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roujin-15/ケアに対する評価2 ......

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roujin-17@ こうして見守られながら、老人はベッドで一日を過ごすのであるが、スタッフは、老人がどのように一日をすごしているか、過ごし方にもっと工夫はないのか、変化のない無為な過ごし方をしていないのか、できるだけ体を動かし、精神的な活力が得られるように暮らしているのか、昼間起きているようにできているか、睡眠・食欲不振・便秘などの問題がないか、バイタルはしっかりしているか、自立訓練をしているか、そして、家族や他の人とのコミュニケ―ションがうまく行っているか、などを随時リアルタイムでチェックする必要がある。  そこで、患者の一日の流れ図を頭に描いてみよう。文献を引用してある。
まずは朝。朝食の前にトイレ、洗面、入れ歯の介助をして、この時に患者の一般状態を把握する。あまり、状態の良くない患者は、朝早くから、介助を求め、ベッドの中で不快な思いをしながらイライラしていることが多い。これらは、湿ったベッドの交換、圧迫部位のケア、体位の交換などの介助をし、気持ちがよくなれば落ち着くことが多いようである。朝食後はデイル―ムに行き、やはり、社交が行なわれることが必要である。午前中に与薬や注射処置など、医師の診察、各専門療法士への訪問や、時には集団での余暇などが行なわれる。運動機能が残存する老人では、リハビリが可能になるから、特に、下肢の廃用萎縮を予防するため、看護婦も患者に訓練をするなど、訓練を一日に数回繰り返すことも必要になる。この場合、大腿四頭筋の伸展と収縮、尖足の予防、手の変形の矯正、肩の訓練離床の努力などを行なうことで、時間も活用でき生き生きとした一日を過ごすことができる。
 昼食が始まる。午後は面会が中心になる。あまり、ラジオやテレビに頼らない方が良い。と言うのはテレビは、特に、ねたきり老人の外界と隔絶したための無感動な心を動かすことはあまりないからである。場面すらわからないような複雑なドラマよりは、どうせみるのであれば、スポ―ツの試合や、ホ―ムドラマ、時代劇などがよいようである。
 さて、夕方再び食事がだされ、面会が済み、洗面などの身の回りに介助がすめば、消灯である。だだでさえ、眠りの浅い老人に騒音は睡眠の大敵で、面会時間や病棟のパトロ―ル、ドアの開け閉めや睡眠剤などの与薬の時間や動き方に気を使う必要がある。そうそう、ここで、ボランティアと言うものに触れてみよう。例えば、面会にはボランティアが必要な場合がある。小児病棟でもそうであったが、ボランティアにできる手伝いとしては誕生日のお祝い、花を飾る、病棟の飾り付け、子供を連れてくる、映画・紙芝居を見せる、車椅子での散歩と会話などがある。宗教的な人は聖書や仏典などを読み聞かせるのも良いかも知れない。 以上が文献で触れてある一日の過ごし方である。まことに正しいと思う。
 つぎに、これらのお年寄の疾病についての概括をしてみる。詳細は、後の章に譲るとしよう。  老年期に、ベッド上の生活が長期に渡ると、様々な器管に、障害を形成する。まず、神経系では、脳卒中などによる感覚障害や言語障害、片麻痺だけではなく、パ―キンソン病や、その他眩暈、転倒発作痛みなどを起こす。循環系では、無呼吸を生じやすく、虚弱・疲労、胸痛、下肢の浮腫などを起こして来る。疾患が原因にならならなくとも、視覚・聴覚・嗅覚・味覚などが失われてくる悲しみは想像がつこうと言うものだ。例えば、耳が聞こえないと、他人と接触できず、強いうつ状態や類精神分裂状態に陥るし、味覚を失うと食べる楽しみが失われる。このために、栄養障害を引き起こし、骨粗鬆症が進行し、骨痛や筋肉が弱まるとか、あるいは、逆に過食に陥って、心臓病、糖尿病、関節炎を患う。ベッドや車椅子の生活を余儀なくされると、その後のリハビリ次第で関節炎、筋硬直による転倒事故などを起こし、排尿障害を生じて来るなど悪循環になり、ねたきりから、やっと歩けるようになったら転んでまたねたきりと言うことも多くなる。
