちゃったみたいに湿らせて、なんどもなんどもキスしながら、お礼よりももっと甘いことば、私にくりかえしていた。
「ヒオリ、すてき、ヒオリ、えらいわ、ヒオリ、ひどいケガをしてるのに、あんなにすごいことができるのね……!」
 はちみつみたいな甘いささやきが、頭の中にたっぷりとたまっていく。

   ‡ 
 
 前には、私が命令してたけど、私がしてほしいと思うことなんか、セリはすぐ、のみこんでしまった。ご飯も、お出かけも、ややこしく言わなくても、やってくれるようになった。
「セリ、おなかへった」
「セリ、虫、むしぃ!」
「セリ、海がみたいな」
 私がおねがいすると、セリはだめよって言うこともあるけれど、たいていはにっこり笑って、いいわって言った。
 空がよくはれておてんきのいい日、セリはおさんぽよって言って、私をおんぶして、山へのぼった。私はねてばかりだったから、ちょっとしんぱいになって、「おもくない?」って聞いたら、セリは首をふって、「ヒオリは子ねこみたいにかるいわ」って言った。
 セリの背中はあったかくて安心して、私はうとうといねむりした。
「見て、ヒオリ」
 セリが言ったから目をあけたら、とてもたかい山で、大きなうみが見えた。
「わあ」 
 私は岩にすわって、うみを見た。セリは待っててねっていってどこか行った。
 前のほうはあのいやなトゲの生き物のいるしょうこで、その向こうは大きなうみで、青くて、ずーっと遠くまであった。よこを見たらよこもうみで、何もなかった。まっしろな雲がいくつもいくつも兵たいみたいに並んで、すてきな景色だった。ずっと森の中にいたからうみと空が見えてすてきだった。
 セリに言おうとしたらセリはいなくて、待ったけどこなかったから、しんぱいになった。私は足がいたくてクッションをつけてるから、自分であるけないから、こわくなった。
「セリー! セリー!」
 大ごえでよんだらセリが来て、セリは木のえだやはっぱをたくさんしばって、かついでいた。ごめんなさいって言って岩の向こうへいった。私が待っていたら、セリがまた来て、私を抱っこして岩の向こうへいった。木のえだやはっぱがたくさんつんであって、下のほうに岩で小さなへやが作ってあった。
「そのへやはなに? セリ」
「ここに火種を埋けて、上の枝や何かを乾かして、いつでも点火できるようにしてあるのよ」
「てんか?」
「燃やすのよ、盛大に」
「たき火をするの?」
「そうよ、大きな焚き火をたくの。これだけあれば水平線の向こうからでも見えるわ」
「どうしてたき火をたくの?」
「どうしてだと思う?」
 セリは私をためすみたいに言う。――がんばって、考えれば、そんなことは私にだってわかる。私たちはそうなんしているんだから。船からおちて、流れついたんだから。
「助けをよぶためでしょう」
「そうよ、よくわかったわね。えらいわ、ヒオリ」
 セリが目をほそめて、すりすりって、いっぱい頬ずりしてくれる。んふー、と私はうれしくてわらう。
「助けは必ず来るわ。来るはずよ、弾道官は国王の名代なんだもの。探しもしないなんてことは決してないわ」
 セリはそう言って、とおくをながめてから、私をみる。私は、セリの顔をみて、なんでそんなことを言うのかなと思う。
 セリは私と、そういう話をしたいのかな。私、考えてへんじをしなくちゃいけないのかな。
 そうしたら、セリはふっと楽しくなさそうになった。
「話したくないのね? ――ううん、わたしがそう思ってるってことか」
 私はセリに楽しい顔をしてほしいから、クッションの手でセリの顔にさわって、なでなでした。
「セリ、いいよ。話したかったら、話すよ」
「いえ……もう下りましょう」
 セリは私をおろして、おんぶしなおして、山からおりた。私もそこはいやな気分だったから、おりてよかった。
 おんぶのとき、セリの髪はじゃまだから前にふりだしてるけど、歩いてるとそれがゆっさゆっさって来て、私の顔にかかった。セリはいつもミントみたいなひんやりした匂いがして、とてもいい匂いだから、私は大好き。セリの頭に顔を入れて、くんくん、くんくんってして、すりすりする。私がそうすると、セリははずかしそうに、あなたはほんと好きねっていうから、そんなセリはすごくかわいいから、私はもっとくんくんする。
「食事にしましょうか」
 小屋はとおいから、とちゅうでセリが止まって私は草におりた。セリは探しにいって、すぐ戻ってきて、オレンジ色の実を持っていた。それは前にけものが食べていたやつだからどくはないわとセリが言って、水でぎゅっぎゅっとあらって、ガリッとかんだ。甘ずっぱいいい匂いがしたから、私はちょうだいと言った。
「待ってね」
「ちょうだい、セリ、それちょうだい……」
「ん、ん」
 もぐもぐかんでいたセリが、オレンジの実をおいて、私の頭をぎゅっとおさえて、キスした。セリがよくかんだ木の実がじゅるじゅる入ってきて、セリが舌をにゅるっと入れて、ぐるぐるかき回して、舌をいっぱいうごかした。
「んっ、くふっ、んっ、んんんーっ……!」
 口の中で、木の実とセリのだえきと私のがまじってどろどろになって、すごく甘くて私はごくっとのみこんで、セリがはなしてくれなくて、ずっとセリと舌をぬるぬるなめあった。
 ずっとなめて口の中に木の実がなくなったらセリが顔をはなした。私がやっと息ができてはーはーいっていたらセリはまた木の実をしゃくしゃくかんで、ぐいっと私をつかまえて食べさせた。私は息ができなかったけど、セリは大好きだから、何度されても、うれしくて、もっともっとってセリをひっぱった。
 それでけっきょくセリは、木の実をみっつもそうやって私にくれたから、その半分ぐらいはセリのだえきで、私はセリにおなかの中までなめられたみたいな気分になって、すごくむらむらして、起きれなかった。
 それでセリにしたいしたいっておねがいしたけど、朝したばっかりだからセリはしてくれなくて、もうちょっとがまんしたほうが気持ちいいわって言った。それもそうだと思ったから私はがまんした。
 それでセリはあんなに私をどろどろにしたのに、自分はよだれもぜんぜんこぼしていなくて、きれいなままだからすごいと思った。
 けれどもまたセリにおんぶされて下りてるとき、セリのい匂いと背中があったかくてよかったから、おんぶされながらかたくなって、がまんできなくなって、しゃせいしてしまった。セリはびっくりして少しおこって、そんなにがまんできなかったら出す前に言ってって言った。
 出すのはセリにおねがいするっていう約束だから、約束をやぶった私がわるくて、少ししょんぼりした。でも私はカピスタだからしばらくするとすぐまたしたくなって、がまんした。
