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Back guardian rhapsody
 

 彼女と出会ったのは、オークたちの地下墓地でだった。
「リザいりますか?」
 かすむ目で見上げると、ピンクのつば広帽子をかぶった僧侶が、心配げに私の顔を覗き込んでいた。
 私は十体以上のオークゾンビに囲まれて、瀕死だった。催眠の罠でそいつらは眠らせてあったけど、発動の直前の袋叩きで倒された。
 あと十数秒でそいつらは目を覚ます。帽子の僧侶は、そのまっただなかにやって来て、私に話し掛けたのだ。私は苦労して声をしぼり出した。
「逃げて。囲まれるよ」
 僧侶はあわてるそぶりも見せず、私に蘇生の魔法をくれた。起き上がった私は、急いでオークたちの真ん中に地雷を仕掛けようとした。
 すると僧侶が、片手で私を制して呪文を詠唱し始めた。オークたちが目を覚ます直前、それが完成した。
「Sanctuary!」
 神々しい緑色に輝く光の格子が、周囲の地面を覆った。吹き上がる聖なるオーラが私の体に力を吹き込み、穢れた黄泉還りのオークゾンビをぼろぼろに朽ちさせた。
 上級聖職者の偉大な力を目にして、私は感嘆の吐息を漏らした。僧侶は穏やかに微笑みながら、私を振り返った。
「もう大丈夫ですね。それじゃ」
 一礼して歩み去ろうとする彼女の背に、私は声をかけた。
「あの、一人?」
「……はい、そうですけど」
 立ち止まった彼女に、私はおずおずと言った。
「よかったら、パーティー組まない? 私もソロなの」
 僧侶は軽く小首を傾げてから、うなずいた。
「ええ、いいですよ」
「私はEl-Alamein。エルでいいよ」
「エルさんですね。-*-Epitaph-*-です。エピって呼んで下さい」
 私はパーティーを作った。パーティー名を見せると、彼女は笑った。
「EE-Convination?」
「適当だけど」
「すてきな名前です」
 そう言って彼女はパーティーに参加した。
 それから私たちは、狩りを再開した。

 僧侶と組むのは初めてで、私はその力にまた驚いた。
 狩人の私が一人でダンジョンに入ると、二十分もたたないうちに回復アイテムを使い果たして、逃げ帰る羽目になる。ところが、エピさんのヒールを受けていれば、矢がある限りいつまででも戦い続けていられるのだ。
 狩りが長引くと、自然に会話も増えた。私は聞いた。
「エピさん、どうしてリザしてくれたの?」
「さっきの、見てたんです。エルさんがオークに突っ込んだところ」
「……ああ」
「囲まれてたアサシンを、催眠で助けにいったんですよね。そしたら、アサシンがいきなり隠行して逃げちゃって、代わりにエルさんが囲まれた」
「まあ、よくあることだから……」
 私は、思い出して不愉快になりながら言った。辻サンドをする時は騎士を避けるようにしている。せっかく敵を眠らせても、囲まれた騎士はボーリングバッシュで周りじゅうの敵を叩いて、いっぺんで起こしてしまうからだ。アサシンならその心配はないので、油断してしまった。
 彼らは時々、姿を消して逃げてしまう。そういう性質なのだといえばそれまでだけれど、隠れるなら隠れるでひとこと言ってほしかった。
「慣れてるよ」
「いやになりませんか?」
「なるけど、感謝されることもよくあるから。また見つけたら、またやるよ」
「いい人なんですね」
「気まぐれだよ」
 ぶっきらぼうだとは思ったけど、そういう言い方しかできない。私は黙って、銀矢を撃ち続けた。不死属性のオークゾンビには銀矢がよく効くから、一発で五百のダメージを与えられる。
 エピさんが私にヒールしながら言った。 
「強いですね」
「攻撃だけはね。防御、紙だし、人の経験値食べちゃうし」
「公平分配だからいいですよ」
「そういえば、アイテムどうしよう?」
 倒れた一匹のオークゾンビに近付きながら、私は聞いた。エピさんはあっさり言った。
「私、いりませんよ。経験値もらってますから」
「レアでも?」
 私は、死体からつまみ出した金色の結晶を見せた。エピさんが息を飲む。
「エンベリウム!」
「売って山分けでいい?」
「……いいんですか?」
 遠慮がちに聞いたエピさんの手に、私は数十万で売れる貴重な結晶を押し付けた。
「いいもなにも……エピさんがいなかったら、私もう帰ってたし。とりあえず持ってて」
「ありがとうございます」
 エピさんは、おずおずと結晶をポケットに入れた。
 その時、近くを鳥に乗った騎士が通りがかった。私に気付いてやってくる。
「あっ、エルちゃん」
「……コマさん」
 komanezumiという名前の、その黒髪の女騎士は、私と同じギルドに所属していて、よく一緒に狩りに行く間柄だった。私とエピさんが同じPTだと見て取るが早いか、あけすけに言う。
「パーティー、イレロ」
「はいはい」
 レベルが近いから、経験値の公平分配は続けられる。私は彼女をパーティーに入れた。コマさんは、さっそくエピさんに挨拶をし始める。
「こまねずみです。よろしく〜」
「エピタフです」
「壁できます。敵は任せてねー」
 さっそく勢いづいてオークゾンビを叩き始めたコマさんを、私はちょっと遠くから見つめていた。

 ギルドのシステムができてからは、仲間を選ぶ自由がうんと広がった。
 馴染みのある親しい人たちとはギルドでつながりを保っておいて、狩り場では知り合ったばかりの他人とパーティーを組む、そんなことも可能になった。
 エピさんとのパーティーも、そういう即席のものだったから、次にログインした時に彼女がパーティーメンバーから消えていたのも、別に気にするようなことではないはずだった。第一、前回ログオフする時に、私自身が、出たければ勝手に出て、と宣言していた。
 それなのに、からっぽのメンバー表を見たとき、少し寂しかった。
 もちろん、一対一チャットのwisリストには、彼女の名前を登録していた。でも、wisは、こちらから自発的に使わない限り、相手の所在を確かめることができない。パーティーを組んでいれば、リストを開くだけでそれが分かる。それに比べて、wisで話し掛ける時には、気構えと勇気がいる。
 プロンテラにログインした私は、なぜかいつもよりも緊張しながら、エピさんへのwisを飛ばしてみた。
「こんばんは」
 wisは通った。エピさんは、いる。どこで何をしているのかまったく分からない相手の返事を、私はしばらく待つ。
 ややあって、こんばんは、と声が返ってきた。私は聞く。
「今、どこにいるの?」
「ピラ4です」
「よかったら、また一緒に狩りしない?」
「いいですよ」
 予想外にあっさりと、承知の返事が来た。けれど、その後に続けてエピさんは言った。
「今、コマさんと他の人でPT狩りしてます。来ますか?」
 意外、じゃないだろう。コマさんがエピさんをwisに登録していたのは当然だ。人なつこい彼女が、エピさんをもう一度誘っていてもおかしくはない。
 でも、その時私は、少し気落ちした。
「うん、いく」
「待ってますね」
 私は支度をして、ピラに向かった。

