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envd01-01511271133/三.運命 ......

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三.運命
 最近私はマリオブラザ―ズの一員ドクタ―マリオを買いました。最初は「幼児用だな」なんて、馬鹿にしていたのですがなかなかどうして哲学があるのです。広口ビンのなかに赤青黄色の三色のビ―ルス君が入っています。ドクタ―はビンの入り口のところにいてビ―ルスを殺す赤青黄色のカプセルをビ―ルスに投げ付けます。それぞれの有った色でないとビ―ルスは死にませんし、カプセル一つっきりでもダメ。縦あるいは横に3つ、つまりビ―ルスも含めて4ならべにしないと死なないのです。それも速く要領良くならべないとまたたくまにビンにカプセルがつまってウイルスがかってしまい顕微鏡の下で笑うという趣向なんです。やることは単純なのですが先を読んで、というのはやっつけている間にすでにドクタ―は次の色のカプセルをもって立っているので、一生懸命やっている側から視覚の隅にある次のカプセルをどこに落とすかを考えなければなりません。頭が硬くなったのもあるのでしょうが、もともと性質としてきっちり確認しないと次のステップに進めない頑固なところがあり、となりでゆみちゃんが縦横素早くポンポンと4つならべているのに私ときたらキッチリならべようとして出来たときにはもう、いらないカプセルが底にだいぶ溜まっていると言った具合なのです。で、つぎにどうするかと言えば、カプセルどうしも色を並べれば消えてしまうので、ビ―ルスをやっつけて点数を稼げばよいものをとゆみちゃんは馬鹿にするのですが、そのまえにカプセルを整理しようとするのです。こどものころまずおべんきょうしてから遊ぶというのがありました。じつにかんたんでお勉強してから遊べばよいのでした。そうすれば頭がすっきりして具合がよいのでした。中学になり、お勉強の中身が3倍になりました。普通は仕方がないので遊ばないか、仕方がないので勉強しないかをとるようです。私は頭がそれほどよくないのに全部しないときのすまない完全主義でしたから、ヒステリ―のようになりました。大人になってからはお勉強と遊びにお仕事とか付き合いとか結婚とか、社会生活とか、はては政治経済文化教養とズンズン’やること’が増えその対応に追われるわけです。そしてその一つ一つにやはり順番やステップを考えてキチンとやろうというわけですから、到底出来るはずもなく、毎日が、汗をかいたのに風呂にはいれずに寝てしまうようなスッキリしないチリ、やアクタみたいなものを背中や頭の中に感じながら生活するようになっていました。それが、このドクタ―マリオの哲学なのです。  小さいころからこのスッキリしないのが嫌いでしたから、かえってよくなかったのでしょうね。これが自分を囲んでしまって、僕は自分の陥穽から抜け出られなくなってしまいました。
それなのに事実は、京大医学部から三流の・大に、弁護士の資格をもった中央の医師の夢から、しがない開業医へ、こどもの健康産業の社長にはなれたものの夢見た立派な暮らしから倒産へ。場所も神奈川--広島--そして函館と、まさに洛陽現象が止まらないのです。この先何処まで行くのだろうと不安ですね。その不安とはうらはらに、すぐ逆境になれ、よくあるように、うらぶれて、目はサバの目、なんてことは余りないのです。であれば、最初から運命と諦めればそれなりに楽しく暮らせるのですが例の哲学が邪魔をして、完全ではない自分をいじめるのでした。
 なんと言うか、せっかく生まれてきたのだから、有名になりたいのです。どこかの名医が、人のために努力し、そのことで名声を得て、自らの人生に自信をもてれば医者冥利に尽きる、とおっしゃいましたが、そのとおりだと思うのです。ただその先生と僕との違いは、彼は有名で、僕は無名だということです。自分の人生を楽しめる人はそれで良い。しかし、ぼくは人のためという大義名分が生きていくために必要なのです。それが、医師というものだとも思います。ストレスの研究を始めてかなり経ちますが、それが、いまのストレス社会にちっとも役に立たないのです。それは、だれもぼくのやっていることを知りませんし、大学という枠の中でやってないので、それを知らせる方法も限られるわけです。それで、有名になりたいのですが、うまく行かないばかりか、だんだん個人的に生活するしか道がないようになってきました。それを「普通の生活」と言うのでしょう。
 しかし、なかなか自分の夢は捨てされないものです。そうだ、いまがチャンスだ。とも思ったりします。院長だとか、理事だとか、経営だとか、そう言った類の胃の痛くなりそうなことはもう考えなくてもよいのですから。自分の力を信じて頑張ればよいのですから。先日あるスポ―ツクラブに行き、そこの専務さんにあいました。以前なら応接室に、今は、ロビ―です。以前なら「センセイ、センセイ、ヘコヘコ」なのに、やたら威張っています。人が就職に訪れたのに、「考えときます。」の一言。ホ―ムポジション。広島はホ―ムポジションだったのです。先程どんどん有名から遠さかる話をしましたが、またまた遠ざかってしまったようです。ここでは、ある特殊な人達以外だれも僕を知らないのです。つまり、僕は単に医者だ、というだけで、どこの馬の骨か解からないのです。その、どこの馬の骨か解からない奴が募集もしていないのに雇えと言ったのですから専務さんとしては当然の態度なのです。しかし、プライドは傷つくのでした。だれも認めないことを一生懸命やるのも疲れますね。本屋さんに、僕の本の出版を打診したら、「時期早尚」との事。明後日は保育園の園長先生に合うのですが、これも期待薄でしょう。こどものストレス相談させてください。か。これだけ、ストレスストレスと騒ぎながらほっておかれているのです。なぜか、内容が卑近すぎて誰にでも考えられ、従って意見も十人十色だからです。だれもがその専門家を名乗っているのですから。しかし、真面目に考えないとガンが増える。実際にこれは、冗談ではない。自立神経の鍛練次第では、自分の免疫力を強化してガンをやっつけることが出来るぐらいストレスに強いことは大切なことなんですが。この飽食の時代にどうしたら真剣にこの問題を子供の時期から考えるかに困難があるのです。子供時代は単純に遊びと勉強、おとなになって社会にはいればおのずから「おとなになる」もんだと、みんな簡単に割り切って考えているようです。ファミコンと同じレベルで、二百馬力一、五トンの自動車を与えられるハタチすぎた子供達。それに、事故をおこすな、なぜ、ひき逃げすると、どなってなんの効果があるのか僕には不思議でならないのです。それをわからせるには、今流にやるとすれば、「絶対叱らないから、何をしたのかはなしてごらん」という事になるでしょう。それは、出来ない相談ですから、悪いことをした時は、隠すという子供の基本姿勢のまま、ひき逃げするしかないのです。ぼくは、いまの大人は真面目にこどもを考えていないと思うのです。