定家卿百番自歌合

貞永元年(1232)頃に最終的な完成をみたと思われる藤原定家自撰「百番歌合」全200首(歌のみ)を掲載した。
「百番歌合」の本文は、『中世和歌集 鎌倉篇』(岩波新日本古典文学大系)所収のテキスト(川平ひとし校注)、『新編国歌大観』所収のテキスト(樋口芳麻呂校)、『続群書類従』第四百十三所収のテキストを参考に作成した。
勝負付は、各歌の末尾に「勝」の字を添えて示した。何も記していない番は、すべて「持」(引き分け)である。
読みやすさを考慮して、仮名は適宜漢字に置き換え、また送り仮名をふった。仮名遣いは歴史的仮名遣いに統一した。

     

定家卿百番自歌合

 建保四年二月撰出年来愚詠二百首結番。同五年六月、
 更破此番少々改之。同七年、密密経天覧、申請勅判。

001 春日野にさくや梅が枝雪まより今は春べと若菜つみつつ

002 消えなくに又や深山をうづむらん若菜つむ野も淡雪ぞ降る

003 おほぞらは梅のにほひに霞みつつくもりもはてぬ春の夜の月 

004 こころあてにわくともわかじ梅の花散りかふ里の春の淡雪

005 うちわたす遠方人はこたへねどにほひぞ名のる野辺の梅が枝

006 飛鳥河遠き梅が枝にほふ夜はいたづらにやは春風の吹く

007 花の香のかすめる月にあくがれて夢もさだかに見えぬ頃かな

008 春の夜は月の桂もにほふらん光に梅の色はまがひぬ 

009 外山とてよそにも見えじ春の着る衣かたしき寝ての朝けは

010 春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空

011 里の海人のしほやき衣たちわかれ馴れしも知らぬ春の雁がね

012 花の色に一春まけよ帰る雁今年こしぢの空だのめして

013 桜花咲きにし日より吉野山空もひとつにかをる白雲

014 霞立つ峰の桜のあさぼらけくれなゐくくる天の河浪

015 花の色をそれかとぞ思ふ乙女子が袖振る山の春の曙

016 桜がり霞の下に今日暮れぬ一夜宿かせ春の山もり

017 みよしのは花にうつろふ山なれば春さへ深雪ふる里の空

018 桜色の庭の春風跡もなし問はばぞ人の雪とだに見ん

019 桜花うつろふ春をあまたへて身さへふりぬる浅茅生の宿

020 桜花うつりにけりなとばかりを嘆きもあへずつもる春かな

021 槙の戸は軒端の花のかげなれば床も枕も春の曙

022 花の色のをられぬ水にさす棹の雫もにほふ宇治の河長 

023 名取河春の日数は顕れて花にぞしづむせぜの埋れ木

024 名もしるし峰のあらしも雪とふる山桜戸のあけぼのの空

025 花の香も風こそ四方にさそふらめ心もしらぬ故郷の春

026 今日こずは庭にや春ののこらまし梢うつろふ花の下風 

027 網代木に桜こきまぜ行く春のいさよふ浪をえやはとどむる

028 あはれいかに霞も花もなれなれて雲しく谷に帰る鶯

029 桜色の袖もひとへにかはるまでうつりにけりな過ぐる月日は

030 ふみしだく安積の沼の夏草にかつみだれそふしのぶもぢずり 

031 たがためになくや五月の夕とて山郭公なほ待たるらむ

032 五月雨の月はつれなきみ山より独りもいづる郭公かな

033 いたづらに雲ゐる山の松の葉の時ぞともなき五月雨の空

034 山里の軒端の梢雲こえてあまりな閉ぢそ五月雨の空 

035 玉鉾の道行き人のことづても絶えてほどふる五月雨の空

036 なきぬなり木綿付け鳥のしだり尾のおのれにも似ぬ夜半のみじかさ

037 片糸をよるよる峰にともす火にあはずは鹿の身をもかへじを

038 ひさかたの中なる河のうかひ舟いかに契りてやみを待つらん 

039 蘆の屋のかりねの床のふしのまにみじかく明くる夏の夜な夜な 

040 うちなびくしげみが下のさゆり葉のしられぬほどにかよふ秋風

041 いまはとて有明のかげの槙の戸にさすがに惜しき水無月の空

042 飛鳥河ゆくせの浪にみそぎしてはやくぞ年の半ば過ぎぬる

043 秋とだに吹きあへぬ風に色かはる生田の杜の露の下草 

