top page   stories   illusts   BBS
file 6

ベッドサポート・カンパニー

 file7 薄幸少年救出コース (後編)

 バーの中では、乱れはてた格好の少年たちが、好き勝手に軽食を食べていた。集まったのが昨日の夜だから、徹夜で十八時間以上狂宴を続けたことになる。それなのに、一人も脱落者がいない。体力はありあまっているようだった。
 木ノ又は、カウンターでむしゃむしゃとサラミをかじっていた。それを見ながら、歩はぼんやり考える。
 ……これからどうしようかな……
 いったん着せられたワンピースも、レミに取り上げられた。元から着ていたシャツとキュロットが体の上に放り出されているが、袖を通すのも億劫だ。着ても、意味がないかもしれない。
 ……生きて帰れるかどうかもわからない。帰るにしても、うちはもうないかもしれない。ほかに行くところもない……
 攻造のしかめっ面が不意に浮かんだ。あることを歩は思い出した。歩が攻造を慕っているのは、出会いの時の体験があるからだけではなかった。
 以前、満堂美都子たちとホテルでわたり合ったあと。事務所に帰った三人から事情を聞いて、攻造は怒ったのだ。
 歩が、例の新人たちに手を使わされたと聞いて。
 なんなんだよそいつら、男にこすられて嬉しいなんてどっかおかしいんじゃねえか、行かなくてよかったぜ見たくもねえ、と彼はわめいていた。実際、怒るには少し妙な理屈だった。本人もわかっていなかったのだろう。歩は自分の胸の中だけで、その理由を勝手に決めていた。
 ――攻造さん、妬いてくれたんじゃないかな。
 そんな小さなことを頼りにして、歩は想いつづけてきたのだ。
 ――でも、もうだめだ。こっぴどく怒られた上、こんな目にあっちゃったボクじゃ。こんなに汚れちゃったボクは、好きになってもらう資格なんかない。
 ……でも……もういっぺん、会いたかった……
 抱きしめてほしかった。それが無理なら顔が見たかった。せめて声だけでも聞きたかった。
「どけよこの野郎!」
 ……声?
 歩は、目を開けた。

「まだやってねえよ」
 見張り役らしいニット帽の男が、バーのドアの前で吐き捨てるように言った。
 攻造は正面からパンチをたたきこんだ。「うがっ!」とのけぞったそいつが、なにか言おうとする前に、さらにもう二回、容赦のない拳を見舞った。そいつは鼻血を出してドアにもたれる。
「どけ、邪魔だ」
 胸ぐらをつかみあげて、攻造は後ろに放り出した。愛美が感心する。
「攻造にいちゃん、つよーい」
「いらないところで場数を踏んでるのよ。人の女に手を出しては、その彼に怒鳴りこまれて、ケンカしてるんだから……」
 言いながら、なずなはドアの前に出て、攻造の隣に並んだ。
「店の中、十人はいるんでしょ。今時の若い子はナイフぐらい平気で使うわよ。自己流のケンカ殺法でなんとかなると思う?」
「おまえこそ、実際に殴り合ったことがあるのか」
「なめないでよね」
「ふん」
 鼻を鳴らして、攻造はドアに手をかけた。一気に引き開ける。
「なんだテメェ!」
 騒ぎを聞きつけて待ち伏せていたらしかった。モップや空き瓶を手にした連中がわっと押し寄せてきた。
 攻造は打たれるに任せてよけずに突っ込み、正面の少年の腹にむけて、いきなり乱暴な蹴りを放った。効果もへちまも考えていない。ただ、体重だけは目一杯乗せている。
「ぐほぅ! こ、こんのヤロウ!」
 そんないい加減な蹴りで激昂している若い男を倒せるわけがない。腹を押さえて、少年が空き瓶を振りまわす。頭に血が上っている攻造はよけもしない。ものすごい殴り合いになる。
「スマートじゃないんだから……」
 つぶやきながら中に入ったなずなは、振り下ろされたモップをすらりとよけて、相手の腕を下に押さえつけた。
「陣ッ!」
 膝を垂直に立てて跳ね、少年のあごを突き上げる。一撃で、口から赤いものをまき散らして、少年は転倒した。頸椎が外れたかもしれないし、舌を噛み切ったかもしれない。なずなの知ったことではない。
「俺の店で好き勝手は許せねえな!」
 ドラム缶のような体型の猪首の男が、重戦車のように突っ込んできた。よけるスペースがない。なずなはセーラー服の胸元と首の後ろをつかまれ、ずららっ、と押し戻されそうになる。
「柔道か……下手なやつほど投げたがるっていうけど」
「てめえは古武術か? そんな細い体で百二十キロのオレが倒せるか?」
 猪首は、右に左に腕を引いて、すさまじい力でなずなの体勢を崩そうとする。なずなはがくがくと引きずられながらも、薄い笑みを消さない。
「いいことを教えてあげる」
「なに?」
「柔術はね、甲冑を着たまま組み合うために生まれた武術なのよ」
 言うが早いか、なずなは両腕をまっすぐに上げて腰を落とした。手品のようにすぽりとセーラーが脱げる。
「なにっ!」
「臨!」
 落ちる勢いそのままに、なずなはひじを猪首の足の甲に叩き込んだ。一瞬、「おうっ!」と猪首は全身を弛緩させる。その隙をついて、なずなのひじとひざが続けざまに交錯した。
「兵! 闘! 者!」
 人体の中で最も堅い部分が、猪首のすね、股間、腎臓に叩きこまれる。下から上に向かってなずなは打撃部位を上昇させていく。竜巻のような早わざ。
「皆! 陣! 烈! 在!」
 鎖骨を突き、こめかみをひじで打ちぬき、あごをひざでたたき上げ、相手が浮いたところで体を回しざま、遠心力をかけたかかとでひざ裏を刈る。
「前ッ!」
 倒れる猪首ののどにひじを押しつけて、なずなは体ごと床に落ちた。どぅん! とものすごい音が上がり、猪首はぎょっとするほど長く舌を吐き出す。そのまま、低くうめきつづける。まわりの少年が呆然とする。
「講道館三段の吉津さんが……」「な、何流だおまえ!」
 急所も狙うというような生やさしい方法ではなく、急所「しか」狙わないえげつない戦いかただった。ひじやひざばかり使うのも非常識だ。競技用の武術ではありえない。
 それも仕方ない。弱い女が男から身を守るためのわざだから。そうなずなは仕込まれ、わざ自体もなずな一人に合わせて作られた。九堂に伝わる名もなき護身術。何流、と聞かれてもなずなには答えようがない。
 だから、彼女はただ笑った。
「もう一度見てみたら、わかるかもよ」
 なずなが一人で三人あまりを制圧している間に、愛美と倫子がその後ろをすり抜ける。「待ちやがれ!」と別の数人が立ちはだかる。子供と女、とあなどっている。
 愛美が両手を振った。二本の針金が、少年の一人にからみつく。ジッ、と低い通電音が流れると同時に、少年はびくんと体を震わせて崩折れた。それを見たもう一人が脅えた顔でバタフライナイフを取り出す。相手が子供であることを忘れている。酒が抜けていない。
 少年は愛美のひざにナイフを突きたてる。だが、まるでなまくらのようにつるりと滑ってしまう。つんのめったところを愛美が抱きとめて、小指をじかに突きたてた。
 二度目の放電。独立行動時ならここで止まる。
 だが、愛美は背筋を伸ばしたままである。車椅子に収めたMH合金キャニスターには、燃料電池のための水素がたっぷり残っている。それとともにいる限り、彼女の動作は止まらない。
「死ねよ!」
 観葉植物の影からピンクのワンピースが踊り出た。椅子を振り上げている。振り返りざま倫子が手首をひらめかせる。とぐろがほどけて蛇になり、電光のように伸びたムチが娘の両目をはじいた。「ギャアッ!」と寒気がするような悲鳴を上げて、娘はよろよろとしゃがみこんだ。
「うわー、当たっちゃった」
 倫子は信じられないようにつぶやいた。
「なんでも覚えておくものねえ……しかし女の子にムチはきつかったかな」
 AV女優時代にSM企画もので覚えたムチだった。ただ、猿真似で習っただけだから、当たったのはまぐれである。
