紀女郎 きのいらつめ 生没年未詳

紀朝臣鹿人の娘。名は小鹿(おしか)安貴王の妻。万葉集巻八には「紀少鹿女郎」ともある。小鹿(少鹿)は諱(いみな=本名)か字(あざな=通称)か不明。
養老年間(717〜724)以前に安貴王に娶られる。安貴王は養老末年頃因幡の八上采女を娶った罪で本郷に退却せしめられ、紀女郎の「怨恨歌」(万葉集巻四)はこの事件ののち夫と離別する際の歌かと言われる。天平十二年(740)の恭仁京遷都前後、家持と歌を贈答する。遷都後早い時期に新京に仮住居を建てていることが知られ、女官だったかと推測される。家持との関係は程なく解消されたらしい。万葉集巻四・八に計十二首の歌を載せる(すべて短歌)。技巧的で妖艶、万葉後期の典型的な作風を示す歌人の一人。
 
関連ページ:和歌雑記「紀小鹿女郎」

  1首 相聞 10首 計11首

紀少鹿女郎の梅の歌一首

十二月(しはす)には沫雪降ると知らねかも梅の花咲く(ふふ)めらずして(万8-1648)

【通釈】十二月には沫雪が降ると知らないのだろうか、梅の花が咲き始めた。蕾のままでいないで。

【補記】陰暦十二月は春間近で、早梅が花開くことも珍しくないが、まだ雪の降ることの多い季節。早咲きの梅の花に親身に心を寄せている。

相聞

紀女郎の怨恨(うらみ)の歌三首

世の中の(をみな)にしあらば(ただ)渡り痛足(あなし)の川を渡りかねめや(万4-643)

【通釈】世の常の女なら、恋しい人のもとへと、どんどん川を渡って、痛足川を渡り切れないなどということがあろうか。しかし私にはそれが出来ないのだ。

【語釈】◇直渡り 原文は諸本「吾渡」で、ワガワタルと訓むテキストが多い。吾を直の誤写とする『萬葉集古義』の説をとる。◇痛足 原文は諸本「痛背」でアナセと訓むのが普通。これも背を足の誤写と考える『古義』の説をとる。痛足川は万葉集に病足川とも書かれている。三輪山の麓を流れる巻向川のこと。◇世の中の女にしあらば 世間一般の女であったなら。◇渡りかねめや 渡り切れないなどということがあろうか。世の常の女なら、たやすく川を渡って、恋しい人のもとへ行くだろうに、私にはそれが出来ない、ということ。

今は()は侘びぞしにける息の緒に思ひし君を(ゆる)さく思へば(万4-644)

【通釈】今となっては私は惑乱するばかりだ。命のように大切にしていた貴方と、とうとう別れ別れになることを思えば。

【語釈】◇息の緒に 「息」も「緒」も生命とほぼ同義の語。「命をかけて」「自分の命のように大切に」といった意味になる。◇縦さく この「ゆるす」は、手放す・我が身から引き離す意。

白妙の袖別るべき日を近み心にむせび()のみし泣かゆ(万4-645)

【通釈】白い夜着の袖を引き離して別れる日が近いので、心の中で咽び、声あげて泣いてばかりいる。

【補記】以上三首は、夫の安貴王と離別する時の歌かともいう。

紀女郎が大伴宿禰家持に贈る歌二首 女郎名曰小鹿也

神さぶと(いな)にはあらずはたやはたかくして後に(さぶ)しけむかも(万4-762)

【通釈】恋をするには年を取りすぎたからと言って拒むのではありません。とはいっても、こうしてお断りした後では、寂しい思いをするのかも知れませんね。

【補記】紀女郎は家持よりかなり年長で、家持の母親の世代に近かったと思われる。家持の返歌は「百年(ももとせ)に老舌出でてよよむとも吾は厭はじ恋は増すとも」(万4-764)

玉の緒を沫緒(あわを)()りて結べらばありて後にも逢はざらめやも(万4-763)

