『拾遺愚草全釈』参考資料集 後拾遺和歌集

後拾遺和歌集

巻一・春上 巻二・春下 巻三・夏 巻四・秋上 巻五・秋下 巻六・冬 巻七・賀 巻九・羈旅 巻十・哀傷 巻十一・恋一 巻十二・恋二 巻十三・恋三 巻十四・恋四 巻十五・雑一 巻十六・雑二 巻十七・雑三 巻十八・雑四 巻二十・雑六

第一 春上

●後拾遺集・春上・一 正月一日よみはべりける 小大君

いかに寝て起くる(あした)に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと

【通釈】どのように寝て起きた朝に、区別して言うのであろう。昨日を去年と、今日を今年と。

【付記】後拾遺集巻頭歌。昨日と今日と、わずか一夜の隔てで旧年から新年に切り替わる不思議。

【関連歌】上1001

 

●後拾遺集・春上・一〇 一条院御時、殿上人、春の歌とてこひ侍りければよめる 紫式部

み吉野は春のけしきにかすめども結ぼほれたる雪の下草

【通釈】吉野はもう春めいた様子に霞んでおりますが、地面にはまだ固く凍りついた雪に覆われている草――そのように私は家で逼塞しております。

【語釈】◇結ぼほれたる雪の下草 「結ぼほれ」は「水分が凝固する」「心が鬱屈する」の両義。宮仕えに悩んで実家に引き籠っていた作者を暗喩。

【関連歌】中1631、下2190、員外3366

 

●後拾遺集・春上・一四 鷹司殿の七十賀の月令の屏風に臨時客のところをよめる 赤染衛門

紫の袖をつらねてきたるかな春たつことはこれぞうれしき

【通釈】公卿の皆さんが紫の袖を列ねてやって来ましたねえ。春になることはこれだから嬉しいのです。

【語釈】◇きたる 「来たる」であるが、「着たる」と掛詞になり、「袖」の縁語。

【付記】長元六年(一〇三三)十一月、藤原道長の室、源倫子の七十賀において、「臨時客」(年始に大臣以下の上達部を招いて行なった摂関家の私的な饗宴)を描いた屏風絵に添えた歌。

【関連歌】上0201

 

●後拾遺集・春上・二五 題不知 和泉式部

ひきつれて今日は子の日の松にまた今ちとせをぞのべに出でつる

【通釈】人々と連れ立って、今日は子の日の松を引き、今また千年の寿命を延ばそうと野辺に出たのだ。

【付記】「のべ」は「野辺」「延べ」の掛詞。

【関連歌】中1780

 

●後拾遺集・春上・四二 題不知 曾禰好忠

三島江につのぐみわたる蘆の根のひとよのほどに春めきにけり

【通釈】三島江全体にわたって芽ぐむ蘆の根――その一節(ひとよ)ではないが、一夜の間にすっかり春めいたのだなあ。

【付記】第三句までが「ひとよ」の序詞。「ひとよ」は「一節(ひとよ)」「一夜(ひとよ)」の掛詞。「つのぐみわたる」は「一面に芽ぐむ」意。

【関連歌】下2226、員外2992、員外3087

 

●後拾遺集・春上・四三 正月ばかりに津の国に侍りける頃人のもとに言ひ遣はしける 能因法師

心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春のけしきを

【通釈】情趣を解する人に見せたいものだ。ここ津の国の難波あたりの春のありさまを。

【付記】「心あらむ人」は、物の哀れを解する人ということであるが、暗に歌を贈った相手を指してもいる。

【関連歌】下2043

 

●後拾遺集・春上・四六 長久二年、弘徽殿女御歌合し侍りけるに、春駒をよめる 源兼長

立ちはなれ沢べになるる春駒はおのが影をや友とみるらむ

【通釈】群れからぽつんと離れ、沢のほとりに馴染んでいる春の馬は、水に映った自分のすがたを友と見ているのだろうか。

【付記】長久二年(一〇四一)二月十二日、後朱雀天皇の女御藤原生子(一〇一四~一〇六八)が催した弘徽殿女御歌合、四番「春駒」左勝。相模・伊勢大輔・赤染衛門など当時の著名歌人が参加した歌合で、兼長は「重成」の名で参加している。

【関連歌】員外3042

 

●後拾遺集・春上・四八 題不知 和泉式部

秋までの命もしらず春の野に萩の古根をやくとやくかな

【通釈】秋まで命がもつかどうかも分らないのに、春の野で萩の古根を焼きに焼くことよ。

【関連歌】中1515

 

●後拾遺集・春上・六三 題不知 清基法師

風吹けばをちの垣根の梅の花香はわが宿のものにぞありける

【通釈】風が吹くと、向うの垣根の梅の花は、香りだけはわが宿のものになるのであった。

【関連歌】上0237

 

●後拾遺集・春上・六五 水辺梅花といふ心を 平経章朝臣

末むすぶ人の手さへやにほふらん梅の下ゆく水の流れは

【通釈】下流で掬ぶ人の手さえ匂うだろうか。梅の花の下を流れてゆく水は。

【関連歌】上0108

 

●後拾遺集・春上・九一 とほき山花をたづぬといふ心をよめる 小弁

山ざくら心のままにたづねきてかへさぞ道のほどはしらるる

【通釈】桜を求め、心のままに山を歩いて来て、帰り道になって初めて道の遠さが知られるのだ。

【関連歌】上0012

 

●後拾遺集・春上・一一五 遠花誰家ぞといふ心をよめる 坂上定成

よそながらをしき桜のにほひかな誰わが宿の花と見るらん

【通釈】よそ目ながら心惹かれる桜の美しさであるよ。誰が自分の家の花として眺めているのだろう。

【付記】遠くの家の花を眺めて羨む気持を詠む。

【関連歌】上0617

 

●後拾遺集・春上・一二〇 内大臣の家にて、人々酒たうべて歌よみ侍りけるに、遥かに山桜を望むといふ心をよめる 大江匡房朝臣

高砂の尾上の桜さきにけり外山の霞たたずもあらなん

【通釈】高い峰の上の方に、桜が咲いている。こっち側の里近い山に、霞が立たないでほしいよ。

【付記】内大臣藤原師通(1062~1099)の家で「遥かに山桜を望む」という題で詠んだ歌。外山に比べて深山の桜は咲くのが遅いので、外山の桜が散ってしまった後、その後方の奥山の頂近くに桜が咲いたのを発見したのである。その眺めを愛惜するあまり、外山に霞の立つことを憂慮している心である。百人一首入撰。

【関連歌】上0914

 

第二 春下

●後拾遺集・春下・一三〇 世尊寺の桃の花をよみはべりける 出羽弁

ふるさとの花の物言ふ世なりせばいかに昔のことをとはまし

【通釈】古里の花が口をきける世であったなら、どんなにか昔のことを問おうものを。

【付記】藤原行成創建の世尊寺の桃の花を詠んだ歌。「桃李不言下自成蹊」(史記)。

【関連歌】員外3404

 

第三 夏

●後拾遺集・夏・一六五 四月(うづき)ついたちの日よめる 和泉式部

桜色にそめし衣をぬぎかへて山ほととぎす今日よりぞ待つ

【通釈】桜色に染めた春の衣を夏の衣に脱ぎかえて、山時鳥の訪れを今日から待つのだ。

【付記】「桜色」は春の(かさね)の色目。その春衣を、うすものの夏衣に着替えて、夏を迎える。後拾遺集巻三夏巻頭。

【関連歌】上1321

 