 せいふくとショーツは大事にとってあるから、私はうすい葉っぱのふくしか着ていなくて、かたくなるとすぐわかっちゃうからはずかしかった。だからそうなってくると、なるべくかくそうとしたけど、かくす顔がセリに見つかるとすぐわかっちゃって、いいのよって言われた。ここではだれもいないからそんなあなたでいいのよって言われた。
 でも私はそんなのどうどうと出すのはいやだったからかくした。でもセリがいるとがまんできなくなって出しちゃった。
 セリは強くて、どんどんやさしくきれいになってくみたいだった。私がおねがいしたり、しょんぼりしたり、笑ったりするたびに、うれしそうにニコッとしたりぶるぶるふるえたりして、私をぎゅっとした。そして私にキスしたり、ふくをぬがせて見たりした。
 そんなセリも私も、昼間はキスをするぐらいだったけど、夜に歯をみがいて、小屋でねるころになると、私はもうがまんしなくていいんだってうれしくなったし、セリもうれしそうになった。セリははだかで私のよこにぴったりそいねして、私のかみをなでながら、やさしく言った。
「さ、ヒオリ。ぺろぺろの時間よ。今夜はどうしたいの……?」
「ええとね、ええとね、セリに、んんっと……!」
 セリにそんなふうに言われるとがまんできなくて、言葉もうまく出ない。りょう手をあげながらひじで動いて、セリの上にぼふんと乗っかっちゃう。セリのゆさゆさのおっぱいとか、むっちりしたおしりや足とか、ぜんぶ大好き。くんくんしながらセリをなめ回す。
「くぅん、くぅん、セリ、セリぃぃ……」
「ああ、ヒオリ、せっかちなヒオリっ。ほんとにしたがりなんだからぁ♪」
 私はセリの匂いが大好きだから、首とかわきとかをくんくんしていっぱいなめる。セリはまっかになっていやいやをして、そういうところはだめっと私を押そうとするけど、私はセリの太ももにおちんちんをおしつけてぐりぐりして、とちゅうでびゅっと出てべたべたにしてしまっても、まだぐりぐりする。そうするとセリは体じゅうぞくんぞくんふるえて、もう何してもだめって言わなくなるから、私はよろこんでもっともっとする。
 それで、今までしらなかったけどセリは私のせい液が大好きだった。ぐったりしちゃったセリのおっぱいがとてもやわらかくて、めちゃくちゃにしたかったからおっぱいにまたがっておちんちんをむにむにこすりつけていたら、セリが気づいて、おちんちんを食べた。それでしゃせいしたら、おっぱいにも顔にもびちゃびちゃとんじゃったけど、セリはぜんぶ指ですくって、飲んじゃった。
「毎晩毎晩、なんでこんなに出るのよ、ヒオリ……」
 そうやってセリはうれしそうにぬるぬるの指を一本ずつおしゃぶりしていた。それを見ていたらまたまた私はどきどきして、セリのおまんこに入れたくなったけど、おなかにまたがりかけたら、セリが「あっ」と私をつきとばした。私はごろんとベッドから落ちた。手のひらで地面をおして、「いたぁっ!」と私は言って、泣いちゃった。 
「あっ……ヒオリ、ごめんなさい! 大丈夫……?」
 すぐにセリが起こしてくれて、なでてくれたから、すぐにいたくなくなった。
 セリとはだかですりすりしていっぱい出したあとは、すごくしあわせになって、ふわふわ飛びそうにしあわせになって、セリにぴったりくっついて、キスしながらにこにこした。
「ねえ、セリ、ねぇー……?」
「なあに?」
「セリ大好き。だぁーい好きよぉ♪」
「……んふ、わたしもよ、ヒオリ」
「私もすごぉーく……」と言いかけて、おちんちんがむずむずしたから、そのことを言った。「セリ、おしっこ」
「あら……はいはい」
 川へいくまえに、セリは自分と私をシダできれいにふいた。セリはいつもほんとにしっかりしてて、すごかった。
 それから私をだっこしてゆっくり川におりて、しーしーしてくれた。
「はい、ヒオリ……」「んっ、きゅう……」
 セリがりょう手でぎゅっとしてくれるから、私は力も入れなくっていい。息をぬいてふーふーいっているだけで、おなかの中身がするする出ていって、すっきりした。
「おわった」「もういい?」
「……ひゃんっ」
 つめたい水におしりがつかって、私は声をだした。そっちのほうがきれいになるから、セリはシダをつかうのをやめて、水であらうようになった。
 きれいにしてもらって、また小屋へもどった。抱っこではこんでもらっているとき、私はまたほっさみたいにセリが好きになって、ぎゅうっとつよく抱きついた。
「セリ……好きだよぅ、かえりたくない……」
「わたしもよ。気持ちはね」
 セリがとてもやさしく背中をなでてくれた。
 小屋にもどって、ふたりでまるくなって、とてもしあわせな気もちで、すごくしんぱいな気もちで、ねた。

 
「んふ、んふ、セリ、んむぅ……」
 おひさま、ぽかぽか。
 くさ、ふわふわ。
 ごろんごろん。きもちいい。ごろん。
 むしさん、ぴょんぴょん。あはは。
「ヒオリ、ご飯はもういい?」
 セリ、やさしい。来た、ぐいっ。
 だっこ、なでなで。手、さわさわ。
「んふふっ。セリ、んふふっ」
「ごきげんね。おなかいっぱいなのね」
「んーんー……」
 むにむに、おっきい。ふわふわ、ミルク、ほしい。
「え、なあに? おっぱい?」
「んー♪」
「……いいわ、待ってね。今なら多分……」
 セリ、はだか。しろい、きれい……ふんわり、ぷにっ。
「あー、あー♪ んっんっ、んうー……」
「こら、遊ばないの。ちゅっとして……ほら、ちゅうちゅう」
「んむ。ちゅっちゅっ……」
「んっ……あ、やっぱり……」
 じわじわ、ぴゅっぴゅ。セリの、おいしい……。
「よしよし……ヒオリの甘えん坊さん……」
 こくこく、こくこく。
「……はい、ここまで」
「んあー、おっぱい……」
「だぁめ、今日はこれだけ。だめ、出ないってば、初めてなんだから……」
 ごろん。ああん、セリ、いっちゃう。
 まってまって……。
「偵察、出てくるわ。いい子にしててね」
「んーうー……」
「火にさわっちゃだめよ」
 たたっ、ぴょーん……セリ、はやい。すごい……。
 うー。
 んーあー、おなかいっぱい、ねむねむ……。
 ……。
 ……んー? ぶらぶら……。
 手……くしゃくしゃ、とれた。
 いたく……ない?
 わあ、手のひら、なおった。
 ゆび、うごく……?
 わきわき。うにうに。
「……あはっ、あははっ」
 手、なおった……うれしい。
 あしは……わかんない、くしゃくしゃとれない。
 ぐいぐい、ぐっぐっ……ずりずり、ずり。
 とれない。
 あし、わかんない。……セリはとれる。
 セリに、おねがい。
「あははっ」
 セリ、にっこり。手も、あしも、すりすり。
 うふふっ。たのしみ、うふふっ。
 まだかな……。
「だー……んー……」
 ……。
 セリ、くる……?
