カピスタの古き血


 私の人生でいちばん衝撃的で、いちばん考えさせられる出来事は、セリとの出会いだと思っていた。
 それ以上の転機が訪れるなんて、考えもしなかった。


 普段は水曜日の朝に朝礼なんてない。だから、その朝に礼拝堂に集められた私たちは、だいぶざわめいてた。
 新しい教官が来るんだって。
 三年の子が不祥事を起こしたみたい。
 議会から表彰されるらしいよ。
 みんな勝手なことを言ってたけど、確かなことは誰も知らないみたいだった。私も周りの子とひそひそ話をしながら、少し楽しみな気分で待っていた。列の三、四人前に、ほとんど動かない銀髪の頭が見えた。セリは相変わらず周りと打ち解けていない。そういうことのできない子。
 だからこそ、秘密を預けていられるんだけど。複雑な気分。
 パンパンと手を打ち鳴らす音がして、教官が朝礼の始まりを告げた。私たちは口を閉ざして、目礼をした。
 するとなぜか、それだけでは足りなかったみたいで、教官が甲高い声で言った。
「皆さん、最敬礼です。床に膝をお付きなさい」
 ええっと誰かが声をあげた。そんなことは入院式でしかやったことがない。ひそひそ声を漏らしながら私たちは膝をついた。後ろのゼファラが言った。
「まさか、王庁の使者?」
 もちろん冗談だ。ネリドの王庁はとっくの昔に打ち倒されて、共和国議会に取って代わられてる。王統は元老院の中で続いているけど、お祭りのとき塔の上に立つぐらいしか仕事はない。
 そのまさかだったので、びっくりした。
「ネリド王庁弾道術師範、ランドロミア女伯爵御入来!」
 コツコツと足音がした。礼拝堂の袖から黒衣の女性が入ってくる。背が高い。きれい。紺の髪をふっくらした緩い三つ編みにして、マントの背に流している。後ろには付き人らしい女の子。
 女性が祭壇に立つと、皿型帽の前に描かれた白い丸が私たちを見下ろした。私たちの正装と同じ服装。口を開くと、低めの澄んだ声でその人は言った。
「弾道官ヴィスマートだ。今日は沖の島から来た。よろしく、娘たち」
 みんなが呆然として見つめた。さっきの招来の声は嘘でもはったりでもなかったんだ。制圧弾道官。何百年も前に絶えたはずの、王庁の使者!
 ヴィスマート弾道官は、驚く私たちを、余裕のある、楽しそうな目で見回していた。視線を巡らせ、こちらを向いた。目が合った。
 その瞬間、私は背中にぞくりと冷たいものを感じた。
 鼓動が急に高まって頭がかっと熱くなった。思いがけず人の着替えを覗いてしまったような気分。この人は穏やかに見ているだけなのに。背筋を降りた冷たさが、お尻の奥にきゅっと凝った。
 とく、と血が集まる。
 とっ、とっ、と。固まる。突っ張る。下着が急にきつくなる。
 だめ。
 誘惑をはねのけるような気持ちで顔をそらした。いつもやっているように深呼吸してほかごとを考えた。数学、地理。これぐらいなら、スカートまでは持ち上がっていないはず、多分。
 しばらく気を鎮めてから、そうっと前を向いた。すると、弾道官は何事もなかったように他の子を見ていた。
 何事もなかったように、だって? その通りだ、あの人にとっては何事もなかったに決まってる。私が勝手に変な気持ちになってしまっただけだ。
 それなのに……一瞬だけど、考えが通じ合ったような気がした。
 どうかしてる、私。
 弾道官は一通り室内を見回すと、また口を開いた。
「みんな驚いているな。無理もない、弾道術は王庁瓦解の際に失伝したことになっている。しかし今日はみんなに本当のことを教えよう。嘘なんだ。弾道術は、遺された。私がその継承者だ」
 ざわっ、とはっきりした驚きの声が上がった。けれどそれも、次に上がる声の前触れに過ぎなかった。
 弾道官が新任教官の挨拶みたいな軽快な口調で言った。
「娘たち、聞きなさい。私がここへ来た目的はひとつ、弾道術の復活だ。元老院の意向により、君たちに告げる。ハマンズダート弾道学院は、本日ただいまより弾道院に復古する。諸君は制圧弾道官になるんだ」
 短い沈黙の後で、いっせいに悲鳴のような声が上がった。どうして、なぜですか、とみんなが叫ぶ。私たち弾道学院の娘は、そのほとんどが、貴族の娘としての教養を身につけるために入院しているだけだ。弾道術なんてここで習えるとは思っていなかったし、習うつもりもなかった。私だって体さえ普通なら叫んだに違いなかった。
 でも、今はそんな余裕はなかった。
 断言する彼女に魅入られて、鎮めたはずのあれがすっかり勃ちきってしまった。スカートを手で左右に引いてそれを隠すのに必死だった。

「く、ふ、ふ、ふ、ふぃ、ん」
「ゆっくり? 急ぐ?」
「じか、ん、あんまり、な」
「そうよね」
 セリが答えて、少しだけ手を早めた。ひんやりした指で丁寧にあれをくるんで、くいくいと正確な調子で手首を動かして。
 空き部屋にカタカタと音が響く。机の脚が鳴っている。私はべったりとそこに伏せて腕に顔をうずめている。後ろからセリが覆いかぶさっている。柔らかくて豊かな胸や腰を、ふんわりと押し付けている。
 そして私をしごいてくれている。
「がちがちね、昨日したばかりなのに」
「いや……」
「盛りすぎじゃない? 発情の季節なの?」
「やめ、てぇ……」
 耳元でセリが延々とささやく。本当に舌を噛みたくなる。自分ではどうしようもないことなのに、こんなに責められる。お医者みたいに冷静にしてくれればいいのに。
 でも、無理。恥をさらすことと引き換えに、この子は気持ちよくしてくれるんだから。この子のいたぶりにさえ耐えれば、甘い遊びをしてもらえる。そのほうが周りにばれるよりずっといい。そう思って、私はこの子にいつも声をかける。
 最近ではもう、それが嘘だって自分でも分かってるけど。
 指の感触が気持ちいい。あれが張ってくる。ぱんぱんに張ってくる。下腹が突っ張って破れてしまいそう。指が気持ちいい。溶けてくる。溶けはじめる。溶けちゃう。指、きもちいい。しこしこ、きもちいい。ひざ折れちゃう。くずれる。
「あっ、あは、ア♪」
「こらえて。やりにくい」
 ひざ、がんばら、なきゃ、だめ、ふるえる、がくがく、
「出そう? もう行きそう?」
「んあ♪ あん、んっ、あア♪」
「待って」
 まてない、とびでる、びりびりでしびれてる、ゆびきもちぃ、
「はい」
 あ、先っぽに何か、ぱさって、いいんだ、だしていいんだ、イッていい、
「いっ、イッく、いいっ、いぃんっ♪」
「ん」
「ふぁーっ♪ アアッ♪ あっ♪ あああア♪」
 でて、るうぅ……♪
 ……
 ゆっくりと、い識が、戻って、私はテーブルに伏せたまま出してしまったことに気づく。
「はふ……」
「ん、自分で立ってね」
 セリが離れたとき初めて、腰を支えてくれていたんだと気づく。肩越しに振り向くと、セリが二つ折りにしたハンカチの中を覗いていた。眼鏡越しの冷静な眼差し。でも、ちょっとだけ目元が赤いような気も。
 こちらを向いた目には、軽蔑みたいな色がある。
「よく出たのね」
 頬がひどく熱くなって、顔をそらした。
 下着を履いてしまえば、もうセリはいじめてこない。その点、この子の自制心はあきれるほどすごい。私をいたぶって感じている時もあるみたいだけれど、そこから自分が楽しむ方向には決して流れない。うらやましい。
 白状すれば、私はこの子を抱きたくて、会ってる。それは否定しない。私はセリの体が好き。
 でも、この子の強さにも惹かれている。セリは自分をすごく卑下しているようだけど、自分の隠しているものに気づいてないだけだと思う。セリは強い。だから海軍に誘った。 まだ返事はもらえていないけれど。
 カーン、と鐘楼で予鈴が鳴った。それを聞いてセリが言った。
「ほんと、珍しいわね。あなたが授業前に求めてくるなんて」
「あの人を見ちゃったから……」
 言ってから、しまったと思った。セリを見ると、目つきがさらに冷たくなっていた。
「弾道官?」
「……いえ」
「素敵ね、あの人」
 そっけない口調だった。次の言葉は予想できた。
「あなたって誰にでも勃つのね」
 言い返そうとしたときには、すでに銀の髪が廊下に消えていた。

