スタンリー・キューブリック

 それにしても不思議な名前だ。

 まだ映画を見ていなかった頃、僕は「スタンリー・キューブリック」という名前から、まったく未知の世界を感じさせる輝きを感じていた。ブランドネームのような安心感は確かにあるのだが、その「真綿」の裏には鋭い「刃」を感じる。気をつけないと、手に赤い筋を残しそうな危険性もはらんでいるというように感じていたのだ。

 映画も名前から感じた---いや、実際は映画がその感情を名前へに転じさせたのかもしれない----「真綿」と「刃」とのアンバランスな世界が繰り広げられている。僕が一番、強烈なインパクトを受けたのは、なんといっても「時計仕掛けのオレンジ」だった。この映画においての「真綿」とは、異様なまでに完成し尽くされた映像であろう。目に焼き付くような美しさを持っている。そして、バックを流れるクラッシックの数々。これは耳に「焼き付く」と表現したい。それに対して「刃」とは、言わずと知れず、凶暴な主人公アレックスである。暴力を愛し、女性を欲望を満たす道具としか捉えない、彼自身の倫理観が地獄図絵のように描かれている。そして、時々、「真綿」と「刃」が混ざり合う場面がある。その時、映画は最高潮に達する。同時に観客も、血が流れるのを喜ぶかのようなサディスティックな感情----そんなものが自分に存在するのかという疑惑も------が体の中を駆け巡るのだ。

 映画は観客に新たな世界を見せてくれるが、彼の映画は視覚だけの世界を提供するのではない。彼の映画は、観客自身知りえなかった内面を気付かないうちにえぐりだすのである。「真綿」と「刃」。本当にえぐっていても、おかしくない二つの要素だ。えぐる、というよりはすっと鮮やかに取りだす、と言った方が良いのかも知れない。

 次に好きな作品はやはり「2001年宇宙の旅」だ。冒頭から観客を映像の中へと解き放ってくれる。映像と良い、音楽と良い、非の打ち所のない映画だ。キューブリック特有の暴力は、HALの反乱場面に表現されている。痛みのない、心に深い傷を残す暴力となっている。ただし、鮮烈さに欠ける。「時計仕掛けのオレンジ」のような、即興性、斬新さ、荒さというべきか、それが、「2001年宇宙の旅」にはない。あまりに完成し尽くされている。

 「アイズ・ワイド・シャット」はとても見たい。しかし、年齢の為に、見ることが出来ない。ただし、キューブリックの映画は、色あせることは決してない。現に、20年前の映画が今でも人気を誇っている。キューブリック映画を急いで見る必要はない。三年ぐらい、待てば良い。