「て、てめえら一体なんなんだ!」
 奥にいた丸岡清二が、半狂乱で叫んだ。仲間たちが束になってもかなわない。だが、やくざや警察とも思えない。得体が知れない上、ここに来た理由もわからなかった。
「よそのチームのやつらか? 誰かがチクったのか?」
「うるせえ!」
 こめかみから血を流したものすごい顔で、攻造が一喝した。清二は震え上がって後ずさる。
「き、木ノ又さん!」
「おまえ、行け」
 木ノ又に背中を蹴飛ばされて、清二はたたらを踏んだ。その横っ面を攻造が殴りつける。もともとそう立派な体格でもなかった清二は、頭から吹っ飛んでテーブルや椅子をめちゃめちゃにした。
「てめえがリーダーか」
 攻造は木ノ又と対峙した。木ノ又は、この後に及んでもまだ、平然とカウンターでサラミをかじっている。何を考えているのかよくわからない、不気味な男だった。攻造はさらに進む。
 その時、奥のボックス席の様子が目に入った。
 歩がいた。攻造を見て薄く口を開け、笑顔のようなものを浮かべかける。
 だが、それが笑顔に見えないほど、痛々しい姿だった。髪は麻のようにぐしゃぐしゃだった。肩口に噛みあとがあった。なにより、身に一糸もまとっていなかった。
 攻造の視線に気づくと、歩は顔をこわばらせた。おずおずと散らばった服を体に乗せて、震えながら胎児のように丸くなる。
 攻造の耳の奥で、ざあっと血流の音が高まった。

「いいか、父親の君がしっかり聞いてくれ。あの子はもう、暴行によるショックで胎盤が剥離してしまっている。子供もだめだが、出血がひどくて母体も危うい。ひどいことをされたもんだ。私たちも手を尽くすが、その……七三でだめかもしれん。――いや、医者の私が言うことじゃないな。さあ手を放してくれ、すぐ手術だ。なに、死なせるもんか。きっと助かるよ」

「きさま……」
 攻造の顔が赤黒く染まる。木ノ又に向かってゆっくりと足を踏み出す。
 木ノ又は、カウンターに並んでいた酒瓶の中から一本を手に取り、景気付けのようにぐいっと飲み干した。攻造はさらに一歩進む。
 その時、後ろのなずなが気づいた。こげ茶色の酒瓶に貼られたラベル。
 LEMON HART DEMERARA 151
「攻造伏せて!」
 口元にジッポーをかざした木ノ又が息を吹き出した。ごうっと炎が襲いかかる。七十五度の超高濃度ラム酒。
「こ、このっ!」
 攻造は顔をかばって下がる。木ノ又はレモンハートの瓶をカウンターに叩きつけて割ると、別人のように敏捷な動きで飛びかかった。攻造の革ジャンがざっくり切り裂かれる。
「そんな手が効くかよ!」
 攻造は木ノ又の手を蹴り上げ、瓶を弾き飛ばした。木ノ又は頭を低く下げてタックルをかける。どぼっ、と攻造の腹に頭突きが入り、そのまま二人はもつれ合いながら倒れこんだ。
「愛美ちゃん!」
「だめ、二人とも感電しちゃう!」
 手を出せずに見守るなずなたちの前で、二人は壮絶な殴り合いを始める。頬を殴り、鼻を殴り、どちらが上になるわけでもなくごろごろと転がって、店中のものを押し倒す。技も何も使える距離ではない。顔に頭突きが入り、同じ手をやり返し、自分の拳を壊すかのような力でパンチを叩きこむ。
 清二に意識があれば、無感動な木ノ又がここまで逆上するなんて、と驚いたかもしれない。攻造は普段の彼を知らなかったが、相手の激怒には気づいた。じきに、理由がわかった。
 何十発目かのパンチのあとで、不意に、上になった木ノ又が手を止めた。にたりと笑ってつぶやく。
「やっぱりてめえが、あいつの男か」
「……なんだと?」
「あいつ、とうとう一度もいいって言わなかったぜ。おれたち以外の男のこと考えてやがった」
「なに……」
「てめえが来てくれてうれしいよ。てめえさえ消しゃあ、あいつは」
 怒りに倍するおぞましさが湧きあがった。こいつが歩を、こいつは歩を!
「こ……の……」
 攻造は背筋に力を溜めた。再び拳の嵐が顔に襲いかかる。それに耐えて、攻造は背筋をたわませた。
「ど畜生が!」
 背筋がちぎれるほどの力をこめて、攻造は体の上の木ノ又を振り落とした。体が一瞬はなれた隙に、向きを変えて木ノ又の胴を両腕で抱きかかえ、信じられないほどの力を振り絞ってごぼう抜きに持ち上げた。
 腕を振りまわして木ノ又がもがく。構わずに攻造は走った。思いきり加速をつけ、そのまま、壁際に積んであったウイスキーのバーレル樽に突っ込んだ。
「ぐおッ!」
 木ノ又の頭が叩きつけられ、頑丈なオーク材の樽が、めきっとへこんだ。うめき声を上げる木ノ又を攻造が放り出すと、その背中にざあっとバーボンが振りかかった。
 そして、上段の樽が落ちてきた。
「があーっ!」
 百八十リットルの樽が落ちた轟音に、木ノ又の悲鳴はかき消された。

「歩……」
 攻造は奥の席に近づこうとした。とたんに、鋭い声が浴びせられた。
「こないで下さい!」
 攻造は立ち止まる。その横をすり抜けてなずなが近寄った。歩に二、三言話しかけ、テーブルクロスをはがしてその体に巻きつける。
 何か言おうとして顔を上げ、何も言えずに口をつぐむ、そんな仕草を攻造が何度か繰り返した。見かねて、倫子が声をかけた。
「いつまでもここにいちゃまずいわ。落ち着くのは外に出てからにしましょう。なずな、あなたのアパート近かったわよね」
「そうね。行くわよ、歩ちゃん立てる?」
 攻造より先に倫子が近づいて、肩を貸した。なずなと二人で歩を抱え上げる。店を出るときも、歩と攻造の視線は重ならなかった。
 歩たちは倫子のアストロに乗りこみ、攻造は一人でジムニーのハンドルを握る。十分後、一同はなずなのアパートに到着した。
 部屋に入って腰を下ろしたところで、攻造が耐えられなくなった。歩に目をやる。彼はもう、車の中でもとのシャツとキュロットに着替えている。
「歩、大丈夫か」
「……大丈夫じゃないです」
「どこがだ。手か、足か、それとも……医者行くか」
「いいです別に」
「いいってことないだろう。あんなことされて」
 あんなこと、という言葉に歩が体を固くした。なずなが攻造の背中を突いて小声で毒づく。
「……馬鹿!」
「何がだ? あんなことだろう? あいつらにメチャクチャにされたんだろう? 隠したってしょうがないだろう。なかったことにはできねえんだ!」
 攻造は言い返した。ほとんど逆ギレだったし、本人もそれは分かっていた。しかし、止められなかった。どうして腹が立つのかわからないまま、攻造はわめきたてた。
「心配してやってんだ、ちょっとはうれしそうな顔したらどうだ! もう助かったんだからな! なんでそんなにいつまでも辛気臭い顔してやがんだよ。まったく、こいつはいつもいつも……」
 パン! となずながビンタを張った。
「いい加減にしなさいよ、みっともない!」
「なんだと?」
「やめて、いいですなずなさん」
 歩がぼそぼそと言った。
「ボクが悪いんです。ボクのせいでみんなに迷惑かけて、攻造さんはあんなに殴られちゃって……攻造さん、怒って当たり前です」
「だからそうじゃなくって、おれはよ、ああもうわけわかんねえ!」
 腹立ちまぎれに攻造は床を蹴りつけた。それよりもっとじれったそうな顔をして、なずなは攻造を冷たい目でにらんでいる。
 倫子が割って入った。
「もう、三人とも……ちょっと聞きなさい」
「社長は引っ込んで――」
「聞きなさい!」
 攻造を叱りつけてから、倫子は歩の顔をのぞきこんだ。
「あのね、歩ちゃん。これだけは覚えておいて。あたしたちは歩ちゃんのことを迷惑だなんて思ったことは、一度もないから」
「……」
「攻造もよ」
「うそ。いいです、そんなうそ……」
「嘘じゃないわ」
 そう言うと、倫子は歩に話した。なずなの電話を聞いてから、美都子の事務所に行き、そしてあのバーにやってくるまでに、攻造がどんな顔で何をやったのかを。
