『拾玉集』より慈円の「楚忽第一百首」(別称「早率露胆百首」)を抄出した。成立は文治四年(1188)と推測される。定家は翌年二度に渡ってこの百首に奉和した(奉和無動寺法印早率露胆百首・重奉和早率百首)。テキストは新編国歌大観による。
立春
001 朝まだき春の霞はけふたちぬくれにしとしやおのが故郷
子日
002 ねのびしにいざもろ人よかすがのへまちこしものを春のけふをば
霞
003 八重がすみ春をばよそに見すれどもあはれをこむるみよしのの山
鶯
004 鶯のいでぬるこゑをききとめてふるすにぞ見る春のおも影
若菜
005 さもあらばあれ春の野沢のわかなゆゑ心を人につまれぬるかな
残雪
006 きえのこるかきねの雪のひまごとに春をも見する日影草かな
梅
007 さきぬればおほみや人もうちむれぬむめこそ春のにほひなりけれ
柳
008 かすみしく春のかは風うちはへてのどかになびく青柳のいと
早蕨
009 さわらびのをりにしなればしづのめがふごてにかくるのべのゆふ暮
桜
010 ちりまがふ花に心のむすぼれて思ひみだるるしがの山ごえ
春雨
011 はるかさは雨うちそそく山里に物思ふ人のゐたるゆふ暮
春駒
012 みごもりにつのぐむあしをはむ駒のかげさかさまになれるこの世か
帰雁
013 かりがねよなごりをいかでしのばまし花なき春の別なりせば
喚子鳥
014 ながめする心をしるかよぶこ鳥おのがすみかの山はいづくぞ
苗代
015 あはれなり山田のしづはなはしろの水にのみこそ心ひくらめ
菫
016 すみれだににほはざりせば故郷の庭の浅茅のかれはばかりを
杜若
017 紫の色にぞにほふかきつばたゆかりの池もなつかしきまで
藤
018 紫の雲にぞまがふ藤の花つひのむかへを松にかかりて
款冬
019 春ふかみゐでの河風のどかにてちらでぞなびく山吹の花
三月尽
020 くれなゐに霞の袖もなりにけり春の別のくれがたの空
更衣
021 あかなくに春は過ぎぬる衣手にいとひし風のたつぞわりなき
卯花
022 みわの山身をうの花のかきしめて世をすさみたるしるしともせず
葵
023 としをへてかものみあれにあふひ草かけてぞ思ふみよの契を
郭公
024 ほととぎすききつとや思ふ五月雨の雲のほかなる夜半の一こゑ
菖蒲
025 あやめ草軒のしづくはひまなきをいかなるぬまにねをのこすらむ
早苗
026 せきもあへず谷の小川もながるめり山田のさなへとるにまかせて
照射
027 ともしするしづが行へのあはれさも思ひしらるる五月やみかな
五月雨
028 五月雨はいかにせよとて山里の軒ばぞ雲のたえまなりける
盧橘
029 たち花のはなちる里のすまひかなわれもさこそは昔がたりよ
蛍
030 よそにかく見るもはかなし夏むしの思ふばかりの身にあまるかは
蚊遣火
031 涼しきかすずしからぬかかやりびのけぶり吹きまく野べのゆふ風
蓮
032 池水にめでたくさけるはちすかな事もおろかに心かくらむ
氷室
033 すべらぎののどけき御代の氷室山あたりまでこそすずしかりけれ
泉
034 よしの山もとのすまひもすずしきにかさねてぞせく山川の水
荒和祓
035 みそぎするたつた河原のかは風にまだき秋たつゆふ暮の空
立秋
036 けふよりはいかがはすべき世の中に秋のあはれのなからましかば
七夕
037 七夕のまちこしほどのあはれをばこよひ一夜につくしはつらむ
萩
038 しづのをが麻の衣の花ずりははぎの名をりの物にぞ有りける
女郎花
039 をみなへし花のにほひに秋たちてなさけおほかる野べのゆふ暮
薄
040 わきてしもなになびくらむ花すすき風のあはれはおのれのみかは
刈萱
041 主はあれど野と成りにけるまがきかなをかやが下にうづら鳴くなり
蘭
042 秋ののにたがためとてかそめおきし主ほしげなる藤ばかまかな
荻
043 思ひねにむすぶ夢路の荻の音はさめてもおなじあはれなりけり
雁
044 花をこそふりすてしかどかりがねの月をばめづる心有りけり
鹿
045 しかのねをおくる嵐にしられけり山のおくなる秋のあはれは
露
046 わび人の秋のゆふべのながめより野原の露はおくにぞ有りける
霧
047 おもへただとをちの里のあはれよりひとつにこむるきりの夕を
槿
048 あさがほの日影まつまのはかなさもうき世のはなとおなじにほひを
駒迎
049 いかにして駒に契を結びけむ秋のなかばのもち月の空
月
050 秋の月あまねきかげをながめてぞちしまのえぞもあはれしるらむ
擣衣
051 これにしれしづが衣のつちのおとに秋のあはれのこもるべしやは
虫
052 なれにしもおとらぬものをわれやどせよもぎがそまの虫のあるじよ
菊
053 うき世かなよはひのべてもなにかせむくまずはくまず菊の下水
紅葉
054 ははそ原色づきそむる梢よりかねてぞ思ふ秋のなごりを
九月尽
055 こよひただ露にをくちねわが袖よ時雨にとてもかわくべきかは
初冬
056 さびしとよ秋は過ぎぬといひがほにみな山里は冬のゆふ暮
時雨
057 ながむれば袖こそかねて時雨れぬれいふばかりなき空のけしきに
霜
058 草枕結ぶたもとに霜さえてをのへのかねのおとぞ身にしむ
