『壬二集』より藤原家隆の文治三年十一月の百首歌を抄出した。テキストは新編国歌大観による。同百首につき詳しくは藤原定家『拾遺愚草』全注釈の閑居百首を見られたい。
001 衣河今朝たちわたる春風にとぢしこほりも解けやしぬらん
002 いろにみせ気色にしるき春をなほ音にもつぐる谷川の水
003 花もまだにほはぬ程の中空に霞をはるの色にみせけり
004 春をへてなれにし色も今年より霞こめたる心ちこそすれ
005 行くままに立のの野べの霞かなわくとやよ所の人はみるらん
006 ふく風を軒ばの梅にいとふかなほかの匂ひはさそひやはこぬ
007 古郷の庭の青柳はな散りて軒ばのうちにあそぶいとゆふ
008 待つ人の心に春はさきそめて枝には花のうつるなりけり
009 桜花雲にまがふもつらきかなやどの木ずゑを人はとはじを
010 ちらすなよいくへもつつめ春霞しのぶの山の花のこずゑは
011 立ちこむる霞にこむる桜花さらでも春の色ならぬかは
012 花のちる山かけてすむあま人はおもはぬ浪や又かへるらん
013 身をすててよしのの山にいりぬるも思ひやいでん白河の花
014 花ゆゑに山の岩ねはふみそめついかで浮世をいとひてしかな
015 くまなさぞ秋みしそらにかはれどもあはれはおなじ春のよの月
016 時くればこれも哀はしられけり霞にもるるはるごまのこゑ
017 かへるかりしばし
018 さらでだにすまばやと思ふ山陰に心をそふるよぶこ鳥かな
019 春ふかみかれし草葉はみどりにてまた山里は人めばかりぞ
020 さき初めていくかもへぬを藤の花はるのものとはけふのみやみん
021 ぬぐ袖にたぐへてけふは夏衣物おもふ身にもかはらましかば
022 わび人のやどの梢の遅ざくら花さへ春にあはぬなりけり
023 卯花をたをりてみれば夏夜の月の光ぞてにとられける
024 時鳥なきて入るさの山のはにまだかげとめぬ夕月よかな
025 村雨の過ぎぬる空の時鳥なごりまでなほ袖ぬらせとや
026 ことしより花さきそむる橘のいかでむかしのかに匂ふらん
027 五月雨の空にあはれをそへよとや飛びかふ鷺の夕暮のこゑ
028 とこなつの花のさかりをみぬ人やのべには秋の色を待つらん
029 我がやどに一むらおけるしら露やほたるなみゐる庭の玉ざさ
030 ともしする木のした露にますらをが哀もしらぬ袖やぬるらん
031 庵りだにさらぬ夏のの旅ねにはいづくをたたく水鶏なりけん
032 かやり火の煙にむせぶ山ざとは秋をこめたる夕霧ぞたつ
033 清水せく岩まを夏のたえまにて梢は蝉のこゑつづくなり
034 夏の日の光をやどす池水も涼しくみゆるはすの下かげ
035 かげ清き河べのひさ木風こえて秋をかけたる御祓をぞする
036 いつしかと秋の気色に成りにけり草ばの露も松の嵐も
037 夏の野にしのびし虫も声声に心もおかぬ秋の夕露
038 ながめつつ過ぎにし秋の面かげやまださきそめぬのべのはつ花
039 花はそふ色なき露の光さへ心にうつるあきの夕ぐれ
040 あれはてて野ばらにつづく花の色をもとの籬にこむる霧かな
041 秋風は荻のうは葉に吹きなれて雁なきそむる夕暮の空
042 あはぢ島吹きこす秋の浪かぜにたぐふをしかの声のはるけさ
043 いろかはる梢をみてもありぬべし秋のを山に鹿の鳴くなり
044 しぐれゆく空こそあらめさをしかのうは毛のほしもかつくもりけり
045 うき人も袂しほるる嵐かな心や秋の草木なるらん
046 月すまん夕の空の気色にて鶉なくなり更科のさと
047 はるかなる峰の嵐を待ちとりていなばも秋のあはれつぐなり
048 夕月夜ほのめく秋のけしきにてみる心ちする有明の空
049 五月雨のふりにしそらも中中におもひぞいづる秋のよの月
