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envd03-01512021234/ユミちゃん失踪する ......

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ユミちゃん失踪する
93年の6月19日は、一生忘れ得ない日になった。奇しくも、この宮さんと雅子さんの御結婚の日に、我が愛するユミちゃんが失踪したのである。この奮戦記が始まって6年目の危機である。従って文章も今までの軽い感じではかけなくなってしまった。釣キチ(カ-キチはもうやめたのです。)のボク、いや私とユミ、いや今後Yとよぼう。読者の皆さんのご理解をたまわりたいのである。
 この日も、例によって私達は釣りに出た。着替えを済せて、釣り場に向かった。車を降りるとYの竿の先端がポッキリ折れていたのである。私は、好きだと称するものの道具を大切にしない人々を許さない。昔から、ものは大切にと教わっただけではない。ものを大切にする者は、本当に愛する者だからである。これが私の哲学であり、普遍性があると信じている。だから、釣りを愛するものは魚を大切にし、自然を尊び、竿を折らない、と言ったのである。もちろんその語気は相当に厳しいものだったろうと思う。
Yは答えた。わたしだって釣りは好きだもの。だから竿が折れて一番悲しいのは自分だもの。それなのになぜそんなに責められなければならないの。と怒って答えた。私は言った。私は正しいと。そしてYのヒステリーが爆発した。あなたはいつも正しいものね。私はいつも間違っている。どうせ私が何をしてもどうせムダ。私なんか死んだほうがいいんでしょ。折れた竿は5段につぐもので、その先端の段を交換すれば安価にもとどうりになるのに。と思いながら、ジャ死ねと私は答えた。それ以外の優しい言葉をYが期待しているのがわかったからかも知れない。私はそんなことを言っているのではない。サオを折る意味は、たんに道具が壊れたことを意味せず、普段の行ないの中でYが自らの好きと嫌いにかかわらず、若い人の常でものの取り扱いが粗末であることに敷衍したかったまでである。このことがすべての運命を決する一言になった。いま死ねと言ったわね。と涙ながらに興奮するYをおいて私は川に下った。それから空腹で空を仰ぎ、車の合った場所に引き返したころにはすでに5時間足らずが経過しており、激昂して車で去ったはずのYが残していった車に戻ったころには、時計は3時半をしめしていて、水ももらえたかったケンが閉口したように立ち上がって私を迎えたのを見たとき、私は胸騒ぎを覚えた。
 それからすでにまる一日をすぎてもYは戻らない。過去4回のうち、一番長く、一番危険であった。熊の出没するその場所は村里からゆうに8kmはあるからである。
Yは危険なところがある。感情が激しいので、その有利不利を考えずその知恵から想像できないほどの愚かしい行為をする癖があるからである。すでに20を5年も6年を過ぎれば、若気の、と表現するには無理があり、だからよけいに不安になるのである。私は急ぎ言えに帰りつき早目の夕食をケンとすませてから、夕暮れ迫った山に再び戻ったが手掛かりなどあろう筈もなかった。
以下はこの時の日記である。


(つづく)