他人の顔


武満徹の名曲に誰もが打たれてしまう 安部公房原作 仲代達矢・京マチ子


 実験中の事故で顔を包帯巻にしている男。不気味な風貌のゆえ、妻からは嫌がられ、自分自身にも性格の歪みが生じてくる。男はあるとき、風変わりな病院(クリニックか)で仮面を作ってもらう。型を取り、他人の顔を買い、彼はその仮面を付けて、妻には出張と嘘を言い、別の暮らしを始める。そして、彼は前から考えたように別の顔を持って妻を誘惑しようと試みる・・・。


 不安定さ。それは冒頭からして始まっている。不気味な手や腕の模造品が液体に浮かんでいる。「劣等感」の模造品が優雅に揺れる。と、その時、武満徹の退廃的な曲が流れ出し、顔の群れが画面を満たし始める。

 初め、主人公は包帯男であった時、自分を見失っている。いや、顔を見せていないために自分を見ることが出来ないのだ。自分が見えない為に、逆に他人の行動の魂胆が見えてくる。妻や会社に不信感を持つ。

 が、顔を作ってからは心境の変化が激しくなっていく。顔を作ることは、まったく別の自分になることだ。それは自分を知る者を無くすことでもある。初めは、新しい自分に酔いしれていたが、妻への復讐が失敗に終わった時、見えていなかった自分の内面がありありと分かるようになる。薄汚い自分が見え出し、絶望の淵に立たされる。終盤、医者を殺した主人公が自分の顔を撫で回す場面。これは自分の顔に対する不審に苦しむ姿なのだろう。

 顔の話が最近、良く取沙汰されている。いくつか、職業を持つ人の顔を平均すると、それぞれの顔に明らかな違いが生じてくるそうだ。同じ職業だと、心の持ち方が同じになり、顔も似てくるというのだろうか。これは逆に考えると、顔が違っても、心の持ち方次第で顔が似てくると言える。内面が表面に現れてくる、そういった恐怖を彼は身をもって感じたわけだ。

 「どろかぶら」という舞台を昔、見たことがある。不細工と言われて嫌われていた一人の女性が優しい心を持つことで、最後には美しくなる、という筋だった。「他人の顔」によく似た話だが、結末は正反対で、希望に満ちている。

 あなた自身は、結末として「他人の顔」を見るか、「どろかぶら」を見るか。それはあなた次第だ。