【通釈】互いの玉の緒を「沫緒(あわお)」のように緩やかに縒り合わせて結んでおけば、生き長らえて後には、いつかお会い出来ないわけがありましょうか。

【語釈】◇玉の緒 宝玉などを貫いた紐。玉は魂に通じ、ここでは命の暗喩として用いている。当時、生命は、魂を身体に紐のように結びつけているものとして観念されていた。◇沫緒 糸の縒り方の一種。堀河百首の源国信詠に「水引の沫緒の糸の一すぢに分けずよ君を思ふこころは」があり、これによると、水に浸した麻などを裂いて一すじに縒ったものらしい。

【補記】伊勢物語三十五段に小異歌が載る。「玉の緒をあわをによりて結べれば絶えての後もあはむとぞ思ふ」。

【他出】古今和歌六帖、伊勢物語、新勅撰集(読人不知)

【主な派生歌】
ゆく水のあわをによりて乱るなり嵐におつる滝の白糸(寂身)
いそぐなり末もとまらぬ年の緒をあわをによりてむすぶ契に(正徹)
青柳をあわをによりて春風の梢にむすぶ糸桜かな(烏丸光広)
玉の緒をあわ緒によりて長かれと願ふ心は神ぞ知るらん(松永貞徳)

紀女郎が大伴宿禰家持に贈る歌二首

戯奴(わけ)がため()が手もすまに春の野に抜ける茅花ぞ()して肥えませ(万8-1460)

【通釈】わざわざおまえさんのために、我が手を休めず春の野で抜いた茅花なのですよ、さあ召し上がってお肥りなさい。

【語釈】◇戯奴(わけ) 女主人が男の奴(やつこ)などを呼ぶ際に用いた呼称らしい。この場合、用字の通り戯れに使っている。◇茅花 春、蕾の時に摘み、乾燥させて食用に蓄えておいた。チは乳に通じ、強壮剤としても用いられたようである。

【補記】家持の返歌は「吾が君に戯奴(わけ)は恋ふらし給(たば)りたる茅花を喫(は)めどいや痩せにやす」(万8-1462)

昼は咲き夜は恋ひ()合歓木(ねぶ)の花(あれ)のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ(万8-1461)

右は、合歓木花(ねぶのはな)を折り()ぢて、茅花(ちばな)と贈れるなり。

【通釈】昼は華やかに咲き、夜はひっそりと恋に焦がれて寝る合歓木の花―ご主人様である私だけが見ていてよいでしょうか、奴の貴方だって見なさい。

合歓木
合歓木(ねむのき)

【語釈】◇合歓木 マメ科の落葉小高木。初夏、細い糸を集めたような淡紅色の花が咲く。葉は夜間閉じて垂れ、眠るように見えることから「ねむ」と呼ばれた。

【補記】合歓木は、夜になると葉が重なり合うように閉じることから、共寝の象徴として用いられ、この歌の「恋ひ寝る」も共寝の意に取っている解説書等があるが、この歌の場合葉でなく花を詠むので、共寝する意ではない。紀女郎は恭仁京遷都後早い時期に新京に家を建てていることから女官だったと推測され、昼は宮廷で明るく振る舞い、夜は寂しく独り寝する自分の姿を、昼だけ咲いて夜は閉じる合歓の花に譬えてみせたのであろう。

紀女郎が裹物(つと)を友に贈る歌一首

風高く()には吹けども妹がため袖さへ濡れて刈れる玉藻ぞ(万4-782)

【通釈】風が激しく吹いて岸辺には波が高く寄せるけれども、あなたのために袖を濡らしまでして刈り取った海藻なのですよ。

【補記】「玉藻」は海藻の美称。わざと押しつけがましい言い方をしているのは、親友に対する戯れである。

春相聞

闇ならばうべも来まさじ梅の花咲ける月夜(つくよ)に出でまさじとや(万8-1452)

【通釈】闇夜ならば、おいでにならないのも尤もです。でも梅の花が咲いた今宵のような美しい月夜にいらっしゃらないとは。

冬相聞

久かたの月夜を清み梅の花心に()きて()()へる君(万8-1661)

【通釈】月夜が清らかなので、梅の花が美しく咲くように私も心を開いて、お見えになるかと、お慕いしているあなたですことよ。

【語釈】◇月夜を清み 月夜が清らかで美しいので。

【補記】第三句は「こころひらけて」と訓むこともできる。


更新日:平成17年10月16日
最終更新日:平成20年09月29日