新宮撰歌合 藤原定家『拾遺愚草』全注釈 付録

建仁元年(1201)三月二十九日、二条殿新宮で催された後鳥羽院主催の撰歌合。出詠歌人は二十六名、題は全て四字結題で十題。詠進された二百六十首より三十六番七十二首を撰出・結番し、作者名を隠した上で左右方人による褒貶(批評)が交わされて、最終的には俊成が勝負判を下したものである。本文は新編国歌大観(底本は貞享二年刊歌合部類本)を使わせて頂いたが、判詞の句読点などは私意により改め、また引用句は鉤括弧で括った。

新宮撰歌合 建仁元年三月二十九日 作者隠名 褒貶

  題
霞隔遠樹    羈中見花    雨後郭公    松下晩涼
山家秋月    湖上暁霧    嵐吹寒草    雪似白雲
遇不逢恋    寄神祇祝

  左方
左大臣 後京極良経         内大臣 通親
権中納言公継            釈阿
越前 嘉陽門院官女         散位隆信
左近衛中将通具           散位有家
散位保季              上総介家隆
寂蓮                鴨長明 禰宜長継男
賀茂季保
  右方
女房 後鳥羽院           前権僧正慈円
権大納言忠良            権中納言兼宗
参議公経              太宰大弐範光
宮内卿 後鳥羽院官女師光女     讃岐 二条院官女頼政女
丹後 宜秋門院官女頼行女      左近衛権中将定家
左近衛権少将雅経          左兵衛佐具親
右馬助家長
  読師  左方 左近衛中将通具
      右方 参議公経
  講師  左方 上総介家隆
      右方 左近衛権少将雅経
  判者  皇太后宮大夫入道釈阿

   一番 霞隔遠樹 左持 内大臣

01 もえ出づるこずゑは峰の草葉にて野べの煙とたつ霞かな

    右         女房

02 浦の松のいろやまさると春見れば霞ぞたてるしがのから崎

左歌を右方に申云、「みねの梢を草葉と見て野べのけぶりと霞をまがへたる心、上下たがひてや聞ゆらん」。左方陳申云、「まことに峰を野べと見るにはあらず、眺望のこころには詩などにもつねにいひならへる事なり。右歌を左方ことに申す旨なし」。判者申云、「左歌右難申旨もふかき難にはあらず。右歌すがた心ことにおもしろし。但かつは一番の左歌なれば持とすべし」。

   二番 左持      左大臣

03 ながめこし沖つ浪まのはまひさぎひさしく見せぬ春霞かな

    右         参議公経

04 たかせさす六田の淀の柳原みどりもふかく霞むはるかな

左歌を右申云、「上に『ながめこし』とおきて、下に『見せぬ』といへる、同心の病かいかが」。右歌を左申云、「『たかせさすむつだのよど』とはいづこと思へるにか。六田の淀とはよしの川とこそ万葉集にもよみたれ。柳はら、むつだの淀に証歌の侍るにや、おぼつかなし」。右陳申云、「六田のよどの柳、古歌によみならはして侍るにや。左猶証歌を可申之由申」。判者申云、「左歌すがたよろしけれども、『ながめ』の詞うたがひ有り。右歌むつだの淀おぼつかなし。又持とすべし」。

   三番   左     寂蓮

05 末とほき松のみどりはうづもれて霞ぞ浪にうきしまが原

    右勝        左近衛権少将定家

06 みつしほにかくれぬ磯の松の葉も見らくすくなく霞む春かな

左歌を右申云、「『末とほき』とおけるよりすべてききよからぬにや」。右歌を左申云、「『松の葉』こそあまりにくはしくきこゆれ」。判者申云、「『見らく』などいへる詞は、ふるき事なればよろしくも聞えねども、『末遠き』といへるにはまさるべくや」。

   四番 羈中見花 左持 寂蓮

07 旅の空いく夜の雲にふしなれておもひもわかぬ花の夕陰

    右 霞隔遠樹    前権僧正慈円

08 みよし野のやまのはふかし朝がすみこむる梢を雲に任せて

左歌を右申して云、「ことなる難なし」。剰頗宜歟のよし申云。右歌、左又殊申旨なし。判者申云、「左歌のすがた艶にはきこゆれど、殊に花を思へる心すくなきにや。右も又あさ霞こひねがはれぬさまに侍り。持とすべし」。

