正親町忠季 おおぎまちただすえ 元亨二〜貞治五(1322-1366)

父は正親町公蔭、母は北条(赤橋)久時女。徽安門院一条の兄弟。正親町実明女の甥。子に権中納言実綱ほか。
光厳院近臣。左近少将・左近中将・蔵人頭などを歴任し、康永元年(1342)十二月、参議に任ぜられる。康永二年(1343)四月、従三位に叙せられる。貞和三年(1347)九月、権中納言。同年十一月、右衛門督を兼ねる。延文二年(1357)四月、権大納言に任ぜられる。貞治二年(1363)正月、同職を辞退。同五年二月二十二日、四十五歳で「頓死」(公卿補任)。琵琶・和琴をよくしたという。
後期京極派歌人。康永二年(1343)冬以前の「院六首歌合」、貞和五年(1349)八月九日の「光厳院三十六番歌合」に出詠。貞和百首・延文百首の作者。風雅集初出(九首)。勅撰入集は十九首。

百首歌たてまつりし時

夕月夜(ゆふづくよ)かげろふ窓はすずしくて軒のあやめに風わたるみゆ(風雅348)

【通釈】夕月がほの白く照らす窓のあたりは涼しくて、軒に挿した菖蒲草を揺らして風が渡ってゆくのが見える。

【補記】夏歌。「軒のあやめ」は、五月の節句に家の軒にさして邪気を払ったショウブ草のこと。花の美しいアヤメ・ハナショウブではなく、葉に芳香のある(今も菖蒲湯に使う)サトイモ科のショウブである。貞和百首。

【参考歌】二条院讃岐「玉葉集」
あやめふく軒ば涼しき夕風に山ほととぎすちかくなくなり

題しらず

有明の月と霜との色のうちにおぼえず空もしらみそめぬる(風雅785)

【通釈】有明の月の光と、地を覆う霜と――同じ一つの色にあたりは包まれて、それと気づかぬまま空も白み始めたことだ。

【補記】冬歌。

【参考歌】伏見院「御集」
庭のおもは霜の色よりしらみそめてうすくきえゆく有明のかげ

恋歌に

かくてしも思ひやよわるとばかりにうきがうれしき方もありけり(風雅1308)

【通釈】これほどまでに冷たくされれば、私の恋心も弱まるだろうか――そう思うばかりに、恋人の冷淡さが或る意味嬉しくもあるのだよ。

【参考歌】西行「異本山家集」
よしの山花をのどかに見ましやはうきがうれしき我が身なりけり
  藤原為氏「新後撰集」
よしさらばただ中々につれなかれうきにまけてや思ひよわると


最終更新日:平成15年05月24日