050 秋のよの麓をこむるうす霧に立ちもらさるる山のはの月
051 むかしみし心の色はかはれども月はひとつのひかりなりけり
052 夜をへつつ嶺の嵐はおとまさるすそのの虫の声はよわりて
053 さきそむる籬のきくの一花に秋のすゑばの哀をぞしる
054 さびしさもながめもはてず秋ぎりの竜田の山の峰の紅葉ば
055 大井河秋は梢の気しきかは心ぞうつるあり明の月
056 もみぢせぬ秋の名残のはかなさは風も梢にとまらざりけり
057 かがみ山秋みし月の面かげも時雨にくもる冬はきにけり
058 物思ふ心のひまもなかれとやあまりしぐるる夕暮の空
059 いかにせん定なきよをいとふべき芳のの山も時雨ふるなり
060 ゆふさむみしぐるる空になるままにたえだえこほる山川の水
061 嵐ふく松の葉しろくおく霜のおちぬほどまで夜は深けにけり
062 旅ねする須磨の浦ぢのさよ千鳥声こそ袖の浪はかけけれ
063 友なくて浪の枕になくちどり人のあはれもおもひしりぬや
064 あぢむらの尾上をこむる夕暮は松ふく風もうづもれにけり
065 御かりのの枯るる真柴にすむとりの哀をかぎるなげきなるらん
066 しばの戸を声うちそへてたたくなり風のまぎれに霰ふるよは
067 ささ結ぶやどのとぼそのさびしさをかさねてとづる夜半の雪かな
068 山ざとはかきねのしとと人なれて雪降りにけり谷のほそ道
069 もろ人の声をつらねてさゆるよの雲ゐに雁もなのり行くなり
070 春秋を惜みしくれも残しこし年をそへても冬のゆくらん
071 秋かけてとや立ちそむる箸鷹の恋やもみぢの色に出でまし
072 うちいでていざさはこひん宮城ののかりにもあへる契りありとや
073 我はしづみ涙にうかぶ枕こそ我がものながらくやまれにけれ
074 わが袖にかさなる月の光さへきぬぎぬになる明ぼのの空
075 恋すてふなをば高瀬のみなれ棹さしもや君にこぎはなるべき
076 とにかくにおもへど恋の中にある岩木も人の心なりけり
077 わするなよいまは心のかはるともなれし其夜のあり明の空
078 冬の夜もたのめしものを月にだに問はず成りゆく人の心よ
079 忘れぬをわすれぬとやはたのみこし思ひし事ぞおもひせんとは
080 春のはな秋のもみぢもみで過ぎし心な恋にいたくくだきそ
081 かぞふれば年は六十の半にて雲ゐの月をよそにみるかな
082 さてもなほうき身ひとつやもれ出でんつづきて照す月の光に
083 いつとなく行く年なみにゆられきて身は浮舟に乗も定めず
084 いかにせん憑む山路も袖ぬれておもひせくべき若草の露
085 和歌のうらやふかきちかひを憑みつつ浅き汀にもくづをぞかく
086 あかつきの空にたなびく浮雲やはるかなるよのしるしなるらん
087 おちつもる軒の荒まの松のはにあやなく月の影ももりこず
088 かよひこし竹の下みち跡たえてくづれにけりな淀の川岸
089 きてみれば庭のやり水
090 島かぜのあしの葉わたる夕暮に汀のたづもこゑかよふなり
091 おとはがは心ひとつにせきとめて昔の宿の哀をぞしる
092 みるままに心はとめつ清見がた関守る浪もたちかへれども
093 夕暮はみねの柴屋も物さびて雲のまがきをはらふこがらし
094 ゆふぐれの稲葉の露を分けきても宿の哀を人のとへかし
095 草枕都にかへる夢にては露をも分けぬ物にぞ有りける
096 ゆふは山谷のこずゑに宿かりて雲もたつなり明ぼのの空
097 末の松うへこす浪にゐるかものたへて過ぐるやあまのつりぶね
098 草の庵や法のすゑ摘む夕暮の峰の樒に風かよふなり
099 ふりにける森の梢にうつりきてあかずがほなるてらつづきかな
100 身をすてばいづくか人の宿ならぬ谷の木陰も峰のいはほも