源頼実 みなもとのよりざね 長和四〜寛徳一(1015-1044)

清和源氏。頼光の孫。正四位下美濃守頼国の息子。母は藤原信理の娘。頼家の甥。弟の頼綱・国房・師光(宮内卿の父とは別人)も勅撰歌人。六条院宣旨は妹か(尊卑分脈一本)。
長久四年(1043)、蔵人に補せられる。従五位下左衛門尉に至る。
藤原範永平棟仲源兼長・藤原経衡・源頼家ら家司・受領層歌人から成る和歌六人党の一人。源師房の土御門邸にも出入りし、長暦二年(1038)・長久二年(1041)の師房主催歌合に出詠している。住吉に参詣して秀歌一首と引き換えに命を差し出す祈請をしたなど、歌道執心の逸話を残す(袋草紙)。寛徳元年(1044)六月七日、三十歳で夭折した。家集『頼実集』(『故侍中佐金吾集』とも)がある。後拾遺集初出。

稲荷の社ちかき所にて、夕郭公といふことを人々よみ侍りける時

稲荷山こえてや来つる時鳥ゆふかけてのみ声のきこゆる(玉葉328)

【通釈】稲荷山を越えて来たのだろうか、ほととぎすは、夕方にばかり声が聞える。

【語釈】◇稲荷の社 京都市伏見区の伏見稲荷大社。◇ゆふかけて 木綿かけて・夕かけての掛詞。

秋風

吉野山もみぢ散るらし我が宿の木ずゑゆるぎて秋風のふく(頼実集)

【通釈】吉野山の方では紅葉が散っていることだろう。我が家の庭の梢を揺るがして、秋風が吹く。

【補記】山深い吉野では、里に比べ秋の深まりが早いと考えられた。夫木抄では結句「秋風ぞふく」。

落葉如雨といふことをよめる

木の葉ちる宿はききわくかたぞなき時雨する夜も時雨せぬ夜も(後拾遺382)

【通釈】風が吹くたびに、屋根に木の葉の散る音がする。まるで通り雨の音のようだ。この家では、聞き分けるすべもないな。時雨が降る夜も、降らない夜も。

【補記】『袋草紙』によれば、この歌は西宮広田社で詠まれたが、当座は誰も驚かなかった。後日、頼実がいつものように住吉に参詣して秀歌を得ることを祈請したところ、夢に神が示現して「もう秀歌は詠み終えた。あの落葉の歌がそうではないか」とお告げがあった。その後、この歌は秀歌の誉れを恣(ほしいまま)にした、という。なお、第三句を「ことぞなき」とする本もある。

【他出】故侍中左金吾家集、新撰朗詠集、和歌一字抄、袋草紙、今鏡、古来風躰抄、無名抄、西行上人談抄、六華集、題林愚抄、兼載雑談

【主な派生歌】
しぐるるも音はかはらぬ板間より木の葉は月のもるにぞありける(藤原定家)
時雨かときけば木の葉のふるものをそれとも濡るる我が袂かな(藤原資隆[新古])


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成22年06月24日