『秋篠月清集』より、『六百番歌合』に出詠された「歌合百首」を抜き出した。テキストは天理図書館蔵定家等筆本を底本とする新編国歌大観によるが、底本は6番にあたる「野遊」題の歌を欠くため、これのみ新編国歌大観の『六百番歌合』より補った。表記は私意により適宜改め、ルビを振った。また『六百番歌合』における勝負付を題の傍らに小字で添えた。何も付していない歌は持(引き分け)である。因みに良経は57勝14負29持という驚異的な好成績を残したが、主催者に対する表敬という要素は、当歌合に限っては僅少であったと思われ、それほど良経の歌は秀歌揃いである。
当百首については『歌合百首 藤原定家『拾遺愚草』全注釈』を、『六百番歌合』については『六百番歌合 目録・定家番抜書』を参照されたい。
元日宴
001 あらたまの年を雲ゐにむかふとて今日もろ人に
御酒 たまふなり
余寒 勝
002 空はなほ霞みもやらず風さえて雪げにくもる春の夜の月
春水
003 木の間より日かげや春をもらすらむ松の岩ねの水の白波
若草
004 雪きゆる
枯野 のしたの浅緑こぞの草葉やねにかへるらむ
賭射 勝
005 けふは我が君のみまへに取る
文 のさしてかたよる梓弓 かな
野遊 勝
006 都人やどを霞のよそに見て昨日もけふも野べにくらしつ
雉 負
007 武蔵野にきぎすも妻やこもるらむ今日のけぶりの下になくなり
雲雀 勝
008 片岡の霞もふかき
木 隠れに朝日まつまの雲雀なくなり
遊糸 勝
009 おもかげに千里をかけて見するかな春の光にあそぶいとゆふ
春曙
010 見ぬよまで思ひのこさぬながめより昔にかすむ春のあけぼの
遅日 勝
011 秋ならば月まつことのうからまし桜にくらす春の山ざと
志賀山越
012 をちかたやまだ見ぬ山は霞にてなほ花おもふ志賀の山ごえ
三月三日 勝
013 ちる花を今日のまとゐの光にて波間にめぐる春のさかづき
蛙 勝
014 雨そそく池の浮草かぜこえて波と露とにかはづなくなり
残春
015 吉野山花のふるさとあとたえてむなしき枝に春風ぞふく
新樹 負
016 花はちりぬいかにいひてか人またむ月だにまたぬ庭のこずゑに
夏草 負
017 夏草のもともはらはぬふるさとに露よりうへを風かよふなり
賀茂祭 勝
018 雲ゐよりたつるつかひにあふひ草いくとせかけつ賀茂の川なみ
鵜河
019 大井川なほやまかげに鵜飼舟いとひかねたる夜はの月かな
夏夜 勝
020 うたたねの夢よりさきに明けぬなり山ほととぎすひとこゑの空
夏衣 勝
021 かさねてもすずしかりけり夏衣うすき袂にやどる月かげ
扇
022 手にならす夏のあふぎとおもへどもただ秋風のすみかなりけり
夕顔 負
023 片山の垣ねの日かげほの見えて露にぞうつる花のゆふがほ
晩立 勝
024 入日さす外山の雲ははれにけり嵐にすぐるゆふだちの空
蝉 勝
025 なく蝉の
羽 におく露に秋かけて木陰すずしき夕ぐれのこゑ
残暑
026 うちよする波より秋のたつた川さてもわすれぬ柳陰かな
乞巧奠 勝
027 星あひの空のひかりとなる物は雲ゐの庭にてらすともし火
稲妻 勝
028 はかなしや荒れたる宿のうたたねに稲妻かよふ
手枕 の露
鶉 勝
029 ひとりふす蘆のまろ屋の下露に
床 をならべて鶉 なくなり
野分
030 きのふまで
蓬 にとぢし柴の戸も野分 にはるる岡の辺の里
秋雨 勝
031 ふりくらす小萩がもとの庭の雨を今宵は荻のうへにきくかな
秋夕
032 物思はでかかる露やは袖におくながめてけりな秋の夕ぐれ
秋田 勝
033 山とほき門田のすゑは霧はれて穂波にしづむ有明の月
鴫 勝
034 波よする沢の葦辺をふしわびて風にたつなる
鴫 のはねがき
広沢池眺望 勝
035 心には見ぬ昔こそうかびけれ月にながむる広沢の池
蔦 勝
036 宇津の山こえし昔のあとふりて蔦の枯葉に秋風ぞふく
柞 勝
037
柞原 しづくも色やかはるらむ森の下草秋ふけにけり
九月九日 勝
038 雲のうへにまちこし今日の白菊は人のことばの花にぞありける
秋霜 勝
039 霜むすぶ秋のすゑ葉のをざさはら風には露のこぼれしものを
暮秋
040 たつた姫いまはのころの秋風にしぐれをいそぐ人の袖かな
落葉
041 ちりはてむ木の葉の音をのこしても色こそなけれ峰の松風
残菊 勝
042 さまざまの花をば菊にわけとめて
籬 にしらぬ霜枯れのころ
枯野 勝
043 見し秋をなににのこさむ草の原ひとつにかはる野べのけしきに
霙 勝
044 風さむみ今日ももみぞれのふるさとは吉野の山の雪げなりけり
野行幸 勝
045 芹河の波もむかしにたちかへりみゆきたえせぬ嵯峨の山風
冬朝
046 雲ふかき峰の朝けのいかならむ槙の戸しらむ雪のひかりに
寒松 勝