 まだ……?
「んーんーっ、あっばぁー……」
 んー……うとうと……。
 ガサガサばたばた、ずでんっ! うああっ!?
「セリ? セリ!?」
「ヒオリ、ごめんっ! しくじったわ、五十フィートぐらい落ちた――」
 セリ、あかい! はんぶんまっか、血、これ血っ、大けが!
「ガレ場で浮き石を踏んで……左足がやばそう。わかる? 意味わかる!? ヒオリ、お願いしっかりして、終わりよ! 元にもどって!!」
 終わり? 何が? ああ、これが? 今までのこれが?
「んあ……あー! あーあー、たー――」ごつんっ
 しっかりしろ私ッ!
 木のからだ、幹、に頭わざとぶつけて、私ぶるぶるっ。セリに這いよって、手、まだ力が入らない。これ何、非常事態、戻れ、しょうきにもどれ、思い出せ、言葉、思考、行動、セリを助ける方法!
「せ、せり、みせて、きずみせてっ、ほっ、骨やられた? し、止血は?」
「やれる? ヒオリまだ覚えてる? あ、あなたその手――」
「な、治った、セリのおかげで、治ったわ! ケガを診せて!」
 私は両手をさしだす。ぜつぼうしかけていたセリの顔に光が差す。ごろん、と向きを変えて伸ばした足の、そのひどい曲がり方! 私は血の気が引く。こんな状態で、よく歩いて戻ってこれたものだ。
 自分の手が頼りない。治ったように見えても、手首から先は、まだ木のひしゃくみたいだ。ふわふわとほんの少し曲がるだけ、力なんか入らない、セリを支えるなんて冗談じゃない。 
 でもだからって、できないなんて言えやしない。たとえ本当にできなくても、今からはそんなことを口にするのは許されない。
 セリが倒れて、私が生存の使命を負ったということは、生きて艦へ帰る義務も、私の肩に戻ってきたということだ。
 生きて艦に帰り、ネリド王庁の法意を表し、蛮夷制圧の任にあたる――私の、制圧弾道官の勤めが、また始まったんだ。

 一日目は大変だった。傷口を水で洗い、ツタを帯の代わりにして添え木をするだけのことに、ほぼ日暮れまでかかった。私は疲れ果てた。痛みで弱気になったセリが、弱気になってもまだ保護者のつもりが抜けず、大丈夫なの、ごめんなさいと心配そうな声をかけてくるから、こっちまで不安になった。
 それでどうしたらいいか考えた。セリが倒れた以上、私が二人分の面倒を見なくちゃいけない。面倒を見るには手足が使えなければいけない。手足のケガは治ったみたいだけどすっかり萎えてしまっている。萎えたものを治すには、思い切って動かして叩いて鍛えるしかない。けれども小屋の床に転がっているだけじゃ動かしたり叩いたりできない――。
「セリ、許してほしいの、お願い」
「なに?」
「今から二日、あなたを放っておく。二日たったら絶対帰ってくる。でも、そのあいだ何も面倒を見てあげられない。放りっぱなしにしなきゃいけない。――それを許して?」
「ど、どこへ行くの? だめよ、無茶はしないで!」
 不安に青ざめてすがりつくセリを、私は無理やり振り払った。
「ごめんね。明後日には、必ず帰ってくるからね」
「待って! ヒオリ、待って! 一人にしないで!」 
 セリの声に後ろ髪を引かれながら、私は外へと這いずっていった。
 そして沢を見下ろし、今まで降りることもできなかった斜面を、頭から転がり落ちた。

   ‡ 

「ねえ、セリ」
 まるでセリがお姫様であるかのように、背とひざを抱いて沢へと降りながら、私はやさしく言う。
 その斜面は三週間前に私が決死のつもりで転がり落ち、十九日前に全身すり傷だらけになりながらそれでも二本の足で歩き登った斜面だ。そして私が抱くセリは十九日前の薄暗い小屋で異臭に包まれ涙も枯れてぐったりと横たわり、十七日前まで生死の境をさまよい、二週間前には熱が引いて私に喜ばれたセリだ。ほとんど自動的にこの暮らしは、セリに愛されていた私の暮らしから、私に愛されるセリの暮らしになった。
 今では私もセリもすっかり馴染んだ。セリが私に口移しされる。セリが私に髪をすかれる。セリが私に情欲を処理されて誉められる。そしてセリが抱かれて沢へ運ばれる。ただセリのほうがだいぶ重い。
「ふぇ?」と私を見上げるセリは以前母親だったのと同じほど今は娘になった。それらはどっちも、そんな風にしたいという私たち二人の願望で形成された姿なのだから、素敵な母でいられたセリが、同じぐらい素敵な娘になることができたのは不思議でもなんでもない。
「セリはいま、この世の誰のことが、いちばん好き?」
「んむぅぅ……?」
 セリは片腕で私に抱きついて、もう片方の手の指をちゅくちゅくとしゃぶる。私を見あげる眼差しは赤ん坊のように澄んでいる。
 ふわぁ、と綿雲のように明るい笑みを広げて、セリは言った。
「ヒオリがすきぃ」
「いい子ね。……じゃあ、ずっと私とここで暮らす?」
「うんー」
 セリほどじゃないけど、私だって女にしては力のあるほうだ。――本物の女でないカピスタなんだから当たり前だけど。沢に下りると、いつもそのために使っている二つ組の石に足をついて、セリをしゃがみ抱きした。セリの、厚いハムみたいな持ち重りのする体を、押し潰すつもりで抱きしめてやりたい――と思うけれど、そういうわけにはいかない。私と違ってセリはそれを拒んだ。
「ヒオリ、ぎゅっとしないで、ぎゅっとしないでね……?」 
「ええ」
「んんっ……!」
 枠のように四角く構えた腕の中で、セリは私の手をつよく握って、自分でいきんだ。
 けれどもセリが抗うのはそのことだけで、用を済ませたあとはまた私に任せる。使えない左足に体重をかけないよう私にもたれて、節目がちの顔で「ふきふき、して……」とささやく。
 拭いてあげると、セリはいつも紅潮して震えた。私がそうしていたみたいに。
 そんな用足しの後では、私もすっかり高ぶってしまう。両性のカピスタとしての血が騒いで、セリの体にくまなく触れたくなり、服の上からわかるほど、前のものがすっかり腫れあがる。それは抱いているセリに当たるから、当然、彼女にも伝わる。セリが恥ずかしげに黙ってしまうから、伝わったとわかる。
 それをしたいと口に出して言うこともできるし、言わずに襲ってしまうこともできる。けがをして幼くなったセリ――それは普段の分厚い氷の仮面を外してしまった、素のセリだ――は、子ウサギみたいに弱い。押し倒して力ずくで貫いてしまっても、ただおとなしく受け入れるに決まっている。
 けれども私はそうしない。その場でも、小屋にもどってからも、待ってあげる。