●後拾遺集・夏・一六九 題不知 曾禰好忠

榊とる卯月になれば神山の楢の葉がしはもとつ葉もなし

【通釈】(賀茂社の祭のために)榊の葉を採る初夏卯月になったので、神山の楢の大きな葉はすっかり若返り、古い葉などありはしない。

【付記】葉の新生を詠み、祭礼の季節である初夏の神山を讃える。

【関連歌】上0750

 

●後拾遺集・夏・一七九 題不知 慶範法師

ほととぎす我は待たでぞ心みる思ふことのみたがふ身なれば

【通釈】時鳥よ、おまえが鳴くかどうか、私は待たずに試してみるよ。願うことは必ず裏切られる我が身なので。

【関連歌】上0122

 

●後拾遺集・夏・一七五 正子内親王の絵合し侍りける、かねの草子に書き付け侍りける 相模

見わたせば波のしがらみかけてけり卯の花さける玉川の里

【通釈】見渡すと、いちめん白波の立つしがらみがかけ渡してあるようだよ、卯の花が咲くこの玉川の里は。

【付記】堰き止められた川に立つ細かな白波に、純白の卯の花を喩えた。永承五年(一〇五〇)四月二十六日、幼い正子内親王(後朱雀天皇皇女。一〇四五~一一一四)のために母藤原延子が主催した絵合『前麗景殿女御歌合』に出詠した歌。「かねの草子」すなわち銀箔を張った冊子に書き付けたという。

【関連歌】上0522、員外3303

 

●後拾遺集・夏・一九二 祐子内親王家に歌合し侍りけるに、歌合など果ててのち、人々おなじ題をよみ侍りけるに 宇治前太政大臣

有明の月だにあれやほととぎすただ一声のゆくかたも見む

【通釈】(暁闇の中、ほととぎすが鳴いて、たちまち飛び去ってしまった。)せめて空に有明の月が出ていたらなあ。たった一声鳴き捨てて去って行く方を、見送ることもできように。

【付記】藤原頼通の作。永承五年(一〇五〇)六月五日、自邸賀陽院において、祐子内親王の名で主催した歌合のあと、「郭公(ほととぎす)」の題で詠んだ歌。

【関連歌】上0324

 

●後拾遺集・夏・二〇四 早苗をよめる 曾禰好忠

御田屋守(みたやもり)けふは五月(さつき)になりにけりいそげや早苗おいもこそすれ

【通釈】御田の番人よ、今日はもう五月になってしまった。早苗取りを急ぎなさいよ、苗が枯れてしまいますぞ。

【関連歌】上0526、上1328

 

●後拾遺集・夏・二一四 花橘をよめる 相模

五月雨の空なつかしく匂ふかな花橘に風や吹くらむ

【通釈】さみだれの降る空から、なつかしい香りがしてくることよ。きっと橘の花に風が吹いているのだろう。

【付記】「なつかしく」は古今集の歌(参考歌)を踏まえての謂。第三句を「にほふなり」とする本もある。

【関連歌】中1644

 

●後拾遺集・夏・二一六 蛍をよみ侍りける 源重之

音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ鳴く虫よりもあはれなりけれ

【通釈】音も立てずに、ただ「思ひ」の火に燃えて飛ぶ蛍こそは、声立てて鳴く虫よりもあわれ深いのだ。

【付記】蛍(夏の虫)と秋の虫と、季節の風物を比べているが、おのずと恋の様相の比較へと連想は広がる。

【関連歌】員外2875

 

●後拾遺集・夏・二一八 題不知 能因法師

ひとへなる蟬の羽衣夏はなほうすしといへどあつくぞありける

【通釈】(ひとえ)の蟬の羽衣は、生地が薄いと言っても、夏はやはりあついのだった。

【付記】「あつく」は「厚く」「暑く」を掛けた洒落。

【関連歌】中1523

 

●後拾遺集・夏・二三三 「泉、夜に入りて寒し」といふ心をよみ侍りける 源師賢朝臣

さ夜ふかきいづみの水の音きけばむすばぬ袖もすずしかりけり

【通釈】深夜の泉の水音を聞くと、掬うわけでもない袖も涼しく感じるのだった。

【付記】第二句を「岩井の水の」として載せる本もある。

【関連歌】中1530、員外3054

 

第四 秋上

●後拾遺集・秋上・二三六 秋立つ日よめる 恵慶法師

浅茅原玉まく(くず)のうら風のうらがなしかる秋は来にけり

【通釈】浅茅原で、玉のように巻いた(くず)の葉裏に吹きつける風――うら悲しい秋はやって来たのだった。

【語釈】◇玉まく葛 丸く巻いた葛の葉。葛の葉が身を曲げるようにして葉裏を見せているさまで、夏によく見られる現象。◇うら風 葛の葉裏に吹く風を「浦風」に掛けてこう言ったのであろう。「うら風の」までが「うらがなしかる」を導く序(有心の序)。

【関連歌】上0307

 

●後拾遺集・秋上・二五三 河原院にてよみ侍りける 恵慶法師

すだきけむ昔の人もなき宿にただ影するは秋の夜の月

【通釈】ここに集まって騒いだろう昔の人も今はない宿に、影を見せるものと言ったら、ただ秋の夜の月ばかりである。

【付記】「昔の人」はかつて花やかであった河原院に集まった人々。その人々は今はなく、姿を見せるのは、ただ秋の夜の月ばかり。「影する」には「光を投げる」ほどの意も響く。

【関連歌】員外3094

 

●後拾遺集・秋上・二五四 題不知 永源法師

身をつめば入るも惜しまじ秋の月山のあなたの人も待つらん

【通釈】人の身になってみれば、山の端に沈むことも惜しむまい。秋の明月よ、山の彼方の人たちもおまえを待っているだろう。

【付記】「身をつむ」とは、我が身を抓って他人の痛みを知ることから、他人(相手)の身になって同情することなどを言う。秋の明月が山に沈んでも、その向うで待っている人たちの身になれば、惜しむまいと言うのである。

【関連歌】上0026

 

●後拾遺集・秋上・二六六 題不知 清原元輔

いろいろの花のひもとく夕暮に千代まつ虫の声ぞきこゆる

【通釈】色様々の花の蕾がほころびる秋の夕暮に、千年も生きるという松の名に因む松虫の声が聞える。なんとめでたく、情趣深いことだろう。

【付記】「千代まつ虫」は松が長寿であることにかけて松虫を誉め讃える語。

【関連歌】中1930、中2008、下2240

 

●後拾遺集・秋上・二七三 題不知 曾禰好忠

なけやなけ蓬が杣のきりぎりす過ぎゆく秋はげにぞかなしき

【通釈】鳴けよ、鳴け。杣木のように繁っている蓬の下の蟋蟀よ。過ぎ去ってゆく秋は本当に悲しいよ。

【付記】「蓬が杣」とは、丈高く繁る蓬を、蟋蟀から見て杣木(材木用の植林)になぞらえての謂。『毎月集』の「八月をはり」。

【関連歌】下2319

 

●後拾遺集・秋上・二七四 寛和元年八月十日内裏歌合によめる 藤原長能

わぎもこがかけて待つらむ玉章をかきつらねたる初雁の声

【通釈】妻が一心に待っているだろう手紙、まるでその思いを書き連ねた手紙の字のように列なって、恋しさに鳴きながら飛んでゆく初雁よ。

【付記】寛和元年(九八五)八月十日、花山天皇が内裏で催した歌合での作。題は「雁」、右負。当詠は作者名表記なく、『長能集』に見えないかわりに『公任集』に見えるので、後拾遺集の作者名は公任の誤りか。

【関連歌】員外2904

 

