橘奈良麻呂の孫。清友の子。母は田口氏の女。仁明天皇・正子内親王(淳和天皇の皇后)の母。
賀美能親王の妃となり、夫が即位(嵯峨天皇)した後、弘仁六年(815)、皇后に立てられる。嵯峨天皇譲位後は、夫と共に冷然院・嵯峨院に住んだ。嵯峨上皇の崩後も太皇太后として朝廷に重きをなし、弟の右大臣氏公と図って橘氏の子弟のために大学別曹学館院を設立するなど、勢威を誇った。仏教上の業績も多く、嵯峨野に檀林寺を創建するなどした。人となりは寛和で容姿美麗、手は膝下に及び髪は地に届き、見る人その美しさに驚いたという。後撰集に「嵯峨后」として二首入集。
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まだ后になり給はざりける時、かたはらの女御たちそねみ給ふけしきなりける時、みかど御曹司に忍びて立ちより給へりけるに、御対面はなくて、たてまつり給ひける
【通釈】人の噂が煩わしく存じます。しばらく曹司に入らず外でお立ちになってお待ち下さい。宵の間に御衣に置いた露は、私が後ほど出てお払い致しましょう。
【語釈】◇立てれ 立っていて下さい。「れ」は完了存続の助動詞「り」の命令形。◇おけらむ露 置いているであろう露。「おけ」は「置く」の命令形、「ら」は完了存続の助動詞「り」の未然形、「む」は未来推量の助動詞の連体形。「おきあらむ」が約まって「おけらむ」になったと言っても良い。
【補記】立后する以前、女御たちが嫉妬して煩く噂することを厭い、嵯峨天皇のお忍びの訪問を謝絶した際の歌。
【他出】古今和歌六帖、俊頼髄脳、宝物集、僻案抄
【主な派生歌】
萩が枝におけらむ露の白玉をはらはで見せよ野辺の秋風(嘉喜門院[新葉])
みかどに奉り給ひける
うつろはぬ心の深くありければここらちる花春にあへるごと(後撰1156)
【通釈】帝はたやすく移らないお心をしっかりお持ちでいらっしゃいますので、ひどく花の散るような私でも、春の盛りに逢ったかのような思いでおります。
【語釈】◇うつろはぬ心 (帝の)変わらない心。浮気しない心。「うつろふ」は花の縁語。◇ここらちる花 たくさん散る花。年を取って容色が衰えた作者を暗示するか。◇春にあへるごと 春に逢ったかのように、散る心配がない。つまり帝が自分にのみ心を寄せてくれることを言う。
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成20年10月20日