 そっと放置しておくうちに、セリの情欲が温まって、あふれてくる。彼女に背を向けて手仕事をしていると、そのうちに「んっ、んっ……」と鼻声が聞こえてくる。振り向けばセリが体を丸めて股をまさぐっている。セリは体を広げて大げさにやるよりも、縮めて隠して内向きに高めるほうが好きみたいで、それはとてもつつましくて秘めやかで可愛い。
 そうなったらもう、セリがほしがっているのは明らかだ。私は彼女へ向き直って、優しく聞く。
「セリ、気持ちいいの、ほしい?」
「ん……ほしい。ヒオリ、きもちぃのちょうだい……」
 こちらを向いたセリが、両手を伸ばす。私は腕の間に入って、キスと愛撫を始める。
 広葉の服は薄くて伸びるので、セリの体の輪郭をはっきり表している。横寝したセリのまるい乳房が、重さで少し流れていることまでよくわかる。それを支えて撫で、じきに手を入れて穏やかにこねる。セリは舌を抜いて、もどかしげに首をふる。
「下、もう下に入れていいから……」
「あなたがしてほしいことをしてあげたいの。一番してほしいことを言って?」
「ここからいっぱい撃って」
 セリは即座に、私の硬いものを逆手に引いて、喉の奥からあえいだ。そうして背中を向けて、広葉のワンピースのすそから、息を呑むぐらいきれいなお尻を見せた。
 私は頭が煮え立ってしまいそうなぐらい興奮しながら、セリのすべすべのお尻の間の暗がりに、肌色の先端をしっかりと埋めこむ――セリが強く目を閉じてうつむく――中身がひくひくと動いて、今すぐにでも呑みこみたそうにとろける。
 でも、私は放たない。これまでいつもいつも、出すことだけに夢中になってきたけど、そうしない。
 セリの肩を抱いて背中にぴったり貼りつき、お尻に腰をすり合わせるみたいにして、ゆっくりと、とても気長に、こねていく。
 だって私のためにしているんじゃないから。これまで私を守ってくれたセリに、恩返しするためにするんだから。
 セリの冷たい髪をくわえて、かたい頭骨同士をころころとすり合わせて。
 首の下を片手で包んで、片手で内腿をぎっちり握りながら。
 ぬるり、ぬるりと、こねる。ひだ一枚のわずかなめくれを強調するみたいに小さく。はたから見てもほとんどわからないぐらいゆっくり。
 もちろんそれはとてつもなく気持ちいい。私はほとんど最初から剥け切ってセリの天井に届いてしまって、噴出のぎりぎり手前をたどり続けている。もどかしさで全身をかきむしりたいぐらいの気持ちになっている。
 でもそれ以上にセリのほうが高まっている。私の手を強く握って、とくとくと忙しく心臓を波打たせて、瀕死の人みたいにつらそうに、頭をのけぞらせてあえぐ。
「ヒオリ、ねえはやく、おねがいっ。ねえ、まだなの、ねえっ?」
 無事なほうの足でひっきりなしに、ずるっずるっとベッドを蹴って、お尻の谷間、締め付ける入り口のところをしきりにもぞつかせる。自分から腰を揺すっていってしまおうとする。それをさせないように、太腿をさらにがっちりと、指の間から肉がはじけそうなぐらい強くにぎる。
 だってそれがセリのためだから。
 セリにいちばん気持ちよくなってもらうための方法だから。
 口元をわななかせて、泣きそうになっているセリの耳の中へ、声を使わず息だけでささやく。
「ほしい? セリ、私のびゅくびゅく、ほしい?」
「ほしい、ほしいっ!」
「どこにほしいの、ここ?」
 腰を離して、浅瀬でくちくちとこじる。セリは銀髪をさやさやと鳴らしてあえぐ。
「そこ、そこでいいっ!」
「そこ『で』いい? いちばんじゃないんじゃないの?」
「いいからっ、はっ、早く、もう、もうっ」
「こっちのほうがいいんじゃない?」
 脂を塗りこめたみたいにぬるぬるになった内壁を押しわけて、奥へ。
 ぎゅ、と行き止まりに押し当てる。ものすごい衝動がこみあげて、私はぞわっと総毛立った。
 出したいっ……♪
「こ……こっちのほう、が、いいんじゃない……?」
「きゅんんっ……!」
「あ」
 セリが子猫みたいに甲高い鼻声をあげて、全身をぐんっとこわばらせた。のけぞった頭、腕をつかむ指、太腿のみっちりとした強い筋肉、そして下腹の内に、きゅうっ……きゅうっと……と震えが走る。
 一番を求めすぎてしまった――焦れたままのセリが、こらえられずに達してしまった。私は急いで、謝りながら追いかけた。
「セリごめんね、私も――!」
 ささやきながらわずかに腰をひねる。絶頂の髪一筋手前でがまんしていたから、越えるのはわけもなかった。
「んむぅっ……!」
 お尻を潰すつもりで、せき止めていたものを一気に撃ちあげる。びるびるっ、とものすごい濃さの稲妻が駆け出して、私も一瞬でまっしろになった。
「せへ、せりっ……!」
「ひおりぃぃっ……!」
 長く長く高めたのは、想像以上に効果があったみたい。自分でもびっくりするほど粘る感じの精液が、びゅっびゅっびゅっびゅっ、と絶え間なく飛び出した。爆発した気持ちよさに目がくらんで舌が出て、体が胎児みたいにくっくっと丸まった。
「んっんっあっふっふっ……」「んいいいっ……♪」
 セリの痙攣が、弱まらずにもっと強く長くなった。私の放出をすくい取って、うまくもっと高いところへいったみたい。
 間に合った……とぼんやり思った。
 ぶち当たって、真っ白になって、大波に揉まれたあと――カピスタの私は、わりと短い時間で潮が引く。荒くなった呼吸と鼓動と汗だけを残して、すみやかに鎮まる。
 そうなるとすぐに他のことをしたくなるのが、いつもの私なのだけど、もう、それもやめた。
 セリが大事だから。それにセリに触れていたいから。
 セリは達しつくして熱くなった体全体から、甘く涼しい残り香をにじみ出させて、じっと目を閉じている。ときおり小刻みに指先や一部の肉をひくつかせる。体中を駆け巡る余韻を、何度も何度もくり返し味わっているみたい。
 それを邪魔してはいけないから、私は息を抜かずに、そっと彼女とつながり続ける。 
 じゅうぶん時間がたって震えが鎮まると、セリは「ん……」とうなずいて、私の手にキスし始める。私もゆるゆると息を抜いてしぼむ。ほぼ離れかけていた股間も、セリが吐き出してくれるまで待つ。やがてセリがそうして、お尻を離した。
 私は自分の後始末にかかろうと思ったけれど、セリのほうが大変だということを思い出した。向こうをむいたままもぞもぞしているセリに、声をかける。
「セリ、私に任せて。ふきふきしてあげる」
 するとセリはちらっとこちらを見て、なぜかふるふると首を振った。
「いい……じぶんでする」
「何言ってるの。汚れちゃったでしょう? 私がきれいにしてあげるから……」
 するとまたセリは首をふって、聞き取れないぐらいの小声で言った。
「よごれてなんか、ない」
「そんなこと……」