霰
059 秋風を人にしらせて荻のはの枯れてもうへにあられふるなり
雪
060 ふりとぢて庭に跡こそたえにけれ雪にぞみゆる人のなさけは
寒蘆
061 心あてにながめ行くかな難波がた雪の花さくあしのかれはを
千鳥
062 難波がたゆふ浪ちどり心せよあはれは松の風にこもりぬ
氷
063 結びおく氷も水もひとつぞと思ひとけども猶うき身かな
水鳥
064 ねざめする心のそこのわりなきにこたへてもなくをしの声かな
網代
065 あじろもるしづの心もさえぬらむうぢの河風なみにやどりて
神楽
066 神がきやしで吹く風にさそはれて雲ゐになびくあさくらのこゑ
鷹狩
067 思ひあへず袖ぞぬれぬるかり衣かたののみのの暮がたの空
炭竈
068 をの山もおほ原やまもすみがまの煙はおなじあはれなりけり
炉火
069 人しるや夜はのうづみ火下もえてむなしくくるるとしの行へを
歳暮
070 諸人の身にとまりぬるとし月の別れぬさへぞなほをしまるる
初恋
071 しげりあはむすゑをもしらず恋草のやどのまがきにめぐみそめぬる
忍恋
072 我がこひはしのびのをかに秋暮れてほに出でやらぬしののをすすき
不遇恋
073 ははきぎのよそにのみやと思ひつついくよふせやに身をまかすらむ
初逢恋
074 つくしこし心にかねてしられにきあひ見るまでの契ありとは
後朝恋
075 かへるさをあらましごとにせしよりも猶たぐひなきよこ雲の空
逢不会恋
076 さてもいかにあひ見ぬ先にいとひしはよそはづかしきかたはなりけり
旅恋
077 時しもあれすみだ河原のみやこ鳥むかしの人の心しれとや
思
078 わがおもひ煙をたつる世なりせばむなしき空にみちこそはせめ
片思
079 これもこれ心づからの思ひかなおもはぬ人をおもふ思ひよ
恨
080 夕まぐれ玉まく葛に風たちてうらみにかかる露の命か
暁
081 さびしとよ八声の鳥のこゑさえて月もかたぶく有明の空
松
082 すみよしの神さびわたるまつ風もきく人からのあはれなりけり
竹
083 雪ふらでさえたる夜半の風の音はまがきの竹の物にぞ有りける
鶴
084 あしたづのしほひにあさるもろ声につながれにけるあまを舟かな
苔
085 いはのきるこけの衣のさびしきも春の色をば忘れざりけり
山
086 世の中をこころたかくもいとふかなふじのけぶりを身の思ひにて
河
087 ながむればひろき心も有りぬべしみもすそ河の春の明ぼの
野
088 ふかきかな玉ちる秋の暮よりも春のやけのの跡のあはれは
関
089 たびねするふはの関やの板びさし時雨する夜のあはれしれとや
橋
090 かつしかやむかしのままのつぎはしを忘れずわたる春霞かな
海路
091 もしほ草しきつのうらにふねとめてしばしはきかむ磯のまつ風
旅
092 雲かかるみやこの空をながめつつけふぞこえぬるさやの中山
別
093 ひとりさへ涙すすむるたよりかな別れしほどの袖のおも影
山家
094 をかのべの里のあるじをたづぬれば人はこたへず山おろしのかぜ
田家
095 しづのをはなどやかたらぬ小山田のいほもるよはにとまるあはれを
懐旧
096 世の中を今はの心つくからに過ぎにしかたぞいとどこひしき
夢
097 思ひとげ夢のうちなるうつつこそうつつの中の夢にはありけれ
無常
098 みな人のしりがほにしてしらぬかなかならずしぬるならひ有りとは
述懐
099 こはいかにかへすがへすもふしぎなりしばしもふべき此世とやみる
祝
100 君をいはふ心のそこをたづぬればまづしき民をなづるなりけり
或所落此和歌乍言披見之処奥書云或少生雖未入和歌之境、披覧当世歌仙之百首之間忽以発心試擬風吟、自十二月十一日申剋計至于同十三日午剋周章与書付了、仍名楚忽第一百首也、此事若為虚言者住吉大明神可有御証判云云余住末代希有之思馳筆書写畢
都遠からぬ山寺にをさなきちごありけり、学問などもしつべしとて親の師につけたりけるなり、倶舎などもいとよう読みけり、ひるつかたわかき僧たちあつまりて遊びけるに、今の世の歌よみたちの百首とて見あひけるを事の外にのとまりてききければ、僧たち歌よみてんやといさむるを聞きて、題書きたる物や侍るといひける気色ことざまらうたく覚えて、堀川院百首をとりいだしてとらせたりけるをとりて、我がゐたるかたにたてこもりにけり、次の日もさし出でざりければいかになどいひける程に、第三日の午時ばかり此百首ををさなき様なる手にて書きつづけて、室のひろびさしのかたに要文うちふくしてたちたり、僧どもあつまりて読みののしりければ、房主もききてみななきにけり、さてしもあらじこれかやうに人人によませて末の代の物がたりにもせばや、おとなだにか様の百首はいと有りがたき事なりなど云ひけるをききて、よまんなど申す人人あまた出できにけりとなん、十二月十一日申剋ばかりより十三日の午時ばかりまでに、其も引きつづけてもなくひまひまにぞよみはてたりける、ふるく人のよみたりけるかなと申しあひければ、住吉大明神のにくまれかふらんとぞちかごとたてける、世のすゑなれどかかる事も有る物かなある物かな、さて此百首の名をば早率露胆の百首となづけてぞ披露し侍りける