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envd04-01512021325/M病院 ......

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envd04-01512021325@

M病院
 先日あることから患者のおバァちゃんの死期を早めてしまいました。おバァちゃんの家族からは大変感謝されてしまいました。それは、丁度転勤の時期2週間前に迫っていたからです。おバァちゃんが調子悪くなって、食べもせず笑いもしなくなったのは転勤の話がはっきりしたときからでした。特に家族がそれを言ったとも思えませんし、言ったからといって解かったとも思えません。でも暗合以上の不思議がそこにあり、それが家族とか、群れとか、共通意識等と言ったものかもしれません。
状態としては、あと一月の余命と言ったところでした。あるいは、そう感じたように一週間だったかも知れません。医者の「あと2、3日」とか「あと半年」とか言った「感じ」はとてもよく当たるものです。それを感じてぼくは少しあせりを感じました。それは、そのおバァちゃんがなんとなく好きだったからです。ぼくだけでなく、すぐ暴力をふるう嫌なところがあるにもかかわらず、看護婦からもすかれていたようです。その気持ちが焦りを生んでしまい。つい少しでも長生きを、と思ったのが間違いでした。どうせ、一月も延命できるかどうか解からないのに、高カロリー輸液をしようと思ったのです。するのは良いが体力を消耗する。
そして、ある看護婦さんの「先生やりましょう」のひとことで、決定しやったのです。そして、結果は、終わるとすぐに、亡くなってしまいました。私が殺したようなものです。感情が入って、少しでも長生きをと思ったことが正しい判断を狂わせたわけですから、ぼくの判断ミスな訳です。わたしは、そのはんだんミスを家族にあやまりました。御家族からはそれにもかかわらず、感謝されてしまいました。もちろん、手技的な問題はなく、合併症を起こしたわけでもなく、それまでは、かなりしっかり治療もし、家族はと言えば、2週間後に転勤で悩んでいる時期でしたから、大きな流れとしては大変良かったわけです。しかし、死んだら本人が賛成してくれたかどうか解からないではありませんか。
 ぼくは医者になって2度目(覚えているかぎり)の挫折を覚えました。
 いま、大変悩んでいるところです。
と言うのは、新しい生活が始まってすでに3年経ち、慣れが生じたからです。自分がまるで、手足のないダルマのような気がしています。例の交通事故は相変らずおこり、子供は親の不理解とストレスでどんどん肥えていきます。肥満相談も、講師の口にお呼びがなく、お払い箱になったのか、理解されなかったのか解かりません。病院では相変らず、緊急の時には呼んでもらえず、いつまでたっても、副院長先生の代理の地位に甘んじているのですから、社会化の条件としての「認めてもらう」部分があまりにないではありませんか。このまま朽ちていくような焦燥を覚える今日このごろなのです。この焦燥は循環していますからぼくは単に躁鬱病なだけかも知れないのですが、もしそうでなければ、自分の人生はこどプラの失敗も含めまったく意味をなさなかったような気がするからです。ぼくは結構これでも現実主義者なので、実際存在することが存在することの価値であることを良く知っているつもりなのですが、あたまのどこかではそれを怪しんでいるわけなのです。
 こうして41才の夏もすぎようとしているのです。このところある研究会に久しぶりに応募してみる気になって、資料を整理し、最近堅くなった頭を使ってみる気になって四苦八苦しているうちに、だいぶおつむもオイルがなじんできて薄くはっていた皮がはがれ、むくんでいた脳味噌がスッキリしてきたところで、抄録ができてしまったのです。あとは、3月後の学会に向けて本原稿を書くだけですからホっと一息。もちろん抄録が今の地位では受理されるかどうかも分かりませんが。
このホっとひといきは、忙しく、自分の仕事に終われてヤレヤレと言う人間が自己充足感を確かめるものですから、私には当てはまりません。なにか虚しさが漂うだけなのです。最近は奥さんともあまりうまくいきません。私の主張を押しつけるからです。押しつけるから追い込まれ素直になれない彼女を見ていると、再び魔の決別が待っているような、そんな、悪夢が思い起こされるのです。そうしてはならないと思いつつも、つくづく、人間ってある一点をうまくこえられないと、成長が止ってしまうものだナト思います。若い彼女のことですからそのへんはきっと軽蔑しているのでしょう。
