西行 さいぎょう 元永一〜建久一(1118〜1190)

※工事中未校正

元永元年(1118)、生まれる。俗名は佐藤義清(のりきよ)。父は左衛門尉佐藤康清、母は源清経女。弟に仲清がいる(『尊卑分脈』では兄とある)。
保延元年(1135)、18歳で兵衛尉に任ぜられ、二年後、鳥羽院北面として安楽寿院御幸に随う。
保延四年、23歳で出家。法名は円位。鞍馬・嵯峨など京周辺に庵を結ぶ。
天養元年(1144)頃、陸奥・出羽旅行。各地の歌枕を訪れ、歌を詠む。
久安五年(1145)頃、高野山に入る。
仁安三年(1168)、中国・四国を旅行。讃岐で崇徳院を慰霊する。善通寺に庵居。
治承元年(1177)、源平争乱のさなか、高野山を出て伊勢に移住。二見浦の山中に庵居。
文治二年(1186)、東大寺再建をめざす重源より砂金勧進を依頼され、再び東国へ旅立つ。途中、鎌倉で源頼朝と会見。
翌年、自歌合『御裳濯河歌合』を完成、判詞は藤原俊成。伊勢内宮に奉納する。同じく『宮河歌合』を編み、藤原定家に判詞を依頼する。同歌合は文治五年に完成し、外宮に奉納される。この頃、河内の弘川寺に草庵を結び、翌建久元年(1190)二月十六日、同寺にて入寂。七十三歳。かつて「願はくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」と詠んだ願望をそのまま実現するかの如き大往生であった。
家集『山家集』があり、また自撰歌集『山家心中集』がある。勅撰集では『詞花和歌集』に1首入集したのを始めとして、二十一代集に計265首を選ばれている。また西行にまつわる伝説を集めた説話集として『撰集抄』『西行物語』などがある。

西行の自撰歌集『山家心中集』を中心に、山家集・聞書集・勅撰集入集歌などから抜萃した歌を併せ、百首を選んだ。部類は『山家心中集』を踏襲した。勅撰集入集歌には、勅撰集名と新編国歌大観番号を[]内に示した。
 
14首  10首  15首 雑上 12首
2首  8首  7首  4首 雑下 16首
聞書集より 12首 計100首

なにとなく春になりぬときく日より心にかかるみよしのの山

よしの山さくらが枝に雪ちりて花おそげなる年にもあるかな[新古8]

吉野山こずゑの花をみし日より心は身にもそはずなりにき[続後拾遺101]

おしなべて花のさかりになりにけり山のはごとにかかるしら雲[千載69]

あくがるる心はさても山ざくらちりなんのちや身にかへるべき[新後撰91]

花みればそのいはれとはなけれども心のうちぞくるしかりける

花にそむ心のいかでのこりけん捨てはててきと思ふわが身に[千載1066]

ほとけにはさくらの花をたてまつれ我がのちの世を人とぶらはば[千載1067]

よしの山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづねん[新古86]

風にちる花のゆくへはしらねどもをしむ心は身にとまりけり

もろともに我をもぐしてちりね花うき世をいとふ心ある身ぞ

思へただ花のちりなん木のもとをなにを蔭にて我が身すぐさん

ながむとて花にもいたくなれぬれば散る別れこそかなしかりけれ[新古126]

いかでわれこの世のほかの思ひいでに風をいとはで花をながめん

うちつけにまた来む秋のこよひまで月ゆゑをしくなる命かな

はりまがた灘のみ沖にこぎいでてあたり思はぬ月をながめん

人も見ぬよしなき山のすゑまでもすむらん月のかげをこそ思へ[玉葉687]

身にしみてあはれしらする風よりも月にぞ秋の色はありける

月を見て心うかれしいにしへの秋にもさらにめぐりあひぬる[新古1532]

ゆくへなく月に心のすみすみて果てはいかにかならんとすらん

いとふ世も月すむ秋になりぬれば永らへずはと思ひなるかな

なにごともかはりのみゆく世の中におなじかげにてすめる月かな[続拾遺595]

世の中のうきをもしらですむ月のかげは我が身の心ちこそすれ[玉葉2494]

さびしさは秋見し空にかはりけり枯野をてらす有明の月

弓はりの月にはづれて見しかげのやさしかりしはいつか忘れん

しらざりき雲井のよそに見し月のかげを袂にやどすべしとは[千載875]

あはれとも見る人あらば思はなん月のおもてにやどす心を[玉葉1484]

