十題百首 慈円『拾玉集』より

慈円の家集『拾玉集』より、「十題百首」を抄出した。同百首については十題百首定家詠を参照されたい。テキストは校註国歌大系(底本は元禄三年板の六家集本)によるが、同じく版本六家集を底本とする私家集大成所収のテキストと照合して、明らかな誤りと思われる箇所は正した。表記は読み易さを考慮して適宜改め、またルビを振った。

天象 地儀 居所      釈教 神祇

十題十首和歌

天象 十首

月、日、星、霞、雷、霧、時雨、雪、雲、風

001 やはらぐる光にあまる影なれや五十鈴(いすず)河原の秋の夜の月

002 幾返りうき世にあへる身となりぬ朝日はるかにまつ闇の空

003 なかなかに闇なるべしと思ひけり秋の七日の星合の空

004 いかでわれ昔をちかく思はまし春の霞をながめざりせば

005 鳴神の雲の通ひ路とぢはてて雨に雨そふ夕立の空

006 夕まぐれ山をも野をも霧こめて心のほかのあはれをぞ見る

007 宵の間はもらぬ木の葉に袖ぬれて時雨になりぬ暁の空

008 雪の下をくるる萱屋(かやや)の夕煙心細さはなほぞうもれぬ

009 よそはいかに高嶺にすまふかひなれや雲をば雲と思ひなれぬる

010 春も秋もすずむ夕べも木枯しもあはれは風にかぎるなりけり

地儀

山、海、湖、浦、島、河、橋、池、野、関

011 末をくめ我が山川のみなかみに御法(みのり)の淵はありと知らずや

012 汐路まであはれもふかきこの世かなむなしき舟も波にしづみぬ

013 昔思ふながらの山の寝覚には袂につづく志賀の浦波

014 眺むれば心のうへもうす煙身を塩竈のうらめしの世や

015 かきとめて物のあはれを見るならば絵島の浦の海人の釣舟

016 なにとなく心のそこぞうきにける賀茂の河原の春のあけぼの

017 まだふりぬ憂き身をつれて思ふかな長柄(ながら)の橋のいにしへの跡

018 広沢の池の昔を思ふとて月をながむと人に見えぬる

019 誰も聞け秋のあはれは野辺なれや鹿声たてて虫もわぶなり

020 春と冬と逢坂山の関路には霞よりこそ雪もちりけれ

居所

禁中、都、山家、田家、深山、旅宿、旅泊、関屋、網代、山科

021 とことはに春の心やさかゆらむ藤壺にすむ秋の宮人

022 大かたの都の宿の殿づくり年もかぎらじ行末の空

023 山里は心ばかりはうつりゐて何とかまよふ憂き身なるらむ

024 ただいまはいざ(しづ)()にかはりゐむ山田の庵の秋の夕暮

025 つひに我がねがふ住み処はみ吉野のおくなる谷の山陰のいほ

026 東路やよるは都にかへるかな旅寝の庵に衣がへして

027 もしほ草敷津の波を枕にて心細きは苔の下臥し

028 これまでに物のあはれも知らざりつ須磨の関屋の旅寝うれしな

029 待ち得ても末もあはれなる網代かな氷魚(ひを)も昔の友ならぬかは

030 あはれなりこれも世渡る庵ぞかしその山科の袖競(そでくらめ)まで

竹、藤、躑躅、菖蒲、蓬、萩、茅、忍草、思草、忘草

031 友と見る籬の竹に風吹けば我が心さへなびくなりけり

032 思ふことむなしからざる都より春日の山にかかる藤波

033 躑躅咲く片山岸の岩角に夕日の色は見るべかりけり

034 雨晴れぬ夏の夕風かをりきて軒端すずしき菖蒲草かな

035 つひにさは蓬がもとの露の身と思ひ果つればやがて涙の

036 心して恋ふべかりける萩をしも宿の物とてさても夕風

037 経にけりな浅茅が末の夕露を心にかけて身は四十(よそぢ)まで

038 しげるべし心に物をしのぶ草うき身の宿の軒端ばかりに

039 思ひ草しげれるとしもなけれども心あるべきませの内かな

040 いな言はじこの世の人の門ごとに植うべきものは忘れ草かな

住吉松、三輪椙、吉野桜、をふの浦梨、御室榊、龍田川柳、奥山真木、あだちのま弓、ゐなのふし原、櫨

041 波にふけ霞の春の浅みどり風も色ある住吉の松

042 いにしへのしるしと見るもあはれなり色も変はらぬ三輪の杉むら

043 み吉野の吉野の山の桜花うき世に老いていそぎちるらむ

044 さてもさはいかになりぬる身なるらむ思ひぞ分かぬ苧生(をふ)の浦梨

045 みむろ山榊にかかる木綿(ゆふ)しでは秋の月かげ冬の白雪

046 それもなつ憂き身の影とたのむことたつた河原の柳ばかりか

047 奥山の槙の梢を軒に見てあはれいつさは住まむとすらむ

048 昨日かも都の花を見しものを安達の真弓もみぢしにけり