   五番 羈中見花 左勝  左大臣

09 けふも又さくらに宿をかり衣きつつなれゆくはるの山かぜ

    右 霞隔遠樹     左近衛権少将雅経

10 から錦秋のかた見()たちかへて春はかすみのころもでの森

左歌を右殊申旨なし。右歌、左申云、「春の霞の歌に『から錦秋のかたみ』とおける、よしなくや」。判者、左をもて為勝。

   六番 羈中見花 左持  散位有家

11 都より吹きこむ風のおとづれも花にはつらき山路なりけり

    右          宮内卿

12 古郷のたよりおもはぬながめかな花ちる比のうつのやまごえ

左歌、右申云、「『吹きこん』といへる、風のおとづれ耳にたちてきこゆるにや」。右歌、左申云、「『ながめかな』といへる、『ながむれば』などとこそふるくもよみならはして侍れ。ながめといふ物の有るやうにやきこゆらん」。判者申云、「うつのやまごえ、伊勢物語にも『つたかへでしげりて』などこそ申したれ。花にはよみならはさずやはべらん。右方人当時桜おほくさきたるよし陳じ申せども、ながめことに心ゆかずとて、持とす」。

   七番 雨後子規 左   左近衛権中将通具

13 むらさめのはるる雲間に時鳥月影ちぎるさよの一声

    右勝 羈中見花    雅経

14 岩ねふみかさなるやまを分捨てて花もいくへの跡のしら雲

左歌、右方申云、「『月影ちぎる』とはいかにちぎれるにか」。右歌、左難なき上に、よろしきよしを申す。判者、右もて勝とす。

   八番 雨後郭公 左持  内大臣

15 子規こゑははれまにおとづれて雫を残す軒のたちばな

    右 羈中見花     前大僧正慈円

16 よもぬれじかたののみののかり衣花の雪には宿からずとも

左歌、右申云、「五月雨の『はれ間に』といへる事、又もふりぬべきにや。雨の後の心にはいかが」。左申云、「晴間などいふ事は、雨後のこころつねの事なり」。右歌、左申云、「旅の心少きにや。又交野にさくらなどことにきこえずやはべらん」。判者云、「左歌、『はれま』『雫』など侍れど、雨としもきこえぬにや。右歌、『たえて桜の』などよめるも、かた野のかたにかりせし時の歌なり。歌のさまもいうに聞ゆれば、かちとさだめらるるを、左なほ『かた野のかり日数もつもらず、ただひとへに遊猟の遊戯なれば、羈中の題には不叶や』と申すを、右方又申云、『晴間といへるばかりにて、雨の後にもちひん事いかが侍るべき。すべてまの字はよろづの事のあひだにいひならはしたれば、雨やみぬるこころはなし』と申すによりて、又持とす」。