 ピラミッド四階にたどりつくと、思ったより大所帯のパーティーが戦っていた。
 エピさんとコマさんの他に、狩人やアサシン、ブラックスミスなどが五人ほど。幸いレベルは皆似たり寄ったりだったので、私も遠慮なく入ることができた。
 ピラ4には、マミーやグール、それにイシスという強敵が湧く。最近の世界変更で、そいつらはいっそう強くなった。どんな職業の冒険者であれ、一人で立ち向かうのは正気の沙汰じゃない。その点、大人数の私たちは心強かった。
 全ての方向から襲い掛かる敵を、私たちは連携して倒していく。それぞれのメンバーは職業が違うし、戦いの技量も違う。実は私は、それがけっこう気になるたちだった。
「ペンさん、待ってよ〜」
 コマさんの制止も聞かず、紳士ペンギンという妙な名前のハンターが、一人でパーティーから離れていく。敵を誘って連れてこようというのだ。そういうのは回避力の高いアサシンが向いているのだが、彼はどうやら、敵に追いつかれそうなスリルが好きなようだった。
 三度ほど彼は成功したが、その次に離れていってからしばらくして、案の定、情けない声が届いた。
「やられたー」
 敵に追いつかれて、倒されてしまったのだ。私たちはその場へ向かって敵の群れを掃除し、エピさんがペンさんを蘇生した。
 しばらく静かな時間が続いたかと思うと、立て続けに四、五匹の敵が周囲に湧いた。誰が狙われているのか分かりにくい乱戦になる。
「2-Hand-Quicken!」
 コマさんが両手剣加速のスキルを使って、目の前のマミーを叩きのめしている。それを見ながら私は舌打ちする。エピさんがグール二匹に狙われて、詠唱を邪魔されている。そちらを助けるべきなのに。
「Double Strafing!」
「Kyrie Eleison!」
 私の重ね撃ちと、エピさんの防御魔法が同時だった。DS一発ではグールを倒せず、さらに私はそいつを撃たなければいけなかった。そいつを倒し、もう一匹を撃ちながら、私は言った。
「今の、エテルナのほうがよかったよ。グール速く倒せる。プリさんやられたらパーティー全滅だから」
「でも、みんなも殴られてますし」
 そう言われて、私は黙った。確かに、キリエならパーティー全員を無敵にできる。そう思っているうちにさらにたくさんの敵が湧いて、焦りのあまり、私も的確な射撃ができなくなった。
 いやな気分になった。人のミスを咎めておきながら、自分だって完璧に戦えていない。エピさんはパーティーの全員を観察して、冷静に判断していた。
 また囲まれてしまったペンさんに、エピさんのヒールが届く。ペンさんが言う。
「ありがと〜。やっぱプリさんいると助かるね」
「私も助かります。戦えませんから」
 よく見ると、エピさんは武器すら手にしていなかった。本当に援護に徹しているようだった。彼女がパーティーを回復させ、代わりに経験値をもらう、という図式だ。
 その時、パーティーのアサシンが、レベルアップした、と言った。皆が口々に祝福する。ところが、経験値の公平分配が解除されてしまった。アサシンのレベルが、パーティーの皆から離れすぎたのだ。この状態だと、自分が倒した敵の経験値しか手に入らない。
 私は横目でエピさんを見ていった。
「エピさん、儲からなくなったね」
「いいですよ、たまには」
 エピさんは涼しい顔で言う。唯一の報酬である経験値のことも、あまり気にしていないようだった。
 こうなると、得をするのは最も攻撃力の高い、狩人の私だ。
 今までの倍以上のペースで経験値が入るようになり、その上、エピさんに回復までしてもらいながら、私は後ろめたくて仕方がなかった。

 逆に言えば、私とエピさんの二人だけが組めば、最高の経験値効率を稼ぎ出せることになる。
 でも、それからしばらくは、エピさんを含む大勢のパーティーでの狩りが多くなって、私はそのことを言い出せなかった。高い回復能力を持つ僧侶は、どこでもひっぱりだこだし、エピさんは自分の戦闘能力を削って回復スキルを取ると同時に、回避の力をも高めた、知力オンリーではない「使える援護型」の僧侶だった。これで皆に好かれないわけがない。
 それに、大勢に囲まれたエピさんは、とても楽しそうだった。
 私だけがひとりじめしていいわけがない。
 ひとりじめしたいんだ、ということを、その頃になると私も自覚した。少しうろたえて、私はその気持ちを冷静に考えてみた。
 回復能力だけがほしいのだろうか。
 違う、と思った。私は、ギルドの仲間の僧侶と二人で、ダンジョンに潜ったこともあった。その人は普段、騎士の仲間と組んでいる人で、私と組むとその時の癖が出て、よくピンチになった。騎士は僧侶の前に出て壁になるけど、狩人は敵を見つけると、まず反対方向に逃げるのだ。そして距離をとってから攻撃する。その僧侶は、私が引き返しても前に進み続けて、敵の群れに突っ込んでしまうことがよくあった。
 エピさんはそういうことはなかった。
 ある日、例によって大勢でスフィンクス・ダンジョンに潜る機会があった。私は例によって、マタやレクイエムを見つけるたびに、自分でも呆れるほどの素早さで罠を置いて引き返し、臆病者のように遠くから矢を射た。そんな時でも、エピさんは決して敵にからまれるようなヘマはせず、常に私と壁の間の安全なところに立って、援護の魔法をかけてくれた。
 彼女は、パラメータだけでなく技量にも優れているのだ。こればかりはレベルの高さとは関係ない。
 強さとともに、巧みさをも備えた人。
 つまりエピさんは、と私は気付いた。あの人と一緒なんだ。

 その頃ひとつの転機があった。少なくとも私は、それを転機だと思った。
 その時もエピさんを含む大勢のパーティーに、私は入っていたけど、時間が夜遅くで、私と彼女しかいなかった。私は彼女を誘って、ピラミッドに潜った。
 冒険者が少ない分、敵が多く、通路に倒れている人間がしばしばいた。そのたびに立ち止まって、「リザいりますか?」と尋ねるエピさんとともに、私は狩りをした。
 矢を使い尽くしてモロクに戻った私たちは、乾いた砂の上に座って、回復がてら話し込んでいた。その時、エピさんが言った。
「エル、いつもありがとう。一緒に戦ってくれて」
 どきり、と胸が鳴った。
 私は自然に聞こえるよう苦労しながら、お決まりの返事をした。
「エピは気にしなくていいよ。戦闘職は他にいくらでもあるけど、回復できるのはプリさんだけなんだから」
 彼女がお礼を言ってくれるのはいつものことだし、この時もそれと同じような、何気ない言葉だったのかもしれない。
 でも、初めて名前を呼び捨てにしあった。
 それから私たちは、エル、エピで呼びながら、他愛ない話をした。私の気のせいでなければ、彼女のしゃべり方も、少し打ち解けたものになったようだった。
 それがとてもうれしかった。