047 清水もる谷のとぼそもとぢはてて氷をたたく峰の松風
椎柴 負
048 山里のさびしさ思ふ
煙 ゆゑたえだえたつる峰の椎柴
衾 勝
049 さゆる夜に
鴛鴦 のふすまをかたしきて袖の氷をはらひかねつつ
仏名
050 ひととせのはかなき夢はさめぬらむ
三世 の仏の鐘のひびきに
初恋
051 しらざりしわが恋草やしげるらむ昨日はかかる袖の露かは
忍恋 勝
052 もらすなよ雲ゐる峰のはつしぐれ木の葉は下に色かはるとも
聞恋 勝
053 谷ふかみはるかに人をきくの露ふれぬ袂よなにしをるらむ
見恋 勝
054 忘れずよほのぼの人をみしま江のたそかれなりし蘆のまよひに
尋恋
055 たどりつる道に今宵はふけにけり杉のこずゑに有明の月
祈恋 勝
056 幾夜われ波にしをれてきぶね川袖に玉ちる物思ふらむ
契恋
057 生けらばと誓ふその日もなほ来ずはあたりの雲を我とながめよ
待恋 勝
058 よもぎふのすゑ葉の露のきえかへりなほこの世にと待たむものかは
遇恋
059 からころもかさぬる契りくちずして幾夜の露をうちはらふらむ
別恋 勝
060 忘れじの契りをたのむ別れかな空ゆく月のすゑをかぞへて
顕恋 勝
061 袖の波むねのけぶりはたれも見よ君がうき名のたつぞかなしき
稀恋 負
062 ありしよの袖のうつり香きえはててまた逢ふまでの形見だになし
絶恋 勝
063 やすらひにいでにし人の通ひ路をふるき
野原 とけふは見るかな
怨恋 勝
064 波ぞよるさてもみるめはなきものをうらみなれたる志賀の里人
旧恋 勝
065 すゑまでといひしばかりに浅茅原やどもわが身もくちやはてなむ
暁恋 勝
066 月やそれほの見し人のおもかげをしのびかへせば有明の空
朝恋 負
067 ひとり寝の袖のなごりの朝じめり日かげにきえぬ露もありけり
昼恋 負
068 物思へばひまゆく駒もわすられてくらき涙をまづおさふらむ
夕恋 勝
069 君もまた夕べやわきてながむらむ忘れずはらふ荻の風かな
夜恋 勝
070 見し人のねくたれ髪のおもかげに涙かきやるさ夜のたまくら
老恋 勝
071 君ゆゑにいとふもかなし鐘の声やがて我がよもふけにしものを
幼恋 勝
072 ゆくすゑのふかきえにとぞ契りけるまだむすばれぬ淀の
若菰
遠恋
073 恋しとはたよりにつけていひやりき年はかへりぬ人はかへらず
近恋 負
074 蘆垣のうへ吹きこゆる夕風にかよふもつらき荻の音かな
旅恋 勝
075 枕にもあとにも露の玉ちりて独りおきゐるさ
夜 の中山
寄月恋 勝
076 袖のうへになるるも人の形見かは我とやどせる秋の夜の月
寄雲恋
077 君がりとうきぬる心まよふらむ雲はいくへぞ空の通ひ路
寄風恋 負
078 いつも聞くものとや人の思ふらむ来ぬ夕ぐれの秋風のこゑ
寄雨恋 勝
079 ふかき夜の軒のしづくをかぞへてもなほあまりぬる袖の雨かな
寄煙恋 勝
080 しのびかね心の空にたつけぶり見せばや富士の峰にまがへて
寄山恋 勝
081 末の松まつ夜いくたびすぎぬらむ山こす波を袖にまかせて
寄海恋 勝
082
与謝 の海の沖つしほ風うらにふけまつなりけりと人にきかせむ
寄河恋
083 吉野川はやき流れをせく岩のつれなき中にみをくだくらむ
寄関恋
084 ふるさとに見しおもかげもやどりけり
不破 の関屋の板間もる月
寄橋恋 勝
085 恋ひわたる夜はのさむしろ波かけてかくや待ちけむ宇治の橋姫
寄草恋 負
086 人まちし庭の浅茅生しげりあひて心にならす道芝の露
寄木恋
087 おもひかねうちぬる宵もありなまし吹きだにすさめ庭のまつ風
寄鳥恋 負
088 時しもあれ空とぶ鳥のひとこゑも思ふかたより来てや啼くらむ
寄獣恋
089 このごろの心のそこをよそに見ば鹿なく野べの秋の夕ぐれ
寄虫恋 勝
090 つらからむ中こそあらめ荻原や下まつ虫の声をだにとへ
寄笛恋 勝
091 笛竹の声のかぎりをつくしてもなほ憂きふしやよよにのこらむ
寄琴恋
092 君ゆゑもかなしきことのねはたてつ子をおもふ鶴にかよふのみかは
寄絵恋
093 ます鏡うつしかへけむ姿ゆゑ影たえはてし契りをぞしる
寄衣恋 負勝
094 うちとけてたれに衣をかさぬらむまろがまろ寝も夜ぶかきものを
寄席恋
095 人まつとあれゆく閨のさむしろにはらはぬ塵をはらふ秋風
寄遊女恋 勝
096 たれとなくよせてはかへる波枕うきたる船のあともとどめず
寄傀儡恋
097 ひと夜のみ宿かる人の契りとて露むすびおく草枕かな
寄海人恋 勝
098 潮風のふきこす海人の
苫 びさし下に思ひのくゆるころかな
寄樵夫恋 勝
099 こひぢをば風やはかよふ朝夕に谷の柴舟ゆきかへれども
寄商人恋 負
100 年ふかき入江の秋の月見ても別れ惜しまぬ人やかなしき