葉がくれにちりとどまれる花のみぞしのびし人に逢ふ心ちする

なげけとて月やはものを思はするかこちがほなる我が涙かな[千載929]

よしさらば涙の池に身をなして心のままに月をやどさん

数ならぬ心のとがになしはてじしらせてこそは身をもうらみめ[新古1100]

あふまでの命もがなと思ひしはくやしかりける我が心かな[新古1155]

夏草のしげりのみゆく思ひかな待たるる秋のあはれしられて

けふぞしる思ひいでよとちぎりしは忘れんとての情けなりけり

いかにせんその五月雨のなごりよりやがてをやまぬ袖のしづくを

人はこで風のけしきのふけぬるにあはれに雁のおとづれて行く[新古1200]

さまざまに思ひみだるる心をば君がもとにぞつかねあつむる

人はうし嘆きはつゆもなぐさまずさはこはいかにすべき心ぞ

あふと見しその夜の夢のさめであれな長きねぶりはうかるべけれど[千載876]

あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ来む世もかくや苦しかるべき

雑 上

はらはらと落つる涙ぞあはれなるたまらずものの悲しかるべし

吉野山やがて出でじと思ふ身を花ちりなばと人やまつらん[新古1619]

ふる畑のそはの立つ木にゐる鳩の友よぶ声のすごき夕暮[新古1676]

またれつる入相の鐘のおとすなり明日もやあらばきかんとすらん[新古1808]

入日さす山のあなたはしらねども心をかねておくりおきつる

しばの庵はすみうきこともあらましをともなふ月の影なかりせば

わづらはで月には夜もかよひけり隣へつたふ畔のほそ道

すぎてゆく羽風なつかし鶯よなづさひけりな梅の立枝に

はつ花のひらけはじむる梢よりそばへて風のわたるなるかな

空はれて雲なりけりなよしの山花もてわたる風と見たれば

世の中を思へばなべて散る花の我が身をさてもいづちかもせむ[新古1471]

花ちらで月はくもらぬ世なりせばものを思はぬ我が身ならまし[風雅1857]

山の花を尋ねて見る、といふことを

吉野山雲をはかりに尋ねいりて心にかけし花をみるかな

古木の桜ばな、所々咲きたるを見て

わきて見ん老木は花もあはれなり今いくたびか春に逢ふべき[続古今1520]

秋風

あはれいかに草葉の露のこぼるらん秋風立ちぬ宮城野の原[新古300]

虫の歌よみはべりけるに

きりぎりす夜さむに秋のなるままによわるかこゑの遠ざかりゆく[新古472]

月の前に遠く望む、といふことを

くまもなき月のひかりにさそはれて幾雲ゐまでゆく心ぞも

題しらず

白雲をつばさにかけてゆく雁の門田のおもの友したふなる[新古502]

秋の歌よみ侍りしに

山ざとは秋のすゑにぞ思ひしるかなしかりけり木がらしの風[新勅撰338]

ものへ罷りし道にて

こころなき身にもあはれはしられけり鴫たつ沢の秋の夕暮[新古362]

秋のくれに

なにとかく心をさへは尽くすらん我がなげきにて暮るる秋かは

卯月のついたちになりて、散りて後花を思ふ、といふことを人々よみはべりしに

青葉さへみれば心のとまるかな散りにし花のなごりと思へば

雨のうちのほととぎす

さみだれの晴れまもみえぬ雲路より山ほととぎす鳴きてすぐなり

泉に対ひて月を見る、といふことを

むすぶ手にすずしき影をそふるかな清水にやどる夏の夜の月

旅の道に草深し、といふことを

旅人のわくる夏野の草しげみ葉ずゑに菅のを笠はづれて

行旅夏といふことを

雲雀あがるおほ野の茅原夏くればすずむ木かげをねがひてぞ行く

題しらず

道のべの清水ながるる柳蔭しばしとてこそ立ちとまりつれ[新古262]

よられつる野もせの草のかげろひて涼しくくもる夕立の空[新古263]

題しらず

津の国の難波の春は夢なれや葦のかれ葉に風わたるなり[新古625]

【通釈】かつて見た難波の春は夢だというのか。冬になった今、葦の枯葉に風が吹き渡る音がする。

【補記】「津の国の」は難波の枕詞風に添えた語。「わたるなり」の「なり」は伝聞推定の助動詞。葦の枯葉がそよぐ音によって風が渡ってゆくのだと推量判断していることを表わす。