 その行動の表す意味は、誰にも誤解しようがないものだった。ある意味、滑稽ですらあった。だが、倫子は攻造のあわてぶりを、少しも茶化さずにまじめな顔で歩に聞かせた。もちろん彼女は、歩の気持ちもすべてわかっているのだ。それだけの人生は歩んでいる。
 倫子の話は、まっすぐに歩の胸に染みとおった。そして、攻造本人ですら、知らず知らずのうちに自分の気持ちに気づかされていた。倫子に見られていた自分は、ごまかしようがないほどはっきりとした行動をとっていた。
 すべての話が終わると、倫子は確かめるように歩の顔を両手で挟んだ。
「よくわかったかしら? みんな、歩ちゃんが大事なのよ」
「……はい」
 何度か瞬きしてうなずくと、歩は攻造を振りかえって、初めてまっすぐにその目を見た。
「攻造さん……ほんとですか?」
「……ああ、ほんとだ」
 攻造は、ようやくうなずいた。
「人から聞くとまるっきし馬鹿だな、おれ。……けど、もう否定しねえよ。今まで気づかなかったのが情けねえくらいだ」
 なずながやっと表情をやわらげた。歩が顔に希望の色を浮かべる。
「じ……じゃあ……」
「待ってくれ、歩」
 攻造は、苦しそうに片手を立てた。
「どうやらおれは、おまえのことが気になってるらしい。そこまでは認めてもいい。でもよ……」
「ボクが……男だから?」
「もちろんそれもある。しかし……」
「言いなさい、攻造」
 歯切れ悪くかわしつづける攻造に、倫子が毅然と命じた。
「言うなら今しかないわ。これを逃したら、あなたは一生悩みつづけるわよ」
「……そうだな」
 そして、攻造は話したのだ。
 五年前、彼の子供を妊娠した純のことを。
「コンビニはすぐそこだったんだがな。街灯もない暗い道でよ、危ねえなって思ったこともあったんだ。追いかけてやればよかったのに……」
「……」
「犯人は誰なのか、何人なのかもわからなかった。一時間たっておれが探しに出たときは、全部終わった後だったんだ。アパートのすぐ横の空き地から、あいつの声が聞こえた。――すぐに救急車を呼んだが、手遅れだった。純たちは二人とも、死んじまった」
「攻造さん……」
「忘れようとしたこともあった。しかし、忘れていいことなのか? おれが忘れたら、あいつと子供がこの世界にいたことの証拠がなくなっちまう。忘れることは、いっぺん死んだあいつをもう一回殺すようなもんだ。そんなことできるわけねえ」
「ひょっとしたら攻造、あなたがまともなセックスできないのって、まさか? ……ごめん、変な話だけど」
「いや、多分そのとおりだ」
 攻造は苦笑する。
「妊娠してなかったらあるいは助かったかもなんて、医者が言ったからな。妙に引っかかってんだ、それが。好きな女をはらませたら、またあのものすごい血を見ることになるような気がして……」
「ボク、妊娠しないです」
「そりゃそのとおりだ」
 冗談だと思って攻造は笑ったが、歩は真剣だった。
「ボクだったら、攻造さん安心できないですか? 余計なこと考えずにエッチできるんじゃないんですか?」
「おい……」
「ごめんなさい、余計なんて言って。でも、ちょっとでも使えるものがあれば使いたい。攻造さんが楽になるんだったら、ボク、なんでもできます」
「言っただろ、おれは純を忘れられねえ」
「忘れなくってもいいです。もともと攻造さんがボク一人のものになるなんて思ってないもの。攻造さんの心の真ん中は純さんのままでいい。でも、その横にボクも置いてください。お願い!」
 歩はひたむきに訴える。必死だった。初めてつかんだ細い希望の糸。それを逃したらもう生きていられない。
 まっすぐな視線が、攻造の心の中まで突き通った。もう今は、それをさえぎる子供っぽい意地や過去へのこだわりもなかった。それを受け入れられるような気もした。
 だが、攻造は首を振った。
「……歩……おれにはまだわからない。おまえを受け入れてやれるかどうか……」
「どうして!」
「自信がない。……まともな恋愛なんざ、この五年ですっかり忘れちまった。どうやったらいいかわからん。またおまえを傷つけちまうかもしれん」
「そんな……」
 その時、なずなが立ち上がった。
「ああもう、じれったい! 男らしくないにもほどがあるわよ、ジャンプする前からごにょごにょ言ってても、飛べるかどうかはわからないでしょうが!」
「どうしろってんだ?」
「試せばいいでしょ!」
 なずなは、玄関へ行ってバン! とドアを開けた。
「二人で試して来なさいよ! 恋人同士になれるかどうか! ここで押し問答してたって埒があかないでしょ!」
 歩と攻造は顔を見合わせた。倫子がおかしそうに言う。
「行ってらっしゃいな。それとも、ここでする? あたしたちが見ててもいいの?」
「い、いえ……」
 歩が赤くなって立ちあがる。つられて攻造も立った。もう一度二人で視線を交わす。
「攻造さん……いいの?」
「やってみるか……」
 決まり悪そうに頭をかきながら、攻造はうなずいた。
 靴をはいていると、なずなが奥から紙袋を持って現われた。歩の手に押しつけて、つぶやく。
「くやしい……なんか、本気でちょっとくやしいわ。私のほうが絶対歩ちゃんを幸せにできるのに」
「なずなさん……」
「わかってるわよ、私のは同情だし、あなたは私をエッチのうまい友達だと思ってるんでしょ。それでいいわよ。でも、つらかったらすぐ私のとこに来てよ」
「……ありがとう、なずなさん」
「それで、その袋だけどね……」
 なずなは、歩の耳を引っ張ってささやいた。
 二人が出ていこうとすると、愛美がちょこっと顔を出した。
「ねえ歩おねえちゃん、ついてっていい?」
「え?」
「なんか、すごく勉強になりそうな気がするもの」
「よしなさいな、愛美ちゃん」
 倫子が笑って止めた。
「馬に蹴られて壊れちゃうわよ」
「馬に……ああ、これってそういうケースなんだ」
 歩はドアを閉めた。

 攻造の家に向かうジムニーの中は、鉛のように重苦しい空気だった。歩は、会話どころか呼吸すら満足にできなかった。
 攻造の家もアパートだった。古びた、といっても歩の家よりはだいぶましなアパートの前で、車を止める。降りて玄関に向かうまでに、緊張に耐えられなくなって、歩はそっと攻造の手を握った。
 攻造も握り返してきた。その手がじっとり汗ばんでいるので、歩は少し驚いた。攻造もがちがちに緊張している。何百人もの女を口説いてきた攻造が。
 初体験のカップルってこんな感じかもと思って、歩はくくっと笑った。余裕のないときに出る、ひきつった笑いだった。
 室内に入る。服やCDや雑誌が散らばった床を見て、男の人の部屋だ、と歩は実感する。上がりこんでから、たっぷり二分ほど、二人はなにもせずに突っ立っていた。
「ええと……」
「攻造さん、お風呂入りましょうお風呂!」
 だしぬけに歩は大声で言った。なにか言われて拒まれるのが怖かった。
「ボクあんまりきれいじゃないし、攻造さんも暴れたから、入るほうがいいと思います」
「……あ、ああ」
 それは攻造も考えていた。これからすることを考えると、歩がきれいになっているほうが受け入れやすいような気がした。それに、自分も。以前歩は、男である攻造の肌に懸命に慣れようとしたが、耐えられずに逃げてしまったことがあった。そんなことがまた起こったら、今のもろい関係が壊れてしまうかもしれない。歩のためにも、自分もきれいになったほうがいい。
「攻造さん先に入ってください。ボクすぐに入ります」
「そうだな」
 攻造はキッチンに戻り、服を脱いだ。ちらりと見ると、歩はなずなに渡された紙袋を開けていた。
 風呂に入ってシャワーからお湯を出す。古いが広さだけはそこそこあるユニットバスだ。浴槽に貯めるのはどうせ間に合わない。適当に浴び始める。
「……入っていいですか?」