 けれどもその頃から、私はエピにwisを飛ばさなくなった。最後にパーティーを解いてからは、会わなくなった。
 昔と同じ泥沼に踏み込むのが、怖かったからだ。
 以前に一度、私は人を好きになった。
 その人は私と同じ弓手で、いつも青い帽子をかぶっている人だった。大勢といることもあったけど、パーティーには入っておらず、一人のことが多かった。一人でピラ四階やゲフェン二階を行き来しても平気な人で、とても強かった。会わなくなる直前にはなぜか青い帽子をやめていたが、その理由が、その頃はまだ見えなかったクラウンをかぶっていたからだと分かって、びっくりした。オシリスと亙り合える人だった。
 そのくせ、経験値やアイテムにがつがつしたところがなく、敵地のど真ん中でもぺたりと座り込んで、周りの人間の戦いを眺めながら、のんびりとおしゃべりするような、とぼけたところもあった。
 その人は最初友達だったけど、私がパーティー内のもめ事でぼろぼろに傷ついた日、夜が明けるまでそばにいて、話を聞いてくれたことがあった。格別優しいというわけではなかったけれど、深い考えをもった、賢い人だということが、その時に分かった。それに趣味も近かった。
 それで私は、彼女を好きになった。
 二人で狩りに行ったし、座り込んで話したこともあった。すごく楽しかった。けれど、次第にそれだけでは物足りなくなってきた。
 この人をひとりじめしたい、と思い始めた。独占欲が出るぐらいだから、はっきりそれは恋だった。
 その人に守られたかった。その人に声をかけてほしかった。逆にその人を守って感謝されたかった。でも、それを口にすることはできなかった。少なくとも頼むことはできなかった。プライドがあったからだ。
 自分でも、面倒で身勝手な性格だとは思う。私は私より劣る人間を好きになれない。自分より優秀な人に憧れる。そういう人と同じようになりたいと思い、そういう人に必要とされたいと思う。必要とされる自分でありたい。
 でも、これは矛盾だ。劣るかどうかなんて考えること自体、強さでしか人を量れない、視野の狭い人間であることの証明だ。そんな私が、憧れる人と同じ境地に立てるわけがない。
 あの人は違った。強さを私が誉めても、レベルなんて単に戦った時間の多さを表してるだけですよ、と軽く流していた。その飄然とした態度に、ますます惹かれた。
 一度、一人でいる理由を聞いたことがある。すると彼女は、以前大好きだったパーティーが、やむを得ない理由で解散してしまって、それを忘れられないから、一人でいるのだ、と言った。私が同じ立場だったら、きっと寂しさのあまり、後先考えずに他のパーティーに――いや、もうやめよう。とにかく、彼女はあらゆる意味で私のかなわない、筋の通った立派な人だった。
 ある日ついに、思い余って告白した。
 場所は海底ダンジョンの三階だった。敵は強いけれどあまり湧かないそこで、私たちはたまにやってくるマルクや人魚を倒しながら、膝をつき合わせて座り込んで、長い間しゃべった。
 返事はイエスではなかった。私を嫌いなのではなくて、そういうことそのものに関心がないようだった。いや、関心がないのに付きまとう私のことは、やっぱりうっとうしかったのかもしれない。私は嫌われたくなかった。嫌なら言ってほしい、あなたを不愉快にさせたくないから、と言った。すると彼女は、だったら愉快にして下さい、ととぼけたようなことを言った。私は思わず笑ってしまったが、今振り返れば、あれは彼女の本心だったのだ。きっと辟易していただろう。
 そして私はついに、自分でも言わないように努めていたひとことを言ってしまった。
 パーティーを組んでほしい、と。
 彼女は少し沈黙してから、すみませんが、と言った。もちろん、断られたのだ。私も後悔した。彼女がパーティーを組まないことは分かっていたのに。
 あんなにつらくて苦しい夜はなかった。好きな人と二人でいられるのに、全然満足できないのだ。どうすれば満足できるのかも分からなかった。パーティーを申し出たのも、苦しまぎれのあがきだった。この世界の誰もが一度は感じたことがあるはずの、ログインしてパーティーリストを開いたときの、目当ての人間が来ている、と分かったときの安心、実際に会ったりwisを飛ばしたりしなくても、自然に感じられる存在感、それを手にすることで、彼女とのつながりを保ちたかったのだ。
 無理だった。
 その日から、私は彼女にwisを飛ばせなくなった。飛ばして会うのを断られるのが怖かった。それ以上に、うじうじと未練がましく会いたがること自体がいやだった。頼んで、媚びて、「会ってもらう」自分なんて、死ぬほどみっともない気がした。そんなことはプライドが許さなかった。――馬鹿なこだわりだと分かっていたけど、どうしようもなかった。
 私の望みは、情けないほどささやかなものだった。パーティーが無理なら、せめてwisを、向こうからやって来る声を、一度でいいからほしかった。
 でも、それは一度も来なかった。
 彼女と会わないまま時が過ぎて、世界が大きく変わり、私は狩人になった。