●後拾遺集・秋上・二七八 八月駒迎をよめる 良暹法師

逢坂の杉のむらだちひくほどはをぶちに見ゆる望月の駒

【通釈】逢坂山の杉の群生する間を牽いて行く間は、(木立を漏れてくる月明かりのために)馬の毛が斑模様に見える、望月の駒よ。

【語釈】◇望月の駒 信濃国望月の御牧産の馬。地名望月に満月の意を掛ける。

【参考】「逢坂の関の清水に影見えて今やひくらむ望月の駒」(拾遺集一七〇、貫之 移動

【付記】木立を漏れてくる月明かりのため、馬の体毛が斑模様に見えるさま。第二句を「関の杉むら」として載せる本もある。

【関連歌】員外3510

 

●後拾遺集・秋上・三〇四 草叢の露をよみはべりける 藤原範永朝臣

今朝きつる野原の露にわれ濡れぬうつりやしぬる萩が花ずり

【通釈】今朝、歩いて来た野原の露に、衣がびっしょり濡れてしまった。萩の花の汁に擦られて、美しい色は染みついただろうか。

【参考】「ころもがへせんや さきんだちや わがきぬは 野原しのはら はぎの花ずりや さきんだちや」(催馬楽・更衣)、「わが衣摺れるにはあらず高松の野辺行きしかば萩の摺れるぞ」(万葉集二一〇一) 【関連歌】員外3499

 

●後拾遺集・秋上・三〇二 題不知 源時綱

君なくて荒れたる宿の浅茅生に鶉なくなり秋の夕暮

【通釈】あるじがいなくて荒れてしまった家は、茅萱(ちがや)が茫々と生い茂っている。その中で、鶉が鳴いているのが聞えてくる、秋の夕暮よ。

【関連歌】上1038

 

●後拾遺集・秋上・三一三 題不知 前律師慶暹

秋風に折れじとすまふ女郎花いくたび野辺におきふしぬらん

【通釈】秋風に折れまいと抵抗するおみなえしの花よ、幾度野辺に起き、また臥したことだろうか。

【付記】秋風に揺れる女郎花の姿に、言い寄る男を拒む女を重ねている。

【関連歌】上0034

 

●後拾遺集・秋上・三一七 あさがほをよめる 和泉式部

ありとてもたのむべきかは世の中を知らする物は朝がほの花

【通釈】いま生きているからといって、これからも生きていると頼むことなどできようか。この世の道理を知らせてくれるものは朝顔の花である。

【関連歌】上0177

 

●後拾遺集・秋上・三二四 山里の霧をよめる 大納言経信母

明けぬるか川瀬の霧のたえまよりをちかた人の袖の見ゆるは

【通釈】夜が明けたのか。川の渡り瀬に立ちこめる霧の切れ間から、遠くにいる人の袖が見えるということは。

【参考】「山里に霧のまがきのへだてずは遠かた人の袖も見てまし」(新古今集四九五、好忠 移動

【付記】幽趣ある叙景歌として後世に影響を与えた。初句切れ・倒置を用いた構文も当時としては新しいものだった。

【関連歌】上1013、上1229、中1840

 

●後拾遺集・秋上・三三三 題不知 良暹法師

さびしさに宿をたち出でて眺むればいづくも同じ秋の夕暮

【通釈】あまり寂しいので庵を出て、あたりを眺めれば、どこも寂しさに変わりはない秋の夕暮であったよ。

【語釈】◇宿 住み処。ここでは草庵であろう。◇たち出でて 「たち」は接頭語。素速い動きなど、目立った所作であることを示す。ここでは「さっと」「ぱっと」ほどの意。◇いづくも同じ 「さびしさ」においてはどこも同じ、ということ。百人一首カルタでは普通「いづこも同じ」とする。

【関連歌】上0338、上0832、上1008

 

第五 秋下

●後拾遺集・秋下・三三六 永承四年内裏歌合に擣衣をよみ侍りける 伊勢大輔

さ夜ふけて衣しでうつ声きけばいそがぬ人も寝られざりけり

【通釈】夜が更けて、衣を頻りに()つ音を聞くと、急ぐ用のない私も寝てはいられないのだった。

【付記】永承四年(一〇四九)十一月月九日、後冷泉天皇が主催した歌合、十番「擣衣」右勝。

【関連歌】上0952

 

●後拾遺集・秋下・三四二 永承四年内裏歌合に 堀川右大臣

いかなればおなじ時雨にもみぢする(ははそ)の森のうすくこからん

【通釈】紅葉はしぐれの雨によって美しく色を変えるというが、柞の森は、同じ時雨にあたっているのになぜ色が薄かったり濃かったりするのだろう。

【付記】木の葉は時雨によって色づくとされたが、同じ時雨に濡れているのに、柞の森(雑木林)の紅葉が薄かったり濃かったりするのは何故かと訝ってみせた。作者は藤原頼宗。

【関連歌】上0241、員外3126

 

●後拾遺集・秋下・三四九 上東門院、菊合せさせ給ひけるに、左の(とう)つかまつるとてよめる 伊勢大輔

目もかれず見つつ暮らさむ白菊の花よりのちの花しなければ

【通釈】始終目を離さず、枯れないかと見守りながら一日を暮らそう。白菊の花が枯れてしまえば、そのあとに咲く花などないのだから。

【語釈】◇左の頭 歌合の左の方人(かたうど)の代表。◇目もかれず見つつ カレズには「枯れず」の意を掛ける。◇のちの花しなければ 菊は晩秋に咲き、その後は年内に見るべき花も咲かないことからこう言う。

【本説】「不是花中偏愛菊 此花開盡更無花」(和漢朗詠集・菊)

【付記】長元五年(一〇三二)十月十八日、上東門院彰子主催の菊合に添えられた十番歌合に出詠された歌。

【関連歌】上0453

 

●後拾遺集・秋下・三六一 山里にまかりてよみはべりける 清原元輔

紅葉ちる頃なりけりな山里のことぞともなく袖のぬるるは

【通釈】紅葉の散る頃なのであったな。山里に滞在していて、特にこれといったこともなしに袖が(涙で)濡れるのは。

【関連歌】員外3186

 

●後拾遺集・秋下・三六八 後冷泉院御時后の宮の歌合によめる 伊勢大輔

秋の夜は山田の庵に稲妻のひかりのみこそもりあかしけれ

【通釈】秋の夜は、山田の庵に、稲妻の光ばかりが漏れて明るくする。そんな心細い晩を、私は田の見張りをして明かすのだ。

【語釈】◇もりあかしけれ 「もり」は「漏り」「守り」の、「あかし」は「明るくし」「夜を明かし」意の掛詞。稲妻の光については「(隙間を)漏れて(庵の中を)明るくする」意、話手については「番をして夜を明かす」意。

【付記】「もり」は「漏り」「守り」の、「あかし」は「明るくし」「夜を明かし」意の掛詞。稲妻の光については「(隙間を)漏れて(庵の中を)明るくする」意、話手については「番をして夜を明かす」意。天喜四年(一〇五六)皇后宮春秋歌合、七番右持。題は「山田」。

【関連歌】下2627

 

●後拾遺集・秋下・三七一 題不知 源頼綱朝臣

夕日さす裾野の薄かたよりにまねくや秋をおくるなるらん

【通釈】夕日が射す裾野の薄が一方に片寄って手を振っているように見えるのは、去りゆく秋を見送っているのだろうか。

【語釈】◇まねく 手で合図する。手を振って呼ぶ。薄が風に靡くさまを、手を振るさまに喩える。

【付記】薄が風に靡くさまを、手を振るさまに喩える。

【関連歌】下2142

 