「入れよ」
 キイ、とドアが薄く開いた。おずおずと歩が小さな顔をのぞかせ、そっと入ってきた。
「おい……それ」
 攻造は、小さく息を飲んだ。湯気の中に現われた歩の裸身は、水色だった。レースのついたシルクのキャミソール。布地はごく薄く、起伏に乏しい体の輪郭が透けて見える。それ以外は、なにもまとっていなかった。
「どうしたんだ、それ」
「なずなさんがくれたんです。裸よりも、ちょっとでも女の子っぽくしたほうが、攻造さんも抵抗が少ないだろうって。……どうですか?」
 調べてもらうように体を突き出して、歩が目を閉じて言った。
「ボク、気持ち悪くないですか……?」
「……ああ。いや、大丈夫だ」
 思わず攻造はごくりとつばを飲みこむ。
「じゃ、すみませんけどシャワー貸してください。体洗います。……ボク、汚れてるし」
 攻造がシャワーを渡すと、歩は少し攻造から離れて、頭からそれを浴びた。木ノ又たちにつけられた汚れが残っている。そんなもの、攻造に触られたくない。
 シャンプーと石鹸をいっぺんに使う。おかっぱの黒髪をかきまぜ、石鹸を体中にこすりつける。キャミソールがそのままスポンジになって、歩の半身を泡の紗で覆った。
 攻造は声もなく見守っている。歩が体を洗う姿は、息が止まるほど神々しかった。この浴室で裸身を見た女は十人を超えるが、そんな感じを受けたことは一度もない。
 理由を考えて、攻造ははたと思い当たった。歩は、自分がはじめての相手なのだ。つまり、今まで誰とも風呂に入ったことがない。プレイの一環として見せるために洗う女たちとは、そこが決定的に違う。なにも知らない歩は、いつも一人で入る時と同じように体を洗っている。あごの下をぬぐい、両手の指をこすり合わせ、ちょっと反るようにして尻の間まで洗う。
 女たちはそれを目を開けてやる。行きずりの攻造に妙なことをされるのを恐れて。だが歩は、ずっと目を閉じている。完全に無防備だ。
 攻造を信じきっているから。
 ずきん、と胸が大きく痛む。
 泡を流しきった歩が、振り向いた。自分の体を見て、肌に張り付いたキャミソールを少し持ち上げる。攻造に股間を見られるのが気になるのだろう。
「攻造さんは? もう洗ったんですか?」
「いや、まだだ」
「じゃ、ボクが洗います」
「おまえが?」
「慣れさせて。練習」
 歩が攻造の肩から全身にシャワーをかけた。スポンジを泡立て、ぎこちなく肌をぬぐい始める。胸板をぬぐうと肌を押して向きを変えさせようとするが、そのタイミングが苦笑するほど下手だ。勝手に動く他人の体を洗うのは、意外と難しいのだ。そういえば――と攻造は思い出してしまう。
 純も、洗い合いをするのが下手だった。
「攻造さん……ここも、いいですか」
「頼む」
 歩が、手のひらに石鹸を泡立てる。そして床に膝をつき、かたい表情でおずおずと握った。これはあの人たちのとは違う、と自分に言い聞かせる。
 触ることはできた。大丈夫、きらいじゃない、と歩はうなずく。しごくように泡を滑らせ、皮をむいて隠れたところまで洗う。うん……こうやってきれいにすれば、今度は失敗しない。
 少し力を得て、愛撫のつもりで亀頭を手のひらで転がしたりしてみる。だが、攻造のペニスは力なく垂れたままだ。歩は顔を曇らせる。
 ……やっぱり、ボクじゃだめなのかな……
 攻造は、そんな歩の顔を見おろして、舌打ちする。自分にだ。
「……すまん」
「え?」
「実は、最近ずっとなんだ。息子のやつ、調子悪いらしい」
「……そうなんですか」
「おまえのせいじゃない」
 歩がやや表情を明るくした。攻造のささいなひとことが、本当にうれしいのだろう。あらためて攻造は、歩が自分に大きく依存していることに気づく。
「なあ、さっきちょっと思ったんだが……」
「はい」
「人と風呂入るときは、用心した方がいいぞ。おまえ、修学旅行で後ろからシャンプーかけられて、無限洗髪させられたこととかあるだろ」
「そんなことないです、中学校じゃ、思いっきり警戒してたから」
「じゃ、なんで今は……」
 すると、歩は言ったのだ。あのひとことを。
「だって、攻造さんは、ボクを守ってくれると思うんです。ボク知ってます」
「……なんでわかる?」
「初めてのとき、とびきり優しかったから」
 自分まで同じ聞き方をしたことに気づいて、攻造は信じられなかった。まるで一瞬だけ、五年前のあの日にタイムスリップしたようだった。
 ずっと忘れていた暖かいものが胸の中に湧いてきた。攻造は、やっと確信できた。こいつは、歩は純を押しのけたりなんかしない。もともと純と同じなんだ。
 だから自分は、こいつが気になっていたんだ。
 こいつなら、抱ける。
「……わ、わあ」
 歩が戸惑ったような声を上げた。どこかで回路がつながったように、攻造の性器がむくむくと持ちあがり始めたのだ。ほんの少しの恐怖を覚えながらも、歩はうれしくなる。
「攻造さん……すごいです、大きくなった」
「ああ……もっと洗ってくれ。念入りにな」
「は、はい」
 歩は懸命にそれをこすり始めた。もう芯が入っているようにかたい。それに動いている。すごく速い脈が感じ取れる。脈が速いってことは、興奮してるんだ。歩は顔を輝かせる。男を興奮させることに悦びを感じていく。
「いいぞ……歩……気持ちいい……」
 攻造は心のままの言葉を口にし始める。泡まみれの手でペニスをこすられることは快い。フェラチオやセックスとは少し違った、独特の快感がある。指ほど細かい愛撫ができる器官はないのだ。
 攻造はからかいたくなる。
「歩、いつもオナニーしてるか?」
「え……は、はい。してます……」
 口ごもりかけて、歩は正直に答える。今は、恥ずかしがってうそをつくときじゃない。全部見せなきゃいけない時間なんだ。
「誰をオカズにしてる?」
「攻造さん……」
「うそつけ」
「ほんとです! で、でも、たまに社長とかなずなさんとか……愛美ちゃんも一回」
「愛美までオカズにしたのか」
「だって……あんまりかわいいから……」
「ヤらせてくれって頼めばいいじゃないか。おまえの言うことなら聞くだろ」
「そんなことできません! 愛美ちゃん、子供なのに!」
「でも、気持ちよかっただろ? いけないと思ってることをするのは」
「……はい……」
 蚊の鳴くような声で歩は答える。攻造はまだ許さない。恋人に痴語を言わせる、後輩に卑猥なことを教える、その両方が混ざった奇妙な楽しさを感じている。
「どっちの手でしてる?」
「左です、ボク……」
「座ってか? 寝てか?」
「……寝て……」
「週に何回?」
「……どうしても言わなきゃだめですか?」
「言え」
「毎日ですっ!」
「だろうな。でなけりゃ、こんなにチンポの扱いがうまいはずがない」
「攻造さん!」
 頬を染めて歩は叫ぶ。それでも、誉められたことがうれしい。そうか、そういう風にすればいいんだ、と理解する。自分がどう触られたら一番気持ちいいかを考えて、指の一本一本にそのツボを探らせる。
「すごいぞ……」
 それは、同性の歩にしかできない愛撫だった。ベテランの女でも、多分倫子でもこうはいかない。ぬるぬると勢いよく動かしながらも、十本の指がそれぞれ微妙に位置を変えて、裏筋や亀頭を逃さずにくすぐっていく。それはそのまま、歩が普段やっているオナニーの方法を表している。おとなしい歩が、人の見ていないところではそんなことまでしている、それに気づいてますます攻造は興奮を覚える。
 前立腺がびくびく震え始める。あわてて攻造は止めた。
「ま、待て……」
「え? 出さないんですか? このままかけちゃっても、ボク我慢できます」
「そんなもったいないことができるか」
 ようやく性欲が高まり始めたのだ。射精すればそれが消えてしまう。この興奮が続くあいだに、歩といけるところまでいってみたい。