「いいの」
 セリは片手を太腿の奥へやって、少し力んでから、くぼめた手のひらを口元へ持っていく、という仕草を何度か繰り返した。途中、ちらりとこちらに目をやったけれど、止めることなく続けて、ゆっくりと喉を鳴らした。
 そうして、丸めた手で口元を隠すようにして、ぴちゃぴちゃと舌の音を立てた。
 それだけのことをしてから、ようやくこちらへぐるりと向き直って、上目遣いに恥じらいながら言った。
「ヒオリの、ね。ずっと好きだった……」
「ずっとって……前から? 最初から?」
 こくんとうなずいたきり、セリは顔を上げなかった。一度は薄れた血の気が、また耳まで上がってきていた。
 それは、二人が前後を忘れている場では、何度か告白しあったことだ。――銀葉林の湖畔では、嫌なら拒むのよ、と言いながら私が押し当てたはしたないものを、セリはひとことの抗議もせず呑み込んだ。私のぶちまけたいやらしい汁を、じっと動かずに喉にまで受け入れてくれた。
 だから、本当は好いてくれてるんじゃないかな、と少しは期待していた。
 でも、まさか口に出して言ってくれるなんて思わなかった。
 私は恥じ入るセリを見つめる。赤くなっているセリは、本当に赤い。地が白いからだし、普段は完璧に自制しているから。今は何ひとつ隠さしていないんだって、ありありと伝わる。
 そんなセリを見ていると、以前とのあまりの変わりように、つかのま気が遠くなるような感覚さえ、覚えた。
 こんな、こんな幼児みたいにむき出しで無力になってしまったセリを連れて、これからどうしていけばいいの? とうてい、元の荒々しい世界へ戻れるなんて思えない。
 でもここにいれば……ここで二人きりで暮らすなら……そんなこと、心配しなくていい。
 私はセリを抱き寄せ、熱い顔に頬をすり寄せてあげながら、ささやく。
「ねえ、セリ……私たち、ずっとここにいようね?」
「ヒオリ……いいの?」
「いいわよ、もう。私セリのためなら、それでいい」
 セリはきっと喜んでくれるだろうって思った。
「ヒオリ……」 
 セリは私の胸に、きゅっとしがみついてきた。そして、ちょっと詰まるような声で言った。
「それは、ヒオリ……わたしとけっこんしてくれるってこと……?」
「え……結婚?」
「うん、わたしをおよめさんに……」
「そ、そんなこと――」否定しようとして、私は言葉を呑み込んだ。
 ここはネリドの土地でも、その一部とみなされる船の上でもない。だから共和国の夫婦をめあわせる司祭も公称人もいないけれど、逆にここなら――他に誰もいないここでなら、ネリドの法や慣習に縛られはしない。誰にも迷惑をかけない。文句も言われない。
 私たちがこの地の主人なんだから……二人きりの取り決めにだって、意味が生まれるって言えるかもしれない。
 私がセリと、結婚する? セリをお嫁さんにする?
 実現できるなんて思わなかったことが、ここでなら不可能でない気がしてきて、私は胸が高鳴り始めた。
「セリ……ほ、ほんとにそれでいいの?」
「ん……」
「女の――じゃないけど――私のお嫁さんになって、赤ちゃんを生んで、一生添い遂げてくれるの? 他の男を好きになったり、しない?」
「……ヒオリが、そうしてほしいなら」
 セリが胸元に顔を押しつける。私は嬉しさと、それを信じきれない気持ちで、軽く混乱してしまった。
 まさか女のセリと結婚するなんて……セリがそれでいいって言ってくれるなんて。
 これはほんとに現実なんだろうか。ううん、夢でもいい。こんなにそばにいてほしいと思った人は、セリしかいなかった。
 私はセリの頭を抱えなおして、大事な言葉が逃げていかないように、セリだけの耳元でささやいた。
「セリ、結婚して。私、あなたをお嫁さんにする……」
「じゃあ、ヒオリはわたしの……なにになるの?」
「私? 私は……」夫、っていうのは適当じゃない気がする。私たちは二人とも相手がいなければ生きていけない。一人ではだめ。セリが私の妻なら、私だってセリの。
「……私も、セリのお嫁さん」
 セリがぱちりと瞬きする。二人ともお嫁さんなんて不思議な関係は、思いつかなかったのかもしれない。
 なんでもいい、呼び名は大事じゃない。
「私はセリをいちばん大事にして離れない。セリもわたしをいちばん大事にしてそばにいる。それでいいよね?」
「ん……」
 セリが頬をばら色に染めて、深々とうなずいた。
 私は誓いの口付けをしようとして、それはもう何度もしてしまっているから、ちょっと物足りない、と感じた。
 だから左手の薬指を口元にあてて、思い切って噛み切った。
「つっ……」
 鋭い痛みと、赤いもの。――セリの口元に近づける。
「濡らして、セリ」
 唇に入れ、また引き出した。指の根元に真紅の輪ができた。それを見て、セリが納得したようにうなずいた。
 セリが同じように噛み切った指を、私は根元まで血で濡らして、この場限りの指輪を渡した。
「さあ、これで私はセリの、セリは私のお嫁さんよ」
「ヒオリ……」
 セリがもう一度、しっかりと抱きついてきた。そして、ひっひっと顔をゆがめてしゃくりあげ始めた。
「ヒオリ、ありがとう。わたしっ、もらってっ、くれて」
「それはこっちの台詞よ。私はきっと普通の結婚なんてできなかったし」
「ううん、そうじゃない、そうじゃないの。ヒオリがほんきだってわかったから、わたしうれしいの」
「あなただって本気でしょ?」
「ほんきだけど、ちがうの、ヒオリ、さっき言ったでしょ。さっき、およめさんになって、赤ちゃんを生んでって、言った。あれっ、本気? ねえ?」
「え、ええ……」私は少し照れくさい思いで、目を伏せる。
「だって、私はあなたといっぱいしてるし、これからもするでしょうし……そうしたら、きっとそうなっちゃうものね」
 うん、うん、とうなずいたセリが、つぶやくように言った。
「もう、いるの」
「……え?」
「赤ちゃん。ヒオリの赤ちゃん。わたしのここに」
 セリが私の手を取って、自分のおなかに当てた。
 私は一瞬、理解できずに混乱した。
「え、セリ? 何を言ってるの? さっきしたばかりじゃ……」
「さっきじゃない。銀葉林でよ」
「……あ」
「あのとき、ヒオリが当てちゃったの……!」
 セリのひとことで、一気に記憶が、三月近く前のあの夜に立ち返った。
 人界を外れた山奥、巨怪との大騒ぎのあと、ずぶ濡れで湖畔に飛び降りた。長い旅の終わりで、ずっと我慢していた。二人きりになるのは久しぶりで、すっかりたがが外れた。
 覚えてる。あの時、セリの口を犯しただけでは飽き足らずに、最後までした。