 2

 授業はなかった。私たちは上級生も下級生も、みんな院庭に集められた。ヴィスマート弾道官が荷袋を背負った付き人と一緒に待っていた。その姿には目を惹かれたけれど、さすがにもう催しはしなかった。
 弾道官は敷石に囲まれた小さな砂盛りの上に立っていた。――毎朝、係の生徒が様式にのっとって形を整える、院の建物より古いと言われる遺跡の上に。
 これから何が始まるのか想像がついたけど、とても信じられなかった。みんなそうみたいだった。私たちが整列すると、弾道官はよく通る声で言った。
「弾道術を目にしたことのある者はいるか?」
 誰も答えない。弾道官がうなずく。
「当然だな、それは失われた。巨怪や神鳥と同じように滅び、様式だけが戯曲や書物に残った。みんな、もう二度と復活することはないと思っていただろう。それどころか、その存在すら疑っていたんじゃないか? ――隠さなくてもいい、素直に言ってみなさい。そんな技は語り部の創作だと思っていた者」
 顔を見合わせてから、おずおずと手を上げる子が、十数人もいた。私もためらいながら手を上げた。
 そしたら、弾道官に指差されてしまった。
「そこの黒髪の子」
「はい。――ヒオリです」
「ヒオリ。なぜ創作だと思っていた?」
「それは」こくり、と唾を呑む。「不可能だからです」
「何が? 弾を撃つことがか?」
「遠方の敵を倒すほど強い弾を、女の力で放つことが、です」
「いい答えだ。君は賢い」
 わかるか? と見回す。あわてたようにみんながうなずいた。
 今度は別の子を指差して訊いた。
「では君。弾道術と対になる戦闘流儀を知っているか?」
「スウィンカです。塞止法です」
「よろしい。眼鏡の君、塞止法の第一論は」
「……男子これを会得せざるべからず、でしたか」
「名前は?」
「セリです」
「名乗りは大事だぞ。その通り、塞止法は男子の技だ。屈強のますらおが敵をせき止め、その背よりたおやめが敵を撃つ。両派相俟って敗れることなし。伝承にそうある。理屈じゃないか。どうだ?」
 弾道官がまた見回す。みんなうなずいたけれど、これは呑まれているだけだ。私は相変わらず納得がいかない。
 そういう顔をしているとすぐ見抜かれてしまうらしい。弾道官がまた私を見て言った。
「ヒオリ、どうしても不可能か?」
 この人の話は心地いい。流れるように筋道が通っている。小賢しく考えて答えるよりも、この人の口から訊きたくて、私は首を振った。
「わかりません。可能なんですか」
 弾道官は微笑みながら深々とうなずいた。
「お目にかけよう。――こちらへ出て」
 私は人垣から出て砂盛りに登った。ちらりとセリの視線を感じた。弾道官と向き合って立つと、意外に背丈が変わらないことに驚いた。もちろん、彼女は大人だから私より上だけれど、それでも指の幅三本か四本の違いだ。
 弾道官が付き人の子を振り返る。
「スワイニ、弾と棍を」
「木棍を?」
「鋼の三番」
 スワイニと呼ばれた子は、それを聞くと軽く目を見張った。弾道官は切れ長の目を細めてささやいた。
「おまえも見たいだろう? この子の」
「御意地の悪い」
 顔を背けたスワイニが、背に負った縦長の物入れから、長棍を抜き出した。
 ぞろりと。――私は、最前のあれとはまったく違う寒気を感じた。
 それは私の首から爪先まであるような長い棒だった。革巻きの握りを受け取った弾道官が垂直に立てる。まっすぐに細くなった軸の先に、拳ほどの大きさの頭がついていた。みんなが聖火でも見るように見上げた。誰かがつぶやいた。
「本物の狙擲棍……?」
 全長一ヤード半、ヒッコリーの強靭な軸の先に、恐るべき反発力を秘めた中空鋼の撃頭がねじこんである。少年が剣を見たことがなくても剣を知っているように、ハマンズダートの娘ならば知らないはずがなかった。制圧弾道官の正式装備だ。
「これを」
 声をかけられて、私は目を落とした。スワイニが褐色の小さな弾を差し出していた。こちらは目玉ぐらい。受け取ると、彼女のほのかな体温と、こすったらキュッと鳴りそうな手触りが感じられた。
「マスターに差し出してください。手の平に載せて」
 言われたとおりに、弾道官に向かって手を伸ばした。途端に、スワイニが鋭く言った。
「手をそらせて、思い切り! 間違っても、おびえて握ることのないように」
「こう?」 
「そうです。ちょっとでも握ると……」
 指が飛びます、と気の毒そうに言って彼女は砂盛りから降りた。
 寒気が指先まで広がった。みんなが死人のように静まり返る。目の前で弾道官が思い切り上半身をひねり、長棍を振りかざす。剣の構えとは違う。縦でなく、横に振る構えだ。あの硬そうな長棍が、振り下ろされるんだ。私に向かって。指が飛ぶ? 手首の間違いじゃないの?
「……震えちゃいけない」
 弾道官が、に、と口の端を吊り上げると、視線を横手に飛ばした。
 次の瞬間、三日月のように光る航跡を残して、撃頭が回った。カッ! と薪を割るような突き抜けた音がした。空気はその後で裂けた。マントの裾と長い三つ編みをなびかせて、弾道官は長棍を振り抜いた。
 私は電撃に打たれたようにぶるっと震えた。
 静寂の中で、ただ一人、弾道官と同じ方向を見ていたスワイニが叫んだ。
「よーう候!」
 私は、かすかにひりつくだけの空っぽの手の平を、信じられない思いで見つめていたけれど、弾道官の歓声のような声を聞いて、視線をめぐらせた。
「見ろ!」 
 院庭の外れの森を彼女は指していた。学院のみんながロン爺さんと呼んでいる、ひときわ高いモミの木がある。その木のてっぺんの枝が、ぽんと浮いた。そしてくるくる回って落ちていった。
 みんなが口を開けていた。小柄なサトラが、いつにもまして子供っぽい口調でつぶやいた。
「爺さん、もげちゃった……」
「済まない、なじみの木だったか」
 視線が集まると、ヴィスマート弾道官は軽く手の平を上下させた。
「二番目か三番目の枝にしたほうがよかったな」
「狙ったんですか?」
「もちろん」
 みんながざわざわと顔を見合わせた。目の前で見ても、何か奇術のようで、信じられない技だった。
「ヒオリ」
 声に振り向くと、セリがすぐそばに立っていた。私の手を取って、無事みたいね、と言う。その後にかすかなささやきを付け加えた。
「漏らした?」
「ばっ……か」
 耳たぶが熱くなった。この子はいつも、見てもいないのに。
 弾道官がそばに来て肩に触れた。
「ありがとう、ヒオリ」
「いえ……」
「上出来だった。初めての子はたいてい腰を抜かすんだがね。スワイニみたいに」
 言われたスワイニが目を吊り上げて赤い顔をしたので、直感的にわかった。この子もしちゃったんだ。多分、私よりも派手に。
 弾道官は長棍をかついだままみんなを見回した。
「さて、もうわかったかな。なぜ女にこんなことができるのか」
「……遠心力?」
 何人かの子が言った。弾道官がうなずく。
「軸の長い棍で勢いをつければ、非力な女でも強力な長打を放つことができる。ところで、いま私が用いたのは実戦用の中でも最も軽い長棍だ。しかしそのバッグの中にはもっと強力な棍も入っている。弾丸も同様だ。より硬くて跳ねるものがある。そういうもので人を狙ったらどうなる?」
 私は唾を飲み込んだ。それは、ハマンズダートで私たちが学びながら、決して使うことがないと思っていた、軍学そのものだった。
 そのとき、セリが冷静に指摘した。
「すべては、弾に長棍が当たってからの話です。そんなこと、わたしたちはやったこともありません」
 振り向いた弾道官が、ゆっくりとうなずいた。
「だから、弾道術が編まれた。――長い棒で弾を叩けば飛ぶということは子供にでもわかる。その当て方を五百年かけて極めたから、術を名乗るのさ」
「……それをわたしたちに?」
「そう。教える」
 セリと弾道官が見詰め合ったまま沈黙した。まるでにらみ合っているみたいだった。
「わたしは……」言いかけたセリが、私を指して言い直した。「このヒオリは、海軍の船に乗る気です。他の子達も、師団や政庁に入るつもりです。いきなり弾道官になれといわれても」
「海軍? それこそちょうどいい」
「ちょうどいい? 何がですか?」
「このたびの弾道術解禁は、海軍のためなんだよ」
 弾道官は驚くべきことを言った。
「先月、ネリド海軍の一隻のスループが、多くの乗員を失って、命からがらサンズブレスに戻ってきた。彼らは蛮族に襲われたんだが、非常に重大なことを報告した。その報告を受けた元老院と共和国議会は決議した。新大陸の探検と制圧を」
 息を呑む私たちに――私に、弾道官は言った。
「ネリドに辺境が再来した。だから制圧弾道官の封が解かれたんだ」

