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envd03-01511281810/第5回公判5 ......

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五 被告人供述の信用性
被告人は、本件検挙時自分車両を追い越そうとしていた別の車両が存在していたこと、自車の速度としては時速105ないし110キロメ−トル程度であったことを供述している。この今日実は以下の理由により信用できるものである。

  1. 別の車両についての被告人の供述は、具体的である。すなわち、本件現場から1キロメ−トル稲井の手前でバックミラ−で後続3台の車を認め、そのうち、それより手前で追い抜いたあずき色のス−プラ(20台の男性が4,5人乗っている)が100キロメ−トル(100メ−トルの間違い)稲井に接近して速度を上げてくるのを確認している。残念ながら、被告人は、A点以降、そのス−プラが自車を追い抜いたことを現認していないが、証人Mの証言と合わせて考えれば、検挙地点でレ−ダ−測定可能領域内に他車両が存在していたことを認めることが出来る。
  2. たしかに、他車両の特徴等について、証人Mの証言と被告人の供述との間には、必ずしも一致しないところが見うけられる。しかし、他車両が存在していたという点については、それを覆すほどの不一致はない。また、証人Mと被告人とは婚約者であり、両名が打ち合わせをして供述内容を一致させることは容易だったはずである。にもかかわらず、不一致部分が存するのは、両名が各々自らの記憶に忠実に供述してきたからであり、被告人の清潔さの表れである。このような不一致は、むしろ被告人の供述の信用性を高めるというべきである。
  3. 被告人が自車速度を最高でも110キロメ−トルであったとする根拠は、エンジンの回転音であり、被告人が19年の運転暦を有し、しかも、車の知識に詳しいことからすると、十分信用できる。
  4. 被告人は、運転手としては、違反事故歴等から考えて、一般的なマナ−を有していると認められる。とくに運転が粗いとか大抵スピ−ドを出していたなどという事実は認められない。裁判で違反の有無を争うのもはじめてである。
  5. 被告人はなぜ当日取締り現場で否認し抗弁しなかったのか、という問題がある。たしかに、検挙者側のあるべき対応としては、即時その場で否認し抗弁すべきだった、といえるだろう。しかしながら、一般に、速度違反取締現場における実情はどうであろうか。警察官は、運転者側が否認・抗弁しやすいような対応をすることはおよそないといえるし、運転者側の心理としてもかなりの困難があるのが実情であろう。本件においても、警察官が被告人に対し、否認したり抗弁したりすることができることを告げたような証拠はなく、また、被告人としても、120キロはおかしいと思いながら速度超過していたこと自体は間違いないという罪意識があり、また、その時点では、A点付近で追い抜いていく車両に気がついておらず、他車両の存在についての確信を抱いていなかった。さらには、仕事の関係上否認・抗弁、したために長時間足止めされるのは困るという思いや、後々裁判の時に主張すればいいという思いがあった。ちなみに、被告人は取調べを終えて車に戻った直後、同乗者のMに対して「120キロ出していないと思う」と話しており、Mの話から他車両の存在を確信してからは、一貫して否認している。そうすると、当日現場で否認・抗弁しなかったことには、相当の理由があるというべきである。この事実をもって、被告人に不利益に解されるべきではない。
  6. 被告人は、函館市に在住し勤務医をしている。公判に伴う経済的社会的精神的負担は相当大きい。一回の公判に出廷するだけで15万円以上の費用がかかるし、仕事を休むための調整にも苦労しなければならない。争うことが医師としての名誉であり、評価を高めるかと言えば、そうではない。この負担は、略式手続きで罰金を収めて終わりにするのと、全くつりあいが取れない。にもかかわらず、あえて正式裁判で争うのは、事故の主張が客観的事実に合致しているとの確信があるからであり、それを裁判で明らかにしたいという思いがあるからである。被告人には、記憶に反する事実を主張する利益は全くない。被告人の供述に虚偽はない。
  7. なお、残念ながら、被告人が主張している他車両(ス−プラ)の運転社等の証人を立てることはできなかった。しかし、これは被告人側の操作(?)能力に限界があることに:;原因があるのであって、ことさら被告人側に不利に斟酌されてはならない。

六 結論
以上の検討によれば、本件では、レ−ダ−が被告人車両以外の車両を測定した可能性が払拭できない。被告人車両の速度が時速120キロメ−トルであったという事実について、合理的な疑いを入れない程度まで立証されているとはいえない。とくに留意すべきことは、有罪立証のための唯一の証人が警察官一名(K)だということである。およそ、刑事裁判において、このような形の有罪立証はかなり誤判の危険性を伴うといってよい。裁判官が刑事裁判における立証責任の原則に則った公正な判断をされることを切望する。 
                          以上
 ネ。もう一度繰り返しますが、テレビでよくみる「意義あり!」は一回もなかったのです。最初から不利な裁判では、被告にとっては利益不利益なんかより、弁護士さんが被告の何に共感し、同情するかにかかっている部分が大きい。つまり共に戦う仲間であって欲しいわけです。そうなれば相手の言っていることに自然に異議ありと成るはずだと思うのですが。「そこでソレをいっても本筋からそれるし、あまり益はない」というのが弁護士さんのいつもの弁ですが、利益のみ追及するなら最初っからこう言う裁判は成立しないし、ぼくのように不利な被告の人は無茶苦茶いう検事に「バカヤロウ」の一言を期待して弁護料を払うのだと思う。五の5なんか、ホント正確にボクの気持ちを分析しています。しかし、なんか裁判官の様なのです。ボクは弁護士さんに裁かれているような気持ちがしました。弁護士席から、力強い共闘の気迫が流れてこないので孤独でした。
 しかし、本筋から外れたヒルカワさんの悪口雑言には、本当の裁判官の方が顔を赤くしていました。こうなったら、最後にボク自身「バカヤロウ!」と言ってやることにして、最後の「被告人述べたいことがあるならどうぞの時間」を待っていました。繰り返して言えば、もともとこの裁判は勝ち負けよりも言いたいことをキチンと言うのが目的だったし、お金もあまりないので、弁護士さんに「バカヤロウ手間賃」までは払えなかったからそれで良いのでした。
 さあ、静かな弁論も終わり、「被告人述べたいことがあるならどうぞの時間」がやってきました。


(続く)