洞院実泰 とういんさねやす 文永七〜嘉暦二(1270-1327) 通称:後山本左大臣・洞院左大臣

西園寺公経の曾孫。実雄の孫。太政大臣公守の子。太政大臣公賢・権大納言公敏・同公泰・大納言実守ほかの父。中納言公雄女従二位季子(後二条天皇乳母)を妻とした。
文永七年(1270)、叙爵。左少将・左中将等を歴任し、後宇多天皇の弘安七年(1284)正月、従三位。同九年二月、参議。皇位が持明院統に移った後も昇進に滞りなく、伏見天皇の正応元年(1288)七月、権中納言。同三年、中納言に転じ、同五年五月、権大納言。春宮権大夫・按察使などを兼任し、花園天皇の延慶二年(1309)十月、大納言に転ず。その後右大将・左大将を兼ねるなどし、正和四年(1315)三月、内大臣に任ぜられる。同五年十月、右大臣。文保元年(1317)六月、従一位。同二年八月、左大臣に進む。後醍醐天皇の元亨二年(1322)、一旦大臣職を辞任後、同三年に還任。元亨四年(1324)四月、再度辞職。その後出家した。法名は寂元。
嘉元百首・文保百首の作者。永仁元年(1293)八月十五夜伏見天皇内裏御会に出詠。新後撰集初出。勅撰入集は計五十三首。『徒然草』八十三段に逸話が見える。

雨そそく園のくれ竹枝たれてゆふべしづかにうぐひすぞ鳴く(嘉元百首)

【通釈】雨が降りかかる庭園の呉竹はしっとりと濡れて枝を垂れ、春の夕暮、静かに鶯が鳴いている。

【補記】嘉元元年(1303)、新後撰集撰進のため後宇多院が召した百首歌。玉葉集春上に第四句「ゆふべのどかに」として入集。

【参考歌】西行「山家集」「玉葉集」
雪うづむ園のくれ竹をれふしてねぐらもとむる群雀かな

あかず見し昨日の雨の露そへてけささく花の一しほの色(嘉元百首)

【通釈】昨日、雨の中飽きることなく桜を眺めていたが――その露を添えて、今朝咲いた花のひとしお美しい色よ。

暁はひかりぞまさる入がたの月にみがける峰のしら雪(文保百首)

【通釈】暁は光がいっそう栄(は)える。沈もうとする月に磨かれたように峰の雪が冴え冴えと輝いて。

【補記】続千載集編纂のため、文保二年(1318)頃に後宇多院が再度召した百首歌。

【参考歌】藤原俊成「新古今集」
雪ふれば峰のまさかきうづもれて月にみがける天のかぐ山
  洞院公敏「新千載集」
花をみし面かげさらで吉野山月にみがける峰のしら雪

初遇恋の心を

恋ひ恋ひてあひみる夜はのうれしきに日ごろのうさは言はじとぞ思ふ(玉葉1429)

【通釈】恋しい思いをし続け、やっと逢えた夜の嬉しさに、日頃の積もった恨みは言うまいと思う。

【参考歌】章義門院「風雅集」
むかふ中のつらくしもなき気色にぞ日ごろのうさも言はずなりぬる


最終更新日:平成15年03月01日