 3

 一夜にして世界が変わることなんて、もうないと思ってた。もう、というのは、ネリドが平和になってずいぶんたつからだ。大陸にある小さな国は残らず平らげ、大きな国とは同盟を結んでいた。私たちは生まれてから一度も大きな戦いに合わなかったし、死ぬまでそんな日が続くのだと思っていた。
 弾道官が来てからの数ヵ月の間に、それが浅はかな思い込みでしかないことをしみじみ思い知らされた。新大陸発見の報を受けたネリドは次々に船を送り出した。しかし、その半分近くが犠牲者を出して帰ってきた。新大陸はこちらの想像よりはるかに広く、計り知れないほど複雑な地勢と、異族と、巨怪を擁していたのだ。
 それに宝も。
 フリゲート艦、猪突する壮士号の帰還がきっかけになった。その船は竜骨が歪むほど大量の砂金を積んで帰ってきた。豪遊する水夫たちが、水底に砂金の輝く大河の話を吹聴した。三日後には港が空になった。
 そして一月もたたないうちに、八十年も同盟を結んでいた南の大国が、新大陸の領有権を巡ってネリドと戦争を起こした。
 ハマンズダートもそんな激しい動きに巻き込まれていた。実戦に出されるなんてとんでもないと考えた娘たちが、全院生の六割ほどもやめた。けれども入れ替わりに、やめた数より多いぐらいの娘たちが入院してきた。長い平和で、ネリドには男も女も人が余っていた。嫁ぎ先がなくて親に無理やり入院させられた娘もいたが、嫁ぐのがいやで自分から飛び込んできた娘もいた(中には夫を捨てて逃げてきた女性も!)。そういった新入の娘たちには学院の教官がついて、まず学院生活のABCから教え始めた。
 けれども、それは「私たち」にはあまり関係なかった。私たちとは、最初から院にいて、この騒ぎでもやめずに残った娘たちのことだ。およそ二十四名。
 ランドロミア女伯爵ヴィスマート弾道官が、最初に教えを施したのは、その二十四名だった。
 私は彼女に教えを受けた。セリも、スウィンカも、サトラも。でもゼファラは途中でやめたし、トレーヌはけがをして家に引き取られた。それは、一年前からは想像もつかない、厳しくてめまぐるしい日々だった。
 自分に出来ると思わなかったことが、いくつもできるようになった。人に命令すること、自然や物の性質を読み取ること、そして弾道を造ること。
 逆に、自分なら出来ると思っていたことができなくて、うちのめされたことも何度もあった。罵倒に耐えること、人を助けること、そして精神を保つこと。
 徹宵選別訓練。密室に二人、テーブルを前にして並んで座る。テーブルには斜めに樋が掛け渡されている。樋の一方に大きな桶が吊るされて、数秒に一個ずつ、豆が転がり落ちてくる。黒い豆と、赤い豆と、茶色の豆だ。樋を通った豆はもう片方の端から、床の桶に落ちる。
 それを、落ちる前に判別して奥の箱にはじき落とす。一人は茶色を、一人は黒を。違う豆を選んではいけないし、自分の豆を見逃してもいけない。桶も箱も小さな口があるだけで開くことはできない。一度間違えたらやり直しはきかない。もちろん豆をせき止めてもだめ。正しい豆をより多く選ばなければいけない。
 それを三十六時間ぶっ続けでやる。
「ヒオリ、がんばろうね」
 私はサトラと組になった。小柄で陽気な可愛らしい子だ。きょときょととよそ見をすることが多くて、麦色の長い髪がさわさわ動く。この子となら、眠くならずにやり抜けそうだと、最初は思った。
 たった三時間で正反対のことを考えるようになった。
「ヒオリ、もう飽きたよう」
「がんばって」
 ことん、ことん、と音を立てて落ちてくる豆を、すばやく見極め、はじく。難しくない。簡単な作業だ。簡単すぎる。なんの刺激もない。黒い豆。茶色い豆。茶色い豆。赤い豆。黒い豆。茶色い豆。赤い豆。小さな点がいくつも目の前を通る。いくつもいくつも通る。茶色い豆。黒い豆。はじく、はじく、見送る、はじく、見送る、見送る、はじく。ことん、ことん。目の焦点がぼやけ、豆の形がわからなくなる。こんなことじゃだめだ、と首を振る。
 隣を見ると、サトラが顔をしかめて豆を適当にはじいている。茶色の担当のはずなのに、赤も茶色も全部はじいている。私は肩をつかんでゆすぶる。
「だめ、手を抜かないで」
「いいの、五分だけだから」
「だめよ」
 すねたような顔をしたけれど、しぶしぶ選ぶようになった。
 壁掛け時計の振り子が揺れる。四時間、五時間。たまに入ってくる桶の取替え係に、無理して微笑んでみせる。六時間、七時間。手洗いに立つだけの時間を挟んで、八時間、九時間。おなかが鳴る。手元が暗くなる。ランプはついているけれど、頭が濁っている。赤も黒も茶色も同じに見える。サトラがまた手抜きしている。もう三度目だ。彼女のほうが下流だから、私より楽なはずなのに。注意しなきゃ。気力を出して。自分のもちゃんとやりながら。
 いきなり、わき腹をつつかれる。
「きゃっ!?」
「ヒオリ、さっきから黒多い」
「うそ、やってるわよ?」
「多いもん」
 口を尖らせている。むかっ腹が立つ。自分だって赤をたくさんはじいているくせに。
 それでも、ぐっと怒りを抑え込む。自分がきちんとすれば文句なんか言われないはず。私の不注意だ。私がしっかりしないと。
 十時間、十一時間。肩が痛む。お尻も。座り詰めで体がぎちぎちにこわばってる。これはなんの訓練だっけ? 沈黙の? 断食の? 豆の形を見て、視力を?
 ことん、ことん、ことん。眠気が。頭を覆う。目が乾く。そろそろ汗が気になる。この部屋、暑い。サトラの匂いがする。髪と息の匂い。きっと私もだ。水を浴びたい。ことん。ことん。
 不意に、白いものが横切る。白い豆。
「白っ!」
「え?」
 顔を上げたサトラの前を転がって、豆は桶に入ってしまった。
 救いの手だったのに。白い豆は、流れを止めて一時間の休憩。
 サトラが私の顔と桶を見比べる。まぶたが下がって、目の下にくまができている。それでも、鈍い頭で気づいた。甲高い声を上げる。
「白、落としちゃった!?」
「落としたわよ、今見たでしょ?」
「見えなかったよ、ヒオリが叫ぶから!」
「あなたがぼうっとしてるからじゃない!」
「あたし? あたしのせい!? ヒオリのせいでしょ! 休もうって言ってるのに、全然休ませてくれないじゃない!」
「まだ二十四時間もあるのよ、今休んでどうするの?」
「そんなに点取りたいの? この点取り虫! いい子ぶりっこ!」
 どん、と肩を押された。私はカッとなって、思わずサトラの頬を叩いてしまった。
 ぱん! と乾いた音。
 はっと気づいたけれど、遅かった。サトラがみるみる涙をためて、わっと泣き出した。
「何すんだよぅ、ヒオリのばか!」
「ごめん! サトラ。ほんとにごめんなさい!」
「もうやだよこんなの、やめようよ! 弾道官なんてなれなくていいよ!」
「我慢して。あなた、お兄さんと約束したんでしょ? ね、ほら」
 サトラは海軍士官のお兄さんとべたべたに仲がいい。船が港に戻るたびに会いに行っては、帰ってから自慢話をする。それを可愛いと思っていたけど、聞きながら苛立ちもしていたことに、いま私は気づいた。私にそんなに仲のいいきょうだいはいない。
 怒鳴りつけたくて、かわいそうで、情けなくて、ぐちゃぐちゃの気分だったけど、どうにかこうにかなだめすかして、作業に戻らせた。
 また、長い長い苦行が始まった。
 ことん、ことん、ことん、ことん、ことん、ことん……。