   九番 雨後郭公 左持  左大臣

17 さみだれをいとふとなしに子規人にまたれて月を待つらん

    右 羈中見花     女房

18 風ふけば花は浪とぞこえまがふわけこし旅(もイ)すゑの松山

左右ともに申す旨なし。判者、ともにおもしろくきこえ侍り。左の月を待つこころ、右の花のなみ、ともにすてがたく侍るとて、持とす。

   十番 雨後時鳥 左   有家朝臣

19 ほととぎす待つよひながら村雨のはるればあくる雲になくなり

    右勝         讃岐

20 さみだれの雲間の月のはれゆくをしばし待ちける子規かな

右歌殊よろしきなり。不及沙汰可勝之由、左方申。判者、同じく以右為勝。

   十一番 松下晩涼 左持 散位隆信

21 たちよれば夕浪涼しすみよしの松をあきかぜふかぬものゆゑ

     右         大宰大弐範光

22 秋やとき風やすずしき松陰のおもひもわかぬ夕まぐれかな

左方申状又如先。判者、左の「夕浪すずし」などよろしくきこゆるにや。仍持とす。

   十二番 山家秋月 左勝 通具朝臣

23 ささの庵露おく床の苔むしろしく物もなき秋の夜の月

     右 松下晩涼    参議公経

24 友さそふ片山陰の夕すずみ松吹く風にひぐらしのこゑ

判者申云、「『友さそふ』といへる、すゑにもさせる故なきにや。左歌いうにきこゆ。可為勝」。

   十三番 山家秋月 左勝  左大臣

25 時しもあれ古郷人は音もせで深山の月にあきかぜぞふく

     右 松下晩涼     前権僧正慈円

26 こずゑより夕風おつる松がねは秋まつ夏のなごりなりけり

判者申云、「右歌雖無指難、左猶よろしきによりて為勝」。

   十四番 湖上暁霧 左   権中納言公継

27 にほてるや浪路はるかに霧こめてやどりかねたる有明の月

     右勝 松下晩涼    丹後

28 すずしさを松の木陰にさきだててまだこぬ秋の夕ぐれの空

左申云、「右歌尤宜況以承伏」。判者申云、「左歌雖無指難右歌宜。仍為勝」。

   十五番 湖上暁霧 左持 内大臣

29 明けぬるか霧の絶まにみほがさきこぎはなれゆく遠の浮ふね

     右 松下晩涼    権中納言兼宗

30 夕まぐれ秋のけしきをさきだててたもとにかよふ松の下かぜ

判者云、「『をちのうきふね』、いかにぞきこゆれども、右もことなる事なければ、持とす」。

   十六番 湖上暁霧 左  通具朝臣

31 しがの沖やいづくを霧のへだつらん浪より出づる有明の月

    右勝 山家秋月    前権僧正

32 影清き月よりおつる袖の雨の雲は秋の夜軒はやまのは

右申云、「左歌は只望秋月之出心也。暁霧のへだてなし。題の心如何」。左無申旨。判者云、「右歌心詞尤よろし。興あり。仍為勝」。

   十七番 嵐吹寒草 左  内大臣

33 秋はててあはれは猶ぞ残りける花もあらしの野べの夕暮

    右勝 山家秋月    定家朝臣

34 宮古人さらでも松の木の間より心づくしの月ぞもりくる

判者云、「右為勝」。

   十八番 嵐吹寒草 左  釈阿

35 をざさ原夜半の嵐ははらへども葉分の霜は猶むすびけり

    右勝 山家秋月    女房

36 柴のとやさしもさびしきみやまべの月ふく風にさをしかの声

右申云、「左のをざさはらは色かはらぬ物なれば、かれたる草にあらずや」。左申云、「ささは草なり。冬は寒ければ寒草になどかよまざらむ」と申す。判者云、「右歌あなおもしろ。無左右勝と定め申す」。