第六 冬

●後拾遺集・冬・三七七 十月のついたちに、上のをのこども大井川にまかりて歌よみはべりけるによめる 前大納言公任

おちつもる紅葉を見ればおほゐ河ゐせきに秋もとまるなりけり

【通釈】落ちて積もった紅葉を見ると、葉の数が多く、大堰川の井堰に秋も留まっているのだった。

【語釈】◇おほゐ河 大井河。大堰川とも。山城国の歌枕。「おほ」に「多」意が掛かる。

【付記】後拾遺集冬巻頭歌。暦の上で冬となった十月一日、殿上人と共に大井川で歌を詠んだ時の作。

【関連歌】上0563

 

●後拾遺集・冬・三八二 落葉如雨といふことをよめる 源頼実

木の葉ちる宿はききわくかたぞなき時雨する夜も時雨せぬ夜も

【通釈】風が吹くたびに、屋根に木の葉の散る音がする。まるで通り雨の音のようだ。木陰にあるこの家では、聞き分けるすべもないな。時雨が降る夜も、降らない夜も。

【付記】『袋草紙』によれば、この歌は西宮広田社で詠まれたが、当座は誰も驚かなかった。後日、頼実がいつものように住吉に参詣して秀歌を得ることを祈請したところ、夢に神が示現して「もう秀歌は詠み終えた。あの落葉の歌がそうではないか」とお告げがあった。その後、この歌は秀歌の誉れを(ほしいまま)にした、という。なお、第三句を「ことぞなき」とする本もある。

【関連歌】上0054、中1551

 

●後拾遺集・冬・三九〇 題不知 和泉式部

さびしさに(けぶり)をだにも絶たじとて柴折りくぶる冬の山里

【通釈】寂しくて、せめて炉の煙だけは絶やすまいと、薪を折ってはくべる、冬の山里よ。

【関連歌】上0058

 

●後拾遺集・冬・三九六 屏風絵に、十一月に女の許に人の音したるところをよめる 大中臣能宣朝臣

霜がれの草のとざしはあだなれどなべての人を入るるものかは

【通釈】霜枯れた草の戸締まりは役に立ちませんが、だからと言って私は誰でも入れたりするでしょうか。

【付記】仲冬十一月、女のもとに男が訪れた場面を描いた屏風絵に添えた歌。女の立場で詠んだ歌である。

【関連歌】上0106

 

●後拾遺集・冬・四〇二 埋み火をよめる 素意法師

埋み火のあたりは春の心地してちりくる雪を花とこそ見れ

【通釈】埋み火の周囲は春のような心地がして、散って来る雪を花と見る。

【関連歌】員外2899、員外3397

 

●後拾遺集・冬・四〇六 題不知 源道済

朝ぼらけ雪ふる空を見わたせば山の端ごとに月ぞのこれる

【通釈】ほのぼのと朝が明ける頃、雪の積もった里を見渡すと、どの山の端にも月明りが残っているのだ。

【付記】曙光に映える山の端の積雪を有明の月明りになぞらえた。第二句、「雪ふる里を」とする本もある。

【関連歌】上0966、中1558

 

●後拾遺集・冬・四一四 題不知 和泉式部

こりつめて真木の炭やく()をぬるみ大原山の雪のむら消え

【通釈】薪を樵り集めて、炭を焼く火――その火の気が暖いので、むらむらに消えている大原山の雪よ。

【語釈】◇真木 槙とも。杉檜など針葉高木の類。◇気をぬるみ 火の気が温いので。◇大原山 山城国の歌枕。今の京都市左京区北部、比叡山の麓に連なる丘陵地。貴族は好んで山荘を建て、世捨て人は隠棲の地とした。冬寒い土地として歌に詠まれ、また炭焼で名高い。

【関連歌】上0468

 

●後拾遺集・冬・四一九 題不知 快覚法師

さ夜ふくるままに(みぎは)やこほるらむ遠ざかりゆく志賀の浦波

【通釈】夜が更けるにつれて、冷え込みが厳しくなり、湖面が水際から氷ってゆくのだろうか。志賀の浦に寄せる波音が、しだいに遠ざかってゆく。

【関連歌】上1145、下2026、下2339

 

●後拾遺集・冬・四二三 後三条院東宮とまうしける時、殿上にて人々年の暮れぬるよしをよみ侍けるに 藤原明衡朝臣

白妙にかしらの髪はなりにけり我が身に年のゆきつもりつつ

【通釈】頭髪は真っ白になってしまった。我が身に年が過ぎ行くと共に、雪も積もり続けて。

【語釈】◇ゆきつもりつつ 「ゆき」は「行き」「雪」の掛詞。

【付記】「ゆき」は「行き」「雪」の掛詞。後三条天皇が東宮であった時、すなわち寛徳二年(一〇四五)から治暦四年(一〇六八)の間に詠まれた歌。

【関連歌】上0369

 

第七 賀

●後拾遺集・賀・四三三 後一条院うまれさせ給ひて七夜に人々まゐりあひて、盃いだせと侍りければ 紫式部

めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそ千世もめぐらめ

【通釈】美しい月が射し込んで光を添えている盃――この満月が大空を永遠に巡るように、盃は皆さんの手から手へと巡って、親王のご誕生の栄えを祝福し続けるでしょう。

【語釈】◇めづらしき光 すばらしい月光の意に、親王誕生の栄光の意を掛ける。◇さかづき 盃に月を掛ける。◇もちながら 「(盃を)持ちながら」「(もち)ながら」の掛詞。◇千世もめぐらめ 盃が一座の者の間を巡る意に、月が大空をめぐる意を掛ける。『紫式部集』は「千代をめぐらめ」。

【付記】一条天皇と藤原彰子の間の子、敦成親王(のちの後一条天皇)の出産祝いに際しての歌。「めづらしき光」は素晴らしい月光の意に、親王誕生の栄光の意を掛ける。また「さかづき」に月を掛け、「もちながら」は「(盃を)持ちながら」「(もち)ながら」の掛詞。「千世もめぐらめ」は、盃が一座の者の間を巡る意に、月が大空をめぐる意を掛ける。親王の誕生は寛弘五年(一〇〇八)九月十一日。

【関連歌】下2762

 

●後拾遺集・賀・四五〇 承暦二年内裏歌合によみ侍りける 民部卿経信

君が代はつきじとぞ思ふ神風や御裳濯川のすまむかぎりは

【通釈】我が君の御代はいつまでも続くことと思います。伊勢神宮の御裳濯川の流れが澄んでいる限りは。

【付記】白河天皇が承暦二年(一〇七八)四月二十八日に清涼殿で催した晴儀歌合に「祝」題で詠んだ歌。息子道時のために経信が代作した歌である。定家は『近代秀歌』『詠歌大概』『定家八代抄』『八代集秀逸』などに採っている。『定家十体』では「麗様」の例歌。

【関連歌】上1491

 

第九 羈旅

●後拾遺集・羈旅・五一八 陸奥にまかり下りけるに白川の関にてよみ侍りける 能因法師

都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関

【通釈】春霞が立つのとともに都を発って来たけれど、白河の関ではもう秋風が吹いているのだ。

【語釈】◇立ち 旅に発つ意であるが、「霞が立つ」意を掛ける。◇白河の関 福島県白河市旗宿。奥州三関のひとつ。

【付記】能因法師一代の名歌とされたが、定家は『八代抄』にさえ採らず、全く評価した形跡がない。『名所百首哥之時与家隆卿内談事』参照。

【関連歌】上1247

 

第十 哀傷

●後拾遺・哀傷・五九八

しかばかり契りしものを渡り川かへるほどには忘るべしやは

【通釈】死んでもすぐには納棺しないでほしいと、あれほど固く約束したのに、私が三途の川から引き返す間に、忘れるなどということがあるのでしょうか。

【付記】作歌事情は左注に詳しい。義孝は天延二年(九七四)晩秋九月十六日の夕方に亡くなったが、臨終の床で「死後もしばらく納棺は待ってくれ、経を最後まで読み通そうから」と「妹の女御(姉の懐子か)」に遺言した。姉はその約束を忘れてしまって葬儀の準備などを進めてしまったので、その晩、義孝が母親の夢に現れて詠んだという歌。『今昔物語』『大鏡』などにも見える。