 揉めている間に何十個の豆が落ちてしまったんだろう。そんなことが気になったのも、少しの間だけだった。十三時間。もう完璧を期すことなんてあきらめた。意識のあるときに来た豆を、手の動く時にはじくだけだ。ことん、ことん、ことん。赤、茶色、茶色、黒、黒、赤、赤、茶色。十四時間、十七時間。
 十七時間?
 あわてて時計を見つめなおす。寝ていた? 私が? 時計が壊れたんじゃなくて? 寝たことさえ気づかなかった。ことん、ことん、ことん。豆が転がる。いくつもいくつもいくつも。ずっと、ずうっと何も変わらない。やっぱり時計が壊れたのかもしれない。ことん、ことん。
 十八時間。
 それに何か意味があったような気がして、しばらく瞬きを繰り返した。ゆっくりと思い出した。折り返し点だ。そうか、半分終わったんだ。
「サトラ、半分だよ」
 隣を見ると、サトラはうつむいてこっくりこっくりと舟を漕いでいた。
「サトラ……」
 肩に手をかけて揺さぶると、「んむ……」と薄目を開けたけれど、すぐにまた閉じてしまった。ただの十八時間じゃない、ほとんど身動きもしない、横にもなれない十八時間。小さなサトラは私よりずっと疲れているみたいだった。揺さぶっても、つねっても起きようとしない。
「ねえ、サトラ、だめだって……」
「ふひ」
 引いた拍子にこちらにもたれてきた。寝不足で火照った体が、くにゃりと腕にかぶさった。がくんと垂れた首の後ろ、左右に割れた麦色の髪の中に、寝汗で湿ったうなじがのぞく。
「あ……」
 だめ、と思ったけど無理だった。理性なんてとうに使い果たしていた。サトラ、女の子、やわらかな体。意識した途端に心臓が跳ね上がって、下着がきゅうっときつくなった。
 眠気のせいで私もずっとけだるかった。そんな時自分がどうなるのか忘れていた。元気な時よりも、寝起きの時よりもひどい、恥ずかしいぐらいの充血。耳元でどくどく鼓動が聞こえる。目を落とすと、スカートにくっきりと山ができていた。
 腰を少しだけ動かしてみた。さりっ、と布地の感触。
「あハっ♪」
 ずきん、とお尻から氷を突っ込まれたぐらいの気持ちよさが走って、声が漏れた。
 肩でサトラを支えたまま、私は石像みたいに動けなくなった。もう豆を選ぶどころじゃない。抑えないと暴れてしまう。震えながらゆっくりとサトラの首に手をかけて、呼びかける。
「サトラ、起きて、お願い……」
 起きなかった。首に触れても、手を滑らせても、小さな胸を押さえても起きなかった。
 手が、ひとりでに。
 意思のすべてを振り絞っても、抱き締める腕を止められなかった。サトラを両手で抱いた。ぎゅうっと……小柄でもしっかり熱い体が、胸に収まる。耳。可愛いお菓子みたいな耳たぶ。うつむいて、噛んだ。
 ちゅっ……ちゅ、ぢゅっ。
 甘い匂いが鼻から脳に染みる。頭の中が花の色に溶けてしまう。がらがらと、音が聞こえるほど勢いよく自制が崩れる。切ない。あれがジンジンうずいて狂ってしまいそう。だめ。もう無理。手。いますぐ、手で。
 スカートをたくし上げようとした手を、ぐいっとつかまれた。
「ひっ!?」
 総毛立つ、という気分をまた経験してしまった。一度目は、雨の山小屋。今度は……。
 顔を上げると、私の手をつかんだ銀の髪の娘が、光る眼鏡越しに冷たい目で見下ろしていた。
「何をしてるの」
 かみさま、と胸の中でつぶやいた。どうしてあなたは、いつもいちばんいけない時にこの子を。
 逃げられません、こんなの。 
「何をしてるの?」
 言いながら、セリは換えの桶を置いて隣に座った。私は震えるばかり。穴があったら入りたい。
「したくなったの」
 セリは目を落とす。スカートの盛り上がりに、ちりちりと視線を感じる。もう隠すも何もない。目を上げてちょっと身を乗り出し、反対側のサトラを見る。
「寝るのを待って、手を出したのね」
「ま……待ってなんか!」
「同じことでしょ」
 ひとことの言い訳さえ許してもらえなかった。いっそ声を上げて泣きたかった。
 セリはため息をついて首を振った。
「あなたのことだから、こんなことじゃないかとは思っていた。このところ忙しくてしていなかったし。始める前に考えなかったの? 自分でしたりとかは?」
 首を振る。言えない、言いたくない。昨日自分でしたなんてこと。したのにこんな有様だってこと。今はとにかく、一秒でも早く出て行ってほしかった。
 それなのに、まさかこんなことを言うなんて。
「じゃあ、する?」
「え?」
 顔を上げた時には、セリはもうハンカチを取り出していた。頭の中がひっくり返った。
「こっ、ここで!?」
「ええ」
「サトラがいるのに!?」
「そのサトラにぶちまけようとしていたのはどこの誰よ」
 気が遠くなりかけた。言われてみれば、あのままセリがこなかったら、私は間違いなく自分のはしたない汁を、この子に浴びせまくっていたはず……。
 屈辱に震える私のスカートを、セリは無造作に捲り上げて、下着をランプの光にさらした。股に食い込むぐらいぎちぎちに突っ張って、先端に大きなしみができていた。ひどい、とセリが暗く微笑む。
「時間だけは短くて済みそうじゃない?」
「……もう……もういいから、早く済ませて……」
 せめてサトラに知られないようにと、私はもたれた頭を腕の中に抱き締めた。
「してください、でしょ」
 楽しげに言いながら、それでもセリは手早い動きで、下着を下げ、私のものを取り出してくれた。ひやりと部屋の空気が感じられた。
 指とハンカチがかぶさった途端、私はぞくぞくと全身を震わせた。
「ひぃんン……っ♪」
「大きい……めったにない硬さね。ハンカチ一枚で済めばいいけど……」
 指が動き始めると、私はひとたまりもなく溶けた。腰の底からぞわぞわと湧き上がる銀色の快感に、指先まで浸されて、膝も唇も細かく震えだした。
「だめ……これ、もう、すぐ……」
「音、立てないでよ」
 言われても靴底が床で踊る。手の動きにあわせて、カタッ、カタッ、と跳ねてしまう。それだけじゃない、全身がつっぱりそう。体中を使って思い切り射精したくてたまらない。
「だっ、だめっ♪ がまっん、むりっ♪」
「無理じゃないの」
 ぎゅぅっとハンカチ越しに潰されて、爆発しそうになった。
「ひぃ……ンッ!」
 たまらず、サトラを力いっぱい抱き締めた。すると、セリが不機嫌な声で言った。
「こっち向いて!」
「ふぇ」
 振り向くと、セリがさっと眼鏡を外して顔を寄せた。
「その子でいかないで」
 冷たい、濡れた唇が私の唇を覆った。
 セリの、キス。
 ぎゅうっ、と根元から先まで長く強くしごかれた私は、椅子をがたつかせながら思い切り射ち出していた。
「んぅっー♪ んんっ♪ んーっ♪ むぅ……ンッ♪」
「ん、ふ……♪」
 握り締める手が痛いほど強い。その中に、じゅぅっ、じゅぅっと私は出て行く。腰が、がらんどうになるほど、魂が抜けるほどたくさん、うずいて溜まっていた濁った汁を吐き出した。
 今までで、いちばん真っ白な、絶頂だった。
「――ふぁ」
 気がつくと、サトラと並んで壁にもたれていた。腰の奥が嘘みたいにすっきりして、心地よい疲れだけが残っていた。そのまま、何もかも放り出して眠ってしまいたくなった。
「起きて、ヒオリ」
 戸口にセリがいた。換えた桶を提げて、胸元にハンカチを握り締めて、あまり見たことのない優しい顔をしていた。
「あと半分よ」
 パタン、と扉が閉じた。
 私はけだるい体を起こして、作業を再開した。しばらくしてサトラも目を覚ました。
 私たちは、そのあと十八時間の作業をやり抜いた。得点は六割ほどだったし、サトラを殴ってしまった負い目はできたけど、彼女が何も気づかなかったらしいことが救いだった。

