春日山田皇女 かすがのやまだのひめみこ 別名:山田赤見皇女など。

仁賢天皇の皇女。母は和珥臣日爪(ひづま)の娘、糠君娘(あらきみのいらつめ)。安閑天皇即位の年(534)、皇后となる。子はなさなかった。安閑二年(535)十二月、天皇は崩じ、宣化天皇に替わる。宣化四年(539)、天皇が崩ずると、次期天皇欽明より皇位の継承を慫慂されたが、これを固辞、結局欽明天皇の即位となった。没年は不明であるが、安閑天皇の古市高屋丘陵(羽曳野市)に合葬された。
日本書紀巻十七に勾大兄皇子(のちの安閑天皇)に贈ったという歌を伝える。

 

隠国(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の川ゆ 流れ来る 竹の いくみ(だけ) 吉竹(よだけ) 本辺(もとへ)をば 琴に作り 末辺をば 笛に作り 吹き()す 御諸(みもろ)が上に 登り立ち 我が見ませば つのさはふ 磐余(いはれ)の池の 水下(みなした)ふ 上に出て嘆く やすみしし 我が大君の ()ばせる 細紋(ささら)の御帯の 結び垂れ (たれ)やし人も 上に出て嘆く

【通釈】泊瀬の川を通って流れて来る竹の、密生した竹、若くて良い竹。その竹の根元の太い方は、伐って琴に作り、末の細い方は、伐って笛に作り、楽人たちが吹き鳴らす三輪山の上に私も登って、上から眺めますと、磐余の池の泳ぐ魚も、上に出て来て、琴や笛の音の素晴らしさに溜息をつくのです。私のご主人様の締めておいでの、ささら模様の帯。帯を「結び垂れる」というでしょう、その「たれ(誰)」でしょう、魚ばかりか人も顔色に出して歎いているのです。

【語釈】◇隠国(こもりく) 「泊瀬」にかかる枕詞。「こもりく」は「山に囲まれた地」の意。◇泊瀬 奈良県桜井市。初瀬とも書く。初瀬川ぞいの渓谷の地。古代大和政権の中心であった。◇御諸 神を祀る場。特に三輪山を言う。◇つのさはふ 「磐余」の枕詞。蔦が多く這う意で「石(いは)」に掛かるかとする説がある。◇磐余の池 不詳。香具山の麓にあったかとも言う。大津皇子の歌でよく知られる。◇水下ふ魚も上に出て嘆く 魚が水面に口を出してパクパクさせる動作を、音楽に溜息をついている様に見なして言う。「嘆く」は、紀の記事からすると、朝の別れを嘆くこと。◇結び垂れ 「垂れ」から同音「誰」を導く。

【補記】日本書紀巻十七。継体七年九月の月夜、勾大兄皇子(のちの安閑天皇)に迎えられた皇女は、皇子と清談してそのまま夜を明かした。皇子は風流心の起こるままに歌を詠み、これに皇女が唱和したのが上の歌であるという。ほとんどが序詞からなる歌で、内容としては「私は、皇子様とのお別れを歎きます」ということが言いたいだけである。独立した歌とみれば、大王への挽歌か。

【主な派生歌】
水下経(みなしたふ)魚も侘ぶらむ磐床と池の冰(ひ)いたく凝(こほ)る此の夜は(鹿持雅澄)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年03月01日