手持女王 たもちのおおきみ 生没年未詳

伝未詳。持統八年(694)以後、豊前国に葬られた河内王の挽歌を詠んでいる。河内王の妻かともいう(萬葉代匠記)。

河内(かふちの)(おほきみ)豊前(とよのみちのくち)の国の鏡山に(はふ)れる時、手持女王の作る歌三首

(おほきみ)親魄(にきたま)あへや豊国の鏡の山を宮と定むる(万3-417)

【通釈】河内王の親魂はこの地をよしとされたのか、豊国の鏡の山を永遠の宮とお決めになった。

【語釈】◇河内王 持統天皇三年(689)八月、筑紫大宰帥に任命され、持統八年にも大宰帥として筑紫にいたことが書紀から確認できる。帥として筑紫に死去し、豊前国に葬られたものらしい。◇親魄(にきたま)あへや 親魄はムツタマとも訓める。荒魂の対語で、現世に対し和み親しんでいる魂。「あへ」は、亡き王の魂が土地の霊と相適った、その土地を吉しとした、といった意味か。◇鏡の山 福岡県田川郡香春(かわら)町鏡山にある小山という。

 

豊国の鏡の山の石戸(いはと)たて(こも)りにけらし待てど来まさず(万3-418)

【通釈】豊国の鏡の山の岩の戸を閉じて、お籠もりになったらしい。いくら待ってもいらっしゃらない。

【語釈】◇石戸たて 「石戸」は墓の入口を塞ぐ岩。「たて」は「閉じて」の意。

 

石戸(いはと)()手力(たぢから)もがも手弱(たよわ)(をみな)にしあればすべの知らなく(万3-419)

【通釈】岩の戸をこわす程の腕の力がほしい。弱い女なので、どうすればよいのか分からない。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日