 4
 
 撃頭のきれいな旋回と、ごっ、というような力のこもった打撃音。
 セリの一打は、腕の長い獣の狩りみたいにしなやかだ。そして弾丸は矢のように的へ飛んでいく。
「投石器だね、まるで」
 弾道官に言わせれば、そうらしい。でも私はそんなに殺伐としているとは思わない。
 日課になってから四ヵ月もたった、狙擲訓練。院庭に横一列に並んだ娘たちが、次々に打撃を繰り返す。弾丸が青空にさまざまな弧を描く。まっすぐなもの、曲がったもの、力なく跳ねるもの。
 たかぁん、と小気味のいい音がした。百ヤード先に並べられた的のひとつがくるりと回った。スワイニが独特の節回しのついた声で叫ぶ。
「六番んー、的中ぅ!」
 一列目のみんなが手を止め、セリを見つめた。セリは表情ひとつ変えずに、キャディのスウィンカを見た。
「次、お願い」
「的中、今日はもう五回目よ……?」
 スウィンカが呆れたように言って、支杖の先に弾丸を乗せ、しゃがんで垂直に支えた。向かいに立ったセリが長棍を振りかぶり、また撃った。
 技が冴え渡るというのは、今のセリのようなことを言うんだろう。私が思っていたとおり、ひとたび頭角を現したセリは、地味で目立たない子なんかじゃなくなった。週ごとに行われる戦技競技試験では毎回高得点をたたき出した。特に長棍格闘は誰よりも上達した。私よりも。
 あんなのは全然役に立たない、と本人は言っているけど。誰でもわかるとおり、長棍で殴るより剣で切るほうがずっと強い。長棍格闘は、せいぜい無手の弱い人間を相手にした護身術でしかない。
 それにしたって、才能がなければできることじゃない。
 ふと、顔に当たる風の向きが変わった気がした。勘違いではなかった。すぐに弾道官が空を見上げて言った。
「風が変わったな。ようし、交替」「戦列ぅ、交替ーい!」
 スワイニの叫びを聞いて、今までキャディをやっていた私は立ち上がった。向かいでマスター役をやっていたセピアと入れ替わり、長棍と支杖を取り替える。
「風を読め!」
 髪を一本引き抜いて投げた。その落ちる方向で風を読む。一列みんながそうする。そして読み上げた。
「二時の風、美式一速、乱れわずか」
「二・一・わずか!」
 向かいにしゃがんだセピアが復唱して、自分もそう思う、というようにうなずいた。キャディの仕事はそうやってマスターを助けること。支杖に弾丸を乗せて支えるのもそうだ。弾丸を打撃の高さに保つために、普通は実戦でもそうするのだと弾道官が教えてくれた。彼女が最初にやったみたいに、キャディの手の平に弾丸を乗せて撃つなんていうことは、曲芸の域に入るらしい。
 長棍はいちばん癖のない木の一番で固定。実戦では鋼の零番から特殊な犬足棍まで、十四本を使い分けることになるけど、まだ私たちには無理。
 私は長棍を構える。列の後ろを歩きながら検分していた弾道官が、ふと言う。
「ヒオリ、その足は?」
 私は前側の足を軽く持ち上げていた。この人に近づいた時につきものの胸騒ぎを抑えて、振り向かずに答えた。
「これがいいんです。重心が固まる気がして」
「ふん、固まる、ね」
 矯正するでもなしに弾道官が通り過ぎていったので、ほっとした。
 気を取り直して、的に集中する。小さな菱形の的だ。最初はあれに弾丸を当てるなんて神業としか思えなかったけど、あの豆の選別訓練の後で眺めたら、板の隅の欠け具合までわかって、驚いた。見ることは、ただ目を開けることじゃない。集中を高めて物の形を知り尽くす、貪欲な行為だった。
 遠い的に注視して、体をひねる。私はこれが好きになった。たわめて、溜めて、思い切り撃ち放つことが。好き。何か、自分の根本のところでそう感じる。
 呼吸を合わせる。腕と腰を絞る。踏み込みながら、ひねる!
「――ふっ」
 すぱっ! と空気を割れた。視線にまっすぐ弾丸が乗った。伸びる伸びる、ぐんぐん飛んでいく。体の芯で小さな鈴がちりちり鳴っているような余韻。心地いい。
 たかぁん、と的が回った。スワイニが叫び、弾道官が寸評する。
「ヒオリは鷹だな。実に嬉しそうにもっていく」
 顔が緩む。

 夜明けから日暮れすぎまでの訓練を長い間続けた私たちは、着実に弾道術を身につけていった。身体能力を高める訓練の他にも、多くのことを教え込まれた。数学を用いて弾道を定める法、長棍や弾丸の知識、弾道官としての作法、それに、航海術や軍事操典まで。
 厳しい毎日だったけど、私にはそれを身につけなければいけない理由があった。
 ある休日、寄宿舎のサロンにいた私たちのところに、手紙が届いた。手紙は毎週届けられて、そのたびにみんなで家族の話に花が咲く。でも私はその時間が好きじゃなかった。来た手紙を一応開けはするけど、すぐにたたんでゴミ箱に捨てた。
 その日も手紙を捨てていると、セリに見つかった。今まで彼女には知られないようにしていたのに。
「ヒオリ、どうして?」
「ん」
 私は軽くうなずいてごまかそうとした。でも、サトラが横から教えてしまった。
「恋文なのよ、こ・い・ぶ・み。ヒオリは許婚のヒトがいるの」
「いいなずけ」
 異国の言葉を聞いたように繰り返したセリが、私を見た。いつもの無表情、ではないような気がした。私はちょっと顔をしかめて答えた。
「親が勝手に決めたのよ。会ったこともない」
「でも公爵家のお坊ちゃまなんでしょ。会ったら一目惚れしちゃうかも?」
 面白そうに言うサトラを、スウィンカやセピアが小突いていた。私はうんざりしたけど、もう慣れていたので、軽く否定した。
「海軍に入れば、そんなの流れちゃうって」
「お嫁さんになったヒオリを想像すると、なんだか面白いわ」
 セリの言葉にみんなはきょとんとしてから、笑った。彼女が冗談を言うのは珍しかった。
 私には、冗談じゃないように思えた。彼女は私の体を知っている。同じ体を持つカピスタを探すために、海軍という逃げ道を選んだことも。セリの言葉は、そんな体で結婚できるの、という嘲りとも受け取れた。
 セリは私をどう思っているんだろう。
 弾道官になる日が近づくに連れ、そんなことが気になり始めた。私たちは、先のことなんか考えずに関係を始めたような気がする。当たり前だ。私もセリも女で、結婚することはありえない。そんなつもりもない。セリと二人きりで、どこかに暮らす? 妙な未来だ。多分それはない。
 セリはまだ、私の誘いに答えてくれていない。数日置きに体を触れ合わせるだけ。時々さっきみたいに冷たいことを言う。それとなくほのめかしても、そつなくあしらわれるだけ。本当に、私の体にしか興味がないのかもしれない。
 本当に?
 それを意識すると、気分が落ち込む。自分の気持ちもわからない。セリに好かれたいとは思うけど、女同士で恋人になるのも変だ。落ち着かない。そんなことは言えない。
 多分あの時私は、海軍に誘うんじゃなくて、付き合ってって言うべきだったんだろう。もっと勇気があればそう言ったと思う。でも言えなかった。今でも言いたくない。セリに抱いているのはそんな単純な感情じゃない。
 先延ばしとしての「一緒に来て」にすがっている。
 私は、その程度の人間でしかない。