 今の私は、あの頃とそっくりの道を歩いているような気がした。
「エルちゃん、へるぷー」
 ゲフェンダンジョンの三階。少し離れたところでミストとマリオネットに囲まれていたコマさんのところに、私は駆けつける。
「Sandman!」
 催眠の罠で眠らせ、続いて足止め罠を置いて一匹ずつ片付け――ようとした途端、コマさんがボーリングバッシュを使ってしまった。一斉に目覚めた敵がコマさんに襲い掛かり、さらにナイトメアまで出現して、彼女を袋叩きにする。
「あうあう」
 高いHPを誇る騎士の彼女も、持ちこたえられずに倒れてしまった。私はありったけの罠を駆使して、残った敵をなんとか片付けた。
 一息ついて座り込む。コマさんが謝った。
「ごめん、やられた」
「仕方ないよ、湧きすぎ。コマさんも離れすぎだけど」
「あうー」
 彼女は、自分の体力を過信して前進しすぎ、複数の敵の攻撃でノックバックを受けて、動けずに潰されることがよくある。ありていに言って、少し間が抜けている。
 実は以前、私は彼女から好意をほのめかされたことがあった。けれど、私は無視してしまった。それは、彼女のそんなところが気になったからだ。――誤解のないよう言っておくと、彼女はちょっと察しの悪いところもあるが、根は善良で素直な人だ。私は他人から彼女の悪口を聞いたことがない。私が彼女の申し出を避けたのは、私が勝手だからだ。
「帰ります。ではー」
 手を上げると、コマさんはすうっと消え、街に戻っていった。私は一人になる。一度断っておきながら、こうして二人でたびたび狩りに出られるのも、私が彼女を意識していないからだ。それはコマさんにとってどうなんだろう、と私は考える。ひょっとしたら、ものすごく残酷なことをしているのかもしれないが、彼女はそれでもいいのかもしれない。だとするとやはり、私は彼女を意識はできない。好かれないまま、そばにいられるだけで満足できるなんて、卑屈すぎる。私なら耐えられない。
 ――そんな自分の考え方がいやになるのも、いつものことだ。これで人に好かれようなんて、身勝手もいいところだろう。
 ぼんやりと座っていると、突然、wisが飛んできた。
「エル、こんばんは」
 私は息を飲んだ。エピだった。
「今、いいですか」
「うん。ゲフェンにいる」
「炭鉱来ませんか」
 一も二もなかった。すぐ行く、と返事をして、私は町に戻り、SPの回復も待たずに炭鉱に飛んだ。
 蝶が飛び回るのどかな坑道前の空き地で周りを見回すと、近くの草の上に、いつものつば広帽子をかぶったエピの姿があった。そう長い間会わなかったわけでもないのに、私は少し緊張した。そういえばエピの金髪はあの人と一緒だ、と脈絡もなく気付いた。
 エピは私を見ると、言った。
「うさみみ」
「ああ……これつけてると、鷹がよく飛ぶから」
 あまり似合うとも思えず気恥ずかしかったのだけど、私は最近、白い兎の耳をつけるようになった。頭上ではばたく鷹を見上げながら、長いうさみみをちょっと引っ張った。
 エピはくすりと笑った。
「可愛いよ」
「そう?」
 照れくさかった。
 私たちは炭鉱に入った。無数の鼠が走り回る一階を過ぎ、自分の位置も分からなくなるような大迷路の二階を通って、最深部の三階にたどりつく。そこで、エピがいつものように言った。
「公平してね」
「うん。アイテムは?」
「いらないよ」
 相変わらず、エピは無欲だった。
 タールの匂いと重い闇のせいで、時間の流れすら遅くなるような三階を、私たちは歩き始めた。ハエ叩きの化物のような気味の悪いミストや、空っぽの目で見つめながらじわじわと近付いてくる坑夫のゾンビを、罠で足止めして、一匹ずつ確実に殺していく。敵は強くて、ダメージは一発で三百を越えた。
 それでも、やられた私には、必ずエピのヒールが間に合った。囲まれたときには聖域が包んでくれて、敵を一気に葬った。逆に、隣湧きのミストが、いきなりエピに襲い掛かったこともあったけど、私よりよっぽど身の軽いエピは、ほとんどの攻撃を楽々と避けた。もちろん、それに気付いた途端に私は重ね撃ちを叩き込み、続いて銀矢を連射した。相棒の鷹が、胸のすくような素早さで三回続けてミストに突きかかり、一瞬でそいつを消し去ってくれた。
「ちょっと回復していい?」
 エピが言って、壁際に向かった。私がその前に立って壁になると、エピが回復加速の魔法を唱えた。
「Magnificat!」
 そして、二人で座り込んだ。私はこの魔法が好きだった。僧侶がマグニを使えるようになってからは、戦闘職のSPは使いきりのものではなくなった。戦闘中にこうやって回復できるようになったのだ。その回復自体もだけど、こうして一緒に座って休む時間ができたことが、私は嬉しかった。
 行儀悪く足を投げ出した私を見て、きちんと品良くお姉さん座りをしたエピが言った。
「鷹、三回も出たね。それ、運が良くないと出ないんでしょ」
「うん、上げてる。――グロリアかけてくれれば、もっと出るよ。運が三十あがるやつ」
「グロリアはないけど……今、取るよ」
「え?」
 振り返ると、エピは立ち上がって、Gloriaを唱えた。頭上に女神が現れて、私たちを祝福した。どう、というようにエピは微笑む。
「今とったの?」
「うん、スキルポイント、余らせてたから」
「いいの、そんなの取っちゃって。鷹ぐらいにしか役に立たないんじゃない?」
「いいよ。援護が私の仕事だもの」
 私は胸が一杯になった。
 体力と精神力を回復し、攻撃を強化し、敵を弱らせて、守ってくれるエピ。そんな風に他人のために尽くすことは、私にはできない。もちろん、彼女にその能力があるのは彼女が僧侶だからなのだけど、そういう職業を選んだこと自体が、彼女の性格を表しているように思える。
 また、前と同じだな、と私はエピの端正な横顔を見ながら自嘲した。手の届かない人を、手が届かないという理由で好きになってしまった。出口のない袋小路だ。
 その思いを閉じ込めることに苦労していたから、エピのひとことは意外だった。
「エル、ごめんね」
「……え?」
 何が、と私はエピの顔を見つめ直した。エピは心持ち目を伏せて、ためらいがちに言った。
「ほんと言うと私……エルを利用してる」
「利用って」
「エルといると、レベル上がるの早いから」
 私は、何を言われているのか分からず、聞き直した。
「そりゃ……戦闘職といっしょの方が、僧侶は楽でしょ」
「戦闘職の中でも、ハンターが一番殲滅速度が速いでしょう。私、だからエルを呼んだの」
 私はショックを受けた。もちろん私はその事実を知っている。だけど、エルがそれを意識しているとは思わなかった。経験値ですらもおまけのように思っているはずの彼女が。
 でも、不思議なことに、その衝撃は不愉快なものではなかった。反対に、俗っぽい心地よさがあった。エピにも、打算的な心があったんだ。
「それじゃエピは、心の中で笑ってたわけ? 自分のために稼いでくれる他の人間を」
「笑ってたわけじゃないよ。感謝してるのは本当」
 エピは、言いわけじみた言葉を恥じるように、うつむいた。
「私、元々、ハンターってすごいと思ってた。ゾンビとかあっという間に倒しちゃうし、どんな強い敵でも眠らせたり止めたりできるし……」
「それはスキルと属性武器のせいで……今だけのことだよ」
「分かってるけど、そういうことってあるでしょう」
 言われて私も気が付いた。攻撃力があるということは、他にどんな弱点があっても、それだけで輝いて見える。まだ世界が変わる前、あの弓手の人に会うよりも以前に、私はレベル九十越えのマジシャンの女の人に、強いというだけで惹かれかけたことがある。その人は今でも同じギルドにいるけれど、世界変更の時の生まれ変わりで、うんと弱く――それでも人並み以上だけど――なってしまった。それとともに、まぶしいほどだった存在感もなくしてしまった。
 だから、強さだけの魅力なんて、はかないものだ。でも私は、エピのその言葉が嬉しかった。誉められたことではなくて、彼女もそんな風に惑わされたりするんだ、ということが。
 この人は、手の届かない人じゃないかもしれない。私は思い切って聞いた。
「ハンターなら誰でもよかったの?」
「ううん、それは違うよ」
 エピは激しく首を振った。
「エルといると、安心できるから。……エルは男の人のハンターみたいにいろいろ聞いてこないし、私が襲われてると、自分の敵より先に、そっちを倒してくれるし」
「じゃあ……私でなきゃだめ?」
 私は大胆になった。身を乗り出してエピの顔を覗き込む。エピは頬を染め、恥ずかしそうに目を逸らして、小さな声で言った。
「うん……私、エルがいい」
「わ……私だけのものになってくれる?」
 それを聞くのは勇気がいった。答えがノーだったら全てを失う質問だから。でも、聞かずにはいられなかった。
 エピは、何かに気付いたように、はっと顔を上げた。私はその肩に腕を回して抱きしめ、隙を突くようなずるいキスをした。
 目を丸くしたエピが、強い力で私を押し戻そうとした。
「だめ、私、そんなつもりじゃ」
「どうしてだめなの。性別なんて意味ないでしょ。他人じゃなくて私とだけ一緒にいたいなら、それは好きってことじゃないの?」
「好き……なの、私、エルを」
「私は好き。エピが好き」
 頬を押し付けて、私はエピを抱きしめた。堅くこわばっていたエピの体から、ゆっくりと力が抜けた。私の腕の中で、柔らかくて花の香りのするエピが、逃げる気をなくしたように動かなくなった。
「エル……痛い」
「あ……ごめん」
「ううん、いいから」
 エピの腕が、そっと私の背中に回された。かたい、と言われた。
「悪かったね、硬くて」
「悪くないよ。……ほんとに、悪くないよ」
 エピが、私の頬に唇をつけた。