 嫌がって逃げようとしたセリを捕まえ、後ろから無理やりに。つながりたい一心で、甘い言葉をキャンディみたいにばらまいた。一度で済まずに前から後ろから、セリが放心してしまうまで犯し抜いた。
 嘘をついたわけじゃなくて、あのときの気持ちは本当だったけれど、あまり深く考えずにしてしまったのも事実だ。あんなに激しくしたんだから、できるに決まってる。私もちゃんと考えておくべきだった。
「そうなんだ、あのとき……?」
「……うん」
「来てないの? あれは」
「うん」
「なら、どうしてもっと早く――」
 言いかけて私は、いくつも兆候があったことに気づいた。セリはずっとおなかをかばっていたし、足を折る前は母乳まで出ていた。
「……私がケガしていたから?」
 セリはうなずく。私を心配してまくし立てたこともあったのに、いまは無言のままだ。
 自分のことは、内に溜める性格だから。
 それが理解できたとき、私も言葉をなくしてしまった。
 結局セリがいちばんつらかったんだ。大けがした私を抱えて、秘密を打ち明けることも出来なくて。しかもそのあと自分までけがをして。
 私は思わずぞっと身震いしてしまった。
「よく今まで無事で……!」
 一歩間違えばどんなに恐ろしいことになっていたか。私は心底怖くなって、今さらながら、セリの体を撫で回した。
 それからもう一度セリのおなかにそっと手を当てて、体温を伝え続けた。
「セリ、ありがと、おつかれさま。今まで一人で心細かったでしょう」
「ヒオリ……」
「今日からは、二人で育てようね」
 セリはもう言葉を忘れたみたいだった。
 ただ黙って、大粒の涙をぽろぽろと落とし続けた。

   ‡ 

 半月後、私たちの蜜月は終わった。
 その日の夜が明けると、いつの間にか三本マストの大型船が沖に投錨しているのが見えた。ネリド共和国銅色艦隊旗艦の軍艦旗がマストにはためいていた。
 その艦、「永遠の王威」号をもってしたところで、礁湖を囲む黒い環礁を越えるのは簡単ではないだろう、と私たちは思っていた。けれどもその予想はあっさり覆された。浜から見えない遠くのほうで、環礁は一部が切れており、そこから王威号のボートが入ってきたのだ。
 私たちが乗っていた「絶え間なき西風」号でさえ、カピスタの性質について理解があるわけじゃなかった。ましてや、王威号はなじみのない艦だ。もし、私とセリのことが知られたら、どう思われるかわかったものじゃない。私たちは最初、隠れてしまおうとさえした。
 けれども、ボートから砂浜に降り立った一隊を森の中から見たとたん、そんな決心が揺らいだ。
 男たちの中に、長身にサージのマントを羽織り、紺の髪の頭に白丸の皿型帽をかぶった女性がいた
「ヴィスマート弾道官……!」
 それは私たちの制圧弾道術の教官、ランドロミア女伯爵に間違いなかった。そばにはふさふさした茶の髪の小柄なキャディ、スワイニも見えた。薄くて軽そうな白のワンピース一枚の姿だ。
 私たちが知る二つの大陸と一つの大洋に、もし私たちの苦境を偏見なく理解してくれる人がいるとしたら、それはヴィスマート弾道官以外にありえない。そんな人がこの島に来てくれたのは、何かの奇跡としか思えなかった。 
 とはいえ、いくらヴィスマート弾道官でも、私とセリの体の悩みまで一瞬で解決してくれるわけがなかった。もとより、それを解決させるために彼女は私たちを航海へ送り出したのだから。助けるどころか、怒られても文句は言えない相手だった。
 でも相談相手としてはこの人しか考えられなかった。私はセリと話し合った末、弾道官にこっそり話しかけることにした。
 方法はあった。私たち、制圧弾道官にしか為しえない方法が。
 私はセリの作った長棍と、球に近い丸石を持って、艦と砂浜から死角になる森の奥のくぼ地へ向かい、そこから砂浜に向けて石を打ち放った。
 それから小一時間ほどたつと、森の草をかきわけて弾道官とスワイニが現れた。期待通りだった。――弾道術の使い手が、弾道術で放たれた石弾に気づかないわけがないのだ。
 私の姿を見ると、ヴィスマート弾道官は、さほど驚きもせずに軽口を叩いた。
「ほほう、これは奇妙だ。野人の娘がネリドの弾道術を使うとは」
「御無音でした、ヴィスマート弾道官。絶え間なき西風号のヒオリです」
 私がそう言って礼をすると、弾道官はおやおやと目を見張った。
「ヒオリ本人か。てっきりヒオリから教えを受けた土民かと思ったぞ」
 本気で間違えていたのか。
「本人です。そんなに変わって見えましたか?」
「逞しくはなったようだな。ところでセリはどこだ? なぜ出てこない? こんな回りくどい方法で呼び出す以上、わけがあるんだろうが」
「セリは……」話しづらい。仮にも女の姿で暮らしている者として、こんな恥ずかしい報告もない。「もう戻れないんです」
「ふむ?」
 濃い眉の片方を上げた弾道官が、出し抜けに叫んだ。
「スワイニ、捕らえろ!」
 それまでにヴィスマート弾道官の小柄なキャディは、私の横手へぶらぶらと回りこんでいた。命令と同時に「諒解!」と叫ぶと、茂みの中へ突っこんでいった。
 そちらから、「きゃあっ!?」と悲鳴が上がった。私はハッと振り返る。
「セリ!?」 
 すぐにスワイニがセリを連れて戻った。ひと目見て驚いた。スワイニのほうが頭一つ分も背が低いのに、犬足棍をセリの脇に突っこんで巧妙に関節を決め、反撃も逃走もできないようにしている。私たちがまだ教わっていない技だ。
 これだから、この二人は私たちの教官を務められたんだ――私は慄然とした。
「ご苦労、スワイニ。――その驚き方からすると、セリが隠れているのをヒオリは知らなかったんだな」
「は、はい……」
「連携不足だ、よくないぞ。それで、セリのほうも油断だ。弾道官は、弾道官をキャディが援護することを知っている。ゆえに、キャディこそは相手のキャディの位置を瞬知する。相手が弾道官のときは、よほど注意して潜むことだ」
「は……い……」
 セリが唇を噛んでうなだれた。言うべき言葉もない。
 ふと、スワイニがセリに顔を近づけて匂いを嗅いだ。頭の脇からピンと草の葉のような尖った耳を伸ばす(驚いた、この子は異族だ!)。そして小さな手でさらさらとセリの体をまさぐると、彼女が抵抗するより早く、顔を上げて言った。
「マスター、この娘……」
「どうした」
 私のほうにちらっと目をやってから、スワイニが言った。
「あたしと同じです」
「――ははん、そういうことか」
 弾道官が得心顔でうなずいた。
「……え?」
 私はその意味を考えて、戸惑った。セリは異族じゃない。だからそういう意味じゃないだろう。
 ということは……?