【関連歌】上0169

 

第十一 恋一

●後拾遺集・恋一・六一二 女に初めてつかはしける 藤原実方朝臣

かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを

【通釈】これ程あなたをお慕いしていると、そのことだけでも打ち明けたいのですが、どうして言うことなどできましょう。伊吹山の「さしも草」ではないけれど、さしも――それ程だとは知らないでしょう、(もぐさ)のようにじりじりと燃える私の思いを。

【語釈】◇かくとだに こうであるとだけでも。これほどあなたをお慕いしていることだけでも(打ち明けたいのですが)。◇えやはいぶきの 「えやは言ふ」「伊吹」と掛けて言う。伊吹は山の名。近江・美濃国境の山とする説と、下野国(今の栃木県)の山とする説とある。『八雲御抄』は美濃・近江の歌枕とするが、『歌枕名寄』は近江・下野両方に載せている。◇さしも草 (もぐさ)すなわち(よもぎ)とするのが通説。伊吹山の名産であったらしい。次句の「さしも」を導くと共に、結句の「燃ゆる思ひ」を比喩してもいる。なお「さしも草」「もゆる」は縁語。◇さしも知らじな (あなたは私の思いが)それ程だとは知らないでしょう。◇思ひ 「ひ」に火を掛ける。

【関連歌】上1157、上1245、中1873、下2112

 

●後拾遺集・恋一・六二六 かへりごとせぬ人の、こと人にはやると聞きて 道命法師

しほたるる我が身のかたはつれなくてこと浦にこそけぶりたちけれ

【通釈】藻塩を垂れている私の潟は何の変わりもなくて、別の浦ばかりに煙が立ったのだった。(私に対してはつれないのに、あなたは別の人に情を示したのだった。)

【関連歌】上1455、下2580、員外3639

 

第十二 恋二

●後拾遺集・恋二・六六九 女のもとより帰りてつかはしける 少将藤原義孝

君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな

【通釈】あなたを知る以前は惜しくもなかった我が命でしたが、それさえ貴方のためには永く保ちたいと思ったのです。

【語釈】◇君がため 下句「長くもがなと思ひぬるかな」にかかる。同様の例を挙げれば「君がため波の玉しくみつの浜ゆき過ぎがたしおりてひろはむ」(貞数親王『新拾遺集』)。このように初句が中間の句を飛び越えて下句や結句にかかる例は和歌に少なくない。

【付記】詞書はいわゆる後朝(きぬぎぬ)の歌であることを示す。男が女の家に泊って翌朝帰宅し、女に文を贈るという慣わしがあった。なお、百人一首では第五句「思ひけるかな」とするのが普通。

【関連歌】上0073、下2539、下2570

 

●後拾遺集・恋二・六七一 女のもとより雪ふり侍りける日かへりてつかはしける 藤原道信

かへるさの道やは変はる変はらねどとくるにまどふ今朝のあは雪

【通釈】帰り道はいつもと違う道でしょうか、いや同じなのに、今朝は淡雪が融けて行き悩んでおります。貴女が打ち解けた態度を見せて下さったので混乱しています。

【付記】雪の降る日、女の家を辞去してすぐに贈った、後朝(きぬぎぬ)の歌。「とくる」は「(雪が)融ける」「(貴女が)打ち解けた態度をみせてくれる」両義の掛詞。

【関連歌】上0506

 

●後拾遺集・恋二・六七二 女のもとより雪ふり侍りける日かへりてつかはしける 藤原道信

明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな

【通釈】夜が明けてしまえば、いずれ日は暮れるものだと――そして再びあなたと逢えるのだと――分かってはいるのだけれども、やはり恨めしい朝ぼらけであるよ。

【語釈】◇明けぬれば暮るる 夜が明けてしまえば、いずれ日は暮れる。◇朝ぼらけ 夜が明けてまだ物がぼんやり見える頃。恋人たちが別れる時刻。

【付記】後拾遺集では同じ詞書のもとに一つ前の歌「かへるさの…」と一括されている。雪の朝の作と見れば、「朝ぼらけ」の景に艶が添わる。単独の歌としても、爽やかな「朝ぼらけ」の景を前にして溢れ出す一途な恋情には人を惹き付けるものがあり、恋人と共に過ごす時の短さを惜しむ切情は、夭折した作者を思う時ひとしお哀婉となろう。定家は小倉百首のほか『八代集』『八代集秀逸』にもこの歌を採っている。

【関連歌】上1091、中1939

 

●後拾遺集・恋二・六八〇 中関白少将に侍りける時、はらからなる人に物言ひわたり侍りけり、頼めてまうで来ざりけるつとめて、女に代りてよめる 赤染衛門

やすらはで寝なましものをさ夜更けてかたぶくまでの月を見しかな

【通釈】ためらわずに、さっさと寝てしまえばよかったものを。夜が更けて沈もうとするまで、月を見ていましたよ。

【付記】詞書の「中関白」は藤原道隆。少将であった期間は天延二年(九七四)から貞元元年(九七六)。「はらからなる人」は作者赤染衛門の同母姉妹。

【関連歌】員外3196

 

●後拾遺集・恋二・六九一 題不知 和泉式部

津の国のこやとも人を言ふべきにひまこそなけれ蘆の八重葺(やへぶ)

【通釈】津の国の昆陽ではありませんが、「来や(来てほしい)」とあなたに言うべきでしょうけれども、葦の八重葺きの屋根の目が詰っているように、世間の人目がいっぱいで、そんなことは言えないのです。

【語釈】◇こや 歌枕「昆陽」に「来や」を掛ける。また「葦の八重葺き」の縁からは「小屋」の意も帯びる。◇葦の八重葺き 葦を幾重にも編んで葺いた屋根。

【本歌】「津の国の難波渡につくるなるこやと言はなむ行きて見るべく」(拾遺集八八五、読人不知)

【付記】『和泉式部集』の詞書は「わりなくうらむる人に」。すなわちむやみに自分を恨む人に贈ったという歌。来てほしいとは言えない事情を歌枕に寄せて風流に言い訳してみせたのである。『袋草紙』等によれば、藤原公任が激賞した歌で、『後六々撰』などに採られ、かつては和泉式部の代表歌であった。定家は『八代抄』にさえ採っていない。

【関連歌】員外3475

 

●後拾遺集・恋二・六九二 兼仲朝臣の住み侍りける時、忍びたる人かずかずに逢ふことかたく侍りければよめる  高階章行朝臣女子

人目のみしげき深山の青つづらくるしき世をぞ思ひわびぬる

【通釈】人目ばかりが多くて、多く繁っている深山の青つづらを手繰り寄せるように苦しい関係に疲れてしまった。

【語釈】◇しげき 前後に掛かる。◇青つづら 青々とした葉を繁らせる蔓性の植物。◇くるしき 「繰る」「苦しき」の掛詞。

【付記】藤原兼仲(1037~1085)が通い住んでいた頃、人目を忍んでいた相手と逢い難くなり、詠んだという歌。「深山の青つづら」は「繰る」から「くるしき」を導く序。

【関連歌】上0053

 

●後拾遺集・恋二・七〇七 清少納言、人には知らせで絶えぬ中にて侍りけるに、久しう訪れ侍らざりければ、よそよそにて物など言ひ侍りけり、女さしよりて、忘れにけりなど言ひ侍りければ、よめる 藤原実方朝臣