 私たちは別に、固定パーティーを組んだりはしなかった。それからも必要に応じて、よそのパーティーに二人で入ったり、別々に他人と組んだりした。
 パーティーという形なんか、いらなかったからだ。相手がいるかどうか確かめたければ、wisをすればいい。パーティーリストをこっそり開いて、相手に知られないように存在を確かめる必要なんてない。決して断られないんだから、wisをためらう理由はない。そしてお互い、呼ばれればすぐに駆けつけた。
 そのことには、単純で子供っぽい快感があった。仲間とダンジョンで戦闘しているエピが、私からの声を聞くと、その場をごまかして来てくれるのだ。他の人を見捨てて。
 私が善良な人間ならそれに幻滅しただろうけど、せいぜい後ろめたく思う程度だった。エピの苦しそうな言葉が、かえって心地よかった。
「みんな、苦労してるだろうな……」
 プロンテラ北東の、今はまだほとんど人の来ない修道院の片隅で、東屋のベンチに二人だけで座りながら、エピがつぶやく。
「フェイヨン五階、敵強いから……」
「じゃ、戻る?」
 私の意地の悪い質問に、エピは首を振る。
「ううん……エルといる」
 その本当に苦しそうな顔を見ていると、背筋が震えた。彼女が良心を忘れてしまったのなら、こんなに嬉しくはない。優しい思いやりの心があるのに、それよりも強い会いたさに負けて、ここへ来ているのだ。
 こんなに罪深い幸せってない。心底、自分が最低の人間だと思う。
 それでも怖さはある。こんな自分は、いつかエピに見限られてしまうかもしれない。そうならないように、私は我慢して、作り物の優しさを見せる。
「戻ろうよ。私も一緒にいくから」
「でも……」
「あんまり撃たないから。罠で止めるだけにする。それなら狩人でも邪魔にされないでしょ」
「そうじゃなくて……」
 エピは恨むような目で私を見上げて、きゅっと脇腹をつねった。
「痛い」
「せっかく二人きりなんだから……」
 肩に頭をすり寄せてくる。私もそれを抱いて髪に指を通した。エピの帽子が落ちて、金髪がさらさら流れた。顔を上げさせてキス、そして、もっと悪いことをする。――手をエピの体に這わせる。
 ふっくらした胸の膨らみが、僧衣の上からでも柔らかかった。そこから手のひらを下に滑らせると、腰の頼りない細さと、お尻のはじけそうな丸みが伝わってきた。一体なんでそんなに大胆な作りなのか分からない、けれどもとても便利な、腰の横にスリットに手を入れる。温かくてすべすべの太ももを、ガーターで吊ったストッキングが締め付けている。そのストラップをもてあそぶ。
 私の肩にあごを乗せたエピが、歯を小さくかちかち鳴らしながら、存在を確かめるように何度も私の背を抱き直して、ささやいた。
「私……自分がこんなことできるようになるなんて、夢にも思わなかった」
「エピはこういうこと考えたことないの?」
「あんまり……」
「でも、気に入ったんだよね」
 常に魔力の微光を放っているイヤリングを噛んで、軽く引っ張った。ぷにっと伸びた耳たぶの内側にちょっとだけ息を吹き込むと、ぞくぞくっとエピが震えた。
「……うん」
「練習しようね」
 私はスリットに入れた手のひらを、より温かいほうに向かって滑らせた。かすかな湿気のこもった前垂れの中の、繊細なシルクに触れる。エピが脅えたように頬をこわばらせて、首を振った。
「そこは……だめ」
「どうして」
「それって……本当のことだもの」
「手や胸とどう違うの? 触る意味は一緒でしょ」
「一緒じゃない。他のところは……ただ、仲良くするための……」
「違うよ。エピはもう、他のところでも感じちゃってるんだよ」
「私、そんなこと」
 立ち上がろうとしたエピの肩を強く抱いて、逃がさないようにしてから、私は一番奥に当てた指を、速くていねいに動かした。「あ、やっ、だめ」と首を振っていたエピが、じきに無言になって、何かに負けたように悔しげに唇を噛んだ。
 中途半端に腰を浮かせたまま、エピは濡れて、そのうち私の腕の中で鋭く震えた。それから悲しそうに、落ちちゃった、とつぶやいた。
 逆のこともあった。
 ゲフェン西の台地にパーティーで出かけて、コボルトを狩っていた私は、別のパーティーとすれ違った。その中にエピがいた。その時は何も言葉を交わさなかった。
 けれど、矢やPOTが尽きた頃に、それを理由にパーティーを離れて、ゲフェンのつり橋のある辺りに戻ると、その手前にまるで約束したみたいに、エピがぽつんと座っていた。私を見つけて、当たり前のように声をかけた。
「遅かったね」
「こっちにもプリさんいたから。そっちはいいの?」
「全滅」
 エピは決まり悪げに笑って、ゲフェンからまた出て来たの、と言った。
 その一帯はノービスがポリンやファブルをやっつけているところだけど、魔法都市を囲む堀に西側から突き出した展望台は、東の城門から意外に遠くて、あまり人の来ない穴場だった。私たちはぶらぶらとそこへ向かった。
 展望台に付くと、うまい具合に誰もいなかった。切り株の椅子に腰掛けると、エピがようやく、さっきの偶然みたいな出会いのお礼を言った。
「ありがと、来てくれて。途中だったんでしょ」
「まあね」
「ちょっと嬉しかったよ。半々ぐらいで来ないと思ってた」
「来ないわけないでしょ。嬉しかったのはちょっとだけ?」
 私はエピの隣に腰を降ろして、手の甲を握りながら言った。エピは握り返してきながら、すごく、と訂正した。
 顔を寄せてキスを求めるのはいつも私だ。髪に口づけし、耳にもして、追いかけるように身を乗り出すと、気が早いよ、と笑いながら、エピはくすぐったそうに顔を背けて逃げた。それ以上エピが体をひねれなくなるまで追い詰めて、ようやく抱きしめられるようになるのが、今までのパターンだった。
 このときのエピは、新しい反応を見せた。逃げずにおとなしく私の抱擁を受けて、身を任せながら、片手をそっと私の膝に乗せたのだ。
「僧侶の私がこういうことするのって、どう思う?」
 言いながら膝上のスパッツの裾をつまんで、中に指を軽く押し込む。ざわっと私の腰に小さな震えが来る。エピのほうから触れてきたのは初めてだった。
「いいと思う……というか、歓迎」
「……やってみるね」
 エピが、初めはじれったいほど軽く、じきにしっかりと、私の太ももを撫でた。背骨の一番下がぴりぴりして、足の間が切なくなってきた。私は意識しないうちに、もじもじと膝をすり合わせてしまいながら、エピのくれるものを返そうと、自分の手をせっかちに彼女のスリットの中に押し込んだ。
 下着に触れるのと、スパッツの中心に指を入れられるのが、同時だった。声も一緒に出た。
「あふ……」「ひん……」
 ぴくりと肩を動かしたエピが、うっすらと目を開けて私の顔を見つめ、いたずらっ子のように舌を出した。
「エルも、ここ弱いんだ」
「だって、女の子なら誰でも……やっ、ちょっと」
 エピの指が、びっくりするほど大胆に食い込んできた。スパッツと下着、二枚の布の意味がなくなるぐらい強く、三本の指をかぎに曲げて、その中の輪郭をなぞってくる。私は、したことがあっても、されたことはほとんどなかった。腰が溶けてしまうぐらいの気持ちよさが湧き上がってきても、抵抗する方法も我慢する方法も知らなかった。
 体を支えられなくなって、エピの肩にしがみつく。一気に飛ばされてしまいそうだったから、怖くなって哀願した。
「ま、待って。それすごすぎ。もっと少しずつでいいから」
「いや。エルのためにしてるんじゃない」
 ぎょっとするほど尖って低い声だった。エピが、普段は絶対人に見せない、心の奥の自分をむき出しにした顔で、目を光らせてささやいた。
「エルに触りたいの」
「え、エピ?」
「逃げないで。あなたが教えてくれた気持ちなんだから」
 はあっと熱い息を吐きながら、エピが私にどんどん刺激を与える。違う、私を味わってる。求められることに、私の体が私も知らなかったような従順さで応えてしまう。湿りがあふれて、布の色を変えた。くち、と指を引き抜いて、エピが可憐な唇にそれをくわえた。
「……エルの、味」
 頬が燃えるように熱くなった。以前のエピと入れ替わったように恥ずかしくて、逃げ出したくなった。顔を背けた私のこめかみに額を押し付けて、エピが楽しそうにささやいた。
「エル、かわいい」
「え……エピだって……」
 私は、思い出したように、エピの下着に押し当てた手のひらを動かし始めた。それまでたいして刺激していなかったのに、指の間からあふれるぐらい染み出していたから、驚いた。
 手をさっと抜いて、手の甲を鼻に当てた。つんと潮の匂いがした。
「エピのおしっこの匂い……」
 後にも先にも、エピがあんなに恥ずかしがったことはなかった。薄いピンクだったほっぺたが、さあっと音がするほどの勢いで真っ赤になり、一瞬で額に冷汗が浮いた。横顔を叩かれたみたいに頬を背けたけれど、髪の間から覗くうなじまで、夕日より鮮やかな朱色だった。
 蚊が鳴くような小声で、エピが叫んだ。
「そんなこと言わないでよ!」
「エピが先にやった」
 私は左手で、湯気の立ちそうなエピの頭を肩の上に抱いた。エピも左手で、私の頭を同じように抱いてくれた。
 それから右手を使って、隠すものがなくなってしまった者同士の親しさで、お互いの秘密の場所を隅々まで探りあった。
 どんどん高まってくる、体中をひたす白いしびれの中で、私はエピの金髪を夢中になってかぐ。エピも同じように鼻を押し付ける。
「私、もう知ってるからね。エピって、こんなに爽やかでいい匂いなのに、あそこは……」
「エルだって……お日様の匂いなのに……ほんとは……」
「エピ」「エルっ」
 胸のふくらみを潰しあうように強く抱き合いながら、私たちはぴったり一緒の瞬間に、真っ白に溶けた。エピのロザリオと私のブローチが、胸の上でからみあって、ちりりと鳴った。

