水無瀬恋十五首歌合 ―故郷の恋―


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〔故郷恋〕故郷(ふるさと)における恋。故郷には「古い由緒のある里」「昔なじみの里」「古び、荒れ果てた里」などの意がある。寂れた里の風情を背景に、昔との対比において今を歎く恋情を詠むのが本意となろうか。もっとも前例は見当たらず、当歌合の宿題のなかでも、難題の一つであったと思われる。


四十一番 故郷恋
   左             親定
里はあれぬ尾上の宮のおのづから待ちこし宵も昔なりけり
   右              左大臣
末までと契りてとはぬ故里にむかしがたりのまつ風ぞふく

左、「尾上の宮のおのづから」ことに珍しくみえ侍るなり。右、末の句よろしく侍れども、猶左をもて勝とす。

左(後鳥羽院)
里はあれぬ尾上の宮のおのづから待ちこし宵も昔なりけり


【通釈】里の我が家は荒れてしまった。かつて高円(たかまと)の尾上の離宮が、あるじがいなくなって荒れ果てたように。その「おのえ」ではないけれど、おのずとあの方の訪問が待たれた宵は、もう昔のことになってしまった。

【語釈】◇里はあれぬ―前例に「さとはあれぬむなしき床のあたりまで身はならはしの秋かぜぞふく」(寂蓮法師『新古今集』)。◇尾上の宮―高円山にあった聖武天皇の離宮。「尾上の宮は皇居なり。つよくあるるといひたてんためにこの名所をとり出るにや。又尾上の宮のをのづからとうくること葉の縁にも成侍り」(『新古今集聞書』)。下記万葉歌などから「高円の尾上の宮」は「荒れてしまった宮」の代名詞となったので、初句「里はあれぬ」に具体的な映像を重ねるはたらきをする。と共に、頭韻を踏んで第三句「おのづから」を導く序となる。◇おのづから待ちこし―来るのが自然と待たれた。

【参考歌】大伴家持「万葉集」
高円の野の上の宮は荒れにけり立たしし君の御代遠そけば
  大原今城「万葉集」
高円のをのうへの宮は荒れぬとも立たしし君の御名忘れめや

【補記】万葉集にも高円は秋の野の花の名所として歌われているが、「高円のをのへの宮の秋萩をたれきて見よとまつむしのこゑ」(良経『秋篠月清集』)、「たれ見よと露のそむらん高円の尾上の宮の秋はぎのはな」(『後鳥羽院御集』)など、新古今時代にも踏襲されている。したがって第二句「尾上の宮の」は、単に荒れ果てた離宮の映像を重ねて初句「里はあれぬ」を強めるのみならず、咲き乱れていた花が枯れ果てた、晩秋或いは初冬の野山のイメージを想起させる働きをもしている。さらに頭韻を踏むことで「おのづから」を導き、自然と咲き誇っていた花々が枯れ果てるように、人の寵愛もまたいつか離(か)れ果てずにはいない、という自然と人事の響き合い、またそれゆえの諦念が、下句に籠められてゆくことになる。

【他出】「若宮撰歌合」二番右勝、「水無瀬桜宮十五番歌合」二番右勝、「新古今集」1313、「後鳥羽院御集」1603。

●右(良経)
末までと契りてとはぬ故里にむかしがたりのまつ風ぞふく


【通釈】「将来いつまでも」と約束しておいて、私のいる里に、あの人は来てくれない。荒れ果てたこの里には、(期待して待った)昔の思い出を話して聞かせるような、松風が吹くばかりだ。

【語釈】◇むかしがたりのまつ風―昔話をする松風。松に待つを響かせる。

【補記】松が風にあたって立てる響きを、松の語る思い出話に喩えている。松は和歌において好んで擬人化され、思い出を共有する昔馴染みとなったり、孤独な山家の暮らしを慰めてくれる友となったりする。

【他出】「秋篠月清集」1443、「続拾遺集」1029。

■判詞
左、「尾上の宮のおのづから」ことに珍しくみえ侍るなり。右、末の句よろしく侍れども、猶左をもて勝とす。


【通釈】左の「尾上の宮のおのづから」という句は、格別に珍しく感じられます。右は、末の句が結構ですけれども、やはり左を勝とします。

【語釈】◇珍しくみえ―今まで見たことがないような新鮮さがあり、非常に心がひかれるさま。語の結びつけ方に対する驚きばかりでなく、「尾上の宮の」の深い含蓄を理解しての言であろう。

▼感想
丈高い姿、おおらかな声調に、切々たる哀感がこもる後鳥羽院の歌は、新古今時代が生み出した奇蹟のような名作のひとつである。



四十二番
   左             有家朝臣
あだ人の心よりまづあれそめて庭もまがきも野べの秋かぜ
   右              家隆朝臣
さざ波や志賀の古郷いくかへりわすれがたみの袖ぬらすらん