049 霰ふる猪名野(ゐなの)ふし原風こえて衣手さむし道のべの冬

050 植ゑてけり四方の山辺の秋の色を田末にこむる(はじ)のもみぢ葉

鶯、喚子鳥、郭公、水鶏、雁、鶉、鴫、千鳥、鴦、鶏

051 深き山に鳥も今はの頃はまたさらに待たるる鶯の声

052 契りおく人とや我を喚子鳥おぼえぬものを黄昏の空

053 郭公(ほととぎす)たのむる妹となりにけり更けたればとて()()なければ

054 まだささぬ槙の板戸をたたくかな我ぞ水鶏と名のるなるべし

055 啼く雁よおのが涙をかさずとも人のとがめぬ袖の上かは

056 故郷は鶉啼く野となりぬれどなほ跡のこる庭のませがき

057 物思ふ心の数や知りぬらむこの暁の(しぎ)の羽がき

058 与謝の浦ひとりうき寝の楫枕(かぢまくら)ただ我がための友千鳥かな

059 難波潟蘆間の鴛鴦(をし)の一つがひ思ひ絶えたるみ吉野の山

060 なにとなく涙落ちそふ寝覚かな木綿(ゆふ)つけ鳥の暁の声

獅子、象、羊、虎、熊、馬、猿、犬、猪、鹿

061 位山うき世にこそはくだるとも獅子の座にゐる身ともなりなむ

062 如法経(によほふきやう)かく道場の暁に日象天(につしやうてん)を見ぬは見ぬかは

063 極楽へまだ我が心ゆきつかず羊の歩みしばしとどまれ

064 その心ありもしぬべき我が身かはなどこの国に虎のなからむ

065 思ひとりて熊に宿かる山伏の心のそこはすずしかるらむ

066 東路やいくその山を越えぬらむ野原篠原駒にまかせて

067 山深みかつかつ濡るる袂かな峰の檜原の猿の里声

068 ながむればあはれもさ夜もふけにけり(しづ)菅屋(すがや)の犬の声まで

069 これも夢なほまどろまでありぬべし臥す()(とこ)に身をまかすとも

070 鹿の音を山の奥よりさそひきて籬の萩につたふ秋風

蝶、蛙、日暮、松虫、鈴虫、蛬、?注1、蜘蛛、蝙蝠、紙虫

071 もし人の夢やうつつにあらはれて籬の花の蝶と見ゆらむ

072 はれにけり稲葉のみどり雨すぎて山田のくろに(かはづ)啼くなり

073 夕立の程ばかりこそ絶え間にてはるればやがて蜩の声

074 寂しとよ岸の小萩はうらがれていさよふ月をまつ虫の声

075 憂き身かなふりぬる上になほふりぬ鈴鹿の山の鈴虫の声

076 きりぎりす蓬の宿に秋暮れてあはれをよそのものとなしつつ

077 糸すすき萩の錦に植ゑまぜてはた織る虫の声をきくかな

078 ささがにのいとあはれなるこの世かな軒端の宿をよそに思はじ

079 蝙蝠(かはほり)は夜も戸たてぬ古寺に内外もなく飛びまがふなり

08 いかにせむ御法(みのり)の塵をはらふにも紙魚(しみ)の教へやなほのこるらむ

釈教 十波羅蜜

擅、戒、忍、進、禅、恵、方、願、力、智

081 今は我が山の端ちかき月をだに惜しむまじとぞ思ひ知りぬる

082 北南たもつ心は浅くとも(さづ)くる(のり)は深しとを知れ

083 忍びづま忍びなれにし心こそやがて(まこと)の心なりけれ

084 うれしくも仏にちかくなれにける心にさとる身とぞなりぬる

085 目をとぢて息をかぞふる心には御法(みのり)ばかりののこるなりけり

086 比叡(ひえ)の山雪の窓うつものやなに見残す(のり)もあらしなりけり

087 しなじなの人の心を思ふとてさまざまになる我が心かな

088 いつかわれ幾らの誓ひあらはして道より道にしるべをもせむ

089 うきながら心たわまでながらへぬ(のり)(しるし)をたのむしるしに

090 これぞさは憂き身をやがて仏ぞと心えつべき心ちこそすれ

神祇

日吉、貴船、住吉、稲荷、鹿島、大原野、春日、賀茂、八幡、伊勢

091 三世までにむすびおきける契りかなあはれと思へ(なな)御社(みやしろ)

092 貴船川たぎつ白波袖に見てかわきてかへる春を待つかな

093 思ふこと津守の浦のもしほ草いくらしげりぬ住吉の神

094 塵となる光に見せよ稲荷山杉の庵の里のあけぼの

095 めぐり逢ふはじめをはりの行方かな鹿島の宮にかよふ心は

096 小塩(をしほ)山松に千年(ちとせ)をやどしおきて末もはるけき宮の内かな

097 忍びこし昔を今にみかさ山のどけかるべき(あめ)の下かな

098 しでに吹く賀茂の河風さ夜ふけて心にこもる(あけ)の玉垣

099 石清水(いはしみづ)ながれ久しきすめらぎの千代のみかげは神のまにまに

100 神風や御裳濯(みもすそ)川の末の波むかしの瀬にも立ちかへるかな

注1 虫偏に君の字。