 エピとの関係を深めていきながら、私は一つのことが気になっていた。
 それは自分の惚れっぽさだ。――今までの話で分かると思うけど、私は人を好きになりやすいたちだ。思い込みの激しいたちだ、と言われたこともある。精神があまり成熟していないのかもしれない。でも自覚はしている。
 エピを好きなのは間違いない。だけど、そうなるまでの過程に自信がなかった。エピに会う前の私は、以前の失恋の痛手を引きずっていて、あまり冷静な状態じゃなかった。そこにたまたま彼女が現れたから、成り行きで好きになってしまったような気がした。
 聖職者で、優しくて、強いエピ。――考えてみれば、これほど魅力的な条件の人間もいない。好きになってしまった自分が、目先に惑わされた馬鹿のように思える。もちろんそれは、エピ本人が外見だけの薄っぺらな人間だなんて意味では、決してない。
 試しにこう考えたりすることがある。エピが僧侶じゃなかったら? エピが今の髪型や帽子じゃなかったら? 私は好きになっただろうか。
 でもこの問いには、いつもはっきりした答えを出せなかった。だって、元々そんなに深く考えて好きになる性格じゃないから。この問いを自分に向けることは、要するに、今までの自分の恋愛方法を、根元から考え直せということだった。そんなの簡単にできるわけがない。
 それでも、これはエピとの付き合いを続けるために、真面目に考えるべきことだった。私はそれを、常に心の片隅に置いていた。
 