左歌、「あだ人の心よりあれそむらん」いかが。右歌も、「志賀の古郷」に「袖ぬらすらん」もいかが。持ト為可シ。

左(有家)
あだ人の心よりまづあれそめて庭もまがきも野べの秋かぜ


【通釈】山里の寂れた我が住まい――そもそも最初にさびれてしまったのは、浮気な人の心だった。あの人が通ってこなくなるにつれて、庭も垣根の草も荒れ果て、今はもう(あの人が来るどころでなく、ただ)野辺の秋風が吹き込んで来るばかり。

右(家隆)
さざ波や志賀の古郷いくかへりわすれがたみの袖ぬらすらん


【通釈】志賀の古里に寄せては返す波――あの人との思い出も繰り返し去来しては、私の袖を幾たび濡らすことだろう。恋を思い出させるよすがであるこの袖を…。

【語釈】◇さざ波や―「志賀」の枕詞。もともと「さざなみ」(楽浪)は、琵琶湖西南部一帯の古名。◇志賀の古郷―志賀は琵琶湖西南岸、南志賀地方。景行・成務・仲哀三代の皇居の地と伝わり、天智天皇の大津宮もこの地に営まれたので、古郷(古い由緒のある里)と呼ばれた。初二句は「いくかへり」を導き出すはたらきをする。◇わすれがたみ―昔の人や事件を思い出させる記念となるもの。「(恋人をなお)忘れ難し」の意が掛かる。

【補記】「昔の人の袖の香ぞする」などというように、袖は恋の思い出を誘発するアイテムであった。

【他出】「壬二集」2805

■判詞
左歌、「あだ人の心よりあれそむらん」いかが。右歌も、「志賀の古郷」に「袖ぬらすらん」もいかが。持ト為可シ。


【通釈】左歌、「あだ人の心よりあれそむらん」、どうでしょうか。右歌も、「志賀の古郷」に「袖ぬらすらん」というのも、どうでしょうか。持とすべきでしょう。

▼感想
いずれも詞の用法に無理があるのではないかとして引き分けとした。



四十三番
   左             前大僧正
色にみよ袖にしぐれの故里のみかきが原の秋のおもひは
   右              俊成卿女
飛ぶ鳥のあすかのさとに秋ふけぬ出でにし人は音づれもせで

左歌、「みかきが原の秋の思ひ」よろしく侍るべし。右、「飛ぶ鳥の」とおける、ことごとしくや聞え侍らん。「秋更けぬ」といへる、よろしく聞ゆるによりて、又持とすべくや。

左(慈円)
色にみよ袖にしぐれの故里のみかきが原の秋のおもひは


【通釈】紅の色の濃さに知ってください。袖に涙が時雨のように降り注ぐ古里――この御垣が原で過ごす私の、秋の物思いがどれ程のものか。

【語釈】◇色にみよ―紅涙の色の深さに、恋の思いの程を知れ。◇故里の―吉野の里を指す。「降る」を掛ける。◇みかきが原―「み吉野のみかきが原に」の用例があり(平兼盛『詞花集』)、大和国吉野付近の原らしい。紅葉・若菜摘みなどの名所。◇秋のおもひ―秋は悲哀・憂愁の季節。秋に「飽き」を掛け、恋人に飽きられた悲しみを暗示する。

【他出】「拾玉集」4954。

右(俊成卿女)
飛ぶ鳥のあすかのさとに秋ふけぬ出でにし人は音づれもせで


【通釈】飛鳥の里では秋が深まった。出かけて行った人は、音信もくれないまま…。

【語釈】◇飛ぶ鳥の―飛鳥(あすか)の枕詞。万葉集などに見える。「飛ぶ鳥のように(故郷を去ってしまった)」の意を込めるか。◇音づれ―音信。便り。手紙を絶やさずに出す意が原意(岩波古語辞典)。

【本歌】作者不詳「万葉集」、元明天皇「新古今集」
飛ぶ鳥の明日香の里を置きていなば君が当りは見えずかもあらむ

■判詞
左歌、「みかきが原の秋の思ひ」よろしく侍るべし。右、「飛ぶ鳥の」とおける、ことごとしくや聞え侍らん。「秋更けぬ」といへる、よろしく聞ゆるによりて、又持とすべくや。


【通釈】左歌、「みかきが原の秋の思ひ」、結構でございましょう。右、「飛ぶ鳥の」と置いたのは、仰々しく聞えるのではないでしょうか。「秋更けぬ」といったのは、結構に思えますので、これも引き分けとすべきでしょうか。



四十四番
   左                権中納言
まがきには鹿もなれきて妻とふをきくに袂ぞいとど露けき
   右               宮内卿
契りしもあらずなりけり面影はありしながらの渡りなれども