 出しっぱなしのシャワーをそこらにかけて床を暖める。それからペニスの泡を落とし、シャワーを壁にかける。マットが敷いてあるから冷たくはない。攻造はそこに横たわった。
「マットプレイって知ってるか?」
「知らないです」
「風俗でやってくれるぞ。いっぺん一緒に行くか」
「いいです!」
「胸に石鹸をたくさんつけて、乗ってこい。それで相手を刺激するんだ」
 歩は言われたとおりに、薄い胸板に石鹸を泡立てた。攻造の上に覆いかぶさる。
「こうですか?」
「手で支えるんだ。体を浮かせぎみに……そうだ。それで、乳首が触るぐらいにしてこすってみろ」
 歩は、攻造の胸にさわさわとキャミソールをこすりつけ始めた。自分の乳首が立っていることに気づく。その乳首で攻造の胸に絵を書いていく。時々強く押し付けてみた。攻造の厚い筋肉が感じ取れる。あ、すごい……と歩はつぶやく。自分にないから、頼れそうだから、理由は両方。
「向きを変えろ……おれのやつ、胸で転がしてくれるか」
「はい……」
 攻造の下半身の方に向きながら、歩は少しだけ不満を覚えた。こうやって指示されていると、昨日の夜を思い出してしまう。あまりもてあそぶようなことはしてほしくないのに。
 ……攻造さんも、ボクに射精したいだけなのかな……
 それがいやだというほど贅沢ではなかったが、より大きな幸せの方がほしいのは当然だ。
 歩は、攻造のペニスを上下逆に見下ろす。剛毛の中からまっすぐに顔を出したそれが、腹の上にくっついている。歩は、そっと胸を押しつけた。潰さないよう、浮かせないよう、力を加減して胸元で転がす。
 すぐに、攻造が言った。
「歩……フェラしてくれるか」
「……は、はい……」
 来るべきものが来た、と歩は思った。一番怖いことだ。お尻のほうが、見なくて済むだけまだ気が楽だ。でも、やらなくちゃ。これができなければ、恋人になるどころじゃない。女の人なら当たり前のことだ。
 歩は、じわじわと顔を寄せた。目は閉じていない。見ないでごまかしたってその場しのぎだ。どうしても慣れなきゃいけない。
 赤黒い亀頭が目の前に来る。すると、頭にいやな記憶が広がり始めた。あの人たちのおちんちん。臭くて乱暴でいやな汁をいっぱい出すおちんちん。頭を振っても消えない。無理やりつぶやく。
「これは違う、これは違う、これは違う……」
 ぶるぶる震えながら舌を下げていく。先端が触れた。つるりとした亀頭の感触。
 その途端、視覚よりもはるかに鮮烈なイメージが突っ走って、歩は反射的に舌を引っ込めた。死ぬほどいやだったあの人たちのやつ。吐き気がこみ上げてくる。理性で押さえきれない。どうしても触れない。
「どうして……こんなに好きなのに……」
 情けなさに涙がにじむ。なにも言えない。できません、なんて言ったらもうおしまいだ。
 その時、歩は腰をつかまれた。
「……?」
 攻造が歩の下半身を軽々と持ち上げて、自分の顔の上に下ろした。またいでしまう形になる。見られていることに気づく。だめ、と言いかけた時、自分のペニスに違和感が生まれた。
「……これ……」
 つるり、つるり、という感覚。そして、暖かい肉に包まれる感触。
「そんな……」
 振りかえるまでもなかった。なずなにされたときと同じだった。フェラチオを、されたときの感触。
「こ、攻造さん……」
 攻造も、決心を固めなければできなかった。横からかぶさった歩が自分の下半身に顔を寄せている。だが、なかなか口に含もうとはしない。ためらいの理由はよくわかる。自分が感じているものと同じだ。その上、歩は間違いなく強烈なトラウマを負っている。
 それでもギブアップしない歩の健気さが、攻造に決心させた。
 歩の小さな尻にキャミソールのすそが垂れかかっている。もう見ないで済ませる気はなかった。腰をつかみ上げて、自分の上に下ろした。
 ぷらりと歩のペニスが垂れてきた。緊張のあまりか、まったく勃起していない。そんなものをそんな角度で見るのは初めてだった。
 だが、思ったほどグロテスクではなかった。歩の体の他の部分と同じように、色が薄くて、小さく可愛らしいものだった。まだ半分皮をかぶっているが、まじめな歩のことだから中まできちんと洗っただろう。
 ――よし、汚くはない。
 女たちのように粘液を出す腺がない分、むしろ清潔かもしれなかった。出るとしたら汗と精液。――それに耐えられるかどうかはわからない。歩がいったんそれを飲みかけ、なずなに助けられた姿は、まざまざと覚えている。
 少なくとも、口に入れるところまでは歩にも我慢できたのだ。なら自分にできないはずがない。立場で言えば自分の方がずっと有利だ。自分で自分の毛深いものをくわえろと言われたら、間違いなく拒否する。それに比べたら――倫子じゃないが――毛も生えていない歩のなんか、指みたいなものだ。
 それだけ自分を説得してから、攻造は舌を伸ばして触れてみた。ぴくんと歩が動く。味はしない。――あたりまえだ。洗ったばかりなんだから。
 拍子抜けするほど簡単に、攻造は歩のペニスを口にすることができた。ふにゃふにゃの棒を舌先でくすぐる。これでおれもアブノーマルか、と悔しさを感じつつ、こいつが相手ならそれでもいい、と思いなおす。ちょっぴり優越感さえ感じた。
 ――こいつはまだ、振られるんじゃないかって心配してるようだが……これで少しは安心するかな?
「攻造さん……」
 歩は呆然としていた。攻造が歩の先端をくすぐっている。もともとテクニシャンだけあって、舌の使いかたがものすごくうまい。お義理でやっているのではないことはよくわかる。なずなよりずっと荒々しいが、間違いなく、歩を気持ちよくさせようとする優しさがある。
「あっ、あはっ!」
 歩は声を上げる。気持ちいい。気持ちいいというより幸福感がある。みるみるペニスがかたくなっていく。唇で挟まれた。こりこりと甘噛みされた。肉体の快感と心の快感が重なった、舞い上がりたいほど幸せな状態。
 よくわかった。攻造はあの人たちとは全然違う。自分を心から気遣ってくれている。受け入れてくれた。好きになってくれた。
「攻造さぁん……」
 歩は泣き出した。涙がぼろぼろ出てきた。助けられた時から、そのずっと前からこわばっていた心に、溶けそうな嬉しさが湧き上がってきた。もう一人ぼっちじゃない。
 この人を好きになってよかった。
 歩は攻造のペニスに吸いついた。もうなんの抵抗もなかった。涙を流しながら、歩は心をこめて攻造のペニスをなめ上げた。
 ――もうなんにも怖くない。なんだってできる。攻造さんの体だったら全部好き。口の中に出されても、飲めって言われても平気。
 だって、こんなに自分を幸せにしてくれたから。どんなお礼をしても足りない。せめて死ぬほど気持ちよくしてあげたい。
 想いが舌を動かす。唾液をあふれさせる。指を躍らせる。男がなにを気持ちいいと思うか歩はよく知っている。好きな人の奥にたくさん精液を出すこと。その針の先みたいな短くとがった快感が、男は一番好き。だから一刻も早く攻造をそこに導きたい。一度で不満なら、何度でも。
「攻造さん、攻造さあん!」
 歩は託せる限りの愛しさを唇にこめて、攻造を包みぬく。加えた愛撫がそのまま自分のものに帰ってくる。快感の共振。想像もしなかった愛撫の連鎖。
 攻造の唇がたまらない。ペニスをつき下ろしたい。自分が従っているはずの攻造に、思いきり出すことができる。自分にあることも知らなかったサディスティックな衝動。同様にのどの奥で高まる、飲み干したい渇望。陰陽二つの欲望が歩の胸をざわめかせる。
「攻造さん、イって、イかせて!」
「歩! いいぞ、出せ、出してみろ!」
 頬をふくらませて受け入れる空間を作ってから、亀頭に吸いつき、歩は思いきり手を動かした。ペニスの付け根がびくびく震える。二人いっしょに! いっしょにイける!