 弾道官が来てから半年後、弾道術の皆伝試験の日が来た。

 5 
 
「最初に言っておくが、皆伝といっても名だけだからな。君たちに教えたのは、弾道術の基礎中の基礎でしかない。この段階で皆伝を名乗らせるのは、船に乗せる弾道官を早く育てろと、元老院が矢の催促をするからだ。が……」
 私たちをぐるりと見回して、ヴィスマート弾道官はかすかな笑みを浮かべた。
「先のことは君たちの自己鍛錬にかかっている。君たちの何人かには、いつか皆伝にふさわしい力を身につける素質が確かにある。師範の名にかけて保証しよう。では、今の君たちのすべてを見せてもらおうか」
 皆伝試験が始まった。
 初日は座学と礼法。二日目が野外諸技術。打撃の姿勢から艦上裁判の作法まで実践してみせる。試験監督の弾道官や首席教官が、ランドロミア島から持ってきた古い古い教典や、海軍法典に従って無言で採点する。立ち会いには学院長と共和国議員、それに元老まで臨席した。
 緊張しすぎて失神する子が出た。セリが人前で言い間違えるのを初めて見た。私は天測試験で数字を忘れ、ネリド国内どころか、この大陸のどこにもないような座標を出した。
 初日の夜も二日目の夜も、寄宿舎の片隅で泣く子と、それを慰める子がいた。みんなそれぞれ、理由があって学院に残った子たちだった。
 三日目、最終日。弾道術実技試験。
 雲量は三分で、無風。最良の日和だった。試験の順番はくじ引きで、私が一番になった。
 院庭の砂盛りに出て、髪を投げる。太陽に温められた地面から陽炎がゆらゆらと立ち昇っている。深く息を吸って、唱えた。
「凪、美式零速、乱れわずか!」
「れ、零、零、わずか!」
 キャディは、次の受験生のサトラだ。しゃがんで私を見上げながら、かわいそうに歯の根も合わないほど震えていた。彼女はまだ一度も的中を出したことがない。私は声をかけた。
「サトラ、落ち着いて。まだあなたの番じゃないじゃない」
「だ、だって、だって」
 砂盛りの背後は仲間の二十二人を始めとして、立会人や院生たちで黒山の人だかりだ。彼女が震えるのも無理はない。私は思い切って、長棍を下ろした。
「サトラ、立って!」
「ふぁっ?」
 反射的に立ち上がったサトラの後ろに回ると、私は脇に手を突っ込んでめちゃくちゃにくすぐった。
「こんなに、がちがちで、どうするのよっ!」
「はひ、ひゃ、ひゃーひゃははははは! ちょっヒっ待っきゃーわーあ!」
 もだえて踊りだしたサトラの姿に、見物人がどっと笑い崩れた。議員と学院長が顔を真っ赤にして何か怒鳴った。砂盛りで構えている間は何分でも精神統一をしていいけど、位置を外れるのはよくないとされている。
 でも、ヴィスマート弾道官は退場を命じないでくれた。
「ヒオリ、一分だけだ!」
「一分もくすぐっていいんですか? ほら、ほら!」
 サトラがさらに暴れて、笑い声が一段と大きくなった。
 頃合を見て、私は位置に戻った。肩で息をしていたサトラが、涙を拭って支杖を持ち直す。弾丸を乗せて、しっかりと支えた。
「いいよ、ヒオリ!」
「よっし」
 長棍を構えなおした。潮が引くように人々が静まり返った。私は的を見つめる。
 自分と的とが、遮るもののない道筋で結ばれているような気がした。
 振りかざし、
 振り抜いた。
 すぱっ……
 撃った瞬間からわかっていた。何もかも完璧だった。のびのびと飛んでいった弾丸が、的の角に当たって斜めに跳ねた。三分の一秒遅れて、カッと硬い音が伝わってきた。
 ぽかんと口を開けていたサトラが、はっと思い出したように叫んだ。
「てっ……的中ーっ!」
 黄色い歓声が津波のように襲ってきた。

 その後に続くサトラからの三人が、続けざまに的中を出した。サトラは当たった途端に長棍を放って泣き出した。
 けれども、浮かれた雰囲気はそこまでだった。八人続けて、的中どころか評価でもないあさっての方向に飛ばしてしまった。その後のセピアは、砂盛りに立ったところで固まってしまった。それから二十分も動かず、見かねた弾道官が声をかけようと立ち上がった途端、吐いた。
 彼女が控え席に戻されて、後回しにされると、また重苦しい沈黙が戻ってきた。
 その後も、評価が三人出ただけで、一人の的中もなく試験が続いた。二度目に砂盛りに上ったセピアも、力のないはずみ弾を転がしただけだった。
 私は焦っていた。セリは最後だ。こんな雰囲気のまま彼女の番が来たら、ちゃんとやれるかどうか。どうにかしてやりたかったけど、控え席での私語は禁止だった。弾道官も、さすがに二度目のおふざけは許してくれないだろう。
 どうにもできないまま、彼女の番が来た。
 一番の私がキャディになり、二十四番のセリとともに砂盛りに登った。風を読み上げ、支杖を立てる。私は彼女を見上げて言った。
「がんばって」
 的を見つめるセリは冷静だった。冷静のように見えた。
「当てていいの?」
「え?」
 セリが、ちらとこちらに目を向けた。私は彼女が冷静なんかじゃないことに気づいた。
 怒っている。
「弾道官になって、いいの」
「どうして? なりたくないの?」
 私は戸惑った。セリが学院に残ったのは、私と同じように遠くの世界へ行きたいからだと思っていた。それともやっぱり、交易師団や政庁に行きたくなったんだろうか。セリのお父さんは、確か政庁の役人だ。
「あなたはきっと、合格するでしょうね」
 セリは、ぐい、と長棍を構え――
「言ったでしょう、わたしとあなたは、同格の人間じゃないの」
 静かに長棍を下ろし、砂の上に投げ捨てた。
 そして弾道官のほうを振り向いて、言った。
「棄権します」
「セリ!?」
 見物人がざわめいた。弾道官が立ち上がる。でもセリは長棍を拾おうとせず、砂盛りを降りた。
 その背から、悔しそうな声が聞こえた。
「わかってないんだから……」