忘れずよまた忘れずよかはら屋の下たくけぶり下むせびつつ

【通釈】忘れないよ、返す返すも忘れることなどないよ。瓦を焼く小屋の下で煙に咽ぶように、ひそかな思いに咽び泣きをしながら、あなたのことを変わらず恋しく思っているよ。

【語釈】◇かはら屋 瓦屋。瓦を焼く窯。「変はら(ず)」意を掛ける。◇下むせびつつ ひそかにむせび泣きをしながら。「むせび」は煙の縁語で、喉がつまる意もある。

【付記】清少納言とのひそかな仲が絶え、長く訪問することがなかった後、よそよそしく会話を交わす機会があったが、その時清少納言に「あなたは私を忘れたのね」と言われて詠んだ歌。清少納言の返しは「葦の屋の下たく煙つれなくて絶えざりけるも何によりてぞ」。

【関連歌】下2441

 

●後拾遺集・恋二・七〇九 かれがれになる男の、「おぼつかなく」など言ひたりけるによめる 大弐三位

有馬山ゐなの笹原風ふけばいでそよ人を忘れやはする

【通釈】有馬山、その麓に広がる猪名野の笹原――山から風が吹き下ろせば、そよがずにはいません。さあ、そのことですよ。音信があれば、心は靡くもの。あなたのことを忘れたりするものですか。

【語釈】◇風ふけば ここまでが「そよ」を言い起こすための序詞。風には男からの音信を暗示している。◇いでそよ さあ、そうですよ。「そよ」は風が篠原を靡かせる擬声語を兼ねている。◇人を忘れやはする あなたを忘れたりするものですか。「人」は婉曲に相手の男を指す。

【付記】途絶えがちになった男が、「お気持ちが分からず不安で」などと(手紙で)言っていたので詠んだという歌。定家は小倉百首のほか『八代抄』にも採る。

【関連歌】上0077、員外3113

 

第十三 恋三

●後拾遺集・恋三・七一七 高階成順、石山に籠りて久しう音し侍らざりければよめる 伊勢大輔

みるめこそ淡海の海にかたからめ吹きだにかよへ志賀の浦風

【通釈】海松布(みるめ)こそ淡水の琵琶湖では採り難いだろうけれど、せめて志賀の浦風は都まで吹き通ってほしい。(あなたは近江におられるのでお会いするのは難しいでしょうが、せめて都に便りを届けてください。)

【付記】夫の高階成順が近江の石山寺に籠って久しく音信しなかったので贈った歌。淡水湖である琵琶湖に海松布(見る目を掛ける)が採り難いことに寄せて、会えなくても音信がほしいと願ったのである。

【関連歌】員外3563

 

●後拾遺集・恋三・七三五 中納言定頼がもとにつかはしける 大和宣旨

はるばると野中にみゆる忘れ水たえまたえまをなげく頃かな

【通釈】目も遥か、野原の中に見える忘れ水。途切れ途切れに流れて、人に忘れられています。そのように、いつもあなたに忘れられて、お逢いするのも途絶えがち、ため息ついて過ごす今日この頃です。

【付記】古く是則の歌に詠まれた「野中の忘れ水」に寄せて、訪問の途絶えがちな恋人に嘆きを訴えた歌。

【参考】「霧ふかき秋の野中の忘れ水たえまがちなる頃にもあるかな」(新古今集一二一一、是則)

【関連歌】上0227

 

●後拾遺集・恋三・七五〇 伊勢の斎宮わたりよりのぼりて侍りける人に、忍びて通ひけることをおほやけも聞こしめして、まもりめなど付けさせ給ひて、忍びにも通はずなりにければ、よみ侍りける 左京大夫道雅

今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな

【通釈】今はただ、こう思うだけです。あなたのことは諦めよう――そのことだけを、人伝でなく、なんとか直接あなたに言いたい、と。

【付記】当子内親王と道雅が密通したことを漏れ聞いた三条院は当子内親王にお目付役を付け、以後二人は逢えなくなった。その際に道雅が詠んだ歌三首のうち第三首。定家は小倉百首のほか『定家八代抄』『八代集秀逸』に採っている。

【関連歌】上1086

 

●後拾遺集・恋三・七五一 また同じところに結びつけさせ侍りける 左京大夫道雅

みちのくの緒絶(をだえ)の橋やこれならむふみみ踏まずみ心まどはす

【通釈】陸奥にある緒絶の橋とはこれのことだったのか。手紙をもらえたりもらえなかったり、その度に心をまどわせる――あなたとの繋がりが絶えてしまいはしないかと。ちょうど、いつ断ち切れてしまうかわからない橋を、踏んだり踏まなかったり、ビクビクしながら渡るようなものだ。

【付記】長和五年(一〇一六)、作者の藤原道雅は伊勢斎宮を退下した当子内親王と密通したが、そのことが天皇のお耳に入り、以後二人は逢うことを禁じられた。その際に道雅が詠んだ歌の一つが百人一首で名高い「今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな」であるが、その後また結び付けて(『栄花物語』によれば高欄に結び付けたという)贈ったという歌。

【関連歌】上0719

 

●後拾遺集・恋三・七五五 題不知 和泉式部

黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき

【通釈】思い乱れ、髪を乱したまま床にうちふす。その時まっ先に恋しく思い浮ぶのは、(先夜この床で)わが黒髪をかきやったあの人のこと。

【語釈】◇まづ 「恋しき」にかかる。

【付記】思い乱れ、髪を乱したまま床にうちふす。その時まっ先に恋しく思い浮ぶのは、(先夜この床で)わが黒髪をかきやったあの人のこと。「まづ」は「かきやりし」でなく「恋しき」にかかる。

【関連歌】下2507、員外3184

 

●後拾遺集・恋三・七六三 ここち例ならず侍りける頃、人のもとにつかはしける 和泉式部

あらざらむこの世のほかの思ひいでに今ひとたびの逢ふこともがな

【通釈】私はじきにこの世からいなくなってしまうでしょう――今生(こんじよう)の外へと携えてゆく思い出として、もう一度だけあなたにお逢いすることができたなら。

【語釈】◇あらざらむこの世 やがて私がいなくなるであろうこの世。◇この世のほか この世以外の世。あの世。

【付記】「あらざらむこの世」は、やがて私がいなくなるであろうこの世。「この世のほか」はこの世以外の世。あの世。

【関連歌】上0576、上0864、〔下2633〕、員外3037

 

第十四 恋四

●後拾遺集・恋四・七七〇 心かはりて侍りける女に、人にかはりて 清原元輔

契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪こさじとは

【通釈】約束しましたね。互いに涙で濡れた袖をしぼりながら、末の松山を決して波が越さないように、行末までも心変わりすることは絶対あるまいと。

【語釈】◇浪こさじとは 末の松山を波の越すことがないように、心の変わることはあるまいと。初句「契りきな」に返して言う。

【本歌】「君をおきてあだし心を我がもたば末の松山浪も越えなむ」(古今集、読人不知)

【付記】『惟規集』に「をんなに」の詞書を添えて載っており、元輔が藤原惟規(?~1011)のために代作したものかと思われる。因みに惟規は紫式部の弟である。定家は小倉百首を始め『近代秀歌』『詠歌大概』『八代抄』『八代集秀逸』などほとんどの秀歌撰に採り、非常に高く買っていた。

【関連歌】上0078、上0193、上0275、下2560、員外2846、員外2876

 

●後拾遺集・恋四・七九五 題不知 相模

わが袖を秋の草葉にくらべばやいづれか露のおきはまさると

【通釈】私の袖を、秋の草の葉とくらべてみたいものだ。どっちがたくさん露が置いているかと。

【本歌】「我ならぬ草葉も物は思ひけり袖より外に置ける白露」(後撰集一二八一、藤原忠国)

