隆源 りゅうげん 生没年未詳 号:若狭阿闍梨

摂政太政大臣実頼の裔。若狭守藤原通宗の二男。通俊は叔父にあたり、藤原顕季の妻(長実の母)・実季の妻(公実の母)はおばにあたる。出家して比叡山に入る。後拾遺集の編纂で叔父通俊を助け、また奏覧本を清書したという(袋草紙)。
応徳三年(1086)の「若狭守通宗女子達歌合」、康和二年(1100)の「宰相中将国信歌合」、同年の「備中守仲実女子根合」などに出詠。また長治二年(1105)か三年頃成立の「堀河百首」の作者となる。歌学者としてもすぐれ、万葉集・三代集ほかの歌に語釈等をほどこした著『隆源口伝』がある。金葉集初出。勅撰入集十一首。

堀川院の御時、百首の歌奉りける時、鷹狩をよめる

ふる雪にゆくへも見えず箸鷹(はしたか)の尾ぶさの鈴の音ばかりして(千載422)

【通釈】冬の鷹狩をする野で、降りしきる雪に行方も見えなくなった。ただ箸鷹の尾につけた鈴の音がするばかりで…。

【語釈】◇箸鷹 狩猟につかう小型の鷹。

片思

心こそ心をこらすものなれや思はぬ人をなに思ふらん(堀河百首)

【通釈】心を懲らしめるものは、ほかならぬ心なのだろうか。思ってくれない人に思いを寄せて、俺はなにを苦しんでいるのだろう。

【語釈】◇こらす 苦い経験をさせて、改心させる。

【補記】これほど恋で苦しい思いをするのは、自分の心を懲らしめるためなのだろうか。片思いをめぐる苦々しい反省。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日