 とは言え、そういうものだという悟りの心を我々スタッフが持ってよいものかどうか。例えば、悪性腫瘍に関しても、癌だとしらず、眠るように死んでいく人もいれば、高齢になって手術をしてすばらしい結果を得ることもあり、一様に高齢だからと言って待機的にみると言う、他人事的かつ無礼な、固着した思考は避けるべきであると思うのである。統計的事実は事実であり、個人は個人である。この、「ろうじんなんて」は、老人をむしばむ。先程の痴呆老人に対する心構えが必要なゆえんである。
 さて、このボケも、本物とそうでないものの区別がなかなか難しい。 詳しくは老人性痴呆の項でふれるから、ここでは、ストレスによる二次的痴呆状態への注意にとどめる。感染などの身体的ストレスや拘禁反応に近い心理的ストレスによる反応のことである。長期に寝ているとボケを生じるが、高熱・肺炎などの感染症や心臓病などの外的因子で一時的に混乱し、誤った信念をもったり、騒がしくなったり、不穏・動揺・恐怖に陥ったりする精神錯乱とは区別する必要がある。
精神科医として述べれば、物忘れは、忘れるので不安になった状態で仮性痴呆の状態であり、それを痴呆の症状とすることは困難である。つまり、老年痴呆では余り不安の症状はない。しかし、間違った事やおかしなことをする。感情は起伏に富むが、血管性のように、怒るとか、ふさぐとかは少ない。また、頑固さや、やたら自信ある態度などはむしろ脳血管性のもので、健康老人にも多く見られる。心理的なストレスへの反応は、ストレス学の見方からすると、社会不適応のメカニズムが、うつの発生のメカニズムに良く似ており、逆説的な類似をみる。で、本人は正しいつもりでも、はた目からは、なにか間違っている、変だと感じることが多い。なにか空虚で、思慮が浅く感じるというム―ドの変化が伴う。
 治療上で老年痴呆が仮性痴呆がと違う点は、抗欝剤があまりきかない。「できません、できません」と拒否する態度や心気症状が強いなど、仮性痴呆の特徴的状態を余り持たないことである。従って、老人が、計算や作業を面倒くさがったり、自分は病気だと信じて疑わない時には、すぐボケにしないで、よく観察することが必要である。例えば、「私の左足が痛くて動かせないのです」と毎日繰り返し、動こうとせず、文句だけは言う状態などは、仮性痴呆を疑う必要がある。仮性痴呆では、思考や感情は保たれていて安定しているから、感情の起伏が激しく、なにか空虚で思慮が浅い、ム―ドの変化が強い痴呆と比べて「しつこい」感じが否めまない。つけ加えれば、痴呆がある場合は以下の点をさらに加えて理解すると良い。
1 老人をいやがる気持ちを捨てる。
2 ボケをなおらないものと決め付けてはならない。
3 老人は新しいことが苦手。
4 老人は依存的である(肯定)。
5 あらゆる面でボケているのではない。
6 老人は自尊心が強い。
7 精神的な社会不適応を癒す気持ち。
 このように述べてくれば、なんと老人介護も大変なものだと思われるかも知れない。しかし、更に良く考えてみると、これが疾病状態であれば、老人だろうと子供だろうと医療・看護の仕組みからすれば当然のケアの基本ではないか。それが、老人だとなぜ困難なのか。理由は二つだと思うのである。ひとつはそれが、つまり疾病の状態ではない事、つまり暗に自分達の将来像をご老人達の中に魔法の鏡のように見せられてしまうこと、つまり加令という運命の成せる技であることと、もう一つとは、その理解は、おおよそ旧来の内科、整形外科、外科、耳鼻科、眼科、精神科、産婦人科、泌尿器科などという区分けを越えじつに総合的な知識とテクニックをようするばかりか、時としてリハビリやケ―スワ―カの仕事まで舞い込むことであろう。しかも、人は必ず、その時代と共に齢を経、長生きをしたりさせられたり、かくしてお墓の数は確実に増えて行くのである。どうみてもここは踏ん張るしかないのである。