左、「まがきには鹿もなれきて、」といへる心、とがなく侍るを、少し俗の詞けにや侍らん。右、「ありしながらのわたりなれども」といへる、ことなる事なく侍れば、勝つべくこそ侍らめ。

左(公継)
まがきには鹿もなれきて妻とふをきくに袂ぞいとど露けき


【通釈】山里の住まいの荒れ果てた垣根のあたりには、鹿も馴れ親しんでやって来て、雌鹿を呼んで鳴く。それを聞くにつけ、私の袂はますます露っぽくなってしまう。

【語釈】◇妻とふ―求婚する。つがいの牝を求めて鳴く。

右(宮内卿)
契りしもあらずなりけり面影はありしながらの渡りなれども


【通釈】交わした約束も、無に帰してしまった。あの人の面影は、昔ながらに髣髴とされる、あたりの風景なのだけれども。

【語釈】◇あらずなりけり―無いことになってしまった。◇ありしながらの―過去にそうであった、そのままの。◇渡り―漠然と広い地域を指す語。あたり一帯。

【補記】「あらずなりけり」「ありしながらの」「わたりなれども」と微妙な音調の重なりとずれに工夫があるか。

■判詞
左、「まがきには鹿もなれきて」といへる心、とがなく侍るを、少し俗の詞けにや侍らん。右、「ありしながらのわたりなれども」といへる、ことなる事なく侍れば、勝つべくこそ侍らめ。


【通釈】左、「まがきには鹿もなれきて」という情趣は、(「故郷恋」という題にとって)欠点はありませんけれども、少し詞遣いが俗っぽいのではないでしょうか。右、「ありしながらのわたりなれども」というのは、これと言って難もありませんので、勝ちなって然るべきでしょう。

▼感想
「なれきて」は、古今から新古今までの八代集には使われていない語。「…には、…もなれきて」という詞遣いが、俊成の耳にはいかにも「俗」に聞えたのであろう。



四十五番
   左               定家朝臣
つれなきを待つとせしまの春の草かれぬ心のふる里の霜
   右                雅経
人ふるす里をも何かいとふべき我が身ひとつのうき名なりけり

左、「まつとせしまの春の草」などはをかしかるべきを、「かれぬ心の」など、いかがいへるにか、こころえず侍るなり。右、「里をいとひてこしかども」といへる、歌の心にやとはみえ侍れども、愚老及びがたくのみ侍れば、持とすべくや。

左(定家)
つれなきを待つとせしまの春の草かれぬ心のふる里の霜


【通釈】つれない相手を待ち受けていた間に、春の草は枯れてしまった。それでも心は離(か)れないまま時を経て、荒れ果てた里の霜に堪えている…。

【語釈】◇つれなき―作者(というか歌において仮構された一人称)にとっては、無情な恋人を意味するが、「春の草」にとっては、なかなか訪れない春という季節を指す。◇春の草―春になると萌え出る草。歌われている季節はまだ冬であり、春の訪れを待っている。◇かれぬ心の―「枯れぬ」(ヌは完了の助動詞終止形)・「離れぬ」(ヌは否定の助動詞ズの連体形で次句の「心」にかかる)の掛詞か。難解。◇ふる里―「経る」を掛ける。

【本歌】遍昭「古今集」
わがやどは道もなきまであれにけりつれなき人をまつとせしまに

【他出】「拾遺愚草」2544。

右(雅経)
人ふるす里をも何かいとふべき我が身ひとつのうき名なりけり


【通釈】人を古びさせる古里ですって? だからって何を厭うことがあるの。あの人に捨てられてポンコツになってしまい、つらい評判を立てられたのは私一人のことで、古里とは何の関係もないことなのよ。

【語釈】◇人ふるす里―都から離れているため、人から忘れられ、我が身を古びさせてしまう里。◇我が身ひとつのうき名―私ひとりだけが被った、悪い評判。「恋人に捨てられた」という世間の人たちの噂を言う。

【本歌】二条「古今集」
人ふるす里をいとひてこしかども奈良の都もうき名なりけり

【他出】「明日香井和歌集」1105。

■判詞
左、「まつとせしまの春の草」などはをかしかるべきを、「かれぬ心の」など、いかがいへるにか、こころえず侍るなり。右、「里をいとひてこしかども」といへる歌の心にや、とはみえ侍れども、愚老及びがたくのみ侍れば、持とすべくや。


【通釈】左、「まつとせしまの春の草」などは興趣があるはずでしょうが、「かれぬ心の」などは、どういうつもりで言ったのか、得心がゆきません。右、「里をいとひてこしかども」という歌から心を取ったのであろうかとは思えますけれども、私には考えが及びがたい一方ですので、持とすべきでしょうか。



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最終更新日:令和4年6月10日