 頭が混乱して、その後のことはよく覚えていない。気がつけば結果発表の場で、スウィンカや他に二人の合格生とともに皆伝状を授与されていたけど、それすら他人事のような気がした。これから三ヵ月の補習を受けるはずのみんなが祝ってくれたけど、その中にセリの姿がなかった。わけがわからなかった。
 乱れた頭で理解しようとしても、思いつくのは悪いことばかりだった。セリは私に飽きたのかもしれない。私がもっと心を開かなかったから離れてしまったのかもしれない。成績の差を気にしていたのかもしれない。同格の人間じゃない? どういうこと。どうすればよかったの。
 授与式が終わったあとのざわめきを抜けて、院の廊下でぼんやり長椅子に座っていると、声がした。
「ああ、いたいた。ヒオリ、何をしてる」
「……弾道官」
 振り向くと、ヴィスマート弾道官が晴れ晴れしい笑顔でやってきた。彼女を目にすると、こんな時なのに、また心が揺れてしまった。抱きついて甘えたい、と。
 こんな時だから、許されるかもしれない――一瞬そう思ってしまって、自分がいやになった。そういえばセリの前で弾道官のことを口にしたことがある。あれも嫌われた原因かもしれない。私が欲を抑えられずに、ふらふらと他の人間に目を奪われていたから……。
 そばに来た弾道官が、「ふむ?」と首をかしげて、隣に座った。
「どうした」
「いえ……」
「二つ話があるんだが、聞けるかね」
「二つ?」
 私はうつむいたまま目を向けた。弾道官は周りを見回すと、近くに人がいないことを確かめたのか、顔を寄せて小声で言った。
「一つは君と私の体の話だ、と言えばわかるかな」
「体の……」
 私は顔を上げた。何かがぴんと来た。
「あなたも……なんですか?」
「わかったようだな。私もカピスタだ。君と同じ」
 私は呆然とした。この人が? 今まで自分の他に会ったことのない、人間の先祖がえりと言われる両性の?
「ひと目見てわかった。最初の挨拶の時、通じたからな。君もだろう」
「私も、って……」
「カピスタは多情で子を多く為す。男女に対しては無論、同族に相対すれば、ことのほか催す。現にこうしていても胸が騒ぐ。島に連れ帰って番いたい」
「つがい、たい……」
 かっと頬に血が上った。よく見れば、弾道官の美しい頬も赤らんでいるみたいだった。確かめなくても彼女の言葉が本当だとわかった。きっと初対面の時にも、涼しい顔をしていながら内心を抑えていたんだ。
 胸に沸き起こる妙な気分をそらせようと、私は尋ねた。
「あの、あなたがカピスタなら、もっと詳しくお聞きしたいです。私たちのこと」
「よろしい、教えてあげよう――と言いたいところだが、実は私もたいしたことは知らないんだ」
「そうなんですか?」
「私の一族は代々ランドロミア島に住んでいるが、カピスタは数代に一度出るだけだ。弾道術の師範としては知識も技術も受け継いでいるが、カピスタとして継いでいるのは、この血以外に何もない。私や君の才能からして、カピスタが弾道術に秀でているという要素はあるのかもしらんが、それ以上のことは何も言えんな」
「じゃ、じゃあ、血筋の話は結構ですから……カピスタとしての生き方は? あなたはどうやって暮らしているんですか?」
「その質問の意味はわかる。つまり、『いつも困る』んだな?」
 私は恥ずかしさをこらえてうなずいた。
「うっかり誰かと二人きりになったりすると、すぐ……」
「残念だが、それは仕方ない。宿命だ。抑えるには死ぬしかない」
 私はがっかりしたが、すぐに弾道官があっさりと言った。
「抑える方法はないが、暮らし方はある。まあ人間と同じだが、いい相手を見つけて、受け入れてもらうことだ。私とスワイニのように」
「はあ……」
 私が、ちょっと宙を見上げると、弾道官が笑って、私の頬を軽く叩いた。
「想像するな」
「す、すみません……」
「それに君は、人のことを想像しなくても、もう番いがいるだろう」
「え?」
「セリは君の匂いがする」
 私はなんとも言えない、情けない気分になった。顔をそらしてしまう。
「それは、もう……だめなんです」
「彼女が棄権したからか」
 こくりとうなずいた私は、意外なことを聞いた。
「弾道官が、一隻の船に一人しか乗らないことを聞いているか」
「え?」
 私が振り向くと、ヴィスマート弾道官は、二つ目の話だと言った。
「今朝、セリが私のところに来た。弾道官になったら希望の人間と同じ船に乗れるのかと。だから教えてやったんだ、元老院はできるだけ多くの船に弾道官を乗せるために、一隻に一人ずつの制限を科すつもりだと。そうしたら彼女はなんて言ったと思う?」
 私は首を振って、目顔で先を促した。弾道官は、愉快でたまらないというように口の端で笑って、告げた。
「じゃあ、希望する弾道官のキャディになる方法はあるのか、と」
 耳を疑った。
「だから教えたよ。そんな方法はないと。官選の弾道官に対して、キャディは資格のない、従者に過ぎないからな。あるのはただ――弾道官が、希望するキャディを伴う方法だけだ」
「セリ!」
 私は立ち上がって、走り出そうとした。すると、おっとと言って弾道官が手を引いた。
「まだ話は終わってない」
「なんですか?」
「君は実力で弾道官になった人間だが、それでも私はこう頼むことができると思う。私も君と同じように、カピスタの血にまつわる不思議が気になっている。カピスタはなぜ絶えたのか、なぜ絶えたのに現れるのか、他にも同種がいるのか、それに……カピスタであるというのは、悪いことなのか」
 一瞬だけ、弾道官の顔に影が差したような気がした。
「私はスワイニに子を産ませたい。……今のネリドの法では認められないが」
「弾道官……」
「私は当分、弾道院を離れることはできない。だからヒオリ、君が代わりに答えを探してくれ。これが私の頼みだ」
 私は弾道官の温かい手を握り返して、うなずいた。
「承りました」
「頼む。セリはさっき、院舎の裏へ行ったようだぞ」
 私は手をほどき、走り出した。弾道官の陽気な声が聞こえた。
「日が暮れたら祝宴だ。遅れるなよ!」

