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ドクタ―ま―くん奮戦記
人の運命などというのは、ある時間を区切ってみてみると恰も偶然に支配され、脈絡を欠き手のつけられない感じを持ちます。あるがまま、日々の営みの大切さを知らされます。しかし、星のもとにある運命というものも、厳然と存在するとも思います。私は、星占いは信じませんが、運命論者です。
だから小さいころから自分はこうしたいけど、でも、失敗するかもしれない、自分だけでは決められないから、と思っては、なにかする前によく緊張したのを覚えてます。その自分以外のもの、自分ではないのに、自分のしたいことを縛るものを運命だと言うのだと漠然と思っていたようです。それが、私の性格を臆病にしたようです。のちになって、したいことをする。その結果がチョ―とでるかハンとでるかが運命であり、する前に運命を感じるのを不安だと言うのだと悟りましたが、悟った後でも、緊張する性格は全然代わりませんでした。
私の家は代々医者で、わたしが十一代とか十三代だとか。 あれは、まだ広島に引っ越してまもなく、家の片隅に作ってもらった砂場に何でも隠して遊んでいたころのこと。引越後のガラクタがたくさん入った倉庫のような車庫のようなところの片隅から家系図なるものを引っ張りだしてきたわけです。そこに枝のある線の意味をおばあちゃんに説明してもらいました。とまれこうまれ、私の家は代々の医者だったわけです。それから小学校を出るまでなんとなくそのことが誇りのような、うら悲しいような感じがしていたものですが、いまになってそれが運命の匂いだったことが分かります。わたしには子供がいず、近年の家系の長男はすべて散ったと言います。病に散り、蒸発をしていなくなったわけです。ここ何代も家は、次男三男が継いできたわけです。しかし、次男三男に家というものが解かろうはずがないのです。それは長男の運命なのです。長男が散り初めてこの方、私の家はもとの道に戻れなくなってしまったと思います。これも我家の運命かも知れません。それは、横溝正史の世界ですね。これは、そういう立場にない人には絶対分からないと思います。
おじいちゃんは、次男だったと思いますが違っているかも知れません。満州で、産婦人科を営み、私の父と蒸発した伯父、つまり長男を設けました。たいそう羽振りもよかったようで、そして名医だったようです。そのおじいちゃんがぼくを抱きこの子はかしこくなる、とかえらくなるとか言ってくれたんだそうです。それが、記憶の全くないおじいちゃんとの唯一の記憶なわけです。わたしはそのことを今でも誇りに思っていますので、おじいちゃんの写真だけは持っています。両親は、地域社会的には成功した人達で、生活も私が小学校の中学年になるころには安定し、楽な生活をさせてもらいました。そのころは両親も私に結構期待をしていたようです。わたし自身も、自分は数奇な運命の元に生まれた特別なひとカモ知れない、と思っていました。人間の個人としての発達史では、思春期にこのような期待的妄想気分を持ちやすく、モラトリアムに入っていくのが心理学でも認められていますが、感情がマセていたぶんそんな思いが強かったのかも知れません。とはいえ、私は自然とか、友達とか、周りのものはひとであれ、ものであれ区切りを設けていました。とけこんでなくなってしますのが怖かったのだと思います。死んでしまうとは思いませんでしたが、精力的に何かをやるか、打ち込んでいなければなくなってしまうような恐怖を持ち続けて大きくなりましたから、両親の期待には答えないだろう自分をかなり幼いときから自覚していたように思います。それが血筋だったのでしょう。不安というか恐怖とワシはエラインジャの自信が交錯するモラトリアム人間がこのわたしなのです。