冬の歌よみける中に

さびしさにたへたる人の又もあれないほりならべん冬の山ざと[新古627]

世遁れてひむがし山に侍りしに、人々まできて、歳の暮に寄せて思ひを述べしに

年くれしそのいとなみは忘られてあらぬ様なるいそぎをぞする[玉葉2060]

歳の暮に、高野より宮こなる人に申しつかはし侍りし

おしなべておなじ月日の過ぎゆけば都もかくや年は暮れぬる

雑 下

鳥羽院に、出家のいとま申すとてよめる

をしむとてをしまれぬべきこの世かは身をすててこそ身をもたすけめ[玉葉2467]

世にあらじと思ひたちけるころ、東山にて、人々寄霞述懐と云ふ事をよめる

そらになる心は春のかすみにて世にあらじともおもひたつかな

ふるさとのこころを

月すみし宿も昔の宿ならで我が身もあらぬ我が身なりけり

題しらず

世をすつる人はまことにすつるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけれ[詞花372]

あづまのかたへ修行し侍りけるに、ふじの山をよめる

風になびく富士の煙の空にきえてゆくへもしらぬ我が心かな(新古1613)

深仙にて月を

ふかき山の峰にすみける月見ずは思ひでもなき我が身ならまし

楊梅の春の匂ひはへんきちの功徳なり、紫蘭の秋の色は普賢菩薩のしんさうなり

野辺の色も春のにほひもおしなべて心そめたるさとりにぞなる

法華経序品

ちりまがふ花のにほひをさきだてて光を法の筵にぞしく[風雅2043]

観心を

やみはれて心の空にすむ月は西の山辺やちかくなるらん[新古1978]

無常歌あまたよみ侍りし中に

世の中を夢とみるみるはかなくも猶おどろかぬ我が心かな

無常

うらうらと死なんずるなと思ひとけば心のやがてさぞとこたふる

【通釈】よくよく考えて、のどやかに死ぬのが良いなと思い至れば、心がただちにその通りと答えるのだ。

【語釈】◇思ひとけば 「思ひ解く」は、考えて理解する、考えて答えを出す、などの意。

高野山を住みうかれてのち、伊勢国二見浦の山寺に侍りけるに、太神宮の御山をば神路山と申す、大日の垂跡をおもひて、よみ侍りける

ふかく入りて神路のおくを尋ぬればまた上もなき峰の松かぜ[千載1278]

神路山にて

神路山月さやかなるちかひありて天の下をばてらすなりけり[新古1878]

伊勢の月よみの社に参りて、月を見てよめる

さやかなる鷲の高ねの雲ゐより影やはらぐる月よみの森[新古1879]

いほりのまへに、松のたてりけるをみて

ここをまた我すみうくてうかれなば松はひとりにならんとすらん

あづまの方へ、相知りたる人のもとへまかりにけるに、さやの中山見しことの、昔になりたりける、思ひ出でられて

年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山[新古987]

【通釈】年も盛りを過ぎて、再び越えることになろうと思っただろうか。これが運命だったのだ、小夜の中山よ。

【語釈】◇さやの中山 遠江国の歌枕。静岡県掛川市日坂と金谷町菊川の間、急崚な坂にはさまれた尾根づたいの峠で、街道の難所の一つ。

―聞書集より―

嵯峨に棲みけるに、たはぶれ歌とて人々よみけるを

うなゐ子がすさみにならす麦笛のこゑにおどろく夏のひるぶし

むかしかな炒粉かけとかせしことよあこめの袖に玉だすきして

竹むまを杖にも今日はたのむかなわらは遊びを思ひ出でつつ

昔せしかくれ遊びになりなばや片すみもとによりふせりつつ

篠ためて雀弓はるをのわらはひたひ烏帽子のほしげなるかな

我もさぞ庭のいさごの土あそびさて生ひたてる身にこそありけれ

いたきかなしやうぶかぶりのちまき馬はうなゐわらはのしわざとおぼえて

こひしきをたはぶれられしそのかみのいはけなかりしをりの心は

地獄絵を見て

なによりは舌ぬく苦こそかなしけれ思ふことをも言はせじの(はた)

黒き(ほむら)の中に、男女もえけるところを

なべてなき黒きほむらのくるしみは夜のおもひのむくいなるべし

塵灰にくだけはてなばさてもあらでよみがへらする言の葉ぞうき

あはれみし乳房のことも忘れけり我がかなしみの苦のみおぼえて


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成19年01月27日