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envd03-01512021154/病棟日誌より2* ......

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92年7月21日
 あなたがたはしたことが分かってない!!(外来看護婦が予防注射を拒否することに対して)
個人的にやったことがないのでできたらお願いしますと言うのとの違い--外来看護婦間で婦長も含め談合により拒否を決め込んでいる。
問題点1 介助拒否を独断で決めている---看護婦は適正な医療上の指示を正当な理由なしに拒否してはならない。また、やりませんという事の理由が談合であれば問題。聞いても答えないのは非常識かつ非礼である。
問題点2 小児科専門医がいながらその指導も受けていない。--筋注での事故が怖いのでしないという理由は根拠がない

◇解決にむけての提言(Fさんの意見より)
 いづれにしてもこのようなことで人がその職業をかけて、ヤメるだのヤメないだのと言うことがどれだけその人の自尊心を傷つけ、ひいては、患者を傷つけているかを知るべきだと思う。イタズラはこれくらいにしないと、患者も、看護婦も、集えるようにはならない。従って森病院の繁栄もありえない。全ては人ありき、だと思う。
 そこで、以下の10項目を真剣に考えて行きたいと思うものである。

  1. 病棟のマニュアル作り
  2. 3F、2Fの協力体制--看護婦どうしの理解
  3. 看護業務の主体性の問題--自分の看護もありえる。指示の系統の順守もありえる。しない、させないの消極的ケアは看護か
  4. 看護婦のヒエラルキーの不調--尊敬できる人格以外の人の意見が大きすぎる
  5. スジと人間関係の違いが不明確---医者を中心とした派閥で、派閥の中心人物を踊らせようとするなどとは 児戯的要素と医療人としての人格のギャップが大きすぎないか---そのための悪魔の口と地獄の耳
  6. オストラシズムの撤廃----悪魔の口と地獄の耳で疲れない方法
  7. なぜ、プロになりきれないか--なぜ正しい意見が伸びないか--できないことを隠す-不安
  8. 医療人としての生き方を認め合う工夫
  9. 人を信じること
  10. 人間関係(患者さんも含め)再構築
◇そこで、最後にもう一度まとめると、
目的:自然の和、医療に生きるもの、お互いに信じられるもの、うそのない仲間
というやや青臭いが原点に帰る必要がある。
人は、他人を信じられなくなると頼れる人とだけ、と言う排他的感情が支配的になりグループを形成する。このようなグループは、内向的性格イコール排他てきイコール保護主義的であり、すでに、その存在からして、サービス業たる医療にはなじまないものである。医療の場にいるという実存感は、つまり、受け入れる輪というか和(正しいグループ)をうむ。そういった寛容があるグループではグループはグループ、仕事は仕事と割り切れるし、日本が繁栄したように、仕事を集団で効率良くこなすことができる。
 私が切に望むことは、基本に戻ることである。良く考えると策をろうしてもよくならないことが分かろうと言うものだ。結局人間は、生き物だから自然とシンプルが一番だと思う。それが、環境を守り、人をまもり、ひいては、己を守るものだと思う。シンプルイズベスト、正しいことは正しく、間違ったことは間違ったこと。
 また、批判されることを恐れてはならないと思う。人と違うということは、一人一人の特徴と仕事のかたよりから生じる。
それらは、その人の個人の歴史や能力や性格、仕事に対する勉強や態度のあらわれであるからだ。つつかれることイコール批判とはかぎらないし、仕事にプラスになる、つまり、その人のためを思う発言が批判であるべきだからだ。また、我々は駒や人形ではない。捨てずに増やす病院であってほしい。助けることは良いことであり、助けないことは悪いことことである。全人的な判断から全てを決定して欲しいものだと思うがいかがか。
 最後に繰り返せば、これらの再起の努力は結局は患者のためである。ぜひ、原点にかえる、自然の和を大事にするように、皆さんにのぞみ、患者によいことをはなしあったり、けなしあったり、時にはケンカよし、されど、全てが、森病院のナカマという信頼の上であれるようにしたいと思うのです。ご理解ください。
  以上が今年の病棟日記からの抜粋なわけです。大体おわかりいただけたでしょう。なにか、うしろに悪意のほくそえみがかくれているんです。
 これが、我が病院をハキダメにし、患者を徐々に減らしているのです。それがわからない人は、それが医療技術や経営の問題だとしか思えない人は本当に不孝です。