 弾道官は私のそばにやってくると、決まり悪そうに頭をかいてから、ささやいた。
「他人を制止しておいてなんだが……私もだ、我慢できなかった」
 ピンと来た。私は彼女を見つめなおす。
「あなたも、あの子を?」
「ああ……好きすぎて、ね」
 妊娠させてしまったんだ。
 私は少女みたいに未熟な体つきの異族のスワイニを見つめて、なんだかもやもやした気分になった。弾道官は大人のひとなのに、あんな私よりも若い異族の女の子に、そんなことをしているんだ。それも多分、しょっちゅう、激しく。
 同じカピスタだからわかる……。想像すると、頬が熱くなった。
「それでネリドにいるわけにはいかなくなった。幸い才能のある師範代が育ったから、学院を任せて王威号に飛び乗って、新大陸を目指した。途中のロアハタン諸島で、金砂湾から首都サンズブレスへ戻る急送船とすれ違って、手紙をやり取りした時に、君たちがこのあたりで西風号から落ちたらしい、という噂を聞いた。それで艦長にかけあって、探しに来たんだ」
「よくここだとわかりましたね」
「いや、総当りだ。この付近の島を一日ずつな。このオルモーサ礁が四つ目か」
「それは……わざわざありがとうございます」
「君たちの強運の賜物でもある。ここで見つからなければあきらめるつもりだった」
 間一髪だったということか。私たちは絶句してしまったが、弾道官は肩をすくめて微笑んでみせた。
「ぞっとしたか? なに、結果がよければすべてよし、だ」
 それからスワイニに技を解かせて、私たちみなと車座になった。
「二人とも体はどうだ、健康か。セリは、足がどうかしたのか? 折った? 診せてみなさい。ふん……できるだけのことはしたんだね。上出来だ、ここは文句はない。二人とも細かい傷があるようだから、あとで化膿止めをやろう」
 ヴィスマート弾道官はきびきびと私たち二人を見てくれたので、前後のいきさつはともかく、その文明的で親切な手当てに涙が出そうになった。もう二度とそんなことはしてもらえないと思っていた。
 でも、それと、社会に戻りたいかどうかは別だ。私は切実な思いで、尋ねた。
「セリは私の子を宿しました。このまま海軍へ戻っても、大事に扱ってもらえるとは思えません。どうしたらいいでしょうか、弾道官」
「筋論から言えば、原隊に復帰して事情を打ち明け、裁きを待たねばならない。復帰する機会があったのにそうしなかったとなれば、脱走扱いで死罪。そうでなくておとなしく戻ったとしても、そのまま艦に乗り続けるのは無理だな。軍艦で出産はできない。まして子育てなど」
 私とセリは暗い目で見つめ合った。ほぼ想像通りの話だ。
 ただし、と弾道官が言った。
「ごく最近、新しい選択肢ができた。問題がいくつかあるが、カピスタにとっても比較的生きやすい暮らしができるかもしれない。実は私たちもそれ目当てにやってきた。聞くかね」
「そんな選択肢があるんですか? 聞かせてください! セリも聞きたいよね?」
 セリがこくこくとうなずき、私たちは身を乗り出した。
 ヴィスマート弾道官は言った。
「植民地開拓軍に参加すること、がそれだ」
「植民地開拓軍……?」
「そう。ネリド共和国議会は新大陸に足がかりとなる都市を築き、蛮夷を制圧し勢力を拡大することを決議した。この先頭に立って町を守るのが、植民地開拓軍だ」
「それは海軍とどう違うんですか?」
「開拓軍は、厳密には軍ではなく自警団だ。植民都市に移り住む移住者たちで構成される。一般人だから男も女もいる。となればまず間違いなく子供が生まれる。子連れで来るものも大勢いるだろう。子育てはごく普通の光景となる。そして――これはまず確実にそうなると思うが――敵地に植民して町を築くのだから、内輪もめなどやっている余裕は生じないはずだ。つまり、多少変わり者であっても迫害されない」
「おそらく、義務さえ果たせば」
 ヴィスマート弾道官の語尾に、スワイニがそっけなく付け加えた。
「それ、は……」
 私は少し考えてから、つぶやいた。
「悪くない暮らし……に聞こえます、楽じゃなさそうだけど。問題って、なんですか?」
「弾道官の自主退職が許されるかどうかということだ」
 私たちは、頭から冷水を浴びせられたような気がした。
「君たちは王庁の法威を託された軍官吏だ。自分の一存で退職はできない」
「どうすれば許されるんでしょう?」
「わからない。それは私の権限を越える」
 ヴィスマート弾道官は悩ましげに首を振った。
「王庁かネリド議会、最低でも新大陸総督府長官の許しが必要だろう。いずれにせよ一度出頭しなければどうにもならない」
「そうですか……」
 私たち二人は顔を見合わせ、ヴィスマート弾道官に言った。
「ちょっと二人だけで話させてもらえますか」
「ああ、いいよ」
 私とセリは少し離れたところで話し合った。
 ここに残れば俗世のごたごたからは離れていられる。ヴィスマート弾道官も、頼めばきっと、私たちを放っておいてくれるだろう。――その代わり、残れば人の助けは得られない。さっき弾道官が言ってくれて、とても嬉しかった、塗り薬ひとつももらうことはできない。
 そんなぎりぎりの暮らしの中で、セリに赤ちゃんを生ませて、生きていけるのか。
 逆に、もう一度軍に出頭すれば、たぶん死ぬことはない。セリは最低限の手当ては得られるだろう。
 でもそうなったら、もう私といっしょにはいられない。セリは陸の病院に入れられ、私は船の上に乗せられる。そして二度と会えるかどうかわからない。当たり前だ、ネリドの軍規には女同士を夫婦として扱う項目なんかないんだから。
 セリは私生児を産み、日陰の暮らしを強いられる。
 軍に出頭して、下野が許されないとわかったあとでは、もう一度この島へ戻ることもできないだろう。
 私はセリの手を握って、ささやいた。
「セリ、やっぱりここに残ろうか? 私、あなたと離れるぐらいなら、軍に戻りたくない」
 死ぬかもしれないけど、という無言の条件がついた言葉だ。セリが目に涙を溜めてうなずく。
「じゃあ、セリ」
 決まりだね、と言おうとしたとき。
 向こうにいたスワイニが、ひょっこりとやってきて、会話に割り込んだ。
「マスターからの伝言です。悪いことばかり考えるなと」
「いいことなんか、あるの?」
「もちろん。弾道官ヒオリ、あなたは未知の自然の文物が好きで海に出たのでしょう?」
 私は虚を突かれて黙った。スワイニが、人好きのしない感じの無遠慮な視線を向けて、言った。
「だったらそれをあきらめるべきではない、と。すでに失ったのならともかく、まだ求めているなら」
 そうだった……生活の厳しさに追われるあまり、幻鏡燦や銀葉林での不思議の数々を体験したこと、それらを楽しむことを、私たちは忘れていた。