 世界にはいろいろなカップルがいた。異性のカップルもいれば同性のカップルもいたし、同じ職業のカップルもいれば、ノービスの男とアサシンの女なんて妙なカップルもいた。――もっとも、後でわかったけど、この男の人はとんでもないスパノビで、アサシンになりたての彼女よりも強い人だったというから、妙に納得できた。
 そういう風にカップルをいろいろな方法で分けたとき、私たちはある区分で、かなり過激なほうに属することが、なんとなく分かってきた。――つまり、性的なことをするかしないかという分け方でだ。
 そんなこと実際に見聞きできるわけがないから、ほとんどは伝え聞きや想像だけれど、世界にはそういうことをしないカップルも、結構いるようだった。――逆に言うと、するカップルも確実にいる。一度私は、女のアコさんの二人がそうやってじゃれているのを目撃したことがある。目撃というか、隣にいる時にあけっぴろげに聞かされた。
 そういうのはかなり行くところまで行った(本人たちいわく垢バン寸前の)、特殊な例だと思うけど、人目に触れない町の宿屋や、森の片隅の遺跡や、砂漠のオアシスなどで、今日も数組――数百組?――のカップルが、胸をどきどきさせる危険な言葉を交わし合っているのは、間違いない。
 で、私たち二人も、その仲間入りをしたわけだった。
 何しろ組み合わせがこれ以上ないほど戦闘向きだったから、デートは狩り場が多かった。そういうのをデートとは言わないかもしれないけど、狩りの最中にだって休憩の時間はあるし、その間にしゃべっていることと言ったら、とても他人に聞かせられないようなことだから、やっぱりデートだ。
 以前の私もそうだったけど、一人身の冒険者にとって、そういう光景はやはり、相当気になるらしい。通り過ぎた騎士が、意味もなく戻ってきて近くをうろついたりとか、AFKのふりをして崖の上で商人が露店を出しっぱなしていたこともあった。およそ品物が売れそうもない、プロ北の三階でだ。その時はもちろん、エピのポータルで逃げた。
 それほど露骨じゃなくても、通りすがりに名前を確かめるぐらいのことは、誰だってするだろう。私もそこまで気にするつもりはない。でもこれはつまり、-*-Epitaph-*-とEl-Alameinという名前が、一人ずつ別々でいる時よりも、他人に記憶されやすいということだ。
 それがある日、意外なことを起こした。
 その日私は、気まぐれを起こして、スフィンクスの一階で一人で狩りをしていた。そこへいつものようにエピからwisが届いた。
「今どこかな?」
「スフィ一階。マタとけんか中」
「エルに会いたいっていう人がいるんだけど、つれてっていい?」
「いいよー」
 言葉通り、しつこく吠え掛かる黒犬をさばくのに精一杯で、詳しく聞く余裕がなかった。
 もっとも、聞いていても分からなかったに違いない。その人は、姿を変えていたからだ。
 エピとともにやってきたのは、五人ほどのパーティーだった。その人たちはギルドも一緒で、中の一人、桃色の髪の可愛らしいハンターが、私に声をかけた。
「お久しぶりです」
「ええと、誰?」
 その人が以前持っていた名前を名乗ったとき、私はそれこそ呼吸が止まるほど驚いた。
 彼女は、私が恋した弓手だった。
「エルさんのお名前はたびたび拝見していましたが、今まで機会がありませんでした。今日エピタフさんをお見かけしたので、お引き合わせ願おうと思いまして」
 マタを撃つ矢の威力は昔ほどではなかったけれど、その折り目正しい話し方は、確かにあの人のものだった。私は呆然と突っ立ったまま、聞いた。
「どうしたんですか、その髪」
「新しい髪形に一目惚れしたので、一から生まれ変わりました」
 ギルド所属なので、その人には役職名もついていた。ちょっと風変わりなその役職について、それはなんですか、と聞くと、勝手につけられたんです、とその人は澄まして言った。
 そして、ギルドの仲間と軽口を叩きながら、そこらの敵を狩り始め、一緒に行きましょうか、と言った。
 私は、立っていた地面が急にぐにゃぐにゃになったような気分で、なんとなく彼女たちのあとについていった。けれど、途中で急に気持ちがはっきりして、エピに声をかけた。
「エピ、帰っていい?」
「どうしたの」
「これ、ちょっといやだ。一緒に来て。どこか静かなところ」
 私たちはそれとなく、彼女たちから離れ、見えなくなったところでエピのポータルに入った。
 着いたところはアルベルタだった。二人で来るのは始めだよね、というエピと一緒に、私は二階建ての商家に入った。二階へ上がる前に、階段の前にいくつかの罠を仕掛けた。 二階にはベッドがあった。私はその上に体を投げ出して、胸の奥から息を吐いた。
「さっきの……昔の知り合いだった」
「誰?」
「まだ言ってなかったっけ」
 私は、彼女とのなれそめから、なし崩しの別れに至るまでを、ありのままに話した。
 話し終わると、エピは隣に腰掛けて、少し怒ったように言った。
「それで、どうして逃げてきたの? また好きになってしまうから?」
「違う、逆。……あの人、私が誘ってもパーティーしてくれなかったぐらいだから、孤高を貫く人だと思ってた。それが、ギルドに入って、あんなに大勢とにぎやかにしゃべってたから……」
「幻滅した?」
「かも」
 エピはほっとため息をついて、ごろんと私の隣に横になった。私の肩に手が置かれる。
「昔の恋がぶり返したわけじゃなかったんだ」
「安心した?」
「うん」
 私は微笑んで、エピの肩に顔をすり寄せた。
「人って変わっちゃうんだなあ……なんか、寂しいような、楽になったような……」
「誰だって変わるよ。私も変わったもの」
「そう?」
「私がなんでプリになったか、言ったかな」
「……聞いてない」
「ちやほやされたかったから」
 私は顔を上げて、エピの横顔を見た。エピは片手で額を押さえて、自嘲するように言った。
「アコさんプリさんって、無条件で人に好かれるよね。この紫の法衣を着てると、誰でも優しくしてくれる。私がごく普通の親切――辻ヒールとかポタルしただけで、みんなが感謝してくれる。死に戻り場所にサンクなんか置いたら、ありがとうの嵐。……そんな気持ちいいことって、ないと思ったの」
「……ウケ狙いだったの」
「最初はね」
 エピは額から手を離して、誇らしげな笑みを見せた。
「私、エルに会うまでは、ダンジョンの中で辻リザなんかしなかったんだよ。SP惜しかったから。エルが初めてだった。人を助けるために突っ込んで自爆しちゃったあなたを見て、嫌われ者のハンターにもこんな人がいるんだって気が付いた。……それからも、エルにいいところを見せたかったから、辻リザしてたんだけど、そのうちに、なんだかそれが当たり前のように思えてきちゃった。今はもう、計算なしで反射的にヒールが出る」
「……エピがねえ」
「幻滅した?」
「かな?」
 私はエピと視線を合わせて、しばらく考えた。そして、以前からの疑問に一つの答えを見つけたように思った。
 きっかけがどうだったかなんて、そんなに重要なことじゃないんだ。今起こっていることを、正しく感じ取ってさえいれば。私はエピの今の話を聞いても、不愉快にならなかった。彼女が成長できる人間だからだ。最初から完璧な人間なんていない。今間違えたことを、次に間違えない賢さがあればいい。
 エピにはそれがあって――
「エルも、一緒だよね。撃ち方ずいぶん変わった」
 私にもそれがあると言ってくれる。
 この人の背中ならずっと守れる。この人に背中を守ってほしい。
 私は、最高の答えにたどりついたことを確信しながら、エピの体を優しく抱いた。
「エピ、ずっとそばにいて」
「いつでもヒールしてあげる。だから守って」
 私たちは口づけし、たった一つのそのキスを長く長く続けた。
 それから私は手を下げて、彼女の服を脱がせ始めた。エピがうろたえたように言う。
「ちょっと……服脱ぐの? 今までそんなこと」
「服って、脱げば脱げるものでしょ。今までは外だったからじゃない。誰も見てないここなら、全部脱いだって……」
「誰か来るよ! ここ、有名なデートスポットだから――」
「来ない。下にトーキー置いといた。『使用中、立ち入り禁止』って文が出るやつ」
 エピはぽかんと口を開けてから、子供のように笑い崩れた。私も笑いながら、彼女の僧衣を丁寧に脱がせてやった。途中でエピも私の服を脱がせ始めて、一緒になって全部取った。――僧衣も、ストッキングも、ベストも、スパッツも、帽子も兎の耳も、何一つ身につけない姿に、私たちは初めてなった。
 エピの裸身は真っ白でほっそりしていて、気後れするほどきれいだった。その彼女も、顔を伏せながらちらちらと私の姿を見て、まぶしそうに目を細めた。
「エルって、思ったよりごつくないんだ……」
「失礼だよ、それ……」
 腕を伸ばして私はエルを抱きしめた。きゅっと身を縮めてから、エルも手を伸ばして、私の体に触れ始めた。
 じゃまなものが一つもない触れ合いが、どんなに温かくて心地いいものだったかは……言葉では言えない。
 少なくともトーキーの効き目が切れる十分間の、十倍ものあいだ、私たちはその部屋から出なくて、しまいには何も知らずに入って来たノービスの女の子に、悲鳴とともに逃げられてしまった。