 色づいた木々の下を駆けて、一気に裏山を登りつめた。頂上の台地に出ると、風にそよぐ草の向こうに、しゃがみこんだ姿が見えた。
「セリ!」
 銀髪の頭がゆっくりと振り向いた。私が駆け寄るとまたのろのろと沖を見て、足元の草をむしった。
 ぱっと投げる。はらはらと散る草の向こうに、夕日に輝くルミニ湾の波頭と、ランドロミア島の影が見えた。
 私はそばに立って息を整えた。なかなか頭の中がまとまらなかった。嬉しくて抱きしめたかったけど、怒鳴りつけたいような気もした。言ってくれればよかったのに!
 すると彼女が、まるでこちらの胸の中を読んだように言った。
「その顔からすると、弾道官に聞いたのね」
「聞いたわよ」
「じゃあ、怒ってるでしょうね」
「当たり前じゃない!」
「やっぱりわかってない」
 ふ、とため息をついてセリが振り向いた。眼鏡が夕日を映して瞳を隠す。
「あなたについていくためなら半年の苦労なんてどうでもいい。全部投げ出してキャディになるから、あなたは合格してきっと私を選んでね――」
 ぞくっ、と強い震えが背中を這い登った。セリが、哀願?
 セリが顔を傾けると、眼鏡の内の冷たい目が見えた。
「……なんてわたしが言ったら、あなた、どうしてた?」
「じょ……冗談だったの」
「軽蔑したでしょ」
「そんな!」
「でなくても、重荷に感じて、試験に落ちてしまうかもしれない。無責任に二人分の苦労を押し付けるなんて、できなかったのよ」
 そう言ってから、セリはまた向こうをむいた。
「なんて、ここで言ったって、それも押しつけよね」
 私は、思わず怒鳴りつけてしまった。
「……そうよ。押し付けよ。それで自己嫌悪してそっぽ向いて慰めの言葉を待つなんて真似、しないでよ! 私のために黙って身を引いたみたいな言い方じゃない? 不愉快だわ。なめてる! 他のやり方もあったでしょう。たとえば、あなたが受かって私が落ちるってことも!」
「そんなの嫌よ」
 ぽつりと、セリが言った。
「負けるあなたなんて見たくない。わたしは……輝いてるあなたが好き」
 少しだけ振り向いたセリの、憧れともねたみともつかない目つきを見て、私は思い出した。
 初めからそうだった。彼女は言っていた。愛も恋も要らない、ただあなたの一部をつかんでいたいだけだって。私が彼女に抱いている思いと彼女が私に抱く思いは、やっぱりどこかすれ違っているのかもしれない――。
 そんなうそ寒い考えが、つかの間、胸を吹きぬけた。
 でも――
「……それなら私は」
 肩をつかむ。
「折れないあなたがいい」
 振り向かせる。顔を両手で挟む。
「私を襲って、溶かして、ひきずりおろしたあなたがいいわよ。今さらぐだぐだ女々しい繰言なんて、聞かされたくない。連れていってなんて言わないで。連れていけ、でしょう!? 私をつけ回していたぶりたい、でしょう!? それがあなたなんじゃなかったの? あなたは私を捕まえたのよ!?」
 かがんでキスした。驚くセリに、構わず、無理やり。膝をついて抱きしめた。いつも私を煽ってじらす体を、蛇のように締めつけた。たっぷりした胸、腰。セリの肉。
 眼鏡のつるをくわえて放り捨て、瞳の奥を覗きこんだ。
「――犯してしまっていいの?」
 一瞬、青い瞳に深い陶酔がよぎったように見えた。
 でも次の瞬間には、セリは逆に私を抱きしめ、草を蹴り、思い切り体重をかけてきた。支えられずにのけぞって、私はあおむけに倒れた。どっとセリが乗ってくる。
「馬鹿いわないで。まだまだ、あなたなんかに犯されないわよ」
 首に腕を巻いて、力ずくの抱擁、キス。乳房も腹もうねらせて私を煽りに来る。舌の味、生暖かい唾液の味、眼差し。さっきまでの自虐めいた伏し目が、挑みかかるような鋭い目に変わる。私は、いつものセリが帰ってきてくれたように感じる。
 同時に、手に入りそうだった本当のセリが遠ざかったような気も。
 あえかな心残りが、圧倒的な欲情に押し流されて消えた。
「んふ、ん、んむ、く、くふ……」
 重い体で私を押さえて、セリが激しく唇を吸い立てる。皿型帽が二つとも転がり落ちる。流れこむ唾液、流しこまれる。まるで彼女のほうが犯しているみたい。私は草をつかんで悶える。酔う。こんなにくっつくのは初めて。セリに包まれているような感じ。体が反応する。胴や足よりも、もっと敏感なところを包まれたいと。
 下着の中で張り詰めたものを、私は腰を突き出して押し付ける。足の間のセリの太腿に。むっちりした、そそってたまらない肉に。
 すぐにセリが気づいて、太腿をこすりつけてくれる。
「もうこんなに。結局これ? これを始末してほしくて追ってきたの?」
「……そうよ」
「昨日も一昨日もしてないから、うずいてたまらない、誰でもいいから処理してほしい、だから一番手近な私のところに来た、そうでしょう?」
「そ……」
「弾道官やサトラにも勃てていた。でもそんな人たちに頼めない。わたしにだったら安心してぶちまけられる。それだけなのね?」
「く……」
 私は答えられなくなった。違うのに。本当はセリだからしたいのに。もう、そうだって気づいたのに。
 でもセリはそんな答えを望んでない。私が恥に思うからこそ、触れてくれる。
「どうなの?」
 手をついて体を浮かせたセリが、私の黒の制服に手をかける。赤く縁取られた合わせ目をかき分けて胸をあらわにする。白の下着を、猛獣のように引く。ぶちっと背中の留め金がはぜて、剥ぎ取られる。
 乳房に空気が触れた。セリの目が嗜虐に輝く。顔を近づけ、唇で触れた。
 ぢりっ、と乳首が焼かれた。
「ひぁんっ!」
「可愛いおっぱい……もちろん、初めてよね?」
 セリが噛む。噛んで、吸って、吸って、噛む。熱としびれが交互に襲って、私は跳ねる。感覚が尖る。ぞわぞわと胸が騒ぐ。下着の腰紐が限界まできつくなる。
「ひっ、きぃっ、いっ、ひんっ!」
「騒がしいわ、ベッドの上でもないのに」
 頭を振って悶えていた私は、周りの広さを思い出す。草むら、誰が来てもおかしくない。呼びに来るかもしれない。見られる、胸をもてあそばれるこの姿を。
「見つかったら、弾道官の地位も乙女の清さも吹っ飛んでしまうわね」
「やめてぇ……」
 顔を覆おうとした腕を、セリが容赦なく押し戻した。私は、乱れ髪の貼り付いた顔を隠すこともできない。
「大丈夫よ、見つかったらわたしも一緒に落ちてあげる……」
 楽しくてたまらないという風にくすくす笑いして、腰から下を草むらに下ろした。
 添い寝するような姿勢で、私のスカートをたくし上げる。胸への口付けはやめない。おもちゃも同然に噛んだり舐めたりしながら、下着に手をかける。引き下ろす。
「ほら、お尻上げて?」
 この期に及んでだけど、私は抵抗した。腰にしっかり体重をかけた。
 でも無駄だった。あれの裏を爪でカリカリ引っかかれて、「ふぁ」と足を緩めてしまった隙に、股の裏側まで手を沈められた。
 口にできないようなところを、人差し指で深々と押された。
「うあぁンっ!」
 恥ずかしさにまみれてぞくぞくと身を縮めた瞬間、浮いた腰から綺麗にくるりと下着を下げられてしまった。
 セリが宣言する。
「丸出し」
「ひぅ……」
 赤い雲が見える。雲は私を見てる。半分以上剥かれてしまった私の体を。
 セリの指が巻きついてこすり始めると、目を開けていられなくなった。
「ねえ、ヒオリ。外で自分からこれを出したこと、ある? 男の子みたいに? それって気持ちいい? いちばん恥ずかしいところを出しちゃうのって、とてもいいんじゃない?」
 ひっきりなしにささやきかけながら、セリはしごいて、舐める。私はもう虫みたいに痙攣するだけ。びくん、びくん、と跳ねる。手をふらつかせる。頼りなくなって、しっかりセリの頭をつかんだ。
「ずいぶん弱っちゃったわね」
 そう言うと、セリは唇を離した。濡れた乳首がひやりとする。
 すぐにべったりと温かくなった。セリが横顔を深々と胸に乗せていた。うっとりした声で言いながら、右の頬を、左の頬を、代わりばんこにゆっくりこすりつけた。
「ヒオリって、ほんとに温かい……心臓の音、聞こえるわ」
 押し潰された乳房の上を、さらさらとセリの頬が滑っていく。耳や鼻がこすれるたびに、いやでも自分の乳首の硬さを思い知らされた。
 私は上下両方を愛撫されて、お湯のようにとろけかけていた。あれはもう白いしびれの塊だった。セリがしごきをゆるやかにして、ギリギリで止めていることに、ずいぶんたってから気づいた。
 素知らぬふりなんてできなかった。セリの頭をつかんで頼んだ。
「お願い、下、もっと」
「出るの?」
 うん、とうなずいた。セリにすべてを任せた今の状態が心地よすぎて、自分の手を使いたくなかった。
 だからセリが顔も手も離して目を合わせに来た時は、やめないで、と懇願しそうになった。
「じゃあ、ここにね」
 セリが内緒話をするように自分の唇を押さえた。
 意味がわかるまでしばらくかかった。わかった途端、大きく心臓が跳ねた。
「く……口に?」
「いいことがあった日に、って言ったじゃない」
 セリが微笑む。優しくではなく、残酷に。待ってる。私が頼むのを。そんな不潔すぎることを私が命じるのを。
 どきん、どきん、と心臓の音が耳の奥で渦巻き、私の妄想が膨れ上がった。同級生の娘の、この澄ました唇に、私の、あさましく腫れ上がったものを、押し込む。
「く……」
 最低だ、と胸の中の自分が小さく叫んでいた。堕落にもほどがある。
「くわ……えて……」
「おちんちん?」
 うなずいた。同時に、後ろめたさがドロドロの甘さに変わって、下腹のしびれの先に、苦しいほど殺到した。
「う……クッ♪」
「あ……凄い」
 ちらと見下ろしたセリが目を見張った。言わずに済ませるような子じゃなかった。
「いま、ぐうって。……そんなに嬉しいんだ……♪」
「は、はやく、して」
 恥ずかしさで息ができなくなることがあるなんて、知らなかった。
「見ていてね」
 誘いに抗えないまま、私はふらりと頭を起こした。セリがこちらにしっかり目を向けながら、顔を下におろしていった。まっすぐ空を指して震える私のものが影になっていた。影の先に、薄く開いた唇の形をした影が、かぶさった。
 ぬるん、とそこから音が聞こえたような気がした。
「あっ、ぐ」
 一瞬で、私はセリの口の中にいた。濡れて、温かい、唇と歯と舌に包まれた。そこ以外の世界がなくなった。自分の姿も声も消えた。
 ぬぶぶぅっ、と――セリにすべてを呑みこまれて、私はぱちんと音を立ててはぜてしまった。
「ひあアァアンンッ♪」
 セリに、吸われる、飲み込まれる。びゅくびゅくと脈打って飛びこむ私を、セリの舌と喉が献身的に迎え入れる。導いて、搾って、ごくり、ごくりと飲み下す。飲まれていく。セリの深い体の中に入っていく。
 ぢうううっ、と吸い立てられて、腰の奥底から根こそぎ引き抜かれていくような凄まじい快感が、その行為の最後の記憶だった。

 冷えた汗の寒さで、我に返った。もう秋だ。
 暗かった。日が暮れてしまったみたいだった。体が、起こせなかった。粘土につかったような重さが全身を浸していた。
 声を絞り出した。
「セリ」
「ん」
 どこかよそへ行ったのかと思ったら、さっきと同じ、すぐそばで声がした。腰の横にへたり込んでいるみたいだった。苦労して体をひねると、地面に手をついてうつむいたセリがいた。
「セリ?」
「ちょっと……待って……」
 セリがどうなっているのかよくわからなかった。こちらへ這い寄ろうとして、がくんとひじを折る。どさっ、と倒れこむよう私の隣に並んだ。
「はふ……」
「……どうしたの?」 
「来た、の」
「来た?」
「ええ……飲んだとき、わたしも」
 まだわからなかった。首を回して顔を見た。
 薄暗い中、セリが、見たこともないほどとろけた表情で浅い息をしていた。
「頭から股まで、ずぅんっ、て。ヒオリに犯されたって思った、とたん……」
「……そんなこと、あるの?」
「初めて。どこかに落ちるかと思った……」
 虫の声が聞こえた。
「セリ」
「ん?」
「船、乗ろう」
「……ええ」
 私たちは、どちらからともなく体を寄せて、抱き合った。もうあと少しで自分を取り戻して、元の微妙な関係に戻って、急いで宴に向かうのはわかっていたけど、それまでは、何も考えずに溶け合っていたかった。

 出航の日、ネリド共和国議会は満場一致で決議し、元老院に属する制圧弾道官が、国外辺境に限って蛮夷制圧の全権を行使する法を、二百九十八年ぶりに復活させた。
 王庁の法意に基づき、フリゲート艦の絶え間なき西風号で、私たちは新大陸に向かった。


(2007/04/14)





















note:
 この話の主役二人は、ネット上の「戦闘派ナースさん」というイラストに触発されて生まれた。