 どくっ、と歩の頬の中で攻造のペニスがはじけた。同時に歩も放出した。射精の真っ白な快感が途切れないよう、リズムをつけて手を動かした。どくっ、どくっと精液をしぼり出す。不思議な感覚だった。人にしてあげてるのに、そのまま自分のオナニーになる。
 純白の閃光が薄らいでから、歩は思いきって口の中のものをかき回してみた。どろどろしてわずかな塩辛さがある。苦いと聞いていたが、そうでもなかった。純粋に味として感じれば、まずくはない。
 ごくんと飲みこんだ。その拍子に息が鼻に抜けて、栗の花のような、というあの匂いがした。これって普通のときでもいい匂いだよね、と確かめる。
 のどをすぎて腹に収まっていくにつれ、しみじみとした喜びが湧いた。
 ――これで、ボクのおなかの中まで攻造さんのだ。
 体を離して、振りかえってみた。攻造が目を閉じて顔をしかめている。それから、のどぼとけを動かした。
 顔を起こして、にやっと笑う。
「イーブンだな、歩」
「イーブンって……そういうことじゃないです」
 歩はあきれたように言った。
「飲みたいから飲むんじゃないんですか? ボク、そうでした。意地で飲んだって、味わかんないでしょ」
「勘弁してくれ、まだそこまで目覚めてねえ。……おれの、どんな味だった?」
「いやらしくって、すごくおいしかったです。――試して」
 ぞくりとするほど艶っぽい顔で言って、歩が顔を寄せてきた。攻造はそれを素直に受けてやる。
「ん……」
 唇が触れた。攻造は歩の頬をはさみ、押さえ付けた。丸っこくてまだ彫れていない歩の顔に、鼻をこすりつける。
「やあ……口い……」
 望み通り、攻造は歩にキスを与えてやった。「ん……」と歩は乳児のように攻造の唇を吸いたてる。息が通った。歩が、まだ口の中に残っていた精液を押しこもうとする。やめてくれ、というように舌で返して、攻造は自分に残っていた歩の精液を流しこんだ。歩がそのことに気づく。妙なことに、自分の精液に興奮したのか、一気に息が荒くなった。
 そんな他愛ないいたずらが、なによりも楽しかった。顔を離して、歩がささやく。
「キス、初めてですよね」
「……そういや、そうか」
「すてきです。攻造さんとするとなんでもすてき。もっともっとして。攻造さんと溶けちゃいたい……」
 可愛らしくねだりながら、歩が体を預けてきた。攻造は膝の上でしっかりと抱きしめる。初めてのキスのあとの、初めての抱擁。歩は揃えた足を横に投げ出して、攻造のあぐらの中にすっぽりと収まる。そして、一ミリの隙間も作りたくない、というようにぴったりとしがみつく。
 ちゅ、ちゅ、と攻造の顔にキスの雨を降らしながら、歩はところどころの青あざを癒すようになめていく。
「殴られたとこ、はれてる。痛くないですか?」
「痛いよ。よく手当てしてくれ」
「……はい……」
 ぺろぺろと歩が献身的になめつづける。その横から、攻造は歩の体を見下ろした。肩に赤いあと。
「おまえこそ痛いだろ。これ、噛まれたんじゃないか? 大丈夫なんてうそだろ」
「……はい。ほんとはあちこち痛いです。でも、今はいいの。お医者さんはまたあとで……」
「見せてみろよ」
 攻造は、片手で歩の頭を支えて仰向かせた。よく目を近づけてみると、ひどかった。
 腕や太ももにも、噛まれたあとがあった。ほとんど食肉に近い扱われかただった。なんてやつらだ、と攻造はまた熱い怒りを覚える。それを歩への気遣いに変えて、攻造は顔を寄せる。肩にキスした。腕にもした。ほとんど息を吹きかけるだけのような小さなキスだった。
「攻造さん……」
 歩はまた涙を浮かべる。うれしいことが続きすぎて涙腺が壊れてしまった。清めてくれるだけでもうれしい。それなのに、気持ちよくすらしてくれる。くちづけされたところが火照る。あの電車の中での、最初の時を思い出す。
「ありがとう、攻造さん……」
「礼なんか言うなよ。おれも気に入ってきた」
 攻造も、歩の体すべてに興奮を覚えていた。日焼けしていないミルク色の肌。ちらちら光る首筋のうぶ毛。内臓の感触がわかるほど薄い腹筋。足を合わせても隙間が空いてしまうすっきりした上腿。乳房の張りや尻の豊かさはない。女とは異なる少年の体だ。だがそこには若鮎のような澄んだ美しさがある。
 指で触れていき、たまらなくなってまた唇を押しつける。湯気に蒸されてみずみずしく湿った太ももが舌に吸いつく。わずかに塩の味。歩の汗。
「おれ、なにを見てたんだろうな……おまえは、こんなに可愛かったのに……」
 歩は両腕を顔にかぶせて小さく嗚咽している。いきなり体を起こして、もう一度攻造に抱きついた。
「攻造さん、セックスして」
「お? 大胆だな」
「こわいの。こんなに幸せなことあるわけがない。夢が覚めないうちに最後までしてほしい。はやく」
「ばか、夢なわけないだろ。どこまで心配性なんだ」
 攻造は少し苦笑してから、歩の尻の下に指を入れた。
「第一、おまえのここ……大丈夫なのか?」
 あは、と歩は泣き笑いを浮かべた。
「ほんとは感覚ないです。だからかえって大丈夫。それに攻造さんって、あの人たちよりずっとうまいし。……こわれちゃってないか、心配ですけど」
「そんなおまえ……無理するなよ」
「無理じゃないです、して! 攻造さんのしごと、まだ終わってないです! ボクの中まできれいにしてくれないといや!」
「……」
「攻造さんだってしたいでしょ? ここなら女の人と変わらないはずだもの! 前にほめてくれたじゃない!」
「……そうか」
 こいつに今必要なのは、体の手当てじゃなくて心の手当てなんだ、と攻造は気づいた。
 ――それなら、そうしてやろう。おれがどんなにおまえに引きつけられてるか、教えてやろう。
 攻造は石鹸を取って入念に泡立てた。歩の股のあいだから手を差し込み、一番奥に塗りたくる。歩がぴくぴくと小刻みに体を震わせた。
「どうですか? ボクの、こわれてないですか?」
「ああ、大丈夫みたいだ。しみないか?」
「ううん、ぴりぴりするだけ……」
 二度、三度、と攻造は石鹸を塗り足していく。入念な準備にかえって焦らされて、歩は切なそうにあえぎ出す。
「あは……やっぱり攻造さんうまい……指だけでこんなに……」
「ひくひくしてるぞ。指、入れていいか?」
「は、はい」
 一番細い小指を、攻造はぬるりと潜りこませた。「くん!」と歩が鼻を鳴らす。ちりっと痛みが走る。でも、木ノ又に突っ込まれた瓶に比べれば、ずっと楽だった。
 肛門の内側の壁を指がにゅるにゅるとかき回した。「うん! あっ!」と歩が断続的に頭を突き上げる。女の膣内を触ったときの反応にそっくりだ、と攻造は思う。それはやはり、あいつらに教えられてしまったから――いや、そんなことを考えるのはもうよそう。
 人差し指、中指、と攻造は徐々に指を太くしていった。やがて親指が入るようになる。もとより攻造は、多くの女のそこを味わってきた。だからわかる。歩のそこはどんな女よりも柔らかい。だらしない柔らかさではなく、押せばはねかえるような弾力に満ちた柔らかさだ。
 ――こいつ……やっぱり、最高のアナルだ……
 そして、女には決してないものがあった。
「歩……これ、いいんじゃないか?」
「あ。あああ……ぞ、ぞくぞくします。変なの、すごく変」
 肛門から二センチほど進んだところの粘膜のむこうに、消しゴムそっくりの大きさとかたさのふくらみがあった。攻造は指の腹でそれをこする。歩が顔をしかめて訴える。
「な、なんかもどかしいです。なんですかこれ? ボクの中になにがあるの?」
「……多分、前立腺じゃないか」
「あ、ああああー……」
 激しくはない。だが、弱い電流を流されつづけているような快感がペニスを裏側からあぶりたてる。表側からしごかれるのとは異質な低い快感に、歩はとめどなく呼気を漏らし始めた。木ノ又たちの乱暴な犯しかたでは目覚めなかった、デリケートなスイッチ。すでに勃起しつつあったペニスが異常なまでにかたくなって真上を差し、キャミソールを持ち上げてテントを作る。
「いい……攻造さんお願い、入れたらここをいじめて。ここならボクもいけるかも」
「おう」
 攻造も胸をとどろかせながら腺をぐにぐにと押しつづける。そんなもの、女にはない。それが亀頭に当たることを考えるただけで、ペニスが痛いほど仰向いて求め始める。
「さあ、もういいか?」
 こくこくと歩はうなずく。もう、攻造に対する愛しさだけではない。ぐちゃぐちゃにされた性感を丁寧に作り直されたおかげで、本気で犯されたくなっている。
「よし……」
 攻造は、右側に投げ出されていた歩の両足を大きく開いて、自分の腰をまたがせた。あぐらの上で向き合う対面座位の形。同じように最高にかたくなった、二本の大きさの違うペニスが、持ち主たちより先にぴたりと触れ合う。
 攻造が歩の尻を持ち上げた。ひざ立ちになって歩は従う。腰を下げて攻造の先端を尻の間に迎えた瞬間、歩は体を投げ出すようにして、攻造の首に抱きついた。
「攻造さん、最後のお願い」
「なんだ、歩」
「すきっていって」
「……すきだ、あゆみ」
 照れも意地も投げ捨てて、心の一番奥にあるひとことを攻造は口に出した。それで歩は、すべての恐怖から解き放たれた。
「んんっ!」
 攻造の先端が歩の底を押し開き始めた。彼のものは普通よりもやや大きい。女相手ならそれを誇る攻造も、今はただ心配だった。歩の華奢な体を壊してしまうかもしれない。できることは、自分の射精欲に逆らって、少しでもゆっくりひだを広げてやることだけ。
 ペニスの根元に手を沿えて、攻造は円を描くように先端を動かす。それで徐々に歩をほぐしていくつもりだ。だが、歩のほうがもう我慢できない。恋人に快感を与えたい、新しい部分に早く触れてほしい。体が許すよりも強く、無理して腰を下ろそうとする。二人の意思が、その時だけずれた。
 体重をかけている分、歩のほうが強かった。ぐりっ、と筋肉の中に攻造を飲みこむ。そのまま一気に、ずるずるっ! と根元まで受け入れてしまった。
「あく……」
「お、おいあゆみ!」
 歩はかたく目を閉じて震えている。だが、気遣う攻造にはその顔を見せない。肩に顔を押し付けて、ぶるぶる左右に振る。
「……お願い……攻造さん……動いて……」
 もう、止めるような段階はとっくにすぎたのだ。歩がそれを望むなら、自分が気持ちよくなるのが、応えるための方法だろう。
 攻造は歩の尻を持って上下させ始めた。できるならばペニスを柔らかくして苦痛を減らしてやりたい。でも、気を逸らすには心地よすぎる。このいとしすぎる少年の中に包まれているのだ、猛り狂うペニスを鎮められない!
