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envd03-01511281827/第6回公判 ......

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蛭川エンザイ事件その七
----第6回公判(1991年2月18日:結審)

 一体、「事故」なるものの一番の原因は何なのか。これは、大問題なのです。ある統計によると、人と道路と車の3つに原因の素を分ければ、では、その90%が人が原因なのだそうです。その90%の大部分が老人と子供であることは前にも話しました。我が北海道では90年度には、715人もの人が交通事故で死んでいますが、その40%は、交差点内で起こったようです。また、全体の70%の人がシ−トベルトをしていなかったそうです。
これらは、一体何を物語っているのか。まず、

  1. 事故とは人が誤って起こすものである。そして、その大部分は判断力と行動力のバランスのとれない子供と老人が犠牲になる。
  2. スピ−ド違反や、居眠りなどの単純なものより、というより、交差点という、信号機という機械と人、車が、混交する一度に判断を多く必要とする場面で起こりやすい。
  3. シ−トベルトをしない、という誤った判断を行なった。 
 このように、冷たい統計も、「人」が、
  1. 分かっていても、つい「判断」をあやまり、シ−トベルトをしないという「行動」をしてしまう。
  2. 「判断」と「行動を」うまく連係出来る年令にないので、飛び出したり、事故を回避できない。
  3. 「判断」の多様性をうまく処理して適切な「行動」をとれなかったので、交差点で衝突した。
と言うことをものがたっているのです。

「判断」は、目や耳の情報を取り入れて頭ですること。
「行動」は、「判断」を実行することですから、結局、事故は、
  1. 判断は出来る。しかし行動する力がないか、
  2. 判断する力がないので、行動にうつせない。
  3. 判断も行動もできない。
のどれかということになります。車がロボットにならない限り、ハンドルを握るのは不完全な人のわけで、この神経系の宿命、つまり、見る-判断する(反射か思考)-行動するという生理学的なル−トをいかに訓練するしかないのです。人が事故を起こすというのは、じつに当たり前の事なのです。しかも、それなりに意識していないとそのル−トも生きてきません。テレビでやってましたが、3才から5才才のこどもへの質問、「あなたは、車に気を付けていますか」に対して、30%のこどもが、「いいえ」と答えています。これが、5から7才になると、さらに10%増えて40%にもなります。
 別の統計では現在日本の4輪車台数は、6500万台。世界で第2位の保有台数なのだそうです。そして、算数すると5000台の増加毎で、1人死亡することになるようです。

 そこで、事故を少なくするには、
  1. 疑似体験を通じて危険の回避を訓練する。
  2. 交差点、道路の形状、車の性能、それらに対して、種々の心理状態で自分がどう反応するのか、あらかじめ我が身を知ることが大切。
  3. さらに、最近増加中の「ひき逃げ」事故で見られる、倫理感の欠如や、「ド、どうしよう」の恐怖感を取り除くために、事故を起こした時の、補償や、保健、100%犯罪なみの警察の取り扱いなど、もっと、冷静で合理的な処理を特にヨ−ロッパから、学こと。真の車社会の認知と過ちを認め合う相互信頼ができない社会では、人にハンドルを握らせることそのものに重大な過失があると僕は思うのです。主義主張もキチンと出来なければいけません。例えば僕の場合、罰金は、20万円以下の刑ですから、裁判所は検察に依託して刑を決定できる訳で、金銭にかかわらず、また、単に車を運転していたから発言権がないなんて状態をもっと、個人の利益と尊厳を重視した裁判が出来るように改めることも大切です。
 人の生きる権利や争う無意味さこれらを互いに知りつつ冷静に話し合えるメンタリティが、現在のように機械のユ−ティリティが完ぺきになりつつある時には、それを使用する側の条件だと思います。武器と戦争でもそうでしょう。
思えば、
8月2日にイラクがクエ−トを侵略してから、世界の動き、日本の動きを見ていてもつくづくそう思えます。日本には日本の生き方がありますが、日本には、日本人が住んでいて、交通事故のニュ−スは、日本でのニュ−スですから、イラクのフセインに対する態度を見ていれば、事故の増加の理由も分かろうというもんじゃあアリマセンカ。
11月29日 国連決議で、イラクを避難。背広を着た優等生が、皆でフセインをいじめることにしたのです。
あと何日の間に悪さを辞めないとブンナグルぞ。と言うわけです。それ、あとなん週間、もうあと3日。こういう手は、映画などでは、ヤクザや、マフィアが使う手ですね。あいての頭にピストルを当てて、「10数えるうちにはけ、さもネエと、脳味噌が飛び散るゼイ!」ってえわけです。そんなとき、ねエ皆さん、分かった言うって、答えるのは、大抵主人公ではない人でしょう。主人公は、てこでもいわねエって顔してツッパルわけでしょう。フセインは、ヒ−ロ−なのですから、そうですよね。皆は悪い奴っておもってんでしょうけど、本人は、俺はヒ−ロ−だって思ってるわけですから、そうでしょう。
ついに、1月17日、空爆が始まりました。恐ろしいことです。ねこそぎ爆破してしますのです。人も、あかんぼうも、建物も、動物も草木も、とにかく戦争をやめさせるための手段なら、広島に原爆を落しても構わない論理がまたまかりとおっているのです。2月18日には、ゴルビ−君がアジズ外相と取引に行きました。この秀才は庶民の感情というものが一切分からないようです。だから、ペレストロイカなどというソ−メンにもなんないイカを振り回してニコニコしていられるのでしょう。そのうち、だれかに寝首をかかれますね、こういう人は。レ−ニンに心酔して、自分の過ちをしらずに人を苦しめ、その地位から追われると、レ−ニンの間違いを指摘するフルシチョフのようです。かれは、レ−ニンに信頼されていた。レ−ニンは、いわゆる恐怖政治を行なった人のようですから、信頼されていたことが、即ちボッチャンというかあやまちなわけなのに、信頼されていた自分を恥じることなく、信頼していた奴をこきおろすやつは、信頼していたやつというのがわるもんだとすれば、そいつもわるものです。ゴルビ−君も、きっとフルシチョフ君のようになるのでしょう。
2月24日地上停戦となりました。アメリカは、そのむかし、イラクから、クエ−トを無理矢理独立させた義理からか、クエ−トを開放したと狂喜しましたが、そんなのは、マスかいてるだけのような気もするのですが。それをもたらしたのもパトリオットなんで臭い名前のミサイル迎撃用ミサイルのおかげです。
あれは、ミサイルの試射会だったのでしょうか。ソ連もみました、中国も見ました。さて、どこが買ったのでしょう。フセインが悪い子したのなら、フセインをやっつけるなら、道理も分かる。壊したのは遺跡とイラクの人々だけ。フセインも、核爆弾もそのまま残したのは、なぜでしょう。などと、かんがえていたら、2月28日停戦となって終わり。一体なんだったんでしょうか。この戦争。いっそ、フセインとブッシュが手を組んでいたのなら、もとその長官をCIAが助けて、と言うより冷戦が終わりそうで失業しそうなCIAをもと長官が助けたのかも知れませんが。こういうシナリオ書いてもチットモ不思議でないようなそんな出来事でした。


(つづく)