044 須磨の海人のなれにし袖もしほたれぬ関吹きこゆる秋の浦風

045 なほざりの小野の浅茅に置く露も草葉にあまる秋の夕暮

046 浅茅生の小野の篠原うちなびき遠方人に秋風ぞ吹く

047 うつりあへぬ花の千草にみだれつつ風の上なる宮城野の露

048 散らば散れ露分けゆかん萩原やぬれての後の花の形見に

049 しのべとやしらぬ昔の秋をへておなじ形見に残る月影 

050 秋をへて昔は遠き大空に我が身ひとつのもとの月影

051 天の原おもへばかはる色もなし秋こそ月の光なりけれ 

052 いかにせむさらでうき世はなぐさまずたのみし月も涙おちけり

053 ながめつつおもひしことの数々に空しき空の秋の夜の月

054 むかしだに猶故郷の秋の月しらず光の幾めぐりとも

055 明けば又秋の半ばも過ぎぬべしかたぶく月の惜しきのみかは 

056 幾里か露けきのべに宿かりし光ともなふ望月の駒

057 高砂の尾上の鹿の声たてし風よりかはる月の影かな

058 露さえて寝ぬ夜の月やつもるらんあらぬ浅茅の今朝の色かな 

059 独りぬる山鳥の尾のしだり尾に霜置きまよふ床の月影

060 下荻もおきふし待ちの月の色に身を吹きしをる床の秋風

061 白妙の衣しで打つひびきより置きまよふ霜の色にいづらむ

062 秋とだにわすれむとおもふ月影をさもあやにくに打つ衣かな 

063 山賤の身のためにうつ衣ゆゑ秋の哀れを手にまかすらむ 

064 川風に夜わたる月のさむければ八十氏人も衣うつなり

065 秋風にそよぐ田の面のいねがてにまつ明け方の初雁の声

066 伊駒山あらしも秋の色に吹く手染めの糸のよるぞかなしき 

067 高砂の外にも秋はあるものを我が夕暮と鹿は鳴くなり 

068 思ひあへず秋ないそぎそさ牡鹿のつまどふ山の小田の初霜

069 さを鹿のふすや草むらうらがれて下もあらはに秋風ぞ吹く

070 夕づく日むかひの岡の薄紅葉まだきさびしき秋の色かな

071 時雨つつ袖だにほさぬ秋の日にさこそ三室の山はそむらめ 

072 久方の月の桂の下紅葉宿かる袖ぞ色にいでゆく

073 契りありてうつろはむとや白菊の紅葉の下の花に咲きけん

074 夕づく日うつる木の葉や時雨にしさざ浪そむる秋の浦風

075 長月の月の有明の時雨ゆゑ明日の紅葉の色もうらめし

076 時わかぬ浪さへ色に泉河柞の杜にあらし吹くらし 

077 あさなあさなあへず散りしく葛の葉に置きそふ霜の秋ぞすくなき

078 秋はいぬ夕日がくれの峰の松四方の木の葉の後もあひ見ん 

079 ただ今の野原をおのがものと見てこころづよくも帰る秋かな

080 冬はただ飛鳥の里の旅枕おきてやいなむ秋の白露

081 冬きては一夜二夜を玉ざさの葉分けの霜の所せきまで

082 晴れ曇るおなじ眺めのたのみだに時雨に絶ゆる遠の旅人

083 神無月くれやすき日の色なれば霜の下葉に風もたまらず

084 花すすき草のたもとも朽ちはてぬ馴れて別れし秋を恋ふとて 

085 朝夕の音は時雨の楢柴にいつ降りかはる霰なるらん 

086 霰降るしづが笹屋のそよさらに一夜ばかりの夢をやは見る

087 信楽の外山の霰ふりすさみ荒れゆく冬の雲の色かな 

088 山賤の朝けのこやに焚く柴のしばしと見れば暮るる空かな

089 旅寝する夢路はたえぬ須磨の関通ふちどりの暁の声

090 鳴くちどり袖の湊を訪ひこかし唐舟もよるの寝ざめに 

091 浦風やとはに浪こす浜松のねにあらはれて鳴くちどりかな 

092 志賀の浦や氷も幾重ゐるたづの霜の上毛に雪は降りつつ

093 駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮

094 待つ人の麓の道やたえぬらん軒端の杉に雪おもるなり

095 雪折の竹の下道跡もなし荒れにしのちの深草の里

096 大伴の御津の浜風吹きはらへ松とも見えじうづむ白雪

097 神さびていはふ御室の年ふりて猶木綿かくる松の白雪

098 ながめやる衣手さむく降る雪に夕闇しらぬ山の端の月