 本能と必死に戦いながら、攻造はぐいぐいと歩の尻を貫いていく。粘膜の間で練られた石鹸の泡が生クリームのようにきめ細かくなって、音もなくはじける。暗い穴の奥では、歩の腺が攻造の亀頭につるつると圧迫を与えている。最高だった。
「あゆみ……すまん、止まらない。おまえよすぎるぜ、この……」
「いいです、止めないで! ボクも来たから!」
 攻造は肩に乗せた歩の顔を見る。歩が振り向いてほほえむ。とろりと目もとを緩めた妖しくいやらしい表情。
「あれが来たの……攻造さんにしてもらった時のあれ。背骨をお尻から火で焼かれるみたいなあの感じ!」
「あゆみ……」
「これっ、これなの! これしてほしかったのぉ!」
 攻造は呆然とした。感じている。歩が狂い出している。まぎれもなく、男に貫かれる側の生き物、女と同じ受身の快感に目覚めている。
「あゆみ、いいのか? いいのか?」
「うぅん、いいの! もっと中に刺してェ! は、あっ! おちんちんもぉっ!」
 男と女、両方の快感をいっぺんに得ようとして、自らがくがくと腰を跳ねさせながら、ペニスをぐりぐりと攻造の腹に押し付けてくる。嫌われる怖さが消えたせいで、思う存分狂っている。その錯乱ぶりに、攻造も我を忘れた。
「あゆみ、いいぞ! もっと狂え、もっとおかしくなれ!」
「やっ、おちんちんつぶれる! そんなにぎゅって! くあっ! 深すぎぃ!」
 顔をぶつけるようにしてキスをむさぼり合う。その接触も動きが激しすぎて保てない。顔をなめあうようにして舌を這わせる。抜けるまで腰を上げ、埋まるまで腰を下げる。上下する歩の肩がシャワーにぶつかる。向きが変わって頭からざあっとお湯が降りそそぐ。体温と同じ空間が二人を丸ごと包みこんだ。
 皮膚がなくなって肉までくっついてしまったようなその温かさが、二人のつながりを完全にした。もう理性はない。意識もない。ただどろどろに溶け合いたい。互いの背に指を立て、獣のようにかき寄せながら、かたくかたく抱きしめあう。歩は攻造の広い胸の中に沈みこみたい。攻造は歩のほっそりした体を取り込んでやりたい。唾液かお湯かもわからない液体を垂れ流しすすりあう。
 そして、射精の快感に串刺しにされたい。
「こうぞうさんだしてだしてボクのなかにどぴゅっていっぱいいっぱい!」
「出すぞ出すぞおまえの腹ん中に死ぬほどおまえも出せよ!」
「ボクもーっ!」
 ドビュッ! と歩の腸の壁に精液が叩きつけられた。一度で止まらず、何度も吐き出しながら肉棒が腸の奥へ精液を押しこむ。その亀頭の痙攣が、歩の前立腺を押しつぶした。
「たっ、たくさん――!」
 びゅるるるっ! と歩のペニスが壊れたように精液を吹きこぼした。脈動を伴わないひとつにつながった射精。
「アアアアーッ!」
 指先まで燃え上がるような熱い快感が、歩の全身を縛り付けた。

 結露が天井から落ちて、ピチョンと歩の頬に当たった。
「ひゃっ!」
 小さく震えて歩は目を覚ます。顔を上げると、攻造の安らかな顔が目の前にあった。
 全身が温かい。お湯に包まれている。そして、攻造の体に。
 歩は、湯を満たした浴槽の中で、さっきと同じ姿勢のまま攻造に抱かれていた。
「起きたか?」
「ボク……寝てたんですか? どれくらい?」
「さあな。時計もないし」
 攻造は軽く答える。歩は浴槽を見まわした。さっきは空だったから、少なくとも湯がいっぱいになるまで抱かれていたことになる。それに、どろどろになった体もきれいに洗われている。
「ご、ごめんなさい! ずっとだっこさせて」
「気にすんな。たっぷり寝顔を見させてもらった」
「やだ……」
 歩は頬に手を当てる。そんな仕草にくっくっと攻造は含み笑いを漏らす。彼は正味一時間ほど、歩の安らかな寝顔を見つめ、髪に顔をうずめながら、ずっとぬるま湯の中で抱きしめていた。ちっとも退屈ではなく、永遠に続いてほしいような時間だった。
「あ……あれ?」
 歩が腰を小さく動かす。尻にまだ違和感がある。
「こ、攻造さん、入れっぱなし?」
「悪いか? もうおれのもんだろ、ここ」
 少しも悪びれずに、攻造が腰をぐいっと突き上げる。「あん!」と歩は鼻声を上げる。痛くはなかったが、性欲が収まった今では異物感が大きい。
「ぬ、抜いてください」
「やだ。おまえの、気持ちよすぎるもん。死ぬまでこうしててやる」
「……もう」
 軽く息を吐いて、歩はいたずらっぽく笑った。
「それだけでいいんですか?」
「ん?」
「ほんとは、動かしたいんでしょ。……わかります。ボクだってそうだもの。男の人は、入れただけじゃ満足できないはずです。動かして、出すまでやりたいですよね」
「寝てたからな、おまえ」
「じゃ、今してあげます」
 歩は、上下に動き出した。軽くあごをのけぞらして、リズミカルにふっふっと息を漏らす。お湯がぱちゃぱちゃと揺れる。さっきのような激しいセックスではない。もう本能に突き動かされた動物のような欲望は収まった。今のこれは、残っている性欲を上手に使った気持ちのいい遊び。
 楽しそうに自分のペニスを味わっている歩を見て、攻造は胸に迫る感動を覚える。本当に、歩がいま言ったようなことは、男にしかわからない。女が相手なら、言葉を尽くして感覚の違いを伝える必要がある。それをやってすら埋められない溝がある。心の作りが大きく違っている。
 歩にはそんな気遣いはいらない。言葉がなくてもすべてわかる。触りたい時のたぎる気持ち、なめたい時の飢えた気持ち、出したい時の切羽つまった気持ち、全部互いに持っている。
 ――こいつは本当に最高のパートナーなのかもしれない。
 攻造のそんな喜びを知ってか知らずか、歩は動きのピッチを絶頂に向けて高めていく。攻造も手を伸ばして歩のペニスをこすってやる。じきに、穏やかな絶頂が訪れた。
「ん……」
 うっとりした顔で、とくっ、とくっ、と歩が射精した。お湯の中に白い液塊が浮かび上がってくる。それを見ながら攻造も出した。きゅっ、きゅっ、と歩が奥を震わせて受けとめる。
「はあ……」
 満ち足りた顔で歩が倒れてきた。その目がとろんとぼやけていることが、攻造は気になった。
「おまえひょっとして、昨日の夜からずっと寝てないんじゃないか?」
「……はい。そうです」
「寝ろよもう。悪かった、ゆっくり休め」
「……ううん」
 顔を上げて、歩ははっきりした声で言った。
「今って、ボクの人生でいちばん大事な時間になりそうな気がするんです。寝ちゃうなんてもったいないこと、いや。ほんとにほんとに、倒れるまで攻造さんとしたい」
「したいって、だいたい出るのか? 立つのか?」
「ボク、回数多くても大丈夫です。攻造さんだってまだまだできるでしょ?」
 そういえば、歩は性欲でいっぱいの十六歳の少年なのだ。なずなを相手に、か弱そうな外見からは想像できないぐらい頑張ったこともあった。
「……わかったよ」
 もう苦笑するしかなかった。攻造は歩を抱き、ざばっとお湯を割って立ちあがった。