「それを追いながらの暮らしなら、どんなにつらくても、耐えられるかもしれません」
 戸惑う私の腕を、後ろからセリがつかんだ。振り向くと、彼女がまだ迷っている様子だけど、おずおずと言った。
「ヒオリ、止まらないで。わたしのそばにいてくれるのは嬉しいけど……進み続けるほうを選んで。わたし、つらくてもついてくから」
「セリ……」
 そう言われると、島を出たほうがいいような気がしてくる。
 でも、軍の中で我を通すのは、口で言うほどやさしくないはず。
 私がまだ迷っていると、スワイニがいっそう私に顔を近づけて、ささやいた。
「もうひとつ、あたしからもひと言、いいですか」
「……スワイニ?」
 私は彼女の顔を見た。異族の女の子は、ちょっと目を逸らし気味に、つっかえながら話した。
「あたしの場合、ですけどっ、赤ちゃん、普通とは違うみたい」
「え?」
「ヴィーさまにお種をいただいてからもう十三ヵ月……それでもまだこんなふうなの」
 白無地のワンピースに包まれたなだらかなおなかを、スワイニはくるりと丸く撫でた。私は聞き間違いかと思った。
「十三ヵ月? それって、何かの間違いじゃないの?」
「だと思ったから、ずっとご報告しなかったんです……」スワイニは頬を赤らめた。ふさふさの後ろ髪が、綿毛みたいに大きくふわっと広がった。「でもあれはないし、胸は張るし、おなかも少しずつ大きくなってきてるから……いるのは確かなんです」
「妊娠しても、人間より生まれるのが遅いっていうこと?」
「はい、たぶん。……あたしの故郷の村の誰もそんなふうじゃないので、カピスタの種のせいなのは間違いないです。だから……」
 顔を上げて、スワイニは私とセリの手を取った。
「まだ当分、一年以上は、あなたたちもあたしみたいに普通に動けると思います。その時間を、二人のために使って」
「スワイニ……」
 私は胸を突かれて、スワイニの手を握り返した。
「ありがとう……そうさせてもらうわ」
「いいです、別に」スワイニは顔を背けて、ぶっきらぼうに言った。「あたしはヴィーさまに大事にしてもらってるから。たぶん新大陸でもなんとかやっていけるから……」
「助かるわ、じゃあ、もう少しだけ待ってもらって」
 私はセリと話して、最後の決断をすると、腰掛けて待っている弾道官のところへ行った。
「決めました、ヴィスマート弾道官」
「どうする?」
「二人で出頭して、なんとか一緒にいられる任務をいただけないか、交渉してみます。ただでは許してもらえないだろうけど、頑張って許してもらえるように」
「任務を思い出してくれたか?」
「はい。――カピスタの謎は私に取っても課題です。それも追い続けます」
「私とともに来るということだな?」
「はい。よろしくお願いします」
「けっこう、ではまず小川に行こう」
「小川?」
 私たちが面食らうと、ヴィスマート弾道官は立ち上がって愉快そうに手を振った。
「君たちが身だしなみを保つために全力を尽くしたのは認める。――だがね、ここで石鹸をひとつ用意して小川へ行けば、君たちを今の五倍美しくしてやれると思うんだ」
 私たちは恥じ入って、うなだれた。

   ‡ 

 こうして私たちは、「永遠の王威」号に乗り込み、六十日を過ごした島を生きて離れた。もちろん私とセリは、爪先から髪の毛まできれいに洗われて、久しぶりにべとつかなくなった肌に黒サージの制服をまとっていた。
 姿は元通りになったけれど、ここへ来る前と変わったことが三つあった。
 一つ目はセリに赤ちゃんができたこと(厳密には、来る前からおなかにいたのだけど)。
 二つ目は誰にも秘密で、私たちが生涯を誓い合ったこと。
 三つ目は、それなのにセリがやたらと私を避けるようになったことだった。
「セリ、セリ、どうしたの? 怒ってるの?」
 部屋に閉じこもったり、治りきらない足を引きずって逃げようとするセリを、私は追い掛け回した。体調が悪くなったのかと本気で心配した。
 でもじきに、セリはスワイニを通じて伝言を送ってきた。
「セリさんは、お願いだからしばらく放っといて、と言ってました」
「どうして?」
「さあ、恥ずかしいから、と……」
 よくわからなかったけれど、体が悪いのではないみたいなので、言うとおりにした。
 五日ほどたつと、ようやくセリ本人が来てくれた。昼食時にふらりと現れて、テーブルの向かいに座ってスープ皿を置いた。私は何日も会えなかったので、嬉しくて声をかけた。
「セリ、久しぶり。もういいのね?」
「ええ、まあ……別にどこも悪かったわけではないけど」
 答えるセリはいつものセリだった。それも、遭難する前と同じ、不機嫌そうなセリだ。
 でも私は、もうそんなセリが怖くも苦手でもなかった。なんといってもあの島で、本当のセリをたっぷり見せてもらったのだし、二人だけの誓約もしてしまったのだから。
「何かあったら、すぐ言ってね。私たち、もう他人じゃないんだから」
 そう言うとセリはいきなり、片手をバンとテーブルに叩きつけて、歯を食いしばった。
「言わないで。特に人のいるところでは」
「……セリ?」
「お願いだから思い出させないで……無理だと思うけど、忘れてほしい……」
「忘れてって――まさか誓約を反故にするの」
 私が思わず小声になってしまうと、セリはあわてたみたいに首をふって、「それは別っ」と押し殺した声でささやいた。
「あれは、いいの。でも……向こうにいる間……」
 うつむいたセリの顔は銀髪に隠れ、その間から覗く耳が真っ赤だった。
「ああ……うん……」
 なんとなく、わかった。
 セリはきっと、あのころの自分たちの態度が許せなくなっているんだろう。
 それは私だって同じだ。今こうして、みんながきちんと服を着てる軍艦の上で思い返すと、身悶えするぐらい恥ずかしい。口に出来ないようなことまで、お互いにやりあっていた。
 けれど五日も逃げなくてもよかったのに、と思う。私、けっこう本気でやきもきした。
 だから仕返しのつもりで、席を立ってセリのそばで言った。
「もう、ふきふきはいいの?」
 ガタンとセリが立ち上がって、真っ赤な顔で私の背中を叩くと、ものすごい勢いで出て行ってしまった。
 もうふきふきはいいみたいだ。セリのすらりとした足が、元通りの黒タイツに包まれてしなやかに動いているのが、私は嬉しかった。

(2010/12/21)






note:
現在は特になし (10/12/21)

副題を「ズーレキンド礁の六十日」から、「オルモーサ礁の六十日」に変更、あわせて本文も小修正。単語「ズーレキンド」は含意のない造語でしたが、公開時に「レズ」と引っ掛けた語呂合わせであるような誤解を受け、それから気になっていたので、今回変更しました。(12/01/20)