 身支度を整えて家の外にでると、肌が引き締まるような爽やかな海風が吹いてきて、アルベルタに来てよかった、と思わせた。
 隣でまだ赤い頬を押さえながら、とんとんと地面を蹴って靴を直していたエピが、余韻を忘れさせるように言った。
「エルが好きだったあの人……」
「うん?」
「あの人が変わったのも、何かわけがあるのかもしれないよ。聞いてみたら?」
「……そうだね」
 今なら、動揺せずに聞ける。私は静かにうなずいた。
 振り返って聞く。
「これからどうする? せっかくアルベルタに来たんだから、沈没船にでも……」
「うん……あ、ちょっと待って」
 エピが少し先の広場に向かって走り出した。そこにいるカプラさんと、誰かが話していた。よく見ると、さっき間違って部屋に入って来たノービスの女の子だった。
 エピがそばに立って、話し掛ける。
「初心者さんですか?」
「ええ、今日やって来たんですって」
 顔を赤くしてうつむいてしまった女の子の代わりに、カプラさんが穏やかな笑顔で答える。
「なにか、到着早々ショッキングなものを見てしまったとかで、相談を受けていたんですけど……」
「そのことでしたら、私のほうが力になれると思います。……さ、こっちに来て」
 エピが女の子を引っ張ってくる。どうすんの、と目顔で聞くと、あんなことあちこちでしゃべられたら困るでしょ、とエピはwisで答えた。
「すりっぱ」という、可愛いのか奇妙なのかよくわからない名前の、その空色の髪の女の子は、私たちの顔を見比べて、おびえたように言った。
「あの、私、初めてで、右も左も分からないんですけど……この世界では、みんなあんなことしてるんですか?」
「そんなことないですよ。ごく一部の人間だけ。……怖がらなくても、何もしないから」
 エピが苦笑して、すりっぱちゃんの腕を離した。
「初めてなら、いろいろ教えてあげます。試しに沈没船なんて行ってみない?」
「あそこ、ものすごく敵強いって聞いたんですけど!」
「大丈夫、何があっても守ってあげます。ヒールって気持ちいいのよ。……ね?」
「ま、たいていのことならね。――ヒドラ十匹ぐらいなら」
 私はさらりと言って、ザックの中の罠をちらりと見せる。
 すりっぱちゃんは、度肝を抜かれたように言った。
「ヒドラ十匹って……そんなに強い人がいるんですか、この世界」
「強い人だけじゃないですよ。いろんな人、いろんな敵、いろんな出会い、いろんな別れ……この世界にはすべてがあるんです」
「いろんな恋もね。話してあげる」
 私とエピは、言葉以上の意味をもつ目配せを交わした。
 それから、この世界にまた一つ新しい物語を紡ぐはずの、すりっぱちゃんを挟んで、歩き出した。


―― 終わり ――





note at 2:44 02/09/17

この物語に登場する人物名は架空のもので、ラグナロク内に実在するキャラクターとは無関係であり、もしそのままの名前のキャラがいたとしても、それは作者の調査不足で、意図したものではない偶然です。

この物語は一部に作者の経験と感情を折りこんではありますが、フィクションの部分も多く、それ以上に全体が作者の偏った願望によって構成されています。よって万人の共感を求めるものではありません。
しかしながら、ある程度ラグナロクに親しんだ方ならば、必ずなんらかの感興を覚えていただけるものと思います。

この話が作者がラグナロクに対して抱く思いのすべてであり、三万人分のこういった思いを内包した、広大で混沌とした世界が、ラグナロクです。

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