しかし、わたしにはいまそのハードルは越えられず、彼女を追い込んでいます。
こうして、公私ともに全然成長もなく年老いていく自分に嫌悪感を感じている今日このごろです。ケンも、治った傷をなめてダメにする同道巡りをくりかえし、もう半年たつのに包帯もクツワもとれそうにありません。きっと死ぬまでクツワを着けたままかも知れないと思いつつ、散歩している若いヨークシャテリアを見ているうちに、自分の陰影も感情にダブって涙が出そうになりました。とは言え、元々私は、心に太陽を持ち続けて、客観的に自分に自身がもてるような実存感がありましたが、それはこの挫折の3年が過ぎた今、確実に心の中に戻ってきつつあるのがわかりますし、それを信じる気になってもいるのです。明るい太陽と、殺伐とした冷気漂う月の裏側とが同居する奇妙な心理状態で過ごすこのごろです。
 8月中盤からお天気が怪しくなってきました。こちらは、9月になってから、青空が陰り、暴風まじりの秋雨前線が来る日も来る日も人々の心を陰欝にしながら一雨ごとに寒くなって行きます。エルニーニョ現象も終末宣言が出されたのに、こちらの天気は例年より2週間も早いようです。
 その性か、9月になってからなんとなく体調が優れなかったのですが、ついに無理して雨の降る中釣りをした性か、月中場にして、熱を出しました。これがしつこい。痛い。問題は扁桃腺だけなのに、一向に治る様子を見せず、ついに14日から10日も出てしまいました。からだはダルく、しかたなく合併症を予防する意味で抗生物質なぞ使ってみましたが、ほとんど効果なく、遂に仕事も一週間以上休んでしまいました。今日久しぶり、実に最初から2週間ぶりに職場にいるのですが、まだ、からだはだるく腫れたようで、熱感もあり、扁桃腺は弛張痛が去りません。一体どうしたことでしょう。優美や看護婦さんたちをいじめたせいでしょうか、はたまた太宰府天満宮のお告げのように厄なのでしょうか。しかし、私はだれもいじめていません。厄もしんじられません。きっと、釣りに熱中したあまり、体力が落ちてしまったのでしょう。と言うことは、「年」と言うことでしょうか。それに、いろんな薬のアレルギーがあるために、一番良い薬の選択ができなかったこともあるでしょう。つまり、「運」が悪かったのです。つまり、ある程度年になったら、運悪くケガや病気をしないよう、自分をコントロールできないといけないわけです。ところが私は、永遠の少年なので、これからが大変なわけです。そんなことをできるようになったら、いままでの生き方もなんか否定されたみたいで、フケ込んでしまいそうな気もします。
 けれど、一番こたえたのは、「生活」の事だと思います。まったく、天外孤独のサラリーマン稼業ですから、病気が長引いても、金に困り、無理して、合併症をこしらえても、出費がかさむわけです。つまり、病気になったら最後のような、そんな不安が頭から離れなくなってしまいました。わけの分からないノーテンキの優美ちゃんと、心臓弁膜症のケンちゃんをかかえて、かと言って、少し頑張れば、いないよりましになりそうな子供の手も借りられない「うまず男」としては、本当にこまっちゃうのでした。
 私がよく患者さんに言ったり、あるいは文章にする、ストレス克服は、一体どうなったのでしょうか。最近は癌になってもこころをしっかり保ち、生活のはりを持っている人さえいるというのに、扁桃腺が腫れただけで、生活する気力が失せてしまうなんて、ひょっとしたら癌なのでしょうか。癌は「病(やまい)」であり、「気」ではありません。つまりストレス克服的癌患者は「病」を「気」で治すわけです。
 一方私はと言うと、「病」を「気」で治すなんて考えられないぐらい落ち込んでいる訳です。つまり、「気」が「病」なわけで、「気」自体が病気な訳です。こまったことです。へりくつを言えば「病気」は「気」で治せるが、「気病」は「気」で治せないのです。こんなことを言うと癌患者さんに、ハリ倒されそうですが、では、へりくつを続ければ「気病」を治すのは「病」なのです。つまり、病気になると言うことが弱った「気」の治療になるわけですね。
いづれにせよ、強く生きるということは大変なことです。無理をしてはならず、無理をしなくては暮らせず、と言う現実は本当に重いものです。ノーテンキの優美ちゃんも、言葉にはならなくても、この辺のことがそろそろ分かる年齢になってきたので、最近やたら生意気なのでしょう。