099 小泊瀬や峰のときは木吹きしをり嵐にくもる雪の山本 

100 白妙にたなびく雲を吹きまぜて雪に天霧る峰の松風

101 なびかじな海人の藻塩火たきそめて煙は空にくゆりわぶとも

102 しられじな千入の木の葉こがるとも時雨るる雲に色し見えねば

103 松が根をいそべの浪のうつたへに顕れぬべき袖の上かな 

104 初雁のとわたる風のたよりにもあらぬ思ひを誰につたへん

105 久方のあまてる神のゆふかづらかけて幾世を恋ひわたるらん

106 露時雨下草かけてもる山の色かずならぬ袖を見せばや

107 名取河いかにせむともまだ知らず思へば人を恨みつるかな 

108 あひ見てののちの心を先づ知ればつれなしとだにえこそ恨みね

109 年もへぬ祈る契りは初瀬山をのへの鐘のよその夕暮 

110 おもかげは教へし宿にさきだちて答へぬ風の松に吹く声

111 世とともに吹上の浜のしほ風になびく真砂のくだけてぞ思ふ

112 住の江の松のねたくや寄る浪のよるとはなげき夢をだに見で

113 暮るる夜は衛士のたく火をそれと見よ室の八島も都ならねば

114 蘆の屋に蛍やまがふ海人やたく思ひも恋も夜はもえつつ

115 うへしげる垣根がくれの小笹原しられぬ恋はうきふしもなし 

116 夜な夜なの月も涙にくもりにき影だに見せぬ人を恋ふとて

117 我が袖にむなしき浪はかけそめつ契りも知らぬ床の浦風

118 白玉の緒断の橋の名もつらしくだけて落つる袖の涙に

119 恋ひ死なぬ身のおこたりぞ年へぬるあらば逢ふ世の心づよさに

120 あふことはしのぶの衣あはれなど稀なる色に乱れそめけん

121 今のまの我が身にかぎる鳥のねを誰うきものと帰りそめけん

122 忘れずは馴れし袖もや氷るらん寝ぬ夜の床の霜の狭筵

123 忘れじの契りうらむる故郷の心もしらぬ松虫の声

124 こぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くやもしほの身もこがれつつ

125 たれもこのあはれみじかき玉の緒に乱れてものを思はずもがな

126 いかがせむありし別れを限りにて此の世ながらの心かはらば

127 うつろはむ色をかぎりに三室山時雨もしらぬ世を頼むかな

128 消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの杜の下露

129 あぢきなく辛きあらしの声も憂しなど夕暮に待ちならひけん

130 帰るさのものとや人のながむらん待つ夜ながらの有明の月

131 おもかげは馴れしながらの身にそひてあらぬ心の誰契るらん

132 心をばつらきものとて別れにし世々のおもかげ何したふらん 

133 思ひいでよ誰がきぬぎぬの暁も我がまたしのぶ月ぞ見ゆらん 

134 久方の月ぞかはらで待たれける人には言ひし山の端の空

135 夜もすがら月に憂へてねをぞ泣く命に向かふ物思ふとて 

136 待つ人のこぬ夜のかげに面なれて山の端出づる月もうらめし

137 やどりせし借庵の萩の露ばかり消えなで袖の色に恋ひつつ

138 契りおきし末のはら野のもと柏それともしらじよその霜枯 

139 あふことのまれなる色やあらはれん洩り出でて染むる袖の涙に

140 なく涙やしほの衣それながら馴れずは何の色かしのばむ 

141 かれぬるはさぞな例とながめても慰さまなくに霜の下草

142 秋の色にさても枯れなで蘆辺こぐ棚なし小舟我ぞつれなき 

143 せめておもふ今一度のあふことは渡らん河や契りなるべき

144 かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ

145 さぞなげく恋をするがの宇津の山うつつの夢のまたし見えねば

146 浜木綿やかさなる山の幾重ともいさしら雲のそこの面影

147 むせぶとも知らじな心かはら屋に我のみ消たぬ下の煙は 

148 松山とちぎりし人はつれなくて袖越す浪にやどる月影

149 たのめおきし後瀬の山の一ことや恋を祈りの命なりける