「やろう。やりまくろう。安心しな、おまえが起きてる限り犯してやる」
「はい……」
 バスタオルで体を拭きあった。
 それからベッドに行って、またキスから始めた。
 歩の薄いキャミソールはすぐに乾き、すぐに汗で湿った。
 そして、体中をなめ合った。なめている間に、どこからどこまでがセックス、という区切りもなくなった。触りたいところを触り、キスしたいところにして、時にはくすぐり合って笑い、出したくなったら出した。歩を立たせてじっとしているように命じ、後ろから手を回してペニスをしごき、射精で足ががくがくになって座りこむのを楽しんだ。横たわった攻造のペニスに歩がちろちろと舌でいたずらし、三十分近く引き伸ばしてから大量に射精させた。バックからしっかりつながって、歩は毛布に、攻造は歩の中に出した。抱き合ったままペニスをこすりつけあって、一緒に出した精液を混ぜた。
 その合間に、しゃべったり、キスしたり、じゃんけんしたりした。
 二人だけの、宝石のような夜だった。

 朝、目が覚めたら全部夢だった――
 そんなことはなかった。第一、攻造が目を覚ましたのは夕方だった。
 ベッドに体を起こすと、歩がまだキャミソール一枚の姿で、窓の前に立っていた。隣の家の軒から差す夕日が、その小柄な体をオレンジ色に染めていた。美しかった。
「おれ、寝坊したか?」
 振り返った歩が笑った。
「一時間寝坊です。ボクの勝ち」
「若いなあ、くそ……」
「えへ、ほんとは体中びしびしです」
「あれもだろ?」
 歩が恥ずかしげにうなずいた。攻造は苦笑した。さすがの彼も、弾切れだった。
「なに見てたんだ」
「窓が赤かったから、火事かと思って……」
「おまえのばあさんのことか?」
「……はい」
「こっち来いよ」
 歩をベッドに座らせて、攻造は肩に手を置いた。
「いいばあさんだったのか?」
「病気ですねちゃってたけど……好きでした」
「葬式は手伝ってやるよ。墓も作らせる。満堂たちに払わせればいいだろ。心細かったらそばにいてやる。でもおまえが動け。一人で生きなきゃいけないんだろ?」
「……はい。頑張ります」
 目尻をぬぐってから、歩は攻造を見上げた。
「でも……一人じゃ……」
「そばにいるっつったろ」
 攻造は、歩の髪をくしゃくしゃにかきまわした。
「住むのも、寝るのもな」
「……ここに置いてくれるんですか?」
 歩が顔を輝かせる。まじめくさって攻造は言った。
「家賃は折半だ」
「わかってます!」
 叫んで攻造の胸を思いきりぶつ。涙を止めるためのやりとりだった。
 それから歩は、ややすねたような顔になった。
「ひとつ聞いていいですか?」
「なんだ」
「ズボン洗ったとき、なんであんなに怒ったんですか? あんなケンカ、したくなかったのに」
「ああ……」
 攻造は、脱ぎ散らかしたズボンを取ってきて、ポケットからなにかを取り出した。くしゃくしゃになった紙くず。
 歩はそれを受けとって開いた。洗濯でけばだった繊維の間に、十桁の番号が書かれていた。
「純の、電話だよ」
「じゃあこれ……思い出の?」
「もういいんだ。捨ててくれ」
 さばさばした顔で攻造は言った。が、歩はそれをもう一度ズボンのポケットに押し込んだ。
「割りこまないって言ったでしょ?」
「……いいやつだな、おまえ」
 歩は照れるような笑みを浮かべた。それから、なにかを思いついたように言った。
「その代わり……ひとつお願いしていいですか?」
「なんだよ」
 聞き返した攻造に、歩は楽しそうに言った。
「ボクにも、電話番号くれませんか?」



 A bookmark エピローグ

「おはようございます!」
 元気に声を上げて歩が事務所に入ってきた。電話をかけていた倫子、パソコンを挟んで話をしていた愛美となずな、それに相変わらず新聞を読んでいた攻造が顔を向ける。
「おはよう。体はどうなの?」
 なずなが声をかける。歩は軽く手を上げる。その腕の上膊には包帯がまかれ、ノースリーブからのぞく肩にも湿布が貼られている。木ノ又たちから受けた傷だった。
「だいじょぶです! お医者さんも今日でおしまいでした!」
 そういうと、歩はなずなに近づいて、小声で言った。
「でも、泌尿器科ってすごく恥ずかしかったです〜」
「歩ちゃんは産婦人科のほうがしっくり来るわよねえ」
「そうじゃないの?」
 愛美が不思議そうに言ったので、二人は振り返る。
「歩おねえちゃん、産婦人科じゃないの?」
「え……だって、ボク女の子じゃないし……」
「おにいちゃんだったの!」
「知らなかったの?」
 三人が互いに驚いている後ろで、倫子が電話を切って椅子に体を預ける。攻造が聞く。
「なんだって?」
「初公判の日が決まったって。でも三間坂たち、刑事罰はたいしたものにならないみたいね」
「なんだと? それで済ませるのか?」
「済ませるわけないじゃない。民事でがっぽりぶんどってやるわ」
「あいつは。……ほら、あいつ」
「ああ、あの木ノ又って男ね。だめよ、脊椎骨折で下半身不随だもの。退院までは裁判もなにも出られないわ。……運がよかったのやら悪かったのやら」
「知ったことか。にしても悔しいのは他のガキどもだな。少年院って拷問も尋問もないんだろ?」
「刑務所にもないわよ、そんなもの。文句は日本の法律に言いなさい。でも、この先うちに手を出すことはまずないでしょうね」
「一段落か。人を殺した人間が生き残って、一段落」
「ある意味死刑よりもきついわよ。立つもの立たないんですもの」
「……それぐらいでいいんだ」
 攻造は歩に目をやる。なんの話なのだか、証拠を見せろと愛美に詰め寄られて、困っている。明るい。
「……強いな、あいつは」
「しょ、証拠って言っても、こんなところで」
「だって信じられないもん! 歩おねえちゃんの体、十五歳女性の平均骨格の誤差範囲内だもん! ついてるか見せて!」
「ダメだってば、愛美ちゃん! 女の子がそんなこと言ったら!」
「やめなさいよ、愛美ちゃん。歩ちゃんは男の子よ。見た私が保証するわ」
 なずなに止められて、愛美はようやく黙った。ほっと胸をなでおろす歩に、なずなは聞く。
「ずいぶん元気になったわね」
「え? ケガ、治ったからです」
「それだけじゃないでしょ?」
 そう言われると、歩はものすごくうれしそうな顔になった。キュロットのポケットから、いそいそとストラップを引っ張り出す。
「これ」
「あら……持ったんだ」
「ドコモです。今日もらってきたの。いいでしょ」
「番号教えて。私の送るわ」
「じゃ、短縮の二番に入れますね」
「二番? もう誰か入ってるの?」
 言ってから、あそうか、となずなはうなずいた。愛美が首をかしげる。倫子が微笑みを送ってくる。攻造は後ろを向いた。
 歩は、とびきりの笑顔でうなずいたのだった。
「はい!」
―― 了 ――


top page   stories   illusts   BBS
file 6
note