【関連歌】上0489、員外3549

 

●後拾遺集・恋四・八一五 永承六年内裏歌合に 相模

恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ

【通釈】恨んだり歎いたりで、乾かす暇もないほど常に濡れている袖――この袖さえ朽ちそうであるのに、ましてや恋のために我が名が朽ちるのは、それこそ口惜しくてならないよ。

【語釈】◇恨みわび 恨み、落胆し。「恨みあぐねて」と解する説もある。◇ほさぬ袖 濡れたままにしている袖。◇袖だにあるものを 袖さえ朽ちそうであるのに。ましてや名が朽ちるのは…とつづく。◇恋に朽ちなむ名 恋の噂によって世間の不評を買うことをいう。

【付記】永承六年(一〇五一)五月五日に京極院内裏で披講された歌合出詠歌。主催は後冷泉天皇、判者は藤原頼宗。掲出歌は題「恋」九番左。定家は小倉百首を始め『八代抄』『八代集秀逸』にも採り、極めて高く評価していた。

【関連歌】上0070、上0898、員外3588

 

●後拾遺集・恋四・八二〇 題不知 和泉式部

人の身も恋にはかへつ夏虫のあらはに燃ゆと見えぬばかりぞ

【通釈】人たる我が身を、恋にくれてやった。炎の中に飛び入った、蛾のようなもの――ただ、あらわに目には見えないだけなのだ。

【語釈】◇恋にはかへつ 恋と引き換えにした。恋に我が身をくれてやった。「こひ」の「ひ」に「火」の意を掛けているので、我が身を恋の火に投げ入れて燃やしてしまった、ということ。◇夏虫 灯火に慕い寄る蛾などを言う。

【関連歌】下2112、員外2821

 

●後拾遺集・恋四・八二一 題不知 和泉式部

かるもかき臥す()(とこ)のいをやすみさこそ寝ざらめかからずもがな

【通釈】枯草を掻き集めて寝る猪の床は寝心地がよいというが、それほどで熟睡できないとしても、こうも眠れずに悩むことがなかったなら。

【付記】枯葉を集めて心地よい寝床を作り、長寝するという猪に寄せて、眠れぬ恋の悩みを抱えた自身を嘆く。

【関連歌】上0763、上0889

 

●後拾遺集・恋四・八二七 題不知 源重之

松島やをじまの磯にあさりせし海人の袖こそかくは濡れしか

【通釈】松島の雄島の磯で漁をした海女の袖くらいです、私の袖のようにこれ程ひどく濡れた袖と言ったら。

【語釈】◇をじま 松島湾内の島。歌枕「雄島」と見なすのが普通。◇かくは濡れしか こんなに濡れた。前句の「こそ」との係り結びで過去の助動詞「き」が已然形「しか」となる。

【付記】「松島」に「(恋人を)待つ」意が掛かると見れば、女の立場で詠まれた歌と考えなくてはならない。

【関連歌】上0898、上1132、下2235、下2457

 

第十五 雑一

●後拾遺集・雑一・八五三 月のまへに思ひをのぶといふ心をよみ侍ける 藤原実綱朝臣

いつとても変はらぬ秋の月みればただいにしへの空ぞ恋しき

【通釈】常に変わらない秋の月を見ると、ひたすら遠く過ぎ去った時代の空が懐かしく偲ばれる。

【付記】後代「月前述懐」の題で盛んに詠まれる主題。

【関連歌】上0038

 

●後拾遺集・雑一・八六〇 例ならずおはしまして、位など去らむとおぼしめしける頃、月のあかかりけるを御覧じて 三条院御製

心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半(よは)の月かな

【通釈】我が意に反してこの世に生き長らえたなら、いつか恋しく思い出すに違いない――そんな月夜であるなあ。

【語釈】◇心にもあらで 心にもあらず。我が意に反して。◇恋しかるべき (生き永らえて後には)恋しく思うにちがいない。

【付記】『栄花物語』巻十二によれば、長和四年(一〇一五)十二月、十余日の明月の晩に、清涼殿内の御局で三条天皇が中宮に詠みかけた歌。翌年正月、譲位。百人一首撰入歌。

【関連歌】上0191

 

●後拾遺集・雑一・八六一 後朱雀院の御時、月のあかかりける夜、上にのぼらせたまひて、いかなることか申させたまひけん 陽明門院

いまはただ雲ゐの月をながめつつめぐりあふべき程もしられず

【通釈】今はただ、宮中の月をじっと眺めながら、再びこの月にいつ巡り逢えるかも分からずにいます。

【参考】「忘るなよ程は雲居になりぬとも空行く月のめぐりあふまで」(伊勢物語・第十一段 移動

【付記】朱雀天皇の代、明月の晩、皇后であった陽明門院(禎子内親王)が参内し、宮廷を離れることを告げた時に詠んだという歌。禎子は摂関家との関係悪化などから、長元十年(一〇三七)から長久元年(一〇四〇)までの四年間参内しなかった。

【関連歌】上0384

 

●後拾遺集・雑一・八七五 (詞書略)

ひきすつる岩垣沼のあやめ草おもひしらずも今日にあふかな

【通釈】引き捨てるところだった、岩垣沼の菖蒲(しようぶ)草。待っていて下さったとはつゆ知らず、思いがけずも今日の晴の場に逢うことができたのですね。

【語釈】◇岩垣沼 石で囲まれた沼。小弁作の物語の題名。

【付記】制作事情は詞書に詳しい。天喜三年五月五日、六条前斎院(後朱雀天皇第四皇女禖子内親王)家で物語合が催されたが、小弁の作は提出が遅れていた。藤原頼通が「あの小弁の書いた物語なら、見どころがあるのでは」と言って進行を停め待っていた。ようやく小弁が『岩垣沼』という題名の物語を出し、その時に詠んだ歌。

【関連歌】員外3367、員外3658

 

第十六 雑二

●後拾遺集・雑二・九三九 大納言行成ものがたりなどし侍りけるに、内の御物忌みに籠ればとて急ぎ帰りて、つとめて「鳥の声にもよほされて」と言ひをこせて侍りければ、「夜深かりける鳥の声は函谷関のことにや」と言ひにつかはしたりけるを、たちかへり「これは逢坂の関に侍り」とあればよみ侍りける 清少納言

夜をこめて鳥のそらねにはかるともよにあふ坂の関はゆるさじ

【通釈】まだ夜が深いうちに鶏の鳴き声を真似て騙そうと思っても、函谷関ならばともかく、逢坂の関は決して通ることを許さないでしょう。

【語釈】◇鳥のそらね 鶏の鳴き真似。◇はかるとも だまそうとしても。◇よに 世に。「決して」の意で「ゆるさじ」に掛かる。◇あふ坂 逢坂。山城・近江国境の峠道。畿内の北限で、東国へと通じる関があった。「逢ふ(情事を遂げる)」を掛ける。◇ゆるさじ 関所の通過は許さないだろう。あなたとの逢い引きを遂げることは許さないとの意を籠める。

【付記】藤原行成(971~1027)が雑談の途中で急ぎ帰ったことを、翌朝恋めかして謝る文を寄越したので、清少納言は函谷関の故事に寄せ、謀って逃げたのだろうと戯れた。それに対してまた行成は、あくまでも恋に因み函谷関ならぬ逢坂の関だと言ってきたので、清少納言が詠んだという歌。

【関連歌】上0668、中1950、中1972

 