150 形見こそあだの大野の萩の露うつろふ色はいふかひもなし

151 袖の浦かりにやどりし月草のぬれてののちを猶やたのまん 

152 はるかなる人の心の唐土はさわぐ湊にことづてもなし

153 忘れ貝それも思ひのたね絶えて人をみぬめのうらみてぞ寝る

154 忘られぬ真間の継橋おもひ寝に通ひし方は夢に見えつつ 

155 たづね見るつらき心の奥の海よ潮干のかたのいふかひもなし

156 あだなみの高師の浜の磯馴れ松馴れずはかけて我恋ひめやも

157 心からあくがれそめし花の香になほ物思ふ春の曙

158 白妙の袖の別れに露落ちて身に染む色の秋風ぞ吹く 

159 須磨の海人の袖に吹き越す塩風の馴るとはすれど手にもたまらず

160 やすらひに出でける方も白鳥の飛羽山松のねにのみぞ泣く

161 おほかたの月もつれなき鐘のおとに猶うらめしき有明の空

162 下もゆるなげきの煙空に見よ今も野山の秋の夕暮 

163 いく世へぬかざし折りけんいにしへに三輪の檜原の苔の通ひ路

164 見ずしらずうづもれぬ名の跡やこれたなびき渡る夕暮の雲

165 出でてこし道の笹原しげりあひて誰ながむらん故郷の月

166 わくらばに問はれし人も昔にてそれより庭の跡は絶えにき

167 藻塩汲む袖の月影おのづからよそに明かさぬ須磨の浦人 

168 虫明の松と知らせよ袖の上にしぼりしままの波の月影

169 忘るなよ宿るたもとは変るとも形見にしぼる袖の月影 

170 わかれても心へだつな旅衣幾重かさなる山路なりとも

171 忘れなむ松とな告げそ中々に因幡の山の峰の秋風

172 いづくにか今宵は宿をかり衣日もゆふぐれの峰の嵐に

173 こととへよ思ひ興津の浜千鳥なくなく出でし跡の月影

174 関の戸をさそひし人は出でやらで有明の月のさやの中山

175 都出でて朝たつ山の手向より露置きとめぬ秋風ぞ吹く

176 旅人の袖吹きかへす秋風に夕日さびしき山の 梯

177 世の中を思ふ軒端の忍ぶ草いく代の宿と荒れかはてなん

178 たまゆらの露も涙もとどまらず亡き人こふる宿の秋風

179 見し人のなき数まさる秋の暮わかれ馴れたる心地こそせね

180 たのまれぬ夢てふもののうき世には恋しき人のえやは見えける

181 あらし吹く月の主は我ひとり花こそ宿と人も尋ぬれ

182 憂きよりは住みよかりけりとばかりよ跡なき霜に杉たてる庭

183 和歌の浦や凪ぎたる朝のみをつくし朽ちねかひなき名だに残らで

184 思ひかね我が夕暮の秋の日に三笠の山はさし離れにき 

185 なきかげの親のいさめは背きにき子を思ふ道の心よわさに 

186 つひに又いかにうき名のとどまらむ心ひとつの世をば慙づれど

187 君が世にあはずは何を玉の緒のながくとまでは惜しまれじ身を

188 思ふことむなしき夢の中空に絶ゆとも絶ゆなつらき玉の緒 

189 踏みまよふ山梨の花道たえて行くさき深き八重の白雲

190 はし鷹のとかへる山路越えかねてつれなき色の限りをぞ見る 

191 海渡る浦こぐ舟のいたづらに磯路を過ぎてぬれし浪かな

192 荒れまくや伏見の里の出でがてに憂きを知らでぞ今日にあひぬる

193 大井河まれの御幸に年へぬる紅葉の船路跡はありけり

194 たらちめや又もろこしに松浦舟今年も暮れぬ心づくしに 

195 をさまれる民のつかさの調物ふたたび聴くも命なりけり

196 百敷の外の重を出づる宵々は待たぬに向かふ山の端の月 

197 我が道をまもらば君をまもるらんよはひはゆづれ住吉の松

198 契りありて今日宮河のゆふかづら永き世までにかけてたのまむ

199 我が君の常盤のかげは秋もあらじ月の桂の千世にあふとも

200 散りもせじ衣にすれるささ竹の大宮人のかざす桜は

 以定家卿自筆之本写之
  天正二年正月廿九日
 以勅本校合之畢
  元和四年夷則初六日

                      百番歌合をはり


再公開日:平成22年11月29日
最終更新日:平成22年11月29日