   十九番 嵐吹寒草 左持 保季

37 山颪にかれ野のまくずうちなびき霜に恨みや結びはつらん

     右 山家秋月    雅経

38 よそにみし雲より奥に宿しめて梢にいづる山のはの月

右申云、「葛の葉のうらみなどは、枯れはてぬ折にや読むべからん」。判者云、「いづれも無殊事。為持」。

   二十番 嵐吹寒草 左  越前

39 さらに又秋にもかへすあらしかな霜かれはつる荻のした葉を

    右勝 湖上暁霧    前権僧正

40 うす霧の汀をこむる有明()月にうらあるしがのからさき

右申云、「荻の下葉を『秋にもかへす』とはいかによめるにか」。左申云、「あはれを又かへすなり」。判者云、「『うす霧』すこし耳にたてども、歌のさま宜し。仍為勝」。

   二十一番 嵐吹寒草 左  左大臣

41 木の葉ちりて後はむなしきとやまよりかれ野の草に嵐おつなり

     右勝 湖上暁霧    女房

42 しがの浦やにほてる沖(はイ)霧こめて秋もおぼろの有明の月

左右未申先に、判者云、「右歌殊以染心肝。左又いうなりといへども、尚以右為勝よし申之」。

   二十二番 雪似白雲 左勝 内大臣

43 雪ならば月と友にやながめやらんいとひなはてそ峰の白雲

      右 湖上暁霧    右馬助家長

44 にほの海やうらつたひ行く霧のまにたえだえはるる有明の月

右歌、ひとへに先年の百首の御製に似たり。仍左を可為勝之由、判者申す。

   二十三番 雪似白雲 左持 寂蓮

45 あらし吹くみねにつれなきしら雲のたつかと見れば松の雪折

      右 嵐吹寒草    定家朝臣

46 あさぢふや残るは末の冬の霜おきどころなく吹くあらしかな

左右たがひによろしき由申之。判者、共以優なり、可為持。

   二十四番 雪似白雲 左  釈阿

47 古郷はさゆる雲とやみよし野の吉野のおくの峰のしら雪

     右勝 嵐吹寒草    範光

48 荻はらやいまはかれ葉に吹きかへて嵐になりぬ野べのあき風

左歌宜しきよし、人人これを申すといへども、判者、以右為勝。

   二十五番 雪似白雲 左  季保

49 よそにては雪ともえこそ白雲のかはらぬ色をみよしのの山

     右勝 嵐吹寒草    女房

50 草の原露のやどりをふくからに嵐にこほるみちしばの霜

不及左右以右為勝之由、判者申之。

   二十六番 寄神祇祝 左勝 内大臣

51 君が代のちとせのかげやうつるらん天照るひかりわくるかがみに

      右 嵐吹寒草    権大納言忠良

52 荻原や霜おく色はかはれども嵐をあきのなごりとぞおもふ

判者、以左為勝。

   二十七番 寄神祇祝 左勝 左大臣

53 君がよのしるしとこれを宮川のみねの杉原いろもかはらず

      右 雪似白雲    定家朝臣

54 冬のあしたよし野の山のしら雪も花にふりにし雲かとぞ見る

判者云、以左為勝。

   二十八番 遇不会恋 左  越前

55 くやしさにおつる涙をせきかねて(うら)なる(むるイ)名をや袖にのこさん

     右勝 雪似白雲    女房

56 雪やこれはらふたかまの山風につれな(きイ)雲の峰に残れる

左歌不及沙汰、右歌可為勝之由、判者申之。

   二十九番 遇不会恋 左勝 釈阿

57 泊瀬川又見むとこそたのめしか思ふもつらし二もとの杉

      右 寄神祇祝    宮内卿

58 数しらぬ君がよはひか神風やみもすそ川のせぜのしき浪

判者、以右勝とすべきよし申すを、左右ともに左を可為勝之由申請也。

   三十番 遇不会恋 左   家隆

59 いまこんの契りは夢かしきたへの枕の上にあり明の月

    右勝 寄神祇祝     女房

60 神風や八重のさかき葉かさねてもみもすそ川の末ぞはるけき

右歌、祝によりて可勝之由、判者申之。

   三十一番 遇不会恋 左  長明

61 ながれてとなにおもひけんかち人のわたれどぬれぬ逢せばかりに

     右勝 寄神祇祝    慈円

62 君がよを万世とこそかぞふらめ七のやしろのみつのひかりは

以右為勝のよし、判者左右ともに申すなり。

   三十二番 遇不会恋 左持 寂蓮

63 うらみわびまたじいまはの身なれども思ひなれにし夕暮の空

      右         丹後

64 忘れじのことの葉いかになりぬらんたのめしくれは秋風ぞふく

左右たがひによろしきよしを申す。判者、両首共以優也。勝負さだめ申すに不及。

   三十三番 左勝      内大臣

65 あひ見しは昔語りのうつつにて其かねごとを夢になせとや

      右         定家朝臣

66 人ごころほどは雲井の月ばかり忘れぬ袖のなみだとふらむ

判者云、右の歌よろしくきこゆれど、猶左はまさるべし。

   三十四番 左勝      左大臣

67 しばしこそこぬよあまたとかぞへても猶山のはの月を待ちしか

      右         具親

68 なかなかに又たのまるる世なりけりかかるべしとは契りやはせし

左方申云、「右歌宜しといへども、題においては左歌尤可勝歟」。判者同之。

   三十五番 左       権中納言公継

69 たえぬるはわがこころともいひつべし涙をとはばいかがこたへむ

     右勝         公経

70 あはれなる心のやみのゆかりとも見しよの夢をたれかさだめん

右歌殊に可勝之由、左右たがひに申之、判者同之。

   三十六番 左勝      通具朝臣

71 契りきやあかぬわかれに露おきし暁ばかりかた見なれとは

      右         宮内卿

72 うらみてもぬるる袖かななき名のみをじまの磯の蜑ならねども

左申云、「右歌、遇ひてあはぬ恋のこころ、おぼつかなし」。判者云、「以左可為勝」。


公開日:平成23年12月15日
最終更新日:平成23年12月16日