第十七 雑三

●後拾遺集・雑三・九九一 おなじ院、高松の女御にすみうつりたまひて絶え絶えになり給ひての頃、松風の心すごく吹き侍りけるを聞きて 堀河女御

松風は色やみどりに吹きつらん物思ふ人の身にぞしみける

【通釈】松風は変わらぬ緑の色に吹いたのだろうか。思い悩む人の身に沁みたのだった。

【付記】夫の小一条院(敦明親王)が高松女御(寛子)に通いつけるようになった頃、松風の音を聞いて詠んだという歌。作者の堀河女御は藤原顕光女、延子。小一条院の御息所となるが、寵愛が道長女寛子に移ったため悲歎のうちに死に、怨霊になったと伝える。

【関連歌】員外3598

 

●後拾遺集・雑三・一〇一三 世の中を何にたとへむといふ古言をかみにおきてあまたよみはべりけるに 源順

世の中をなににたとへむ秋の田をほのかに照らす宵の稲妻

【通釈】現世を何に譬えようか。たとえば、秋の田をほのかに照らし出す、宵の稲妻。

【付記】沙弥満誓の「世の中を何にたとへん朝ぼらけ漕ぎゆく舟の跡のしら浪」(拾遺集一三二7。原歌は万葉集三五一)の初二句をそのままにして、第三句以下を詠み換えた歌である。

【関連歌】員外3352、員外3559

 

●後拾遺集・雑三・一〇一四 中関白の忌に法興院にこもりて暁がたに千鳥のなき侍りければ 円昭法師

あけぬなり賀茂の川瀬に千鳥鳴く今日もはかなく暮れむとすらん

【通釈】夜が明けてしまったようだ。賀茂川の浅瀬で千鳥が啼いている。今日もたちまちはかなく暮れようとするのだろう。

【付記】中関白藤原道隆の忌に籠っていた時の作。

【関連歌】中1906

 

●後拾遺集・雑三・一〇一八 王昭君をよめる 懐円法師

見るからに鏡の影のつらきかなかからざりせばかからましやは

【通釈】鏡を見るにつけ、私の姿の辛いことよ。このようでなかったなら、このようにならなかっただろうに。

【関連歌】上0198

 

●後拾遺集・雑三・一〇三六・一〇三七 良暹法師、大原にこもりゐぬと聞きてつかはしける 素意法師

水草(みくさ)ゐし(おぼろ)の清水そこすみて心に月の影はうかぶや

  かへし 良暹法師

ほどへてや月もうかばん大原や朧の清水すむ名ばかりぞ

【通釈】(素意法師)水草の生えていた朧の清水の底が澄んで月影を映すように、あなたの心は澄んで悟りの境地にあるでしょうか。

(良暹法師)時が経てば、月も浮かびましょう。大原の朧の清水に「すむ」とは名ばかりで、私の心はまだ澄んでおりません。

【語釈】◇朧の清水 山城国大原(京都市左京区大原)の清水。寂光院の南東に今その名で呼ばれる泉がある。

【付記】出家して大原に籠っていた良暹法師に素意法師が贈った歌と、良暹法師がこれに答えた歌。月の影に悟りを暗示する。

【関連歌】上0656

 

第十八 雑四

●後拾遺集・雑四・一〇六三 延久五年三月に住吉にまゐりて、帰さによめる 民部卿経信

沖つ風吹きにけらしな住吉の松のしづ枝をあらふ白波

【通釈】沖では風が吹いたらしいな。住吉の岸辺の松の下枝を洗う白波よ。

【付記】『袋草紙』によれば経信の自讃歌。定家は『近代秀歌』『八代抄』『八代集秀逸』などに採っている。

【関連歌】中1762、中1823

 

●後拾遺集・雑四・一〇七四 上東門院住吉に参らせ給ひて帰るさに人々歌よみ侍りけるに 伊勢大輔

いにしへにふりゆく身こそあはれなれ昔ながらの橋を見るにも

【通釈】昔の人となって古びてゆく身こそ哀れなことですよ。昔ながらの長柄の橋を見るにつけても。

【語釈】◇ながらの橋 摂津国難波の歌枕。淀川の河口付近に架けられていた橋らしい。たびたび壊れて架け替えられたようで、朽ち果てた様子や橋柱のみ残っているさまなどがよく歌に詠まれた。

【本歌】「世の中にふりぬるものは津の国のながらの橋と我となりけり」(古今集、読人不知)

【関連歌】下2068、員外3551

 

●後拾遺集・雑四・一〇九一 義忠朝臣ものいひける女の姪なる女に又すみうつり侍りけるをききて、つかはしける 赤染衛門

まことにや姨捨山の月は見るよもさらしなと思ふわたりを

【通釈】本当に姨の女性をお捨てになったのですか。まさかそんなことはあるまいと思っていましたのに。

【語釈】◇姨捨山 姨(新しい恋人の叔母または伯母)を捨てることを暗に言う。◇よもさらしな まさかそんなことはあるまい。姨捨山のある土地の名「更科」に「()らじな」あるいは「去らじな」を掛ける。

【付記】漢学者として名高い藤原義忠(のりただ)(?~1041)が以前の女を捨ててその女の姪に乗り換えたことを聞いて贈った歌。

【関連歌】下2748

 

●後拾遺集・雑四・一〇八六 紀時文がもとにつかはしける 清原元輔

かへしけむ昔の人のたまづさを聞きてぞそそく老の涙は

【通釈】(恵慶法師が)お返しになったという昔の人(紀貫之)の歌草のことを聞いて、私は老の涙を注ぎます。

【付記】「貫之が集を借りて返すとてよみ侍りける」と詞書する恵慶法師の歌(一〇八四)からの一連の作として後拾遺集に載せる。恵慶が紀時文から貫之の家集を借りたことを聞いての作である。白氏文集の「唯将老年涙 一灑故人文」(移動)を踏まえる。

【関連歌】員外3262

 

第二十 雑六(神祇・釈教・誹諧歌)

●後拾遺集・雑六・一一六二 男にわすられて侍りける頃、貴船にまゐりて、御手洗川に蛍のとび侍りけるを見てよめる 和泉式部

物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる(たま)かとぞみる

【通釈】恋しさに思い悩んでいると、沢に飛ぶ蛍も私の身体から抜け出してゆく魂ではないかと見えるよ。

【付記】男の訪問が絶えていた頃、貴船神社に参詣し、御手洗川に蛍が飛ぶのを見て詠んだ歌。貴船神社は鴨川の水源地にあり、水神を祀る古社であるが、縁結びの効験でも著名。

【関連歌】上1330

 

●後拾遺集・雑六・一一七二 式部大輔資業伊与守にて侍りける時、かの国の三島の明神に東遊(あづまあそび)して奉りけるによめる 能因法師

有度浜に天の羽衣むかしきてふりけん袖や今日のはふりこ

【通釈】有度浜に昔天人が降りて、天の羽衣の袖を振ったのが、今日巫女たちが舞う東遊の舞なのか。

【付記】藤原資業が伊与(伊予)守であった時、同国一宮である三島神社で東遊の舞を奉納した時に詠んだ歌。

【関連歌】中1810

 

●後拾遺集・雑六・一二〇一 題不知 藤原実方朝臣

まだ散らぬ花もやあるとたづねみんあなかましばし風にしらすな

【通釈】まだ散らない花もあるかと深山を尋ねてみよう。しっ、静かに。しばらく風には知らせないでくれ。

【語釈】◇あなかま ああやかましい。「かま」は「かまびすし」などの「かま」に同じ。

【付記】『道信集』には「三月つごもりの日、小一条の中将のもとより」と詞書した歌「散り残る花もやあるとうちむれて深山隠れをたづねてしかな」への返歌とされており、本来は実方に返した道信の歌か。

【関連歌】上0317

 


公開日:2013年01月30日

最終更新日:2013年01月30日

thanks!